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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌時評152回「そこ」から花水木は見えてゐるか 魚村晋太郎

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 砂子屋書房のHPに連載の月のコラム「ハヤブサが守る家から」の1月の回に、土岐友浩は「リアリティの重心」を寄せてゐる。土岐は、小木曽都、西村曜、柴田葵、辻聡之といつた若手の作品にみられる「想像」について、それが現実世界を離脱した「メタ」なものではなく、現実と「パラレル」なものではないかと指摘してゐる。土岐自身はコラムのなかではつきり言及してはゐないが、土岐の指摘は前衛短歌の虚構の歌と比較して現在の作者の虚構のあり方の違ひを掬ひ取つてゐるやうで、興味深く読んだ。
土岐はコラムの最初と最後に吉川宏志の第一歌集『青蟬』の一首「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」に言及して、そのことが波紋を呼んだことは多くの人が知るところだらう。

 土岐はコラムの最初と最後に吉川宏志の第一歌集『青蟬』の一首「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」に言及して、そのことが波紋を呼んだことは多くの人が知るところだらう。

 

土岐友浩「リアリティの重心」

https://sunagoya.com/jihyo/?p=1726

 

 土岐はコラムのなかで、吉川の「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」について、土岐をふくめて従来は「否定を用いて、実際には告げることができた」と読まれてゐた一首が、最近の若者には「愛を告げたかつたのに、告げることができなかつた」と読まれることがある、と指摘したのである。
 土岐のコラムには、SNS等で多くの歌人が反応した。なかでも、私がなるほど、と思つたのは、1月6日に行はれた寺井龍哉の「ちょっと膝を打った」ではじまるツイートである。「土台告げることはできなかつた」といふ読みについて、「歌集の文脈をさしあたり別にすれば、成り立たぬ見方でもない。悔しい歌になる。でもそれなら「愛は」と書きたい。膝は打ったが納得はしにくい」と結ばれてゐた。鋭いと思つた。「愛を」を「愛は」に変へてみよう。

花水木の道があれより長くても短くても愛は告げられなかった

 

 「愛は」としたとしても「愛を」としたときと同様、「告げることができた」と読むことは可能だが、「愛を」としたときに比べて「告げられなかつた」方に一首の印象は傾く。その理由は「は」が(他のことはさておき)「愛は」といふやうな限定の意味を持つことと関はりがあるのかも知れないが、私自身はその理由をきちんと説明することができない。また、寺井のツイートをきつかけにいまひとつ気づいたことは、「愛は」とするより「愛を」とした方が、辛くも告げることができたといふ謂はば「できごと感」が増す気がすることだ。以上の助詞についての考察から、私は吉川の一首について「告げることができた」と読むのが妥当ではないかといふことを再確認するのだが、それではここで話が終はつてしまふので、以下、助詞については気づかなかつたことにして続けることにする。

 

 土岐のコラムを受けて、飯田和馬がツイッター上で花水木の歌と似た構文の下記のやうな2つの文を挙げ、その文意の取り方についてアンケートを行つた。

 

「薬剤の投与があれより早くても遅くても彼は助からなかった」

 

「シナモンがあれより多くても少なくてもアップルパイは美味しくなかった」

 

 このアンケートについてなんと、前者には2万人以上が、後者にも1万7千人以上が回答した。結果は、前者で彼が「助かった」と答へたのが37%で、「助からなかった」が61%。後者は「美味しかった」が52%、「美味しくなかった」が46%だつた。

 このアンケートに私は参加しなかつたが、ツイッター上で見て思ふことがあつた。前者の一文が発話された状況について、回答者たち、ことに「助からなかった」と答へた人たちはどんなふうに想像したのだらうか、といふことだ。
「助かった」とした場合、もちろん、絶妙なタイミングの投薬によつて彼が助かつたといふ状況が実在したとしての話だが、このやうな発言が行はれる状況は想像しやすい。奇跡的なタイミングで彼が一命を取りとめたことへの喜びや感動から発せられることもあるだらうし、医療関係者や家族の適切な処置への賞賛や労ひの言葉として発せられることもあるだらう。
 一方で「助からなかった」とした場合、死者やその遺族を前にしてこのやうな発言をするのは、ふつうはかなり勇気の要る行為、といふか空気を読めない行為である。仮にこのやうな発言がされるとしたらどのやうな状況が考へられるだらう。ひとつは、遺族から医療関係者に対して、投薬のタイミングの不手際が患者の死の原因になつたのではないかといふ訴へがあり、それに対する反論といふケースである。いまひとつ考へられるとすれば、受診とか投薬のタイミングについての自身の不手際に患者の死の責任があるのではないかと、自責の念にかられてゐる遺族や医療関係者への慰めの言葉といふことにならうか。
 私が疑問に感じたのは、この一文の文意を「助からなかった」ととつた61%、1万2千人あまりの人は上記のやうな状況を想像した上で、そのやうに読んだのだらうか、といふことだ。もちろん1万2千人1万2千様の読み方があつたのだらうが、多くは発言が行はれた状況への想像力を遮断して、字面だけを読んでゐたのではないかといふ疑ひを拭ひえなかつた。

 もちろん、上掲のアンケートは思考実験のやうなもので、発言が行はれた状況といふのはそもそも実在しない。しかし、文の意味をとる上で、その文が置かれた状況やそれを発した発話者の気持ちをくみ取ることは、文法的な妥当性を検証する以上に大切なことなのではないか。それが文学的な表現であつたり、短詩である場合は尚更である。

 

 前述の通り、吉川宏志の花水木の歌について、私は「愛を告げられた」と読んできた。東直子は昨年末に文庫化された『愛のうた』の巻頭でこの一首を取り上げて、「「長くても短くても」には、「言いたい、でも言えない、でも言わなければ」と、その道を歩いている間中ずっと逡巡していた気持ちが込められているのである」と鑑賞してゐるが、同感である。

 付け加へれば、作者、或いは主人公には、花水木の道の長さに、愛を告げたその日までの二人の淡い交際の期間を重ねる気持ちがあつたのではないかとも思ふ。勇気を出して相手に告げるまで、じぶんの想ひをそだてるのには時間がかかる。かといつて、仲のいい友達として付き合ふ期間があまり長すぎると、今更一線を越えられないといふこともある。春先の美しい並木道で愛を告げることができた、そのタイミングに主人公は、一寸大げさに言へば天恵のやうなものを感じたのではないか。

 「愛を告げられなかった」としたら、作者は、或いは主人公はどうして花水木の道の長さを引き合ひに出したのか、得心がいかなかつた。あれより長かつたら駄目だつた。あれより短くても駄目だつた。つまりどうしたって愛は告げられなかつたのだ、と言はれれば、さう読めないこともない気もしてくるが、どうしたつて愛を告げられない、さうした状況のとき短歌の作者は花水木の道の長さを云云するだらうか。

 私には相応しい状況を想像するのが難しかつたが、それははじめから一首を「愛を告げられた」ものとして読んでゐて、それ以外の可能性を遮断してしまつたせゐかも知れない。「愛を告げられなかつた」とした場合、どういふ状況が考へられるか、今少し考へてみることにした。

 今日も明日も会へる相手に「愛を告げられなかつた」として、花水木の道の長さを云云するとはやはり考へにくい。 「愛を告げられなかつた」としても花水木の道は、なんらかの意味で特別な一回性のかがやきを持つものだつたと考へたい。例へば主人公は引つ込み思案で、ふだんは相手と二人で会ふことなど叶はなかつた。それが、グループで会ふ予定が他の子が来られなかつたとか、バイトのシフトの急な変更でその日だけ駅まで一緒に歩くことになつたとか、さういふシュチュエーションで花水木の道を二人で歩いた。いまここで告げなければ、金輪際告げることはできない。さう思ひながら歩いてゐるうちに、駅なりなんなりに着いて二人だけの時間は終はつてしまつた。一人になつた電車のなかで、あの花水木の道がもう少し長かつたら愛を告げることができたのではないかとつかの間思ひつつ、否、道が長くても短くても、意気地のない自分には愛を告げることができなかつたんだ、といふ思ひに至つた。さういふことなら、もしかしたらあるかも知れないと思つた。

 

 濱松哲朗が「6のつく日に書く日記(30)」で土岐のコラムを取り上げてゐる。

 

濱松哲朗「6のつく日に書く日記(30)」

https://note.com/symphonycogito/n/n6d7dbfae996d

 

 濱松は吉川の一首について、「普段なら愛は告げられたものだと読む」とした上で、2通りの読みについて「「あれ」を一回性の例外と捉えるか絶対的運命の一部として捉えるかの違い」であると分析してゐる。つまり、「告げられなかつた」と読む読者は「どのパターンでも失敗するこの世界のとある事例」として花水木の道を捉へてゐると主張した。しかし、私は「告げられた」にしても「告げられなかつた」にしても花水木の道は「奇跡的な一回性」の所与であつて、むしろその奇跡を生かすことができたかどうかの違ひといふことではないかと思ふ。

 そして、さう思ひながら、「奇跡的な一回性」とかそもそも「一回性」といふやうな感覚が若い作者=読者たちには希薄なのかも知れない、とも思ふ。若い作者たちの作品に相聞歌が減つてゐるやうに見えることとも関係があるのかも知れない。そんなふうに考へてゆくと、土岐や濱松が見つめてゐるものが、私には見えてゐないのかも知れない、といふ気もしてくるのだ。この点については土岐や濱松ら、若手の論客の論考を注視しながら今後も考へてゆきたい。

 

 土岐は最初のコラムの反響を受けた「(追記)花水木のうたをめぐって」のなかで、京都造形芸術大学の学生たちによる歌会「上終(かみはて)歌会」の会誌『上終歌会01』に掲載された、井村拓哉の「こことそこ」といふエッセイの一部を引用してゐる。

 

土岐友浩「(追記)花水木のうたをめぐって」

https://sunagoya.com/jihyo/?p=1798

 

 私はこのエッセイを土岐による抄録でしか読んでゐないが、井村は若者の、おそらくは自分自身の「自意識」を見つめてゆくなかで「最近思うのは、自分はここにも生きているし、そこにも生きているということだ。ここで自分は世界の中心であり、それと同時に、自分はそこらへんの目立たない人間の一人でもある。こことそこ。なぜ、これらが一緒になった言葉がないのだろうか。」といふ思ひに至る。私は井村のエッセイにこころを動かされて、むかし読んだ廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』を四半世紀ぶりくらゐに開いてみた。

 廣松渉は吉本隆明と並ぶ戦後日本の思想家で、私が当時読んだ『世界の共同主観的存在構造』などの著作では、言語の交通に着目して、主客対立を基本原理とする近代の知のパラダイムを乗り越えようとする仕事をしてゐた。著作は難解なところも多かつたが、思考実験のために挙げられる例が秀逸だつたりして引き込まれるやうに読んだところもある。やや唐突かも知れないが、目の前の牛を誤つて「ワンワン」と呼んだ幼い子供に対して「その子供が牛のことを誤つてワンワンと言つてゐるのだ」といふことを大人が理解する場面を例に挙げた考察の部分を引用する。

 

 例えば、牛が或る子供にとって「ワンワン」としてあるという場合、牛がワンワンとしてあるのはその子供に対してであり、私にとってではない。とはいえ、もし私自身も何らかの意味で牛をワンワンとして把えるのでなければ、私は子供が牛を“誤って„犬だと把えているということを知ることすら出来ないであろう。子供の“誤り„を私が理解できるのは、私自身も或る意味では牛をワンワンとして把えることによってである。この限りでは、“ワンワンとしての牛„が二重に帰属する。(中略)

 ここには自己分裂的自己統一とでもいうべき二重化が見出される。私本人にとっては、牛はあくまで牛であってワンワンではない。しかし、子供の発言を理解できる限りでの私、いうなれば子供になり代わっている限りの私にとっては、やはり、牛がワンワンとして現前している。簡略を期するため、ここで、私としての私、子供としての私、という表現を用いることにすれば、謂うところの二つの私は、或る意味で別々の私でありながら、しかも同時に、同じ私である。

