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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌評 “私”を包み込むもの 佐峰存

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 平日は深夜に帰宅することが多い。最近引っ越して、バス停から自宅まで歩く距離が伸びた。静かなコンクリートの上を歩いていると自ずと空に目がいく。寒々としたアパートの窓の明かり、街の光が薄らぐ地点で星が垂れている。小さく尖った炎が闇を渡っている。
 星といえば、大森静佳氏の歌を思い出す。

皿の上に葡萄の骨格のみ静か 柩のような星にねむりぬ
(大森静佳、「一角」、2013年)

 その歌が纏うのは、私達人間の肉体の宿す物質本来の静けさだ。食された葡萄の残った部分は「骨格」と表され、「葡萄」は人間の比喩となる。“私”は“食すもの”、“食されたもの”、それに“聞き耳を立てるもの”、の三つの姿を同時に持って「柩のような星」へとかえって(帰って・還って)いく。肉体の避けられない結末を暗示しつつも、それを宇宙の広がりで包み込むことで、“私”は穏やかな心境へと導かれる。
 星々の下、私達に与えられた時間は一瞬だ。そのような心持ちになるとき、私は無性に短歌に触れたくなる。短歌の定型は“私達の瞬き”すなわち私達の心象風景をとらえる上でよい大きさの器だと思う。こうした認識もあり私は新しい歌を数多く読んでいるが、詠い手が自身の中の“私”もしくは人間全般の心を凝視するような、内省的な歌がとりわけ目に留まる。 心許ないものとして人の心や存在が描写され、描写と共に誰へともなく問いかけが行われる。
 まずは詠い手が自身の心のありようを問うた歌を見てみたい。

春のはなびらを冷凍保存しておいたものですふれればくづれる
(薮内亮輔、「率」7号、2014年)

薄氷の上に置かれた猟銃をきみのこころと読んだのはきのう
(平岡直子、同上)

 薮内氏の歌は人が心にひた隠す希求に肉を与える。“私”は春に見つけた美しさをずっと手元に置いておきたいと、自然から切り離し、無機質な冷蔵庫に入れる。花は本来の場を失いつつ、“私”の執着に生きながらえる。人工的に保たれた美しさは、文字通り、“不自然な”美しさだ。「ふれればくづれる」という字余りの表現は、愛おしい「はなびら」を失いたくないと思う、“私”の張り裂けんばかりの心だ。“私”は自然界にあるべきものを、あるべきでないところに持ってきてしまった。“私”はその行為に一種の罪悪感、後ろめたさを感じている。それでも、抗い貫き通したい願望、そしてその行為がより根源的な部分では正当な行為であるとの実感を同時に有している。だから“私がやったのです”と半ば開き直った口調で自白する。美しさに依存せざるを得なくなった心を真っ向から否定出来るだろうか。
 平岡氏の歌は“私”の心象風景を危ういまでに隠喩的に表現している。その危うさが寧ろ吸引力を作り出している。「薄氷」の下には耐え難い冷たい海洋があるのだろう。 「きみ」の鉄の図体は今にも氷を割って、底なしの苦役に沈んでいきそうだ。 「きみ」は「猟銃」で、生き物の命を狙い得る暴力的な側面と、社会の要請によって企図され生まれた利便的な側面を併せ持っている。その姿を“私”は見つめていた。そして今はもう見つめていない。“私”は「きみ」により近付けたのか、遠ざかったのか。そのどちらであってもこの歌を貫いているのは“私”の物憂げな息遣いだ。“私”の心の移ろい易さこそが、歌を通じて外に示されねばならないものだったのだろう。

見渡してごらんからだを 大きくて君はとってもよい袋だね
(狩野悠佳子、「早稲田短歌」41号、2012年)

  狩野氏のこの作品では、“私”による他者に対する認識のあり方が直接的に問われている。“私”は他者である「君」に優しい口調で語り出し、最後で突き放す。「君」は「見渡してごらん」という親密さに富んだ囁きで包まれたかと思うと、「からだ」ばかりが重視されていることに気付くだろう。最後には「袋」にされてしまう。“私”の「君」に対する畳み掛けは滑稽であると同時に、“私”から問題にされない「君」の心の孤立を思うと不穏でもある。では、“私”は「君」に対する自らの仕打ちをどう捉えているのか。“私の心はそう出来てしまっている、そうせざるを得ないのだ”という開き直った声が聞こえるが、同時に“君も私をそう見ているでしょう”といった声も聞こえてきそうだ。 “私”の自身あるいは「君」に対する疑問が憤りと共に燻っている。同時にこの疑問が歌の形で世の審判に晒されている点に注目したい。突き詰めていくと、詠い手が問題にしているのは“私”そのものなのかも知れない。“私”の一つの出発点は他者との隔たりにあるからだ。
 他者との隔たりが大きくなると、当然ながら他者の心や存在に対する実感が湧きにくくなる。その隔たりが個人をこえて集団間で共有されると複雑なことになる。その様子を省みようと、短歌の焦点も日本国内の日常から、さらに大きな闇が蔓延る遠い国々へと繋がっていく。2015年現在も世界各地で紛争が絶えないが、中東では特にそれが顕著だ。中東と生活上何らかの関わりを持つ歌人の同人誌『中東短歌』がアンテナを張っている。

死者の数簡潔に伝えらるる夜の器ふるふる豆腐ふるわす
(齋藤芳生、「中東短歌」3号、2014年)

サハラとは砂漠の意味とこの子には教えるだろう遠い春の日
(柴田瞳、同上)

  齋藤氏の歌は、それ自体が震えている。“私”はおそらく食卓で中東の動向を伝えるニュース番組を見ているのだろう。歌の芯となっている言葉は「夜の器」で、そこに“私”の感覚が集中する。震える手が持つ器の感触が“私”と世界を繋いでいる。器の重量と共に世界も揺れている。「死者の数」が「簡潔」に報じられること自体はさほど珍しいことではなくなってしまった。しかし、そこに“震え”が紐付けられた瞬間、それらの事実は私達の身体に飛び込んでくるようになる。爆発や銃撃にせよ、またそれらの目撃にせよ、全ての事象は震えの中で起きる。そのような実感は新聞に掲載される詳細ルポタージュのような“情報”のみでは伝わらない。短歌という、詠い手と読み手が同じ“私”を共有出来る媒体の可能性を感じた。
 また、柴田氏の歌からも中東の手の施しようのない状況が伝わってくる。大きな期待と共に打ち上げられた“アラブの春”は上空で失速し、民主化に向けた動きは混迷している。地名にはその地域で営む人々の心情を込める働きが備わっているが、「サハラ」は必ずしも希望を意味する言葉ではなくなってしまった。“私”は率直に反応する。「サハラ」を砂漠に戻してしまうことで、一旦言葉によって編まれた“オアシス”を閉鎖してしまう。人が移住するにはまだ早い。彼らの心の準備が出来ていない。おそらく子供の世代まで、時間がかかるだろう。この“人の心”に対する気付き自体は、よりよい将来に向けた確かな前進であって、そこからより現実的な解を求めていけばよい。それが一番の近道だ。そのような強い自覚が見て取れる。
 短歌の定型に込められた感覚の密度は、(中東に限らず)総じて“不安なところ”である世界を“不安なところ”として私に認識させる。私の中で、初めて腑に落ちる何かがある。齋藤氏・柴田氏の作品から得られる感覚は、二十年程前に発表された荻原裕幸氏の、世界から目を背けることを拒否する歌と同じ方角からやって来る。

世界の縁にゐる退屈を思ふなら「耳栓」を取れ!▼▼▼▼▼BOMB!
(荻原裕幸、『あるまじろん』、1993年、沖積舎)

 世界の状況を真っ直ぐに見つめた結果、日本語の文字で発声出来ない「▼」が飛び出してくる。辞書にある言葉ではないが、「▼▼▼▼▼」が何であるか既に知っていると私は感じた。私達の見知った現在の世界でも常に視界の隅で蠢いているものだ。その感覚は、黒瀬珂瀾氏の次の歌にも繋がっていくように思う。

ディストピアとは何処ならむしろたへの雪ふる果ての我が眼の底か
(黒瀬珂瀾、『空庭』、2009年、本阿弥書店)

 「ディストピア」、人々が良かれと作り上げた社会や制度が軋轢を生む。これらを設計する衝動は私達自身の衣食住を欲する身体からくるはずなのに、結果として私達をがんじがらめにする。かつて啄木が空を高く飛ぶ飛行機に見た技術進歩の朗らかさはここには見られない。生の実感は“しんどさ”として身体中の器官に行き渡る。「我が眼」の見ている雪の白と眼球そのものの白が重なる。“私”にとって、世界はひたすら白く、美しく、そして苦しい。住人である“私”の感覚とどこかが決定的にずれたまま、恐ろしい銀世界が延々と広がり続いていく。
 幸いなことに、恐ろしいものが実感されるところには、反動として解放の情景も生まれる。大森氏の作品に再び接したい。自然に回帰することで一つの道を指し示す。

憎むにせよ秋では駄目だ 遠景のみてごらん木々があんなに燃えて
(大森静佳、『てのひらを燃やす』、2013年、角川学芸出版)

 超然と鮮やかさを放つ木々。ここで「燃えて」いるのは戦乱の街ではなく葉の色彩だ。飛び出そうとする憎しみ(「憎むにせよ」として字余り)を、「木々が」(「みてごらん」と連なって字余り)押し戻そうとする。“私”の葛藤する心は、自然の基調音に外から包み込まれることで平穏へと揺り戻されていく。これらの「木々」の燃え方は、私達の心や存在が孕む脆さを乗り越えていくヒントとなるのではないか。ふと『古今和歌集』の一首を想起する。

世の中のうけくにあきぬ 奥山のこの葉にふれるゆきやけなまし
(よみびとしらず、『古今和歌集』[#954])

 『古今和歌集』が編まれたときから現代にいたるまで、自然は常に私達を包み込むものとして存在し続けてきた。現代の短歌を見ると、様々な詠い手がそれぞれの生活で浮かび上がった“私”の特異な体温を明らかにするような歌が流れを作っているように感じられる。内省的な歌の中で見え隠れする“私”の揺らぎも、自然との関係性を改めて問う契機になるかも知れない。

カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン
(小原奈実、「短歌」2010年11月号、角川学芸出版)

 例えば「鳥」を通じて、“私”と自然が繋がれる瞬間。夜が明けた暁の、「カーテン」の向こうの空に“いのち”が重なって見えてくる。

短歌評 「詠む」ことと「読む」こと――松澤俊二『「よむ」ことの近代』を読む 田中庸介

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 若き俊英、松澤俊二氏の『「よむ」ことの近代 ~和歌・短歌の政治学』(青弓社)は、坪井秀人氏らの指導のもと、名古屋大学の博士論文としてまとめられた和歌・短歌に関する論考を、このほど一書として上梓した力作である。まずこの「よむ」というところが「読む」と「詠む」との掛けことばとなっており、これは読者の大半が歌人であるというような、この短歌というマイナー文学ジャンルの様相をよく象徴したものだろう。実際、「歌人が何を意図して作品を生み出したかはむろん重要な問題設定だが、それと同じ程度に、読者の「読み」の実践にも目を配るべきだろう」(25頁)とあるとおり、実作者のみならず、戦前の国家主義教育におけるその宣伝と受容の過程にも、十分な目配りを加えたことが本書の特徴である。松澤氏は石川美南氏らの超結社の短歌誌 「pool」 の同人でもあり、実作への深い思い入れがこのようなアカデミズムに資する文学社会学研究へとつながっていった営為を、まずは心からことほぎたい。
 本書の前半は、日本国家主義が天皇の神格化を統治の象徴として推し進めていった経緯に、和歌ないしは短歌の存在がどのようにかかわっていったかということを示す詳細な文献研究である。その過程において、明治天皇の東北行幸歌集『埋木廼花』の編者である高崎正風を中心に、戦前の短歌研究で触れられることの少ない「御製」について深く触れている第三章が特におもしろい。著者は高崎らの属する「旧派」(堂上派、桂園派、古典派など)による「大日本歌道奨励会」の結成をピークとしたその隆盛と、戦時中の突然の終焉について、豊富な史料をもとに深く考究している。「「言の葉のまことの道」「歌の道」をもって「君臣の情誼」をつなげる」(73頁)という高崎の「まこと」がおのずと限界を孕んでいたことが、「高崎ら「旧派」歌人たちとその和歌が「新派」に超克されていった理由の一端」である(75頁)、と著者は総括する。歌会始において本名であることが義務づけられていることについて、「これはその人の「内面」に基づく「まことの歌」=天皇の前での「同一性」の表明が、その場ではなお求められていることの一証左だろう」(同)と述べている箇所は、近年の新人賞問題で火を噴いた「虚構」性の否定が、なぜあれほど短歌というジャンルの中に今もって息づいているのかということのよい説明となろう。すなわちこれは「旧派」から現代短歌への意外な連続性の指摘として、アララギ派による「旧派」攻撃のバイアスからわれわれの「旧派」認識をある程度解き放つものであるとも言え、はなはだ興味深いものである。
 これに対して、「新派」からの「旧派」の最大の差異として、「旧派」における「題詠と本意との関係」の固定化を著者は指摘する(157頁)。「(本意とは)「和歌史のなかで繰り返し和歌に表現されることによって」、つまり堆積する作例のなかから「認知・共同化」された「事物・事象の典型的把握の仕方」であるという。そしてこの本意がいったん形成されてしまえば、題詠による「意味―価値の秩序」まで本意が定めることになる。要するにあるコト・モノを題として詠む場合、古人が累々と形成してきたその題の本意をきちんとふまえているかが重要になるわけで、もちろんそこには自らの感覚や感受性などを差し挟む余地は極めて少ない」。このようないわゆる「美の感覚の受売」(大宅壮一日記からの引用、121頁)になってしまったことにより、「旧派」がその輝きを失い、「「自己」の析出」を旨とする「新派」の短歌にとってかわられ、「身体と内面の「発見」」(177頁)が1910年代の根岸短歌会によってなされたのだという見解を著者は支持している。
 これらの論理展開はまことに悠揚かつ整然としており、わが国の詩歌が、旧来の頭の堅い美学から西洋近代の 「アート」 の枠組みによってどのようにして解放されていったかという過程について、それを説得力のある筋道で跡付けるものである。しかし著者は、さらに現代まで一世紀にもわたる短歌の消長を、終わりのたった三章によってのみ論じようとしており、この部分ではかなり駆け足になってしまったことが惜しまれる。そこには、もし丁寧に論じればあと二冊あるいは三冊分の書物にはできるだろう貴重な著者独自のアイデアが詰まっているのであって、今後この分野へのさらなる考究が期待される。具体的には、佐々木信綱における「旧派」から「新派」、そして「「国家」への理路」 への歌論の変遷を忠実にたどった八章、戦前の「愛国百人一首」の文献研究とその受容論を試みる九章、ヒロシマの原爆詠とその継承における政治性を、大口玲子らの秀歌を引きながら論じた十章である。これらの章が提起する大きな喫緊の課題はやはり、個人主義と全体主義の関係に類するものがあろうかと評者は考える。それがもし歴史の一方向的な進化のようにしてではなく、循環するうねりのようにして幾度も再来してくるようなことがあった場合に、わたしたちは「知」の力によってどのようにそれを乗り切っていくことができるのか。すなわち戦前戦中期において、「新派」の理論によっていったん解放されたかのようにみえた個人の「まこと」そのものが、そのまま全体主義を支える道具に転化すべく教導されたというこのアイロニカルな短歌の歴史こそは、社会不安の高まりによって、リベラリズムの論理が持つある種のもろさがあっけなく露呈したよい例と考えることもできよう。あるいは、人類の無意識を極限まで解放した場合に出現するかもしれない「野蛮」に対して、シュルレアリズムの詩学はどこまでそれを肯定しつづけられるのか、という課題にそれをおきかえることも可能だろう。
 かような人類の文明における普遍的な課題に対して、本書で著者が採用したようなカルチュラル・スタディーズ的な示唆は、まさに正鵠を射たものであるはずだ。たとえば、社会的なうねりの存在を無視しては、なぜ個人主義的だったはずの 「新派」の短歌が、かくも簡単に国家主義的な価値観に組み込まれていったのかということは説明できない。また、このようなアプローチを行なうに当たっては、できるだけマージナルな立場から物事を考えたほうが有効なのであり、タイトル、第十章やあとがきにおいて示されたような、著者自身の内面における実作者と研究者の自我同一性の分裂 (「詠む」ことと「読む」こと)こそは、まさにその条件を支えているものなのかもしれない。いずれの章もまず著者随一の着想から出発し、ユニークな一次史料に自ら果敢にアプローチし、そしてそれを読み解くことによって新たな命題に到達しようとしている。このような著者の人文科学的な態度は、数ある現代の歌論のなかにあって抜きん出てアカデミックなものであり、 その結果として、たとえば近代短歌における「歌人」と「作中主体」の同一性の形成がどのようにしてなされていったかというような、評者のごとき歌壇外の短歌読者がまず抱きがちな同時代的な疑問に対しても、本書は豊富な示唆と新たな視点を提示するに至っている。すなわちこれは、短歌のまったく新しい切り口の入門書であると同時に、今後の著者の国文学思想のさらなる深化と発展に、大いに期待を抱かせる一冊である。

短歌評 短歌作品と散文構造――『坂口 弘 歌稿』を読み解く 添田馨

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 フォルム(形式)とフォーマット(型式)は似た言葉だが、意味するものの範囲はかなり違っている。私たちは、例えば短歌や俳句を、五七五七七や五七五の音配列を持つ文芸の一表現領域だと了解している。フォルムの外形からすれば当然すぎることだが、それらを言語の記述芸術という平面に置きなおしてみるとき、フォルムの拘束性は必ずしも表現意識じたいの拘束性に同致されてはいかないことに気付く。逆に、拘束されているとすれば、それはフォルムではなくフォーマットによってではないのか、という疑問が私にはあった。そこを入口にすることで本論考をはじめたい。短詩型文学における表現の自由の領域が、どこにどう広がっているのかを是非明らかにしたいという思いも、そこに由来している。
 私がここで死刑囚坂口弘の短歌作品を取りあげる理由は、その固有名が持つ社会的あるいは歴史的といってよいさまざまなバイアスと、短歌作品そのものが発している固有の表現価値が、いかなる融合(あるいは離反)の相のもとに現われているかを考察するのに、きわめて示唆に富む実作例だったからである。また、そうすることで逆に短歌作品において抽出可能な表現価値を、批評的に領域化できるのではないかとの思いもあった。
 だが、『坂口 弘 歌稿』(朝日新聞社 1993年)の世界に足を踏み入れるや否や、私は一気にその強烈な言葉の火勢に丸ごと捉えられてしまった。思わず息をのむような表現世界が、まぎれもなくそこには縷々開示されていたからである。

