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Channel: 「詩客」短歌時評
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批評にとって短歌とはなにか /前編  吉岡太朗

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 はじめに
 一章:塚本邦雄の「不安」
 二章:菱川善夫と「ひかりになること」
 三章:「作者」の逃走
 四章:「読み」以前
 おわりに

 はじめに
 三宅勇介は、二〇一七年七月の『短歌研究』誌の特集「わが評論賞のころ、あるいは短歌評論の意義について」の「短歌評論の意義について」という小論において、ある短歌を読んで、心の中で「この歌は好きだなあ。なぜなら……」と思ったとする。それがもうすでに評論なのである。いわゆる少し長めの「評論」というものはその延長にあるにすぎないと書いている。
 しかし私にとって、その「評論」のようなものはそんな風に生まれては来なかった。まず「なぜなら」を考え、そこから自然に「評論」の言葉が芽生えてくるなどという状況は存在しなかった。それよりも先に「批評をせよ」と要求する場があったのだ。たとえば「歌会」のような場が私にそれを行わせるような強制力を働かせた。「批評をしたい」という思いよりも、目の前の歌に対して「批評をする」ことの方が先だった。当然「なぜ批評をするのか」とか「批評とはそもそも何か」という問いも後回しにされた。
 ここに書かれようとしているのは、批評についての文章である。具体的には一首の短歌に向けられたそれ、現代において一般的に「一首評」と呼ばれるものについて書くつもりだ。たとえば佐藤佐太郎や塚本邦雄、菱川善夫などの書き手が書いたその文章を眺め、時に比較しながら、「一首評」というものについての考察を行っていく。それは、批評は短歌をどのようなものとみなすか、「批評にとって短歌とはなにか」という問いだが、その問いは大きなところでは、「なぜ」や「そもそも」に向けられている。「なぜ」「そもそも」、それは「短歌にとって批評とは何か」という問いである。
はじめて歌会というものに参加し、「評をする」ということに出会ったのは、二〇〇六年の五月のことである。それから十年を超える月日が流れた。私はずっと後回しにしてきた問いに立ち向かおうとしている。




 一章:塚本邦雄の「不安」


 1
 佐藤佐太郎はふつう「佐太郎」と呼ばれることが多いが、ここでは「佐藤」と書く。あの佐藤佐太郎ではなく、一人の「一首評」の書き手としてみなしたいからである(「ここで書く佐藤佐太郎は、短歌史に登場するあの佐藤佐太郎ではない」というつもりで私はこの文章を書くつもりである)。一方の塚本邦雄は「塚本」と呼ぶのが一般的なのでそのまま「塚本」と書く。ちなみに二人は揃って斎藤茂吉のことを「茂吉」と呼んでいるが、ここでは「斎藤茂吉」と書いた。あまり作者に出てきてもらう機会はないから、それでもよいと思ったのである。
 この章では佐藤と塚本がそれぞれ書く二つ『茂吉秀歌』の中から、一首を選んでその書かれ方の違いを検討する。
 
 ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)えかねたるわが道くらし 斎藤茂吉『赤光』

 『茂吉秀歌(上巻)』において、佐藤はまず大正二年「悲報来」の一首と出典を記している。そのあとに歌の背景を以下のように説明する。(略)伊藤左千夫が歿し(略)知らせを受けた作者が(略)島木赤彦宅へ行く時の歌である。
 続いて焦燥の気持ち、ひたむきな強烈さと歌の特徴を抽出し、それを「赤光」の歌境のひとつと歌集中に位置づけている。
 「わが道暗し」は、作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろうは上句への言及。「人間的な感慨」はあまり聞き慣れない言い方だが、おおよそは「主観的」くらいの意味で取ればよいだろう。言うまでもなく「明るい/暗い」は主観的表現だし、「し」には書き手がそう判断したのだというニュアンスが含まれている。
 歌は、単にせっぱつまったという気持ち以上の混乱をふくんでいる。続く文章で「歌は」とあるのは上句への言及からいったん全体視へ戻るということだろう。ただし「人間的な感慨」に焦点は当たったままで、「せっぱつまったという気持ち以上の混乱」は「人間的な感慨」のより具体例と取れる。ただそのように言われると具体的にどの部分にそのような「混乱」が表れているのかが知りたくなる。当然読む方としては次のセンテンスでその根拠が示されていると思うわけだが、当のセンテンスがそうなっているかは微妙なところである。
 特に「怺(こら)えかねたる」から「わが道くらし」とつづけた下句は切実でよい。「特に」と言っておきながら、ここでは話が「混乱」から「切実」にすり替わっている。しかもなぜ「切実」なのかについても語っていない。けれど、おのずと納得させられるものがある。
歌に目を戻すと、「わが道暗し」と「わが道くらし」のリフレインがあるからである。確かに混乱して同じ言葉や動作を繰り返すようなことはある気がする。そう考えると確かに「混乱」だ。佐藤はそんなことは一言も言っていないけれど。
 一方の塚本はそのさだかならぬ道を(略)駈けねばならぬ心が「暗し」「くらし」と繰返させたという風にリフレインに言及している。塚本には「混乱」の語は用いられておらず、歌から読み取っている心理は両者微妙に異なるのだろうと思うが、塚本を読む限りではこの歌の核となるのは、このリフレインにあるのである。佐藤はそれに気づいていなかったのだろうか。当然そんなことはあるまい。
 ここで佐藤の方の『茂吉秀歌』の「序」を振り返ってみると大切な歌について註を加えていってという言葉がある。佐藤の認識では彼のこの「一首評」は「註」なのである。「註」であるなら歌の方が主体なのであって、歌がはっきりと示している部分については「註」の方でわざわざ何か言う必要はない。「歌を見よ」と一言言えばそれで済むのである。むしろ歌に余計なひと言を付け加えてしまうことや、歌を評の言葉で機械のように分解してしまうことを懸念しているようにも見える。とはいえ懸念に囚われて何も言えないような評ではないことは先に言っておく。
「ひた走る」の歌への言及に戻ろう。「下句は切実でよい。」の続きはこうなっている。「しんしんと」の用法も微妙で、「死に近き母に添寝の」の歌と同じように、一首に暈(うん)のようなものが添っている。
「ひた走る」への評は佐藤版『茂吉秀歌』の三四ページにある。ここで再びページをさかのぼって二六ページからの「死に近き」の歌についての評を見ると「しんしん」とは、作者慣用の語だが、この歌では上句にも下句にも連続するように受け取れると書いてある。だから佐藤が「微妙」をどういう意味で用いているのかは、一応示されていることになるが、「微妙」(文脈上おそらく肯定的なニュアンスに取れる)と書いたこの「用法」が、なぜよいのかまでは書いていない。そこまで書かなくても、「よいからよいのだ」と言っているように思える。そしてそのよさを「暈のようなもの」という卓抜した比喩によって言い表している。
佐藤の「死に近き」評には、詩の言葉はときに散文的合理性から逸脱する場合があるからそれでよいし、そこにかえって深みの出る場合もあるともある。「合理性から逸脱」することによる意味の広がりや「深み」を、より簡潔かつ美しく、「暈」つまり天体にかかる光の輪にたとえている。この喩を直接的に考えるなら、「一首の歌が意味の拡張によって通常の一首よりも大きく見える」という意味だろう(そう言ってしまうと喩の美しさが減退するような気もするが)。つまり「意味が広がる(深まる)」以上のことは何も言っていないのだ。言わないことにより、歌を損ねることなしに、歌を分解することなしに、歌に美しさの価値を付与している。
続くセンテンスは同連作中の他の歌を紹介するものなので省略して、話題を塚本に移す。



