4月に「さまよえる歌人の会」という短歌の勉強会で平出奔『了解』について報告した。その中で平出さんの「社会詠」に注目した。
社会の仕組みや制度を詠う歌をつくることをわたしは難しいと思っていて、それは、社会の仕組みや制度は多くの人にとって共通に適用されるものであるせいだと思っている。
人によって適用される法律とか税金とかが違っていたり、私の通貨と他人の通貨が異なっていたりしたら困るから、法律とか税金とか通貨とかは一律で無味乾燥になりやすい。そして、そういう制度や仕組みは個人の感情と結びつきにくいのではないかという風に思う。
しかし、『了解』には心うつ社会詠(制度詠)がたくさんある。
郵便受けに挟まったままの自動車税納付書は世界を彩って(46頁)
思い出は美しいから残るのか判例集の頁としても(99頁)
税金のなかでも自動車は無味乾燥な程度が高いように思う。判例集もそうだ。そういうものが短歌に詠まれて、そして成立していることに新しさがある。
飛行機だ どこまでだろう どこまでも届け国内総生産よ(99頁)
国内総生産のようなマクロ経済の指標は、特に個人の実感と遠いように思う。さまざまな個別性を捨象して極端にシンプルなモデルにしたものだからである。しかし、この歌は飛行機が飛ぶ、その飛行機に乗っている一人ひとりの人の移動という個別性とマクロ経済の概念が結びついていて、提示されている。
法律はみんなに信じられていて凄い 信じるみんなが凄い(116頁)
わたしは法律を勉強したことがあるのだけど、大学院で、法律というのは人が法律だと信じているものが法律です、ということを言われた。
たとえば、こういう例が挙げられた。
法律では未成年者(現在は20歳未満)の飲酒は禁止されているけれど、かつては18歳で大学に入るとみんなお酒を飲んでいた。これは、法律の規定をみんなが信じていなかったことになる。誰も信じていなければ法律の規定は意味がなく、法律に書いてあるから強制力があるというわけではないのだと。
平出さんの短歌がこのような知識に基づいてつくられているのであっても十分に新しさがあるけれど、そうでなくてこのような法律の本質に到達したのであれば、それはすごいことのような気がする。本質を把握する力のある歌人と思う。