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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌時評164回 短歌の先生はいますか? 千葉 聡

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1 はるかなものを見つめる黒瀬珂瀾

 なんてきれいな歌集だろう、とうらやましく思いながらページをめくっていたら、ある歌に目がとまった。

  生なべて死の前戯かも川底のへどろ剝がれて浮かびくる午後


黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』

 いい歌だ。とてもいい。生と死の間に、小さなものが浮いている。しかもへどろだ。このささやかさがいい。
 若いころから黒瀬くんを知っている。彼はずっとスターだった。何をしても注目され、多くの人に愛されていた。正直、彼に嫉妬していた。黒瀬くんが話題になるたびに「彼はアイドルだから」と別枠の扱いをして、なんとか心を鎮めていた。だが、私が立ち止まっているうちに、気がつけば、黒瀬くんは歌の世界をこんなに豊かにしていた。
 歌集『ひかりの針がうたふ』(書肆侃侃房)の著者略歴には生年、出身地のあとに「春日井建に師事」とある。私はこの歌を思い出す。

  一瞬を捨つれば生涯を捨つること易からむ風に鳴る夜の河

春日井建『青葦』

 二首を並べてみても、一見、それほど似ているとは思えない。だが、二人の歌人のまなざしには、何か相通ずるものがあるような気がする。どちらも「川」「河」のありさまを詠んでいる。「午後」「夜」という言葉で日常のひとこまを装いながら、そこに死を忍び込ませている。「生」と「死」、「一瞬」と「生涯」というように魅力的な対比がある。そして何より、二人はともに、生や死の先にある、もっとはるかなものを見ている。
 黒瀬珂瀾は、春日井建に学び、春日井の描いた世界を少し引き継ぎ、自分の力でさらに深めようとしている。はるかなものを見つめながら。

  しばらくを付ききてふいに逸れてゆくカモメをわれの未来と思ふ

黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』

2 あのころは短歌の先生がほしかった

 二十代のころ、短歌の先生がほしかった。結社に入れば、その主宰者が先生になってくれる。だから「かばん」に入った。「かばん」は結社だと思っていた。思えば、二十代後半のちばさとは、無知な大学院生だった。
 入会したあとで真実を知る。「かばん」は同人誌。しかも「お互いを先生と呼ばない」「誰の選歌も受けない」という決まりがある。穂村弘さんや東直子さんに先生になってもらおうという淡い希望は、かなえられなかった。

  休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます

染野太朗『あの日の海』

 島田修三さんと染野太朗さんの関係も、うらやましい。悩みを抱えて休職することを決めた染野青年に、歌の師は「見ろ、見て詠(うた)え」と語る。復職する見通しを聞いたり、生活は大丈夫なのかと心配したりはせず、ただ短歌のアドバイスをする。この師は、創作を通して弟子が必ず立ち直ると信じているのだ。弟子も、そんな師の思いを受けとめ、この一首を詠んだ。この信頼関係の深さよ。
 穂村さん、東さん、そして島田さん、春日井さん。他にも「先生になってもらいたい」と思える魅力的な歌人は何人もいた。岡井隆さん、馬場あき子さん、佐佐木幸綱さん、伊藤一彦さん、永井陽子さん。だが、結局、私が誰かを師とすることはなかった。
 有名な歌人には、すでに多くの弟子がいる。その先生に教えていただくと同時に、たくさんの兄弟子、姉弟子とつきあうことになる。その人間関係の中に飛び込む勇気がなかった。それに、私が「この人の作品はすばらしいなぁ」と思える人は、そもそも結社の主宰ではなかったり、「弟子はとらない」と公言したりしていた。
 本格的に歌を詠むようになって二十年が過ぎると、自分より年下の歌人の作品が輝いて見えるようになる。その輝きを求めて、「年下の歌人に、師匠になってもらおうか」と考えることもあった。だが、それを実行したら、若い歌人に迷惑をかけてしまう。
 結局、私は誰にも師事しなかった。私に賞をくれた、短歌研究新人賞の選考委員のことは「先生」と呼んだし、大学院でご指導いただいたお二人の歌人も「先生」だ。だが、どなたも短歌創作の先生ではない。
 短歌の先生がいないと、誰の選も受けずに短歌を発表することになる。だから私は編集者と読者から学んだ。みなさんにいただいた感想から、作品を磨き直したり、次の作品の構想を練ったりした。
「千葉くんは、ちゃんとした歌人のもとで学んだほうがいいよ」
 三十代のころは、年上の歌人によく言われた。結社に入るということが、まだスタンダードだった。だが、この十年ほどは、「〇〇に師事」と言わない歌人が目立つようになった気がする。
 短歌の先生を求めるのは、もう時代おくれなのだろうか。

3 世界最強の文学博士・外間守善先生

 世界最強の文学博士といえば、沖縄の古典『おもろさうし』研究の第一人者・外間(ほかま)守善(しゅぜん)先生だ。
 社会人になって三年間だけ働き、学費を貯めてから大学院に進んだ。渋谷の東、あこがれの釈迢空のいた國學院大學の大学院である。
「千葉君は、教育学部から来たから、文学研究の基本がわかっていない」
 新聞や雑誌を賑わすスター教授たちは冷たかった。ただ一人、味方になってくれたのが、沖縄学の外間守善先生だった。
「小賢しい理屈ばっかり並べたって、それで文学研究が進む訳じゃない。今日はもう、おやつにしよう」
 外間先生は、最初の授業に、草餅を買って来てくれた。本を開いて二十分ほど議論をしたら、あとはおやつタイム。草餅はおいしく、先生が話してくれた世界各地での冒険談は面白く、みんな大爆笑した。
 外間先生は、剛柔流空手八段。野球と陸上で国体に出場している。ロマンスグレーの髪、いたずらっ子のように輝く瞳。声は朗々と響きわたり、文学だけでなく、音楽も美術も、政治も国際情勢も、すべてを題材にして講義してくれる。とにかく格好良かった。先生の追っかけをする女子学生も少なくなかった。
 先生は、学生が自由に意見を述べることを好んだ。学生の意見を否定せず、どんな言葉にも「うん」「なるほど」「面白い」とうなずいてくれた。そのあとで言った。
「このことについては、千葉君、どう思う?」
 大学院生の中で、いちばん背が低く、弱々しかったのは私だ。外間先生は、そんな弱い千葉に目をかけてくださった。おやつタイム中に、私は何度も意見を求められ、なんとか答えているうちに、議論そのものが楽しくなってきた。不思議なことに、外間先生との議論を通じて、受講生たちは、いつのまにか一人ひとりが研究につながるヒントをつかんだ。
 やがて外間先生は大学を離れ、本郷の角川ビルの中に「沖縄学研究所」を開設した。大学院からは、佐藤公祥君と私が呼ばれ、学業のかたわら先生のお手伝いをした。平成八年、外間先生が『南島文学論』により角川源義賞を受賞すると、新聞や雑誌の記者が先生を取り囲み、東京でも那覇でも祝賀会が開かれた。
「外間さん、あんたの言ってることはデタラメだ。デタラメだと認めろ!」
 外間先生の成功を妬んだのだろうか、酔っぱらった男が、祝賀会に乗り込んできたことがあった。周囲はざわつき、佐藤君と私は先生のもとに駆けつけた。だが、先生は右手を男に突き出し、動じない低い声でおっしゃった。
「どうかされましたか。何かあったのなら、いくらでもお話をうかがいましょう」
 男は肩を落として泣きだし、人生全般にわたる愚痴をこぼして立ち去った。外間先生は、ただうなずいて聞いていた。
 祝賀会から数か月がたち、穏やかな日々が戻ったころ、外間先生は私に「芥川賞を取れ」と言った。
「千葉君はまだ若いが、君にはじつにいいところがある。それを書いてごらん」
 私は誰にも内緒で、文芸誌の小説新人賞にたびたび応募していた。外間先生は見抜いていたのだ。
 小説では芽が出なかったが、平成十年、私は短歌研究新人賞を受賞した。外間先生はたいへん喜んでくれたが、あくまで「次は芥川賞だ」と言った。やがて私も、新聞や雑誌に、短歌やエッセイを書くようになった。歌集もエッセイ集も刊行し、外間先生にお届けした。それでも先生はやはり「次は芥川賞だ」と言った。
 外間先生が亡くなってからも、たびたび先生を思い出す。ヒルトンの『チップス先生』も、魯迅の『藤野先生』も、テレビドラマの『3年B組金八先生』も、みなそれなりに格好良かったが、外間先生はもっと格好良かった。
 私は文学の、いや生き方すべてにおける師を持っていた。だから、短歌の師を持たなくてもやっていけたのだ。2月に刊行する新歌集には、「世界最強の文学教授」という章を入れた。

  「難しい理論はもういい。君はどう思う?」と笑う外間先生
  フィールドワークノートの隅に残された 外間青年の空色の字は

千葉聡『グラウンドを駆けるモーツァルト』

 教師の仕事に疲れ、夜中の原稿書きに行き詰まると、今でも必ず外間先生の「次は芥川賞だ」という声が聞こえてくる。


短歌評 一つの言葉が生み出す無限の可能性。藤田描『ちんちん短歌』を読む 谷村 行海

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 『ちんちん短歌』に出会ったのは本当に偶然のことだった。昨年11月の文学フリマ東京で、私は急きょ所属する俳句誌『むじな』の店番をすることになった。それで、店番をする以上、近隣の出店者の方がどのような作品を出されているかを知っておくべきだと思い、ウェブカタログを眺めたときに出会ったのが、隣のブースに出展していた藤田描『ちんちん短歌』だった。ウェブカタログには次のように記載されていた。

 われわれ、ちんちん短歌出版世界は、ちんちん短歌を出版するための世界です。ちんちん短歌を出版するためなら、基本的人権以外何でもします。今回出版する第一歌集『ちんちん短歌』は、ちんちん短歌を千首収録しました。千のちんちんの世界です。そのために世界を作りました。

 正直なところ、この説明文だけを見ても疑問が募るばかりだった。そこで、すぐさまウェブカタログに掲載されていた藤田氏のツイッターアカウントに向かい、そこにアップされていた作品の一部を見ることにした。

  ちんちんのかたちを決めているはずがむかしの傷をなぞりあってる
  ちんちんを社会から隔離するほどの罪とは 罪と共にあるとは
  もう少し暗くなっても法的にちんちんを出させない国の暮れ

 アップされていたのは、1000首ほど収録された歌のうちの394首目から429首目までのページ。このページだけでもなんとなくちんちん短歌の概要はつかめる。すべての歌に登場するのは、「ちんちん」という児童語。どうやら、歌集名が表すように短歌のなかにこの単語を必ず入れる。これが(後述のように正確には違うのだが)この歌集の特徴のようだ。
 それにしても、言葉の性質上、どうしてもセクシュアルなニュアンスやおもしろみが付加されてしまいそうなものだ。もちろん、アップされていたページにもそうした歌はあったし、その後購入したこの歌集の中にそうした歌が少ないわけではなかったのだが、上に挙げた3首はどうだろうか。物質的なものとしてだけではなく、概念的なものとしてもとらえ、心的な側面、社会・国の姿など、深いテーマに切り込んでいる。言葉をある一側面だけで決めつけるのではなく、さまざまな側面がないかをよく考察・検討し、言葉の持つ可能性・言葉が生み出す可能性を拡張しているようには見えないだろうか。俄然、私の期待は高まるばかりだった。
 そして迎えた文学フリマ当日。会場に着くなり、すぐに『ちんちん短歌』を購入した。頒布価格は1000円。会場で藤田氏も売り文句にしていたが、1首1円の計算だ。
 そんな『ちんちん短歌』には、どうしてこの短歌を作るに至ったかなど、4つの小文も掲載されている。そこから藤田氏の考えるこの短歌の定義を抽出してみると、次の通りになる。

  ①単語として入っているか
  ②他の単語に置き換えていないか
  ③単語として直接歌に詠まなくても存在を読者に意識させているか

 ①は同書によると、「僕はクロちゃんだちん。鎮護国家のための仏教の利用は許されない」のように、連続した際の音として歌に入れるのではなく、辞書的な意味そのものとして歌に詠みこむということ。ただし、③が示すように、単語として歌に直接書かれていなくても、そこに確かにあるのだという存在感が重要になってくる。幽霊が直接現れなくとも、存在が意識・強調され、そこにいたのではないかという実感が現れることがあるが、それに似ている。そのため、①と③は存在そのものに対する定義と言えよう。
 それに対して、②は言語意識としての定義になる。ちんちんに類する単語はほかにもあり、四文字だったものが別の字数になることでリズムが変わり、使用できる助詞なども同様に変化する。しかし、藤田氏の考えでは、それは「短歌のために短歌を詠むような言葉の使い方」であり、「格好悪い」のだ。  それに、別の単語に置き換えた場合には、元の単語と意味が少なからず変質してしまう。あくまでも、この単語からどこまで可能性を生み出せるか。言語に対する真剣さが伝わる。
 さて、そのような定義を持つちんちん短歌だが、この定義により、歌自体にも特徴が現れてくる。

  ちんちんを遠近法で描いている ちんちん遠く山の向こうに
  ちんちんに骨はないので一億年たったらきっと何もなくなる
  ちんちんの静けさ 読書していても泣いてる事に気づけない夜

 まず、当然のように四字のこの言葉は助詞との結びつきが抜群に良い。「を」「に」「の」ほか、あらゆる一字の助詞と結びつく。それは、単語そのものから何を生み出せるか考えるのはもちろん、助詞およびそれに付随するものの可能性を考えることにも通じはしないか。掲歌3首は、いずれもほかの助詞におきかえ、歌を少し変えることができる。「ちんちんは遠近法で描かれをり」、「ちんちんは骨がないので」といった具合に。そうしたさまざまな可能性を考慮したうえで、最善の書きぶりに歌が近づいていくのだ。
 また、定型の面から考えられることでもあるが、圧倒的に初句に置かれていることが多い。初めて初句以外に「ちんちん」が登場するのは、128首目の歌で、それまではすべて初句におかれている。さらに、正確な数は数えてはいないが、129首目以降からは体感として2首に1首ほどの割合で初句に置かれた歌が登場する。リズムの面を考えると、同じようなリズムで始まる歌が連続するわけだから、これはあまり好ましくないことに思えるかもしれない。しかし、歌集単位で考えると、「四字の同じ単語+助詞」の形が一番目に留まりやすい最初の部分に連続して登場するわけだから、言葉が嵐のように降り続く感覚を受ける。そのため、一つ一つの歌というよりは、それで一個の集合体のように見えてくる。それはまさしく藤田氏の提唱する「世界」そのものなのかもしれない。

  ちんちんが死んでも出川哲郎はわさびを食べて泣くと思った
  ちんちんのないドラえもん達からの教育を受けた世代から来た

 続いて、この単語が児童語であるということから、キャラ的なものとの親和性が高いことが挙げられる。児童向けの漫画雑誌『コロコロコミック』では、出ない号はないというほどに連載されている漫画内に「ちんちん」が登場しており、記念すべき創刊500号を記念して、2019年には「うんこちんちん総選挙」なる驚くべき企画が実施された(ちなみに、この総選挙は昨年も実施され、どちらも「ちんちん」側が勝利した)ほどだ。青年向け漫画ではリアルな人物像描写・ドラマが求められるのに対し、児童向け漫画ではわかりやすいキャラクター造形などが重視される。そのため、児童語として戯画化された「ちんちん」も必然的に親和性が高くなる。
 歌に戻ると、ちんちん短歌ではこの特徴を生かしたものが多い印象を受ける。漫画のキャラクターと同じく、芸人やタレントには自身を一種のキャラ化してしまう人も多く、そういった人物との相性は良い。出川哲郎はリアクション芸人としてキャラ化されており、「ちんちんが死んでも」というフレーズと併用されてもさほど違和感を覚え難い。しかし、なんでもいいのだが、出川哲郎を例えば坂上忍にした場合、たちまちに違和感が生じてしまう。これは同様に、出川哲郎をそのまま使ったとしても、「ちんちん」部分を児童語ではないものに置き換えてしまうと、生々しく、違和感の原因になりかねない。『ちんちん短歌』にはほかにも、カズレーザーやマツコデラックスなど、キャラ化された芸人・タレントが歌に登場する。もちろん、ドラえもんのように、それ自身がキャラクターという存在もだ。

  ちんちんと似てる形のミサイルで今出す精子分死ぬらしい
  ちんちんで地図を突き刺しその穴は原発ふたつ分の広さだ
  ちんちんを見せたら罪となる国でオザキユタカを口にしている

 逆に、その違和感を利用したと思われる歌も多い。戦前に国内で『のらくろ』が流行したり、ウォルト・ディズニー・プロダクションが『総統の顔』というアニメーション作品を制作したりしたように、キャラクターはときに政治的側面との親和性をも見せる。「ミサイル」「原発」「罪となる国」のいずれも、それ自体として負の要素を持ちうる言葉だが、そこに児童語であるちんちんを使うことで、一見おちゃらけたように思える言葉との組み合わせから、その負の側面が強調されはしないだろうか。三つの定義を忠実に実践したがゆえに起きるこの「世界」の特徴と言えそうだ。

 ここまでこの歌集の特徴を見てきたが、残念ながら『ちんちん短歌』の紙版は30部しか発行されておらず、入手は難しい。というより、入手はまず不可能だ。しかし、藤田氏のnoteを拝見したところ、現在ではデータでの形で販売がされている。また、今年の5月には増補改訂新装丁版の『ちんちん短歌』も文学フリマで頒布するようだ。興味を持った方はぜひとも一読していただきたいと思う。

 最後に、この歌集を生み出した藤田氏に向け、『ちんちん短歌』の冒頭に記されていたこの言葉を贈りたい。
「ちんちん短歌っていいよねー素晴らしいよねーうひゃあー」。

短歌時評165回 在り続けている側から 大松 達知

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 昨年11月にさかのぼる。「ビッグイシュー」(vol. 394)の特集に〈短歌〉が組まれた。
 タイトルは「いよいよ、短歌」。
 この「○○○○、短歌」の空欄に言葉を入れて短歌に縁のない人に訴えかけようとするとき、何を入れるだろうか。(そういう教員的思考がすこし嫌だけれど。)

 いまなら短歌・いまさら短歌・そろそろ短歌・ようやく短歌・やっぱり短歌。
 と考えてみると、「いよいよ、短歌」は(読点の入れ方を含めて)、無責任ふうに、いよいよ短歌の出番ですよ、とささやくような絶妙のところを突いていてセンスがよい。