 社会主義敗れて淋しさびしかり資本主義に理想はありや

 わが一生牢にあるとも極刑をまぬがれたしと思う時あり

 今宵われ死囚となりてまばたきの音あざあざと床に聴きおり

 嵐去り格子に垂れる玉の水闘いし後の充足と見ゆ

 正直な読後感をいえば、私は坂口氏の短歌作品を、その作者名を離れて純粋な言語表出物として読むことがどうしてもできなかった。つまり、作品の外部にあってこれらの短歌作品を支えているさまざまな背景に関する情報を、完全に排除してこれらの作品に接することはできなかったのである。誤解しないで欲しいのは、そのことが決して坂口氏の作品の価値を毀損していると指摘したいのではない。むしろ「坂口 弘」という存在が、つまり私の記憶の中から失われて久しいその名前が、これらの短歌作品においては全体的に恢復され、私という一読者との新たな際会を果たしているまごうかたなき実感が、そこには生まれていたことを言いたいのである。私にとっては、「坂口 弘」という固有名をめぐるこうした情況すべてが、それらの短歌作品が発する、他の誰にも真似できない固有の表現価値であることは疑う余地もないことだった。
 坂口氏は言うまでもなく、1971年から1972年にかけての一連の連合赤軍による重大事件、すなわち「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」等で、主要な役割を果たした人物のひとりである。私はテレビ中継された山荘での銃撃戦で、彼が銃を持ち窓から顔をのぞかせた場面をよく覚えている。事件後、彼は逮捕され東京拘置所に収監された。そして1993年に死刑が確定する。
 今回、本論考が対象にした『坂口 弘 歌稿』の中で、私がまず最初に惹き寄せられたのは、山岳ベースにおける同志殺害の記憶を歌に詠んだ一連の作品群であった。

 総括は気絶したらば成し得ると撲りに撲る真摯な友を

 リンチ死を敗北死なりと偽りて堕ちゆくを知る全身に知る

 リンチせし皆が自分を総括すレモンの滓を搾るがごとく

 女らしさの総括を問い詰めて「死にたくない」と叫ばしめたり

 これらの短歌作品の出来不出来を評することは、今はすまいと思う。それよりも、これらの作品が本当に〝短歌〟なのか、あるいは短歌のように見えるけれども本当は別の何かなのかを、真剣に考えてみなければならないと思うのだ。
 まず、これらの作品は東京拘置所の独居房内で、いわば通常の生活世界を喪失させられた状況下で制作された言語作品である点がとりわけ重要である。つまりこのファクターは、これらの短歌作品にとって二義的な意味しか持たないどころではなく、むしろ作品誕生の根幹の原理となっていることを、私は指摘したいのだ。完全に孤立し無防備に投げ出された裸の意識がまず最初にあって、世界喪失すなわち根源的な〈異郷性〉のもとで、みずから志向的に選び取ったところの言語がしばしば帯びることになる身を切るような内在律――それが特にこれら一群の作品系列においては顕著であると評価するのである。
 私が坂口氏の短歌作品から最も強烈に照射されるのは、彼が収容されている拘置所という現実の非日常的環境が、比喩としてではなく実体として、文字通りそれらの作品の表現価値を絶対的に規定している与件そのものだという認識だ。このことを言い換えるなら、〈短歌〉というフォルム(形式)と〈拘置所〉というフォーマット(型式)が協働して、相互的に自らの表現価値を形成しあっているということになるだろう。つまり、これらの作品記述(詩文)は、自らの生成の条件を背後に隠した何らかの非記述構造(散文構造)に、絶対的に依拠しているのではないかという帰結がどうしても導かれてしまうのである。
 私はここで、ひとつの仮説を提示することにする。短歌作品の内在的な価値が問題とされる場合、その綜合的な評価は、詩文(作品体)の可視像と散文構造の不可視像とを共に視野にいれたうえで為される必要があるのではないか、という仮説をである。
 以上のことは、すべて『坂口 弘 歌稿』を読み解くことを通して、私が着想したことであって、果たしてこれが短歌作品一般に適合するものかどうかはまったく推測の域を出ないが、一考の余地は十分にあるテーマだという感触は寸毫も揺るがない。以前より私は、短歌や俳句などの短詩型文学は、他の文学ジャンルに比べて表現の自由度が著しく制限されているのではないかという先入観をずっと持っていた。しかし、今回の読み解き作業を通過して、それがまったく根拠のない偏見だったということが了解できたように思う。短歌作品を一度もつくったことのないまったくの門外漢による感懐にすぎないが、短詩型の表現の自由な広がりが担保されるとすれば、それは詩文(作品体)の可視像と散文構造の不可視像とのあいだに、無限の深度で潜在する何かなのではないかと、今ではそう考えるようになった次第である。

短歌評 忘れられない歌のように―岡野大嗣歌集「サイレンと犀」  岡野絵里子

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 「サイレンと犀」という語呂合わせのようなタイトルが実は「S ilent S igh」でもあって、通過するものによって生まれた静かなため息だったのだと知ってから、この歌集には一層惹きつけられた。

ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう
スタンスは持ってないけど立ち位置はGPSが示してくれる
まもなくひがくれます ナビの案内を無視して空が青を維持する

 私たちは何処へ行けばよいのか。生涯が終わる日が来るとして、それまでの時間をどう過ごせばよいのか。まず就職は、愛する人には巡り合えるのか。この歌人はそんな葛藤から自由のように見える。ナビの小賢しい指示など超越して晴れ渡った空のように。夢を求めてどこかを目指したとしても、到達した途端、かつて夢だったものは現実となると、よく知っているらしい。広々と自在な空の下で、だが街は思いがけない面を顕す。

キャスターは眉をひそめて「通常の通り魔像とは異なりますね」
若いとき買ってでもした苦労から発癌性が検出される
完全に止まったはずの地下鉄がちょっと動いてみんなよろける
日めくりがぼそっと落ちて現れた画鋲の穴の闇が深いよ

 「通常の」が苦い笑いを誘う。「過去に例のないタイプ」くらいの表現であってほしかったが、うかつなキャスターのミスコメントが「通り魔の出現は通常のことである」という都会の暗部を開けてしまう。二首目もブラックなユーモアだ。「苦労は買ってでもしろ」という諺の偽善が暴かれる。若い時の勉強や体験こそ糧となるが、苦労はどうだろうか。過酷な労働や環境で、文字通り肉体が癌に蝕まれることもあり、精神にトラウマを負うこともあるというのに。三首目、思いがけない列車の動きに、乗客はよろけさせられるが、皆一緒という連帯感があって暖かい。ちょっとよろけるという動作はユーモラスなものだ。四首目は室内の光景。画鋲の針が開けた小さな穴、だがそこに深い闇があったというのである。日常に潜む影の恐ろしさと小さな穴を覗いている孤独がしみるようだ。だが語尾の「〜よ」が深刻さを和らげる。
 
空席の目立つ車内の隅っこでひとり何かを呟いている青年が背負って
いるものは手作りのナップサックでそれはわたしの母が作った

 連作「選択と削除」の一首であるが、破調という以上の長さを持っており、凝った文体の小説の一部のようでもある。歌集中に際立つ言葉だ。最後まで読んで初めて「何かを呟いている青年」が「わたし」だと分かる仕組みになっている。このように何らかの負荷を抱えて世界を辿り、謎が解かれたかのように自分自身に帰還する手法は詩人にも見られる。引用はしないが、岡野氏の歌においては、青年が自分自身に辿り着く長い迂回は、現代における自我の確立の困難さを思わせて意味深い。岡野氏の短歌は一貫してリズムが快く、それが魅力の一つだが、この作品も5・7・5・7・7・5・9・5・7・7・7という音数になっている。二首分プラス7音で、歌の韻律は実は生かされているのである。
 現代詩から見ると、短歌は冒頭であり末尾でもある一行が完結し、屹立した世界であって、三十一音の韻律がその世界を音楽で満たしている。私にはただ敬愛するしかない短歌だが、この歌人はその奥義を知悉しながら、新しい言葉の天体を創り出そうとしているのだろうか。

ビニールにマジック書きで「豚」とあり直に書いてあるようにも見えた

 この作品も散文の一部と読んでもおかしくない文体でありながら、短歌の三十一音の律がさりげなく生きている。そして一見爽やかに書き流しているようで、不気味な領域に踏み込んでいるのである。マジックでただ豚と書く行為は一体何なのだろうか。豚肉とか豚革製品といった表示なら理解できるが、「豚」。直に書いてしまっているなら製品ではないだろう。タトゥーならビニールを被せはすまい。対象を明らかにせず、マジック書きの一点に固執することで、不条理な気味悪さを浮かび上がらせた。
 この二首の周辺に、新しい風が感じられるのである。鋭い刃物を取り出した時にふっと動く空気のような。岡野氏は外界に対しても、意識内部についても知覚能力の高い書き手らしく、多岐にわたって、言葉が豊かである。その多面体のような世界をもう少し鑑賞してみたい。

道ばたで死を待ちながら本物の風に初めて会う扇風機
かなしみを遠くはなれて見つめたら意外といける光景だった

 品物にも魂が宿っているとしたら、これは残酷な光景ではないだろうか。道ばたに捨てられていることも、本物の風を知って、自分の人生と仕事の卑小さを悟ってしまうことも可哀想である。私も自宅に2台の扇風機を持っているが、お陰でもう捨てられなくなった。悲しすぎる。だがしかし、扇風機にとっては、ちょうど人が神に会って、その懐に迎え入れられるのと同じ体験だったのかもしれない。そこに気づくと深い感動がやって来る。別の連作である歌を並べるのは違反かもしれないが、この二首目で悲しさを癒やさせてもらった。「意外といける」と感じているのは歌人ならではだろう。「悲しみを浪費するな」と言ったのはリルケであった。物書きもまた冷酷な神であり、そして何よりこの二首が一人の歌人から出て来たということに感嘆する。

もう声は思い出せない でも確か 誕生日たしか昨日だったね
申し込み規約に何か書いてある書いてある書いてあ 同意する

 心地よいリズムと声が歩く。余白が満たされていく。頭上を伸びていく線、歌のように。忘れられない歌のように。

ジャンクションの弧線が光る ささやかな意志の前途を讚えるように

短歌評 ~守中章子歌集『一花衣』を読む~ 田中庸介

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 守中章子さんの第一歌集『一花衣』(思潮社)は、一筋縄ではいかない作者の芯の強さを感じさせる衝撃的な歌集だ。作者は前夫ならびに長女と死別し、仏教寺院の住職と再婚。故人らを悼みつつ、あるいは、みずからの寺で行われる葬儀のご遺族らを支えつつ、自身は現世の「生」を生ききろうとする。

 私にとって短歌は、死なないためのロープです。強靭な、重い、良く使い込まれたロープ。生きることはときに深い淵の縁を歩くことであり、冷たい流れを徒渉ってゆくことです。流されぬため墜ちてゆかぬため逸脱しないためまっすぐに立つため、できればほほえんでひと日を終えるために、歌を読み、歌をこつこつ書いています。短歌に出会うまえ、歌のない自分がどのようにしてこの生をたどって来たのか、思い出すことができません。
(「あとがき」)

 どれほどの詩人、また歌人が、これほどまでに強い「歌」への現実的信頼を熱く語ることができただろうか。そのことに、まず驚く。たとえば、D.H.ロレンスのタイトルを援用した吉増剛造氏の『死の舟』(書肆山田、1999)というような過去のすぐれた書物をひもどいてみると、そこにあるのは、ミューズの名を借りた死神との闘いだった。詩人は「閾」を超えるべきものとしてア・プリオリに措定されており、凡庸なる此岸の領域から離れ、非凡なる彼岸の領域の「ヴィジョン」へと、いかに言葉の力を借りて近づけるか、それがミューズが詩人らに課してきた問いであった。残念なことに、この問いによってふらふらと死の幻想にからめとられ、向こう側に自分で歩いていってしまった不幸な仲間も数多い。彼らにとって詩とは、自らの頸をくくるロープ。しかしそれを、守中さんはあえて、自らが虹の絶顛をよじのぼるためのロープとして、再定義しようとしているらしい。しかしこれは、まったくどういうことなのだろう。

 ひよどりが長く尾をひくゆふべにはゐ音が庭にゆらゆらと落つ
 爪を切る音の鳴る間に呼びかけるそこにゐますかふたりゐますか
 きみはもつと知りたいのだね それゆゑに生かしておかうと言はれる夜更け
 ひよどりはふたこゑ鳴けり行くものと還るものとの交はる空に
 杳くなるまへにお帰りHallelujah(ハレルーヤ)鵯(ひよ)は来ないよもうこの庭に
(「ひよどりが」部分)

 庭に落ちている「ゐ音」っていったいなんだ。まさか「イオン」ではなかったろうし。この歌集には「ゆかの上にねむるをのこは母音にてしづかに応ふをををゐゆゐゑ」というような、どうやら「麻の葉のけむるにほひ」を漂わせながら書かれたらしい秀歌(「異郷の夏」)もあるが、そこには「にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった」(加藤治郎『ハレアカラ』1994)というような、あのバブルの時代のニューウェーブ短歌への、色濃いオマージュが感じとれる。吉本隆明に『記号の森の伝説歌』(1986)というタイトルの不思議な詩集もあったが、まさにこの「わ行」のひらがなへのフェティッシュな偏愛は、「詩」をみずからの内面の現象から紙の上の事象へと移行させ、記号論的に客観視するための足がかりとなるものであった。いったん詩歌が「つくりもの」であるということを確かに認識すれば、それは、発達の過程で誰もが仮装を一度は経験することがどうしても必要なように、文学の自己完結性による人間疎外から、創作者の魂をはるかに解放することになる。「そこにゐますかふたりゐますか」と夕べの「ひよどり」に「ゐ音」を二回も使って呼びかけると、それが霊魂の使いとして「ふたこゑ」鳴いて飛び去っていった、という「ひよどり」の物語や、あるいは亡弟の魂の化身である魚のエイが「裏木戸のよこ」に突然現れるという「鱏に会ふ」の連作の、能楽を思わせるほどに幻想的な、数々の霊的なイメージ。それは世俗的な民間信仰のいわゆる「不吉」や「ケガレ」というタブーを乗り越えたその先にある、虚々実々の根源的な魂の交歓だ。
 この「きみはもつと知りたいのだね それゆゑに生かしておかうと言はれる」というのは、ゆるぎない創作者としての特権的な実存を獲得した作者自身のマニフェストでもあると思われる。「もつと知る」ためのものである以上、作者のいかなる行為も、そして生そのものも、ある特殊な、創作的な意味を付与されたものとなる。このような創作者としての自恃は、童話作家や美術家あるいは小説家の場合にはいくぶん目に親しいものであるけれども、ことに日本の現代詩において特に永年抑圧されてきたものである。むしろそこでは実存と創作とが逆接的であり、苦労のために苦労するようなことこそが創作者のあるべき姿であるというテーゼを、なぜか過剰なまでにお互いに要請しあってきた空気がある。
 ここにおいて、詩における実存と創作の関係をなんとかして順接のものに転換できまいか――、というのは、評者自身が永年にわたり唱えて来た念願の一つでもあるのだが、本作からはその一つのすぐれた回答をいただけたように思えた。やはり現代詩の創作から出発したという作者は、短歌が育んできた「実相観入」という齋藤茂吉の生の順接性の思想にめぐりあったときには、きっと水を得た魚のような心持がしたことだろう。未来短歌会の恩師の岡井隆氏とともに茂吉の足跡を追ったという旅行詠の連作群は、茂吉のドイツ留学時代のすぐれた仕事を思い出させる佳篇だ。作者は職業上、たくさんの死に交わりつつも、あくまでもそれは当面自分自身にはかかわりないものとして、今は自らの生の季節を、破壊的なまでに謳歌したい。そのようなフィナーレの「うつせみ」の連作のピカレスク的な人生観は、三月二十八日の批評会の席上で良識派の黒瀬珂瀾氏の眉をさすがにひそめさせたほどだが、この本にとっては十分すぎるほどに十分な大団円となっている。

 「破壊セヨ」白いシーツに覆われてくすくす笑ひながら運ばる
 底なしの悦びですね階段に坐りて桃をこのやうに剥く
 はしけやしワルツを踊るスカートはマグノリア咲く窓に近づく
 あやまたずライオンを射る たてがみに向けて愉悦を送らむか いま
(「うつせみ」部分)

「ニューウェーブ」の三氏がそれぞれの位置につき、磐石な体制で船出したようにいったん見えた現代口語短歌の情況は、しかしここへ来て、文語と口語のミックスタイプの歌ががぜん勢いづいて、さらにまた面白くなりつつある。「桃」や「ライオン」を次々と仕留めていく狩人タイプの作者は、意外にも東直子さんのオセロの達人っぷりにも通じるところがあるのではないか。この新たな才能の出発に、心からのエールをおくりたい。

短歌評 一体化の悲しみ  山田露結

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 いやあ、まいりました。とうとう三回目です。どうして私のところに短歌時評の依頼が来るのでしょう。毎回言いますが、私は、短歌のことはよくわからないし、ほとんど読まないんですから、本当にもう、書くことないんですよ。ましてや、時評だなんて、今、短歌の世界で何が起こっているかなんて、何にも知らないのに。まったく、困りました。これはもう、嫌がらせか、イジメか、拷問か。などと憂鬱な気分になりつつ、「詩客」に掲載されている過去のいくつかの短歌時評に目を通してみました。

 いや、どう言ったらいいのでしょう。何か、私の知らない世界での、特殊な細菌の研究についての論考でも読んでいるかのような、いや、すみません。こうした立派な時評と並べられて私の拙い文章が掲載されるのかと思うと、非常に気が重く、何やら、朝起きたらいきなり「次はお前だ。頼むぞ。」と言われて、無理矢理メジャーリーグのバッターボックスに立たされてしまった小学生みたいな、悲しい気分にさえなってくるのです。
 とはいえ、何か書き出さなくては、と頭を抱えていたのですが、そんな私にも好きな歌人がいることを思い出しました。笹井宏之さんという人をどういう経緯で知り、歌集を手に入れたのか、今では全く思い出せませんが、歌集「ひとさらい」を読んだときの、奇妙な白い光に包まれて体が軽くなっていくような、得体のしれない気分をよく覚えています。

内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす 笹井宏之

 ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』では、ヒロインのクロエの肺の中に睡蓮の蕾ができてしまいますが、ここでは「内臓のひとつが桃」になっています。桃に形状が似ているといえば心臓でしょうか。桃という、人間の身体とは縁のない果実を自らと一体化させてしてしまうことがこんなにも途方に暮れた気分にさせるものかと。でも、考えてみれば、地球上に誕生した一番最初の生命の源から、さまざまな進化の過程を経て生命が多様化して行ったということを思えば、あらゆる生命はそもそも親類同士だと言うことも出来るはずで、ですから、ここに登場する桃も進化の途上のどこかの地点で別れてしまった、人類の遠い兄弟のようなものとして存在しているのかもしれません。遠い兄弟でありながら、明らかな異物である桃を体内に宿す悲しみを思いながら、私は胸が締め付けられるような、たまらない気持ちになるのですが、きっと、人には「たまらない気持ち欲」みないなものがあって、私が笹井さんの歌集を開くのは、大抵、自分が、そんな、たまらない気持ちになりたいと欲求しているときなんじゃないかなと思ったりしています。

 笹井さんの歌には、こんな風に人間と人間ではないものを一体化させてしまう手法がしばしば見られます。

家を描く水彩画家に囲まれて私は家になってゆきます        〃
トンネルを抜けたらわたし寺でした ひたいを拝むお坊さん、ハロー 〃

 水彩画家に囲まれながら家として完成してゆく私。寺になってお坊さんに拝まれる私。どちらも一読コミカルでありながら、自分ではどうすることも出来ない不条理な宿命を背負い込んでしまった悲しい自画像のようにも思えます。

 私が笹井さんの歌を読むとき、いつもかならず思い出す絵があります。石田徹也さんの絵です。石田さんの絵の多くは、やはり人間と人間ではないものを一体化させて描かれています。ときに飛行機だったり、建物だったり、便器だったりする作者自身と思われる人物の憂鬱な表情を見るたびに、私は、笹井さんの歌を読んだときと似たような、たまらない気持ちになるのです。笹井さんも石田さんもずいぶん若くして亡くなっているのですが、そんなところも少し似ているような気がします。

