宮沢賢治文学の出発点は短歌だと言われている。短歌を書き始めたのは、明治44年県立盛岡中学時代、ちょうど自我の意識が芽生えるころだ。父親との葛藤はよく知られているが、押しとどめることのできない自我意識や思春期の感情を初めに託した文学形式が短歌だということは興味深い。五・七・五・七・七の定型が思春期の心情を滑らかに表現するには適していたのだろう。
また、ちょうどそのころ短歌は近代の黄金期を迎えていた。若山牧水、前田夕暮、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、北原白秋、斎藤茂吉らが素晴らしい歌集を次々と発行している。特に賢治は盛岡中学出身の石川啄木には大きな関心を寄せていた。これらの文学作品に目を通し、時代の息吹を柔軟に吸収した賢治にとって短歌からの出発は自然の成り行きでもあったのだ。(佐藤通雅編著『アルカリ色のくも』参照)
短歌創作期間は、賢治が盛岡高等農林学校研究生を終了し、将来の進路や信仰をめぐって父と対立、東京の国柱会で活動していた大正10年(満25歳)でほぼ終息した。短歌集は作らず、歌稿として八百余首の短歌が残っている。歌稿にはAB二つの形態があるが、ここではちくま文庫『宮沢賢治全集3』にある通し番号で見ていきたい。
み裾野は雲低く垂れすゞらんの
白き花咲き はなち駒あり 一
県立盛岡中学時代に作られた歌である。素直な短歌であり、出発点と言ってよいだろう。岩手山登山の時に詠われた。白いすずらんの花と放牧された馬の群れが鮮やかに風景として切り取られている。岩手山は岩手県の最高峰であり、童話や詩作品にもよく描かれ、賢治の心象風景の大切な場であった。文学の出発点、初期の短歌の中にすでにその場が現れているのは興味深い。
霧しげき
裾野を行けば
かすかなる
馬のにほひのなつかしきかな 二四五
盛岡高等農林学校時代の作。繊細で感覚的だ。こちらも岩手山麓の馬の放牧が詠われている。賢治は一人で山歩きをしたと言われているが、この日は霧が濃く前が見えない。かすかに馬の匂いがし、放牧の情景が頭の中に浮かんだのであろう。馬の匂い、生き物の気配にほっとした親近感を抱くほど、霧の立ち込める岩手山は、厳しく人を寄せ付けない異界の場であったと思われる。
岩手山は「霧山岳」という呼称で短歌に度々登場する。岩手山(霧山岳)が舞台となった短歌をあげてみる。
雲とざす
きりやまだけの柏ばら
チルチルの声かすかにきたり 四五七
この短歌は歌稿B「大正六年四月」見出しの作品群に収められている。盛岡高等農林学校時代の作品である。チルチルはメーテルリンク『青い鳥』の主人公の名前である。『青い鳥』ではチルチルが柏の木に、木こりである彼の父親が、自分たちの仲間を切ったとして非難される場面が出てくる。賢治作品特に童話にみられる、意に反して敵対する複雑な自然と人間の関係がここでも生じている。チルチルの声は道をさがす無垢な少年の声ばかりではなく、自然界と人間界の狭間を逡巡する迷いの声でもあると感じてしまう。
さらさらと
うす陽流るゝ紙の上に
山のつめたきにほひ 五〇九
二四五の短歌同様、ここでも「にほひ」が詠われる。賢治作品には様々な匂いが登場するが、短歌において、その匂いは馬にしても山にしても眼前には登場しない幻のにおいであることがおもしろい。ないものの気配存在を匂いで感じ取る。匂いが霊的な存在と交信するかのような神秘性を帯びていく。前述のチルチルにしても声だけで姿が見えない。異界の世界、幻想をつねに感じていた賢治作品の特徴が短歌にもすでに現れている。
詩編には「岩手山」と題された短い作品がある。
岩手山
そらの散乱(さんらん)反射(はんしゃ)のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵(みぢん)系列(けいれつ)の底に
きたなくしろく澱(よど)むもの (一九二二、六、二七)
「古ぼけて黒くゑぐるもの」とは火口だろうか。この詩では岩手山は禍々しい霊的な姿を見せる。この世の闇、修羅を一手に背負い、在り続けているような錯覚さえ与える。一瞬通り過ぎる匂い・声、幻視。短歌では、幻想の世界が一過性のものとして岩手山の土地の気が詠われていたが、詩になるとそれが確固たる実在として眼前にリアルに現れてくる。短歌でとらえた一瞬の気があるからこそ、後の詩作にそれが脈々といかされ息づいてきたのであろう。
今日よりぞ
分析はじまる
瓦斯の火の
しづかに青くこゝろまぎれぬ 二八二