 ちなみに、「ビッグイシュー」(The BIG ISSUE) は、大きな駅の近くで赤いキャップと赤いベストの人(多くは中年男性という印象)が、片腕を上に大きく伸ばして雑誌サンプルを提示している、あれ。
https://www.bigissue.jp/about/
 450円(税込)のページ数としてはやや割高な感じがするけれど、カラー誌でもあるし、時期を得た、いわゆる「意識高い系」の記事がある、という印象。
 その中に短歌が入ったのはうれしいこと。

 山田航、井上法子、木下龍也、が2ページずつ「エッセイ」を書いている。
 80年台生まれ以降の歌人、というしぼられたテーマ設定も、総花的な現代短歌紹介にしないためにも良かったと思う。
 3人が(おそらく依頼に従って)短歌との出会いから書きおこし、自作の紹介・解説、80年代以降生まれの作者と作品の紹介、という構成。

 物語に興味がなく、文学に関心が薄かったと言う山田は、

「短歌は五七五七七という共通のリズムに言葉をはめるのでまるで作詞のようだったし、何より同じルールにさえ従えばキャリア関係なくみんな同じ土俵で扱われるというゲーム性が魅力的だった。平等なコミュニケーションの土台、それが短歌だった。」

と言う。これ、わかる。
 筆者自身のことも言えば、短歌をこれまで続けてきたのもこういう感覚あってこそ、だった。1990年に入会した「コスモス」短歌会も、そのあとに参加した「コスモス」内同人誌「棧橋」も同年代の仲間はほとんどいなかった。しかし、90歳の男性とも50歳の女性とも上下関係も職業も地域差も取り込みながらも、短歌だけに集中して話ができた。そのフラットさ、潔さみたいなものは、おそらく他の分野にもあるはずだが、その世界に入らないと、合う合わないがわからないだろう。

 3人の中では特に、井上法子のエッセイに目をみひらかされた。実は筆者は、井上の歌集『永遠でないほうの火』の良さがわからないままでいた。それは三十代以下の他の作者の歌にも一部共通するわからなさであった。
 井上は、

「ほんの少し前まで、短歌は、作者イコール作中の主人公という私小説ふうの、暗黙の読みのルールが設定されていた(じつは今も、在り続けている)と言われている。わたしにとっての短歌のルールはその逆で、〈私〉を介入させないことにある。
 〈私〉を、つまりわたしにまつわるなまなことがらを決して詠わないこと。経験や体験をどこまでも、愛着や諦念が澄んで透明になるまで濾過させてゆき、むこうがわから溢れてくるのを待つ。じっとりと、わたしではない、という、すべてのあなたがちりばめられるようになるまで。大切なのは〈非・私(わたしでない)〉という個別性を強調するところではなく、かぎりのない、という状態を光らせることだ。だから、わたしにとって短歌は、言葉をつかわすことでさまざまな世界を引き寄せることのできる、透きとおった水べのようなもの。」

と書いている。これならわかる。井上作品をこのルールで読み直せばいいのだろうと、わかる。
 ただ、「在り続けている」側のルールを良しとして歌と関わり始め、いまでも歌を作っている大多数の(たぶん)歌人からすると、このルールは不可解だろう。結社の歌を読んだり、一般の短歌大会の選をしたりすると、もっと素朴に短歌の中に自分を書き込むことを第一としている人がほとんどであると知ることになる。垂れ流している、と批判されることもあるかもしれない。だが、純度が高い作品を目指しすぎると量産できない苦しさがあるかもしれない。あるいは、自己模倣から逃れにくくなるのかもしれない。いや、そう思ってしまう大多数は、時代の変化に付いてゆけていないゆけていないのかもれない。

 筆者は歌を読むとき、いや、「歌を読む」ではなく「歌を歌集単位で読むとき」には、その歌たちから作者の人間像がどう立ち上がってくるか、作者の顔がはっきりと見えるか、作者ならではの生活の泥臭さがいかに強く濃く匂ってくるか、などを評価の大きな基準としてきた。前衛短歌のあと、のんびりと。だから、せっかく歌集を読んだのにこの人は何をやっている人かわからないねえ、というネガティブなコメントをしたりする。そんな基準では井上の歌集はまったく読めないのだ。

 もちろん、一首一首や10首程度のまとまりでは「言葉」の巧拙や純度を基に評価するのだあるし、井上作品の純度の高さはよくわかる。
 これは、読み人知らず的な一首の読みと数年の蓄積である歌集の読み、あるいは歌業全体に対する把握、のような問題とリンクしてゆくのかもしれない。

 さて、この「ビッグイシュー」(vol. 394)の編集後記には、おそらく編集長の水越洋子さんが、山上憶良、若山牧水、寺山修司の歌を挙げて、「10代の頃、ノートに書き留めていた歌だ。今、”口語短歌”をそっと口ずさみたい。」と書いている。寺山修司は〈私〉の介入のさせ方に一周回った虚構性があった。今、ノートに書かれるのは例えば穂村弘だろうか笹井宏之だろうか。「在り続けている」側の大衆性は数としては圧倒的だろうけれど、そうでない方向の大衆性がどれほどの作者・読者を獲得してゆくのか、それが果たしてサステイナブルなのか。時代の変化を楽しんでゆきたい。

 あと、細かいことだが、引用元の書き方が短歌雑誌風でないのもおもしろかった。
 (短歌雑誌では、「作品A+歌集名・作者名、作品B、作品C」との順に記すところが、ビッグイシューでは、「作品A、作品B、作品C+歌集名・作者名」となっていた。どちらにも合理性はあるのだけれど、ビッグイシュー流のが分かりやすそうだ。)

 とにかく、ホームレスのひとたちの手から「ビッグイシュー」買おうとする人たちに、新しい短歌の姿が紹介されたのはうれしいことである。
https://www.bigissue.jp/backnumber/394/
 バックナンバーの購入も容易なようだ。
 街角で赤いベストの販売員さんも、バックナンバーをお持ちのようです。

 

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 さて、そういう井上の言葉を思いながら、黒瀬珂瀾『ひかりの針がふるふ』(書肆侃侃房)を読んだ。「うた新聞」3月号の「短歌想望」でも触れたけれど。
 
 黒瀬の前歌集『蓮喰ひ人の日記』は、2011年2月にアイルランドを経てロンドンに居住した13カ月間の記録だった。妻の研究に付き添っての滞英生活。その7月には長女が誕生している。まさに、〈私〉と家族が前面に出ていた。そこに読みどころがあった。
 黒瀬は第一歌集『黒輝宮』では、例えば、

  地下街を廃神殿と思ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ 
  咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり

 のような耽美的な作風だった。それが、次の『空庭』ではもっと具体的な現実とのつながりが濃くなっていった。そして、『蓮喰ひ人の日記』を経て、この『ひかりの針がうたふ』では、ひとり娘を世話する父として、また博多湾の水質調査をする船に乗り込む身として、の自分の立場があり、迫力があった。『黒輝宮』のポーズの取り方と、もう青年ではないひとりの男性としての現実とが、うまい具合に絡み合っているようだった。デビュー当時から知るものにとってが、いわゆるゲインロス効果(俗にいうギャップ萌え)の作用もあろうか。(タイトルの変遷が分かり安すぎるほどだ。)

 娘との生活の中から遠慮なく引用すれば、(冒頭の数字はページ番号)


012  父われの胸乳(むなぢ)をひたに捻りゐる娘よ黄砂ふる夜が来る  『ひかりの針がふるふ』
033  麦茶呑みくだしてかあ、と息をつく乳児よ人となれ少しづつ
033  智慧の実を日々齧りゆく一歳はおむつパックを抱へくるなり
044  熱の児が眠りゆきつつしがみつくわれはいかなる渡海の筏
067  白湯のみて「おちやおいしー」と児は言へり育つらむ児は騙されながら
079  人様に糞便見せて褒めらるる稀少の時をまろまろとゐよ
079  やねのむかういつちやつたね、と手を振る児よ父には飛行機(ぶーん)はまだ見えてゐて
094  けふひとひまた死なしめず寝かしつけ成人までは六千五百夜
096  あるかうする、と言ひ張りてわが手を払ふ児は纏ひたり小さき風を

 などがいいと思った。具体的シーンを述べ、そこに考察を挟むパターンが多い。黄砂、人となれ、智慧の実、渡海の筏、騙されながら、まろまろとゐよ、小さき風。ポエティックでありながら言葉が先走っていない印象。さきほどの井上の言葉の、〈私〉を介入させない、とは真逆だ。私(と家族)を中心にする行き方であるけれど、じゅうぶんに「経験や体験をどこまでも、愛着や諦念が澄んで透明になるまで濾過させてゆき、むこうがわから溢れてくるのを待つ。」(井上)ことに成功していると思う。
 歌はとうぜんなのだけれど、ひと通りではない。

 また、原発事故の後処理に携わった歌も、臨場感があった。石巻市の瓦礫を受け入れた北九州市で働いたことがあったのか。はっきりとは記されていないが。

035  線量を見むと瓦礫を崩すとき泥に染まりしキティ落ち来ぬ
041  冬ざれの甘木の森に樹は倒れわが魂(たま)を刈る音かと思う
042  塵芥(ごみ)山を掘るは心を掘るに似て分解熱にぬるき湧水

 一首目の「キティ」には、そのぬいぐるみ(たぶん)を抱いていた子供の運命を遠く思う歌。二首目は魂が刈られるという把握が斬新。三首目。ゴミの山が持つ熱のリアルさがある。こういう思い内容に文語がまだまだ有効なことも思う。

 また、次の歌は被災地で除染作業をしたものと読み取れる。

053  水洗ひされたる家にしたたれる水に言葉は湿りゆくのみ
056  行き交へるバスどのバスも服青き男ひしめき1Fへゆく
058  先客の名を隠しつつ鉛筆を吾に渡せりスクリーニング受付

 一首目は、現実の巨大な圧力を前にして、言葉の切っ先が鈍る。言葉の存在のはかなさすら感じた瞬間かもしれない。二首目。東京ではあまり報道されなくなってしまったけれど、このシーンは続いているのだろう。三首目。名前を隠す必要がある、という事実の異様さだろう。どれも事実性を一首の中心に据えながら、独自の「短歌的」視点でルポルタージュのように切り取る。
 博多湾の水質調査を題材にいた歌もいいが省略。 

 これを挙げ忘れた。
 
122  パパゴリラごりらをどりを披露せりママゴリラまだ恥ぢらひのある

 先日、社会学者で作家でもある岸政彦さんのツイートに、友人に「岸さんの声で再生されるから」岸さんの小説は読めない、と言われたとあった。短歌の世界はその逆で作者を知れば知るほど、(幸運にも)声や表情を知れば知るほど作品に入りやすくなることはあろう。岡井隆の口吻は、岡井隆の歌をさらによく響かせるだろう。
 ということを考えると、黒いロングコートを着こなしていた真顔の黒瀬さんを知っていると、この歌がとてもとても愛おしくなるのだ。いつか、眼鏡を娘さんに踏まれたと言って、そのレンズ部分とブリッジをセロテープで留めていた黒瀬さんを思い出しました。


*               *          *


 今回、「八雁」2021年1月号、「短歌とジェンダー 何が問題なのか」についても触れたかったが、なかなか手強いテーマであり考えがまとまらない。いずれ。
 これで1年間4回の執筆は終了。来年度も継続させていただきます。

短歌評 センチメンタル詩論 ―岸上大作ト寺山修司ヲ論ジテ我ガ短詩系文藝総観ニ至ル 平居 謙

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 岸上大作展が姫路であるのを楽しみにしていた。ところが予定していた日に限って用事が入り、とうとう行けずじまいに終わってしまった。基本的にはヒマなのだが、フルで身体が空くのが月曜ばかり。その月曜ならば休館日。結局代わりに岸上大作を読み直すことにした。32年ぶり。ウソー。驚いたけれどもホントーだ。それでまたまた驚いてしまった。切迫感。失恋。切なさ。国家のもんだい。時代性。透徹した目線とセンチメンタルの間を揺れるアンバランス。急勾配。抑制。最近ある講座のために読んだ森田草平『煤煙』や山川方夫の小説の中に出てくるいくつかの自死のことを思う。日本に脈々と流れる心中の思想に思いを馳せる。岸上は独りで死んだけれども、短歌と心中したことは間違いがない。今回は姫路の春の風景なんかに触れながらのんびりと書いて終わりにしようと思っていたが、岸上を読んでしまうと牧歌的ではいられない。遠い春の日に感じたはずの戦慄の記憶が心に蘇ってくる。気持ちがぴりぴりとする。
 彼の作品に関しては、今更僕が書くまでもないだろう。吉本隆明をはじめとして多くの批評家が論じているから本稿では岸上の「寺山修司論」について書いてみよう。今回は僕にとっては2年間お世話になったこの短歌評連載の最終回でもある。それで僕自身にとっての短歌観についても少しく書いておきたい。
 ただそうは言うものの僕自身が岸上のどの歌を評価しているかくらいは彼について文章を書く以上、前提としてあるいはエチケットとして示しておくべきだと思うので『意思表示』の中から十数首選んでおく。また同様の意味で寺山修司に関しても同じほどピックアップした。まずは岸上大作の歌。

  ① 意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
  ② 海のこと言いてあがりし屋上に風に乱れる髪をみている
  ③ プラタナスの葉陰が覆う群れ区切り拳銃帯びし列くまれいる
  ④ デモ解きし銀座に並べあう肩にもうひとつの意思表示といわん
  ⑤ 耳うらに先ず知る君の火照りにてその耳かくす髪のウェーブ
  ⑥ 夏服の群れにひしめき女学生たちまち坂を鋭くさせる
  ⑦ 日本語美しくする扼殺死抗議にひとり選びたる語彙
  ⑧ 買いて来し金魚袋に泳がせつ夜の電車に翳もたぬ少女ら
  ⑨ 撒きて来し反戦ビラの誤字ひとつ思うとき少年はもっともかなし
  ⑩ プラカード雨に破れて街を行き民衆はつねに試される側
  ⑪ 亡き父をこころ素直にわれは恋ういちじくうれて雨ふるみれば
  ⑫ ラジオ講座聞きおりしわれに深夜の北京放送中国民謡
  ⑬ 母の手にえんどうの莢はじけつつつばめはしきりに巣を作りいる

 ① の歌は僕が選んだというよりも「これは外せないだろう」という意味で置いた。岸上を論じるならば「お約束」という感じだろう。僕として特段に高く評価しているわけではない。それに寺山修司の真似っぽさが目につく。②は清々しくロマンチック。これが、いい。③に関しては全く個人的な問題からここに選んだ。千種創一『砂丘律』についてこのサイト「詩客」に書いた時〈そのほかにも、「砂漠」「実弾」「戦況」等の言葉が現れて、これだけでも日本では読めない短歌だという実感が歌集を開いた瞬間に強く思われるのである。〉と僕は書いている(「何度でも愛せ、マグダラのマリア 千種創一『砂丘律』の不穏と罪と」)。しかし恥ずかしいことに考えてみると完全に平和ボケであって、僕の前世代においてはまさに戦争ともまがうような闘争の中、「拳銃を帯びた列」と実際に間近に相対していたわけである。千種のものが「日本では読めない短歌だ」というのは1980年以降の泰平期に限ってのことにすぎなかったのである。ここに補充的に訂正しておこうと思う。④はほっとする。時代の楽屋裏を見ている気分になる。⑤は②に通じる恋の歌だ。これらはどんな時代でも普遍的な主題に違いない。⑥は恋歌ではないが、「坂を鋭くさせる」という表現の中に岸上の女性に対する憧れが強く集中的に現れていて心が痛くなる。⑦はこのために文学者の存在はあるのだと思わせる重要な歌だ。岸上にとって「日本語美しくする」とは、厳密なところにおいてもごまかしのないレベルで物事を判断するという意味なのだろう。⑨も⑩も同じように真剣な岸上の眼差しが感じらえる。実感に溢れた歌だ。⑪のような主題を歌う場合重要なのがこの歌における「いちじく」のような非常に具体的なアイテムの存在であることが痛感できる。
 寺山修司の歌に関しても同様に対応しておく。これは寺山に対する僕の〈挨拶〉である。そのため岸上の観点を外して『寺山修司全歌集』の中から最近◎をつけた10首+αを以下に挙げておこう。

  ① 大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
  ② 新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
  ③ 孕みつつ屠らるる番待つ牛にわれは呼吸をあわせてゐたり
  ④ つひに子を産まざりしかば揺籠に犬飼ひてゐる母のいもうと
  ⑤ 倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう
  ⑥ 外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず
  ⑦ われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る
  ⑧ 誰か死ねり口笛吹いて炎天の街をころがりしゆく樽一つ
  ⑨ テーブルの金魚しずかに退るなり女を抱きてきてすぐ乾く
  ⑩ マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
  ⑪ 群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており
  ⑫ いたく錆びし肉屋の鉤を見上ぐるはボクサー放棄せし男なり
  ⑬ 「革命だ、みんな起きろ」といふ声す壁のにんじん種子袋より
  ⑭ 大いなる欅にわれが質問す空のもつとも青からむ場所

 ① と②の歌は演技とか現実だとかそんなことは問題にならないほどに優れている。僕は1985年に『寺山修司全歌集』を借りて読んだが、この本が僕にとっての短歌の入門書だったわけだ。この2首を読むだけで僕は恐ろしく暗い街を旅している自分にその都度気付く。③は牛に自分の呼吸を合わせることの出来る感性は信じるに値すると思わせる。④はもの悲しさが孤独をさらに強いものにする。⑤は純情。べたべたした手の汗を思わせるが殻付きの南京豆でせめてあって欲しい。⑥はとても素に感じられて好きだ。⑦寺山あ、お前神が分かってるじゃないか。⑧二つの事象を不自然なくつなぐことのできるものを感性というわけでそれによって文学は成立するのだということがよく感じられる。⑨は金魚と女との対比が見事。女を抱いたあと発せられるオーラというものは金魚であってさえ(あるいは金魚だからこそ)敏感に感じ取るのだという高度な感覚を直截的に伝えてくる。⑩これは寺山を論じる際の「お約束」のような意味でここに置いた。特に意味はない。岸上の①の歌はこの歌のパロディにならないパロデデイだろう。⑪夜の蟻は黒に紛れて普通の眼では見ることが難しいだろう。それを見ることができるのは、昨日を失った青年くらいのものなのかもしれない思う。こう書きながら、明日を失うよりも昨日を失う方が恐ろしいのだとつくづくと思う。⑫これを選んだ頁に「ダメになった男を書くのか……」というようなメモを僕は残した。⑬の歌は可愛いファンタジー。⑭は爽やかすぎて寒いが寒いほど爽やかなものしか読むに値するものはない。
 岸上は「寺山修司論」の中で、寺山修司の「チエホフ祭」から「砒素とブルース」に至る作品の中から「アト・ランダムに抽ひて」いる。数えてみると偶然14首なのだが、僕が上に選んだものと一切重なっていない。岸上と選がずれているからといって自分の選球眼がないということにもならないわけだが、どこか不審に思って『寺山修司全歌集』を見直してみると、忘れていたのだが全集の余白に僕は次のようなメモを記していた。