 そもそも人間には、自分と自分以外のものとを一体化させたいという願望が本能的に備わっていると思うのです。男女の営みを考えてみれば、その願望はごく自然なもののようにも思えますが、その一体化願望の対象が、異性ではなく、あるいは、人間でもないという場合には、途方もないうしろめたさ、息苦しさが付き纏ってしまうものです。

 私は普段俳句をつくります。それで、以前から、この、笹井さんや石田さんの用いる一体化の手法をなんとか俳句に持ち込むことは出来ないかということを考えていました。が、これがなかなかうまくいきません。実際に作ってみて思うのは、俳句の字数の中では、内臓が桃であったり、私が家になったり、寺になったりという人間と人間ではないものを一体化させた非現実を、非現実のまま断定的に扱うことがすごく難しい、ということです。(「ごとく」とか「ように」といった比喩的な表現であれば、それほど違和感なく扱えるようにも思いますが、まあ、これは単に私の技量不足が原因だと思います)。

 ただ、詩歌というのは、それを介して現実と非現実を行ったり来たりするための装置という側面があると思うのですね。俳句では写生という方法が昔から根強く残っていて、正直、長い間、多くの人がそれを、あるいはその延長線上にある方法論を繰り返し繰り返し追究しているだけのような気がしないでもないのです。もちろん、現実の中に非現実、あるいは超現実を見出す、ということも可能だとは思うのですが、それとは逆の、非現実から現実を見出す作句法みたいなものが定着したっていいんじゃないかなあ、などと勝手に期待をしてみたりもするのです。俳句だって、せっかく言葉で作るのですから、写生に相対して言葉の側から現実を捉え直してみる、というやり方が確立されて、一般化してもいいんじゃないかと。

 う~ん、いや、何だか、話が収拾のつかない方へ向いはじめてしまいましたが、さて、ここまで書いてきて、私のこの文章が短歌時評でも何でもないことに気がつきました。どうしましょう。困りました。

晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまでみがいていたい   〃

 歌集「ひとさらい」のあとがきで笹井さんは『短歌は道であり、扉であり、ぼくとその周辺を異化する鍵です。』として、そのあとに『風が吹く、太陽が翳る、そうした感じで作品はできあがってゆきます。ときに長い沈黙もありますが、かならず風は吹き、雲はうごきます。そこにある流れのようなものに、逆らわないように、歌をかきつづけてゆくつもりです。』と語っています。そこにある流れのようなものに、逆らわないように。ああ、そうでした。手法だの方法論だのと、私は、ずいぶん、無粋なことを言って、作品をつくるために一番大切なことを、どうして私は作品をつくるのかという一番根っこの部分を、忘れてしまっていたようです。すみません。私に窓をとりつけて、笹井さんにみがいてもらわなくてはなりません。


短歌評 高村典子さんから受け取ったもの、第二歌集『雲の輪郭』にまつわる思い出 望月遊馬

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 高村典子さんという歌人のことを思う。まだ知り合って間もなかった彼女の凛としたその筆跡であるとか、口からこぼれでることばであるとか、そういった事柄に魅入られてしまえば、たちまち、彼女の短歌に近づけたかのように感じられるのである。
 高村さんが一度目のくも膜下出血で倒れて、彼女のことばを奪ったとき、彼女は「話すこと」を失い、そして、短歌を失った。ことばを失う、つまり失語症により、彼女はそれまで所属していた「かりん」を退会することになる。しかし、そこから驚異的な意志力によって、高村さんは自らの力で、ことばを、短歌を、奪還したのだった。
 そうして詠まれた第一歌集『わらふ樹』は、失語症のこと、大好きなピアノのこと、ベートーヴェンの「熱情」のことなどが丁寧に綴られている。
 はじめて高村さんと出会ったのは、facebookである。突然、高村さんの方から友達申請をしていただき、恥ずかしながらその当時、私は高村さんのことを存じ上げていなかったのだが、高村さんのfacebookのページを訪れ、ピアノのことなどが書かれているのを目の当たりにして、ああ、高村さんもピアノがお好きなのだな、とたちまちfacebookの友達申請を承認してしまったのである。
 私もピアノが好きで、その日以来、高村さんとは繁忙にメッセージのやりとりをするようになった。ピアノのこと、短歌のこと、詩のこと、家族のこと、絵画やお能のことまで話しているうちに、お会いしてみたいな、と思うようになり、機会があって上京するときにお会いしようという約束をとりつけた。
 高村さんと私は、年齢が三十歳以上離れているから、叔母と甥のような関係ですね、と高村さんは笑っておっしゃっていらしたが、私は純粋に年の離れた友達ができたことがうれしかった。
 高村さんの第二歌集『雲の輪郭』は、私が高村さんと知り合ったあとに出版された歌集で、あるとき高村さんが、「第二歌集のタイトルを何にしようか迷っている」とメッセージをくださったことがあり、私は、タイトルをつけるのはあまり得意な方ではないので、あれこれと思いを巡らせていたのだが、最終的にタイトルが決まったようで、「歌集が上梓するまでは秘密にします」とうれしそうに語っておられたのが印象に残っている。
 その第二歌集『雲の輪郭』であるが、高村さんご自身のことばによれば、第一歌集『わらふ樹』は、悲しみや負の感情を機動力にひとつのまとまりを構築した歌集であるのに対して『雲の輪郭』は、そういった負の要素をそぎ落としてまた別のベクトルへ歩みだす、歩みはじめた、「はじまりの歌」なのだと。わたしはそう受け取ったのである。
 こんど上京したときに、『雲の輪郭』の感想を高村さんに伝えようと(私は短歌には明るくないので、専門的なことはいえないけれど)心をこめて、一首、一首、読むことを心がけ、素敵だなと思った自分の感覚をしんじて、その歌の載っているページには付箋をはったら、本は付箋だらけになってしまった。
 その中から、私がもっとも好きな一首をここに載せることにしたい。

大切なものから記憶失せゆくか欅に風の船が来てゐる

 「大切なもの」から受け取るまなざしを、私たちはいつでも胸にしまって日常に降りてゆくから、たとえば欅に訪れた風も、ここでは「うつくしい現象」であって、それは「風」という現象が「船」という現象に置き換えられる唯一無二の瞬間として切り取られる。その瞬間の刹那的なうつくしさも、また大切なもののように思える。これは自己本位の読み方であるが、評論や批評ではなく、エッセイであるのでお許しいただきたい。
 私がこの歌を好きだというと、高村さんは非常にうれしそうでいらっしゃった。
 私はその日、はじめて高村さんとお会いしたのである。
 食事をしながら、いろいろな話をした。それはfacebookでも話した内容とかぶっていたかもしれない。けれども、直接お会いしてお話をするということの尊さを、私は思うのである。高村さんはインターネット上でも、凛とした方だったが、実際にお会いしても、やはり凛とした方だった。そして、ちょっぴり感情が溢れすぎるところがあって、何か話すたびに涙ぐみ、そして、お洒落で、とても素敵な方だった。
 私はその日のことを忘れないだろう。
 帰り際に、こんどは一緒にピアノリサイタルを聴きに行きましょう、と約束をした。そして、私はそれをとても楽しみにしていた。
 しかし、これが高村さんとお会いした最初で最後の機会になろうとは、思いもしなかった。
 二度目のくも膜下出血は、高村さんの命を奪ったのである。
 もう会うことのできない、ことばをかわすことのできない、年の離れた友達の最期を思うたびに胸のつまる思いがした。
 それでも、第二歌集『雲の輪郭』は、世界に刻みつけられて、これだけは誰も奪うことができない。
 高村さんは、世界に「ことば」を刻みつけたのだ。

短歌時評 第114回 その土地を知るということ―「梶原さい子歌集『リアス/椿』を読む会」から 齋藤芳生 

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 「トポフィリア」とは、「場所への愛」という意味なのだそうである。
 2015年3月21日(土)仙台市で催された「梶原さい子歌集『リアス/椿』を読む会」は、「更地の向こう側―気仙沼市唐桑町宿(しゅく)のすがた―」と題した講演から始まった。この講演は「東北学院大学トポフィリアプロジェクト」代表の植田今日子氏によるもので、プロジェクトの全容は
 『更地の向こう側 解散する集落「宿(しゅく)」の記憶地図』
 (東北学院大学トポフィリアプロジェクト編、かもがわ出版、2013年)

という一冊の本にまとめられている。どのようなプロジェクトなのか、植田による「はじめに」から少し引いてみよう。

 本書は、今回の大津波の直前直後の記憶だけではなく、①宿浦がもっとも華やいだという船が足だったころ(~一九五〇年代)の記憶や、②車やバスが通るようになって人の流れが変わっていったというころ(一九七〇~八〇年代)の記憶、そして③二〇一一年三月一一日に宿を更地へと変えてしまった津波の記憶について、聞き取りによって遡ることができる限りの時間幅で三枚の絵地図に起こす、という試みです。写真という視覚的な記録の多くを失い、また多くの住民が去ることになってしまった宿の人たちに対して、聞き取りの際に個々人から断片的に語られる記憶を絵地図と言う一つの地平の上に集めることでかつての景観を手渡してみたい、また調査者である私たちも目にしてみたいという思いが、この本をつくる動機になりました。

 「気仙沼市唐桑町宿」とは、梶原さい子が生まれ育った故郷であり、梶原は代々この集落のコミュニティの精神的支柱となってきた早馬神社の神主の娘である。歌集『リアス/椿』の中核をなす重要な舞台なのだ。4年前の東日本大震災で、集落にあった家屋62軒中54軒が津波に流されたという。震災後「災害危険区域」に指定され、「今後は流されなかった八軒の家を除いて、宿に住居を建てることはかなわなく」なった。
 講演では東日本大震災のみならず何度も津波の被害に遭いながらもこの土地で海と共に生きてきた人々の歴史と暮らし、梶原の実家である早馬神社が担ってきた祭祀の様子などが丁寧に語られた。
 この講演を聞いていて改めて感じたのは、歌われている「風土」を培ってきたその土地について知ることで、いかに一首一首の鑑賞が深くなるのか、という、当たり前のようで私自身すっかり忘れていた事実である。

 五十年前の津波のこと喋る小母ちやんたちのあたりまへなり 23
梶原さい子『リアス/椿』
 船に積む菜(さい)を調ふこれよりの土の息吹のなき数ヶ月 55

 潮焼けのかほ馳せ来たり今し刈れる和布蕪(めかぶ)はみ出す桶を抱へて 131
 
 何度も津波の被害に遭いながらもこの土地で生活し、その津波の記憶も「あたりまへ」のこととしてお喋りをする「小母ちゃんたち」の姿も、漁に出る船のために美しく調えられる「菜」とそれを取り巻く人々の姿も、刈ったばかりの「和布蕪」を抱えて走ってくる「潮焼けの顔」も、それぞれにその息遣いが生き生きと立ちあがってくる。
 もちろんこれは梶原の感性の鋭さと言語感覚、表現の巧みさによるところは言うまでもない。しかし、この講演を通して「唐桑」という土地、「宿」という集落を知ったことで、この『リアス/椿』という歌集の内包するのは決して「震災詠」というひとつのキーワードだけで語られるものではないのだ、という意識を新たにした参加者は多かったのではないだろうか。
 私たちが一冊の歌集を読もうとする時、一首一首の作品に純粋にテキストとして向き合おうとする時、本来こういうアプローチは正しくない、のかもしれない。しかしこの講演によって『リアス/椿』という歌集の背景を知り、一人ひとりの参加者が歌集に対する理解と、作者である梶原を始め「唐桑」に生きてきた人々に対する愛着をより深めたことは確かである。そしてこの後に続いた嵯峨直樹、高木佳子、澤村斉美、司会の武山千鶴によるパネルディスカッションも、講演の内容を踏まえたことでさらに充実したものとなった。

 皆誰かを波に獲られてそれでもなほ離れられない 光れる海石(いくり) 57

 ああみんな来てゐる 夜の浜辺にて火を跳べば影ひるがへりたり 96

 皆で皆を亡くししといふ苦しさに秋明菊の潤ぶるひかり 106

 あまりにも波間が光るものだからみんなの泣いたやうな笑ひ顔 122

 みなどこかを失ひながらゆふぐれに並びてゐたり唐桑郵便局 173

 パネルディスカッションでは、嵯峨直樹の<「みんな」への志向性の強さ>という指摘が興味深かった。嵯峨が指摘するように、梶原の歌には「みんな」「皆」という言葉が頻出する。嵯峨は、「みんな」という言葉の頻出は震災の前後に限らないこと、また『リアス/椿』以前の第二歌集『あふむけ』にもやはり頻出することを挙げた上で、梶原の高校教師という職業や、神主の娘であるという社会的立場が影響しているのではないか、と分析する。
 この嵯峨の指摘に深く肯うと共に、これらの歌を改めて読んで私が感じていたのは、自分もまた梶原の歌う「みんな」の一員となったような、不思議に懐かしい感覚だった。これは、今回梶原の歌う「唐桑」という土地について少しなりとも知ったことで、この土地が私の中で最早自分から無関係の遠い場所ではなくなったからであり、「みんな」が他人ではなくなったからである。
 決して「迎えて読む」ということではなく、歌を読むときにその土地や風土についてより深く知る、ということを、私たちはもう少し見なおしてみてもよいのかもしれない。
 そのことで私たちはその作品の作者が歌おうとした「生」や「風土」をより深く理解し、共感し、「みんな」の「記憶」として残していくことができる。そしてこれは、先の「現代短歌」4月号で特集が組まれた「短歌と人間」とも、決して無関係ではないはずだ。

#略歴
齋藤芳生 さいとう よしき
歌人。1977年福島県福島市生まれ。「かりん」会員。歌集『桃花水を待つ』(角川書店2010年)『湖水の南』(本阿弥書店2014年)

短歌評 心臓の花とか、眼差の発火とか カニエ・ナハ

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 カニエと申します。こちらの「詩客」のサイトで昨年度は俳句時評をやっていたのですが、四月の人事で、短歌時評に異動になりました。私自身はふだん自由詩、いわゆる現代詩というジャンルに取り組んでいます。日本の詩人のビッグスリーと呼ばれるのが(と、私はかってに呼んでいるのですが、異論は多々あると思います)、萩原朔太郎、中原中也、宮澤賢治で、この三人はこんにちでももっとも有名かつ親しまれている詩人たちだと思うのですが、かれら三人とも、すくなくない数の短歌をのこしていて、朔太郎は『ソライロノハナ』、中也は『末黒野』(共著)という歌集を出してますし、賢治はその絶筆は二首の短歌です。そんなわけで短歌というのは、なんとなく、俳句よりも、 より現代詩の近くにいる気がするのですが、どういうわけか私には近寄りがたく感じてきたところもあり、今回短歌時評を一年間にわたって数回、書くことになりましたので、この機会に、私なりに、短歌と向きあえたらと思っています。

 とは思ったものの、いったいどの歌集から読めばよいのやら、皆目わからないので、まずは近所の書店でも手に入る『角川 短歌』4月号を手にとってみました。そこで「大特集 若手10歌人大競詠・同時批評」という特集に目がとまりました。読んでみるとこれ、すごい企画で(と、現代詩畑の私は思うのですが、短歌のせかいでは普通なのでしょうか?)見開きで、右ページに若手歌人の新作七首、左ページにベテラン歌人による新作七首への批評が乗っていて、しかもなかなか厳しいことも書かれている。読んでいて、イチ読者ながらハラハラしてしまいました。

 とまれ、なるべく先入観をもたずに読みたかったので、まず右ページの作品を読んで、七首のなかで私がいちばんよかったと思ったものにマルをつけておくことにしました。あとで左ページの先生方の批評を読んでみると、私が七首でいちばん良いと思った歌に限って批判しておられたりして、私に短歌を読むチカラなどもちろん皆無なのですが、でもふだん現代詩を読んでいるときとおなじような感覚で、「一行の詩」として読んでみて、これはおもしろいと思うのだけどなあ、という思いを払拭できなかったりもするのです。その辺りの違和感から、短歌と現代詩の違いみたいなものも見えてこないかな、とかボンヤリ考えつつ、読んでいってみますね。若手十名それぞれ七首ずつですが、一首ずつ私のお気に入りを挙げていきます。雑誌掲載とは逆の順番で挙げていってみますね。

  心臓の裏に根を張り燃えながら咲く花ありて髪飾りとす 立花開

 左ページ、小池光さんの批評には、「心臓の裏という人体最深部にあるものを、体外に取り出して髪飾りにするというところに、いくらイメージとはいえ、無理なところがありはしまいか。そんなところに咲いている花ならば血ダラケになっているはずである」と書いてあって、それはそうなのだろうけれど、私はその強引ともいえるイメージに、おもわずひきこまれてしまいました。ボリス・ヴィアンの小説『うたかたの日々』の、肺のなかに睡蓮の花が咲く病気をわずらったヒロインを思い出したり、それを映画化したミシェル・ゴンドリーの映像を思い出したりして、シュールな映像美を喚起させられるこの歌に、とても魅かれます。

  水仙をわれは嗅ぎ汝(な)は見てゐたるそのまなざしのはつかはづれをり 小原奈実

 恋の歌でしょうか。一方は嗅ぎ、一方は嗅がずに見ているのみという、二人のこのズレに、恋愛の醍醐味も悲劇の萌芽もひそんでいそう……とここまで読んだところで、私、この歌の下句がよくわからないんです。「はつかはづれをり」。これ、どなたかおしえていただけないでしょうか(naha_kanie@yahoo.co.jp もしくはツイッター@naha_kanie)。ともかくもわからないまま、「眼差の発火外れおり」と変換して読んでみたのですが、誤読であろうまま強引に読み進めてしまいますと、水仙の「水」と眼差しの発「火」が二人の恋のままならなさを表しているのかなと思いました。

  夕空は折り畳まれてきみの目に入つて涙にも火にもなる 藪内亮輔

 とすると、これもまた「眼差の発火」でしょうか。「夕空が折り畳まれて」というところに捉まれました。折り畳み傘なら馴染みがあるけれど、空のほうを折り畳んじゃうなんて!