佐藤は「ひた走る」の評を『赤光』内での最後に扱っているが、逆に塚本は巻頭にこの歌を持ってきている。厳密なことを言うなら佐藤が『赤光』の改選版について語っているのに対し、塚本の評は初版についてのものである。初版では「怺へ」が「堪へ」であるほか、連作の構成が異なっている。この点について、語の話では「怺へ」の方が視覚的に厳しく映るだろうと初版と改選版の比較を行っているものの、構成のことでは詞書の違いこそ多少論じられてはいるものの、「詞書の伝へる次第や背後の事情を越えて」「なまじつかな詞書などなくても」とも書いており、塚本はあくまでも一首として読もうとしている。なのでここでも比較を分かりやすくするため、一首の話として受け取りたい。
評の書き出しの部分は佐藤のものと非常によく似ている。まず出典から入り、続けて歌の背景について説明する。ただ一首に費やしている文字量は塚本の評の方が三~四倍多いから、必然説明も事細かになる。特に伊藤左千夫との確執のことは、佐藤の評には全く書かれていない。ひややかな対立状態のさ中に、突如師の逝去の報を受けたとすれば、弟子たる茂吉の胸中は、単なる哀惜や悲歎のみではなかつたはずだ。「わが道くらし」の畳句(ルフラン)は、その心理を如実に反映してゐる。
そしてそれに続く言葉が興味深い。反映どころではない。(略)読者を一瞬立ちすくませるやうな気魄(きはく)、憤怒(ふんぬ)と苦痛を交へた激情が、否応(いやおう)なく迫ってくる。辛うじて評としての客観的な形式を保ってはいるが、これは明らかに塚本の体感であろう。佐藤の評は歌を示すためにあったが、塚本は自身の身体へと歌を通過させている。おそらく歌が塚本自身へ及ぼした作用をもとに評をしているのだ。
「道」さへ、地理的な、作者の今走りつつある「道路」を意味する以上に、彼の人生とその進路を指してゐるやうに思はれると読む塚本は、佐藤も言及した「しんしんと」について修飾されるのは勿論「暗し」なる形容詞であるが、「堪(こら)へ」にも微妙にかかると考へてよかろう。すなわち、道の二義性は「しんしんと」にも関わるのだと書く。「暗ししんしんと」では目の前の道の暗さが強調されるが、「しんしんと堪え」では内面がクローズアップされ、人生の道が現出する。「よいからよいのだ」とした佐藤と違い、塚本は「しんしんと」の二義性を、「道」の二義性と重ねることにより、言語表現の効果を歌の意味内容と結び付けている。先の引用と異なり、ロジカルな印象を受ける部分だが、この「二義性」はおそらく自身の体感を客観視した結果、導き出されたものだろう。あくまでも体感がベースなことに変わりはないと思われる。
正直に言うならこの読み自体はさほど驚くほどのものではないが、佐藤も触れていた死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほた)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる(※)の歌については、瞠目すべき読みがなされている。私は「添寝のしんしんと」にそのやうなにほひを嗅ぐとある。「そのやうなにほひ」とは「薬」と「患い」の匂いである。その悲しいにほひに、屍臭(ししう)の混ざる刻の、さほど遠からず到ることを、医師である作者は知つていたゐたことだらう。斉藤茂吉の歌に頻出する「しんしんと」という語について塚本は、深深、森森、駸駸、あるひは沈沈(しんしん)と多義性を読み取っているが、ここではその語に嗅覚的な要素を視ている。一見したところにおいの描写はなさそうなこの歌に鋭く嗅覚性を読み取ることで、歌はいちどきに深度を増す。これはおそらく塚本が嗅いだ匂いなのだろう。にほつて来ない読者は、たらちねの母に邂(あ)つたことのない鼻聾(はなつんぼ)であらうと塚本は挑発的に言い張るが、その言い張りこそがこの読みの主観性、個人性を浮き彫りにしている。
そのような読みに塚本は鮮明な描写を加えてくる。「ひた走る」では晩夏深夜の草いきれと、降りそめた夜露のにほひが漂ふ。いかなる月夜か星月夜か、はたまた曇天かは知らね(以下略)、「死に近き」では潤みを帯びた夜気は雑草(あらくさ)や早苗や木木の花の匂を含み、蒲団(ふとん)の洗ひ晒(ざら)しの木綿の肌触(はだざは)りも、さやさやと初夏のものながら、どこか微かに湿つてゐる。こんなことは歌には一切書かれていないが、塚本はこのように歌を体感したのだ。塚本にとって、体感を伴わぬ読みなど読みではないのだろう。
あくまでも「註」にとどまり、「歌を見よ」とする佐藤に対し、塚本は「私はこう読んだ」と読み手の身体を前面に押し出す。主観を連ねるだけでは説得力がなくなるのでロジックも用いるし、ロジックに傾きすぎれば、無味乾燥となるから潤いのある描写も加味する。
けれどたとえば暗澹(あんたん)として凄じく、しかもなほ茂吉のエラン・ヴィタールを浮彫にしてゐるというような賛辞は大げさなものにも思える。過大評価だという意味ではない。単に言葉が上滑りしている、というのとも違う。もちろん、そういう書き方なんだと言われてしまえばそれまでなのだが、何と言えばいいだろう、そのように書く塚本はどこか苛立っているように見えるのだ。そしてさらに言うならその苛立ちの裏には、そこまでの言葉を尽くさないと、語ろうとしているものが逃げてしまうというような不安が、どこかにあるのではないか。思えば、先の「にほつて来ない読者は」も言葉が強すぎる。傲慢なまでの自信にあふれているが同時に、手負いの獣が向ける敵意のようにも見えて、何かを強く恐れているようでもある。
不安や敵意は、一見外に向けられているように見える。先述の通り、塚本の評のベースは体感にある。評を評の読者に否定されることは、おのれの体感を否定されることになるのだから、当然不安はつきまとうだろう。けれどそのような対外的な不安だけだろうか。
これは勝手な深読みかも知れないが、不安の根本的なところは、内側にあるのではないかと思う。それは「この批評の言葉は、本当に私のこの歌に対する思いを十全に反映したものだろうか」というようなものである。思いはそのまま言葉のかたちには結実しない。言葉とは常に思いにとっては他者なのである。

言葉に置き換えた途端に、体験は物語に姿を変えます。書き記された記憶はもう本当の記憶ではありません。どれだけ客観的に、或いは事務的に書き記したとしても、それは事実ではない。現実は決して書き記すことができないのですよ 京極夏彦