  寺山の歌
 演技によって私性を隠す。それによって過剰な感情がついにあふれ出てくる。短歌という形態そのものを象徴するような状況。1985年6月頃読み初めしを、2020年3月24日読了(作品篇)

 まさか35年かけてじっくり読んだというわけではない。多分以前にも全体にざっと目は通したはずだが、この歌を採ろう、というように◎や〇印をつけて丁寧に読むということは今回が初めてであった。メモ中にある「短歌という形態そのものを象徴するような状況。」とは何を意味するのか書いた自分でもよく分からないし第一日本語になっていない。まあメモなのでご容赦いただくとして、おそらく僕がこのメモを記した時期というのは、この詩客への短歌評連載を一年終えて、本腰を入れて短歌について考えてみようという風に思っていたのかもしれない。分からないなりに推測してみると現在の(2020年ごろの)短歌、歌集には、全く別の人格になり切って短歌を作っている特に若い世代の作品を幾つも見かけたので、そういう短歌の限界が、寺山の短歌の中にすでにはっきりと存在していることに関する覚書だったのだと少し思い出してきた。「演技によって私性を隠す。」とは、図らずも岸上が言っている「リズムによって獲得する社会性」(後述)と同義なのだ。岸上が挙げているのはアト・ランダムに上げたとは言っているものの〈私小説的告白ではなくて〉描いてしまった普遍的「われ」=耳ざわりのよい共通感覚(岸上は「普遍的」とのみ記しているがその意図するところは「疑似普遍的」だろう。あるいは「普遍的」という言葉の中にすでに負の意味合いを込めていると考えればやはり岸上自身が書いているように「普遍的」ということばだけで済ますのが適切なのかもしれない)が露出しているものであろう。つまりはもっとはっきり言ってしまえば攻撃目標に他ならない。岸上と僕の選が完全にすれちがっているのは文学または文学者というものに関して岸上と同じスタンスを取る僕(であることが今回初めて理解できた)が、それでも、そういう僕でも受け入れることができるという意味において寺山の中の優れた作品をピックアップしたからに他ならないのだろう。岸上は問題のあるものを、僕は問題の比較的淡いものを選んだわけだからクロスしようがないのである。
 こんなことを書きながら、やはりここには岸上が引用した寺山の歌を挙げておかねばどうにもならないような気がしてきたので以下に作品だけ引用しておく。

   勝ちて獲し少年の日の胡桃のごとく傷つきいるやわが青春は
   そら豆の殻一せいになる夕母につながるわれのソネット
   海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
   Businessのごとき告白をきゝながら林檎の幹に背をこすりおり
   青空におのれ奪いてひゞきくる猟銃音も愛に渇くや
   乗馬袴(キロット)に草の絮つけ帰りきし美しき疲れわれは妬めり
   胸病めばわが谷緑ふかからむスケッチブック閉じて眠れど
   ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに
   草にねて恋ふとき空をながれゆく夏美と麦藁帽子と影と
   わが胸を夏蝶ひとつぬけゆくはことばのごとし失いし日の
   わがにがき心のなかにレモン一つ育ちゆくとき世界は昏れて
   わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
   銅版画の鳥に腐食の時すゝむ母はとぶものみな閉じこめて
   古いノートのなかに地平をとじこめて呼ばわる声に出でてゆくなり

岸上はこれらの歌を〈短歌の「リズム」の駆使と、多様な状況における「われ」の設定とをその特色としている〉がゆえに〈ぼくのこの「寺山修司論」も、この二点において、解明し批判することになるだろう〉ための攻撃目標として論中に引用しているわけである。これらが秀逸歌かあるいは駄作かを僕は今判断することはできないが、少なくとも僕自身は全歌集の中から一首たりとも選ぶことははかったのだ。

         〇     〇     〇      〇      〇

 岸上が歌壇に登場しようとした時、寺山修司はすでに若きスターだった。すでに書いたように岸上はその寺山修司を手厳しくやり込めようとする。リズムによって獲得された寺山修司の社会性を否定し、私小説的な方法ではなく読者の中に普遍的に存在する「われ」を勝ち取ったことを批判すべきだとする。大江健三郎の言う「暗い眼の青年」「明るい眼の青年」のいずれも寺山は書けていないと岸上はいうのである。「暗い眼の青年」「明るい眼の青年」を書くというのは結局のところ次のような意味合いに他ならない。

 歌人がいまの体験を自分の〈傷〉として如何に肉体化しているかであるのだし、その〈傷〉の程度によって、ぼくらはいま本当の火事とニセモノの歌人を見分ける絶好の機会に恵まれているのである。(岸上「ぼくらの戦争体験」)

つまり岸上にとって寺山は〈傷〉の程度の深くないニセモノだということなのだ。「寺山修司論」の中からもっとも分かりやすい部分を探すならばそれは以下の箇所である。

 寺山修司は、短歌リズムの駆使あるいは短歌リズムへの投身によって、「われ」を多様な状況に設定し、つまりは拡大安定期にある日本の国家独占資本主義の現実に呼応・迎合し、「われ」をそこへ拡散し、そこで「われ」を喪失する。そのことが寺山修司のいう社会性なのであり、また「われ」を喪失し、それに呼応迎合することが現代社会でいわれるところの社会性でもあるのだ。このみごとな調和に、ぼくらはもはや批判のことばをもちえない。(「寺山修司論」中盤)

面白い事に「短歌リズム」を「平明さ」に置き換えれば短歌と詩との違いこそあれ、そのままの形で「寺山修司」を「谷川俊太郎」あるいは巷にあふれる「谷川俊太郎もどき」に置き換えることができるということである。岸上のこの図式は慧眼であって、ニセモノの見分け方の基準こそジャンルによっていくらかの違いこそあれ、様々な方面に援用が可能だということである。それだからこそ岸上にとっての文学者の定義というものはこんな形に閉塞せざるを得ない。

 文学者の社会的存在は何らの特権的地位を約束されるものではなく、つまり文学者は文学者として社会的に存在するのではなく、あくまでひとりの人間として存在するのであり、そのひとりの人間の格闘の苦渋のなかから文学を産もうとするのであるから、それは無償の、またそれによって何らの社会変革への貢献もなしえない営為なのである。選ばれるのは、そのことを知っている少数者なのである。(「寺山修司論」最終部)

 この「寺山修司論」は長編の批評だが、岸上大作の短い生涯でそれに次ぐ長さのものが「ぼくのためのノート」だそうである。これは当人によれば、自死の当日、死の決行までの「時間つぶし」として書かれたものである。しかしそれだけに切実で「これは失恋自殺」「僕は恋と革命のために生きなければならなかった」「僕は弱い」「いまここで死ねば、そのまちがいの上に築かれたわずかばかりの作品をぼくは信じて遺しうるのだ」「いまでも、夭折歌人として文学史上に残ることを夢見ている」「生き残った者は強く生きろ!」などの突き刺さるような青くさい言葉が散見する。中でも自身の言う「ぼくは何て、センチメンタリストなんだろう。」という言葉には素直に共感することができる。
 先に岸上の文学者観に「閉塞」と書いたのはそれは批判的意図ではない。むしろ僕はその正当を高く評価する。北村透谷いうところの「空の空を撃つ」という文学観の極北である。しかし世間の評価はそうではなく、岸上のような捉え方は「負け犬の遠吠え」のようなイメージを持たされることになる。その意味で「閉塞」と書いたに過ぎない。その「負け犬」にとって、世間への復讐がなされるとすれば―それはすなわち寺山修司と同等あるいはそれ以上の「文学史的意義を与えられる」ことなのだが―その方法はたった一つ。私を貫き短歌と心中するという体当たり的な手法を以て「夭折歌人として文学史上に残る」しかなかったのだ。岸上大作、希代の「センチメンタル歌人」である。

         〇     〇     〇      〇      〇

 国家と個との間をアンバランスに揺れ動いた気弱な骨太歌人・岸上大作について触れたあと、僕自身の短歌観を述べるのは不思議な気持ちだ。なぜそんなことをしようと思ったか。それは岸上が「短歌は抒情詩である」と言っているからである。もっとも岸上は「〈短歌は抒情詩である〉と今の御時世にヌケヌケと言いうる者は余程の時代錯誤に陥っているのだと決めつけられてしまうような気がする。」(「ぼくらの戦争体験」)と引け腰ではある。だが僕は、全くストレートに言うのである。
 僕自身の作る詩(短歌ではなく、詩)は、抒情詩ではない。むしろ抒情を排する方向である。20代の時ほど過激に抒情を憎むわけではないが、少なくとも心情吐露系の詩を作るのはご免である。しかし心情を吐露することが無意味だと思っているわけでもない。切ないシーンなどに触れると―例えば漫画などでそういうシーンを読むと-貰い泣きしないまでも「ああいいねえ」とキュン💛としたりしないでもない。詩の中から徹底してそういうものを追放しているが故に、却ってそういう要素の重要性は意識している。ただ僕はそれを詩の中で展開する気持ちにはなれないでいる。そのための受け皿として短歌がここに登場する。詩では抒情を否定する僕が短歌では極端に抒情する。その意味で僕にとって短歌はただ単に「抒情」であるだけではなく、詩によって否定されている抒情を含み込む、言ってみれば「二重の抒情」に他ならないのだ。
 僕の短歌はべたべたである。抒情で溢れている。先日俳句のわたなべじゅんこに歌集の原稿を見せたら「(平居さんの)短歌は全体に甘めですね」と言われてしまった。しかしそれは狙い通りなのである。明るくうら寂れた僕の詩の風景に安っぽい抒情は不要である。というより僕の描き出す風景自体が既に安っぽい抒情である。そのため心情を描き出す必要すら感じない。その余力或いは補完を短歌がなすという構造が必然となる。
 日常の中のふとした「感」覚や「感」傷を言葉にする技術はといえば平成の時期に異常なほどにまで発達していた。その点においてはこの2年間僕が連載を続けてきた中で扱った何冊かの歌集を読むだけでも明らかなことだった。短歌という型の憑き物が落ちて、みんな自由に書いてるな。そんな微笑ましい光景すらそこにあるような気もした。ちなみに僕がこの時評で取り上げた歌集や短歌についての本は、藪内亮輔『海蛇と珊瑚』・笹井宏之『えーえんとくちから』・千種創一『砂丘律』・柴田葵『母の愛、僕のラブ』ねむらない樹別冊『現代短歌のニューウェーヴとは何か』佐佐木定綱『月を食う』仲西森奈『起こさないでください』千種創一『千夜曳獏』笹公人『念力レストラン』萩原慎一郎『滑走路』である。演技性過剰なものもあったが、日常感覚は極めて高い感度で表現されているものが多く僕自身そこから学ぶべきことは限りなく大きかった。「感」情を書くならばやはり短歌だ。しかし現代短歌の最大の欠点は日常生活の「感」にのみ注意を払っているように思われるという一点である。現在は岸上の頃と異なり国家への言及を核に据える時代ではないかもしれない。それにしてもその国家観に匹敵する中心がなさすぎて揺らいでいる。もっとも他人の批判など書いている場合ではない。話を自分自身の短歌に戻す。僕の短歌も現在のものたちと同様に甘い。それはわたなべじゅんこが言う通りだ。とはいえ僕の短歌に理想がないわけではない。僕の短歌の針は天上を向いている。風俗嬢に憧れる基督の再臨である。僕が何十年経って読んでも岸上大作に衝撃を受けるのは僕自身同じくアンバランスな枠組みの中で生きているからに他ならないからだろう。天才は天才を知る。僕は岸上大作を読む。岸上の「国家」の代わりに何を歌うべき時代であるのかを自分自身の中に刻み込むためにもう一度岸上大作の中を探す。むろん答は初めから分かっていて、それは「神」に他ならないのだが、その神を取り囲み言葉で撃つ方法へのヒントを改めて岸上の歌の中に探すのである。
 自分にとっての短歌の意義を書いたついでに俳句・川柳についても書いておこう。というのも僕は今、「短詩系文藝四重奏(カルテット)」という一人キャンペーンを鋭意展開中である。それはもちろんこのサイト「詩客」の森川雅美の影響にほかならない。森川は周知のように詩歌トライアスロンを長年推進中だ。僕は、作品中でそれらをごっちゃまぜにするに忍びない気がして(なんせ純情初心なもので)、単体で全部やろうとしている。けれどもジャンルの垣根を超えようという気持ちは同じだと思うんだな。で、僕にとって俳句の位置づけの話に戻すと、これは詩と短歌との関りと全然違っている。僕の詩の頂点に俳句があるという感じだ。詩はものすごく雑多で言葉数も多い。しばらく前に「雑居性の美学」と題する自分自身の詩に関する詩論を書いたことがあったが、まさに僕の詩は「雑居」に他ならないわけだ。しかし俳句はその性格上、極限に結晶させた僕の詩だ。表現三角形の頂点から五分の1あたりあたりの所までを占める小さな△(三角形)がある。それを他の人が俳句と呼んでいるに過ぎない。もっとも、僕も僕でサーヴィスとして、それが「俳句ですよー」と分かるように、丁寧に歳時記を読んで季語をお供えしたりはしてやるのだが。
 僕は俳句を書く時、季語を外すことはない。「季語は絶対外さない」という僕の俳句の在り方は、反射面として僕の自由さを現わすことになる。僕にとって短歌の抒情に2重性があるのと同様、僕の俳句の在り方にも2重性が存在している。
 詩を長く書き続けてきた後、ある時僕は空手を習い始めた。それは詩の世界とはおおよそ正反対の世界だった。師匠から教わる型を勝手に変えるなどということはあり得ない。一寸たりとも変わらぬ角度で師匠の教えたままを完全に習得するのである。そして意外なことにそれは楽しかった。詩の自由とは異なる宇宙があった。オリジナルというものがあるとすれば、それは鍛錬を極めた先に生まれてくるのだろう。俳句にも同じようなものを感じた。それで僕は季語を必ず使うという原則を守ることにした。自由にやりたいのなら、他のジャンルにゆけ。僕は思う。先に俳句は僕の詩の結晶部分であると書いたが一方では僕の詩にない「型」への憧憬を満たすものでもある。短歌と僕との関係とはまた異なる意味での2重性がここに存在している。
 川柳は僕にとって最下位だ。最下位というのは誤解される言葉だと思うが、一瞬誤解させるために言ってみてるのだから誤解されても仕方あるまい。僕の川柳の先生は湊圭史であってそれ以外の誰でもないし、誰の川柳も知らないで書いた。時実新子くらいはずっと遠い昔に読んだ覚えがあるが、何か感じた記憶はない。ある時湊が詩の合評会に提出した俳句を読んで、とても面白いと思った。彼はそれを現代川柳と呼んでいたので、なるほどそういうものかと思ったくらいだった。それで僕はそれを真似て一年間、「俳句CHIPS」と称する作品を書きまくった。それを合評会ごとに提出した。自分で選んだ秀作は太字にして示したりした。湊は「平居さんが自分で選ぶのはどれも全然だめ」と毎回言い続けた。教育者としてとても正しい男だと思った。最近『はじめまして現代川柳』という本を読んで世の中にはこんなにも多くうの意味不明かつ愉快な言葉たちが存在していたのだと知った次第である。そんな中においても湊の作品は特別な輝きを放っていた。
 今、最下位と書いたが、それはどういう意味かと言えば「地べた」という感覚のことだ。地べたを蟲が這うように川柳はある。そういう意味で言うのであって、レベルが低いという意味の最下位では勿論ない。目線の高さが詩・短歌・俳句に比して一番地面に近いという意味なのである。
 ちなみに僕は川柳という言葉がキライだ。なんか泥鰌鍋みたいな響きがある。サラリーマン川柳とかも面白くない。狙いすぎると面白くない。狙いすぎていいのは芸人のコントだけだ。芸人のコントの場合「狙いすぎてませんよ~」的に、素を装って芸をされると白けてしまう。堂々と狙ってなおかつ的を外さずやるのがプロというものだろう。しかし、文学はプロではない。文学者というのは精神的態度のことであって職業名を指すのではない。文學を愛し文学の視線で考えることの出来る人間のことだ。岸上大作流に言えば「ひとりの人間として存在する」に過ぎないものでありながらなおかつ「選ばれる」であり「少数者」である存在なのだ。僕の俳句は天上のみを指し示す。ちなみに湊は決して狙ったような下らない句を作ることはしない。その点が感服するところである。
 昔の芸人たちは「女遊びは芸の肥やし」とか言ったらしいが、僕にとっては短歌・俳句・川柳は詩の肥やしに過ぎない。などとは口が裂けても言いたくはない。肥しという言葉が穢な過ぎる。その意図するところをもう少し美しい言葉で言えば、「詩論という名の補助線」のことだ。僕の短歌・俳句・川柳を読むことで、僕の詩の位置づけが明確になる。僕にとって短歌は天上を指し示しつつ地上の女に恋をする。俳句は岩塩であり川柳は地を這う蟲だ。そしてそのあだ花の間から、僕の詩がにょきにょきと姿を今日もあらわしてくる。

         〇     〇     〇      〇      〇

 2年間の連載、お読みいただいてありがとう。僕の「短歌時評」はこれでおしまいです。何よりも近代詩に関する以外ほとんど批評を書いたことのなかった僕に、まずは現代詩時評を書かせ、そのノリで全く知らない短歌の世界の批評を書く機会を作ってくれた森川雅美に深く感謝の言葉を述べておきたいと思う。それによって僕の歌集『星屑東京抄』も生まれることになった。文学史上もっと面白い出来事もこれからいくつも起こってゆくだろう。いや、僕が起こしてゆくよ。期待してくれ。さようなら。いつか、どこかで。

短歌時評166回 短歌講座で学べること 竹内 亮

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 短歌講座のことを書こうと思う。
 わたしは短歌を東直子さんの講座で始めた。
 2011年に始まったNHK文化センターの講座でもう10年通っている。
その間、東さんの講座のほかに、穂村弘さんが2年だけやっていた慶應丸の内シティキャンパスの連続講座に行った。仕事が忙しくて途中で行けなくなってしまったけれど、堂薗昌彦さんの講座にも少し行っていたし、いまは中断している服部真里子さんの連続講座にも出ていた。
 「半券」という同人誌を一緒につくっている山本夏子さんが誘ってくれて、大阪に日帰りで行って吉川宏志さんの単発の講座に出たこともある。
 短歌の講座に生徒として出た経験が多い方だと思う。

 短歌講座では、教え方が歌人によって大きくちがうように感じた。
 東さんと穂村さんと堂薗さんと服部さんと吉川さんは、それぞれ違う切り口で説明をしていた。教え方が違うのは、作歌の方法が人ごとに違っていることの表れなのだと思う。