  虹という光の墓をきみと見て息そのままに婚姻なしぬ 大森静佳

この「虹」はセクシャルマイノリティの象徴としての「虹」で、最近話題になっている同性婚についての歌なのかな、とか思いましたが、ちがうかもしれません。いずれにせよ異性婚だろうと同性婚だろうと「結婚は人生の墓場」なのに変わりはないのかもしれませんが、ちがうかもしれません。「結婚は人生の墓場」というフレーズはかつてボードレールの詩が誤訳されてひろまったものだそうですが、「夜は墓場で運動会」とかいう歌もありますし、つまるところ結婚は墓場の運動会なのかもしれませんが、ちがうかもしれません。

  竜胆の花のやいばを手折るとき喪失の音(ね)を聴かむ五指かな 吉田隼人

 何年か前「あじさい革命」とか名づけられた反原発デモが話題になりましたが、吉田さんのこの「あらかじめ喪はれた革命のために」の連作に出てくるのは竜胆。リンドウというと、映画「男はつらいよ」シリーズを愛好している私は第八作「寅次郎恋歌」に出てくる有名な「りんどうの話」を思い浮かべます。紙幅の関係で詳細は割愛しますが、そこでりんどうの花は幸福な家庭の象徴として描かれているのですが、吉田さんのこの歌では竜胆のやいばを手折り、その五指が喪失の音を聴くというのです。

  水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水 服部真里子

 盗聴している耳をじっと傾けている、そのとき傾いだ自分の中を巡るわずかな水の音という、超微音が聴こえてくるのでしょうか。短い中に「わたし」が二回も出てくるのは水仙の学名「ナルキッソス」となにか関係があるのでしょうか。「水仙」と「盗聴」の関係も魅惑的に謎めいていて、暗唱できるほどに何度も読み返してしまいました。

  ずがいこつおもたいひるに内耳に窓にゆきふるさらさらと鳴る 野口あや子

 この歌からも音が聴こえてきますが、微音のはずの雪の音、内耳と窓にふるさらさらという雪の音が「鳴る」と書かれてアンプのように拡大されています。このとき、雪を鳴らしている内耳と並置されている窓もまた自分という身体の一部のように見えます。「ずがいこつおもたいひるに」の音も好きですが、ここでは「ずがいこつ」と「ひる」も、(内耳と窓がひとつになっているのと同様に)おなじひとつづきのもののように見えます。

  ぼくたちが無限にふれたドアノブがもうすぐ撤去されてしまうよ 谷川電話

 無限だったはずのものがほんとうは有限だったことを、わたしたちは、たとえば「撤去」という、外側からの圧力がかかったときにはじめて知るのかもしれません。「使えない孤独」と題された谷川さんの七首は、どれもそこはかとないやるせなさが漂っていて、共感をいざなわれます。

  事務所より着信ありてこの川のしずけさのなか出ろてゆうんか 吉岡太朗

 「風下の耳」と題された吉岡さんの七首は、この歌ではじまって、さいご七首目「対岸に事務所はありて橋ひとつ薄暮に渡んのやっぱりやめる」というオチ(?)で終わり、なにやら職場への不満たらたらなのですが、方言とあいまった、そこはかとないユーモアが心地よく、洒落たショートフィルムを見ているような心持になりました。

  降る雪の空の奥処に廊下あり今宵だれかの足音がゆく 小島なお

 はじめ読んだとき、上句のイメージがあまりにも鮮烈なので、そして私は冒頭に書いたとおりこないだまで俳句ばかり読んでいたので、下句は余計な説明なのではないか、などと思ってしまったのですが、小島さんのこの「扉」と題された七首をぜんぶ読むと、後半、「人質」や「殺されしひと」が出てきて、もういちどこの歌を読みかえすと、ここで描かれる「だれか」は、たとえば「殺されしひと」かもしれないと気づき、胸の締めつけられる思いがしました。

短歌評 橘上

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 僕は短歌を書いていない。何故書いていないかというと答えは簡単である。才能がないからである。才能って言葉が気に食わないならセンス、でもよい。じゃあなんで詩を書いているのかと言われれば答えは簡単である。才能があるからである。才能って言葉が気に食わないんなら運、でもよい。言ってることがよくわからない? 簡単に言おうとした結果、話が分かりにくくなるのはよくあることである。

 では一つ例示をしよう。
 僕が一番最初に書いた短歌は

  クリントン 秘書にセクハラ なお威張る
という中学生の時宿題で書いたものである。
 ちょっと待て。これはそもそも短歌じゃないじゃないか。五七五で終わってるしという声が聞こえてきそうだが、問題はそこではない。重要なのはこのどうしようもない「才能なさそう」な感じである。この作者(仮にこの作者の名前を『橘上』とする)が五七五七七などの短歌のルールを覚え、「未来」「かばん」「早稲田短歌」などの結社に所属した結果短歌史に残る歌人に残ると誰が言えようか? 可能性は無限大などというのはタダだ。タダほど高いものはない。
 ちなみにこの作の後『橘上』は一つも『短歌』をつくっていないのでこの『短歌』が『橘上』の最高傑作ということになる。
 では僕の初めての詩作は何かというと、これはが小学校一年生の時の「いろいろなむしのとびかた」或いは高校二年生の時の「桶狭間―okehazama―」かで意見が分かれているにせよ、どちらも「才能ありそう」感に満ちあふれ前者は先生から「ははぁ」と言われ、後者は同級生に「ややウケ」という高評価だったのである。特に後者は、「詩=ポエム=キモイ」という図式ができあがってる高校生を読者にしての「ややウケ」であり、それは初めて詩作であることも含め、奇跡といっていいほどの偉業である。
 何が言いたいか。つまり人は創作を始める(というか続ける)のは、他者の評価を経由して或いは自発的に「才能ありそう」「やってけそう」感を得たからではないだろうか?
 つまり入門書の類をきっかけとして創作を始める人がどれほどいるのだろうか?現に私は今まで現代詩入門を詠んだことはない。この文章を書くために初めて読んだのだが。

 
 などと考えながら図書館の「詩歌コーナー」に足を運ぶと、穂村弘氏の『短歌ください』(メディアファクトリー)が目に止まる。この本はどういう本なのか、「BOOK」データベースからの内容説明を引用すると

めくるめく言葉のワンダー。読者から寄せられた短歌の数々を、人気歌人が講評する実践的短歌入門。

とある。つまり穂村氏が出したお題に読者が短歌で応え、さらに穂村氏が講評で応えるといったダヴィンチ誌の投稿コーナーを書籍化したもののようだ。

 驚くべきはその短歌のレベルの高さだ。一読しておもしろい。「クリントン 秘書にセクハラ なお威張る」レベルのものが何一つにない。紙面に掲載されているのは入選作品で、あまりにひどいものは掲載されないのは当然だがこの粒ぞろい感は何だ。もしかしたら、穂村氏の短歌に負けてないものもあるんじゃないかと思わせる作品も珍しくない。短歌の門外漢であり、才能がないという理由で短歌をやめた人間が「レベル」などと口にしていいか疑問が残るが。まぁ、一般人にもその良さがわかる短歌がそろっているということで、レベルが高いということにしよう。しかし何故こんなにレベルが高いのだろう。
 書籍版『短歌ください』の冒頭には「テーマ・恋愛(サンプル版)」と題して

 短歌を募集します。短歌は五・七・五・七・七の形式をもつ日本の伝統的な定型詩です。俳句とちがって季語は入れなくて大丈夫。送って戴いた短歌を御紹介しながら、言葉や表現について考えてみたいと思います。初心者歓迎なので是非挑戦してください。といっても、最初は雰囲気が掴めないかもしれないので、実際に短歌は初めてというダヴィンチ編集部の方々にお願いして、「恋愛」のテーマでつくって貰いました。

との説明の後、編集者の短歌とそれについてのコメントが並んでいる。短歌の説明が「短歌は五・七・五・七・七の形式をもつ日本の伝統的な定型詩です。俳句とちがって季語は入れなくて大丈夫。」だけ。多くの短歌入門書が短歌の歴史から入ってるのとは対照的だ。それで次回からは「本番」なので早速短歌を読者から募集するというわけだ。

 簡潔な説明。シンプルなサンプル。選者穂村弘による明確な講評。短歌の歴史についての説明はなし。投稿されたもののレベルの高さと統一感。この簡潔さは読者に「やってけそう」感を与えるのには十分かもしれない。

 この構造は何かに似ている。

 そう。フジテレビの大喜利番組「IPPONグランプリ」及びそれの視聴者投稿版「IPPANグランプリ」だ。
 「IPPONグランプリ」は選ばれた大喜利の精鋭たちが互いの回答を競い合い、出演者自身が採点をするというものだ。出演者自身が採点するというシステムが歌会・句会的ではあるし、出演者も松本含めたスタッフが選んでいるし、選ばれた芸人も「松本人志以後」の世代の芸人だ。そこで出た回答に松本がコメントする(出場者には聞こえていない)。そこでセンスの統一感が表れ、点数を競い合う、採点することを可能にする。
 その「IPPONグランプリ」での芸人の答えが例示となっているわけで、番組視聴者は求めれる作風を理解した上で「IPPANグランプリ」に投稿し、幾つかの回答が番組で紹介される。
 そこでは『短歌ください』で穂村の短歌と遜色ないレベルのものが集まっているのと同様、芸人と比べても引けを取らない回答がそろっている。(さらに「IPPANグランプリ」もサイトは他の回答を採点しないと投稿できないシステムになっているので、批評と実作を兼ね備えた歌会・句会的であると言える。さらには問題まで募集しているのだ)。

 『短歌ください』には前衛短歌的なものは集まらないし、「IPPONグランプリ」には笑点的なものは集まらない。また、番組あるいはホームページを見れば短歌あるいは大喜利の歴史を知らなくても投稿できるところも共通している。「短歌ください」は短歌だが、短歌のサブジャンルともいえる。同様に「IPPONグランプリ」も大喜利だが大喜利のサブジャンルと言える。

 サンプル→実作というプロセスがあること、穂村弘・松本人志といった「企画の顔」的な存在がいることなどが、ある程度の作風の統一性を保ちながらも、個性を発揮し、密度の濃い空間が生まれている由縁だろう。

 しかし『短歌ください』と「IPPONグランプリ」には大きな違いが二つある。

 一つは、穂村は選者であるのに対し、松本はチェアマンであり採点に参加していないこと。それ故穂村の講評は明確なのに対し、松本の感想は「えええと」「うーん」などの曖昧さを残したものになっている。

 二つ目は、「短歌ください」には穂村が「わからん」短歌は載っていないが、「IPPONグランプリ」には松本にも「わからん」出場者が出ていることにあるだろう。
 どちらも会の統一感を出すことを重視しているが、「IPPONグランプリ」には、「もう中学生」のような(恐らく)ストレートに松本的センスの影響を受けていない芸人が度々出演する。
 そこでは「もう中学生」の発する従来の「IPPONグランプリ」の文法と異なる回答に出場者及び審査員が困惑し、会場は爆笑だが、点数は0点といった混乱を巻き起こし、松本も「よくわからん」とコメントすることが度々あった。「IPPONグランプリ」は、統一感を出すという方向とそれを壊す出場者といった矛盾を内包しているのだ。
 
 松本の曖昧さを残した解説と、「IPPONグランプリ」の文法から外れた出場者は、大会に大きな混乱を呼ぶが、同時に「IPPONグランプリ」の価値観を閉鎖的にするのを避ける役割を果たしている。
 『短歌ください』は後半(『短歌ください』2巻)になって、短歌の質(しつこいようだが俺が『短歌の質』などという言葉を使っていいのだろうか?)は下がっていないが、やや食傷気味に感じられることがしばしばあった。


 いずれにせよ明確なサンプルを示すことで、高いレベルの投稿を維持しているのは改めて驚くべきことである。
 
 
 一方で「現代詩手帖」の投稿欄は「既成の枠にとらわれない、真に新鮮な詩人批評家の登場を期待しています」「枚数、篇数の制限は特に設けません」と途方もなく自由で、年交代の選者がいるが、選者が変わると掲載作が一気に変わると言われている。当然、投稿欄の統一感はなく、選者のコメントも穂村のような明確な根拠や簡潔さはない。

 しかし穂村の短歌初心者への説明は何を見ても簡潔だ。
 同じ穂村の『はじめての短歌』(成美堂)を紐解いてみる。ここには穂村の短歌観が初心者向けに、よしとされる短歌とそれの改悪例が載っている。その中にこういうものがある。同書の40~41ページから引用しよう。


 鯛焼きの縁のばりなど面白きもののある世を父は去りたり  高野公彦

 ほっかほっかの鯛焼きなど面白きもののある世を父は去りたり (改悪例1)

 霜降りのレアステーキなど面白きもののある世を父は去りたり (改悪例2)

 お父さんが死んだんだよね。で、そのお父さんの死を悼んでいる歌で、(中略)普通、多くの人が作るのは改悪例1のような歌ですね。(中略)だ  けど、たまにこの改悪例2のような歌を作る人がいる。
 どういう人かというと、昨日まで営業部長をやっていたけど、定年になったから短歌でも作ってみようかなと思って短歌を作り始めたおじさん。昨日までいた世界の価値観に、まだ引っ張られているのね。…(中略)…僕も三者択一の中でこの中から選ぶなら、霜降りのステーキを選ぶけども、(中略)短歌的には、それはぜんぜん違う。
(中略)
 短歌においては、非常に図式化していえば、社会的に価値のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、強いもの、大きいもの。これが全部、NGになる。社会的に価値のないもの、換金できないもの、名前のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いもののほうがいい。
 そのことを、短歌を作る人はみんな経験的によく知っているので、鯛焼きのばりみたいなものを、短歌に詠むわけです。

 分かりやすい。明確な言葉と適切な例えだ。
 しかし、これは「霜降りのレアステーキなどを食べる営業部長をやっていたおじさん」が「普通」あるいは「社会的に力を持っている」からこそ成立したことではないのだろうか。
 平成生まれの若者たちにとってみれば、不況で基本的に金がなく、インターネットがあって当たり前になり、SNSや2ちゃんねる(のまとめサイト)やニコニコ動画のノリが一般的になり、恋人がいようがいまいが「リア充爆発しろ」とモテないアピールをしないとネット上で空気が読めない扱いをされるーそんな価値観が一般的になりつつある。
つまり「よわいこと」「変なこと」が若者にとっての「普通」「社会化」になってきている。

 例えば、マツコ・デラックスや有吉弘行は今やテレビで見ない日がないぐらいのメディアのスターという強者であるが、彼らはことあるごとに「私なんか」「俺ごときが」と自らを弱者の位置から外そうとしない。
 そしてそのマツコ・デラックスや有吉弘行の姿と「世界音痴」の穂村氏の姿がダブって見える。

 「弱ぶる」ことが社会で必要なスキルになってくると、社会的に価値のあるもの、強いもの、大きいものVS社会的に価値のないもの、名前のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いものという構図が描きにくい。
 弱者が強者になり、強者が弱者になる時代。「強者」と指されれば結託した集団「弱者」に引きずり降ろされる。自らを「弱者」として規定し弱者化した「大衆」の指示を得られなければ「強者」にはなれないというパラドックスが潜んでいる。3500万人ぐらいの30代以下の若者は、貧困の危険性とこの世界にやりあえないんじゃないかという不安を抱えつつある。これからの日本は貧しくなる一方…かどうかはわからないが、そんなムードが若者を中心に広まりつつあるとは言えるだろう。「一億総中流」の時代は終わりつつある。これからは「3500万世界音痴」の時代だ。

 穂村の短歌観(ここでは『短歌ください』『はじめての短歌』で見られるもの)が一気に広まったのは、穂村氏の短歌が魅力的かつ説明が簡潔なだけでなく、今が強者と弱者が入れ変わる過渡期の時期だからではないだろうか? 
 不況で経済的な不安を抱えていたり、コミュニュケーションに不安がある「貧しい若者」の感性と穂村短歌が擁護する「社会的に価値のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いもののほうがいい。」という価値観はすこぶる相性がいい。しかし「貧しい若者」の数が人口の過半数を超え、彼らの価値観が主流になった時、穂村短歌観はただの「普通」になるだろう。いずれ「霜降りのレアステーキなどを食べる営業部長をやっていたおじさん」の絶対数が減り、彼らが「弱者」になった時、穂村短歌は何を「弱者」と規定していくのだろう。
 

 穂村は塚本短歌について、塚本邦雄の逝去した2005年に出版された『塚本邦雄の宇宙』(思潮社)にて「『戦後』の終焉」という追悼文を書いている。一部引用する。


 一九八〇年代に大学生だった私は自分が生まれる前に書かれたこれらの歌(引用者注・塚本短歌のこと)に出逢って魅了された。なんて面白い言葉のパズルなんだ。(中略)そんな風に思った私は引用化の「日本脱出したし」「さらば青春」「かつてかく」に込められた切実感を完全に見落としていた。
(中略)
 彼は言葉のモノ化をベースとする高度なレトリックによって「戦争」を撃った。(中略)彼の作品世界の本質には、「戦後」的な喜びと快楽に充ちたレトリックによって「戦後」の流れを撃つ、という二律背反性があったと思う。
(中略)
 塚本邦雄はモチーフと表現の両面から(その二律背反性をも含めて)、まさしく「戦後」を象徴する歌人だと思う。彼の死によって「戦後」は終わった。後に残されたのは「戦前」とも「戦争」とも無関係な、無重力時間としての「戦後後」である。
 今、私たちが目の前で手をひらひらさせると、そこは重力も方角もない世界。武器どころかオモチャとしての言葉さえ溶けてしまうそんな場所で、私たちは、私はどんな歌を作ることができるのだろう。 
  
 穂村の表現を借りて言うなら今は「戦前前」とも言える物騒な世の中だ。戦争がはじまって見なければ今が戦前なんてわからないが、どのタイミングで今が戦前になってもおかしくない。こう書くと「戦争ノイローゼ」と言われてしまいそうだが、10年前よりはるかに物騒な世の中になっているとは言えるだろう。「もはや平和ではない」と歌うロックバンドが現れ、「反日」だの「ネトウヨ」だのが騒がしい世の中ではなかったはずだ、10年前は。そもそも世界を見渡せばずっと「戦中」であり、その「戦中」を無視を決め込んでの「戦後」であり「戦後後」である。しかし法案およびそれの運用次第では「他国は戦争だが日本は戦後後」といった態度はとれなくなるだろう。

 2005年というと、徐々にオタク文化が一般化し、ネットの影響力が増してくる時代だ。オタク=マイノリティー=弱者という等号が、オタク=マジョリティー=自称弱者・実質強者に転換してきたのだ。逆に言うと2005年の段階では、まだオタクは、穂村的短歌観は弱者だったとも言える。穂村氏の言う「無重力時間としての『戦後後』」はむしろ終焉に向かっているのではないか。誰でもネットで発信できることになった反面、少しでも迂闊なことを言うと誰もが炎上する危険性のある「炎上社会」「監視社会」に日本は変わってしまった。
 穂村は所謂オタクではないだろうが、自らを世界音痴と規定し、この社会との違和や馴染めなさを発信していくという点ではオタク的である。
 無論穂村が「炎上社会」を奨励しているとか、物騒な世の中を作ったのは穂村だなどと言うつもりは毛頭ない。「オタクが悪」「ネットを捨てろ」ともいう気もない。
 ただ、穂村的な下から目線が今の時代にあまりにも対応しすぎてしまったのだ。

 穂村的短歌観が一般化したことで、無重力時間としての「戦後後」は終わった。
 もう穂村は弱ぶってはいられない。いや、弱ぶってはいないのだろうが、少なくとも自分の感性が大衆側につきつつあることを自覚せねばならない。いや、それも違う。「世界音痴」の穂村を「強者」の側に規定したって同じ事だ。「強者」「弱者」という二元論を超えるもの作らなければならないのだ。
ではどうやって?
 塚本が、「戦後」的な喜びと快楽に充ちたレトリックによって「戦後」の流れを撃ったように「戦後後」的な無重力時間から生まれたレトリックで「戦前前」の流れを変えるしかない。
 そしてそれは「IPPONグランプリ」の「もう中学生」のように「笑い」と「困惑」を生む二律背反の表現になるはずだ。
 「弱者」の言葉がいつの間にか「強者」の側にねじ曲がる場所で、僕たちは、僕はそんな詩を作るつもりです、穂村さん。

 え、「クリントン 秘書にセクハラ なお威張る」の二の舞じゃないかって?
 いや大丈夫だよ、だって俺才能あるし。この短歌評最後になんか違うものになっちゃったけど。

短歌評 瞬間を実感する 佐峰 存

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 地下深く、りんかい線駅の構内を歩く。駅が“移動”という概念を中心に作られた場であるからかも知れないが、駅にいると瞬間毎に自身が生まれ変わっていくように感じる。“一瞬前の自身”と“この瞬間の自身”を結びつける記憶も、目に入るあらゆるものが時間に支配され機能的な構内では薄まっていくように思える。

《歩きつつ意識ほのかに眼底にみずひき咲ける階段くだる》
(内山晶太「pool」vol.8、2014年)