 このような自己分裂的自己統一とでも呼ぶべき事態が最も顕著にあらわれるのは言語的交通の場面においてであるが、これは決して例外的な特殊ケースではなく、――“他人„の喜びや悲しみが以心伝心“感情移入的„にわかるといった基底的な場面においても認められるものであり――、フェノメナルな意識が一般的にもっている可能的構造である、と云うことができよう。

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』

 

 井村のエッセイと廣松の引用にわたしが付け加へるのは蛇足以外のなにものでもないやうにも思はれるが、敢へて付け加へよう。短歌を読む行為とは、井村の言葉を借りれば、「ここ」から「そこ」へ歩みよつて「そこ」における「ここ」を感じること、廣松の言葉を借りれば、子供になり代はつて子供の目で牛を見るやうな自己分裂的自己統一の行ひである。

 土岐のコラムを端緒にSNS上では吉川の花水木のうたについてさまざまな発言が行はれた。示唆的な発言もあつた一方で、特にツイッター上では「告げた」のか「告げなかつた」のかの二択の発言が多い印象を持つた。

 「告げた」として、或いは「告げなかつた」として「そこ」から花水木は見えてゐるのか。見えるとしたらどんな花水木の道をあなたは見たのか、さういふ話をもつとしたいと思ふのだつた。


短歌評 表現か内容か。プロレタリア短歌を読む 谷村 行海

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 先日、現代俳句協会青年部主催の勉強会「『寺田京子全句集』を読む」に参加してきた。勉強会では中西亮太による発表が興味深く、京子句に多々見られる技法のひとつとして字余りを分析していた。以下の引用は同勉強会における中西亮太の資料「〈生〉の源泉としての自己――作品・形式・技法――」による。

 一般に字余りや破調の句は独特のリズム感や句の解釈に効果をもたらす技法とされている。その一方で、いわゆる5・7・5定型を崩すという意味で、その約束された安心感ではない、積極的な必然性が要求される。
 例えば「オルガン運ぶ」の句[オルガン運ぶそのあとをゆき静かな冬:引用者註]には、「オルガンを運ぶ」その動きをしっかりと想像させる必要があったのだろう。がたがたと準備をし、そのあとを追いかける人。オルガンと彼らが(あるいはその中に京子もいるのかもしれないが、)いなくなった後のぽかんと空いた静けさが想起できる。中七までの文字が詰まった様子、あるいは発音時の上五に現れる音感は、人やオルガンが狭い空間の中にごちゃごちゃと存在している様子を比喩的に表現しているのではないだろうか。

 積極的な必然性の要求、このことばに私は深く共感を覚えた。寺田京子は長年病に苦しみ、「生きぬく方法としてえらんだ俳句が、いまは作るためにのみ生きてゐるやうになりました」とのことば(※1)も残している。生き抜く、作るための字余りの必然性。病と向き合い、闘い続ける生のエネルギーが、字余りによって表された京子句の内部からひしひしと湧き上がってくるような印象も受ける。
 以上、前置きが大分長くなってしまったが、この勉強会のあと、私はプロレタリア短歌のことを思い出していた。プロレタリア短歌は賃金労働者、無産者視点から詠まれた歌で、その多くは1928年の新興歌人連盟の発足から1932年のプロレタリア歌人同盟の解散までのごく短期間の間に詠まれてきた。この期間には労働争議や小作争議が頻発したり、昭和恐慌によって失業者が増加したりと日本の経済事情は芳しくなかった。結果、労働者を搾取する支配階級への抗議の声が高まり、歌壇においてもプロレタリア文学の動きが巻き起こったのだった。
この歌群の技法面での特徴として真っ先に挙げられるのは、寺田京子の句と同様に字余りの傾向だ。以下、昨年の1月に笠間書院から刊行された松澤俊二『プロレタリア短歌』掲載の歌からいくつか歌を引用していく(※2)。

  プレスにねもとまでやられた一本の指の値が八十円だとぬかす

石塚栄之助

 初出はプロレタリア短歌初期の1928年12月の「短歌戦線」。「値」を「ね」として読んで短歌定型に即して解釈した場合、13(プレスにねもとまでやられた)・5・(一本の)・9(指の値が八十)・7(円だと抜かす)のリズムとなるだろうか。前半は字数の上では一音だけの字余りだが、初句と二句が連続して一つのまとまりを生み出している。また、三句目で一度定型に歌を収め、下の句でまた定型からずらしていく。この結果、リズムとしては不思議な響きが生じている。

  夜業(よなべ)だの副業だのをするだけさせて片(かた)つ端(ぱし)から搾り取つておいて、脱(ぬ)けがらはブラジルへ行けだ

林田茂雄

 先ほどの歌の場合は定型から外れてはいたが、ある程度の定型意識は感じられた。では、この歌の場合はどうであろうか。初出はマルクス書房が1930年に刊行した『プロレタリア短歌集.1930年版』。初句・二句こそ定型を守ってはいるものの、以降は大幅に形が崩れ、字数は17音オーバーの48字となっている。
 現代で考えてみると、これほどまでに大きな破調の歌を数多く詠んでいる歌人として真っ先に浮かぶのはフラワーしげるだろうか。

  星に自分の名前がつくのと病気に自分の名前がつくのとどっちがいいと恋人がきいてきて 冬の海だ 

フラワーしげる『ビットとデシベル』

 フラワーしげるのこちらの歌は54音で字数は23字オーバー。単純な字数だけでみると破調のレベルは同程度だ。しかし、林田茂雄の歌と比べてみると、より短歌らしさを感じられるのはフラワーしげるの歌のほうだろう。フラワーしげるの鑑賞でこれまで何度か指摘されてきたように(※3)、この歌の場合では「自分の名前がつくのと」のリフレインによってある一定のリズムが生み出されている。また、歌全体に内容面での想像の余地が残っているため、散文のようには感じにくい。一方、林田茂雄の歌では一首のなかで内容が完結し、きわめて散文に近い印象を受ける。
フラワーしげるは表現、林田茂雄、ひいてはプロレタリア短歌は内容による破調を中心に据えていると言えるだろう。フラワーしげるの場合は表現として選択された破調と考えられるから、あえて定型に収める必要は薄そうだ。では、内容重視であるプロレタリア短歌のほうは定型に収めても問題はないのだろうか。私はそのようには思えなかった。

  がらんとした湯槽(ゆぶね)の中にクビになつたばかりの首、お前とおれの首が浮(うか)んでゐる、笑ひごつちやないぜお前

坪野哲久

 出典は同じく『プロレタリア短歌集.1930年版』。こちらの歌も初句が一音字余りになってはいるものの、二句目まではおおむね定型を遵守している。しかし、同様に途中から字余りが発生してしまう。読点によって「クビになつたばかりの首」「お前とおれの首が浮(うか)んでゐる」「笑ひごつちやないぜお前」のように三句目以降を順にわけていくと、強烈なフレーズが畳みかけられていく。もしも無理やり定型に収めようとして「がらんとした湯槽にクビの首二つ~」などとつなげていくと内容が大人しくなってしまい、そこまで強烈な印象を受けないのではないだろうか。
また、先述の林田茂雄の歌のほうも「だの」「~て」とことばを矢継ぎ早に投げかけ、声に出してみると徐々に語気が強まっていくような感覚を覚える。最初は短歌を詠むという明確な意識から出発したために定型が守られ、徐々に過酷な現実に対する鬱憤の噴出によってことばがオーバードライブを起こし、破調が生じてしまったかのような錯覚まで受けてしまう。つまり何が言いたいかというと、プロレタリア短歌の破調は中西亮太の発表にあったような「積極的な要求」、心の奥深くに眠る感情の吐露が作り出したものととらえられる。
 石塚栄之助の歌もそうだ。前述のように定型意識があり、独特のリズムからかなり技巧的な印象はある。しかし、最後の最後に登場する「ぬかす」という荒々しいことば。詩に使うにしては俗すぎることばの選択により、これまでの技巧的な破調の印象が一転して内容重視の破調のように感じられてくる。

   靴音
  深夜の靴音
  制止する監守の声の下から
  あちらでも、こちらでも
  静かに静かに湧き上る、独房の歌声

槇本楠郎

 しかし、破調が度を超えてしまうと問題が生じてくる。1930年11月の『プロレタリア短歌』に発表されたこの歌ははたして短歌と言えるのだろうか。「短歌」という前提を排し、作者名、さらには歴史的経緯を無視して純粋にこの言葉の羅列を見たとき、ポエジーのようなものを感じても短歌だとは思うことができないのではないか。それは当のプロレタリア歌人たちも思ったことで、結局この運動の純粋な「短歌」としての潮流は廃れることになってしまった。
廃れはしたものの、定型詩の世界で戦うものにたちにとって、表現をとるべきか内容をとるべきかは重要な問題の1つだろう。そのうえで2020年を生きる私たちにもプロレタリア短歌は重要な意味を与えてくれるようにあらためて思う。

 

※1
『寺田京子全句集』収録の寺田京子第一句集『冬の匙』序文

※2
同書に準じ、引用歌にはカッコでルビを付した

※3
以下の記事に詳しい
東郷雄二のウェブサイト「橄欖追放」の「第167回フラワーしげる『ビットとデシベル』」
http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran167.html
詩客「短歌時評 第119回 フラワーしげるの短歌はどのように短歌なのか 田丸まひる」
https://blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/e/607f61f7b5d9fcf5843ba0f7984cba25

短歌時評153回 「プレバト!!」短歌の才能査定ランキングは可能か 泳二

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 ダウンタウンの浜ちゃんこと浜田雅功が甲高い声で「才能なし!」と叫ぶと、俳句の作者の落ち込む顔が画面に大写しになり、他の出演者たちがドッと笑う。貼り出された俳句に俳人の夏井いつき氏が歯に衣着せず評をしながら朱筆を入れて添削すると、出来の悪かった句が見違えるように良い句に生まれ変わる。毎日放送制作の「プレバト!!」というバラエティ番組「俳句の才能査定ランキング」コーナーの光景である。俳句を作るのはお笑い芸人や歌手、タレントであり、俳句の出来によって「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」にランク付けされる。中には良い成績を残して特待生や名人と呼ばれる人もいる。
 私はこの番組を初めて観た時、かなりの嫌悪感を持った。バラエティとはいえ俳句の作者を「才能ナシ」「凡人」と断じてそれを見て笑うという構図が非常に不快だったのだ。しかし私の家族はこれが好きらしく、放送時刻に帰宅すると必ずこのチャンネルがついており、私はしぶしぶ食事をしながらそれを観るのである。
 しかし、実は今では私もこの番組がそれほど嫌いではない。帰宅してテレビに映っていても文句を言わずに観ることにしている(元々文句は言っていないが)。出演者の作る俳句は素人目にも感心するものが多い。何より作品に対する夏井氏の添削が非常にわかりやすく、氏が手を加えるだけで、見違えるほどに印象が変わり、確かに格段に良い句になるのは面白い。毒舌も含めてそれは夏井氏の優れたタレント性であろう。それを第三者が「才能なし」と笑うのは未だに好きになれないが、添削を受けるタレントの方ももちろんそれを受け入れ、笑われるところまで含めてのバラエティ番組なのだろう。
 短歌時評でいきなり俳句の(しかもバラエティ番組の)話を始めたが、私がしたいのは短歌の話である。私はこの番組を観ると「この企画は短歌でもできるだろうか」と考えてしまうのだ。
 タレントが作った短歌を弁の立つ歌人(例えば、というのはやめておく)が良い歌かどうかを判定し、才能アリ/ナシとランク付けし朱筆でサラサラと添削改作すると、悪かった歌がたちまち良い歌に生まれ変わる。そんな番組はあり得るだろうか。私には直感的にそのような光景は想像できないのだ。なぜだろうか。
 念のため、私は俳句と短歌のどちらが人気があるか、というような比較をしたいわけではない。この番組を手掛かりに、短歌の性質について少し考えてみようと思う。
 さて直感的に、と書いたが、もう少し分析すると、主に