* * *

 木下龍也さんの『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社、2020年)を読んだ。
 短歌の講座は中学校の体育の授業に少し似ていると思う。
 説明されてもわからない人にはわからないのではないかと思うのである。しかし、木下さんの本はそれをクリアカットに説明している。スキップができない人にスキップを説明するようなことに成功していると思う。

 たとえば「余白に甘えるな」(48頁)という章で、木下さんはこのようにいう。
 短歌が余白の多い詩型であることを前提としながらも、読者に対して、

 「ここからお任せしますでは、つくる側としては向上がない。僕は短歌をつくるとき、僕の頭に浮かんでいる映像や絵とまったく同じものを読者の頭に浮かべたいと思いながらつくっている。喜怒哀楽のどの感情をどの程度動かしたいのか意識しながらつくっている。」

 というのである。つまり、木下のいう「余白」は読者の読みにおいて偶然に現れるものではなく、作者が「余白」として提示したものが余白として伝わる、ということになる。

 木下さんはこの本の「はじめに」に

 「僕にとって僕は短歌の天才になりえない。なぜなら僕には僕の短歌の意図、構造、工夫がすべてわかってしまうからだ。」(6頁)

 と書いている。意識的に作歌をしている歌人だということだ。
 木下さんがこの後、各論として意図、構造、工夫を説明してくれるものが読みたいと思う。それは木下さんの工夫を明らかにするだけでなく、短歌の謎に迫る試みでもあると思う。

* * *

 東直子さんの講座は10年経って、最近大きな変化があったように思う。
 最初の頃は、「鳥」「鍵」「歩く」などの題でつくっていたのだけれど、最近は「異化」を試みた一首、「連鎖」を試みた一首というような題が出されている。「公募ガイド」に東さんが持っている短歌欄のコラムを基にしていて、東さんは、「異化」について

  ごちゃごちゃの思いあらたに加えつつ酢の香をたててかきまわす春 東直子『千年ごはん』

 という歌を、「連鎖」について

  それはひどい春風でしたみんなみんな水中バレエの踊り手だった  東直子『十階』

 という歌を例歌として挙げる。

 これらの題が講座で説明されるとき、クリアカットな説明が困難な作歌のプロセスが少し明らかになるように思う。短歌の講座には短歌が上手になりたいと思って通うところもあるけれど、歌人の作歌過程を知ることで、短歌の秘密の一端が言語化される場でもあると思うのである。

短歌時評167回 ステキな歌 大松 達知

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 くどうれいんさんの「氷柱の声」(「群像」2021年4月号)が芥川賞候補になったという知らせが入って来た。はじめての小説作品。慌てて検索してももう手に入らない。7月の書籍化を待つのみ。
 もちろん「くどうれいん」さんは「工藤玲音」さん。盛岡市出身在住。
 日本文学振興会発表の候補者紹介に「俳句結社樹氷同人、コスモス短歌会所属」とある。

 かなり異色かもしれない。でも驚かない。これまでエッセイ(『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』)や短歌作品を読んできたから。そのたび、「センス」としか言いようのない言葉の使い方、ドラマの作り出し方に驚き、楽しんできたのだ。

 その工藤玲音の第一歌集『水中で口笛』(左右社)について書いてみる。
 まさに工藤ブシが炸裂、という印象。

  016  大型犬飼って師匠と名付けたい師匠カムヒア、オーケーグッドボーイ
  017  将来は強い恐竜になりたいそしてかわいいい化石になりたい
  022  かき氷だったピンクの水を飲み全部殴って解決したい
  023  ATMから大小の貝殻がじゃらじゃらと出てきて困りたい

 序盤から飛ばしてくる。(歌の左の数字はページ番号。)
 かってに、「願望シリーズ」と名付けているいくつか歌。とにかく言葉が元気。ハツラツという陳腐な単語が褪せて見えるほどのハツラツさである。願望という形を取りながら、鬱々とした現実世界からの突破、そして別世界への乱入を試みているようだ。

 ただし、それは別世界とは言っても、ファンタジーの世界や非現実の世界ではない。現実と地続きでありながら現実の裏側に潜り込む。いまここにありながら、もう一人の自分が「ここ」の裏側から自分を覗き込む。そんな「無理のない説得力」が心地よい。(それを手ぬるいと見る向きもあるかもしれないけれど。)

 そして、言葉の選択がステキ。良いとか巧いとか秀歌とか名歌とか言うけれど、「ステキ」がもっとも適している感じがする。

 大型犬の名前はなんでもいいはず。タローでもライオンでもマロンでも茶々丸でもなんでもいい。そこに「師匠」。年長者をからかう小悪魔的な姿をちらっと見せる。そして、Come here, OK, good boy! それも舌を噛みそうなカタカナ表記から、グッドボーイと低音で締める感じ。そのあたりのコミカルなリズムもステキ。分析すればそういうことになろう。でも、歌を読むときにそんな理屈は考えない。頭で言葉をこねくり回していない。体で感じた言葉という印象。他の歌もこんな感じのステキさに満ちている。

 三首目の「全部殴って解決」というフレーズもいい。鬱屈するようなことがあっても、嘆くのでなくぶち壊す方向にすすんでゆく。そんなハツラツさに心を奪われる。社会が今よりも元気だったという戦後からの五十年ほど。そのときは短歌で個人の暗い感情を打ち出してても、社会全体の活力とバランスをとっていけたのかもしれない。

 しかしやがて、日本の経済的成長は頭打ちになり、バブル崩壊後、経済的な国際競争に負け続ける状況がやってくる。しばらくは目をつぶっていることもできた。しかし、東日本大震災や多くの自然災害、それに新型コロナウイルスとの戦いに比較的遅れを追っているという現状はもう直視せざるをえない。

 そうなってくると、短歌の方にこそ元気であって欲しい、短歌に暗い現実を入り込ませないで欲しい、という気持ちが出てくる。そこに工藤玲音の歌はすっぽりはまる。ディストピア文学とは逆の方向の「健全な」あり方が良いと思う。

  080  やわらかい蠟をさわってセックスが終わった後のきもちになった
  085  夜と死が似ている日には目を閉じてふたりで春の知恵の輪になる
  085  性交の動画開いたパソコンのシャットダウンを最後まで見る
  091  シャワーヘッドを握りしめ白蛇を殺してしまったみたいに泣いた

 その「健全さ」は中盤のこんな歌にも感じる。感情と歌の言葉の間に捻じれたりひねくれたりするところが少ない。なんだか分からない感情をなんだか分かるようにして提示してくれる。分かりそうな感情をわざと分からないようにしている(ように見える)歌も多く流通している(ように見える)現在。このストレートさは心地よい。

 そこには、「蠟」「知恵の輪」「パソコン」「シャワーヘッド」など、核となる物体が一首の中心に堂々と座っている感じ。これは、工藤が敬愛するという(そして、この歌集の「編集協力」である)小島なおの歌の作り方に似通うところがある。

 と、話は急に変わるのだが、「コスモス愛知」という「コスモス」の支部報がある。(「コスモス」関係ばかりですいません。)そこに鈴木竹志が、角川「短歌」1977年7月号の特集を引用している。若手歌人が自分の方法論を語るというもの。

 高野公彦の「明確な表現にある謎」という文章。孫引きさせてもらう。

 私は自分の方法論など持たぬが、強ひて言ふなら、できるだけ明確に言葉を使ひたいと思つてゐる。この〈明確に使ふ〉といふことの中には、むろん言葉を積木のやうにもてあそぶことは含まれてゐない。それは明確さを裏切る行為にすぎないからである。
表現はあくまでも明確でありながら、その中に解きがたい謎のやうなものを秘めてゐる—そんな作品が、私にはいちばん付き合ひやすいし、また深い付き合ひもできるやうに思はれるのである。

 鈴木はこの文章を受けて、この前年(1976年・高野34歳)に刊行された高野の第1歌集『汽水の光』は、この「方法と実践が見事に融合している歌集」だと言う。高野の現在に至る歌業を貫くもっとも大切な部分であると思う。(むろん私はその主張に強く賛同する。)

 この発言の後も、高野は繰り返し、「言葉を積木のやうにもてあそぶ」歌を批判してきた。それは頑固ともリゴリストとも言われることもあるが、実はとても単純で簡潔な態度なのだ。

 そこで、ふたたび工藤に戻る。この「明確な表現にある謎」が工藤作品の魅力のひとつだと思うからだ。

  080  やわらかい蠟をさわってセックスが終わった後のきもちになった
  085  性交の動画開いたパソコンのシャットダウンを最後まで見る

 やや目を引く単語を使った先述のこの2首。
 なぜやわらかい蠟の感触と性行為が終わった後の気持ちがつながるのかは書かれていない。しかし、熱せられて弾力を持った蠟燭。その独特な感覚が一首の核として強い存在感を示している。

 また、なぜアダルト動画を映したパソコンが完全に電源オフになるまで見つづけたのか書かれていない。(現実的な証拠隠滅確認的な意味はあろうとも。)しかし、その数秒の行動は十全に書かれている。ひとつの時間を確実に終わらせる気持ちかもしれない。言葉で割り切れない感情だからこそ、その動作を端的に描くのだ。
 そして、読者はその「明確な表現にある謎」に包まれてゆく。それがこの歌集の読みどころ大きなひとつだ。

 短歌の表現を革新することは必要だろう。それはときに意図的に、ときに強引に。(塚本邦雄のように、穂村弘のように。)
 しかし、その過程で「言葉を積木のやうにもてあそぶ」ような迷路に入り込んでしまうことを私は望まない。今でも、石川啄木が一気に作ったという作品が読まれつづけるように、ストレートな感情が伝わる作品が、(俵万智のように)結果として短歌の表現を革新してゆくのかもしれない。

 さて、『水中で口笛』の後半には、そんなストレートさを前面に押し出した相聞がある。もう長い間、あっけらかんと相聞を詠むことが少なくなったと言われる。時代のせいというなら、どんな時代なのだろうかと思う。しかし工藤はそんな方向には与することなく、独自の情愛の深くコミカルなシーンを見せてくれる。

  118  葉を見れば咲く花わかるわたしだよきみの手を取るとき夏の風
  127  発作のごとくあなたは海へ行くとしてその原因のおんなでいたい
  130  助手席のわたしをわたしにそっくりな綿と信じて泣けばいいのに
  153  魚がはじめて自分の口からでた泡(あぶく)眺めるような恋をしている
  154  山にでもなっちゃいそうなきもちだよきみにつくづく思われていて
  154  ふたり乗りにふたりで乗るとちょうどいいふたりになったんだねほんとうに
  168  天ぷらを食べつつ彼はどんな人と問われ咄嗟にほそながい、と
  178  神様に繰られてゆがむ口と鼻きみはいまから冗談を言う
  183  きみがいるこころづよさは自販機で買った後知る増量麦茶
  187  ぶおおんと言えば車がはやくなる明日も仕事なのにごめんね

 ポップスっぽく、演歌っぽく、ミュージカルっぽく、落語っぽく、泣かせたり笑わせたり、泣いたり笑ったり。多面的な主人公の顔が生き生きとしている。

 長くなったので、他にちょっと駆け足で紹介して終わりたい。
 どれも、向日性というか、自分の感情の振幅を疑わない素直さというか、とにかく。

  111  呆けた祖母を呆ける前より好きだった 水からぐわりと豆腐を掬う
  114  訛ってないじゃんと言われて無理矢理に訛るときこのいらだちは何
  122  あの街があの波でこの公園になったのだひろいひろいひろいこの
  126  就活用タイトスカート履くときの太巻き寿司の心強さよ
  141  寝つつ泣く涙を溜めて右耳はここを海だと勘違いする
  144  アメリカ帰りの同級生がまぶしくてしなちくみたいな表情になる
  145  パンケーキ食べてみたいという母がどうかかわいく呆けますように
  149  おとうとは父に似たねと話しつつ母と並んで蕗のすじ取り
  150  まず先に支柱ばかりが立っている きゅうり畑よ 通勤が好き
  151  サランラップの芯を握ったまま歩き頭をひとつ叩いて捨てる
  157  口紅をうすく引きつつ口紅にも工場があることの可笑しさ
  161  怒るときわたしの中にあるろくろ そこで回転する巨大土器
  165  とーほくとーほく 連呼をすれば寄せ鍋の豆腐を食べる声に似ている

 遠慮なく挙げさせてもらった。ドラマチックな喜怒哀楽。感情の起伏の襞を隠さず捻りすぎすに伝える。(おそらくその東北性は「氷柱の声」とともに分析の余地が大きいと思う。)

 短歌の楽しさを、短歌に親しみのないひとたちにも深く伝えられる歌集。朝日新聞の広告を見て買ってくださった読者を決して裏切らなかったと思う。
芥川賞、どうなるかなあ。

短歌評 短歌を味わえない 若林 哲哉

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 この4月から、国語の教員として中学校に赴任した。教えているのは中学2年生で、勤務校(の属する教育委員会)が採用している光村図書の教科書では、6月頃に短歌を学習することになる。どこの出版社の教科書を見ても、短歌とそれにまつわる読み物が掲載されているのだが、光村図書の教科書に載っている教材は、『短歌に親しむ』と題された栗木京子さんの鑑賞文と、『短歌に親しむ』と題された短歌6首で、これらを元にして授業を行うこととなった。俳句や短歌というのは、入試でもなかなか出題されることが少なく、国語の授業の現場においても、軽視されてしまうことが少なくない。また、僕自身は俳人で、短歌を書くことは殆どない。しかし、短詩に馴染みのない人たちからすると――生徒は勿論、国語科の先輩・同僚の先生も皆さんそうなのだが――俳句も短歌も同じようなものだという感覚があるのか、教材の短歌にまつわる質問が、何かと僕のところに届いてきた。その中で、特に印象に残っているエピソードを二つ紹介したい。
 まず、『短歌を味わう』で栗木さんが取り上げている短歌の中に、

  鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白 馬場あき子

 があり、「この歌の優れた点は、『水仙の白』と歌い収めたところです。鯨の世紀、恐竜の世紀といった、とてつもなく長い時間が『水仙の白』という一滴の時間の中に、すっと回収されていきます。大きな時間と小さな時間が、一首の中でダイナミックに溶け合っているのがわかって、思わずため息が出ます。」という鑑賞が付されている。
 これを読んだ先輩の国語の先生が、「どうして『水仙の白』でなければならないのか?」と訊いて来たのだ。「作中主体の眼前に水仙がある。水仙というのはある季節の間を咲いたら枯れてしまうが、水仙が根を下ろしている地球というのは、かつて鯨や恐竜が栄えたのと同じ惑星であり……」と返答しかけたところで、さらに、「『たんぽぽの黄色』じゃダメなのか?」と畳みかけられた。まるで短歌甲子園・俳句甲子園のような応酬に驚いてしまったが、その後は上手く返答することが出来ず、口を噤んでしまった。というのも、僕自身は栗木さんの鑑賞に納得していて、水仙である必然性のことなど微塵も考えていなかったからだ。
 今になって、これは、短歌における虚実の問題が下敷きになっているのではないかと思っている。というのも、僕が、馬場さんの短歌の歌い収めが「水仙の白」であることを疑わなかったのは、それが作中主体ひいては作者にとっての現実としてそこに存在することを疑わなかったということなのだ。また、先輩の先生が「水仙の白」ではなくても良いと思ったのは、それが作中主体や作者にとっての現実でなくとも、短歌の作品として納得性・意味性の高い措辞が他にあると考えたからであろう。短歌や俳句における一回性の重視という、ある一つの観点を共有していなかったことが、意見の違いを産んだのだとも言えるだろうか。
 もう一つは、『短歌を味わう』に採録されている、石川琢木の、

  不来方のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
  十五の心

 にまつわるエピソードである。ある生徒がこの句を、「十五人の人が草に寝転んで、空を眺めている」と鑑賞したのだ。新しくて面白い解釈だと褒めつつ、こちらも「十五歳」だとしか思っていなかったので、ひどく驚いた。
 確かに助数詞は入っていないから、十五人という解釈も成り立たなくはない。しかし、「草に寝転んで空を眺め、自分の悩みのちっぽけさを感じ、心が軽くなる」というような青春性は、啄木をはじめ、一つの類型である。例えば、中学生がよく歌う合唱曲『COSMOS』の歌い出しは、

  夏の草原に
  銀河は高く歌う
  胸に手を当てて
  風を感じる

 であるし、また、村上鞆彦『遅日の岸』の収録句、

  寝ころべば草がそびえて南風

 もその一例と言えよう。そうしたイメージを思えば、「十五歳」という読みの他ないのではないかと感じるのだが、一方で、「青春像」というものがあるとするならば、それは時代と共に変容しているのだろう。少し前に、Adoの『うっせぇわ』とチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』とを比較して、若者のメンタリティーの変化が論じられた。つまり、草に寝転んで空を眺め、ギザギザハートを癒やすよりも、優等生を演じつつ、大人たちを凡庸と切り捨てて、心の中で「うっせぇわ」と呟くのが現代のメンタリティーなのだろうか――とまで言ってしまうと、一生徒の発言から飛躍しすぎだろうとツッコミが入るのだろうが、ともあれ、余計なことまで含めて色々考える契機となった短歌の授業であった。

短歌時評168回 短歌という競技 竹内 亮

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 オリンピックが終わった。
 今回はあまり見ていなかったのだけれど、最終日の男子マラソンをテレビで観た。
 以前にフルマラソンを何回か走ったことがあって、わたしのタイムは4時間20分くらいで、札幌であったオリンピックで最後にゴールしたホンジュラスのイバン・サルコアルバレス選手の2時間44分36秒とも全然比べられないけれど、それでも、25キロを超えたところの苦しさ、給水で水を口に含んだときに一瞬楽になる感じ、途中で歩いてしまうときの身体の動かなさなどをテレビを観ながら想像することができた。
 選手たちは、互いに言葉が理解できなくても、もっと共感しあえたのではないかという気がする。スポーツのよいところは、種目という形式を言語や文化の差異を超えて多くの人が共有するところにあるのだろう。
 短歌にも似たところがあると思う。
 短歌という形式を共有することで、わたしたちは、形式を共有する人たちとわかりあえる。わかりあっているというのが正確でなくても、すくなくともわかりあったような感覚をもつことができる。