 身体は次の予定に向かっているが、「意識」は分離されたように漂っている。「ほのか」でありつつ実はとても明瞭で、身体と意識自体、そして外の世界の“ずれ”をじっと見つめている。「眼底」は地底と意識の底が融合した、語り手の視野に広がる“境地”だ。「みず」の表面に花が咲いている。「ひき咲ける」という表現を以て“ひき裂ける”と“咲ける”という言葉が境目なく縫合されている。少々痛々しくも、潔く“捨て切ったような”美の中に、生も死も一緒くたに放り込まれる。しかし、依然足は動いたままだ。繰り返される「階段」の硬さを感じ取りながら、次の瞬間に向かって「くだ」り続ける。
 階段を下ると幾何学的な床の模様と共に視界がひらける。線路が水脈のように傾いている。一帯を覆う暗さの直中で足音のみが痕跡を残す。等間隔で照明が壁を走り、遠くで自動販売機が光っている。

《薄闇にちらばっているLEDライトの計算された郷愁》
(東郷真波「一角」、2013年)


 不安を感じさせる闇の中で人工物が安堵をもたらす。「郷愁」という意識の深みから来る感情が、意識を持たずただただ光る装置によって呼び起こされる。「LEDライト」は、その光り方から配置まで、作り手の行き渡った配慮のもとで世に現れた。その姿に語り手が郷愁を覚えても何ら不思議ではない。しかし、語り手は同時に“違和感”も感じている。姿の見えない“誰か”の「計算」のもと、スイッチのようにオン・オフされ続ける感情。“感情”とはそのようなものであっただろうか。

《自販機の体のなかの見本品(サンプル)が倒れたままのジュースを選ぶ》
(谷川電話「角川短歌」12月号、2014年、角川学芸出版)


 私達の意識も身体も装置のようなものかも知れない。語り手は「自販機の体」という言葉で自販機を擬人化し、自身を重ね合わせている。自販機は支障のない程度に稼働はしているものの、丁重には扱われていない。何かが当たったのか、地面が揺れたのか、それとも自然に力が抜けたのか、傾く「見本品」は折れた心のようだ。しかし、語り手はその「ジュース」を選ぶ。見本品が「倒れ」ているから(共感し)選んだ、というよりも、見本品が倒れていようと出てくる缶の中の果汁には“何ら変わりがない”から選んだのだ。そう読ませる勢いがこの歌には感じられた。より本質的なもの―“果汁”―を見据える姿勢が、歌の背骨を成している。
 自販機と身体を何の疑問も感じずに対比出来てしまうこと。ながらくヒトの身体は社会の仕組みや技術と共存してきたのであって、これからも当初は思いもしなかった社会制度や技術革新に合わせながら生きていくのだろう。情報通信技術が生活の姿かたちを変えてしまった現代、身体の位置付けも変わってきている。

《鉛筆を舐めつつ励みし学童の日々はや朝よりPCに滅入る》
(島田修三「角川短歌」12月号、2014年、角川学芸出版)


 素朴な情景で微笑ましくもある歌だが、読み手である私自身の日々の生活における戸惑いをも言い表しているように感じた。技術が進展し生活が便利になることは肯定すべきことかも知れないが、目を凝らしてみると様々な不安も浮かび上がってくる。語り手は「学童の日々」から今日までの時間を「はや」く感じた。この“速度”は、世界が語り手と擦れる速度だ。生活をする上で今や誰しもが使わざるを得ない「PC」に対し「滅入る」という強い表現が使われている。語り手は文字通り、「滅」に「入」っている。この歌を読み、いつまで経っても世界と“私”というものは根本的には溶け込まないのだと感じた。そして、周知の通り、そのPCも今や随分と古くなりつつある。
 目まぐるさ。意識が追い付く頃には身体も世界も姿を変えてしまっている。焦点が合わない。そんな心持ちの時は、直接的に“意識”を見つめた歌を読みたくなる。

《雨沁みて重たいつばさ 感情は尖(さき)がもっとも滅びやすくて》
(大森静佳「一角」、2013年)

《目に見える疲れはやがてとどこほり桜の幹に膨るる木瘤》
(種市友紀子「pool」vol.8、2014年)


 大森氏の歌で語り手は「つばさ」を伸ばす。自由の風を昇ろうとした矢先、「雨」によって計画は中断する。雨は羽根の隙間を埋め、翼を空気に乗れなくしてしまう。感情が備えていた、硬度のある「尖」は砕ける。風に対する切れ味と共に、感情そのものが鈍った様子が伝わってくる。この歌は隅々まで“現代的”だと思う。語り手は自身の感情とその「滅び」に、一種の冷徹さと共に向かい合っている。人の心なるものが分析されるようになって久しいが、主観と客観の境界を探る姿に、この歌の鋭さを感じた。
 種市氏の歌も感情そのものの在り方を見つめている。「目に見える疲れ」が登場する時点で“目に見えない疲れ”も影のように現れる。目に見えない疲れの方が深刻だ。自身の外にあったものが自身の内に入り、自身と一体となる。すると脱力が起きる。疲れという根源的な感覚。意識の裏側まで深く沈み込んでいった自身の疲れによって、自身の世界に対する感度が増す。「木瘤」が語り手の疲れを体現するように、外側から語り手に飛び込んでくる。語り手は自身の無意識を目撃する。

《大和なる山川草木はぐくみし雨なり街を滅ぼすなかれ》
(秋元千惠子「角川短歌」12月号、2014年、角川学芸出版)

《みずいろの蛍光ペンで新聞のさんずいの字を塗る雨の朝》
(中家菜津子『うずく、まる』、2015年、書肆侃侃房)


 同様の“疲れ”は秋元氏の歌にも見られるのではないだろうか。「雨」が一斉に降ってくる。日本の豊かな自然と歌を育ててきた雨も、もはや信じ切ることは出来ない。柔らかな雨が堅牢な「街」を壊し得る世界に私達は住んでいる。どのような街も最終的には滅ぶか撤去されてしまうのではないか―そんな不安だ。空から降ってきたら防ぎようのない様々なものが既に世に存在している。「山川草木」と繋がった人間の身体は薄々と感付いている。
 中家氏の歌の「みずいろ」は人間の目に映った水の色だ。その色で語り手は新聞の紙面を“水浸し”にしていく。「さんずいの字」は社会の動向を伝える新聞記事のあらゆる箇所に根を張っている。改めて水から生まれた文字の多さを認識する。それらの文字の多くは穏やかな、生命に満ちた文字だ。水は、そして「雨」は様々な事物と交わりながら、自然と人の世の双方を組み立てていく。いつまでもこうした雨であって欲しい。

《息しづか拍動しづか尋常をたまはるひと日ひと日の落葉》
(小谷陽子「角川短歌」12月号、2014年、角川学芸出版)


 動きの激しい時代に生きていくこと。小谷氏の歌の中心にある「尋常をたまはる」という言葉に気付かされる。そうだ、決して“尋常”な世界ではないのだ。「息」と「拍動」の静けさを“点検”する語り手の口調からは緊張感が感じられる。「葉」が「落」ちていくように、生活からも時間と共に多くが失われていく。短歌の限りある“時間”(文字数)の中で、「ひと日ひと日」(一語一語)を、刹那の瞬間を、丁寧に生きていこうとする意志が見て取れる。

《紋の濃き蝶が羽ばたくしずけさにふたつの耳は澄みゆく真昼》
(二又千文「pool」vol.8、2014年)


 「紋の濃き」という表現から、引き締まった「蝶」の姿が浮かび上がってくる。華奢な手触り。「羽ばたくしずけさ」は、蝶の芯に宿る呼吸を感じさせる。鼓動のように反復する羽根が「ふたつの耳」の形へと変容する。読み手として、私は耳の直中に入っていく。「澄みゆく真昼」は心地よく、いつまでも聴いていたい無音だ。歌を介すことで、よりはっきりと、私自身の瞬間を実感する。

短歌評 歌と句の間に 依光陽子

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 短歌と聞いただけで思わずごめんなさいと謝ってしまうほど短歌は苦手である。
 万葉集以降の分厚い歴史がドミノ倒し的に迫ってきて逃げ出したくなる。実際に作品を読もうとすると、鉄棒に人が並んでぶら下がっている風に見えてきて思考が停止する。短歌の言葉の湿度の高さは熱帯雨林を彷徨っている心持ちになってくる。何首も続けて読んでいると誰かに個人的な話を長時間聞かされているようで適当に相槌を打っているような読み方になってくる。俳句が水に落とす一滴のインクだとすると、短歌は香りにつられてうっかり手繰ろうとしようものならずるずると葉やら実やらがついてきて収拾がつかなくなる葛の花のような印象。七七が多いだけなのにどうしてこんなに長く感じてしまうのだろう。体質的に受け容れ難いのだ。

 しかし私はほとんど短歌を知らない。だからこれはと入れ込んでしまうような短歌に未だ出会っていないだけなのかもしれない。そう考えて、とりあえず短歌も作る俳句の友人に訊ねてみた。条件は恋愛モノでない事、前衛的で言葉が乾いている事、類想的でない事。
 例えば、と挙げてみたのが俳人の山田露結氏がこの短歌評で挙げていた笹井宏之の次の歌だ。

    内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす   笹井宏之
 
 この歌なら好きだ、と思ったのは「内臓のひとつが桃である」という部分から、私淑する永田耕衣の句が次々と浮かんできたからかもしれない。

    白桃の肌に入口無く死ねり    永田耕衣
    白桃身嘴のごときを秘めている
    白桃を見て白桃の居泣くなり
    見る人を海となすらん老白桃
    大白桃一休をまだ滴れり
    白桃や或る影を出で難く行く
    白桃をまた白桃と言う勿れ

 友人は笹井宏之の略歴やその周辺の人たちのことを教えてくれた後、こう言った。
「桃っていえばエロスでしょ。エロスの喩」。
 え? エロス・ノ・ユ? あ、湯じゃなくて喩か。
「この歌は私も好き。でも、かなしみ、というのがイマイチだね」
 これは私も薄々感じていたことだった。エロスとは思わないが〝喩〟に偏っているということか。俳句だったら自由律的に「内臓のひとつが桃であつた」と言い切ってしまえば逆に沈黙が拡散し、読み手がその「かなしみ」を暗黙裡に読み取る。「ことのかなしみ抱いて一夜を明かす」から寄せて来る感情の漣で、読む毎にだんだんに湿り気をおびてくる言葉のウェット感が性に合わなくなりつつあったのだ。先に挙げた耕衣の<大白桃一休をまだ滴れり>は一休にエロスの要素はあるが、桃を喩とまでは言い切れない。喩に見える書きぶりだが、同時に桃の実在感が強くある。
「なるほど。じゃ、これは?」

    こん、という正しい音を響かせてあなたは笹の舟から降りる   笹井宏之

「これは二人で笹の舟に乗っていて、一人が先に降りたんだね。この笹の舟も実際の舟の喩でしょうね。でもこの〝正しい音〟っていうのがわからない。ここがこの歌の核になる言葉だと思うんだけど…。多分〝正しい音〟っていうフレーズが耳から入ってきて、それを歌に使ったんじゃないかな。そこが作品としては完成していない。」
 私は、この歌はイメージだが笹の舟は喩ではなく笹の舟そのもので、流れに留まっている様が見える。作る時、指を切るほどの笹で出来た舟。当然笹の舟に実際の人間が乗れるはずはないが、そこはイメージなのだから大きさの比率が合わないことは気にならない。この歌からは「こん」という音がクリアに聴こえて、しかもリアルだ。そして笹の舟が流れてゆく先が黄泉のような、どこか永遠性を感じる。「あなた」は生者か死者かわからない。だが二人で乗っているのではなくて、乗っていたのは一人で、作者はその一部始終を見ている。全体的に白い霧の中のようなビジョン。と反論したものの、確かに「正しい音」はどう捉えるか消化しきれていなかった。自分が乗っていたと捉えるか、傍観者だったと捉えるかは、単に解釈の違いを超えて短歌と俳句の、読み、ひいては詠みの立ち位置の違いを感じた。
「そうね。彼岸と此岸かもしれない。どっちが生か死かわからないけど、一人が降りたんだね」
 あくまで乗っていたのは二人、と譲らない友人と、じゃあそれって、『銀河鉄道の夜』の短歌バージョン? と、笑い合ったのだが、なんだか途端につまらなくなってしまった。

 そもそも作品は現実に照らして、意味に置き換えなければならないのだろうか。
 句会の選評や雑誌の鼎談などでも、理に適っていないものは排斥される傾向が強い。実際にあったとかなかったとか、本当だとか嘘だとか、言葉が自然だとか無理だとか、わかるとかわからないとか。言葉で作られた作品が仮に抽象であったのなら、抽象のまま受け止めてはいけないのだろうか。非存在は非存在として受け入れればいいのではないか。「切れ」や「間」といった沈黙を内包する俳句を書く人においても、その傾向は顕著だ。

 もちろん優れた解釈が作品を一層作品を輝かせる、ということはあるし、特に俳句などは読み手あってこその作品である。言葉を的確に用い、正しく理解することは基本的には重要だ。ただ、すべて意味に転化しきれてしまうような作品はつまらないと思う。言葉では説明できない部分にこそ凄さがある。抽象の具体化と同時に具体の抽象化が成されているような作品に。

 先日、デレク・ジャーマン監督の『BLUE』という映画を観た。1993年に作られたこの作品、映像は青一色のみが投影され、生活音と音楽のサウンド・コラージュ、そして散文と詩の朗読が流れる。観る者は視覚からの情報がないまま、美しいブルーを目に湛えながら耳から入ってくる音と言葉(字幕の文字)で想像力を働かせる。

    イメージのカオスで君に"普遍の青(ユニバーサル・ブルー)"を捧げよう
    ブルーは魂へと至る開かれたドア
    目に見える像を結んだ無限の可能性
映画『BLUE』より

 この映画はイヴ・クラインへのオマージュだと言われている。イヴ・クラインは物質・非物質の在り方を探求し、物質を伴わずに広がる空の色・青に執着した現代アートの作家。彼は魂が物質世界に縛られない空虚な状態において「物質の非物質化」「非物質の物質化」を見せようとする作品を発表した。
 イメージのカオスを言葉で具体化、物質化させてゆくことは、短詩型の作品を詠むという行為に通じるだろう。ただ、短歌は〝わたくし〟に近く、また述べきることが出来る長さがある分、具体からカオスへ向かうベクトルの方が弱くなるのかもしれない。さらに言えば、カオスをカオスのまま昇華させることは短歌的ではないのかも知れない。

    肩の辺に青い昆虫が来てとまるやさしい季節もいつてしまふ   齋藤史
    あをい眼窩に透明な水たたへられちかちかと食む魚棲みけにけり   

 具象と抽象、物質と非物質などと考えながら諸々な作品に当っていたら、偶然、青を見つけた。美しい青、まるでクライン・ブルーだ。昆虫は物質でありながら青と限定されたことで抽象に寄り、やさしい季節は擬人化されて物質化する。あをい眼窩にはいるはずのない魚がいて、「ちかちか」という擬音によって実存に近い錯覚を覚える。

    草の実のこぼれる時に音がするお寺ではもう鐘が鳴つてゐる   齋藤史
    水に沈めるものみななべて抜殻の ホース 洩瓶 ビニール手袋 
    空の風船の影を掌の上にのせながら走り行きつつ行方も知らぬ

 草の実のこぼれる音と鐘の音、二つの音の並列だけで大小の物質と距離・時間という非物質を融合した作品。明確すぎる事象が描かれているだけなのに、じっくり読めば読むほど迷路に嵌りそうになる。水に沈んだホース、洩瓶、ビニール手袋は本来の用途を失って、すべて等しく抜殻の物体。虚だ。空の風船の影を掌にのせながら行方もわからなくなった人は、実存した過去が消去され、存在から非存在に変えられてしまっている。

    あいだじゅう ひと の からっぽ おもいま、した わたし にぽん ご さい ご おはよう   斉藤斎藤

 ひらがなの連なりと不規則な空白=虚(うろ)は、カタコトの単語という枠さえ外され、パラパラの炒飯のように散らばっている。日本での最後、日本語の最後に発せられた言葉が一日のはじまりの挨拶である「おはよう」であったことの皮肉、可笑しみ。この人物の目に映ったいろいろな人も、読み手の目に映るこの人物もからっぽで、しかし空虚さの後ろにある泣き笑いのような感情の歪みは澱のように溜まって物質化している。私はこの人物を知らない。だが思い当たる人たちがいた。

    冬空のたったひとりの理解者として雨傘をたたむ老人   笹井宏之

 この「老人」も同じ。虚でありながら実。私には雨傘をたたむ姿がくっきりと見える。かつてどこかで会ったことがある人。あれはもしかしたら、青一色の世界を見た荘周じゃないか。

    からだじゅうすきまだらけのひとなので風の鳴るのがとてもたのしい   笹井宏之

 非存在性を打ち出しながら、同時に存在性を押し出しているような歌。「ひと」と言いながらも「ひと」は輪郭と感情でしかなくなっているところに共感して、一読覚えてしまった歌だ。対象に入り込んで、対象と同化しながら俳句を書く癖がついているからだろうか。俳句はやはりモノで短歌はヒトなのかなぁと漠然と思った。

「じゃあ、この歌はどう思う?」
と友人に「からだじゅう」の歌についても訊いてみた。
「細胞と細胞の間には隙間があるって言うでしょ。そこを風が通って…」という言葉を遮って、「もう、どうして理詰めで解釈しようとするのかなぁ。まるごと受けとめればいいのに。この感覚わかるんだよね。野原に立てば野原と同化するし、海で泳げば海に溶ける感覚。実際には物体としての自分は残っているのだけれど、完全に自分は無くて、からっぽの自分を風が通って行く。その時もし風が鳴ったら絶対楽しい。短歌の作品としてどうなのかよくわからないけど、この歌を口ずさむとからっぽな自分を肯定されたようで救われる。とにかくごちゃごちゃ考えずに、いいなと思った。それって重要じゃない?」と息巻く私に友人は呵々と笑って言った。
「結局、幾通りにでも解釈できるのがいい歌なんですよ。」

 細胞と細胞の間に風が通るというのも、物体が極限まで分裂したら非物質と言えなくもなく、それも悪くないな、とあれこれ頭を巡らせながら、つまるところ私は、短歌においても俳句と同様、抽象の具体化と同時に具体の抽象化が成されているような作品を好むのだということだけははっきりしたのだった。同時に、俳句において極上の俳句を読みたいと常に願いながら読みを重ねている人間として、いつか心底揺さぶられる短歌にも出会うことができたら、と思うのだった。


    小鳥が枯枝にとまつてゐる
    自分がとまつてゐるのだ

    見れば 見えるものは 皆自分である

    聞けば 音はみな自分である
高橋新吉『自分』

※筆者の希望により、短歌の引用は赤字、他の引用は青字とさせていただきました。

短歌評 マイ天文学的ヒットパレード カニエ・ナハ

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 一日に、全国で一体何首の短歌がつくられているのでしょうか?おそらく土日祝日のほうがその数は増えるのではないかと思いますが、千首?一万首?……いまグーグルで「短歌人口」と入力して検索してみたら、「五十万人」と出てきたので、あまり深追いすることはせず、だいたいそれくらいと目しておくことにして、一日に、その中の十人に一人が一首つくったとして、五万首。一日に五万首も生まれる(かもしれない)短歌の中のたった何首かせいぜい何十首かを、あれやこれやのプロセスを経て、たまたま私が拝読する、というのは、なんだかものすごいことかもしれなくて、めまいを通りこして吐き気すらもよおしそうなのだけど、ともかく、そんな天文学的な確率を経て、なにかしらのご縁があって、この1、2か月の間に私の手もとにやってきた短歌の載っている冊子四冊、『新鋭短歌シリーズ 文学フリマ参加記念冊子』、『あるところに、vol.5』、『福岡歌会(仮)アンソロジー Ⅲ』、『PIED PIPER』に寄せられている短歌から、一人の作者につき一首ずつ(きほん。もしかしたら複数)、私が良いと思ったものをとりあげてみますね。天文学的な確率に思いをはせつつ。まずは『新鋭短歌シリーズ 文学フリマ参加記念冊子』から。