塚本の読むという現実上の体験は、書くことによって物語に変質する。「似ている」ということは突き詰めれば「異なる」ことを意味する。きわめて高い言語能力を持つからこそ、いかようにも書く力を有するからこそ、なおさらそのように感受するのだろう。また斉藤茂吉に極めて強い思い入れを持つからこそ、塚本邦雄はそのような「不安」を抱くのであろう。
客観視できるやうな悲歎なら始めから高の知れたものだし、主観の高揚をそのまま感動には変へ得ぬ(塚本の「死に近き」評より)。心がそのまま歌にならぬように、心がそのまま評になることもない。
おのれの体感が、書きつけたさきから「体感した」という物語に変質していく状況下(※※)で、それでも「これは物語ではない。まさしく俺の体感なのだ」と言い張ること。歌が匂うという言葉は、歌が匂わない読者に対してのみ向けたものではない。おのれの内にある疑念、「その体験は果たして「匂う」という言葉で十全に表すことのできることなのか」という疑念、「「匂う」という書いた言葉は実は、体感を言葉に置き換えることで生じたフィクション」ではないか」という疑念に対しても向けられていて、その疑念を一太刀に振り払うべく、塚本は語気を強めていく。そうではないのか。
おのれの評にきわめて強い自信を持つ一方で、いや持つからこそ誰よりも強い「不安」のようなものを塚本は抱えているのだ。そう考えてみると言葉を尽くさない佐藤の評の方が堂々としているようにも映る。
もちろんこれは単純な評の良し悪しの話ではない(※※※)。その「不安」が塚本の評の言葉を弱めているということはけしてないし(むしろ評の原動力になっているのではないか)、そのような「不安」を持たない(ように見える)佐藤の評がより劣っているということもない。そういう話をしたいのではなく、塚本のこの「不安」は、「批評とは何か」というものの本質的な部分にかかわってくるように思うのだ。


※:底本の関係だろう。この歌も「ひた走る」の歌も、佐藤は新字体、塚本は正字体で引用しているが、便宜上新字体に統一した。なお佐藤の方では「遠田」のルビが「とおだ」となっている。

※※:塚本が評の中で用いた「エラン・ヴィタール」という語はたとえば「生命の躍動」や「生命の飛躍」と訳されるフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの用語だが、そのベルクソンの言葉にはこのようなものがある。画家は自分の制作する作品の感化そのものでその才能が形成されたり崩れたり、ともかくも変様する(『創造的進化』より)と。文章を書くのもおそらく同様であろう。私の書こうとするものは、私が今書いている文章自体の影響によって絶えず変容し続けるのだ。だからなおさら体感が、文章中にそのまま宿ることはありえない。

※※※:批評の良し悪しというのは考えれば考えるほど難しい。良し悪しの基準は、「一首評」に限っても①「作品をよく読めているか」②「評者自身の体感を十全に表しているか」③「評の読者にとって興味深いものになっているか」など複数考えられるからだ。それぞれ作者基準、評者基準、評の読者基準の良さである。良さを向ける方向が単純に三方向あるのだ。



これはほとんど余談だが、塚本の歌の読み方は、穂村弘という歌人にも一部受け継がれているように思う。

一千九百八十四年十二月二十四日のよゐのゆきかな 紀野恵

初読は十年以上前だろうか、『短歌ヴァーサス』誌に掲載されたこの一首に対するごく短い評が強く印象に残っている。「歌の翼に」において穂村はこのように書く。この地上に生きてあること、呼吸をしていること、その喜びが、韻律と結句の「かな」の翼によって祝福されているかのようだ。この評に強く私は共感する。共感するけれど、その評の存在なしに私がこういう風に歌を読めたかどうかは非常にあやしい。今の私ならばできるかも知れないが、今の私とは穂村弘の『短歌という爆弾』や『短歌の友人』を読むことで不可逆な影響を受け、穂村弘をインストールした私である。そうでない十年前の私にできただろうか(※※※※)。
塚本が「しんしんと」に嗅覚性を読み取ったように、穂村は「かな」に祝福性を見出す。これはおそらく穂村の身体を通過した言葉なのだ。けれど穂村は自身の身体を塚本のように前面には出さない。自分自身はあたかも透明人間であるかのように振る舞う。語る言葉を身体が引き受けることはなく、それをあくまでも歌自身の持っている力のせいにしようとする。手に触れるものをみな黄金に変えてしまうミダス王のように、読む歌をことごとくきらきらにしていくような存在が穂村弘である。
穂村弘に「不安」はあるだろうか。それを探ろうと思っても、彼によって光らされた歌の輝きに紛れてしまって、うまく探せない。


 ※※※※:『短爆』(引用者注:穂村弘の著作『短歌という爆弾』)を読んだ私は、『短爆』に引用されているこの二首がいずれも非常にすぐれた歌であるように感じる。しかし私は『短爆』のナビゲートなしにこれらの歌の美しさに本当に気づくことができたかどうかについては自信がない。瀬戸夏子「穂村弘という短歌史」より。この評論において瀬戸は、穂村弘の批評についてきわめて詳細な検討を行っている。けれど『短爆』は塚本的ではないとする瀬戸の論を追うのは、穂村弘という歌人にあまりに深入りすることになるため、この場では穂村については素朴な理解にとどめておくことにする。




 二章:菱川善夫と「ひかりになること」


 1
 『菱川善夫著作集』には一巻の始まりに「歌の海」が収録されている。これは「愛」をテーマにした歌の「一首評」集である。「北海道新聞」の連載をまとめたもので、一首にあたりの文字数は三百字ほど。一般読者向けに短歌を紹介するという目的で書かれている。いくつか読んでみたい。

 薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ 岡井隆

 連載のはじめの一首。女が抱いて湯に沈むのを、「薔薇抱いて」と歌った。「薔薇」を喩であると、大胆に断定するところから始まる。そこから評は薔薇を抱く人の心の憂愁に言及し、人間の孤独を根源で慰藉するものは(略)官能ではないのかという問いを発見する。またこれは人生の傷痕をなめた壮年にのみ可能な発想だとも述べている。
 
 ひとの夫(つま)そのことわりを超えむとな 凝(こご)る真冬のむらさきの釉 菅野美知子

 人の夫だからといって、そんなことわりを恐れるなという心の声。「作者」の内面の葛藤を、菱川は「そのことわりを超えむとな」の、やや舌たらずの文体の中に見る。下句全体を作者の内部で凝結している深いとまどいの象徴と解釈し、何と魅惑的なとまどいであることかと「作者」の内面の事象に美を見出している。

 ある暁(あけ)に胸の玻璃戸のひびわれて少しよごれし塩こぼれきぬ 富小路禎子

 胸の中にあるガラス戸は、はりつめた孤独の意識をあらわすのだろうか。(略)「よごれ」に、かすかな欲情のなごりが漂う。「歌の海」は実は相聞歌をテーマにした連載である。相聞歌としてこの歌が挙げられたのは、菱川がこの「よごれ」の一言に性愛の色を帯びた感情を鋭く読み取ったためである。
 
 檸檬風呂に泛かべる母よ夢に子を刺し殺し乳あまれる母よ 塚本邦雄

 燦然と悪に輝く母のイメージを創りだすことで、そのような現代の生がおかれている危機感を訴えた。(略)歌は幻想の力によって、本質を一瞬のうちに把握するものでなくてはならない、とする作者の考えが端的に示されている。文明批判の文脈で塚本邦雄の歌を理解している。評の中でさりげなく用いている想像力の犯罪という表現が興味深い。

 失恋の<われ>をしばらく刑に処す アイスクリーム断(だ)ちという刑 村木道彦

 〈刑〉という言葉のもつ、ものものしい感覚にくらべて、内容は軽すぎる。だが悲しみを軽量化し、ピアニッシモで歌うのも技術である。(略)むなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚だといってよい。年代のことはあまり気にしてこなかったが、村木道彦は一九四二年生まれ。収録歌集『天唇』は七四年の刊行だから三十代の前半かそれ以前に制作された作ということになる。菱川の評は八二年のもので当時の菱川は五〇代さしかかったところである。確かに「青年の歌」という把握になるわけだ。


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以上、五首を縮約してみた。連載は一年と四カ月ほど続き、その間で取り上げた歌は一三三首。そのどれに対しても、簡潔かつ的確な評がなされているように思う。読んでいて伝わってくるのは「私にわからない歌はない」とでも言いたげなおのれの読みに対する自負だ。どんな歌がこようとたちまちにして短い言葉で本質をつかみ取ってしまうというような印象がある。菱川の「この歌はこうだ」、それは佐藤の「歌を見よ」とも塚本の「私はこう読んだ」とも違う評のスタイルだ(あるいは穂村に近いかも知れないが、穂村のミダスハンドがある種のスター性を有するのに対し、菱川のそれは熟練の職人技のように見える)。
そんな菱川の言葉は、同時に短歌が「わかる」とはどういうことか、ということを浮き彫りにしてもいる。
 まず何と魅惑的なとまどいであることかという菅野歌への評。これは歌に対する菱川自身の立ち位置を示している。言葉の背後には、その歌を眺める菱川自身の姿が見える。評者は自身が透明なふりをして語るが、真に透明になることはできない。短歌を読むというのは、自らの立ち位置から読むことであり、短歌が分かるというのは自らの立ち位置から分かることなのだ(だから「この歌はこうだ」も「私はこう読んだ」のヴァリエーションではあるのだ。「私」を強調するか捨象するのかの違いである。逆に塚本が「私」を強調しすぎているかも知れない)。
これは人生の傷痕をなめた壮年にのみ可能な発想だという岡井歌への言葉があるが、岡井は一九二八年生まれで菱川は二九年生まれ。歌に対し、「同世代だから分かる」というところからアプローチをしているように見える。単純に比較するなら、菅野歌を読む時より岡井歌を読む時の方が、菱川は歌のそばまで寄っている
肉感的作品の氾濫する時代の中で、この抽象化は貴重だと評する富小路歌も相対的に遠いように思うが、塚本歌はさらに遠いかも知れない。母のイメージと書き、作品全体を「イメージ」として扱っている。作品を真に受けたのでは読めないから、メタレベルに立って読むという読み方をしている。イメージに酔いながらもそのイメージを括弧にくくっている。夢を見ると同時に醒めてもいる。
この読み方は、一九九四年から始まる「塚本邦雄『水葬物語』全講義」(同歌集収録二四五首への全首評!) においても共通している。この歌を写実の目で解釈すると意味不明の歌になります。しかしこれを隠喩として読むなら(以下略)は、『水葬物語』九七首目への評に登場する言葉だが、「隠喩として読む」は、塚本を読む際の菱川の基本的な態度であると言っていい。
村木歌のむなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚は「もはや別時代の人だから分からない」という意味にも取れてしまう。理解を示して評価はしているが、その今の理解からは一歩も先に進むつもりはないという態度にも取れる(あくまでも文章が取らせている態度であって、菱川自身がそういう態度の人物だと考えたいわけではないが)。