* * *

 歌会で初対面の人の歌を読むとき、その人のことがよくわかるような気がすることがある。
 そして、歌人に実際に会わなくても、その人のことが想像できたりもする。
 短歌を始めてしばらくしてから、短歌とは関係のない心理学の講座で一緒になった友人の女性が、わたしが短歌をやっているのを知って、
「もう亡くなった私の祖母が短歌をやっていたんです」
 と言って、祖母の歌集を貸してくれたことがあった。
 一度も会ったことがない彼女の祖母の歌を読んでいくと、その祖母に親しみがわくし、歌集には歌集を貸してくれた友人(歌人の祖母からみた孫)のことを読んだ歌が収められていて、その友人とも共感しあったような気がしたのである。
 実際の社会では、誰かとわかりあうことは少ない。オリンピックだって、100メートル走やスポーツクライミングは、すごいとは思うけれど、わたしには共感するという感じはない。その意味で、短歌という競技の共有は貴重なことのように思える。外国に行ってひさしぶりに母国の人に会って母語で話すときのような感じがする。

* * *

 オリンピックのあった8月前半、読もうと思ってなかなか読めていなかった歌集を順番に読んでいた。「人の生活」は同じ競技というには差異が大きいけれど、短歌という競技を観ていると、そう、25キロを超えたところから苦しくなりますよね、とか、給水で水を飲んだときはほんとに楽になりますよね、とか感じることができる。

  身体はまた私を職場に連れて行く市営プールの脇をのぼって

  毎日の誰のためでも無い時間出勤する前花に水遣る

(川本千栄『森へ行った日』)

  受話器とるたびにコードは絡みゆき時々変な人につながる

  「を」か「も」かで一週間もやり合つて稟議のための文書ととのふ

(田村元『昼の月』)

  文具類いくつあっても欲しくなるなかでも虹の色の付箋紙
  
  夫婦だからこその一人の時間なり山鳩の鳴くこゑを友とす

(外塚喬『鳴禽』)


短歌評 日々の肯定 永井祐『広い世界と2や8や7』(左右社、2020年) 岡 英里奈

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 高校生の頃、大人になりたくないと思っていた。働き、結婚し、子を産み、家と車を買って……そうした大人にならねばならない、という義務を感じては、果てしない、将来設計とか無理、と思っていた。
 あの頃、イメージしていた「大人」は噓だった気がする。映画やCMの中にいる人たちのきれいな生活と、自分のだらしない生活を比較して時々落ち込むことはあるものの、「まあ、これはフィクションで、観る人のためにうつくしくつくられたものだから」と心のどこかで疑っている。
 普通の大人。理想の大人。そうした大人こそ、わたしにはいまやフィクションに思える。ふとしたときに、「あ、未来ない」と思うものの、べつに絶望もしない。人類だっていつか絶滅するし。
 丁寧な暮らしとかじゃなくて、リアルな生活を描いたものを読みたい。そう思っているときに、永井祐の作品に出会い、やっと見つけてもらえた、と思った。
 2012年に第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark)を上梓した永井。第二歌集である本書で第2回塚本邦雄賞を受賞した。

  ブルーレイディスクは取り出されないまま 月曜火曜水曜になる

 いままさにこの原稿を作成しているノートパソコンに、2年ほど前から同じDVDディスクを入れている。数年前なら曲を聞くたびにディスクを入れ替える必要があったけれど、もう今はYouTubeとSpotifyのおかげでそれもほとんどしない。入れっぱなしのものは永遠に入れっぱなしのまま、月曜火曜水曜とあっという間にすぎ、気づいたら日曜日の夜になる。歳を取りたくない。
 でも歳は取るものだ、と永井の作品に触れることで思い直す。永井の歌には、かろやかな諦念がある。たとえば、「あさ」と名付けられた連作と、末尾に付された散文。

  ドラッグストアで何かの旗がなびいてる 僕は昔を思い出してる
  テナントだけがぐんぐん替わる駅ビルの長いエスカレーターを下りていく
  公園の入り口にある桜の木 黒いダウンの子供も見てた

 子供のころよく遊んだ広場には今はすっかりビルが建って…いない。広場はそのままで別の子供が遊んでいる。わたしは喪失を心に折り畳んで大人になったという実感がない。マイナーチェンジを繰り返しつついつか一緒に塵になるのだろう。

 子供から大人になったくらいの時間の変化のなかで、劇的なことなどなかったという。あるのはテナントが入れ替わるくらいの「マイナーチェンジ」だけ。ドラッグストアの旗も、駅ビルのテナントも、エスカレーターも、公園も、その入り口にある桜の木も、子供も、子供が着ているダウンも、マイナーチェンジを繰り返して、最後は一緒に塵になる。そもそもいまここにいるわたしも、何百年も前の他人のマイナーチェンジでしかないのかもしれない。かけがえのないたった一度の人生を、自分らしく大切に生きていかねばならない。そう思いつめては焦るばかりで華々しいことなどなにも起こらず、「ああ今日もなにもできなかった」と無駄に落ち込む日々を送るなか、永井の平熱の視線が捉える世界の手ざわりに、心が温まる。

  プライベートがなくなるくらい忙しく踏切で鳩サブレを食べた

 鳩サブレを会社の同僚にもらったのだろうか。鳩サブレは鎌倉土産。くれた相手は、鎌倉に旅行にでも行き、おみやげとして買ってきてくれたのだろう。それを踏切で食べる。余裕がない。時間がない。こっちは旅行になんて行けないのに。お皿の上に鳩サブレを載せる余裕すらない。踏切を待つほんの少しの間に食べる。鞄に突っ込んであった鳩サブレは、粉々に砕けていたかもしれない。
 忙しさにプライベートは殺される。それでも次のような歌がある。

  よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

 いったい何をするのだろうか。ジャケットを着るとき、形式ばった、オフィシャルなことをする。会社に行ったり、えらい人と会ったり、崩してはいけないかたいことをする。そうしたことから遠い、「ジャケットでしないこと」をジャケットでする。どこか、強引で差し迫った性愛の最中、あるいは、寝そべってポテトチップスを食べるジャケットの人を思い浮かべる。生きていれば、ジャケットより優先したいこともある。

  老人になったら何をするんだろう 床に紙コップを置いてみる

 ただのコップではなく紙コップなのがいい(コップは洗うのがめんどうくさい)。老人になっても、紙コップを同じように床に置いているんじゃないか。人は生活して、生きて、生きて、いつか死ぬ。丁寧な暮らしができる人も、そうでない人も、何かしらをやり過ごして生きていく。第一歌集のタイトル「日本の中でたのしく暮らす」は、こんな日本で絶望しないでたのしく暮らしていくという覚悟だったのかもしれない。

  君の好きな堺雅人が 電子レンジ開けてはしめる今日と毎日

 あの堺雅人だって、電子レンジを開けてはしめる、そんな毎日を送っている。

  フードコートでうどんを食べた僕たちは明るい光の花になりたい

 雑多。即席。安っぽい。そんなイメージのフードコートがこれほど希望に満ちた場所として描かれたことがあっただろうか。見逃されてきた日常の風景を永井は描く。
 人生とは、特別なことが起こらない日々の連続である。輝かしい未来がなくたって、たのしく生きていける。たかが生活。地味な生活。それをそのまま愛せたら、もう、無敵だ。

短歌時評169回 母はもう死者。安全なところにいる――川野里子『天窓紀行』から考える。 大松 達知

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 ふらんす堂の〈短歌日記〉シリーズが好きである。
四六版よりも一回り小さい手のひらサイズ。380ページくらいあって、かわいい。スマフォを分厚くしたような、コロコロコミックを小型にしたような感じ。

 その11冊目、川野里子さんの『天窓紀行』が出た。
 〈短歌日記2020〉川野里子の366日。

  1ページに1首と散文。
 「散文」と言っても、「ハンバーグらしい。」とか「時々公園でご飯を食べる。」だけの日もある。120文字を超える日もある。詞書のように歌の前に置かれるでもない、歌物語のように次の歌につながってゆくのでもない。新しいジャンルと呼んでいいスタイルだ。
 (2019年分をまとめた藤島秀憲さんの『オナカシロコ』の場合は、ほぼ毎日、「エッセイ」と呼べるほどの分量の散文がついていた。いや、ついていた、というのがおかしいのか。藤島さんの場合は「歌と散文」の間に主従関係は無い様子であった。)

 だからこそ、このシリーズは、短歌とか何か、歌集とは何かを、その形式から考えさせる実験でもあると思う。

 一つには、連載の形態の特殊性の点。
 これまでも、通年の日記短歌の連載としては月刊総合誌のものがあった。のちに、佐佐木幸綱『呑牛』(2017年)や、河野裕子『日付のある歌』(2000年〜2001年)、永田紅『北部キャンパスの日々』(1999年〜2000年)としてまとめられた連作が印象深い。
 
 ただ、このふらんす堂の企画は、毎日更新されるホームページ上のもの。月刊誌のようにひと月ごとに推敲し直すことができない。(書籍化のときはしているかもしれない。)

 そのスピード感によって、(数日のストックがあるのかもしれないが)基本的には連日、という体裁での作者の生活や思考がそのまま反映されている(されてしまう)と思う。(かつて村上春樹は週刊誌の連載のときにはストックを作っておき、すこしずつ入れ替えていったそうだ。が、発表が毎日となるとそんな余裕はないだろう。)

 もう一つは、1首の独立性や連作のありかたや詞書の効用などについて考えさせてくれる点。

 短歌は、究極的には一首だけで独立すべきなのか。

  ・ガレージにトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りてゆきたり 齋藤茂吉

 のような、作者名がなくても、時代が変わっても良さが分かる歌はある。書かれた情報をそのまま受け取り、その大きさのまま楽しむタイプの歌である。
 その一方、例えば、

  ・沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 齋藤茂吉

 など、書かれた情報だけでは表面上の解釈にとどまる歌もある。特定の作者の特定の立場から発せられたと分かることが鑑賞の分かれ目になるタイプの歌もいい。
両方のタイプに良さがあり、その間には無数の比重のグラデーションがある。

 だがやはり、短歌は短い。周辺情報、背景知識によって支えられ、読みが深まる場合が多かろう。それは短歌作品のあり方として良いことなのか、周辺情報は余計なことなのか、そんなことを考えさせる。どちらかに寄りかかってもバランスが悪い。蛇足になってはなお悪い。歌と外部情報の絶妙な距離感のとり方とは何なのか。それを考えさせるのもこの〈短歌日記〉シリーズの良さである。
  例えば、

   009  鍵穴に鍵を挿すとき空き家にはおほきなさびしい耳ひとつある (1月8日)(歌の冒頭の数字はページ番号)

 だけ読むと、空き家に入るはどんな状況なのか、確定しない。不動産業関係者でなければ、おそらく親族の持ち物なのだろうなという推測はつくけれど。
そこで、そのあとの散文欄で、

 実家に帰る。というか空き家に帰る。長いあいだ入院していた母が亡くなり、留守宅だった家は空き家になった、空き家と留守宅は何かが違う。

 という文章を読むと状況が(のちの研究者の手を借りなくても)はっきりとする。落ち着いて歌を楽しめる(それは良くない、ミステリアスなままがいいという意見もあるだろう。)。あるいは、他のページに「故郷の久住山の麓に父母の墓を移すことにした。ついでに自分の墓もその隣に買った。」ともある。そこで作者は、千葉県の自宅から大分県竹田市に通っているのだとわかる。(もちろんこれまでの歌集の読者であればわかっていることだけど。)

 ちなみに、親が亡くなったあとの空き家問題は現代的なテーマで、

  262  ただいまと言へばかすかに揺れをりし揺り椅子止まる ただいま空き家

 などの歌がある。「現代的」もこの歌集のキーワードだ。
 散文との関係についてもう一例。

  112  読み終へしメールと書かむとするメールあはひに青い湖がある(4月17日)

 歌だけを読んだ瞬間は、「青い湖」とは、作者の心の中にたゆたう時間や空間や思考をシュールにとらえたものだろうと思った。美しく光るけれど、湖底にはなにか得体のしれないものが湛えられいるイメージがさっと浮かんだ。
 しかし、そのあとに、

 蔵王のお釜に三度行ったけれど、三度ともに全く違う様子をしているので初めてきたような気がした。水の量も、その色も、周囲の気配も。

 と文章がある。なんだ、メールを読んで、蔵王のお釜を見て、そのあと返信をしようとしている、という現実的な時間軸があったんだ、とやや興醒めにも思った。これは蛇足かなあ。しかし、そう思って歌を読むと、そうでもない。自分のなかの解釈鑑賞の道筋が複線になったような気がしただけだった。現実のお釜を念頭にしながらもシュールな青い湖を想像するような。短歌の読者はそうやって外部情報を外したり一部取り入れたりして読んでいるのだ、と体感した。

 かつて川野里子さんの歌は、ちょっと難しくて考えさせられるような雰囲気が強かった。ところが、前歌集『歓待』のあたりから、その哲学的で高度な思考を求める側面と、実生活の泥臭い側面がぴたっと合わさってきている感じがして、とても好きである。この『天窓紀行』では、上記のような珍しい発表形態によって、いっそう実生活に近い傾向が強まっている気がする。
 いくらでもものを言いたくなる歌集なのだ。
 
 息子問題がおもしろい。この年、35歳になられたというおひとりの息子さん。

  023  既読スルー未読スルーそして既読スルー息子の気配そこにあるなり
  067  息子来てかすかな凹み残しゆく布団に椅子にしばらくわれに
  186  お子さんは? と問はれ瞬間われは子を忘れてをりぬ小鳥のやうに
  205  吊り橋のやうに常なる哀しみのひとすぢ架かる子を持ちてより
  210  鰻屋に待ち合はせれば照りの良きよくある笑顔に息子現はる
  297  怒るわれを怒らぬ息子がみておりぬ未来からしんと振り返るやうに

 私は息子の方の立場として、母親の気持ちを知る。加えて、人間が「自分とはだれか」を規定するときの大きな要素のひとつが(ふだんは強く意識しなくても)、出ていると思う。理知的なクールでかっこいい川野さん。その中の生々しい母親としての面が滲み出ているところにニヤリとさせられた。二首目の「しばらくわれに」、四首目の「常なる哀しみのひとすぢ架かる」って泣く。

 夫君を通しての自分はそれよりややユーモラスだ。

  133  風邪ぎみで運動不足で食べ過ぎでわたしのやうなあなたと暮らす
  348  せかせかとバター塗る癖そのままにきづけば総白髪となりて夫ゐる 

 とくに二首目のあとの散文欄にはひとこと、「この人は誰だろう?」とある。私も長らく夫婦関係を継続しているから分かる。分かりすぎる。笑ってしまい、そして哲学的。
そして、思考の矢は、「この自分は誰だろう?」に向くのだ。それは、「未来」と「死」という言葉などによっても詠まれる。

  004  真つ白な手帳ひらけば未来とははろばろとして死後に似てをり
  071  未来とは死のことなれどなにか嬉し辛夷咲く日が桜咲く日が
  197  歩道橋のかしこに夏草生えて揺れ私はどこへ渡らむとする
  218  素麺にするべし昼はと思ふとき死はそこにあり白滝として
  331  秋空のいづこに消えてもよきものを東京行きの飛行機に乗る
  344  柚ジャムつくり棚に置くとき音がせりことりと永遠の途中の音が
  355  水仙を活ければ白い水仙に向かふ側ありわたしはこちらに

 過去から未来に移動してゆく過程のどこかにいる〈自分〉の意識が感じられた。しかし、どの歌にも現実的な物体が力強く存在している。その物体につなぎとめられてまだこの世にあるという意識なのかもしれない。

 この二〇二〇年は新型コロナウイルスに振り回された最初の年。大学の講義がオンラインになったというのも現代的なテーマであろう。

  136  オンライン授業開始す宇宙船のクルーのやうな学生諸君
  179  つぎつぎに顔あらはれて並びゆく画面のどこに吾はゐるのか
  219  はーい、と笑ひ、ですね!と応へひとたびも顔見せぬなり今年の学生

 などの中にも、自分の存在のありかを探す不安感が滲んでいるようだ。あれこれ挙げているとキリがない。が、次の「煮魚シリーズ」三首にも、人間である自分の存在を厳しく問い詰める方向が感じられて震撼した。人間として生き物を殺してゆくことについての罪悪感はある。しかしそれを意識しすぎるのは辛い。ときどき思い出して心の中でそっとお詫びする感覚だろうか。そのあたり、人ぞれぞれ。

  006  金目鯛ただいちど生まれ驚いて吾を見つめて見ひらいたまま
  117  めばる煮て春まだ寒し話しつつほろりほろりとめばるを壊す
  361  こんなにも追いつめられしことあるか身を反らせつつ煮えてゆく鱈

 最後に3首挙げる。

  200  濁流のなかに老母を残さずによかつた死なせてやつてよかつた

 7月9日の歌。散文欄に

 四日、球磨川氾濫。七日、筑後川氾濫、八日、大分川氾濫。母は困るとガーゼのハンカチを握り締めおろおろしていた。実家近くの川も黒い濁流に揉まれ、橋が危うくなっていることだろう。ガーゼのハンカチを握り締め、今、どれだけの人が怯えていることだろう。母はもう死者。安全なところにいる。

 とある。最後の「母はもう死者。安全なところにいる。」はもちろん逆説的な言い方だが、千葉・大分を往復しながら長く母親を介護してきた歌人の実感として、とても重く感じられた。このフレーズは、歌に入れると強すぎると作者は感じたのかもしれない。歌はつぶやくように出して、散文とのバランスをとる。構成の妙を生かしている好例だと思った。やっぱり川野さん、巧いのだ。

  239  それはわたしから溢れた真つ黒な重油で集めるべきなりわたしが
  244  にんげんは病むものならば仕方なし病みてはならぬを海深く病む

 一首目は8月16日。

 モーリシャスでの座礁事故による重油漏れ。現地の人が人毛を集めてオイルフェンスを作り、油にまみれて回収作業をしている。申し訳ない。現地の人に、海に、魚に、珊瑚に、鳥にも、マングローブにも、蟹にも、貝にも、そして未来にも。

 というのが、散文欄。こうした真っ当な思考がある。そして、そこから「それはわたしから・溢れた真つ黒な・重油で・集めるべきなり・わたしが」(8・9・4・8・4の破調と読んだ)という、もうどうしようもなくて壊れかかってしまうほどの申し訳なさを一首で体現している作品にたどりつく。

 この他、亡くなった友人への手紙、病を克服した友人とのやりとり、故郷大分との関わり、シンガポール旅行など、さまざまな読みのポイントがある歌集である。
 読後感の充実は、歌はもちろん、散文と歌の往復によって作者像が他の歌集よりもくっきりとしたことにもあるのだと思う。
 ただ、この形式、消耗するだろうなあと思うし、日々の読者の応援がないと務まらないだろうなあと思った。すごい企画だなのだ。

