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短歌相互評27 おさやことりから岩倉文也「台風前夜、ぼくたちの肖像」へ

さくひん 「台風前夜、ぼくたちの肖像」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19423.htmlひょうしゃ おさやことり


いわくらふみや さま

 ゆめとゆめのいせきはどちらがきれいなのでしょう
 えらばれなかったせんたくし
 おこらなかったできごとが
 いまここをてらしているのだとしたら
 ざせつとうよきょくせつのなんてゆたかなことでしょう
 そのばしょはきっとぶんきのてまえですね
 すりつぶされたせみはくらいみらいのよかんのようなものでしょうが
 ころがる
 というのはすこしふしぎないいかたです
 すりつぶされたものは
 なんとなく
 もうころがれないようなきがして
 すりつぶされているじょうたいと
 ころがっているじょうたいが
 べつのみらいとしてしめされているかのようです
 ぱられるわーるど
 なんていってしまうとさすがにちんぷがすぎますが
 よみすぎでしょうか
 
 おんしんふつうになりたい
 わたしもときどきそうおもいます
 でもこのねがいをかなえるのはむずかしいですね
 ほんとうにたちきりたいのは
 じぶんからじぶんへのれんらくなのですから
 だからきっとしんののぞみはべつにあって
 それにとどかないはがゆさがもたらすことばなのでしょう 
 なみがほんとうはおとをもつように

 とうめいによもうとするならば
 かみさまはしをかくひとがきらい
 ということになるのでしょうけれど
 ひとりねのかみさま
 というふじゅんぶつをついよみとりたくなります
 かみさまもひとりでねているのだな
 だから
 しをかくひとがきらいなのだな
 という
 つながりそうにないけどつながりそうなろんりに
 すこしひかりをくっせつさせてよんだほうが
 よくひかるうたなきがします

 しんでいるひとのかみがきれい
 これがひげとかかつらだったらどうだったかな
 とかんがえてしまいます
 でもここではしんでることよりも
 それをたにんとみていることで
 なにかがきょうゆうされていることが
 よりたいせつにされているのだとおもいました
 ひげやかつらではこじんぷれーがすぎるので
 おもいはひとつになれませんね
 そういうところからもうかがえるように
 なんにんかのひとたちのかんけいが
 このいちれんにはあるようなきがします
 たいとるにもぼくたちとありますからね
 
 ぼくたち
 ということばが
 つぎのうたでいよいよとうじょうします
 このことばとてもふしぎですね
 たいふうのちかづくよるにひとりでいるのだから
 たいとるも
 ぼくのしょうぞう
 がただしいようなきがします
 もちろん
 こうどなでんわきも
 ぱそこんもあるじだいなので
 (まさかじだいげきたんかではないですよね
 せーらーむーんやとーますが
 まあたらしかったじだいだったりして)
 たいふうでこもっていてもでんぱがとぎれないかぎりは
 だれかとでもつながりをもつことができます
 でもはたして
 そういういみでのぼくたちなんでしょうか
 ひかってるね ぼくたち
 というときのぼくたちはよこならびにおもえます
 うしろにいてもいいです
 とにかくおなじほうこうをむいているようなかんじがします
 どあにかぜぶつかってるね
 で
 どあのほうこうがしめされているのも
 そのいちいんでしょう
 ですが
 でんわきのらいんなどでつながっていたら
 そのかんけいはむかいあわせになるんじゃないでしょうか
 だからなんとなくですが
 ぼくたちはおなじへやにいるようなかんじがするのです
 あっ
 でも
 でんわしているあいてのあぱーとも
 おなじかざむきにどあがあって
 おなじようにどあにかぜがあたっていることのどうじせいを
 かいているのだとしたら
 あるいみよこならびともいえますね
 ただかりにそうだとしても
 そのときぼくがでんわをかけているそのひとは
 なんとなくですが
 ぼくじしんのようなきがして
 けっきょくおもうのは
 ぼくたちとは
 ぼくぷらすたにんではなくて
 ぼくじしんのふくすうけいなんじゃないか
 ということです

 これがもしすごろくならば
 じゅういちますもどるという
 てんしょんだださがりなじたいになりますが
 はじめのほうのうたにもどってよみなおしてみると
 またなにかのぞんでいるね
 というときの
 のぞんでいるしゅたいは
 ぼくのようでいて
 たにんのようでもある
 ゆめのいせきのあるあぱーとも
 ぼくのへやにもひとのへやにもよめる
 ぼくからぼくがめばえ
 あたらしいぼくがふるいぼくのへやをみている
 そうよめばてんびんがつりあいます