・テレビ番組として視聴率が取れるか、
・企画として成立するか

 という二点によりそう感じるのだ。

 まず一つ目のテレビ番組として視聴者を獲得できるかという点であるが、これは俳句と短歌のポピュラリティの問題である。
 俳句人口、短歌人口というものは明らかではないが、一説によると短歌は25万人、俳句は300万人とも言われているようである。ただし信用に足るソースがあるわけではない。しかしデータを参照しなくとも、多くの書店の詩歌コーナーには俳句の書籍は歳時記を含めたいてい数冊は並んでいるが、短歌の書籍がある書店は少ない。授業や遊びも含めて一度でも俳句を作ったことがある人と短歌を作ったことがある人を比べれば、前者が圧倒的に多いだろう。知人に短歌を作っていることを知られると「ここで一句」と振られることは有名な「歌人あるある」だ。これらのことから実作者の総人口の比較をするのはもちろん短絡的だが、少なくとも「興味がある(始めたい、作ってみたい)」と思っている人口は短歌よりも俳句の方が多いようだ。そしてテレビ番組の場合それらの層が視聴者のある程度の割合を占め、視聴率を左右することは容易に想像できる。
 ようするに短歌でそのような番組を作っても「観る人そんなにいないんじゃないの?」ということである。本評ではポピュラリティの考察はこの辺りで止めておく。

 次にバラエティ番組の企画として成立するか、という点を考えてみる。
 「プレバト!!」には俳句以外にも料理、水彩画、生け花など同様の査定ランキングのコーナーがあるが(俳句がダントツの人気らしい)、いずれも肝は何と言っても講師によるランク付けと添削である。
 結論から言うと、私は短歌ではこれが成立しないのではないかと思う。一首の短歌の良し悪しを一人の評者が短時間で判定してその作者を「才能あり・なし」とランク付けし、添削する、ということはおそらくテレビ番組では不可能だと思えるのだ。
 短歌ではなぜ成立しないかの前にまず「俳句ではなぜ成立し得るか」を考えてみたいが、試みに角川俳句2020年2月号の読者投句欄より兼題「過」で特選とされた句を引用してみる。選者は番組と同じ夏井いつきだが、これは私の作為ではなく全くの偶然である。

  小惑星たりし過去持ち春の山       大槻ファンタジア

  電線の深部は病めり颱風過        田島静

  石蕗咲くや灯ともるまでの過ごし方   大隈みちる

 私は俳句に関しては全くの素人であるが、(短歌もほぼ素人だが)、なるほどこれらの句は良いように思える。大槻の句は春の山という大きな対象にさらに大きな視点を重ねたスケール感が面白い。田島の句の見えないものを描写した説得力に感心する。大隈は自然を描写しながらもそこに視線をやる人の姿が見えてくる。私はこれ以上鑑賞する力を持たないが、いずれもその良さは鮮やかで直感的である。具体であれ抽象であれ、作者が描きたいものが読者の中に浮かび上がり、言わば作者の意図が私のような素人にも明確であるように感じる。これが一般的な俳句の評価軸だとすれば、時間の限られたテレビ番組では有利な特徴であると思われる。
 一方短歌ではどうだろうか。

  生きてあり死んで亡くなる時があり先行きのこと憂えて過ごす 鈴木佑子

  ピアノからポンっと芽吹く音がして我の心に吹く春の風     住吉和歌子

  アルバイトではありませんわたくしは有期雇用の契約社員   紺野ちあき

 例示が恣意的にならないよう、手元にある短歌研究の同じく2020年2月号から「短歌研究詠草」欄の高野公彦による特選(鈴木)と準特選二作(住吉、紺野)のそれぞれ五首より一首目を引用した。
 いずれの歌も鑑賞には前掲の俳句の場合よりももう少し言葉を必要とするように思われる。五首一連の一首目を引用したということもあるが、投稿規定によると連作である必要はないので無作為に一首を引いたと考えて良いだろう。私は作者の(あるいは主体の)境遇や背景を知らないが、これらの歌は読者である私に想像を広げさせる。鈴木の歌の主体はきっと若くはないだろう。四句までをやや冗長気味に述懐しながら結句でシンプルに憂えて過ごすことを言い切ることで漠然とした不安が感じられる。住吉の歌の「我」はピアノが近くにある環境にいる。学校だろうか、自宅だろうか。自分が弾いているのではなさそうだ。想像の余地が歌の明るさと相まって広がりを感じさせる。紺野の歌では主体の境遇は直截に説明されているが、逆に説明だけで一首が成立していて、そこに描写されていない「わたくし」の心情が浮かび上がるようである。
 端的に言ってしまえば、一般に短歌はより物語的でありその鑑賞は叙述的である。歌の作られた背景、物語、心境に思いを巡らすことで鑑賞が深まり徐々に評価が確立する。複数の読者で鑑賞を深めるうちに歌の印象が変化し、評価が高まって行くことは歌会などでもしばしば経験することだ。読解という行為を経ないテキスト単体としての短歌では価値は確定し難いことが多い。このような評価の不確定性は短歌の短所というわけではなく、特性と呼ぶべきだろう。しかし話を戻すと、短歌に親しみのない視聴者が観るテレビのバラエティ番組としてはこの特性は短所として働くのではないだろうか。

 そしてもうひとつ、添削についてである。
 創作物(とりわけ詩歌)の添削は極めてセンシティブな行為である。それをエンターテインメントとして成立させた点はこの番組の手柄と言えるだろうし、夏井氏のタレント性によるところが大きいと思われる。しかし、それらを差し引いても(つまり短歌界に夏井氏がいたとしても)短歌の添削をテレビ番組として成立させることは難しいのではないだろうか。
 短歌で添削が成立しないというわけではない。韻律を整えたり文法の誤りを正すことは短時間でも可能だろう。しかしこの番組で求められるのはそのような添削ではない。それらの瑕疵の無さは良い短歌の要素のひとつではあるだろうが、当然ながら本質ではないからだ。
 創作には必ず作者の意図が存在する。そして添削のためには添削者による作者の意図の理解が前提となる。作者の意図が明確であるからこそ、それに沿った添削が可能なのである。作者の意図の表出が詩の目的であるとすれば、目的の達成度が詩の完成度と言える。添削によって詩の完成度を高めるためには、添削者による作者の意図の共有が必須であり、それが十分にできていない添削はもはや作者の手を離れた添削者による二次創作とでも呼ぶべきものになる恐れがある。もちろん仮に作者の意図から外れたとしても添削によって結果的に作者の意図していなかった良さが生まれる場合があることも否定しない。
 結社や投稿欄では選者による添削がされることもあると聞くが、それには作者の選者への深い信頼の下で成立しているに違いない。しかしその上でも選者による添削が作者または第三者から見て前述の意味で常に納得のいくものかどうかは私にはわからない。
 ちなみに番組での夏井氏の添削でもこの点には配慮されており、「もし作者の意図がここにあるのならば、こう直しましょう」という趣旨の発言は時々見られる。それも含めて俳句であればこそ可能なのではないだろうか。

 繰り返すが、短歌がバラエティ番組にそぐわないから悪いということではなく、逆に私はこのような特性に短歌の面白さがあると思っている。だから、もし短歌でこのような企画を行うならば、一首にたっぷり時間をかけて鑑賞し、作者の意図を確認しながらああでもないこうでもないと添削をする、ということが必要になるかもしれない。そして世間的には少数派であろう短歌を好む人種の私としては、たとえ視聴率が取れないとしてもそんな番組も観てみたいような気がする。

 というようなことをテレビを観ながらつらつら考えているといつの間にか「プレバト!!」の放送時間は終了し、すでに次の番組が始まっているのである。

 

略歴
泳二(えいじ)
大阪府出身。空き時間歌会、深緑歌会、歌集を読む会、Twitter企画「短詩の風」「CDTNK(カウントダウン短歌)」等を主催。
Twitterアカウント:@Ejshimada

短歌評 100均的生活思想短歌、ラブ! 笹井宏之賞大賞歌集『母の愛、僕のラブ』(柴田葵)を読む 平居 謙

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0 はじめに

 僕は今、大阪に住んでいるある書き手の詩集を編集中だが、その帯に次のように書いた。

  生活思想詩の成果
  スローガンを語る社会詩でもなく、自己の感覚のみに閉じる生活詩でもない。
  生活の中から紡ぎだされた身体感覚としての生活思想詩。

(近刊予定 畑章夫詩集『猫的平和』帯 部分)

 社会のことを言おうとすると大上段に構えがちで理屈が過剰になる。逆に自分のことに終始すると急激に視野が狭くなる。畑の作品に関しては詳しくはここでは置くが、彼の詩では生活と「私」がうまい具合に社会に開かれていると僕は感じた。このことは詩でも短歌でも同じところがあるはすだ。「戦争」「震災」「政治」等々、現在を生きる人として言わねばならないことは沢山ある。しかしそれを作品の中で言おうとすると、窮屈な理念の塊になってしまう。狙いと実作との乖離は常に問題になる。
 今回扱う柴田葵歌集『母の愛、僕のラブ』にも間違いなく「生活の中から紡ぎだされた身体感覚」が示されている「生活思想短歌」である。しかも、非常に「低価格」のところで提供しているという印象だ。1980年代後半、俵万智『サラダ記念日』をリアルタイムで読んだ直後に「ああ、短歌は今こんなところに来ているのか」という感銘を覚えたが、30年以上を経た今『母の愛、僕のラブ』はもっともっと低地にまで短歌を連れてきている。『サラダ記念日』がファミレス短歌であるならば、『母の愛、僕のラブ』は百均的生活思想短歌だ。

  くまの首つややかなリボンときめいてこれがほんとに百均ですか(P25)

 もっとも、「これがほんとに百均ですか」と思わせる、ホンモノのようなレベルのものも含まれているから、辛うじて短歌というジャンルを文藝の中に留めさせているという印象がある。百均短歌は瀬戸際短歌でもある。以下、本稿ではいくつかの側面に渡って本歌集について考えてみる。
 
1 生活思想短歌5首

 柴田葵歌集『母の愛、僕のラブ』の真骨頂ともいえる「生活思想短歌」ぶりが、もっともよく現れているのは、ここにあげる作品だろう。

  コロッケのたねをつくって揚げるのが面倒になり掬って食べる(p10)

  傘なんて意味をなさない霧雨に全身とりわけ眼鏡が濡れる(P18)

  さようなら母さん、いつか戻るまで少しでも歳を取らずに生きて(P74)

  みなしごのアルマジロ連れ帰るごとかぼちゃ抱えてゆっくりと冬(P100)

  午後五時の螻蛄葉さぼてん窓際にならべて点呼をとりたい気持ち(P103)

 「コロッケのたね」の歌は、いわゆる「料理あるある」を見事に「掬って」歌にしている。これって個人的な話じゃないの? という疑問もあるだろうが、それだけではないように僕は思うよ。「面倒になり」一番大事なことをしない、ということはものすごく大きな問題なのだ。今の政治は駄目だなあと思う。でも結局自分は何もしない。原発なんかなければいいのにと日々思いながら、「コロッケのたね」だけつくって、「揚げるのが面倒にな」ってしまう。もちろん作品には、政治批判も原発も書かれていないけれど、コロッケを揚げるのが面倒な人は(たぶん)反原発のデモにもゆかない。政府のインチキ発言について疑念を抱くだけで、実際に衣をつけて揚げるところまでは仕上げてゆかない(だろうと想像する)。
 しかし、この現状を自覚することこそ生活思想短歌の第1歩だ。「揚げるのが面倒になり掬って食べる」という自覚が、社会への可能性を開いている。現状は負であるが、負ではない形でいずれ出てゆく可能性がある。ともかく「コロッケのたね」は準備されているのだ。
 「傘なんて」の歌は、「全身」から「眼鏡が濡れる」へと移動する「とりわけ」の語のもたらすスピード感が凄い。「さようなら母さん」は後半が無責任だが、所詮人間なんて無責任に生きるしかない。それを開き直って堂々と描いているのが素敵だと思った。「みなしごのアルマジロ」の歌は、「かぼちゃ抱えて」アルマジロを想起するところなどは喚起力のある表現だと感心する。最後の「ゆっくりと冬」という言い方は、字数の制限を意識しない自由詩の書き手としては、そのスピード感にまたはっとさせられる。どこかのほほんとしたものを感じそうな本書の装丁だが、意外と高速感覚に揺り動かされるのが楽しくなってきている。