短歌時評170回 二者択一論とバランス論 竹内 亮

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 9月に、松村正直さんの『踊り場からの眺め』という時評集が出た(六花書林)。
 2011年4月からから今年3月までのまでの10年間の時評が収められている。
 2011年に東直子さんの講座で短歌を始めたわたしにとってはちょうど自分の歌歴と重なるということもあって、興味深く読んだ。
 東日本大震災のことが継続的に取り上げられているし、物語性、虚構や「われ」の問題、文語と口語の問題などは切り口を変えて、何度も取り上げられ、最後の方ではコロナウイルスの感染にも触れられている。
 10年分の時評を読むと、現在の短歌において取り上げるべき問題は一通り取り上げられているように思えるけれど、松村さんはその多くで、対立する主張の二者択一でなくそのバランス・重なり合い方を論じるべきと述べている。
 たとえば、作者と作中主体を論じた「『われ』の二重構造」(102頁)、「何を読むか」と「どのように読むか」を論じた「どこまで踏み込むか」(96頁)、いずれもバランスの問題として論じている。
 二者択一の議論とバランスの議論のどちらがある問題の検討の枠組みとしてふさわしいかは、二者択一の議論に立ってどちらを選択するか、バランスの議論に立ってどのようにバランスを取るかの前段階の議論であり、松村さんの時評によって議論の枠組みを多くの点で整理できたように思う。
 ある問題がバランス論であるというとき、バランスの取り方については、いろいろな考え方があるだろうが、二者択一論とバランス論のどちらが適当かについては、歌人は、共通の考えを持てるように議論を尽くすべきように思う。

* * *

 9月には、西巻真さんの『ダスビダーニャ』(明眸舎)も読んだ。

  新しきシーツ纏へるわが肌にひび割れし磁器のごとき涼しさ(30頁)
  唯一の外出日としてカレンダーに記す生活保護費支給日(50頁)
  鉄の女逝きしと聞けばたとふべき鉄なし鉄の時代終はりぬ(74頁)

 社会詠と生活詠は二者択一ではないことが実例によって示されているように思う。わたしたちは社会のなかで多く類型的で、交換可能であるように見えるけれど、そういうわたしたちが実際は一人ひとり違う存在であることが、西巻さんの歌を読むと実感されて、勇気づけられる。

  ラビュリントス、春の図書館、美しい異国語を話す女友だち(90頁)
  きみと読む般若心経やはらかく祈りはきつと制度ではない(124頁)
  偏西風のしづかな夜にきみと語る東直子の歌ものがたり(135頁)

短歌時評171回 万葉ポピュリズム批判とその周辺について、一傍観者の立場から振り返る 小﨑 ひろ子

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 2018年の元号の改定にかかるお祭り騒ぎに関連して、短歌の世界の周辺でもさすがにざわざわとした動きがあったのは記憶に新しい。政府の方針で、漢籍ではなく<国書>から元号を選ぶことになったといい、選定された「令和」という新しい元号の出典が、万葉集巻5「梅花歌三十二首」の序に見える漢語でありながら、実は古く中国の『文選』「帰田賦」に由来し時の政局の汚濁に飽き飽きしているという意味が背景にあるという痛快さ。王義之の「蘭亭序」にも通じる漢文が由来とは、詩歌好きにはたまらない話でもある。制定の方針には相当いぶかしい空気を感じるが、これで万葉集のブームもますます広まるのかな、とも思われた。私は通信制の大学の学生として高橋虫麻呂を題材に二度目の拙い卒論を書いた後だったので、今以上に万葉集の人気が出すぎてきたら嫌だなあ、といった程度の了見の狭い感想も抱いていた。
 だが、万葉集の研究者である品田悦一は、状況に対して非常に敏感に大きな危惧を唱えた。「短歌研究」の2020年3月号4月号に掲載された講演録は、瞬く間にSNSやネットを通じて広がり、大きな賛否を呼んだ。この時の顛末については、短歌研究社発行の書籍『万葉ポピュリズムを斬る』の、「一身上の弁明-まえがきに代えて」と題される文章に、詳しく語られている。この書籍は、「そこのけ、御用学者ども!  数ある便乗本よ、焼却炉の灰となれ。」と読む方が気恥ずかしくなるような版元のキャッチコピーによって売り出され、(そのキャッチコピーは、月刊誌の「短歌研究」掲載の最新版の広告では変更されているが、Amazonには書籍の説明として掲載されている)発売直後からすぐに売り切れ、電子版以外はなかなか手に入りにくい状況だったと記憶している。私も、図書館で予約して何人待ちかで借りて読んだのだが、そのまえがきにある、キャッチコピーとはうらはらの著者の状況説明には、ひどく驚かされたのだった。自身の父からネット上に現れた反応について指摘されたといい、そのことに対して著者から父に語りかける形で、「今黙っていては、なんのために学問をしてきたのかわからない。」と説明する。
 その品田悦一の講演録について、歌人の高島裕が、「未来」誌2021年1月号「2019年未来評論エッセイ賞受賞第一作」の文章「その後」で、不快であると述べている。「品田は国文学者ではないのか? <日本語で書かれた文学>に向き合っている者が、なぜ一足飛びに<人類>などと言ってしまえるのか? <人類>に行く手前で、なぜ悩まないのか? なぜ<日本>という甘美な幻影に葛藤しないのか?」と言う。品田が万葉集の魅力を心底感じており、万葉集の世界を愛しているのは当然のことだが、研究に徹することができずにいることを痛ましいと感じているようにも見える。
 高島が批判するのは、書籍『万葉ポピュリズムを斬る』にも第四章として収められている「短歌研究」に掲載された講演の内容についてである。高島が未来誌に文章を執筆する時期が書籍の出版と時期的にすれ違った事情があることも考えられるが、本に目を通していたら、少しは違った筆致になっただろう。対象とされる品田の講演録は、日本女子大学において行われた講演をそのまま文字に起こして収録した記事で、講演中に、「あの活舌の悪い」という権力者へのカリカチュアが含まれていたという部分に不愉快さを覚え、「小学生が先生の悪口を言っているのと同じである」と言う。無論、真っ向から否定しているわけではないし、むしろ自身が品田に期待するものとずれていることを嘆いているようでもある。
 高島は、品田悦一の論についてはたびたび言及しており、未来2019年6月号の「令和の御代へ」と題された「時評」では、「品田悦一らによる批判的研究が積み上げられているにもかかわらず、首相の口から、相も変わらず<天皇から庶民まで>という、万葉集に対する誤った見方が繰り返され、またしても、国民統合の幻想的な拠り所として、万葉集が機能させられることとなった。」と、時代に即した文章を書いている。また、角川「短歌」2018年9月号の特集「短歌の構造」中の文章「文語・旧かなは現代語である」において、品田の『斎藤茂吉』の中の文章「万葉の古語は何よりもまず、見慣れないことば、珍奇なことばとして茂吉の眼を奪ったのだろう。彼は、それら古語を自在につかいこなそうとする代わりに、一語一語をためつすがめつ眺めまわしたりその感触を確かめたりすることに没頭し、ことばとのそういう無為相方を自身の創作の生理としていったのではないだろうか」という文章を枕に、文語・旧かなについて述べている。ここでは、「文語・旧かなはとっつきにくいため、短歌が広く受け容れられることの障害になっている」という批判が大衆を馬鹿にしていると語る。決して馬鹿にしているわけではないと私は思う。私自身、旧仮名や文語については相当難儀した一人だし、文法的な間違いが一つあるだけで技量不足が問われる旧仮名文語よりも、現代語を選ぶ方がとりあえず有利であり喫緊の表現を求める者には早いし現実的であるという事情もある。(無論現代ではすっかり市民権を得た口語短歌ではなく従来の「短歌」と言う意味においてであるが、岡井隆だって、ある水準の短歌ができるようになるには十年かかるとどこかで言っていた。) 趣味で短歌に向かう人たちや、生きがいのために歌をつくる人たちにとってのみならず、真摯な態度で表現に向かう作者であったとしても、知的エリートであったとしても、日常語ではない言語の約束事にのっとってものを綴ることはある種のスキルを要求されるものであることは間違いないし、そのことが、リアリティの在り処とどう関わるかはまた別の話である。このことは、万葉集は江戸時代の庶民には浸透していなかった、と述べる品田の見解とも重なって見える。
 高島が腹を立てたのは、「知的エリートである学者」が、「金銭的に裕福でも知的エリートではない者たち(具体的には、ここでは政治家、あるいは大衆)」を見下していると感じたためなのではないだろうか。様々な場面で確かにそういうことはあり、「〇〇にあらずんば人にあらず」、と言われて育ってきたであろう者たちの自信とプライドの裏返しのような他者の見下しは見苦しいし、はたから見ていても嫌なものだ。重ねて歌人には「エリート主義」的なものを嫌う風潮があって、どこかで理屈を捨てて感情的に人間的にならないと(わかりやすく言えば馬鹿にならないと)面白くないというのも確かなのだ。決して馬鹿にされているわけではなくても、コンプレックスや過去の経験から、マウントをとられた気がして不愉快になるといったことは誰にでもあることである。
 だが、今回の状況の中での高島の批判は、あまりにも唐突にすぎるように思えた。個人の属性が、その者の行為について本質的に関係ないのはその通りであるとしても、公人特に権力者に対してはカリカチュアが許容されることも周知のことであることもわかっているはずだ。高島はこれを「政策や政治理念に対する批判と有機的に結びついている限りは、政治家の個人的な癖や仕草などを揶揄し、皮肉ることは、権力への抵抗として意味を持つ。」という格調高いルールを根拠に批判する。だが、権力者を命がけで批判する者を同時代的に非難することが何を意味しているか、筆者も読者も知らないはずはない。歌人は評論ができない、と言われがちな中、優れた時評をものにしてきた高島である。筆致については、今少し慎重になってもらいたかったと本当に残念に思う。
 事態は、万葉集の世界を愛する者たちが素直にそこに没入することができないほど、深刻だった(過去形にしていいのかな。)のである。専門家である万葉学者がいち早くそこに気づき、自説をさらに主張しているのだから、受け取る側も深刻に受け取らなくてはならない。いろいろと持って回った言い方をしなくても、大伴家持の歌から派生した「海行かば」が今に至って実際に抒情的に歌われている場面がどういう場面であるかを思えば、誰にでもすぐに想像できることだ。一万葉ファンでしかない現代人の私ですら、そろそろ本来の意味を返してもらって、自分なりに自由に思いを巡らすことができたらどんなに楽しいだろう、と思う。防人という人頭税形式の徴兵や采女献上の制度(これは単なる悪習ではなく当時の法律で定められていた)が古代庶民に強制されていた時代について、誰かに悪用されたり変な風に踏襲されることを心配することなく、自分が生まれた国の過去の現実として悲しんでだけいられたらどんなによいだろうと思う。
 改元に関連する詩歌の周辺の動きについては、歌人であり研究者でもある寺井龍哉もまた敏感に反応した。「歌壇」2020年2月号の時評で藤野早苗が「新元号制定、施行は、いわば不況と災害で停滞を窮めていた時代の流れを一旦堰き止めて、仕切り直しをはかる行為であった」と書いているのを受けて、同誌の2020年4月号時評で、「改元は多くの人々の意図と制度との関係のなかで進行した。<行為>に先立って何らかの統一的な意志が作用したかのような記述は、無根拠で事後的な事態の正当化に過ぎない。」と指摘する。「集団的無意識」という語によって、あったことがないものとされてしまうことを危惧し、「改元を機に<新たな潮流の創出>を求めようとし、<令和という新しい時代にふさわしい歌の姿とはいかなるものなのか>と問う藤野の姿勢はあまりに情緒的で、反知性的でもある。」と述べる。これも、詩歌の領域の一部のある雰囲気に危惧を覚えてのことである。
 ところで、学術研究の領域における政治に関する言及が問題にされたことが、6年程前にもあった。通信制の放送大学の日本美術史の試験問題中、政権を批判する問題文があったと受験生から指摘があり、大学内専用のサイトに公表される際にその問題文が削除されたという。政権は、令和元年時点の政権と同じ。美術史の領域でも、デザインや絵画、映画等の表現が、過去に政権や戦争に利用されてきたことを誰もが知っているが、専門家である担当教員が情勢に敏感に反応して問題文という形で表現し、そのことに反感を覚えた一部の者が告発して騒ぎになった、という形の事件となっている。ちょうど安保法案が制定された頃で、戦後70年を記念して戦争をテーマにした美術展がいくつか開かれ、藤田嗣治の映画がつくられたりした。美術館が所蔵する戦争画は取捨選択せずにすべて公開するべきだ、といった意見も飛び交った。一世代前には自分達の直接的な経験であった戦争が、歴史の末尾に都合よく書き足されていく過程を目の当たりにしているような印象も持ったが、そのような一般化をもいくら何でも楽観的すぎるというものだろう。背景は違うが、今、新型コロナウィルス感染症の蔓延とワクチンその他について、何となくものを言いにくい雰囲気があるのも、空気感としては似たようなものがあるのかもしれない。
 最近、たまたま読んでいた内田樹の『サル化する社会』という本の中で、<ポピュリズム>という語が取り上げられていたのが興味深かった。「私見によれば、ポピュリズムとは<今さえよければ、自分さえよければ、それでいい>という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のことである」、つまり「サル化」であるという。もしかしたら、ちょっと前には「大衆化」と真面目に語られていたことが、欲望のままに動く大衆的市民や政治家が主役となった時代にはもはや通用しにくくなったため、苦渋の選択の末に使われている言葉であるのかもしれない。そう言えば、動物園の猿山をひがな眺めていたりすると、ボス猿を筆頭に、無数のマウンティング行為を目の当たりにすることも多い。ほんとに似てるなあ、ヒトと、と思う。サルの社会も人の社会も、実に面白いと言えば面白いのだが。

【引用・参考】
・2019年未来評論エッセイ賞受賞第一作「その後」高島裕(「未来」2021年1月号)
・時評「令和の時代へ」高島裕(「未来」2019年6月号)
・「文語・旧かなは現代語である」高島裕(「角川短歌」2018年9月号)
・『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一(短歌研究社、2020年)
・「時評 すべて時代のせいにして?」寺井龍也(「歌壇」2020年4月号)
・「放送大、政権批判の試験問題文削除<学問の自由侵害>の声も」日本経済新聞電子版2015年10月21日
・『サル化する世界』内田樹 (文藝春秋、2020年)

短歌時評171回 忠臣蔵を知っていますか 竹内 亮

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 昨年の4月から今年の3月までの1年間、社会人の多い夜間の大学院に行ったのだけれど、今月初め、そのときの同級生が集まって懇親会をした。懇親会の当日、会場の大手町の餃子屋さんで、わたしの前の席には去年の同級生で、台湾人の弁護士のTさんという女性が座った。Tさんは大学院を終えて今年から日本で仕事をしている。

 最初は、Tさんは
「日本の餃子は種類が多いですね」
 という話をしていたのだけれど(そのお店は17種類の餃子があった)、その後、わたしは
「忠臣蔵を知っていますか」
 と聞いた。Tさんは知らなくて、わたしとわたしの隣の席にいた大学院のK先生は、二人で、日本で一番愛されている物語は忠臣蔵だと説明を始めた。

 参勤交代という制度があってというところから始め(Tさんは参勤交代は知っていた)、
「浅野内匠頭という今の兵庫県を治める殿様がいて」
 と続け、
「吉良上野介という人にいじめられ」
「江戸城に松の廊下というところがあって」
 というように説明は続いた。

 日常会話の日本語は問題なく話せ、日本語で修士論文が書けるくらいに日本語が堪能だったけれど、忠臣蔵のことは知らないTさんに、わたしとK先生は、
「いまだ参上つかまつりませぬ」
 と時折台詞を交えたりしながら、一緒に説明をした。

 そのとき、日本で育ったわたしとK先生が忠臣蔵の知識をかなり正確に共有していることと、Tさんが忠臣蔵のことをまったく知らずにあれだけ堪能な日本語を身につけたことに、それぞれ考えさせられるものがあった。

* * *

 わたしは38歳の時に短歌を始めた。
 それまで短歌はサラダ記念日と赤光と石川啄木と寺山修司の、そのごく一部しか、知らなかった。

 最近、年末のテレビは忠臣蔵があまり放送されなくなり、忠臣蔵の知識はだんだんと共有されなくなっていくのかもしれないけれど、短歌の知識は、それよりも知られていないように思う。ちなみにTさんは台湾で「ちびまる子ちゃん」をまる子の祖父がつくるものとして俳句のことを知っていたが、短歌のことは知らなかった。

 大人になって始めても、短歌がつくれたり読めたりするのだろうか。短歌を遅く始めたわたしは時折そのことを考える。

 この年末、日本の古本屋のサイトで、茂吉全集と子規全集と露伴全集を買った。
 大人になってから忠臣蔵を知るのに似ているような気もするけれど、少し読んでみようと思う。

* * *

 最近竹中優子さんの第一歌集『輪をつくる』を読んだ。
 職場詠が印象に残る。

  慣れるより馴染めと言ってゆるやかに崎村主任は眼鏡を外す(15頁)
  この人を傷つけないで黙らせたいという用途で作る微笑み(31頁)
  川村さんが辞めて七月田島さんは背筋をのばし仕事をし出す(34頁)
  朝の電車に少しの距離を保つこと新入社員も知っていて春(76頁)
  ばか、図々しい、それゆえセンスの良さがきらめいて業務改善案届きたり(78頁)

 仕事詠と子育て詠を比べると、仕事詠は相対的に新鮮味がないように感じることが多かった。それは、わたしたちが仕事は他人の仕事を見て学ぶからではないかと思う。でも、わたしたちがこんなに長い時間を仕事に費やしているのに、新鮮な仕事詠ができないのだとしたら、それはとても苦しいことなのではないだろうか。竹中さんの歌集は、うれしいことばかりではないけれど、仕事の上での発見がたくさん詠まれている。

  派遣さんはお茶代強制じゃないですと告げる名前を封筒から消す(79頁)
  お茶代にお湯は含まれるか聞かれたりお湯は含まれないと思えり(80頁)
  働き続けることは食べ続けることだ胸に小さな冷蔵庫置く(84頁)