「短歌が分かるとは自らの立ち位置から分かること」これを一つとするならもう一つは、
「一首の理解は人物への理解につながっている」ということだ。たとえば岡井歌を見ると、末尾に前衛短歌を導いた岡井隆は、九州へ逃亡ののち、これらの歌をひっさげて歌壇に復帰した。現在、国立豊橋病院内科医長とある。「一般読者が歌の作者の人物像と合わせて歌を読めるように便宜をはかった」という側面もあるのだろうが、そもそも歌を理解することと人物を理解することを合わせて考えてなければ、このような記述は出てこないだろう。
そう考えると短歌を読むというのは、一人の人間が自らの立ち位置から別の人間のことを理解しようとすることと深いかかわりがある。私がある短歌を読むことと、私が自分の職場に新しく入ってきたAという人物を理解しようとすることは、全く同じではないけれど、どこか通じるところがある。菱川の短歌の読み方からは、批評のそのような側面を見出すことができる。

紺の足袋はけば恋しき人の世にあとさきあらぬ雪は降りつぐ 清田由井子

「歌の海」から十年後、菱川は「物のある歌」の連載を「北海道新聞」日曜版で始める。こちらは四年間続いた。一首あたりの紙幅は「歌の海」のおよそ二倍。
一首の背後には恋情が隠されている。それを暗示するのが「あとさきならぬ雪」である。前後の脈絡なく降る雪。人を恋しく思う気持も、筋道だってやってくるものではない。乱れた息づかいのように降る雪。その白一面の中に薫る紺の足袋。
「足袋」の「紺」についての洋装のストッキングに、新しい色彩感覚が求められたのと同じ心理だろうという認識は、上記の読みを展開する上での傍証となっている。このような作品レベルでの繊細な読みを菱川は作者は、阿蘇の麓、久木野村に住む。熊本から一時間。深い山棲みの生活が、清廉な感受性と勁(つよ)い意志を育てた。紺や黒を愛用するのは、その生き方と無縁ではないと作者レベルへの読みにつなげていく。読者への紹介という側面もあるだろうが、作品を通した人物理解への興味がなければこんなことは書かないだろう。
しかしこの一文は、歌の中の「紺」という一文字を作者の全人生に背負わせるような一文であって、非常に興味深い一方、ある意味レッテル貼り(※)ではないかとも思わせてしまう。分かろうとすることの傲岸さのようなものを読み取れなくもない。評が作品ではなく人物に向かっているからこそ、そのように感じられてしまうようだ。
以下の歌の読みはどうだろう。

「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」 穂村弘

「本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」と言わせたところは、着眼点が鋭い。たしかに、チューブの歯みがきをいっきに絞り切るには、相当の力がいる。怒りを笑いに転化させて表現したが、才智のひらめきがなくては、こうは言えないは、塚本歌の時と同様にメタレベルに立って読んでいる。台詞を言うドラマの登場人物ではなく、登場人物を演じる女優にその台詞を言わせた脚本家・穂村弘に言及している。塚本や穂村のような作風を、人物理解のために読む場合、必然的にこのような読みになるのだろう。人物を探り当てる作業を遂行する以上、作中世界を真に受ける楽しみにはとどまれないのだ。
問題にしたいのはその次である。「猫投げるくらいがなによ」には、男さえ猫化してしまった時代への風刺もひそんでいる。ストレートな方法ではなく、こういう屈折した方法で、時代への異和を表明したところに、この作者の特質がある。これを読んだ私の素直な感想は「なるほど」だった。この歌は以前から知っていたが、そういう風に思ったことはなかった。けれど作品レベルでの読みとしては面白いが、作者レベルとしてはどうか。「これが脚本家・穂村弘の意図なのだ」と言われると正直なところ和感を覚える。「「男さえ猫化してしまった時代」という風に感じているのはむしろ菱川自身であり、菱川自身の思いを評に投影しているのではないか」という邪推までしたくなる。
仮に歌にそのような考えが歌に表現されているとしても、歌がそのようなものになった原因はいくつも考えられる。①穂村にそのような意図があり、意図通りに表現された。②意図はないが考え自体はあり、考えが作品に反映されていることにも自覚的だった。③考え自体はあったが、反映されていることには無自覚。➃考え自体なく偶然。
 この四つはきっぱり分けられるわけではなく「②寄りの③」というようなこともあるだろう。なんにせよ読者には決定不能である。決定不能なことをよいことに、④を③に、③を②に、②を①にして読もうとする傾向が、批評という行為にはしばしばあるのではないかと思う。作者が全く意図してなかろうが、作品から読み取れたことは作者の意図にしてしまう。だから清井歌で見たように「紺」一文字に人生を背負わせるようなこともできる。これは人間理解として短歌を読む際の危うさではないだろうか。偶然を選択の結果に、無意識の反映を意識と読むことは、いかに精緻な読みに支えられていようと乱暴さを隠せない行為ではないのか。
 けれどこの疑義については、むしろ開き直って考えることができる。読むことが、そして読みを語ることが少々乱暴なことは当然のことだ。それを乱暴に感じるのは社会化されたデリケートな人間関係を当たり前のものにしているからだ。社会生活を送る上では他人には干渉しすぎない方がよい。けれど批評の場は実社会を離れたところにあって、そこは生身の人間同士が直にぶつかり合う場所なのだ。最低限の人としての倫理は踏まえるとしても、すべての理解を誤解と考えるような思考はむしろ病的ではなかろうか。そういう風に考えるなら、この乱暴さは一定の限度を超えない限り、むしろ真っ当なものとなる。