2 恋の生活思想短歌5首

 柴田葵の場合、生活の中にさりげなく恋や男女や妊娠という繊細なことがらが読み込まれているようだ。

  マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、みたいに私を恋人と言う(P42)

  柏木くんって居たじゃんあの子姉ちゃんを好きだったよと春分の日に(P58)

  おい、ごみを捨ててんじゃねえよとサーファーが言い捨ててゆく わたしらのこと(P64)

  教室でオードトワレをぶちまけた男子が連れていかれて香だけ(P66)

  もうあなただけの体じゃないのよとわたしに微笑む全然知らないお婆さん(P89)

 「マーガリン」の歌は、「恋人未満、友人以上」みたいな微妙な恋の姿だろうか。あるいはいわゆる「道ならぬ恋」かもしれない。しかし相手はこともなげに「私を恋人と言う」。その内実が「マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、」という形で比喩されているのでなかったとすれば!とろけるような恋慕の感覚がきっと伝わってこなかったかもしれないと強く思う。「柏木くんって」に関しては、「春分の日に」設定される必要があるのだろうかと一瞬浮かんで、いや馬鹿、それこそが命だろと気が付く。春の恋。青春の恋。「おい、ごみを」はもしかしたら、サーファーたちはゴミを捨てる私らを注意してくれる良い奴らなのかも。と読める一方で、私らをあざ笑いながら、こいつらが「ごみ」だ、と言っているブラックジョークとしても解釈できる。後者ならいいな。いずれにしても「ごみ」が比喩の根幹にあり、生活思想短歌としての面目躍如という印象だ。「教室で」は残り香が、男の子のものだというところが面白い。誰に連れていかれちゃったのかな、男子。「もうあなただけの体」は、全ての語句が、つまりは短歌空間の全てが極めてありふれた言辞で占められているのがチープで安っぽい100均を思わせて、いい。「もうあなただけの体じゃないのよ」「わたしに微笑む」「全然知らないお婆さん」のどれにも、カスのような陳腐さしか存在しない。特に、最後の「全然知らないお婆さん」が言うところなど反吐が出そうだ。一元的価値観。村の掟的!しかし、全部組み合わせてみると、100均とは言え、イマドキの消費税10円分くらいのプラスアルファは、嬉しさも感じられる。奇妙な読後感の残る問題作だ。


3 「私」的主題5首

 この歌集を読み進める中で、「私」へのこだわりが面白いほど浮き上がっていたが、それは、以下の

  おでん しかも大根として生きてゆく わたしはわたしの熱源になる(P14)
  
  ひんやりと四角い蒟蒻ひきちぎる私のすべては繋がったまま(P61)

  「明るいね、性格」「まあね(本当は自分をちぎって燃しているだけ)」(P67)

  ババ抜きのババだけ光って見える目を持ってしまった子のさみしさだ(P101)

  自分ちにいるのに家へ帰りたい刈っても刈っても蔦の這う家(P112)

 「おでん」の歌は、「そ、そ、そうですか。。。」としか言いようがない。「わたし」に特に興味のない読者(少なくとも僕はそうだ)にとっては、「大根として生きてゆ」こうが「がんもどきとして生を終えよう」がどうでもいい話だ。しかしそういう場所においても媒体となるのは、生活感あふれる「おでん」「大根」という語彙。生活思想短歌の本領発揮だ。「ひんやりと」「「明るいね、性格」」の2首は、どこか共通している主題だ。後半などは、「蒟蒻」の「こ」の字も出てはこないが、並べてみると、どこか蒟蒻を火にくべている奇妙な自分の像が見える。「ババ抜きのババだけ光って見える目」を持っているという自覚が、この歌人「私」の自覚か。そうか。僕個人のことでいえば「じじ抜きのじじだけ見える目」を持っていたい。歌人の役割について僕はよく分からないが、少なくとも詩人はまだ形になっていない「ババ抜きのババ」を透視するようなレベルに留まらず「最終的にじじだったと後で分かる」ものを予め霊視するような目線をもっていたいなとこれを読んで思った。「自分ちにいるのに家へ帰りたい」の歌の中に流れる感覚は、嫁いだ女性にとっては生家へ、或いは、生家に住んでいるものにとっては過去の時間への郷愁なのだろう。私的主題は詩的主題であり、どこか切ない。

4 死の主題5首

 僕は短歌は結局のところ、暗さやさみしさや切なさが命なのではないかと思っている。それは詩も同じだが、究極は「死」とどう向き合うかということだろう。ちゃんとこの100均短歌の中にも「死」を巡る切なさが存在している。

  シルバニアファミリーここは僕らのお墓それから生家かたづけようか(P46)

  魚屋の種別に並ぶ魚類魚類全員ひだりを向ている死だ(P73)

  祈るような歩幅で朝の陸橋を行くお婆さん いつも行くだけ(P96) 

  先々週死んでしまった電球と同じだけれど生きているもの(P117)
   
  有事かと思うわ子どもがなん人も這いつくばって拾うBB弾(P121)

 そういえば長女が幼かったころ、家の中にも「シルバニアファミリー」が転がっていたな、などと思いながら読み進める中で唐突に現れる「僕らのお墓」の一語に途方に暮れる。たしかに小さな動物たちの部屋べやが、「お墓」に見えてきてしまう。言葉の喚起力。「魚屋の種別に並ぶ」の歌は過去の或いは来るべき大量虐殺の季節を思わせる。それにヒトは他の生き物たちに常に大量虐殺の罪を犯しているのだとも感じさせる。「祈るような歩幅」はこの言葉自体素敵だが、この歌自体、とても象徴的で面白い。つまり、僕らが「お婆さん」を見るのは「いつも行くだけ」である。短歌が捉える時間が「瞬間」だとすれば、「帰り際」まで見ていられないのはそれは当然だろう。その意味でこの歌は短詩型文藝の本質を射止めている。「先々週死んでしまった電球」と「同じだけれど生きているもの」を対比することで、世界の理不尽さや不公平さが浮かび上がる。しかも理屈っぽくならないのは、「電球」というチープなモノに主題を託しているからだろう。「有事かと思うわ」の歌は「BB弾」を「這いつくばって拾う」子どもの姿を捉えた主婦・母目線の面白さだ。子供・男目線では、「有事」の感覚は生じないだろう。ここにも生活思想短歌独自の特長が現れている。

5 絶品生活絶唱短歌3首
 
 それではお待たせしました!本歌集ベスト3作品の発表です!
 それでは第3位から。
   
  外食はおいしい だって産業になるほどおいしい 外食が好き(P110)

 この単純な歌のどこがいいって言えば、困っちゃう。しかし、ひたすらに前向きで、そして「外食」から「産業」と言う語へ飛躍する飛躍の仕方の低空飛行とそれ故の安心感。そして最後に「外食」をまた出してくるクドさと「好き」という語の清々しいい響き。
 次いで第2位は

  汚れから私を護るエプロンをラブと名付けてラブが汚れる(P122)

です!「エプロンをラブと名付け」るという行為の可愛さ。それに反して「ラブが汚れる」とうことの残念さ。そしてもちろんそこには生活の中で愛が磨り減ってゆくことの、さりげない仄めかしがなされているということの熱度。
 栄えある一位は、以下の歌。

  犬がゆくどこまでもゆくあの脚の筋いっぱいの地を蹴るちから(P95)

 詩でも歌でも、躍動感は難しい。この歌を選んだのは、この歌がまさに生活思想短歌の可能性を端的に示しているから。詩も短歌も結局のところ「死」であり「挽歌」でもある。しかし、にもかかわらず、あるいはそれだからこそ、生への賛歌も内包すべきなのだ。べき、ではない。せざるを得ないのだ。
「あの脚の筋いっぱいの地を蹴るちから」を見つけた以上、僕もまたひとりの「犬」として「どこまでもゆく」ことが出来そうな、そんな気分に、この歌集を読んでノセられている。

(書肆侃侃房 2019年12月)

 

短歌時評154回 安川奈緒の遺言(1)~粉砕王が通り過ぎる~ 細見 晴一

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 詩人の安川奈緒(1983年-2012年)とは運よく二度も会えている。一度目は2008年11月「現代詩セミナーin神戸」の2次会、三宮のスペイン料理店「カルメン」で。あなたのファンです、と正直に告ってから対面に座り、二人とも懇親会で完全に出来上がっていたので、何を話したかは翌日にもう覚えていなかったが、とにかく詩論を僕にまくし立てていたように記憶している。ただはっきりと今でも覚えているのは、彼女が僕のグラスに赤ワインをピッチャーからドボドボ注ぎ続け、テーブルに溢れてテーブルが赤ワインのプールになり、それが床にこぼれてもやめてくれなかったことぐらいだ。とにかく明るく狂暴にはじけていた。なんだか知らないが常に何かに怒っていた。そしてそれらすべてが眩しかったのだ。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-142.html#

 二度目は二年後の2010年8月にやはり「カルメン」で。「カルメン」のオーナーである詩人の大橋愛由等が主宰する詩の合評会『メランジュ』に彼女はゲストで招かれていた。一回目の時とは一転して、自らの存在を消したかの如く一番隅の席でまるで影のようにひっそりと座っていた。最初彼女とは全く気がつかなかったぐらいだ。一度目と二度目の安川奈緒は筆者にはまるで別人に思えた。そしてその2年後の2012年6月に留学先のパリで客死する。29歳の若さで。

 そしてその『メランジュ』での彼女の明晰なレクチャーが今でも筆者にとっては一つの指標になっている。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#

 確かに、言語の質は80年代以降のそれである。だが、現在の若い人たちによって書かれている詩の言語の接続方法は、異なっているように思う。(中略)たしかに何かが違っている。この違いを、80年代の幾人かの詩人は、嫌悪しているのだと思う。言語の質が同質でありながら、接続が異様であるそのことにおいて、嫌悪しているのだと思う。これがおそらく吉本隆明の評価、修辞的現在としての80年代と無としての2000年代、という評価の仕方ともかかわっている。

 この時の安川のレジュメからそのまま抜いている。これはこの時期、吉本隆明(1924年-2012年)が『日本語のゆくえ』(2008年)で語った

〈若い詩人たちの詩をまとめて読んでみて、そういうことにはちよっと驚かされました。もう少し「脱出口」みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり「無」だなと思うしかないわけです。 いってみれば、「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです。(中略)
二十代、三十代の人がこれからも詩を書きつづけていって、それぞれ個々に自分なりの「脱出口」を探していくのだろうということはたやすく想定できるわけですけれど、では「無」ではないどこへ行くのかということについては、言うべき材料になるようなことは何も見当らない。まったく塗りつぶされたような「無」だ。何もない、というのが特徴であって、これはかなり重要な特徴だと思いました。〉
http://guan.jp/hibiguan/hibiguan_202.html