 めをあけてここはどこでしょう
 というときのここも
 ぼくのへやであって
 たにんのへやであるかのようです
 こわされたぱずる
 ちきゅうぎ
 せーらーむーん
 ひとのへやのものをみるまなざしにしては
 おもいいれのつよさがうかがえますし
 でもじぶんのへやだとしたら
 じぶんからかいり
 したようなかんじがします
 このうたは
 てがきれいだとじぶんをほめる
 うたと
 ひとりでわらう
 うたに
 おせろみたいにはさまれて
 やっぱりぼくはひとりなんだな
 というげんじつをつきつけられながらも
 だれかのけはいみたいなものをどことなくただよわせている
 そのだれかがたとえじぶんのけはいだったとしても
 そのけはいにぼくはまもられている
 
 しょうぞう
 ということばもだんだんふしぎにおもえてきました
 いまここをみらいにのこす
 といういしがそこにはあって
 どうじにみらいからのてりかえしに
 ときがいてついているようでもある
 かわかないたおるのひとつがうんめいとよばれてた
 この
 ごびのかこけいは
 みらいからのてりかえし
 ではないかとおもうのです
 みらいにむけられたひかりがみらいからかえってきて
 そのひかりにいちれんが
 うべなわれている
 しゅくふくされている
 
 でも
 しゅくふくとじゅそは
 ひょうりいったいかもしれません
 たいふうのこえは
 ししゃのこえににているようにおもうからです
 だれもがししゃににているといううたがあり
 しんだひとのかみのきれいなうたがあり
 おしいれにだれかすんでたうたがあり
 ておくれだからやさしいひとがたちがいるうたがある
 みらいからのてりかえしによっていてついたじかんは
 はじまりもおわりもなく
 ひとつのじかんのなかにかこもみらいもふくまれて
 どこまでもくうかんてきにひろがっていく
 それをやぶるのはたしゃです
 たしゃはじかんのいてつきをとかす
 たとえばけいこうとうのくるい
 というのも
 こんとろーるのおよばざるをくるいとするのなら
 ひとつのたしゃでしょう
 たしゃがやぶれめを
 ほころびをつくり
 それがいやおうなくぼくがいきていることに
 そしてしにむかっているということに
 ちょくめんさせる
 ぼくはひとりでうまれひとりでしぬ
 たしゃは
 ぼくがたんすうけいである
 というじじつをつきつける
 うみへいかなきゃというわけわからなきしょうどうも
 うちにふくれあがるげんじつというものの
 おぞましさにどうしようもなくなってでてきたことばなんでしょう
 そうくちにするほかないことば
 だからせっぱくせいをもつ
 おんしんふつうになりたい
 ということばもおもえばそうでした

 でもせっぱくせいをもちながらも
 いきたいばしょが
 うみ
 というのはいかにもありきたりなきがします
 かってきたししゅうよまずにまちにくりだす
 というさいごのうたもどこかでみたようなかんじがしますし
 ほんとうはだあれもすきじゃない
 という
 にしゅめもすなおすぎるようなきがしました
 べつにありきたりをわるくいうたんらくをおかすつもりはないのですが
 このぼくにほんとうにからだがあるのかというぎもんがめばえます
 しをかくひとびとのしゅうごういしき
 みたいなものがうんだまぼろしではないかと

 めかにずむでかんがえるならおそらく
 ぼくをしょうぞうにしてぼくをみらいにつたえることで
 みらいからのてりかえしをうけてじかんをいてつかせることのためには
 ぼくをふくすうけいにすることがひつようで
 ぼくをふくすうけいにするためには
 ぼくのこじんてきすぎるぶぶん
 とくしゅすぎるぶぶんははずしていくひつようがあった
 つまりあんまりこじんぷれーをしすぎてはいけなかった
 ぼくはふへんせいをまとうことでぼくたちになった
 ということなのでしょう

 なんて
 めいたんていをきどってすいりしてみても
 なれないさぎをしているようなきもちにしかならないですが
 ともかくもこのいちれんは
 わんだーよりしんぱしーによりすぎているとおもうのです
 それはけってんといえばけってんなのでしょうけれど
 ふくさんぶつのようにべつのおもしろさがあって
 こじんにふへんがべたぬりされていることで
 ふじゅんぶつがはっせいしているところなどは
 ひじょうにきょうぶかいとおもうのです

 いわかんをともないながらも
 ひつぜんをまとったようなかおをしてそこにいる
 ぼくたち

 ちなみに
 さいごからにしゅめがけっきょく
 このにく
 なのか
 ねこのにく
 なのかはさいごまでわかりませんでした
 いんりつをかんがえるのなら
 ねこ
 なのでしょうが
 そのばあいのさめたかんじにたいし
 この
 だったばあいの
 なぞのおもいいれや
 ね
 というぶきみなごびは
 とてもみりょくにおもいます
 このようないみのふくすうせいも
 きずといえばきずですが
 きずにこそひかりがとどまるものなのではないでしょうか

 こんごのごかつやくをおいのりします
 つたないひょうでもうしわけありませんでした

  おさやことり

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