 ※:そんなことを言うなら、短い文章をいくつか引いただけでその書き手の性格を決定づけているようなお前の方の行為こそレッテル貼りではないか、と言われるかも知れないが、それは全くその通りだと思う。ただ本論での引用はすべて批評というものの考察のために行われており、その批評を行う人物の理解へ向けられたものでないことは述べておきたいと思う。本論を通して「塚本邦雄はこうだ」「菱川善夫はこんな書き手だ」ということを言うつもりは全くないし、そのようなメッセージが仮に読み取れたとしてもそれは私が限られた資料の中から捏造した塚本邦雄や菱川善夫であって、実物そのものではない。


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 これまでに多くの人々に「歌人」と呼ばれてきた人ですらもじつは「短歌とは何か」をまだ本当の意味で知っていません。 三上春海

 僕たちにとって生成しつつあるものというのは、自分の中の手の届きそうな場所に在って、けれども言葉になって外気に触れた瞬間に脆くも崩れてしまう、現世の言葉では語りえない存在だ。 鈴木ちはね

 二〇一五年に刊行された三上春海と鈴木ちはねによる書籍『誰にもわからない短歌入門』
からの引用である。同書は「わからない」「語りえない」という立場に立ちながらも、「一首評」に近い形式で個々の短歌を読んでいく。その読解の中で、同時に短歌一般についても思考を巡らせていくようなスタイルが取られている。