 に対する反論だろう。この時、ゼロ年代現代詩が「無」かどうかというのは誰もがよく議論していたようだ。続けて安川のレジュメにはこう書かれている。

 詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。

 つまり、私たちは壊しているのではなく、元々壊れていたものを必死につなごうとしているのだ、とこう言いたいわけだ。「無」にしているのではなく、元々「無」だったのだ。順序が逆で、彼らゼロ年代の詩人たちは、その「無」から言葉をつないでいっているのだと。
 これを聞いたときは相当な衝撃だった。全く考えてもみなかったからだ。ずっと彼らは破壊しているのだと思っていた、疑いもなく。こんな時代に生まれて、破壊しなければ我慢できないほどの衝動に支配されているのだろうと。それが元々破壊されていたとは。世代間ギャップは時に冷酷なほど埋め合わせることのできない深い溝になることがある。それを思い知らされた。考えてみれば彼女とは25歳の差がある。無理もない。
しかしこれは短歌にもあるな、と同時に思ったのだ。壊しているのと、元々壊れているのと。この論考ではこの安川奈緒が示唆したこの対比を短歌に当てはめてみようと思う。

 短歌が世界を壊し始めたのはいつからか。それはおそらく加藤治郎(1959年-)の登場からだろうと筆者は思っている。1980年代、日本は完璧だった。景気はすこぶる良く、自分さえ望めば、自分さえしっかり社会とコンタクトをとっていれば自分の人生、何とでもなった。自分次第であり、少なくとも日本人にとってこの世界に何の問題もなかった。それが1990年からバブル崩壊が起こり、様々なところで罅が生じ、信じていた社会が崩れ始めたのだ。

  むらさきに光をひらき仕様では像の頭を消すプログラム
      
  磁気テープ額にこすりつけられて俺はなにかをしゃべりたくなる
    
  1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0     

 いずれも1991年刊行の第二歌集『マイ・ロマンサー』から。これらは作者がコンピューター・エンジニアの仕事についていた時の歌だろう。
 1首目、〈像の頭〉はおそらくモニター上の絵だと思われるが、〈仕様では〉で〈像の頭〉に対する工学的支配を匂わせ、プログラム一つで現実の〈像の頭〉を消せるかのごとき、すべてがコンピューターに支配されるんじゃないかという畏怖の念を誘発させている。
 2首目、当時、磁気テープにプログラムやデータを保存していた。その磁気テープを額にこすりつけるということは、デジタルデータを額にこすりつけることになり、下句では自分自身がデジタルに支配されていくんじゃないかという恐怖感が芽生えている。
 極めつけが3首目で、二進法のデジタルデータの中に人間の感情が封じ込められていく様、有機的につながっているはずの世界が、人の感情ですらもデジタルにブツブツに分断されていく様を記号短歌で見事に歌った。ニューウェイブ短歌のおそらく最高傑作だろう。ニューウェイブはこれ一首で片が付くと言っても過言ではない。
 特に2首目3首目は今のSNS時代の到来をまるで予言したかのごとくだ。世界がデジタル文化に破壊され荒んでいく時代を見抜いていたかの如く、加藤治郎は直感で最初に破壊してみせた。

そして中澤系(1970年-2009年)が登場する。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

  生体解剖(ヴィヴィセクション)されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で

  ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ    

 唯一の歌集『uta 0001.txt』(2004年)から。この歌集によると上記3首はいずれも1998年の作。困難になりゆく時代を短歌に精密に刻み込むことで、世紀の変わり目を誰よりも速く疾走していた中澤系。
 1首目、有名な歌で、様々な解釈が可能だが、コンピューター・システムやバイオ・テクノロジー等が一般人の人知を超えた領域で高速に進化していく時代、〈理解できない人は下がって〉た方がいい、ついていくのは無理だから、危ないよ、という上からのアナウンスととる。伝わってくるのは、これからも今よりもっと高度に進化した科学技術で構築されるであろう社会システムに対して、我々が持つ疎外感であり畏怖の念だ。
 2首目、壊れゆく世界をシャープに描ききった。雑踏は実際の雑踏でもあり今となってはネット空間の雑踏でもあるだろう。〈小さなメスをもつ〉集団としての粉砕王が通るさまをわかりやすく可視化している。この歌では〈小さなメス〉は様々な暴力の比喩だろうが、ネット空間に当てはめると比喩では済まされないから怖い。実際にメスを持っている人間を僕は知っている。本当に人の尊厳を切り刻む。そして実際に生体解剖する様を見ている。ネット空間とはそんなところだ。
 3首目、まさに粉砕王が通り過ぎた直後の状況だろうか。最後言いさしで終わるところで息を飲んでしまう。怖くて電源は切ったけど本当は延々と続くんじゃないかという悪寒で。
 中澤系はまさに粉砕王が通り過ぎる時代に粉砕王を目撃していたのだ。

 1995年、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、と粉砕王は通り過ぎていき、2001年9月、ニューヨーク同時多発テロが起こった。時代の雰囲気としての粉砕王だけではなく、現実の粉砕王が次々と通り過ぎていったのだ。

 粉砕王が通り過ぎた後、その熱を冷ますように現れたのが斉藤斎藤(1972年-)だろうか。

  自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに

  雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
  
  2番ホームの屋根の終わりに落ちている漫画ゴラクにふりそそぐ雨

 第一歌集『渡辺のわたし』(2004年)から。
 一応壊れるところ俺も見てたけどね、どうしようもないでしょ今さら、もう壊れてしまったんだから、という感じか。時代に対する冷笑の中に知的な諦念を沁み込ませる。それを知性の欠片も見せずに。この知性をまるで見せずに知性を感じさせるところが斉藤斎藤の真骨頂だろうか。あからさまな知性なんてこんな時代にダサいよと言わんばかりだ。
 1首目、もう今ではありふれてしまった都市風景だ。どころかもう今では〈ばあさん〉すらたばこ屋にはいない。自動販売機だけがあったりする。殺伐とした消費社会の叙景を個人の感情を一切捨象してバッサリと切り取る。
 2首目、議論し尽されているだろうが、雨にぶちまけられた〈のり弁〉に再生不能であることに対する徒労のような絶望感を感じる。それは個人的な思い出のことなのか、大量消費文明に対してなのか、それは読者に委ねられる。ぶちまけられた〈のり弁〉が個人的なことに対する比喩なのか、大量消費文明の象徴なのか、で読み方が変わる。多義性をたっぷりと持たせている。だがどちらにしろ破壊のあとの圧倒的に荒んだ情景だ。
 3首目、まず〈漫画ゴラク〉が何なのかわからないとこの歌は何の意味も持たない。筆者が20代の時、喫茶店でよく青年漫画誌を読んでいたが、〈漫画ゴラク〉を一度だけ手にしたことがある。それは全ページ、エログロにまみれた、というよりエログロ暴力しかないこの世で最も下劣な漫画雑誌だった。パラパラと捲っただけでもちろん読んでいない。読むところが見事にないからだ。すぐに棚に戻した。こんな漫画雑誌がこの世にあるんだという絶望感しかなかった。そんな雑誌が駅のホームで雨にびしょびしょに濡れているのだ。そこにまた雨が降りそそいでいる。伝わってくるのは文化に対する絶望感だろうか。
 2首目がモノに対する絶望感なら3首目は文化に対してだろうか。いずれも粉砕王が通り過ぎてしまったあとの叙景歌とも読める。そしてやるせないほどの冷ややかな諦念を感じる。
 80年代と違い、自分がどんなにしっかりしていても社会の方でもう壊れていてはどうしようもない。自分ではもうどうしようもないだろうという怒りを通り越した絶望感だろうか。
 方法論こそ違うが、安川奈緒の言うように、粉々にされてしまった者たちが、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいる、にこれも他ならない。しかも短歌ならではの言葉の再生だろう。短歌で、〈無〉から言葉を立ち上げてくるという、言葉の再生を最初に行ったのが斉藤斎藤ではなかったか。ゼロ年代現代詩の様に言葉の接続方法を特に凝ることもなく、破壊された後から言葉を素直に立ち上げてきている。この素直さこそが現代詩にはない短歌の真骨頂だということを、そしてそれこそ短歌の優位性だということを斉藤斎藤は誰よりも証明してみせたのかもしれない。
 そして斉藤斎藤はきっと、粉砕王が通り過ぎたあとの阿鼻叫喚を冷やし、リセットしたかったのだろう。そのリセット後に現れたのが永井裕だった。続きは次回で。