盛岡高等農林学校時代の作品である。授業中の実験であろう。瓦斯の火の青さがその場の中心にある。分析への意気込みとともに凛とした静かな緊張感が部屋全体を包んでいる。実験に没頭し深く澄み渡っていく賢治の心情が読み取れる。
青ガラス
のぞけばさても
六月の
実験室のさびしかりけり 三二四
ここでの青ガラスは元素の炎色反応を見るときに使われるコバルトガラスだと指摘されている。青く美しいガラスを通してみた6月の実験室はさびしい。青とさびしい感情が結びついている。賢治の作品には青がさびしい感情と結びついているものが多い。6月は植物が緑を増し、雨が降り、自然がざわめく季節だ。生き物の気配に満ちた外部の世界、静かな内部の無機質な実験室。それは生きていることの根っこにある寂しさを感じさせる場であったのだろう。
二首いずれも実験室の中の光景である。実験器具やガラスを通し、その無機質な装置や物体から醸し出す青、身近なものであった青が、感情を持つ色へと賢治の中で大きな意味合いを持っていくようになるのが興味深い。
賢治の青は更に死のイメージへと変遷していく。
大正7年、盛岡高等農林学校卒業後「青びとのながれ」という十首の連作を描いている。ここから四首紹介したい。
青じろき流れのなかを死人ながれ人々長きうでもて泳げり 六八一
うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり 六八三
溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり 六八四
あたまのみひとをはなれてはぎしりし白きながれをよぎり行くなり 六八九
現在の東日本大震災と重なってくる歌だ。北上川と猿ヶ石川の合流する地を賢治はイギリス海岸と名付けているが、このイギリス海岸を沢山の死人が流れていく幻覚を度々見ていたようだ。この地は昔から災害が多い土地でもある。賢治の詩「原体剣舞連」に登場する「達谷の悪路王」(坂上田村麻呂に討伐された蝦夷の族長)など先住民との争いででた多数の戦死者もこの地に存在した。(佐藤通雅編著『アルカリ色のくも』参照)災害や戦争、長い歴史の中で葬られた人たちの声が無数の青びととなり、川を流れていく。歌稿B(後に分かち書きで清書したもの)では、この連作を賢治ははずしてしまう。生々しい表現がきついと思ったのか病的に偏りすぎていると捉えたのか。思春期、青年期の短歌はやがて詩作へと向かう賢治の意識または抑圧された無意識の累積をみる上でとても重要だ。
詩集『春と修羅』の有名な序には「わたくしといふ現象」を「ひとつの青い照明」と述べているが「青びとのながれ」連作を読むとこの序の「青い照明」もまた違ったものに感じられる。幻視を通し、死者の姿、土地の歴史、風景の中で止まっている時間がわたくしといふ現象と混ざり合う。それら雄大な命の連鎖をすくいとった明滅が、寂しく屹然と時空を遡り、「わたくし」から宇宙空間へと解き放たれていく。
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
この4行から始まる「薤露青」は『春と修羅』第二集に収められた詩編である。みおつくしの浮かぶ水面と広大な宇宙が響きあい交わりながら、幻想的で美しい空間を創り上げている。対極にあるミクロの小さな薤露、その中にも宇宙はあり、光に反射する聖らかな青は儚げに保ち続ける命のようだ。切迫した多層の詩空間に死んだ妹、トシの声が交じってくる。
.……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう......
このように歌いながら「かなしさは空明から降り」と続けて嘆くこの詩には美しい詩空間の中に最愛の妹を失った賢治の複雑な心情が読み取れる。南十字星・プリオシンコースト・蝎座など「銀河鉄道の夜」とプロップが重なる作品世界だ。薤の葉の上のはかない露、命。それらが託す詩情の青。短歌で詠われた青は、やがて詩や童話でさらに進化し生者と死者をつなぐ宇宙と交わる。広大な世界観として成立していく。
参考文献
佐藤通雅編著『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』(NHK出版 2021年)
板谷栄城著『宮沢賢治の、短歌のような 幻想感覚を読み解く』(日本放送出版協会 1999年)
宮沢賢治研究会編『[評釈]宮沢賢治短歌百選』(地人館 2023年)
ちくま文庫『宮沢賢治全集』(筑摩書房)