短歌評 短歌の回路――第7回詩歌トライアスロン受賞作の短歌を読む 若林 哲哉

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 俳句を作り始めて少し経った頃、当時の師から「短歌もやってみないか」と誘われた。興味はあるが作り方が分からないので是非教えてください、と返すと、「俳句の後ろに七七を付けたら短歌になる」と言われた。音数としてはその通りなのだが、それほど単純なものではないことは、直感的にも理解出来る。第一、有季定型の俳句を書く僕にとって、俳句は季語を要するもの、短歌は必ずしも季語を要さないものという明確な違いがある。結局何も分からないまま、真似事のように短歌を作ってみた。すると、すぐにあることが分かった。僕は、「俳句を作ろう」という気持ちにならなければ俳句は作ることが出来ないし、「短歌を作ろう」という気持ちにならなければ短歌は作ることが出来ないのだ。創作活動自体、始めたばかりだったからかも知れないが、内容によって詩型を使い分ける器用さを、僕は持ち合わせていなかった。そういうわけで、細々と短歌を作っては、一首単位の賞にこっそり応募していたのだが、そのうち短歌は作らなくなってしまった。
 詩・短歌・俳句の三詩型で作品の充実が求められる「詩歌トライアスロン」は、やはり、賞の在り方として珍しい。特に、三詩型鼎立作品の受賞者の皆さんは、それぞれの詩型をどのように考えているのだろうか。内容によって詩型を使い分けているのか、あるいは僕と同じく、俳句の回路と短歌の回路を区別しないと、作品が出来ないのだろうか。それは、受賞作を読むだけでは分かりようのないことだが、三詩型がどれも充実した作品になるということ自体が、価値の高いことのように思う。
 さて、第7回詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)を受賞された二氏の作品から、短歌をいくつか鑑賞したい。

  あやとりの手はくりかえし祈れども赤い切り取り線にまみれる 斎藤秀雄
 
 あやとりの最中に手を組むことは、一つの祈りなのかという驚きがある。紐を操り、特定の形をつくる裏では、祈りが重ねられているのだ。しかし、手に紐が絡まってしまう。自分が操っていたはずの赤い紐は、自分を傷つけうるものに変わった。ここを切り取れ、と言わんばかりに、手の至る所を赤々と縛り付ける。祈りの先に、思い通りの未来や救済が存在するとは限らない。あやとりの技には、「ほうき」や「はしご」といった名前が付いている。、それは、ある形を「ほうき」や「はしご」だと見立て、見る人がそうだと思うから「ほうき」や「はしご」なのであって、結局は、ただの紐なのだ。あやとりを通じて、祈りという行為の不条理性が描き出されている。

 

  甘やかに匂うパン屋の貯蔵庫の秤に目玉載せたきものを  斎藤秀雄

 パン屋の貯蔵庫には、パンの原料が仕舞われていて、その重さを計るための秤も置かれているのだろう。人々を楽しませる甘やかな匂いを放ちつつ、美味しいパンが売られているところから、暗い貯蔵庫へと移動する。そこにある秤に載せるものが、目玉だというのだ。誰の目玉だろうか。「載せたきものを」なので、実際に載せたわけではないのだが、刳り抜かれた眼球が二つ、秤に載せられている光景が浮かぶ。パン屋から得られるのは、嗅覚と味覚の快だ。それとは対照的に描かれる秤の上の目玉は、あるいは視覚の放棄、ものを見ることへの厭悪なのだろうか。

  熟れている桃にくちびるつけながら名前に似合うわたしを過ごす  未補

 熟れている桃は、柔らかくて崩れやすい。もうしばらくすると、熟れすぎてぐずぐずになってしまう。「名は体を表す」という慣用句もあるが、人が生まれた時、親から付けられる名前は、こんな子に育ってほしいという願いであり、時に足枷のようにもなる。人間は、成長に伴って人格が形成されるのであって、親から与えられる名は、必ずしもその人格に合致しない。名前によって自らの人格を規定する「わたし」。それは自分とその名付け親を愛するための振る舞いでもあり、ドラマツルギーに基づく、シーニュに違和を持たせないための手続きでもあろう。一方で、行きすぎると、熟れすぎた桃のように自意識も脆く崩れ去ってしまう。日本語には一人称が多いが、そのなかで「わたし」が選択されている所にも、この主体の自意識が隠れていて、面白い。

【出典】

・第7回詩歌トライアスロン・詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)受賞作/自由詩「下=上」他   斎藤秀雄
http://shiika.sakura.ne.jp/triathlon/2021-11-27-21924.html

・第7回詩歌トライアスロン・詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)受賞作/自由詩「Tacet」他   未補
http://shiika.sakura.ne.jp/triathlon/2021-11-27-21916.html

短歌時評173回 「きみ」は誰だ? 『meal』冒頭の5首について。 大松 達知

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 山下翔『meal』(現代短歌社)の冒頭。

 「つま」とタイトルがある一連。
 「つま」ってなんだろう。歌集タイトルが『meal』なんだから食べ物を連想すべきで、刺身のツマみたいなものかな?いややはり、ふつうは妻かな?と思いながらすすむ。
 (実際には1秒もかかっていない思考だったけど。)

 1首目、つまり巻頭歌。

きみが手にからだあづけて眠りゐるみどりごあはき今朝のはつゆき

 ふむふむ。タイトルの「つま」は「作者の妻」だったのかと解した私。山下さん、いつの間にかご結婚されて、お子さんを持たれたのだな、と思った。
 第一歌集に続く、どっしりゆったりとしたリズム。いいなあ。堂々とした一冊の入り方である。近代短歌的と評されることを厭わず、「あはき今朝のはつゆき」と情感のこもった着地を決めている。「みどりごあはき」と読みそうになるところを、「みどりご」で一旦停止して、実景の「みどりご」に視点を置くところも巧い。きみ「の」手ではなく、きみ「が」手、と あるのも、近代短歌的な良さを現代に復刻しようとしているのかもしれない。こういう存在は貴重だ。
そして、この先どんな家族詠が続くのかとニヤニヤした。(山下さん、おめでとう、と言語化しないまでも。)
 いい気持ちになってページをめくって2首目。

きみの児の生れたる朝のかがやきや君のよこがほをわれもよろこぶ

 ん?「きみの児」?「われの児」か「われらの児」ではないのかな?「われもよろこぶ」ってちょっと距離感あるんじゃないか?主人公は赤ん坊でなく女性なんだな。その女性の横顔をなにか心動かされながら眺めているんだな。
 (1首目から、赤ん坊を抱いているのは母親なのだと決めつけて読んでしまった自分を恥じたのは、あとになってのこと。ジェンダーの役割には気を付けていたつもりだけれど、だめである。)

 それに、一首の中に、「きみ」と「君」とふたつの表記があるのはなぜかな?
 とにかく、赤ちゃん誕生の歌なのだ。おめでたい高揚感を分けてもらいながら読み進む。実際には、そんなに分析的に読んでいるわけではない。ほんの数秒のことだ。
 3首目。

みどりごの頭(かうべ)は垂れてきみが手に生れたる力あはれあたらし

 やっぱりなんか変だ。自分の妻を言うのならばこんなに「きみ」と続けるはずはなさそう。君の手にこれまでにはなかった種類の力が発生した感じがする、ああそれが新鮮だ、と解釈した私。力が生まれる、とわざわざ言うからには(男性に比べれば)非力(な人の多い感じのする)な女性が詠まれているとも思った。

 そうか、女性の友人の赤ちゃんを見たときの歌だろう。かつて付き合いの深かかったその女性。自分には甲斐性がなくて支え切れなかったけれど、幸せになってくれるならそれでいいと思ってる、みたいなよくあるドラマを妄想。
 たしかにそんな距離感があるな、と思った。母は強しと聞くなあ、いやそれは精神面のことかな。もしかして華奢だった女性の友人が心強く見えたのかな。

 というのは、あとから考えてみれば、ということになる。とにかく、いい歌だなあと思う。(短歌における虚構うんぬんの話になることはあるけれど、人の生老病死にフィクションは持ち込まないだろうという先入観もある。)

 そして、4・5首目。

さみしさはきみがとほくへ行くやうで妻と児と連れ立つてとほくへ
きみの時間に父の時間の加はりてわれはいつ会ふ次はいつ会ふ

 

あああ。ここで気づく。「きみ」とは男性の友人であるのか。前置きや特別な状況が察せられない場合、「君」は異性を示すと思っていた自分を恥じる。でもここでは「きみ」という優しい表記だから、女性っぽいよなあ、と自分を慰める。

 上の歌は、「さみしさは」を受ける述語がはっきりとしない。それがさみしさのもやもやした心境の象徴かもしれない。この「とほく」は心理的な距離なんだろう。友人が妻子を得て、別の生活状況に入ってしまうことへのさみしさ。どこか取り残されたようなさみしさ。「妻と子と連れ」で切れ、「だつてとほくへ」とつなぐリズム。それが本当に遠くへ行ってしまう友人を寂しむような音感だ。巧い。
 そこを下の歌では、気丈に「われはいつ会ふ次はいつ会ふ」と盛り返すようなリズムで気持ちを繋ぎ止めようとするのが健気でいい。男の友情を信じる。そのあたりの人間関係の機微が読み取れる。

 そして、1首目に戻って読んだ。

きみが手にからだあづけて眠りゐるみどりごあはき今朝のはつゆき

 結婚して、父親になった友人。これまではいっしょにつるんであちこちで飲み飲み歩いていたのかもしれない。そんな親友が両手で赤ん坊を抱えている。新たな生命の誕生を祝う気持ちと、自分側の寂しさが合わさった気持ちが背後に込められていたのかもしれない。そう読めばいいのだろう。そう読んでもいい歌だ。

 ただ、やっぱりミスリーディングだよなあ、とも思う。
 この1首目が単独で読まれたとき、多くの人はどう読むのか。やはり短歌は背景知識がなければきちんと読めないのか。単独で読まれることと連作の中で読まれることは違う。だが、違っていいのか。あるいは論理的に考えてもしかたないことなのか。

 ほんの1分ほどの読書体験を後から思うとこんな感じになる。

 そのあと、7首目に、

捩子といふ雄、雌の別あることのその比喩のこと苦く思ふも

 が置かれているのは、深い意図があってのことか。ジェンダー問題に当事者として触れてゆく歌かもしれない。なんとなく、男性女性の区別を超越した人間同士の友情を詠もうとしていると感じる歌もある。今後、作者のプライベート面の研究が進んでゆくと、なにかわかることがあるかもしれない。
 だけど今は、わからないものはわからないままにしておこうと思う。


短歌評 見えないものを見る~鈴木晴香『心がめあて』(左右社、2021年)  岡 英里奈

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 着る服を選ぶ。顔を洗う。髪を切る。毛を剃る。体の外側のことは、日々の中でよく考える。けれど、内側はどうか。
 この間、食あたりになり、しばらくのあいだおなかが痛かった。咳が出るとか、鼻水が出るとか、喉風邪、鼻風邪は少し重大に受け止められるが、おなかが痛い、は、なにかちょっとなめられていないか。ベンザブロックだって「熱」「のど」「鼻」はあるけれど、「腹」はない。はらいたに苦しめられながら、たかがはらいたでしょ(笑)、と世間に軽く見られているはらいたのことをちょっとかわいそうに思っていた。
 おなかが痛い、で、うんちが出ても、ほとんどの場合、それを他者に見られることはない。一方で、咳や鼻水は見える。熱も温度計でどれくらいの高さか可視化される。
 見えるもののことを、人はよく見る。見てくれる。だが、見えるものが多すぎて、見えないもののことを考えるすきまがない。
 鈴木晴香は、見えないものを見る。

歯がいつも濡れていること頬はその内側だけが濡れていること

 歯のことは、歯が痛くなったり、歯茎から血が出たりしないかぎり、そう意識しない。歯は忘れられている。頬のにきびは気にするけれど、その内側のことなど考えたこともない。でも、歯も頬も、本当はいつも、濡れているのだ。
 人体を描いた歌をつづいて紹介する。

横向きに眠ればそちらへ落ちてゆく内臓のすべてが濡れている

 人の体がかかえているいくつもの内臓が目に浮かぶ。「歯が……」の歌にも「横向きに……」の歌にも登場する「濡れている」という言葉が活きている。内臓の濡れたつややかさは、まるで鮮肉コーナーの肉のよう。ずっと忘れていたけれど、人間も、濡れた赤い肉のかたまりでできている。

 又吉直樹が本歌集の帯で「掴めないはずの感覚を捉えた瞬間の心地良さ」と述べているように、鈴木は人が「掴めないはずの」光景を捉える。その視点は、時に宇宙にまで伸びる。

眠っても眠ってもまだ上空で宇宙飛行士眠り続ける

 マンションでも、二段ベッドでも、地球でも、なんでもいいが、ひとつめの「眠っても」で〈下〉にいる人の眠りを、ふたつめの「眠っても」でさらに〈上〉にいる人の眠りを想像する。そのすべての状況を超越して、さらに「上空」で眠っているのが、宇宙飛行士だ。鈴木が描く遠い距離のことを思うと、なにもかも近視的にとらえてあれをやらなければこれをやらなければとぎゅうぎゅうに絞られたぞうきんのようになっているこころが、ふと、ゆるむ。

 手がとどかないものだけではなく、身近なものも、鈴木は見つめる。たとえば、他者とのあいだの距離。

君と見たどんな景色も結局はわたしひとりが見ていたものだ

 誰かと過ごしている間も、人は、自分の肉体を一人で生きるしかない。どれだけ心を共有しても、肉体は別々で、決して混じり合うことはない。一人で生まれて一人で死ぬ。それでも、誰かと一緒にいたい。

またここにふたりで来ようと言うときのここというのは、時間のこと


 次のような、美しい場面を描いた歌もある。

手品師と手品師の結婚式の客席すべて白い鳩たち

 客席にいるものは、人間ではない。友人でも、家族でも、同僚でも上司でもなく、自分達二人の商売道具、「白い鳩」だけが並んでいる。それにもかかわらず、孤独を感じさせるどころか、これ以上なく華々しいのがいい。
 普段、白い鳩を出して、客を喜ばせている手品師の二人。結婚式に客は一人もいない。ばさばさばさと白い鳩たちが飛びかうなか、二人は壇上にいる。誰に認められる必要もなく、二人だけで、互いの生を十分に祝福しあっている。

 最後に、本歌集の末尾に配置された歌を紹介する。

この手紙燃やしてほしいと思ったりしないもともと燃えているから

 情熱のこもった「燃えている」手紙、と読み取ることもできるが、星のかけらとして生まれたすべてのものが、いつか太陽が死ぬ頃、宇宙の塵に戻ると考えれば、最初から世界は燃えていると言ったっていい。
 なにかにあてて書かれた手紙は、最初からずっと燃えている。だからこそ、手紙を渡せること、手紙を書けることは、いま、ここの時点で奇跡である。数々の、燃えている三十一字の手紙が、いま、この時代にこの地球で生きてやがて燃えていく読者の心を震わせる。

短歌時評174回 ロシア・ウクライナに関して思いを巡らさざるを得ない様々なことについて   小﨑 ひろ子

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戦争は、現代の短歌では想像の世界でしか歌われることがない。なぜなら、現在、われわれの国家は戦争をしていないと信じられており、戦争は、一般に国家が宣言し、国家が戦うものだからである。(『短歌の世界』岡井隆「23 これから戦争はどう歌われるか」1995.11.20.岩波書店)

 短歌時評の依頼をいただいてから何を書こうか少しずつ考えていたのだが、2月下旬からのロシアのウクライナへの軍事侵攻のショックからすべて意識から吹き飛んでしまった。女性の仕事の歌、現代の若い人の歌、いろいろテーマを考えて楽しみに構想を立てていたのに、コロナの話を含めその程度のものだったのかと悲しくなりながら、この現実の暴力が、破壊力が自分にもたらしたものを思っている。
 文学が、ことさら短歌という形式が、このような状況下にここぞとばかりに生命力を発揮することについて何人かの作家が(岡井隆や多くの詩人をはじめとして)語ってきたが、今、実際に海外で恐るべきことが起きてしまった。自国のことではないにも関わらず、他者ごとではない恐るべき事態と認識しているのは、当事国がヨーロッパ・ロシアという身近な文化圏のことである以上に、マスコミが日々緊張感と危機感をもって報道しているためである。もちろん、全世界的に重大な出来事だから日々報道されているわけなので単なる情報の量として片づけられるようなものではない。しかも、その具体的な内容は、同時進行的に、TWITTERやFACEBOOKで、見ようと思えばいくらでも見ることができる(充分ではないとはいえ、ロシア語でもウクライナ語でも自動翻訳付きで!)。そんな環境が整っているのだから、下手をすると、知らない間に情報戦の一端を担って、現実の状況に影響さえ与えかねない。グローバル、SNS時代、といった最近までに語られてきた時代時代の様相が、ここに至って、以前は考えられなかったようなリアルな情報環境として目の前に現れている。

 冒頭に引いたのは、岡井隆の文章。この文章が書かれてすでに30年近く経っているが、戦中を経験した歌人の歌、戦後の歌、現代の歌等が様々に紹介されているので、ぜひ一度読んでいただきたいと思う。

世をあげし思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎む心よ  近藤芳美

 岡井は、近藤の歌について、「戦時下の青年は、当然祖国防衛の主体を担うことになる。その心情が、右に左に揺れるのは当然考えられる。心底ひそかに、〈戦争を憎む心〉を養って生きたとしても、すこしも不思議ではない。しかしそうした心情の率直な吐露は、戦時下では許されず、戦後になって可能となった。」と述べる。自らの最重要事を歌え、と常に述べていた近藤芳美にとって、自身の最重要事は愛する妻であり、その結婚生活を壊した戦争への憎悪であり、平和の希求であった。
 この文章では他に渡辺直己等の戦争の歌が引かれるとともに、他国の行う戦争(朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争等)に関する歌について、「日本国家を主体とする戦争は、つねに反省的に、懐古的に、〈戦争よあるな〉という心情に染められて、うたわれ続けてきた」「だから、歌人にとってヴェトナム戦争や湾岸戦争にしても、他国、他民族の戦争ではない。近代日本の軍隊による一切の戦争行為が、そこへ重ねられて、「戦争よあるな」という合唱を生んでいるといっていい」といったことが述べられている。
 そして、話題になった歌として、黒木三千代の歌集『クウェート』から、

咬むための耳としてあるやはらかきクウェートにしてひしと咬みにき

 等を引く。これらはもちろん、主体としての経験ではなく情報により引き起こされた自身の心理から、状況を捉えて詠まれた作品であるが、「他に適切な事例がみられないから」との断り書きとともに、次のような自身の作品を引いている。

  兵のために-カンボジア派兵の折に
征(ゆ)くといふ思ひを持たぬ兵が行き酒冷えて国も冷ゆるこのごろ  岡井隆
武器持ちて人間ひしと集(つど)ふ見れば日も究極の微光となりぬ
泥濘の道に降り立つ映像に若き性欲をしばし思へる


 これらは、詩人の辻井喬が「短歌が機会詩として発効しやすい」ことを言い、「〈反戦の歌〉とよんでいた」という。だが、岡井は、「兵が他国の現実にかかわり、他国多民族の(非正規軍とはいえ)軍と戦闘するという事態は、従来のマルクス主義主導型の反戦イデオロギーや、庶民の〈戦争はこりごり〉という素朴な厭戦気分だけでは処理し切れない問題である。歌人の多くは、この事態に対しても、なすすべもなく口をつぐんでいる。」「わたしの歌すら、辻井喬がいうようには反戦のうたではないだろう。口ごもりの歌、判断保留の歌なのである。と同時に、とにかく今自分の中に、しずかに水位をあげている感情に言葉を与えたいという段階の歌だろう。」と言う。