短歌時評155回 歌人を続ける、歌人をやめる 千葉 聡

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  コロナ騒動が始まる少し前、知り合いの大学生歌人がメールをくれた。彼女の詠む恋愛の歌は、なかなか面白い。仕事のあと、横浜駅の近くで会った。
「急にお時間いただいて、すみません。わたし、歌人をやめようと思って……」
 紅茶のカップの先にある真面目な顔。「短歌を始めたら知り合いが増えて、楽しいです」と笑っていた彼女とは別人のようだ。
「え!? どうしたの? 何かあったの?」
「何かあった、じゃないんです。その逆で、あまりに何もないからやめようと思って……」
 じっくり聞いたほうがいいかもしれない。俺は、クリーム山盛りのパンケーキを崩しながら話を聞いた。
 彼女は、大学の文芸サークルで短歌を詠み始めた。一つ上の先輩が歌人としてネットで活躍しており、影響を受けたという。一首詠むたびに、先輩が感想と励ましの言葉をくれた。それが嬉しくて、もっともっと詠むようになった。新聞歌壇に入選した。短歌総合誌の新人賞にも応募し、最終選考には至らなかったものの、何首かは誌面に載った。ネットで知り合った歌人たちから祝福の言葉が届いた。一度、ある短歌誌の評論のなかで歌を引用してもらった。
「わたしの書いた作品が、ちゃんと誰かに届いているんだ、と思って嬉しかったんです」
「よかった! だから続けようよ」
「でも……」
 気がつけば歌人の友だちがたくさんできた。でも、ネットでフォロワーをたくさん持っている同世代の歌人は、新人賞の最終選考に残っていたり、短歌総合誌から原稿依頼をもらったり、もっと華やかに活動している。いくら頑張っても、これ以上芽が出ない自分って、何だろう。彼女は疲れきってしまったようだ。
 ここで明るく「大丈夫だよ。短歌を続けよう。いつか必ず芽が出るから」と言うべきだろうか。パンケーキはすべて平らげた。俺は言った。
「俺もさ、歌人をやめようと思っていて」
「え!? 千葉さんも?」
 こっちが話を聞いてもらう番だ。俺は一見、歌人として活躍しているように見える。知り合いの歌人は「頑張ってるね。毎月、あちこちで見かけるよ」と言ってくれる。でも、それは総合誌にエッセイを連載しているからだ。短歌研究新人賞をいただいてから22年もたつのに、歌人活動は寂しい限り。
1 「短歌時評」を1度しか書いたことがない。(この原稿が2回目だ)
2 短歌研究新人賞を受賞してから、単著7冊、共編著5冊を出したが、その他の賞はもらっていない。候補にすらなっていない。
3 総合誌の座談会は1度経験したが、それっきり。対談やインタビューは未経験。
4 総合誌の作品評で拙作が取り上げられたのは3回だけ。短歌時評で拙作が取り上げられたのも3回だけ。22年間で3回というと、オリンピックよりも珍しい。短歌年鑑で話題にしてもらったこともない。
5 総合誌で4ページ以上の文章を書いたのも3回だけ。
6 もちろん総合誌で巻頭作品を書いたことはない。
7 新人賞を受賞してから20年たった時点で、「新鋭歌人」「これからの活躍が期待される」と言われた。
8 歌集の批評会でコメンテーターをつとめたのは2回だけ。司会はわりと多いけれど。
9 本の帯文、歌集の栞、歌集解説を書いたことはない。
10 「かばん」所属のメガネ男子というだけで、「穂村弘さんですよね」「山田航さんですよね」とよく間違えられる。
11 かといって、「ネットで人気がある」「若い人に人気がある」というわけでもない。ネットで拙作が取り上げられたことも数回だけ。大学短歌会の歌誌で名前を出していただいたのは1回だけ。歌人の会合で、有名な大学生歌人に挨拶をしたら「ちばさとしさん? 歌人の方ですか?」と真顔で言われたことがある。
 思いつくままに話したら、彼女は「かわいそうな人を見る人」の顔になった。
「でも、それはまだ千葉さんが若いから……」
「若くないもん。もう51歳だし。あの受賞多数の吉川宏志さんや、あの縦横無尽の大活躍の枡野浩一さんと同い年なんだよ。山田航くんが現代歌人協会賞をとったとき、受賞パーティーに行ったら『今日は若い方が来ています。おはなししてもらいましょう』と俺が指名されたあとで、『では次はベテランの吉川宏志さんからスピーチを』という流れだったし。ベテランの風格の大松達知くんも、松村正直くんも、笹公人くんも俺より年下なんだよ。黒瀬珂瀾くんなんて、俺より10歳も下なのに……。天才と言われるのは石川美南さんとか、小島なおさんとか、大森静佳さんだし。この前、20以上も年下の寺井龍哉くんに会ったら『僕は今、原稿依頼を10本かかえています』と言われた。俺なんて最高で6~7本なのに。ちなみに今は2本だけ」
 不思議だ。こんな俺に、彼女はどうして相談しようと思ったんだろう。
 歌人を続けることは苦しい。それは常に人と比べられるからだ。石川啄木も「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」とうたっている。
 短歌総合誌では、あきらかなヒエラルキーが見られる。30首ほどの、歌数の多い大連作は、ベテランや各賞受賞歌人が書く。10首より少し多いくらいの中連作は、中堅歌人が書く。7、8首の小連作は、新人さんが書く。手もとにある数誌を調べてみると、大連作は大きな字で掲載され、小連作は字も小さく行間も狭くなっている。
 みんなで仲良くカラオケをしていたはずなのに、特定の人だけ何曲も続けて歌っている。しかもそういう人の出番だけボリュームが上がり、エコーが効いている。
 三十代のころ、あるベテラン歌人に聞いてみた。「たくさん作品を発表していらっしゃいますね。歌を詠むのは大変じゃありませんか?」と。そのベテランさんは苦笑いした。
「千葉くん、仕方ないよ。短歌総合誌の1月号は一流歌人の作品集だから、あの雑誌にもこの雑誌にも同時に歌を出さないといけない。だから夏の終わりごろから、とにかく歌を詠みためておくんだ。毎年、大変だよ。秋から冬は、絶対に病気で倒れてはいけないんだ」
 そういえばベテラン歌人の歌集には、秋から初冬のころを詠んだ歌が目立つ。1月号用の作品だったのか!
 総合誌から原稿を依頼されると、もちろん嬉しい。でも、作品が載るたび、「あなたは歌人ピラミッドのここらへんにいるんですよ」と教えられる。同時に、他の歌人の位置づけも学習することになる。
 こんなヒエラルキーは、本当に必要だろうか。
 大連作のページにも、小連作のページにも、いろいろな人の名が並んでほしい。たとえば大連作として6人載せるなら、ベテラン2人、中堅2人、新人2人。こんなふうにならないだろうか。
 「短歌研究」5月号では、今までにない試みがなされた。表紙に「特別編成。一冊全部、短歌作品です」とうたう。巻頭特別作品三十首の馬場あき子を除き、279人の歌人は、みな新作を7首載せている。字の大きさも全員同じだ。今までは3月号で女性歌人特集、5月号で男性歌人特集を組んでいたが、今年から男女の区分けをなくし、一つにまとめた。そして掲載は年齢順ではない。足立敏彦にはじまり、渡辺松男に終わる、名前の五十音順になっている。ここまで徹底して、ヒエラルキーを感じさせない作りになっているとは!
 ただ一つだけ区別がある。このうちの70人ほどは小さなエッセイも書いている。だが、エッセイ執筆陣の中には、ベテランだけでなく四十代歌人の名もある。少しホッとする。正直にいうと、三十代以下の若手の名も、あってほしかったが……。
「文學界」や「文藝」などの文芸誌では、ベテラン作家だけが長編を発表する、なんていうことはない。新人であっても大長編を載せるし、ベテランが愛すべき短編を寄稿することもある。必要な掲載スペース(ページ数)は、作品の性質によって増減されるべきなのだ。
 俺に相談してくれた彼女は、おいしいパンケーキのおかげで少し元気を取り戻したようだった。
「千葉さんも、いろいろ大変なんですね」
「そりゃ、そうだよ」
「でも、年下の人や、歌歴が浅い人に追い抜かれても、なんで歌人を続けていられるんですか?」
「それはね……」
 そのときは、なんとなく恥ずかしくて、差しさわりのないことを言った。でも、ここでは、本音を吐露しよう。
 自分よりずっと年下の歌人がスター扱いされる様子を見ると、ちょっと辛い。「友がみな」とは、まさに俺の気持ちだ。でも、正直、そのスターたちの新作を、早く読みたい。彼らの発言をじっくり聞きたい。読者として心の底から楽しみたい。
 だから岡野大嗣や木下龍也の新作も、佐佐木定綱のインタビュー連載も、カン・ハンナの第一歌集も、小島なおや寺井龍哉が選者をつとめているNHK短歌も、どれも楽しむのだ。楽しみ続けたいから、応援するのだ。
 今後、自分が歌壇でどんなに冷遇されるようになっても、雑誌の原稿依頼が途絶えても、俺は仕事で疲れた心をかかえて書店に寄るだろう。短歌総合誌や文芸誌をめくり、何冊かを買うだろう。若いスターたちが名を連ね、自分の名など載っていない、その雑誌を。
 やはり短歌が好きだ。もっと読みたい。読み続けたい。そこには、自分の位置づけみたいなものなんて、関係ない。
 歌人になるのは楽しい。でも、歌人を続けるのは苦しい。
 横浜駅の自由通路の真ん中でお別れするとき、彼女は「歌人をやめるの、少し保留します」と言った。俺は「保留。いいねぇ。疲れるときもあるから、休み休みやっていこうよ」と言った。歌から離れ、また戻ってきた歌人も少なくない。
 歌から完全に離れることのほうが、もっと苦しいのだから。

短歌評 再読萩原慎一郎 『滑走路』を読む 谷村 行海

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 今年の三月、萩原慎一郎の歌集『滑走路』映画化のニュースが流れた。ニュースによると、映画自体は『滑走路』から着想を得たオリジナルストーリーになっていて、非正規雇用に端を発する自死から物語が展開されていくようだ。
 これまで各種メディアで取り上げられてきた通り、『滑走路』は歌集としては異例の3万部を超えるベストセラーで、普段短歌を読まない人々にも広く受け入れられている。しかし、私は萩原慎一郎の存在がメディアで取り上げられるたびにもやもやとした感情を抱いてきた。そこに飛び込んできたのが今回の映画化の話題。これは良い機会だと思い、二年ぶりにこの歌集を本棚から取り出し、あらためて読み直してみることにした。

  ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる
  頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
  夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
 最初に明示しておくと、そのもやもやした感情は、萩原慎一郎がメディアに取り沙汰される際の「非正規歌人」という呼称に起因する。
 メディアに取り上げられる際、よく引用される歌を歌集から三首抜き出してみた。一首目と二首目は牛丼によって非正規の生活を歌にしている。牛丼と労働者との組み合わせは正直なところ安易に感じられる。だが、一首目は季節の移ろいを歌の起点になる三句目におき、秋が来たというのに年中あり続ける牛丼を短い休憩時間に食べざるを得ないという労働の悲しみをうまく表現している。また、二首目は牛丼を食べる姿と仕事の姿との類似点を発見し、それを歌に落とし込むことで、牛丼と労働の類型性を乗り越えることに成功している。朝の楽しいイメージにつながる夜明けを自身の労働と結び付け、悲しみへと視点をずらした三首目も印象的だ。
 このように、非正規労働ということに対し、萩原は巧みな表現でそれをうまく歌に落として込めているとは言える。しかし、それがメディアで「非正規歌人」という呼称を付けられるほどの彼の個性かというと、どうも違うように思えてならない。
 第一に、今年の二月十四日に総務省統計局が発表した労働力調査を参照すると、非正規雇用の数は、全体の雇用者数5660万人中2165万人に上っている。筆者自身も非正規雇用で働いていた時期があり、よく言われるように非正規自体は珍しくない。近年の短歌の新人賞を読んでいても非正規労働を詠んだ作品は多々見られ、歌の題材としてもそれほど新鮮とは言えないだろう。
 第二に、非正規労働を詠んだ彼の歌からは、彼の真にリアルな姿が見えてこない。前回ここで書かせていただいたプロレタリア短歌の場合、強い言葉遣いなどにより、労働に対しての主体の感情が浮き彫りになっていた。一方、萩原の歌では現状を受け入れているにすぎない歌のほうが多く、具体的に何を思っているのかが見えてきにくい。それを彼の作風だと言えばそれまでなのだが、いささか物足りない気がしてくる。また、労働の歌だけでは、彼の生活全般をふまえた萩原慎一郎という一人の人間像も浮かんできにくい。
 そのため、一側面だけに注目し、「非正規歌人」という呼称で彼が喧伝され続けていることに私は疑問を抱いてしまうのだ。そこで、歌集から労働以外の歌を取り上げ、あらためて萩原慎一郎という人間について考えていこうと思う。
  ぼくたちの世代の歌が居酒屋で流れているよ そういう歳だ

  <青空>と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕

  あのときのベストソングがベストスリーくらいになって二十四歳

  恋人が欲しとにわかに願いたるわれは二十代後半となる

  こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった
 そうしてあらためて歌集を読み直すと、時間経過に対する萩原の鋭い視線が見えてくる。上に挙げた五首はいずれも一首の締めに年齢が出ており、構造自体は同じ歌になる。そうすると、構造自体は同じなわけだから、これらの歌の前半部分に何が書かれるかが歌の肝となる。
 一首目と三首目は歌を出すことにより、年齢の経過をうまく引き出している。一首目は具体的な年齢が描かれているわけではないが、前半部分の叙述から、居酒屋に通い始めた二十歳の年齢が想起される。若者向けの大衆居酒屋であれば、確かに近い世代の歌が店内に流れ、それによって居酒屋の集客ターゲットに自分が組み込まれたことを実感するようになる。二十歳と限定してみたが、少し年老いてからのことととっても、通っている居酒屋の姿と同時に主体の人物像が見え、巧みな一首だ。三首目については時間経過ももちろんだが、過去のベストソングをただ単なる思い出に留めずに順位を入れ替えて更新していくことで、新しいものを次々に求めていく主体の感性が見えてくる。
 上述のそれ以外の歌については、類型感が否めない点もありはするが、年齢と同時に変化していく自己を冷静に見つめ、時代の流れ・今そこにあるものをしっかりと歌に落とし込んでいこうとする視点がうかがえる。
  梨を食むときのシャキシャキ霜柱踏みゆくときのシャキシャキに似る
  靴ひもを結び直しているときに春の匂いが横を過ぎゆく
 そこにあるものを歌に落とし込む姿勢は俳句的でもある。一首目は「シャキシャキ」のリフレインによって心地よい韻律を生み出しているが、あえてそれを削り、「霜柱踏みゆくごとき梨食む音」などとすれば俳句としても成り立つ。同様に、二首目は二句目から三句目にかけてのゆったりとした言葉遣いが特徴的だが、それをそぎ落としてしまえば俳句として十分に成立する。萩原の世界の志向の仕方が、(語弊はあるが)現実を見つめ続ける大半の俳句と近く感じられるのだ。そのため、現実として存在する非正規労働を詠んだこともその世界への志向の一つであり、やはり彼の一部分でしかないと言えるのではないか。
  文語にて書こうとぼくはしているが何故か口語になっているのだ
 その現実志向の動きは、先ほどの年齢と同様に自己の内面にも及ぶ。この歌は作歌時の姿を詠んだ歌で、「文語≒過去」で歌を書こうとし、最終的に「口語≒現在」に行きついてしまう。もはや無意識の領域のうちに、現在を鋭くとらえようとする姿勢がにじみ出ているかのようだ。
  ぼくたちのこころは揺れる 揺れるのだ だから舵取り持続するのだ
  ぼくが斬りたいのは悪だ でも悪がどこにいるのかわからないのだ
  テロ事件ときに起きるよ 平穏な暮らしを破壊してゆくのだよ
  東京の群れのなかにて叫びたい 確かにぼくがここにいること
 
  かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む
 また、そもそもの萩原の作歌のモチベーションを考えていくと、「歌詠む理由」と名付けられたこの一連の五首に出会う。この五首から考えられる萩原の作歌の主眼をまとめると次のようになる。
①揺れ動く自己存在を捉え、現在を詠む(一首目から)
②社会を冷静に見つめ、日常に潜む違和感を詠む(二首目・三首目から)
③自己の存在を認めてもらう(四首目・五首目から)
 ①については、先述の年齢の歌のようなこれまで繰り返し述べてきたこと。②も①の延長ではあるが、重きを置くのは社会状況。③は五首目の「きみ」を四首目と関連付けて全人類と取り、自分の生きた証を残すこととなる。これら三点が萩原の歌作りの根幹に存在している。
 この三点を踏まえたうえで、あらためて「非正規歌人」として彼が呼ばれる場合に達成できるものはどれかを考えていくと、②は当然達成できる。そして、結果論にはなるが、③も達成できたと言えるだろう。しかし、やはり①は達成できていないと言ったほうが確実であり、③も五首目に「かっこよく」とあることから、「非正規歌人」として存在を認められることが彼の本意だったかを考えると疑問が残る。
  未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロール愛して
  かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に
  疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ
 大変残念なことに、彼は三十二歳で自死を選び、この世を後にしてしまった。予定では、映画はこの秋に公開され、彼の存在はより広く知られることとなるだろう。その際、「非正規歌人」としてではなく、萩原慎一郎というひたむきに生きた一人の人間の姿が人々の記憶に残り続けていくことを願いたい。

短歌時評156回 重くれの良さ 大松 達知

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 この二ヶ月くらい、多くの魅力的な歌集に出会った。
『体内飛行』石川美南
『どんぐり』大島史洋
『丈六』柳宣宏
『展開図』小島なお
『ナラティブ』梶原さい子
『風と雲雀』富田睦子
『飛び散れ、水たち』近江瞬
など。
 中でも、大島史洋(今年7月で76歳)と柳宣宏(今年4月で67歳)の二人の歌集に、短歌とは何かを考えさせられた。
 年齢はそんなにたいせつなのか? という議論はある。
 「コスモス」は今年4月から、折り込みの詠草用紙にあった年齢(と職業)の欄を除いた。(もともと性別欄はない。専用用紙でなくコピー用紙に印字でもよい。) その後、数回選歌を担当したが、大きな違和感はなかった。ただ、歌によっては年齢が読みを補佐する、というか歌を引き立てる面もある。年齢を知りたくなった作品はいくつもある。高齢者が多いグループだけれど、同じご病気でも七十歳と八十五歳では作者も読者も実感が違うものだ。読者(選者)が移入する感情の濃淡も変わってくる。とはいえ、雑誌になったときには年齢は掲載されないわけだし、その作者を知っているどうかの問題にもなる。詠草用紙の改訂は良いことだと思っている。
 だが、すべての短歌作品から「年齢」を取り除いていいわけではないと思う。匿名の歌会、名前付きの一首投稿、名前付きの作品群、一冊の歌集、全集などの媒体によってかなりの差がある。それを一括りにして語るのは乱暴である。
 同じ歌集の同じページの作品でも、匿名性の高いものと署名性が高いものが混在する。署名性が高そうな作品も、部外者からみれば類似作品のように見えることも多いだろう。当然ながら、短歌に何を求めるのかは、歌人の間でも大きく違う。だから、さまざまな議論をおもしろがり影響を受けながらも、直感的な向き合い方しかできないのだろうな、と思う。よくわからないままでいいと思う。
   さて、大島史洋『どんぐり』(現代短歌社)(2014年〜2018年の作品)に、
  059 重くれを嫌うならねど重くれは身に添わぬなり七十過ぎて
  (歌の左の数字は、ページ番号です。)   があった。
 「重くれ」は俳句の批評用語のようで、「軽み」の反意語で、理知的な方向の句を指す概念であるようだ。内容的な面もあるし、文体的な面もあるという。ある俳人に聞いたところ、芭蕉の、   秋深き隣は何をする人ぞ
は、軽みで、
  荒海や佐渡によこたふ天河
は、重くれかもしれない、と教えてくださった。
(単純化しすぎなことは承知している。)
 そもそも「重くれを嫌うならねど」という大島の言挙げこそが「重くれ」に当たるようにも思う。短歌はもともと「重くれ」を志向してしまう長さを持つのだろう。(いつか、短歌は長嶋茂雄、俳句は王貞治、と喩えた歌人がいたのを思い出す。)
 それはさておき、今回の歌集もまさに大島の老いの受け止め方がぼつぼつと描かれている。その訥々としてユーモラスなところに惹かれた。作者の生年はウィキペディアに載っている。収録された歌の制作時期は各章に明示されている。この歌集の場合、それらは歌を大いに引き立てる。(編年体の章立てで、「Ⅰ 二〇一四年」「Ⅱ 二〇一五年」というように明快に区切られているのが気持ち良い。)
  078 しみじみと今日まで生きし喜びを言えどまったく深さが足らぬ
  094 だんだんと変になりゆく自分なりそれを知りつつ少し楽しむ
  122 脊柱管狭窄症のかそかなる痺れや雨の梅林公園
  143 わがいだく不安は常に吾のみのものにてあれば世はこともなし    これらの歌は「重くれ」なのか。テーマはそれぞれ重いが、詩的処理が効いていて軽みがある。しかし、そこに七十代の男性、そして作者、いや大島史洋という歌人が歩んできた道のりを重ねて読む。年齢の重さゆえに、生み出される言葉の軽さがかえってバランスよく響いてくる。歳を重ねて好き勝手に詠んだ歌がヒットするのは茂吉や岡部圭一郎や岩田正を例にあげなくてもそこに豊潤な場所があるのはみな知っている。やはり、歌に生年は付いていた方がいいだろうという立場に傾く。この三首目の「かそかなる痺れや雨の」あたりのリズム感にこちらがシビレる。
 紙幅の制限がないので、もう少しあげる。
  075 若き日は美化されやすしいつからか老人ばかりのめぐりとなりぬ
  123 ふるさとをうたいて美化を感ずると友に言われき美化してゆかむ    「美化」が使われている二首。なぜ私はこういう繰り言のような歌に惹かれるのだろうか。それは次の、
  100 老人がこの世の害になることを繰り返し聞き老いてきたりし
  045 時は過ぎ捨てねばならぬ地図などにマークしてあり茂吉歌碑の所
などを足して考えると、濃い年齢意識による表現への覚悟を読み取ることができるからだという答えに至る。長い中年期を経て老年期に入る。そこに人生の屈折が生まれる。そのあたり、短歌としての豊かな刈り入れ場があるのだ。    さて、柳宣宏『丈六』(砂子屋書房)に移る。
 2015年〜2019年の作品。それが目次に記載されている。はっきりと六十代半ばを生きた人間としての足跡です、と宣言しているのだ。
 亡き両親を恋う気持ち、ある学校を離れて別の学校に移る際の気持ち、家族や友人との関係、父や舅を通して見る戦争、妻子への気持ちなど、禅僧を思わせる(じっさいに座禅をお続けのようだ)静かな文体からあふれてくる。「気持ち」を前面に感じる。そこに私は打たれた。だって、「あゆみは長女である」と詞書に書いておいて、     051 向うからあゆみの来れば電球が胸のあたりに点る気がする   なんて歌をしゃあしゃあと(失礼)発表できるなんて、すばらしいじゃないですか。もうご結婚されて家を出た娘さんですよ。
  209 弁がたち計算達者な男にはあらざる息子をひそかに誇る   257 夕べには娘夫婦が来るといふ玄関先を掃いたりしてゐる   205 この家に妻と暮すも新年の朝のはじめに会ふは照れたり    というのもある。大人の息子を誇る歌に、娘に会う喜びでいそいそと掃除するみずからをコミカルに描く姿に、自然な夫婦像に、批評の余地はなく、ただ良いと思うのみだ。  あるいは、「島田修三夫人告別式」というタイトルのもとに、     118 妻なしとなりける島田の手を握り言ふことあるか妻あるわれに
  120 修三が眼鏡のまへにわれはただ拳を固く握りて掲ぐ    という歌がある。長く「まひる野」を支え合ってきたおじさん(失礼)同士の愛を見る。島田修三という大人物と面識があるかどうかによっても歌の理解の深さは違ってくるだろう。だが、それを除いても、このとても個人的なシーンには普遍性がある。いや個人的であるからこそ明確な普遍性を発揮している。うまく詠もうとしがちなとき、こういう歌の底力を思うのである。
  042 梅干しの固く赤きを齧りつつ心がはれるといふことがある
  043 先輩はありがたきかな、なあヤナギ、咲くと思はず花は咲くんだ
  048 ジャカルタの水にあたつて苦しみしそれも仕事の花の日々かも
  081 この星は生まれて四十五億年まだ若いなあと口に出してみる
 どれも明るい。懸命に生きている人の姿が見える。六十歳を過ぎて、「なあヤナギ」と肩を叩かれながら(想像です)言われている男性の姿。そこにはいわゆる昭和な上下関係の美質が残っている。文章語的口語言い切りの力強さもあろう。泥臭さもある。ジャカルタの夏の暑さにやられながら白ワイシャツにネクタイ姿で(想像です)校務出張をバリバリとこなす(これまた昭和的な)男性の姿が透けて見える。
あるいは四首目。そういう六十半ばを超えたおっさん(失礼)から、地球はまだ若いなあ!と口に出されたら、内臓からぐんと力が湧き出る感じがする。例えばこの歌にとっては、作歌時点の年齢は関係ありそうだ。「まだ若いなあ」は作者自身に向けられた言葉でもある私は直感的に読んだ。とすると、ある程度の年配者の言葉でなくてはおもしろみも説得力もない。七十代だとやや苦しげ。八十代だと合わないなあという印象。やはりまだまだ壮年という年齢が歌を引き立てる。恣意的な読みなのかもしれないが。    さて、あと2冊。
 富田睦子『風と雲雀』(角川書店)。この著者もあとがき冒頭で、「二〇一三年の暮れから二〇一八年はじめまで、年齢で言えば四〇歳から四四歳までの作品を収録しています。」と明記している。背景がはっきりしているのは助かるし、好きだ。
 主題は、小学生から中学生に成長する時期の娘さん。その彼女との関係(葛藤というべきか)である。全身全力で娘にぶつかり、お互いに傷つく。その姿を描いている。     011 寝たふりを見破るところ眦(まなじり)に細くふたすじ皺よする子は
  037 いいこだねかわいいねとぞゲシュタルト崩壊させつつ眠る子を見る
  038 前髪のわずか巻毛をからかわれ帰りて泣く子の指の冷たし
  199 きょうだいもいとこもおらぬわが少女ささいなケンカを泣くほど悔やむ
  203 歩く木と育つ木わたしはどちらの木わがひとり子はたぶん歩く木
  210 吾子の裡そだつ悪意を聞いている火蟻のごとき自我と覚えて
 母と娘の距離感の近さの歌は先達があるが、なんど繰り返されてもいい題材だ。寝たふりを知っている母、自分の子なのかわからなくなるまで寝顔を見続ける母、十代の心の壊れやすさや友人関係をひたすら案じる母、自分と娘の比較、娘の内面的成長を恐れつつ見守る母。どれも懸命の母である自分を題材に、場面場面を詩に昇華している。
  023 その元気わけてと言えば抱きついてくる少女なり三日月を抱く
  084 風わたる葡萄棚われまだふいに抱きついてくる少女をいだき
  091 鼻血垂る娘のひたいを胸に当て頸冷やすとき生まぎれなし
など、身体的距離感の近さを言うのも母娘の関係に特徴である。そしてこの歌集のひとつのハイライトが、
  122 わが声にわれは興奮してゆけば子への衝動は愛より憤怒
  123 一生をわれは忘れじ吾子に向けマウス投げつつ恫喝せしを
  124 いまわれは吾子を殺せりまなうらがこんなに熱き怒りのうちに
  124 退塾の理由にマウスを投げしこと告白すれば軽く笑わる
  126 もう塾のない午後である手をつなぎ大きな木のある公園へゆく
  127 今日なんか楽しかったと子の言えば泣きたいような夕焼けである   を含む一連である。そのしばらく前に、
043 月一度試験で席が変わる塾かよわせてわがこころは細る   がある。子供の私立中学受験へチャレンジは、どの家庭にとってもなかなかの試練であると聞く。それは、『二月の勝者−絶対合格の教室−』(高澤志帆)という漫画にリアルに描かれている。「君たちが合格できたのは、父親の「経済力」そして、母親の「狂気」」という塾講師のセリフで始まる。
 状況はわかるし、ドキュメンタリーとして出色。だが、ここで思うのは、なぜこんな状況をわざわざ歌に残したのか、という疑問だ。
 いや、答えはわかっている。富田睦子が歌人だからだ。偶然にしろ選び取ったにしろ短歌を続けている以上は、こんな辛い状況であっても、真っ向から受け止めて書くのだ。もちろんそこには場面の切り取り方や言葉の選び方、あるいは劇画化、構成のしかたなどの技術は関係する。だが、いちばん大切な、すべて受け止めて詠むという姿勢がなければ読者の心を動かさないのだ! と、書いている私も高揚してくる。
 強引に冒頭の大島の一首とつなげれば、この「重くれ」た感じが短歌のひとつの喜びであるのだなあという結論にもなる。
 だがもちろん、『風と雲雀』はこれが全てではなく、     070 夜を降りて闇へ消えゆくぼた雪を光の届く部分だけ見る
  152 火を摑むされども夢のわたくしは火を知らざれば燃える手を見る
  154 腹の足をいかに動かしたるべきか苦心したればふとも目覚める
のような繊細な視点の動きや、自分の内面を覗き込み過ぎてわからなくなってしまった歌にも秀歌が多い。そして、そのあたりが融合された歌が、
  119 シスジェンダー・ヘテロと吾子を喜びてのちを羞しき冬のはなびら   なのではないかと思う。最後に置いておく。    さて、最後の1冊。長くなってしまったけれど、挙げておきたい歌集である。
 『飛び散れ、水たち』近江瞬(左右社)。
 プロフィールによると1989年石巻市生まれ・在住。早稲田大学卒業。
 現在はいわゆるUターンで、地元紙、つまり石巻日日新聞社の記者であるようだ。
 私はいつも「あとがき」を読んでから巻頭に戻る。だが、この「あとがき」を読んでも、後半の展開が予測できなかった。序盤からは相聞を多く含んだ、青春の苦さや明るさを詠んだ歌。     008 ふと君が僕の名前を呼ぶときに吸う息も風のひとつと思う
  033 記憶にはない故郷の稜線を画像検索して取り戻す
  033 愛想笑いだったと気付く口角をゆっくり元に戻していれば
  046 十年後に見て騙されたりしないよう小さめのピースサインにしとく
  104 ため込んだ悲しみ不良少年のバイクが「タラレバタラレバ」と鳴く
  080 三人が車内に揺れてそれぞれのスマホに反射する月の色
どれもいい。どれも巧い。複数の時間帯が視野に入っていて、その時間を行き来しているようだ。それはすでに記憶になり過去から十年後まで。不良少年の過去にまで及ぶ。現代風で軽そうでいながらしっかりと重りがついているようだ。     018 歩行者を数えるバイトの青年が僕をぴったり一人とみなす
  028 使い方を知らないボタンに囲まれて放送室に君と僕だけ
  065 筆談で祖父は「へへへ」と笑い声を書き足している険しき顔で
  068 ビニールの中の金魚におそらくは最初で最後のまちを見せてる
  103 この道を渡ると帰ってきた感があってふたりは暮らしになれた
   高校時代のシーン(二首目はなかなかエロい。知らないボタンって。)から。闘病中の祖父。金魚。そして恋人との同居(結婚?)。歌材は広く、描写は的確である。しかしそれでも、同じ感じの青春歌は他の歌人にもあると思う。子細に見ればもちろん特徴はあるのだけれど、匿名性の方が先に立つ歌であろう。
 しかし、そういう歌が続いたあと、全体の残り六分の一くらいに来て、三つの章のうちの三つ目きてトーンが変わる。     120 新聞を折り込み終えれば手に黒が移ってほかの色は移らず
  121 上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする
  122 あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて
  123 忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
  123 Uターンの理由は震災かと問われ「まあ」と答えてはぐらかしてる
  125 薄く目を開けば水面は広がって聴く風は少し波と似ている    多めにあげてしまう。
 地元に戻り新聞社に就職したあとの歌なのだ。三、四、五首目。故郷への愛と使命感を持って帰郷し就職したはずである。(と決めつけるの立場にないが、おそらく。)だが、心ない対応を受けることもある。いや、そういう対応をしてくれるならいい。そういう人の背後には、表面では受け入れるふりをしながら心の底では受け入れてくれない人がいるのだと賢明な作者なら気づいていたはずだ。その精神的な辛さは、類似の境遇の人が少ないだけに、どんな慰めも効かなかっただろう。題材はなかなかの「重くれ」である。
128 仮設から復興住宅へと移る壁の厚さをさみしさと呼ぶ
128 必要というのはせっかく復興庁の予算を充てられるからということ
129 図書館も被災してれば国の金で立派にできたのになんて言葉も 
138 まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
 この一首目は作者自身の感慨とも読めるけれど境遇的にそうではないは。(こういうところ、許容範囲は読者によるけれど、そのユルさも短歌のいいところかな。あまり厳密に表現することだけを心がけると思い切った表現が死んでしまう。悩ましいところ。)二十代の記者が話を聞きに来て、ついつい本音を述べてしまったのか。そういう言説は現地ではよくあることなのか。それを掬い上げて歌にしているのがいい。先の富田と対象は違うが、受け止めて詠む、ひとつのありかたなのだと思った。
 最後の一首を含む二つの連作は小文がついている。その小文がどれもよく、断片になるけれど引用したい。   ・「忘れちゃいけない」と言う人の前日の投稿にあるディナーの肉がおいしそうだった。
・僕は、当時ここにいなかったことを聞かれるまで、言わない。
・相手が安心してくれればと思い、「僕もここが地元です」と伝えるように方言をいつもより大げさに使った。    近江歌集の前半と後半の題材的格差を楽しみつつ、そこに表現の一貫性、表現者としての一貫性を思いながら、重い題材を、この最後の4首のように軽めに読ませてもらえることを楽しみつつ、短歌ってなんだろうと思いつつ、稿を終えたい。
(2020.5)