  この夜はひどくにごったたましいで一人ユッカの隣に眠る 天童なお

 天童さんの七首は、ほかにも「額なでる西日に花のゆらぎありわっと詫びたき半生のこと」とか「樹のように黙りこくって半身にすんすんと白湯ゆき渡らせり」とか、植物を近しく感じているような気配があり、市川春子さんの漫画に出てくるみたいな、植物と一体化していくような身体性を感じました。人間は植物にこがれる動物なのかも。

  産まれたというより落ちた子の皮膚はむらさき 命のおわりのような 田中ましろ

 田中さんの「波と意思」と題された十三首は出産とその前後を描かれた連作のようですが、「強くいのちを思えば朝は美しくいのちまみれの街へ踏みだす」などの、こういった時期ならではと思わせる生命力への感応の歌も好ましいですが、先の歌や「関係者以外立ち入り禁止という通路の先で人は産まれる」といった歌に、人が生まれるときの、明るさだけでない、暗さのほうも突きつけられて、どきりとしました。

  祖父も祖母も父も母もいない妹はもちろんいないわたしの新居 嶋田さくらこ

 嶋田さんの「山の子」と題された十三首は、いまの歌や「山のない町は平たく大きくて声がどこにも届いてゆかない」などに見られるように、「山の子」が大人になって「山のない町」で生きる生きにくさが描かれている感じでせつないですが、同時に山の記憶、幼少期の記憶が、深いところで熱源となって、たとえ山のないところでも生きていけるのだ、といった強さも感じました。

  山羊足の風船売りに手をひかれ昼の国では影絵のわたし 藤本玲未

 藤本さんの七首は「ビスケット島」と題されていて、棹尾をかざる一首が「ポケットに海の代わりがあるらしい 集まれあつまれおやつにしよう」とあり、まど・みちおさんの歌(ポケットのなかにはビスケットが……というやつ)を踏襲されているのだと思うけれど、ほかにも「歪みとは何 健全な島にいて それは病と指さされ 何」という歌もあり、「健全な島」あるいは「ビスケット島」は叩けば脆く崩れてしまいそうな、私たちの島のことかもしれません。

  ズッキーニたっぷり入れたラタトゥイユ煮込むあしたはたぶん死なない 田丸まひる

 田丸さんの「last love letter」と題された連作、「短銃をいくつか日々に忍ばせてどうして息の根を止めなかったんだろう、きみの」とか、なかなか穏やかでなく、田丸さんの歌のなかでは「ズッキーニ」「シリカゲル」「リーバイス」というカタカナが、短銃のなかの銃弾のように、なにやら不穏な響きをたたえて耳に残ります。

  ペリカンの飛来地にある木の橋にペリカンでない君を待ちおり 中畑智江

 連作のタイトルにもなっているように「ペリカンではない君」なので、いくら待っても来てはくれないのかもしれません。ほかに「あの頃となってしまって輝きを増してしまった君の残像」「ああ君と行き違えるはわがひとり月のひかりを浴びしゆえかも」とあるので、やっぱり来ないのかも。うーん、せつないですね。

  風船のひもが手のひらすりぬけるその感覚が圧倒的で 浅羽佐和子

 この歌を読んで、色の赤い風船を思い浮かべるひとは多いのではないかと思うんですけど、昨年みた美術家フィオナ・タンの映像作品でも、赤い風船がモチーフになっていて、それは彼女が幼少期に見た映画『赤い風船』の記憶につながっているそうです。おなじ映画をもとにして日本の絵本作家のいわさきちひろさんも絵本にしているんですね。小津安二郎監督の『麦秋』にも、風船がひとつ、中空へ消えていくシーンがあって、白黒映画なのであの風船は何色かわからないですが、あれはおそらく戦死した息子を象徴していて、風船って、その手から離れたとき、どこかにんげんのたましいのようなものをひとに連想させるのかもしれません。

  その夢に怒りをなだめる猫がゐた京王帝都「火薬庫前駅」 大西久美子

 え、そんな駅あるの?と思って調べてみたら、あって、しかも私の家の最寄駅から一本でいける駅で、ちゃんと急行もとまるんですね。しかも、となりはダイダラ坊駅なんだ。

  歩合制バイトのひとが今日もまた郵便受けに入れてくチラシ 法橋ひらく

 法橋さんの「春」と題された連作、「アンニュイは春の季語かもしれないね染谷将太が老けていっても」という歌も素敵ですが、このチラシの一首もまたアンニュイで、「歩合制バイトのひと」もまた(染谷将太と変わらず)いずれ老けていくことを思うと、さらにもさらにもアンニュイ。

  月蝕に悲鳴をあげるレコードの針であなたを傷つけたかった 中家菜津子

 内田百原作、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』みたいな怖さがありますね(サラサーテのレコードに紛れ込んだ謎の声……)。レコード>カセットテープ>CD>i-Podとどんどん怖さ(神秘性、といいかえてもよいですが、)を喪失していく感じで寂しい限りです。

  いつまでもエッシャーの絵のかいだんをおりてくみたいにネクラな彼女 堀田季何

 この「彼女」は、いつまでもエッシャーの絵のかいだんをのぼってくみたいなひとといっしょになるとうまくいくんじゃないでしょうか。

  フイルムをたまに買ってた写真屋の跡地のモデルルームの跡地 岡野大嗣

 森山直太朗の「どこもかしこも駐車場」という歌を思い出しました。「百年経ったら世界中たぶんほとんど駐車場」と歌われます。せつないですね。岡野さんの「カフェで観るライブのときに厨房で食器のこすれあう音がすき」もすきです。ビル・エヴァンズの「ワルツ・フォー・デビー」に食器のこすれあう音が入ってなかったら、あんな名盤になってないと思います。たぶん。そのカフェもやがては「跡地」に、あるいは駐車場になってしまうのでしょうか。
 つづいて『あるところに、vol.5』から、

  つい多く含んでしまうアクエリアスこれはひと泣きぶんのひと口 たえなかすず

 これ、アクエリアスじゃなくてポカリスエットだとどうなるかな、と思ってポカリスエットに置き替えてよんでみると、なんかちがうんですよね。広告みたいになっちゃう。アクエリアスは「みずがめ座」とのことなので、それでどこか遠く神話と接続される感じがあるのかも。遠い神話の時代から、私たちはこのからだにかわらずに水を運んできたのですよね。

  赦されて生まれてきたね 車窓から見えない場所にコスモスが咲く 空木アヅ

 とすると、空木さんのこの歌も「コスモス」の一語で、神話的、宇宙的なひろがりを感じさせます。「赦されて生まれてきたね」……とても優しい歌と思います。

  養殖の光を受けて伸び伸びと日本語だけで短歌を詠むよ しろいろ

 しろいろさんの「HAPPY BIRTHDAY」と題された連作は、ほかにも「除染した区域の薔薇も薔薇だからぼくらは何を殴ればいいの」「ぼくだけのあかるい国であの日以来ゴミから象牙をくみたてている」など、私たちのいまいる世界、現状にたいする怒りや焦燥感のようなものが、ひりひりと伝わってきます。

  「あたたかくなったら、花見」拭い取る床にこぼして乾かない水 佐藤真夏

 だから、ほおっておいても乾きはしない、こぼした水(こぼしたのは自分かもしれないし他の誰かかもしれない)を拭い取ってゆかなければならないのでしょう私たちは、たとえば「あたたかくなったら、花見」とか、とおく夢みるようにつぶやきながら。
 つづいて『福岡歌会(仮)アンソロジーⅢ』から、

  汝には成れずついには一人立つ 我は汝にあらず想うのみ 岸田信一

 「汝には成れず」「我は汝にあらず」と、当たり前といえば当たり前のことが書かれているのですが、あるいはそれゆえに、ぐっと迫ってくるものがあります。

  飲ませたね 喉を過ぎたら甘くなるミルクに目薬入れて寝たふり 桜葉明美

 これ、オマジナイか何かでしょうか?「飲ませたね」が怖くて、どきっとしました。

  天国の待合室で……から始まる、心理テストを聞く、夢、うつつ Seia

 是枝監督の『ワンダフルライフ』みたいな話かと思ったら、心理テストでした。つづきが気になってあれこれ想像しているうちに、私がこの歌にテストされてる気がしてきました。

  人混みに流されていく苦しみを叫んだ(部屋を出たこともなく) 水本まや

 水本さんのプロフィールを見ると「お布団在住。たい焼きのバリになりたい。」とあり、「およげたいやきくん」から四十年経って、われわれはもはや「たい焼き」本体ではなく「バリ」のほうに同一化するしかないところまできてしまったのであります……ああ。ところで、神田神保町に「バリ」がでかくて有名なたいやき屋さんがあって、なかなかおいしいのだけど、近所で知り合いだったら差し入れしてあげたいところなのですが。

  葉桜の真下で揺れるカマキリの刃(やいば)に惹かれおずおずと指 麦野結香

 からはじまる麦野さんの「初夏の蟷螂」四首はどれもカマキリについて書かれていて、はじめ「おずおずと指」を差し出していたのですが、三首目には「はつなつの風も分からずビルの中斧を隠して今を戦う」と、いつのまにか詠み手自身がカマキリになってしまっている感じで、頑張れカマキリ、と応援したくなりました。

  噴き出してくるものに名を生きものの音楽がある夏の始まり 生田亜々子

 音楽というものの始原にまで思いを馳せるようなスケールの大きさ、ゆたかな生命感を感じます。

  ふるさとを離れなければ「ふるさと」と呼べぬ気がして雨のなかゐる 漆原涼

 漆原さんのプロフィールを見ると、「福岡生まれ、福岡育ち。プルーストの忌日に生まれました。この街の海と音楽がとても好きです。」とあります。詩人の西脇順三郎はプルーストの『失われた時を求めて』に対抗して『失われた時』という詩集を出していて、何千行にもおよぶ大長篇詩ですが、それはふるさとのほうへと、生まれた川へとさかのぼっていくような詩集です。西脇は実際には亡くなるひと月ほど前に、ふるさとに帰郷しました。

  雨ちかき風にふくらむカーテンのよう縦書きで書かれたる詩は 白水麻衣

 とすると、横書きで書かれたる詩はなにのようでしょうか?……とか考えてしまいます。雨ざらしでズブ濡れの座布団……とか?(まさか。)

  あああ恋もできずに終わる一日の笑っていいとも増刊号よ 竹中優子

 「笑っていいとも増刊号」ももう終わってしまったので、ますます、やるせないです。あああ、です。私は「笑っていいとも」が終わって以来、ほとんど笑ってないです。

  宝くじ売る人が出る小窓から今日は獏がどんどん出てくる 夏野雨

  いっしゅん考えて、あ、夢を食べちゃったのね、と思ったけれど、もしかしたらそうじゃなくて、獏は詩人の山之口獏(の幽霊)のことで、なにせ彼はとてもお金に苦労したそうなので……、だったら怖いですよね。夏野さんの「バースデーケーキに順繰り立ててゆくいつか吹消すためのロウソク」も、ロウソクに命のさみしさが感じられて好きです。

  祖父の椅子が定位置になった老猫の鳴き声 テレビの音量を上げる 平地智

 耳がとおくなった老猫さんが「聴こえんのう……」と言ったので、音量を上げてあげたのでしょうか。お祖父さまと老猫さんへの愛情が感じられてほっこりしました。

  いろはすを捻り潰して「えいえん」はたぶん人魚の継ぎ目のにおい 南葦太

 たぶんみなさんそうだと思うけど、人魚の継ぎ目のにおいのことなんて考えたことないですよね。こんなこと書かれたら気になっちゃうじゃないですか。でも人魚になんてなかなかお目にかかれないし。あ、ディズニーシーにたしか一匹(一人?)居たけど、容易には嗅がせてくれなさそうだし。入園料も上がったし。

  この風が直(ぢき)にぬるんで夏が来るいやだなあ墓はもうないんだし 山下翔

 たしかに、私のお墓の前で泣かないで、とかいう歌も流行りましたけど、ないとないで、いやだなあ、ですよね。

  諦めてこなければ君は生きてなどいられなかった 地球儀にひび 吉村桃香

 たぶん、それが生きのびるということであり大人になるということなんですよね。ひびだらけの地球儀。

  手をはなす 貴方はベストアルバムの真ん中らへんに入れておきます ろくもじ

 これって光栄なことなんですよね、きっと……というのは、私はそもそも「ベストアルバム」ってものが好きじゃなくて。シングル盤の3曲目とかのほうが居心地よさそうです。

  木蓮に水がめぐれば二番目の妻であることうすまってゆき 鯨井可菜子
 
宮澤賢治的というか、思想や感覚が、樹木などの自然とつながって、呼応していく感じが、すっと腑に落ちる、とてもうつくしい詩と思います。

  新鋭詩集もはや呼ばれず引き出しの奥の小箱のヘッドロココよ 黒瀬珂瀾

 たしかに黒瀬さん、ヘッドロココっぽい感じがします(イメージ、ですが)。スーパーゼウスでも魔肖ネロでもないですものね。
 さいごに『PIED PIPER』から、

  受難せしイエスのかばね眠るとふ千本桜の花霞はも 桜井夕也

 梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」とか書きましたが、ここではその屍体がイエスのものだという、しかも千本もある桜のどれかだというので、これじゃもう、おちおちお花見などしていられないじゃないですか。突然むくりと復活するかもしれないし。

  禿頭の男にぢつと指さされをり 新宿駅十五番線 主水透

 これまた、かなり怖いです。なんなんですか、この男は。こんなの読んだら十五番線近寄れないじゃないですか。これこそ、「山手線事件」じゃないですか。

  ハロー天使、ハロー原宿、新しく仲間になった椅子を祝おう 山修平

 そんなわけでとっとと十四番線から山手線にのって原宿へ。よかった。この歌は怖くないですね。天使だものね。いや、まてよ、この椅子、江戸川乱歩の人間椅子みたいな椅子じゃないですよね? さっきから怖いのがつづいてるから、びくびくなのです。(というか、ほんとは、みなさまの短歌に好き勝手なコメントを書いてしまって、あとでどなたかに叱られやしないかと、びくびくなのです。)

短歌時評 第115回 大松達知歌集『ゆりかごのうた』から、短歌結社について考える。 齋藤芳生

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  <ゆりかごのうた>をうたへばよく眠る白秋系の歌人のむすめ p121
大松達知『ゆりかごのうた』
 
 この一首の作者である大松達知本人に、そのような意図はなかったのかもしれない。しかし、短歌結社の存在の是非について、これほど明確にひとつの答えを提示している一首はないのではないか、と思う。
 自らが短歌という短詩系文学を心から愛している「歌人」の一人であること。「白秋系」の短歌結社である「コスモス」の一員であること。「コスモス」という結社を支えてきた、多くの歌人たちのこと。彼らと共にさかのぼることのできる時間の長さと、その時間の中で培われてきた文学の豊かさについて――。
 この一首は北原白秋の「<ゆりかごのうた>」という子守歌にのせて、それらのすべてを肯定している。そして、幼い我が子にもそれらを伝えたい、という、やわらかな、しかし明確な意思がある。今は両親の歌う「<ゆりかごのうた>」を聴きながらすやすやと眠っている「むすめ」がもう少し大きくなったら、きっと作者は楽しそうに、嬉しそうに、折に触れては話して聞かせるだろう。お父さんが好きな短歌とは何なのか。なぜ、お父さんは短歌が好きなのか。お父さんは、どんな歌を作っているのか。お父さんが所属する「コスモス」という短歌結社は、どのような場所なのか。そこには、どんな人たちがいて、どんな歌をつくっているのか。
 もちろんそれは、「だから娘であるおまえもあとを継いで歌人になれ」とか、「短歌をやるなら結社に、それも『コスモス』に入らなければだめだ」などという偏狭で無粋なものではない。ただ、父親である自分自身がこよなく愛するものであるがゆえに、やはり愛してやまない我が子にもその魅力を伝えずにはいられないのだ。
 難しい話はいいんだ。お父さんはおまえが生まれるずっと前からとにかく短歌というものをつくることも読むことも好きで、そして「コスモス」という場所とそこに集まる人たちが、大好きなんだよ、と。

 近代以降短歌という詩形を支えてきた「短歌結社」という組織の有り様とその功罪には、未だに様々な議論が絶えない。各総合誌が主催する新人賞では短歌結社に所属していない応募者、そして受賞者が年々増え続けているし、インターネット上では短歌結社の存在がどうもネガティブに語られることが多い気がして、やはり窪田空穂系の短歌結社である「かりん」に所属している私としては、なんとなく(あくまでもなんとなく、なのだけれど)肩身の狭い思いをしていた。その「なんとなく」感じていた短歌結社についてのもやもやを、ささやかな文章として書いたばかりでもある(本阿弥書店「歌壇」2015年7月号時評「『居続ける場』としての結社」)。そしてTwitter上では、少し前に短歌結社について様々な立場から語り合う「たんばな2」というハッシュタグが、大いに賑わっていた。その様子は、以下のリンクからのぞくことができる。

#たんばな2 を勝手にまとめないかね。~無所属・結社全般・その他雑談編~
http://togetter.com/li/825547

#たんばな2 を勝手にまとめないかね。~各結社編~
http://togetter.com/li/825811

 この「たんばな2」での議論も大変に興味深いものだったが、しかし、昨年刊行された大松達知の第四歌集『ゆりかごのうた』の表題作でもあるこの一首を改めて読み返した時、ああ、「短歌結社」の存在意義を問うさまざまな声に対する返答は、この一首で十分だなあ、と私は思ったのだった。

  
  わが生(あ)れし以前に入会せし人の歌の上にも○をつけてゆく 36

  <大正>を換算するに宮柊二つねあらはるる一九一二(いちきういちにい) 43

  教員歌人が歌人教員へ戻りゆくあしたの道に公孫樹みあげて 113

  オーマツ君とわれを呼ぶのは歌人のみこの尊さをしづかに思へ 114

  おまへを揺らしながらおまへの歌を作るおまへにひとりだけの男親 123

 歌集には、これらのような歌もある。一首目は、編集委員として結社誌に寄せられた詠草の選歌をしている場面。自らの所属する「コスモス」を創刊した宮柊二を深く敬愛するが故の二首目。「歌人」であることに対する喜びと静かな矜持が歌われた三首目と四首目。五首目には、歌人であることへの喜びと矜持に、「男親」となったことへの新たな喜びが加わったことが、何の衒いもなく率直に表現されている。

 歌集『ゆりかごのうた』は、一冊を通して大きなテーマとなっている

  心音を聞けば聞くほどあやふげな、いのちとならんものよ、いのちとなれ 104

  みどりごのうんちは草の香りせり 六十歳のおまへが見たい 132

  一(いつ)灯(とう)になつたり一俵になつたりし、いま一輪のみどりごである 152

のような歌はもちろん、

  シマウマの真似せよかしと命じればからだくねらす十三歳は 13

  中鳥(1字傍点)とまちがへたときそのままでいいですと言つた中島が怖い 25

  ゑんどうゑんどう起きろゑんどうをととひもけふもひたすら起こすゑんどう 168

といった英語教師としての歌、さらに酒の歌、野球の歌と、それぞれに一人の読者として「短歌っていいなあ」と素直に頷くことのできる歌が数えきれないほど収められている。それは言うまでもないことだが、この歌集は私にとって、近代から「短歌」という短詩系文学を支えてきた短歌結社が、特に結社に所属して歌をつくっている私たちにとってどのようなものなのか、を改めて考えさせてくれる一冊でもあったのである。

