短歌評 短歌と翻訳 〜二つの短歌の紹介の事例〜 山口 勲
短歌評を仰せつかった山口勲です。 知らない方も多いと思うので、私自身の自己紹介をすると、東京都内を拠点にする詩人・パフォーマー・翻訳者であり、イベントの企画や、詩誌の発行人です。 現在は千葉県、東京都でポエトリーリーディングのイベントの主催をしていると同時に、日本語で書かれた詩と日本語以外の言葉で書かれた詩を紹介する雑誌、「て、わた...
View Article短歌時評133回 名古屋でシンポジウム「ニューウェーブの30年」をわたしは聞いた 柳本 々々
2018年6月2日土曜日、名古屋。このシンポジウムは、加藤治郎さんの「ニューウェーブなんて存在するのか?」という問いかけではじまった。少なくともわたしのノートはそこからはじまっているのだが、たぶん今回のシンポジウムのひとつのキーワードは、〈ニューウェーブを前提にしない〉ということだったとおもう(以下は、わたしが当日ききながらノートに記したことでばちっと精確ではない箇所もあるかもしれない)。...
View Article【短歌連作評】 水を照らされて ― 東直子「皿の上の水を照らす」を読んで カニエ・ナハ
東直子「皿の上の水を照らす」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-06-02-19273.html 校庭のトーテムポールと理科室のプレパラートが(声)おくりあう...
View Article短歌相互評23 クユ?―三上春海から木下こう「クユ」へ
「クユ」の読み方がわからないとおもった。 カナカナと気づけば「くゆ」なのだけれども、初めてみたときには記号のようにも、久、匸、勹、工、といった漢字のようにもみえる。「くゆ」、という音を日本語で考えれば「悔ゆ」「崩ゆ」などがおもい浮かぶが、ふつうはあまり聞かない言葉だ。なんでしょう、と、問いが投げかけられているようなふしぎなタイトルだとおもう。 *...
View Article短歌相互評24 木下こうから三上春海「撤退戦」へ
三上さんの作品世界に漂う、不確かで象徴的な存在性、言葉と言葉の繋がりの不思議な質感をどんなふうに捉えたらいいのだろう。一読、意味の取りにくい作品もあるが、トリッキーな訳でもないように思える。ただ、輪郭を奪われたかのような動揺を覚えた。一首一首を、何が有力で、何が無力なのかを測りつつ読んだ。 人間はひとりにひとつ持たされた三百円のおやつであった...
View Article臨時j評 「高島裕『抵抗の拠点』に思うこと 」北村早紀
ものを書くようになってからずっと、そしてこの半年はより一層、自分はなんのために書くのだろうと考えてきました。「橋を架けるため」というのが(生意気ながら)最近のお気に入りの答えですが、もちろん最終の答えはまだ出ていません。...
View Article短歌時評134回 浅野大輝
I 平成最後の夏が来た。いつだって夏は一回きりの夏のはずだが、「平成最後の」という形容にはどうしたって時間の重みを感じとってしまうもので不思議である。...
View Article短歌相互評25 染野太朗から松村由利子「失くした鰭は」へ
作品 「失くした鰭は」松村由利子 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-08-04-19366.html 評者 染野太朗...
View Article短歌相互評26 松村由利子から染野太朗「初恋」に寄せて
作品 染野太朗「初恋」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-08-04-19370.html 評者 松村由利子 実に初々しく、恋の喜びや幸福感、そして痛みを伝えてくる連作だ。最初の二首では、恋を失った現在の苦しい思いが描かれる。 ひとの幸せを願へぬといふ罰ありきメロンパン口に乾きやまずき...
View Article短歌時評136回「ねむらない樹」の扉をあけて -頭に浮かぶ先行作品- 大西久美子
2018年6月2日(土)に開催された「現代短歌シンポジウム ニューウエーブ30年」(荻原裕幸氏、加藤治郎氏、西田政史氏、穂村弘氏)を「ねむらない樹」創刊号(2018年8月1日刊)が特集で再現している。 シンポジウムで分かったことは次の二つ。 一つ目は「ライトバースとニューウエーブの違い」、 二つ目は「ニューウエーブは荻原、加藤、西田、穂村の4人(のもの)」ということだ。...
View Article短歌評 塔短歌会のセクシャル・ハラスメント対策のことなど 山口勲
前回、詩客の短歌時評で私が描こうと思っていることを書きました。 一般的にある文学ジャンルの「時評」の読者はその文学の書き手であること。 短歌周辺の事柄の中で、手元まで届かないけど気になることについて、なるだけ紹介すること。 その結果、少しでも意見の広がりを作ることができると嬉しいということ。 です。 今回はとても一般的な話をします。 さて、私には2歳の息子がいます。...
View Article短歌相互評27 おさやことりから岩倉文也「台風前夜、ぼくたちの肖像」へ
さくひん 「台風前夜、ぼくたちの肖像」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19423.htmlひょうしゃ おさやことり いわくらふみや さま ゆめとゆめのいせきはどちらがきれいなのでしょう えらばれなかったせんたくし おこらなかったできごとが いまここをてらしているのだとしたら...
View Article短歌相互評28 岩倉文也からおさやことり「はねばしを」へ
おさやことり「はねばしを」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19427.html 評者 岩倉文也...
View Article短歌時評第137回 「負けたさ」と「負けるな」 濱松哲朗
八月十九日(日)、塔短歌会主催の現代短歌シンポジウム(要するに、全国大会二日目の、一般公開部分)の鼎談「平成短歌を振り返る」において、 「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない(虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房、二〇一六年)...
View Article短歌作品評 亜久津歩から荻原裕幸「夏の龍宮」へ
共感しないままふれる半神の歌の手ざわり――荻原裕幸「夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらうと思ひながら選んだ十首」を読んで 亜久津歩 作品 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-10-06-19493.html...
View Article短歌時評第138回 良い短歌という実践——短歌甲子園に関するいくつかの断片 浅野大輝
良い短歌ってなんですかね、と彼女は言った。 その答えを、私はいまだ見つけられずにいる。 * 岩手県盛岡市にて「第13回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2018)が開催されたのは8月17日〜19日。一方、宮崎県日向市にて「第8回牧水・短歌甲子園2018」が開催されたのは8月18日〜19日。あの夏の戦いから2ヶ月が経過したのかと、少し驚く。...
View Article短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞
塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。...
View Article短歌相互評30 寺井龍哉から山川築「つくりごと」へ
標題は「つくりごと」、物語的な虚構のことのみを指すと見てもよいが、あえて「つくりごと」をせずありのままに語ることのできる事実も存在するのだから、この語には後ろめたい印象もつきまとう。世を渡る方便としてのささやかな嘘、観客を楽しませるための創作者による脚色、政権をゆるがす大いなる虚偽までを、「つくりごと」の語義は包摂する。 真実の対義語ばかり使ふ日のはじめに飲み下す胃腸薬...
View Article