 ハロー ハローワーク待合コーナーの待ち順札を吐き出すマシン 岡野大嗣

 この歌に三上が評をする。「マシンを」見つめ「待ち順札を吐き出すマシン」と認識し、でもそれにすら「ハロー」と感じる機械のような自動的な認識を彼は持つ。自動的な「彼」と自動的な「マシン」の、二つの機械の邂逅のように掲出歌は感じられると読む。その読みは穂村弘のある二首の歌との比較から生まれてくる。①〈降りますランプ〉という「命名」の修辞が効果的な機能を果たしている穂村歌Aと、岡野歌での「待ち順札を吐き出すマシン」の芸のない命名の比較。②「ハロー」に文化的な最低限度の高揚感が感じられる穂村歌Bと、それすら感じられない岡野歌。その比較を通し、主体性や感情が欠落した(とは三上は書いていないが)「自動的な認識」を持つ存在として「彼」を把握する。
個人的に「なんか四角い文章だな」と思う。文章に機械的な印象がある。評の展開についても、マイクロソフトエクセルの関数でも用いて、①人間性が一定以上感じ取れる歌には「人間」、②感じ取れない歌には「マシン」、という値を自動的に返しているような感じがしてしまう。だから「二つの機械の邂逅」の場に立ち会うこの三上という評者自身も一つの「マシン」なのではないのか、という気持ちにさせられる。けれどこの評の根底の部分には三上の感覚的な判断(「芸」を感じるか否か、「高揚感」を感じるか否か)がある。だから(少なくとも今現在の)機械にこんな批評は不可能であり、批評の言葉の背後に人間がいることは間違いない。これは機械を装った機械コスプレの批評なのである。三上は「マシン」を演じることにより、「マシン」のようなこの一首に近づこうとしている。要するにここで三上は、他人という「分からない相手」に対し、相手自身になることによって相手を理解しようとしている。その相手も正真正銘の「マシン」ではなくその実は人間なのだから、コスプレが透けて見えるくらいでちょうどよいのかも知れない。
 それに対し、鈴木が返答する。往復書簡のような形式で、一首に二人ともが評を行っているのだ。あくまで全方向に対してニヒルであり続けること、それそのものがむしろこの主体の表現規範なのだろう。この「表現規範」という言葉は注目に値する。「表現規範」は要するに「自分ルール」ということだろう。むなしさとやさしさの時代を生きる青年の感覚という菱川善夫の村木道彦に対する言葉は、村木歌を「青年」というマクロなくくりに帰属させて考えているし、あくまで「俺からはそう見える」という自分ベースの理解なのだと思う。けれど相手の「自分ルール」を探ることは、相手を個として捉え、相手ベースで考える見方だ。まるでセラピストがクライエントを分析するような見方だと思う。かれはおのれの人格、あるいは感情の無価値を自覚しているがゆえに、無敵なのだ。三上さんの言うところの「自動的な〈彼〉」には、そういう冷たい自虐の刃をつねにおのれの裡に向けて突き刺し続けているようなかなしみを秘めている気がする。人間の中の「マシン」性を読み取る三上の評に対し、鈴木は人間の「マシン」性の中に人間性を感じ取る。
 両者に共通するのは、評の対象である短歌を、あるいはその背後に読み取ることのできる人物を、わかりえない「他者」として捉えていることだ。「他者」は基本的に人格を有していて、だから人物理解として短歌を読んでいるところは菱川と同じだと思うが、菱川は相手を理解可能だと捉えているのに対し、三上や鈴木は本質的には理解が成り立たない相手だという把握をしている。そんな相手に対し、彼らは評の中でそれでも理解しようというスタンスを取る。
そしてその試みは彼らの文章の中で一定の成果を得るのだが、その成果を往復書簡という形式が相対化する。三上の「理解」は鈴木にバトンが手渡された時点で「一つの意見」にすぎなくなる。ではそれに続いて書かれる鈴木の文章は、何かしら絶対的なものを有するのか。確かに紙面上では、リレーはそこで途切れる。三上の二ターン目が始まったり、同じ歌に対する第三の執筆者が登場したりすることはない。けれどやはり鈴木の文章も、相対化されて「一つの意見」になると思うのだ。それはなぜか。
 三上は同書において「どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治癒 ゆめ」(笹井宏之)という歌がしりとりのような構造を持つことに対し、「ゆめ」から「どろみず」に至る言葉、すなわち「めいど」を文末に補うとしりとりがいつまでも続いてしまうという評をしている。「めいど」は笹井宏之が評の時点で故人であることから出てきている。すなわち、冥土。というのはわたしの読み過ぎだろうけれどと三上本人が言うように、作品評としてはちょっと出来過ぎている感のある評である。けれどこの言葉は、『誰にもわからない短歌入門』という一冊の本の構造について、メタ的な立場から密かに言及したものではないだろうか。
 往復書簡形式によって構成される『誰にもわからない短歌入門』は、いわば無限に続く評のしりとりを暗示しているのだ。確かに現実の紙面上では鈴木→三上、あるいは三上→鈴木と、最初のターンのみで「一首評」は完結しているけれど、その紙面は一つのヴィジョンを幻視させる。評のリレーはその後もずっと続いてゆき、その無間循環の中で、評の言葉は絶えず生成変化する。それはけして到達不可能な「他者」の理解へ限りなく迫っていくものである。そんなヴィジョンだ。
 だから『誰にもわからない短歌入門』(三上、鈴木の個々人ではなく)のスタンスは、「この歌はこうだ」を否定し続けることによる、「「この歌はこうではない」の無限反復」である。そこでは「わかる」は暗示されるのみで「わからない」ばかりがある。けれどその死屍累々の「わからない」の山は、「わかる」の価値を無限に増大させている。


 5
 全講義という形式は、最初から闇を含んでいると言ってよい。その闇の中から、はたして新しい秩序と法則を見いだすことができるのか。 菱川善夫

「塚本邦雄『水葬物語』全講義」の「あとがき」として置かれた文章には、菱川が「秩序と法則」に価値を置いていることが明確に示されている。闇にひかりを当てること。テクストが闇であるのなら、それを読み解く菱川はひかりになろうとしたのだった。そして『誰にもわからない短歌入門』もまた、ひかりにはなれないことを自覚しながら、ひかりになることを希求し続けている。
けれど、そもそもなぜ彼らは「ひかりになること」を望むのだろう。なぜ「秩序と法則」を求めるのか。そもそもそんなことをする必要が本当にあるのだろうか。そのような前段階の問いは、ここにはない。
塚本邦雄の「不安」は彼らにはあるのだろうか。恐らく菱川善夫はその「不安」を認めることを敗北だと思っていたのではないか。批評家としての矜持や使命感が、そのような思いを支えていたに違いない。
そして『誰にもわからない短歌入門』においては、「不安」に対してある意味開き直っている。「僕たちにとって生成しつつあるものというのは、自分の中の手の届きそうな場所に在って、けれども言葉になって外気に触れた瞬間に脆くも崩れてしまう、現世の言葉では語りえない存在だ」という鈴木の言葉をもう一度引こう。これはつまり「語ることは不可能だから、不可能に向かって語るしかない」ということだ。不可能はあらかじめ承知なのだから「十全に語れない」ことに対して「不安」を抱く必要などない。
塚本が「不安」を原動力としたのとは反対に、彼らはその「開き直り」を原動力として語る。




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