※引用歌の丸括弧はルビ


略歴
齋藤芳生 さいとう よしき
歌人。1977年福島県福島市生まれ。「かりん」会員。歌集『桃花水を待つ』(角川書店2010年)『湖水の南』(本阿弥書店2014年)

短歌評 冷えてゆく冷えてゆくピアノ~千葉聡歌集『海、悲歌、夏の雫など』を読む 田中庸介

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 千葉聡さんの第五歌集『海、悲歌、夏の雫など』(書肆侃侃房)は、新しい叢書「現代歌人シリーズ」の第一弾にふさわしく、充実したストロングな歌の数々に満ち満ちている。側道から一気に加速して高速道路に乗る車のように、前作の『今日の放課後、短歌部へ!』で「教員歌人」としての過剰な自意識を一挙に吹っ切った作者は、「夏の始まりから終わりまで」の半年で急ピッチで書き下ろした新作二〇八首を一冊にまとめ、満を持して世に問うこととなった。
 バスケ部の副顧問として高校生とともに汗を流す日々。その中で雑誌の新連載に苦労し、早世した兄の想い出を語り、そして旧友から真摯な短歌の批評を受ける。千葉さんの軸足が日常詠に置かれていることは変わらないが、何かがぐっと深くなったという気がするのは、おそらく過剰な自意識にむけられていた肩の力が抜けて、そのかわりに《自然》の力に目が向くようになったからではないか。それは波や風の音だったりするだけではなく、若者の汗だったり、あるいは初老にさしかかった自らを静かに受け入れるという時間性への肯定にもつながる。《自然》とは、人智の及ばない宇宙のはたらきのことであって、その超越性を無理なく受け入れる詠嘆調の歌は、読者のぼくらをぐいぐいと引き込んで行く。

 そよ風と光を受けて揺れている葉桜の下で朝練開始

 ポエティックな上の句はアンチクライマックスの「葉桜」の序詞。それをさらに「朝練開始」という身もふたもない結句で拾うという構想になっている。これは脱ポエム化の決意を、身をもって示したメタ短歌であるとも読める。あるいは「そよ風と光」というような《自然》と、「朝練」の人事のとりあわせとも読める。「放課後の廊下は夕陽に染められて、染められはしない隅っこを愛す」も同じつくり。

  遅刻したことを叱っているうちに怒ってしまう 樹を打つ雨よ

 「怒ってしまう」のは不作為の現象だから、人事ではあるが《自然》の表象である。「樹を打つ雨よ」はこの《自然》を畏敬の念をもって受け入れるものであると同時に、《自然》に自らの運命をゆだねることによって、感情のもつれを洗い流したいという願望を示している。この結句の世界観には多分に南島的なものを感じるが、そもそも沖縄学の研究から出発した作者の本領にやっと近づいてきた感がある。「学年の会議でもらったチョコレートぼんやり溶けて夏は近づく」の結句もまた。

  説教で終わった手紙を折りたたむ まっすぐに降る真夏の雨は

 作者は旧友「T」からの手紙を受け取る。その字は震え「Tの字じゃないように見えた」。きれいな三句切れの歌である。「まっすぐに降る真夏の雨は」は「手紙」の内容の換喩だが、これも南島のスコールのイメージ。「雨よ」ではなくあえて「雨は」とした語法によって、言いたくても言えない述語を飲み込んでいることを示し、余韻を醸し出した。「バスケ部の予定を机の前に貼る エアコンの風が揺らすその紙」の「風が揺らすその紙」も同趣。上の句の内容を下の句で反復することによって情趣がより深くなる。
 
  副顧問だから相談にのったりする 悩みが夏の雫になるまで

 ここでは、「青春の涙」をおそらく美しく言ったのであろう「夏の雫」の比喩にたどりつけたことで、「副顧問」の現実性からはるかに遠く、歌は伸びていく。それは実は「メールにて「連載原稿書き直しのお願い」が来る 胸に重く来る」という作者本人の「悩み」を暗示するものでもあった。教師というものが「教える者」であるだけではなく、「学ぶ者」でもありつづけなければならないということに気づきなおすことによって、作者は硬直した社会的な役割の重さから自由になり、表現における人間性を取り戻したのだろう。「古いピアノ その前に座る人たちに音楽を許し続けるピアノ」の一首の「許し続ける」とは、(沖縄ふうに言えば)「唄者」すなわち芸術家としてのみずからの本質を取り戻す契機となった、重い気づきを示している。

  ざわめきは去って体育館隅のピアノは冷えてゆく冷えてゆく

 祝祭性が芸術のひとつの要点だとすれば、そこからの覚醒も実はまたその重要な要素である。学園祭の「お化け屋敷」についてのすぐれた一連も収録されているが、「ポエム化」よりも「脱ポエム化」のほうが、現実に戻らなければならない心の痛みやつらさを伴うだけあって難易度が高い。「冷えてゆく冷えてゆく」の繰り返しは、まさにこの「祭りの後」の「喪の作業」を、ことばの反復によるリズムのエクスタシーによって生徒ら(あるいは読者ら)に乗り切らせようとする配慮から生まれたものだろう。
 あるいは、この「冷えてゆくピアノ」の比喩は、塚本邦雄の秀歌「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』)や荒川洋治の「世代の興奮は去った。ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する」(『水駅』)といった戦後詩歌を踏まえている。口語短歌第一世代のニューウェーブ短歌は、現代詩でいうところの鈴木志郎康・菅谷規矩雄らの祝祭的な「六〇年代詩」にも擬せられる。したがって、その「世代の興奮」が去ってのち、短歌の成熟をしっかりと引き受けようとする決意を作者はここに表明したとも言うことができ、そう考えると、われわれはまたひとしおの感慨を新たにするものである。

短歌評 「短歌批評」 橘上

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 短歌に関する文章をあつめ、一つのアンソロジーを編むという計画。そのためのアイディア。さまざまな〈他者の視線〉を通じて、短歌の現在を読み解くことが本稿の目的である。

 今を生きる歌人たちの声と活動を記録し、本来バラバラであるはずのそれらの点に何かしらの線を引くことによって、ひとつの(あるいは複数の)面(シーン)として可視化すること。
 だけど、実を言うと、わたしはこれまでそうしたマッピングはできるかぎり避けてきた。「ポスト××」「××チルドレン」「××世代」といった乱雑な名付けや線引きには、個々の歌人の魅力を蔑にし、結果として短歌を貧しいものに貶めてしまう危うさがあるのではないか? そう考えていたのだが、やってみよう、と思えるようになった。今こそ「批評」が求められている。作品単位での評価や感想という域を超えて、もっと大きな時間感覚をもってダイナミックに、しかし生きたものとして短歌を語ること。
 それまでの短歌批評の言語では、若者たちの作品は「描く世界が狭い」みたいに言われがちだったので、「いやいやそうじゃないよ」ということを示すために、批評言語自体も更新したかった。
 今、明らかに複数のジャンルからたっぷりの栄養―語彙や文法、フレームの切り取り方やその効果などーを吸収した才能が短歌に集まってるという実感がある。でもこれまでの短歌の歴史から完全に切断されているわけではなくて、おそらくそれまでに培われてきた短歌の遺伝子と、新しい血とが混ざり合って、突然変異的なヤバイものが出てきたんじゃないかと。
 いつの時代でも若い世代が正しい。更新されていく方法やスタイル、センス、そういったものを肯定していかないと、面白いものなんか生まれない。「何をやろうとしているのか」のヴィジョンを見ているつもりです。明確なヴィジョンを持っている人が幅を利かせられる時代なのかもしれませんけどね。でも、衝動で出来上がってしまうものはどんな時代にも必要とされているんじゃないかな。

  鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ

 よくいろんな歌人が「もっと短歌を読んでもらいたい!」と言うけど、じゃあ自分たちはどれだけ他のジャンルを、現代美術やインディペンデントな映画を見てるんだって話ですよね。僕は短歌以外ほとんど読まない。物理的、体力的、心の空き容量の問題として手を出せない人って結構いると思う。

  疑問符をはづせば答へになるような想ひを引き込むしゃぼん玉のなかに

 面白いものって単純なエンターテイメントには収まらなくて、クエスチョンが付いたり、完結しえないものだからこそ面白いんだけど、そういうものに四六時中浸るのは辛すぎる気もする。「芸術に興味を持っているのは全人類の三%ぐらいだ」って。読む人は最初から読むし、読まない人は何があっても読まない。

 批評は何らかのモチーフを対象にして営まれる行為である。
 視られるものまずがあり、つぎに視るものがそれを捉える。
 同時に、視るものが捉え、世にあらわした表現にも、それ自体の独立した価値が宿る。北斎の描いた「鮭と鼠」の絵画を熱心に鑑賞した人が、はたしておなじ熱心さで荒巻鮭や鼠を観察するだろうか?
 あらゆる事象はつねに時代を映す鏡であると喩えられる。そして、鏡の中の像には、それ自体の輝きがある。そこに価値を見出せない人は、短歌と言う人間のしわざにも無縁な人であろう。

  月ごとに流ると思ひします鏡西の空にも止まらざりけり


「宙ぶらりんからどのように着地するかを考えなければならないと思いつつも、このまま宙ぶらりんでもいいんじゃないか、という気分もある」
 
   天つ星道も宿りもありながら空に浮きても思ほゆるかな


 この文章にはターゲットがいない。批評は衰退よりはじまる。批評とはつまり、発見された他者を捉えようとする行為である。


  どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと


           ☆


  明日からの家族旅行を絵日記に書きをりすでに楽しかったこと
  目薬をさす手をとめるいま夢の覚め際にゐることに気付いて

 私の想像通りにことは進む。彼はいつも通りの彼であり、語り合う雰囲気も話す内容も、私があらかじめ思い描いていたこととほとんど変わりがない。それでも、起こっている「こと」は全体としては、やはり、新しい「こと」としかとらえられないのだ。寸分違わず想定通りだとしても、人が実際の現実に遭遇すると、一回限りの「こと」として、現在の「出来事」は推移することになる。起こった出来事には、想像できなかった要素が無数にあったのだ、ということではないのではないか。「現在のこと」はいかなる視点によっても分割できない流れの渦中にある。


  ああ苦しいとみんな云ふから今死にたくないとみんな云ふから

 人間ってそんなに感情や論理で動いてないと思うんですよ。性欲以外で人間って動かないんじゃないかと思って。例えば、食欲も性欲のバリエーションじゃないかな。触れたいとか見たいってことも。


  シールの跡をシールではがし悪くもない人をしづかに赦しはじめる

 たぶん何も信じてないんだろうな、人間というものを。どんなにすごいことを言っても、人間ってすぐ変わる。僕だって中高と吹奏楽に熱中していて、毎日七、八時間は吹いていたトランペットに今では一切触らなくなって、なんで吹いていたのかも分からなくなって。その時その時でしかないから、“全体としてはなんちゃって”にするみたいなところはあります。瞬間瞬間は本気ですけどね。だから、なかなかドラマチックにならない。


  生まれてからこれまで触れたスイッチの数が異なる人だと思ふ

 人らしいものを作ったら人のことがわかるかもしれないけれど、人が分からないと人らしいものは作れないし、人を写し出す鏡みたいなもんなんですよね。ロボットは。
 人間を人間たらしめている大きな要素は社会的な関係にあるので、どんなに自分が人間らしいと思っていても他人から人間らしいと思われなければそれは人間らしいと言えないんじゃないか。


  だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあったかどうか
  読みかたのわからぬ町を書きうつす封のうらより封のおもてに

 「父親」も「母親」も人間が決めた呼び名であって、そのフリをしている、と考えてみたいんです。
 物語化されてない、名づけられていないような、もっと不可解なものを捉えるために、ひとまず「フリ」をすると。 


  ワイシャツがあらかじめもつ形状の記憶に袖をとほす花冷え

 他人事を自分たちの感覚で理解して組み立てよう。


  それぞれの花火はつきてそれぞれの線香花火を探し始める

 その人にしか起こらないような固有の話なのに、最終的には全宇宙、全時間に至るまでの普遍性を獲得する。もしどんな言葉や空間にも「歌」を出現させるのが歌手だとしたら、紙の中に「歌」を込めるのが歌人だろう。


  はさまれし付箋にはつかふくらみて歌集は歌人の死をもて終はる



(註)
 本稿は以下の資料からの参照・引用・編集でのみ成り立っています
 また引用の際に「演劇」「落語」という言葉を「短歌」に、「作家」「演劇人」「役者」「劇作家」という言葉を「歌人」に、「演出家」という言葉を「歌手」に、「劇」という言葉を「歌」に書き換えてあります。

『文藝別冊 特集 平田オリザ』(河出書房新社)より
「東京ノート」のこと 松田正隆
 対談・「アンドロイドは人間の夢を見るか?」から 石黒浩、平田オリザの発言

『演劇最強論』(徳永京子、藤原ちから著 飛鳥新社)より
徳永京子、藤原ちから、柴幸男、松井周、中野成樹の発言、宮沢章夫に引用されたいとうせいこうの言葉

『落語を聴かなくても人生は生きられる』(松本尚久編)より
松本尚久の言葉

 引用歌については

月ごとに流ると思ひします鏡西の空にも止まらざりけり
天つ星道も宿りもありながら空に浮きても思ほゆるかな
の二首のみ菅原道真(『コレクション日本歌人選043 菅原道真』 菅原道真・佐藤真一著 笠間書院)からの引用

その他の短歌は
『鈴を産むひばり』(光森裕樹著 港の人)からの引用

※短歌の引用のみ赤字にしてあります

短歌評 野の花摘んで〜角川「短歌」2015年9月号〜 月野ぽぽな

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 季節は秋。空は澄み渡り良い気持ち。菊の花、吾亦紅が美しい表紙を開いて、 花野ひとつから花ひとつ。歌の花を摘みながら歩いてみよう。
*
●秋葉四郎「東京往反」
心の奥に舞曲ボレロを意識して蛇崩坂〈じゃくずれざか〉を下りて上る

 歌人、佐藤佐太郎が歩いたであろう東京都目黒区の坂を行く。心にはボレロ。蛇のようにうねるエキゾチックな2つの旋律が交互に現れる度に楽器の色合いを変えては音量を増し続け最高潮に達するやいなや崩れ落ちるように終焉を迎える楽曲。なんと<蛇崩>の名と響き合うことか。

●水原紫苑「ドグラ•マグラ」
われは笛、われはくちなは、われは空 死ののち水の夢とならむか

 わたしは笛、わたしは蛇、わたしは空、死後には水の夢になろうか。分別の限りを尽くし、その過程で得る喜び苦しみを全て知り尽くした上でこそ到達できる自由無碍の境地が、文語の調べの美しさと溶け合ってここにある。われらはかつて、 根源が見た夢であり、今生の戯れの後、またそこへ還ってゆくのだろう。

●梅内美華子「船形石」
濡れながら羊歯は手招くもつと深いところを知らないあなたよ、おいで

 青々と生い茂る羊歯、奥底に闇を抱きつつ風に揺れる羊歯の群れには性に至る生のエネルギーが満ちている。その声。

●大河原惇行「今に向かふもの」
存在に意味を置く文字変へたりき始皇帝のこと又思ふなり

 今という一点が渦中にあって見えぬ時、歴史を振り返ってみると、その一点がどんな流れにあるのかが俯瞰できることもあるだろう。過去の一点にみる、共通のニュアンス、匂いのようなもの。

●桑原正紀「ロマネスクの人」
ありつたけの赤いバラもて飾り付け遺影に問へば「これでいいわよ♪」

 生きて姿はそこになくても、魂は今も親しい人と共にあって、いつでも会話できますね♪

●河野美砂子「手について」
雨やめば緑いきほふ夏草に呑まるるやうに父がおとろふ

<のまるるやるに>、<おとろふ>が眼目。自然の溢れる生命力を前に衰弱した父のあり様が強いコントラストを生む。感情をひとつも語らず読み手にその空間を与える技。

●紀野恵「竹の里(うち)にも」
復号の健〈キィ〉を押す我が(はたりはたり)ひとのかたちに戻るゆふぐれ

 何かに没頭しているときのその存在は、一個の人間の中から溢れ出し、ある大きな領域に旅立っている。そしてまた一個に戻る。 わたしたちはこれを繰り返しているようだ、生あるうちは。

●立花開「遠鳴り」
呼び合うようにあなたの骨も光ってね龍角散飲み下す夜に

 <骨><龍角散>が効いている。そしてこの一首自体も。共通語へ、たとえば 「早く良くなってね」などと翻訳してしまったら効きは激減。原語、立花開語のままで。

●波汐國芳「福島を裂く」
烈風にのうぜんかずら揺り出でて誰へ移さんその炎の笑みを

 <烈風><揺り出でて>が移りよく<炎の笑み>を誘う。筆者在住のアメリカの花は日本のものよりも首の部分が長く<炎の笑み>もまた独特。

●松村あや「福錦のシコナのごとき」
楓の葉のくれない深き一枚が目の前に落つ護符のごとくに

 天啓は絶え間なく訪れているという。要はそれに気づくかどうか。その色づいた楓の造形のなんと精巧で神秘的で静かな力に満ちていることか。

●金田義直「盆棚」
佞武多絵の廻り灯篭武者を追ふ女眦涼やかにして

 女性は本能で自分の子孫が残る可能性の高い男性を選ぶのだとか。佞武多絵の逞しい武者達の姿を見る目の奥にその遺伝子が潜むのかどうかは別にして、その女性は、武者に劣らず魅力的。

●四元仰「白き木槿」
アカシアの梢をゆふべ雲のゆき一日はすでに追憶に似る

「今」という時は「今」と言った時点でもう「今」ではなく、絶え間なく過去になってゆく。確かにあったはずのこの一日も、すでに幻のようだ。物憂げなアカシアの花を置き去りにしてゆく夕べの雲がその感慨をいっそう深くする。

●井川京子「青空」
鯉たちが背びれをたたみやってくる語らいをする用意は出来た

 自然の有り様に歌中のその人の心持ちを投影させている。<鯉たちが背びれをたたみ>から静かで且つ強い決意が見えた。

●矢澤靖江「蒔絵のやうな雨」
山の雨に打たるるゆりの花の波羅韋僧にいま近くわれゐる

 <波羅韋僧>は「はらいそ」。ポルトガル語でパラダイス、天国の意。<われ>は山あいに無数の百合の花が雨に打たれて揺れている様に、この世のものとは思えぬ美しさを見た。その恍惚感。

●大橋智恵子「ささがき」
軒下にきのこの並ぶ父の家が生えてきたらなさいはひなのに

 かつてはそこに建っていた父の家。その軒にはきのこが生えてきて、とても馴染みのあった家。ああ、きのこのように、父の家もここに生えてきたらいいのに。この無垢な願いが愛くるしくて哀しい。

●安江茂「聞きなし」
「オチンチンマックロケ」などと鳴いてゐた分教場の裏山の鳩

 山あいの小学校の分校か。子供達はその就学中に第二次性徴期という、大きな体の変化とそれに伴う心の変化を迎える。人は心の中にあることを音に聞き、形に見るという。一首は愛嬌たっぷりにその普遍に触れている。

●小塩卓哉「空と雲」
雲にいつか乗った記憶があるなんて言えるか終日〈ひねもす〉起案を見ていて

 <なんて言えるか>(言えるはずがない)と言いながら、そう言えるためには、それを知らなければ言えない。現実に足をつけながらも、しっかりと携える豊かな想像力という翼の、その逞しさが魅力。

