Quantcast
Channel: 「詩客」短歌時評
Viewing all articles
Browse latest Browse all 244

短歌相互評 第33回遠藤由季から辻聡之「権力と花山椒」へ

$
0
0

作品 辻聡之「権力と花山椒」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-01-05-19804.html
評者 遠藤由季



拝啓 蝋梅の香りのするこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
先般拝読した辻さんの二十首にも「蝋梅」が詠われている一首がありましたね。

  知らぬ家の蝋梅に鼻寄せおれば賑わしく小学生ら過ぎたり

 辻さんの歌には時おり懐かしい場面が出てきます。そして、懐かしいけれど、「今」である場面。小学生たちの賑やかな登校時間(職場へ行く途中だと思うので、下校時間ではないですよね?)は、今の世も変わらずにある朝の一場面なのだろうと思います。そこを歌として切り取るところが辻さんの特徴のひとつなのでしょう。そして蝋梅に鼻を寄せる行為も、どことなく文学者めきつつ、作られた姿ではないものなのだろうと思います。
かりんに入会された頃とは、かなり言葉も文体も変わられたように感じます。たとえば「寄席おれば」の「おれば」や、「過ぎたり」の「たり」など、ごく何気なく繰り出されるところ。初期の辻さんの歌にはなかった動詞・助動詞ではないでしょうか。
 その一方で、下二句の句割れ・句跨りを駆使した、揺り返しの起こるようなリズムは現代の短歌において定着・浸透している技法で、それをさりげなく(そしてほんのりと戦略的に)繰り出しているところが、第一歌集『あしたの孵化』から継続されている辻さんのリズム感なのだ、と感じました。

 蝋梅の歌のお話が長くなりましたね。そうそう、食べ物とその周辺の詠み込まれている歌に辻さんのうまさを感じました。さすが、名古屋一のコメダニストですね!

  ドライアイスのごとく痩せゆく後輩のそれくらい仕事してくれ頼む
  大人は努力きらいだもんね 和三盆に似たる議論をさくさく終えぬ
  ぼくたちのまだ倫理観つたなくて口の端からこぼすタピオカ
  守衛のおじさんがくれたるおみやげの人形焼がみな無表情
  お歳暮のフルーツゼリーゆうかげに透かせば翳りはじめる果肉

 「ドライアイス」は食べ物ではないけれど、今という時代の職場に働く先輩後輩の〈生〉な姿が見えるようです。この「後輩」はなにか仕事以外のことに夢中になったり、悩んでいる人なのか。その仕事以外のことに力を注ぐように仕事してくれ、と願う〈われ〉という先輩も、きっとがつがつ仕事をするタイプではなく、「大人は努力きらいだもんね」とちらっと思いつつ、やるべきことばさくっと終わらせる人なのでしょう。「和三盆」なんていう、しゃれて意外性のある和菓子を持ってきて職場の議論の場面、その心情を描くところが独特です。いいですね。「守衛のおじさん」がくれた「人形焼」の表情に注目したところも、辻さんらしい目配りの細やかさがあって、うまい!と思います。初句から二句にかけての、字足らずのような、句割れ句跨りのようななんともいえないリズム感を、三句から結句までのきっちりした定型に収めてゆく展開で、最終的には安定したリズム感を感じさせながらまとめる技も、効いていると思います。「蝋梅」の歌もそうでしたが、連作のところどころにこういった リズム感の緩急があって、単調にならないように読ませる工夫の一つになっています。
 「タピオカ」や「ゼリー」の歌は、辻さんらしいちょっとナイーブな面が出ていますね。「タピオカ」にはどこか不器用な内面が滲んでいますし、「ゼリー」の透けた感じは馴染みやすいポエジーです。どちらも辻さんが歌に表しやすい素質で、初期の頃から楽しませてもらっていた歌い方です。そういった面ばかりを詠い継いでいくのには不安を感じますが、大切に持ち続けながら、もっと深みのある内面や独自のポエジーを追及されてゆくと、ぐんと面白くなるのだろうな、と思います。

  課長になるまでの時間のはるかなる梢にメンフクロウの沈黙

 この歌を読んだ時、『あしたの孵化』に詠まれている「望まれるように形を変えてゆく〈主任〉はどんな声で話せば」という一首を思い出しました。今の世の中、出世自体があまりありがたいことではなく、責任の重い管理職を敬遠する気分が若者にあると聞いたことがあります。一方で上の世代が多くて出世もままならないという事実もあって、非常に複雑な職場環境に多くの働く人たちが身を置いています。そんな「今」を風通しのよい詩性で詠ったのがこの一首だと思います。「メンフクロウ」という生き物の、職場からは遠くて少し不思議な存在が、今まで多くの歌人に詠まれてきた職場の歌にはない、異空間へ誘う広がりを生み出し、辻さん独自の詠い方になっています。今回の一連の中でのわたしの一押しです。

  半透明人間ぼくもここにいて街路に花山椒のいろどり

 おそらくこの「ぼく」は「ぼく」自身のことを、「半透明人間」のようにいるのかいないのかあやふやな存在だと感じながらも、「ここにいて」と表明し、きっちりと己の歩を進めてゆこうとしているのだろうと思います。花山椒の細やかな花、そして一粒でもぴりりと辛い実。まさにそういう「ぼく」を詠わんとしているように感じます。山椒といえば「うなぎ」ですね。
五月に開かれる、歌集『あしたの孵化』批評会も楽しみにしております。平和園とコメダに通いながら、どうぞお元気で。

敬具
遠藤由季
二〇一九年一月とある晴れの日に


Viewing all articles
Browse latest Browse all 244

Trending Articles