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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌評 ラムネ、図書館、みちる海――中家菜津子『うずく、まる』の世界 田中 庸介

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 中家菜津子の歌集『うずく、まる』(書肆侃侃房 新鋭短歌シリーズ23)は、詩と短歌のハイブリッドによって構成された意欲作である。本作のタイトルにあらがうように、彼女の歌はとにかく《たけ高い》ものであり、たけ高いから、やや物語的な抒情に淫していることなどまったくどうでもいいではないかと思わせるような、そんな才能を感じさせる一冊であった。

  満たされぬ器にひとつの罅もなく真砂の日々がそそぎこまれる

 「罅」と「日々」が地口になっているのであろうけれども、「罅」がないはずなのにいくらでも「日々」を注ぎ込める。そんな「満たされぬ器」とは、無限の可能性を秘めた詩歌の世界であると読んでもよい。

  うずく、まる うみおとせなかったものでみちる海を抱えて

 本作では、その「満ちる」イメージが「子宮」の海の潮を予感させる。かつての《女性詩》よりもさらに自由に、「うずく、まるからだに沿って/虹がかかる」と書くからだは「うずいている」のと同時に「まるい」。その「まる」が、胞状鬼胎のつぶつぶのイメージを喚起させる。伊藤比呂美を越える才能かもしれない。

  さかしまに図書館は建つ噴水の青い絶え間をゆくひるさがり

 「さかしまに建つ図書館」とは、噴水にうつった図書館の影。噴水は「絶え間なく」降り注ぐという慣用句から生まれてきたその「絶え間」を縫うように、幻想の幽冥境である本の神殿である図書館を「ゆくひるさがり」。その水鏡こそが、作者にとっての詩の入り口なのだろう。

  赤茄子と子を乗せ弾む一輪車 白爪草の畦道をゆく
  パレットのような田を行く自転車よ黄色の絵の具を買い足すために

 郷里の北海道を歌った連作「沃野の風」から二首を引いた。乗り物による場所の移動が、心のパレットに「赤」「白」そして「黄色」の色彩を加えるように、作者の心象をゆたかにする。鮮烈な、新しい描写である。

  ラムネ壜越しにのぞいたさくらばな道はすみずみ泡立っている

 ラムネが泡立っているから、壜越しにのぞいた春の風景も泡立っているという発見の歌である。「道はすみずみ」の「すみずみ」がやや唐突だが、新しいオノマトペのようにも感じられる。その「泡立ち」は、心の泡立ち。心が泡立っていれば、そこから見える(平凡なはずの)風景/写生も泡立つのだ。

 このような作品をもっともっと読ませてほしいと思わせるのは、やはり詩のたけの高さのみがなせる業であり、この作家のデビューに心から乾杯したい。

 圧倒的な衝撃を受けている。

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