 最近の短歌総合誌から戦争の歌を引いてみる。


銃身のかがやく顎(あぎと)あげながら寒々とせる空を降り来ぬ
駐屯の屯はたむろの謂(いひ)にして屯をしたる者らは寒し


(「角川短歌」2022年2月号「双子座流星群」大辻隆弘)


 大辻は、もちろん平和な(戦争状態ではないという意味で)日本の日常生活を送っている作者だが、このような素材による作歌に長けている歌人である。これらは歳暮のゴディバチョコを素材とする歌と同じ一連に含まれており、おそらく自衛隊か米軍の基地の状況を写したものと思われるが、自身の主宰する同人誌「レ・パピエ・シアンⅡ」2022年3月号では、次のような歌を詠んでいる。


寒々としたる夜明けは水仙と梅しろき辺に終らむとせり  大辻隆弘
葈(をな)耳(もみ)の枯れて絡みてゐる向かうもう戦争ははじまつてゐた
兵士らの軍靴に踏まれたる雪と泥(ひぢ)を照らして燃ゆる炎は

 私は自分が「未来」という短歌結社に所属しているので、どうしても視野にある岡井隆とその系列の歌人のことが気になってしまうのだが、最近の若い歌人たちの感覚を少し見てみると、「角川短歌年鑑2022年」の対談「価値観の変化をどう捉えるか」の中で、戦争に触れた歌が取り上げられているのが興味深い。


恋人が兵隊になり兵隊が神様になる ニッポンはギャグ  北山あさひ


 対談では、「壊れ切った負の匿名性の恐ろしさを若者に突き付けられた」(坂井修一)、「日本特有の全体性をどう思うかということ」(黒瀬珂欄)といった評がされているが、この捉え方と表現は、同時代を生きた人物にはありえないだろう。いくら訳のわからない理不尽な現実があったとしても、その渦中にあれば、ギャグなどといった表現はできない。だがそれは、現代に普通に平和に生きる人間からしたら、実際、リアルな出来事ではなくて遠き過去の世界の、まるで戦国時代のような「お話」と捉えることしかできないのである。もし自分の恋人が兵隊になって、死んで神社に祀られて神様として崇められたら?そんなことは真っ当な想像をはるかに超えている。フィクションにすらできないし、ギャグでしかありえない。なにこれこの国そのものがギャグとして存在しているとしか思えない!
だから、今回「眼前に繰り広げられている」ロシア・ウクライナの出来事は、「ありえないこと」「あってはならないこと」として、我々を揺さぶり続けているのだ。
 この現代の日本で、オリンピックの式典で「君が代」を歌っていた歌手が、一年もたたないうちに「花は何処へ行った」を熱唱すると、誰が想像しただろうか。ロシア・ウクライナの出来事は、はたして数十年後の次世代の人々に「ギャグ」と言われてよいようなものになり得るのだろうか。今、それらを見ているわれわれはどういう風に感じる(あるいは感じるべき)なのだろうか。

 かつて、時事詠社会詠を得意とする道浦母都子に対して、エンターテインメントを得意とする笹公人が「そのまま新聞の見出しみたいだ」と、批判したことがあった。(文学であり詩歌である短歌としての質を問うているという意味で、決して社会批判が好ましくないとかそういう意味ではない。)同じように社会詠を多く作る年配の歌人黒住嘉輝が、若い歌人である工藤吉生から同じようなマイナスの意見を提示されて、<「新聞の見出し」と貶す評言あり見出しにも巧みと下手あるものを>と歌で返したという。(〈「塔」2014年7月号の黒住嘉輝さんの歌に応える〉「この短歌がおもしろいよブログ」工藤吉生)
 私も、詩歌の本分はほんとうは違うのかもしれないと思いながらも、報道の見出しのような歌があってもいいじゃないか、と思うことがある。そもそもメディアに乗って報道される事象のほとんどは一旦フィルターにかけられたものであることが多いが、今はそれらの衝撃の強さの方がはるかに大きい。それ以上の何について、自分の立場で思うことができるのだろうか、と感じることがある。戦時中にどんな新聞見出しがあふれ、どんな歌があふれていたか。それらを思いながら、時勢に参加することがあったってよい。報道の内容をリツイートするかのように歌にして拡散する意思表示もそのことによる社会参画への欲求も、個人の承認欲求と同様(それらを同列のものとして扱ってよいかどうかは不明だが)、表現の動機として尊いものであるはずだ。もちろん、過去の事実を反省することがなければ同じ轍を踏むことになるから、歴史を学んだ有利な立場にある現代人たちはそのあたりを自分たちの未来に応用しなくてはならないし、それができないなら、報道見出しの歌は、とくに今みたいな時はやめておいた方がよいのかもしれない。プーチンだって、歴史を学んだ結果、誤った方向に応用してこういうことになったわけだから、この欲望には慎重になった方がよい。

 新聞短歌や様々な歌誌には、少しずつ今回の戦争に関する歌が現れてきている。歌会などの場でも、議論の焦点になっていることと思うが、実のところ、憂鬱で仕方がない。桜が徐々に咲きつつある時期の今の時間の流れと短歌作品が展開しつつある状況とが重なって見えるのも、かつての戦争と桜の雰囲気(私の親の世代の空気なので、同時代人として知っているわけではないが)を追体験させられているかのようで薄気味悪い。私自身も何か歌を作ってしまうに違いないと思うし、これだけの事実を突きつけられているのだから、誰もが何らかの感想や思いを持ち、表現しようとするだろう。  
 嬉々として歌いあげる歌、何らかの関連を持たせて自身の問題を歌う歌、真剣な関心の有無は別として技巧的に詠嘆を寄せる歌、深刻な悲哀を感じて涙する歌、赤勝て白勝て的な遊びの歌、奇をてらって面白いことを言ってみる歌、表立って何も言わなくても事物に託した定型を形作ろうとする歌、様々な歌が出てくることだろう。
 その中から歴史に残る「歌」が現れてくることを願うと同時に、何が言いたいのかわけがわからなくても幸せな雰囲気が漂うごく普通の、上手な日常の歌がまだまだ生まれ続けて市民権を得続けることを、心から願っている。

(2022年3月26日 雨の日にしるす)

短歌時評175回 真実の言葉 竹内 亮

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 歌人は「真実の言葉」に敏感だと思う。

 歌が現実か創作か、本心かそうでないか、歌を読んでいると気になることがあるし、歌が事実かどうか歌会で議論になることがある。

 しかし、その議論がわたしは十分に整理できていない。まず、事実かどうかというのにはいくつかのレベルがある。そして、事実かどうかということと本心であるかどうかということには必ずしも関係がないように思える。

 事実という場合、少なくとも一定の客観性が存在することが必要だと思うけれど、本心は、事実でないことについてもなりたちうる。さしあたり、本心を「話し手が本当だと思って話すこと」と定義したとき、あること事実でなかったとしても本当に存在したと思って話されることはある。

 たとえば、インターネットのサイトで予約したはずの電車のチケットが予約されていなかったとき(最後の画面の「確認する」をクリックしないままブラウザを閉じていたとき)、前日に同行者に対して本心で話していた「チケットは予約してあるよ」は事実ではなかったことになる。小説は多くの小説家にとって本心であろうけれど、事実ではないことが多いように思う。

 いまの社会は、事実が隠されることが増えているのかもしれず、そのことを心配するけれど、同時に本心が話されない社会になっているようにも思う。事実は大切だけれど、本心も同時にとても大切な気がする。

 永田愛さんの第2歌集『LICHT』を読みながら、このようなことを思った。『LICHT』はリアリズムの歌集だと思うけれど、それ以上に本心に満ちているように思った。

いつからかわたしの歩幅を知っていてきみはわたしのはやさで歩く

ほんとうに行くべき場所は本屋でも職場でもない 影踏みながら

分銅の重さすこしも疑わず測定結果に100.0グラム(ひゃく)を書き込む

祖母はもうわたしの声が聞こえない 春のポストに葉書をいれる

A3のコピー用紙を運ぶとき溶けない雪の重みを思う

花水木の葉は風下へひらめいて 葉にも幹にも触れないでおく

──永田愛『LICHT』(青磁社、2021)

短歌時評176回 機会詩の成熟化について 桑原 憂太郎

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 今年2月にはじまったロシアによるウクライナ侵攻は、短歌の世界でも、恰好の歌の題材となって受け止められた。
 短歌は、機会詩としての性格を持つから、世の中で起こったことを作品にして詠むのは、歌人しては当然の所業であり、そのことについて、とやかく言うべきではない。歌人は、自分が詠いたいことを詠えばいいのである。世の中を見わたして、自分が感じたままをどんどん詠えばいい。それは、ウクライナ侵攻であろうが、新型コロナだろうが、なんでもいいし、できた作品が、ただの決意表明だろうが、ニュースの見出しのようであろうが、スローガンだろうが、類型的であろうが、そんなことを気にすることはないのである。

 しかし、こと作品の優劣となると話は別である。

 どのような場であれ、提出された作品は批評にさらされる。さらされることで、いい作品なのかそうでない作品なのかのジャッジが下されることになる。そこでは、ただの決意表明だとか、ニュースの見出しのようだとか、スローガンだとか、類型的だとか、いろいろと評価されるわけである。
 ただし、このジャッジは、そんな作品の優劣もさることながら、短歌形式の機会詩としての成熟度を測る指標にもなり得る。
つまり、批評のなかで、作品の優劣のジャッジが下されるということは、作品の優劣とともに、機会詩としての短歌の成熟度も測られているということだ。
 そうじゃないと、いつまでたっても、決意表明だったり、ニュースの見出しのようであったり、スローガンだったり、類型的だったり、といった作品があふれるばかりになり、どうにも短歌の機会詩としての成熟は望めないということにもなる。
 
 そんななか、「短歌研究」6月号は、「正面から機会詠論」という特集を組んでいる。新型コロナやウクライナ侵攻を題材とした機会詩が短歌作品にあふれている昨今、時宜をえた企画といえるだろう。10人の論者による10本の論考が並んでいるが、そのなかで、筆者は、高木佳子「『個』として対峙する」に注目した。
 高木は、機会詠のなかで、「とくに戦争の題材は難しさがつきまとう」としたうえで、以前から指摘されていた歌の政治的回収やスローガン化・類型化、いわゆる感動ポルノ、作歌要請とその応答について、「思考はそれぞれ深化しただろうか」と疑問を投げる。そのうえで、高木は「機会詠の表現への問いは山積したまま、一人一人の歌の成熟にはまだ遠いように思われる」と述べる。
 高木もまた、機会詩の成熟について、考えているのである。
 そうしたなかで、高木は、「個」として対峙することを説く。「多くの人が共有する機会を題材とする歌には、逆に率直な・最小な「個」が現れ、独自性を持って反映されてほしい」と述べる。
 これが、高木の機会詠の評価軸だ。独自性のある「個」が反映されているのがいい作品であり、そうした作品が提出されていくことが、機会詠としての短歌の成熟化だというのだろう。
 そのうえで、高木は、そうした「個」の反映されている作品として、次の5首を掲出している。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 土岐善麿『夏草』

あきらかに地球の裏の開戦をわれはたのしむ初鰹食ひ         小池光『日々の思い出』

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき        大辻隆弘『デプス』

ひげ白みまなこさびしきビンラディン。まだ生きてあれ。歳くれむとす 岡野弘彦『バグダッド燃ゆ』

原爆を特権のごとくうたふなと思ひ慎しみつつうたひきぬ       竹山広『空の空』

 さて、これら5首は、次の2つに分けることができる。それは、戦争の当事者か、そうではないか、の2つだ。土岐と竹山の作品は前者で、小池、大辻、岡野の作品は後者だ。
 戦争の当事者であれば、いかようにも「個」を反映させることができよう。いわゆる戦争体験なり被爆体験なりを存分に詠えばいいのである。どのような体験であっても、それが「個」へ帰結するのは容易である。
 しかしながら、小池、大辻、岡野は、これら歌の題材になった戦争の当事者ではない。フォークランド紛争も9・11もタリバンのテロも、体験しているわけではない。生命の危険がない平和で安全な場所に安寧していて、戦争への切実感もあるわけではない。そうした境遇に身をおきながら、いかにして「個」を反映させたらいいのか。
 というと、小池は「たのしむ」と詠み、大辻は「壮快」と詠み、岡野は「まだ生きてあれ」と詠む。
 こうした三者の「個」の独自性について、果たして高木は、ホントに是とするのだろうか。
 筆者は、このような当事者ではない歌人による機会詩については、もっと違う評価軸でジャッジするべきではないか、と考えている。
 

 そうしたなかで、今回、筆者が取り上げたい歌集は、黒木三千代『クウェート』だ。
 歌集が出版されて27年が経っているのだが、今回のウクライナ侵攻をもって、また、この黒木の作品がにわかに注目されている。
 戦争が起こったことによって、過去の作品が再評価されるというのは皮肉といえるが、それだけ人々の記憶を喚起する作品といえるだろうし、今、読み直す価値のある作品ともいえるだろう。

侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる
生みし者殺さるるとも限りなく生み落すべく熱し産道(ヴアギナ)は
咬むための耳としてあるやはらかきクウェートにしてひしと咬みにき

 これら作品にみられる、黒木の機会詩を詠む手法は何か。というと、比喩だ。
 「レイプ」「産道」「咬むための耳」といったセクシャルな比喩で、クウェート侵攻を表現した。こうした手法は、機会詩の短歌表現として、なかでも戦争を題材とする機会詩の短歌表現として有効であったといえる。
 また、こうした表現方法であれば、戦争の当事者でなくとも、十分に「個」も担保できよう。
 この度の黒木作品の再評価は、短歌表現の有効な手法のひとつを示しているともいえよう。今後、黒木が提出した表現方法が多くの歌人によって様式化されていくことで、機会詩はどんどん成熟していくものと思う。

 今後、ウクライナ侵攻は、日本全国でそれこそ幾万首も詠まれることになるだろう。
 そんななか、一首でもいいから、機会詩を成熟させることのできる作品に出会いたいと思うし、そして、それをきちんと評価できる批評を求めたいとも思う。

短歌評『約束のあとさき』(みづな and アキ)を読む 若林 哲哉

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 『約束のあとさき』は、森尾みづな氏と喜多昭夫氏の共同制作による歌集である。

 それはひと夏の出来事だった。正確にいうと二〇二一年六月二十六日から九月十五日にかけて、森尾さんと二人で掛け合い漫才のようにしてユニット短歌二百五十六首を制作したのだ。多くの場合は僕がボケ、森尾さんがツッコミを担当した。ぼくが題やフレーズ(上句や下句等)をトスして、森尾さんがスパイクを決めて一首が仕上がる。場合によってラリーの応酬になることもある。(喜多昭夫氏のあとがきより抜粋)

 これを読んだ時、筆者の脳裏には、数年前に流行したスマホアプリ「五七五オンライン」が浮かんだ。「五七五オンライン」は、オンライン上でマッチングした二人が、一つの「五七五」を作るゲームである。先手が上五を作り、それを受けて後手が中七を作る。最後にもう一度先手が下五を作って、完成だ。それ以外のルールはない。恐らく、この「五七五オンライン」は、俳人・歌人・柳人に向けて開発されたものではなく、むしろ、普段は短詩に馴染みのない人たちに遊んでもらうためのものと思われる。一時的とはいえ、このアプリが流行したのは、名前も顔も分からない誰かと掛け合いをして一句をつくるという言葉遊びに、普遍的なユーモアが生じたからだろう。それが、時には「掛け合い漫才」と呼ばれるということではないか。俳諧連歌などもまた、それに似ている。
 その「掛け合い」による面白さの表れ方は、『約束のあとさき』において、実に様々だ。

蛸壺にタコが休んでいるところ野球で言えば九回表

 筆者は主に俳人を名乗って活動しているので、過去の俳句のエッセンスを感じるフレーズに、まず目を留めてしまう。この歌の場合、〈鳥の巣に鳥が入つてゆくところ/波多野爽波〉を想起せざるを得ない。俳人としても活躍する喜多氏が、この上句を題として提示したのではないかと邪推しつつ、タコを捕らえるための蛸壺に、タコ自身が休んでいるという把握は、なんとも脱力感を与えるフレーズで、面白い。もはや、上句だけで俳句として成立するのではないかと思ってしまいそうなところに、この下句。上手く言ったものだ。まだ勝敗は付いていないながらも、もうすぐ試合が終わってしまうという緊張感が、油断したタコに躙り寄ってくる感覚がある。上句で示された事柄が下句で更新されると、短歌でしか書き得ないものとは何か、目の当たりにしたような気分になる。似た歌に、

 雪の舟雪の港を出るところオレンジプランってなんだったっけ

があり、上句の言葉の密度に対して、下句の口語の軽やかさが際立っている。
 
 本歌集で論を担当した石松佳氏は、「この『言葉の遊戯性』については、単に喜多さんと森尾さんの掛け合いによるものではなく、一つの試みとして歌集に通底しているものと感じた」と述べており、ライトヴァースやマラプロピズムについて言及している。
 「言葉の遊戯性」への試みは、タレントや芸能人、それを彷彿とさせる語を詠み込んだ歌に垣間見える。例えば、

うっせぇわベリーショートのストロベリーをビニールハウスに閉じ込めてやる

 若者の共感を広く呼び、一世を風靡したAdo『うっせぇわ』の歌詞のパロディであろうし、「正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」という歌い出しをもじったものと思われる。「温室育ち」という言葉があるが、〈ビニールハウスに閉じ込めてやる〉というフレーズに、屈折や皮肉めいたものを感じる。

「やばいよやばいよ日本がだんだん日本ぽくなってゆく」とぞ

 「やばいよやばいよ」とは、タレントの出川哲朗氏の口癖だろう。歌の末尾の〈とぞ〉によって、主体の立ち位置が一歩後ろに下げられている。すなわち、焦る芸能人を画面越しに眺め、見つめている主体が思い浮かぶのだ。それを無邪気に楽しむ童心も、〈日本がだんだん日本ぽくなってゆく〉ことへの諦観も感じられる気がする。
 
 一首の中に二人の意図が混在する、そんな短歌が集まっている。それゆえ、歌集全体の印象を簡潔に述べようとするのは、至難の業だ。

  読者の皆さんはどうぞ、どこからでも、その日の気分に任せて自由に楽しんでいただけると嬉しいです。(喜多昭夫氏のあとがきより抜粋)

 とのことだ。

〇みづな and アキ『約束のあとさき』 | 書肆侃侃房
https://ajirobooks.stores.jp/items/62610720be482f2bc894393f

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