●永守恭子「水音」
風ふけば姫女苑・蚊帳吊草ゆれて野草図鑑を空き地はひらく

 空き地に生えている秋の千草の様子を<野草図鑑>だと捉えた素朴な感性がキラリ。

●勝井かな子「叔父」
行けたら行くと応えはしたが広島の叔父の法要行けぬと思う

 体は一つ、心は多数、というのは共感できるところであろう。さらに<広島の>という言葉は、<叔父>の人生に過去の悲しい出来事を呼び込み、歌中のその人の心の様相はさらに複雑さを増す。

●森淑子「秋」
待つに馴れ帰らぬ人と思はれず木犀の香りの漂ふま昼

 その人は死んでしまったと知ったあとも、信じられずに以前と同じように待っている、と気づく歌中のその人。その瞬間は、今ではないどこか。ま昼にはある非日常感がただようが、木蓮の香がなおその感覚を濃くしている。

●原田清「日光黄菅」
静かに心沈めて書を読まむ響く言の葉あれとし願う

 書との出会いも一期一会。その書を手にしたその時点で、もう何かに導かれているのかもしれない。その何かに向かって自分の内なる触覚を頼りに読み進む心の風景。

●黒松武藏「流木乗り」
仰向けにながされてをり空のみの視野にあふるるばかりの光

 歌中のその人が、流木そのものになって光を浴びている陶酔感。読み手もしばしそこに浸る。

●入谷稔「虫のうた」
傘寿とは神の恵みと玉の緒の玉虫色をたのしみ暮らす

 <玉の緒の玉虫色>が素敵な80歳の心境。自分とすこし距離をおいて自分をながめる余裕がほどよい滑稽を生んでいて心地よい。

●青木春枝「虹の残像」
神社への砂利を踏む音心地よく茂吉の虹の歌語りゆく

 「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片  斎藤茂吉」この歌を愛し、語り継ぐ、歌中のその人を始めとする多くの人々の営みこそが、虹の断片。

●中村達「文明の負」
威嚇するごとき靴音近づきて若き女性がはや前をゆく

 規則正しくヒールがアスファルトを叩く音。それは時限爆弾のように、歌中のその人に近づき、その前に来るところで緊張はクライマックスに至る。ヒールの主はといえば、ただ通り過ぎてゆくのだが。安堵感そして僅かな失望感。心の中のひとつの事件。

●五十嵐順子「おれの杭」
はけの崩れは防災ネットが覆うともわが歳月のこぼれてやまず

 天災の後に張られた防災ネット。その崖のあり様と歌中のその人にとっての月日が重なり合う。崖の映像が目に浮かびその人の遣る瀬ない思いが滲み出てくるようだ。

●本渡真木子「恐竜の歯」
初夏の肥前の国の男盛りの山はあからむ合歓を抱きをり

<肥前の国の男盛りの山>の男性性<あからむ合歓>の女性性が醸し出す健康的なエロスと、一首を貫く大きな詠いぶりが、肥前の自然の息吹の力強さを伝えていて快感。

●三原由起子「パープルセージ」
「ふくしま」と聞こえるほうに耳は向く仮寓の居間の団欒のとき

<仮寓>とは仮の住まい。震災により多くの人々が利用する仮設住宅での場面か。あるいは震災とは限らずこの世の巷の住居なのかもしれない。どちらにしても<ふくしま>が今、多様な意味合いと感情とを伴う、特別な音として鋭く響くことに違いはない。
*
ハドソン河に陽が落ちた。もうそろそろ帰ろうか、色とりどりの花を心に響かせながら。

※引用歌中、山括弧はルビ。

■月野ぽぽな つきの・ぽぽな

俳人。長野県生まれ。ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人。現代俳句協会会員。 第28回現代俳句新人賞受賞詩客・俳句作品 自由 月野ぽぽな
月野ぽぽな Facebook

短歌時評 第116回 遠野真「さなぎの議題」と「設定」について 田丸まひる 

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 第五十八回短歌研究新人賞が遠野真「さなぎの議題」に決まった。(「短歌研究」2015年9月号掲載)ひりひりとした痛みを伴いながら、子どもから大人へと、さなぎから蝶へとなりゆく過程の感覚を、感情よりも詩情に寄せて書いた興味深い一連だ。

 夜のこと何も知らない でこぼこの月にからだを大人にされる
 ガンジーが行進をする映像で笑いが起こる教室 微風
 割れた窓そこから出入りするひかりさよならウィリアムズ博士たち

 一首目、「夜」は大人の世界だろうか。こころは夜を知らないまま、からだだけ大人に「なる」のではなく、大人に「される」という把握が刺さる。「でこぼこの月」という表現には影を伴う質感があり、観念ではなくて誰かの肉体によって主体が大人にされているように見える。また、月は基本的に見上げるものだが、諦念を感じながら仰向けになっているような印象を持った。
 二首目、「ガンジーの行進」は非暴力・不服従を貫いたガンジーの「塩の行進」のことだろう。本来は笑いが起こるような状況ではないのにも関わらず、笑いが起こってしまう教室。「微風」は笑いによって動く空気とも取れるが、主体の内面に立ち上がる違和感とも読むことができ、例えば強風ではないことにガンジーの非暴力にもつながる意味がある。
 三首目の「ウィリアムズ博士」は、昆虫の変態を制御している物質を突き止めるためにさなぎを切り離すなどの実験をした生物学者であり、「博士たち」と複数形にすることで自分を脅かす存在(この一連では、肉親や学校のなかのひとたち)が一人ではないことを暗示しているようである。
 全体に、言葉の選択によって背景の意味をにじませているような歌が多く、一首一首の完成度が高いと諸手を挙げて言うことはできないが、言葉の配置や設定の面白さには心惹かれた。
 しかしここで、「設定」と感じたことへの違和感を覚えて立ち止まる。どうして「設定」だと感じてしまうのか。それは以下のような歌に起因する。

 肉親の殴打に耐えた腕と手でテストに刻みつける正答
 わたしだけ長袖を着る教室で自殺防止にテーマが決まる
 痣のないお腹を隠すキャミソール 罪を脱ぐのもまた罪であり

 一首目は家族からの暴力を、暗示ではなくはっきりと提示している。「肉親の殴打」という、こなれていない表現のために、より「設定」されているという印象を明確にしてしまっている。二首目、「わたしだけ長袖」については、暴力を受けた痕があるからとも読めるが、「自殺防止」のテーマが決まる教室と並べてしまうと、リストカットやアームカットなどの自傷行為にも導かれる。どちらにせよ、長袖から傷を隠すイメージをこのように暗示するのはやや安易ではないか。三首目、「痣のないお腹」も、お腹以外には暴力を受けていることを提示しているが、ここまで書くとさらに設定に見える。「罪を脱ぐ」の意味深な、しかし面白い表現を支え切れているかどうか。
 「さなぎの議題」の、痛みを伴いながら徐々に大人になりつつあるというこの世界観に、虐待を思わせぶりにちらつかせるような歌は、むしろ生々しさを遠ざけていないか。敢えて言えばあざとく、作り物めいている。虐待は舞台設定の小道具にするようなテーマではない。ただ、作り物めいてないとこういうテーマは、作品の世界を越えて作者自身に突き刺さる。しかし、自身を刺すこと(あくまでも表現での話だが)から逃れてしまうと、その連作の痛みは表面的なものにとどまり、ナイフが刺さらずに皮膚の上を滑っていくようになってしまう。

 昨年の短歌研究新人賞で話題になったような、事実か虚構かの問題ではない。事実であれ虚構であれ、作品を編むにあたってのめり込みすぎない冷静さや客観的な視点は必要だが、設定上の駒を置くような手つきが見えると、それは作品の力を殺ぐことにならないか。これは読者の勝手な期待にすぎないのかもしれない。ただこれは、実作者でもある読者にも跳ね返ってくる問題だと思っている。
 昨年の短歌研究新人賞受賞作である石井僚一「父親のような雨に打たれて」は、後に議論を引き起こすこととなったが、事実に軸足を置いた虚構であった。この連作の設定の手つきはどうだっただろう。

 傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて
 ネクタイは締めるものではなく解(ほど)くものだと言いし父の横顔

 また、2010年の山崎聡子の短歌研究新人賞受賞作「死と放埓な君の目と」では、事実かどうかという憶測も許さないほどに「義兄」の設定が効いていたように思う。

 真夜中に義兄(あに)の背中で満たされたバスタブのその硬さを思う
 義兄とみるイージーライダーちらちらと眠った姉の頬を照らせば
 (歌集『手のひらの花火』では「イージーライダー」と鉤括弧つきで表記)

 これらの作品が、遠野の作品とどう違うのか検討してみると、また遠野作品の違う側面が見えてくるのかもしれない。

 川野里子は評論集『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』の中で以下のように述べている。

 現代短歌、ことに近年の短歌はリアルであることを、それ以前とは異なる切実さで求めるようになっている。それは、手触りや実感の希薄な現代という時代の求めでもある。事物の感触の薄くなった生活、ネットという、人間の五感から遠く離れた世界が今や私達の生活の中心を動かしているという現実もある。文芸はそうした感官をすり抜けてゆくもの、「今」からこぼれ落ちるものを掬おうとする衝動を常に抱え持っている。
 (なお、川野の論は「リアル」を「それ自体最も今日的な精神や社会の象徴であり代弁である。」と定義しながらも、文芸が「『虚』の弾力」を必要とすることを語っているため、引用部分だけでは川野の論旨が伝わらないことを明記しておく)。

 「リアル」は、イコール事実ではなく、あくまで手触りや実感を伴うということだろう。例えば連作を編む時に作者が求めるもの(連作としての完成度や表現したいことが伝わっているか、など各人にあるだろうが)と、そしてそれを読む読者が求めているもの(それは、リアルへの希求から抜け出せないのかもしれない)との差異も、見極める必要があるのかもしれない。読者が作者でもあることが多いという、未だ狭い世界の話だが。

 最後に、今回の遠野の作品でいちばん心惹かれたのは以下の歌である。
 
 死ぬまでを永遠と呼ぶ人たちよ おもに掃除をたすけてほしい
 
 大づかみの上句は、しかし「死ぬまでを永遠と呼ぶ人たち」への批評でもある。「たすけてほしい」という声も届いた。
 今回、遠野の作品に向き合うのに際して、遠野が所属している「未来」に寄せた作品もすべて目を通した。個人的に突き刺さった作品を紹介して、終わりにしたい。

 朝霧に種まく人よ近づいていいのかだめか言わないでくれ  「未来」2015年7月号
 前をゆく人を殺してみたいとき大抵とじた傘を持ってる   「未来」2015年8月号

#略歴
田丸まひる(たまるまひる)
1983年徳島県生まれ。未来短歌会所属。「七曜」同人。歌集『晴れのち神様』(2004年booknest)『硝子のボレット』(2014年書肆侃侃房)

短歌評 生活を作品にするということ 望月 遊馬

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 今回、短歌時評をさせていただくということで、佐藤羽美氏の『ここは夏月夏曜日』という歌集をとりあげたいのだが、それに先立って、まずはふれておきたい作品がある。それが元山舞氏の作品だ。
 元山舞氏が世に問うた第一詩集である『青い空の下で』は、学校の記憶が鮮烈に詠われた詩集である。そのなかの一篇「今日」という作品を引用してみよう。

  今日              元山舞 


 暖かい春の陽射しをうけながら
 物静かな体育館に 先生の声が響く。

 今日はこれから 友達と遊ぶ予定
 公園に行って 海を眺めて
 何をしようかなぁ・・・

 ぼぉっとそんなことばかり考えていられるのは
 少しの間。

 非常口のドアは開けっ放し

 空とグラウンドは いつもより無表情になって

 規則正しく並んだ先生も
 きっと心の中は おかしいほど乱れてらっしゃるんだろう

 見渡して 紺色の海の中

 ああ・・・私も水なんだなぁ。

 時計をちらちら気にしながら かごの中での背比べ

 潮のにおいを持ってやってくる風は まだ遠いけど
 かすかに感じる夏の予感


 おかしいな 今 春になったばかりなのに 

 この詩は現在リアルタイムの学生でなければ書けないのではないかと錯覚してしまう(いや、その錯覚こそが醍醐味でもあるのかもしれない。)のだが、確かにこのとき元山舞氏は十代前半で、もちろん年齢相応の明るさや広さがこの作品から感じ取られる。
 十代の人が十代の生活を詩にする。それはまっとうな感覚だ。一方で、かつて十代だった、もう十代ではない人が、十代のころの学生生活を思いだして詩にする。これもまっとうなのではないだろうか。元山舞氏の作品を読みつつ一方ではそのようなことを思った。(学生時代の記憶を述懐する作品。それはある種、懐古趣味とも言えるけれども、懐古と言い得るほどには作者は老いてはおらず、むしろ若々しく瑞々しい感覚によって切り取られる作品は、それそのものが美質と言えよう。)
 そのような感想を抱きつつ読んだ歌集が佐藤羽美氏の『ここは夏月夏曜日』のなかの表題の連作である。
 この連作は、学校がテーマとなっており、小学校のことがあれば、大学のこともあるが、少なくとも学校生活をしていたころの記憶が主題であることは間違いない。
 連作は、次の一首からはじまる。

 バス停で夕方からの霧雨はぼやんと終わり西瓜の匂い

 ここでは、学校生活のことは何一つ語られていないのだが、私の脳裏ではバスを利用して通学している学生(高校生かな? )が思い起こされて、ついでに「西瓜の匂い」というところに雨上がりのえもいわれぬ清涼感、雲間から射す太陽の光にあらわれる青春の触感などを感受してしまう。

 すぼめたる傘の骨から滴りぬ学校指定のザックへと 夜気

 この作品も、「雨」に関わるテーマだ。「夜気」という触感は、「西瓜の匂い」とおなじように感覚的に「天気」そのものを傍受してしまう。ここでは、はじめて「学校指定」と特定することにより学生生活を暗示しているのだが、次の作品、

 棺桶の中にいるらし現国のキヨ先生は白い靄ごと

 という一首によって、どうやら国語の先生が亡くなってしまい、霊体(?)となったキヨ先生をユーモラスに哀切を以って描いているところが特徴的だ。
このキヨ先生は人望のある先生だということをうかがわせる。というのも、次の一首、

 枝と葉を揺さぶり合って前列の女子生徒らはむんむんと泣く

 この一首からは、女子生徒が肩を震わせて泣く様子を、枝と葉の揺さぶりにたとえて表現している、いわば、むせび泣いているようすがどこか生々しい。

 葉桜がごわつく頃か先生の深くで水が零れ出たのは

 この美しい一首は、忘れがたい。先述の歌では「靄」であったキヨ先生だが、ここでは「水」として表現されている。

 千億の生徒の指紋を受け取って体育倉庫で眠る跳び箱

 場面が切りかわり、体育倉庫の描写となるのだが、この「受け取る」や「運ぶ」といった移動を連想させる書き方は、物質そのものを相対化させることにより、「見つめる視線」を浮き彫りにさせる。
 最後に、

 なにもかも蒸発させてこの夏は順番どおりに剥がれてゆけり

 と結ばれて、連作は終わるのだが、「見つめる視線」が遠ざかったり近づいたりするところ、それは経年による経験がさせるものでもあると思うが、それこそが、かつて十代だった、もう十代ではない人が、十代のころの学生生活を思いだして作品にすることの意味のひとつなのではないかと思ったりもするのだ。

五臓のつかれの歌~沖ななも歌集『白湯』を読む 田中庸介

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 沖ななもさんの第九歌集『白湯』(北冬舎)を読む。これは茂吉や方代を多く思い出させる調べのよさにつらぬかれており、あるときは《日常》の鬱の果てしなさを歌った泥のような歌集かと思えば、ところどころには強烈なぬけ感のある歌も含まれていて、そのテンションの乱高下が読むものの体の芯をぎらぎらとしびれさせるような、きわめて中毒性の高い一冊である。タイトルの『白湯』からしてこれは何も味のついていないお湯という意味の「さゆ」なのか、味が濃く白濁した中華スープの「パイタン」なのか要領を得ず、造本やあとがきからすると作者ご本人は枯淡の境地をめざしたものらしいが、この歌集がそんなものではまったくないことは、全くあきらかである。いくつか読んでみよう。

  無聊(以上2字傍点)サンプルさしあげますとマヌカンのけだるき声が耳をかすめる

 この歌は《無料サンプル》の聞き間違いの面白さから発想したもの。「けだるき声」が「無聊(ぶりょう)サンプル」と言うというのは、声の質もけだるいしおすすめしている内容もけだるいということ。声と内容は同じようでいて断じて同じではない。だが作者の〈そらみみ〉はそれをむりやり一緒にしているのだという詩歌の《構造》が読者に垣間見えた瞬間、マヌカンの写生がすぽんと抜け落ち、絵が真空状態となる。

  笑顔にて近づきて来る男あり笑顔のままに通り過ぎたり

 目の前で、ものすごいことが起ころうとしているのだが、誰も何も言えずにそのことがそのまま起こってしまうということがある。上の句と下の句の《差分》が限りなくゼロに近い衝撃的な作り方は、歌われている意識の真空をそのままことばの上でもなぞったものである。

  朝夕に目薬をさす目薬にうるおう眼(まなこ)ふたつをもてり

 二句切れの歌である。「目薬」のリフレインがくせもの。上の句は日常のみずからの言動の写生だが、下の句はその行為の対象物をあらためて見つめなおしたときの離人的な気分をあらわすようになる。「目薬にうるおう眼ふたつ」を自分は所有しているのだと気づいたときの強烈な違和感。

  〈神経は死んでいます〉と歯科医師は告げたりわれのはじめての死を

 これも同様に、歯の神経の「死」が、どうしてもみずからの「死」の喩として思えてしまう強烈な体験を詠んだものである。

  いっしんにひとりの男の振り下ろす金鍬のさき春を耕す

 上の句は男性的な労働の情景を詠んだものだが、「金鍬のさき春を耕す」の結句は、そのまま性的な豊穣の喩になっている。この「さき」への集中がこの作者の本領である。

  くされ声あまやかな声もつれつつ夜のとばりに消えてゆきたり

 痴話げんかを詠んだ一首のようだ。「もつれつつ」の「つ」音の多用と、「とばり」「ゆきたり」の「り」音の脚韻が姿のよさをかもしだしている。「つ」から「り」へ。なにか横のものが縦になるさまを描いたものか。

  朝夕に花を見んとてねんごろに朝顔植えぬ夕顔植えぬ

 朝顔と夕顔を植えれば、たしかに朝と夕とに似たような花が見られるはずなのである。いろいろな、ほかの花もあるだろうに、とにかく朝な夕なに花を見るということがしてみたくなったので、この朝顔と夕顔を植える。そんな、とんがってはいるがどこかアンバランスな発想の持ち主が描かれている。

  靄けむる山のむこうにうっすらとみゆる山影(すがた)のあのせつなさの
  わが肩に来て止まりたるひとつ蝶これも縁(えにし)と歩をゆるませる

 これらの歌の「山影(すがた)」や「縁(えにし)」、あるいは「あのせつなさの」といったたおやかな詩語は、それまでのぶっちぎりに強い視線をマスクし、演歌的な臭みのある抒情をかもし出している。

  もっちりと寄り添いて来るひだる(以上3字傍点)神五臓のつかれをともないてくる

 「ひだる(以上3字傍点)神」は「人間に空腹感をもたらす憑き物で、行逢神または餓鬼憑きの一種」とウィキペディアにある。どの歌もすっきりと姿がよいのに、内容を読めば内臓のゆがんだ感じを赤裸々に歌ったものが多いことの理由は、この「五臓のつかれ」にありそうだと思った。

※引用中丸括弧はルビです。
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