短歌評 口語短歌の危機を救え! ―『現代短歌のニューウェーブとは何か?』を読む 平居 謙

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1 現在短歌のヤワな感じ


 「現代短歌のニューウェーブ」とは、1980年代半ば以降起こった口語短歌の新しい動きだそうだ。聞いたことはあったような気もするけれども、「ライトヴァーズ」という言葉とのニュアンスの違いとか、きっちりとした定義など考えたこともなかった。
 そのころ僕が読んだ歌集はと言えば俵万智『サラダ記念日』林あまり『MARS☆ANGEL』『ナナコの匂い』くらいのものだった。少し遅れて穂村弘『シンジゲート』も読んだ覚えがある。しかし詩を主戦場にしようと考えていた僕にとって、横目で見ながら走る領域くらいにしか考えていなかった。『サラダ記念日』は上手いと感心した。『ナナコの匂い』はエロいと笑った。ただ、どれもが僕の魂を揺さぶるようなものにではありえなかった。それらの歌集との出会いが、僕の「ニューウェーブ体験」と言えばいえるのかもしれない。
 昨年来、このサイト「詩客」短歌評のために改めてかなりの数の歌集に目を通した。今のところ藪内亮輔『海蛇と珊瑚』・笹井宏之『えーえんとくちから』・千種創一『砂丘律』・柴田葵『母の愛、僕のラブ』の4冊についての短評を書いたに過ぎないが、それでも短歌の現在というのが朧気ながら見えてきた気がする。「知らないうちに、ここまで来ているのか!」という感慨を覚えた。中でも『海蛇と珊瑚』や『砂丘律』は骨があった。ぐいぐいと迫ってくるものを感じた。しかし一方で平行して買い求めながら批評を書けなかった岡野大嗣『たやすみなさい』や朽木祐『鴉と戦争』その他多くの歌集たちは、芯の欠落したヤワな感じがするのだった。意識的にそう作ってるからなのか、そうせざるを得ないのか。根無し草的な感じがして、気持ちいいのか悪いのか分からないくらいだった。僕は何だかいたたまれなくなってきた。痛い。痛すぎる。ふつふつと怒りにも近い感情が湧いてくる。そのルーツに関するヒントでもあるかと思ってこの『現代短歌のニュウェーブとは何か?』(2020年2月 書肆侃侃房刊)を買ってみたのだった。

2 ヤワさの根底にある「ニューウェーブ」


 この『現代短歌のニュウェーブとは何か?』を読むと、1980年代半ば以降の、つまりは元号が平成に代わる直前からほぼ現在までの口語短歌の大まかな流れがある程度分かる。そして、先に書いた現在の短歌の寒さの理由がどことなく理解できたような気がする。「ニューウェーブ」な書き手たちは、それまでの規律の強い、芯のある世界からの解放を目指して自分たちの世界を作ろうとしたのだろう。ところが、その排出した世界があまりにも自由に過ぎたため、それによって育った次世代以降は、マトモに育たなかった。ごく一部の天才は除いて。そんなところだろう。急激な転換期を支えた世代は偉大でも、後代はその自由さで育つ或いはスポイルされが故にうまく力が伸びないことは、どんなジャンルにも言える事なのだろうし、理にもかなっている。
今、「偉大」と書いた。偉大かどうかは知らないが、俵万智は僕は優れていると思う。しかし、ニューウェーブを形作った人たちというのもそんなにすごかったのだろうか?それを確かめるためにも、僕はこの本を読まなければならなかった。

3 通読後メモをしてみた


 本書を読み終わって、内容を振り返りながらメモをした。本文を再読しない段階のものなので、雑であり、もしかしたら間違いもあるかもしれない。まだ本書を読んでいない人がいたら、間違い探しクイズでもやるつもりで、手引きに加えていただければ幸いである。とりあえず以下の通り。

 ◆現代短歌のニュウェーブとは◆
 ・ 口語短歌であるらしい
 ・ 1980年代の半ばから後半にかけて勃興してきた流れらしい
 ・ 当初は漠然とした意味で使われていたらしい
 ・ ジャンルの終焉みたいに言ってる人もいたらしい
 ・ ライトバーズと関係が深いらしい
 ・ 文語調のも間々あったらしい
 ・ 活動や出版の「場」を作ったことも評価されているらしい
 ・ 荻原裕幸が新聞で使った言葉が初めらしい
 ・ 穂村弘によると「わがまま」らしい
 ・ 加藤治郎が辞書に項目をねじ込んだらしい
 ・ 「革命的な表現」でいっぱいだったらしい
 ・ 俵万智『サラダ記念日』はニューウェーブではないらしい
 ・ つまりめちゃめちゃブームになった歌集は「大衆短歌」と蔑み、それと「ニューウェーブ」は一線を画したいらしい
 ・ 30周年のシンポジウムが開かれたらしい
 ・ そこでいろいろ紛糾したらしい
 ・ ニューウェーブな人たちに「俵万智だけいればいいじゃん」と言うのは蛮勇らしい
 ・ 結局現代短歌のニューウェーブとは4人のことらしい
 ・ あるいは1人のことらしい
 ・ 女性は自由過ぎるから、この括りでまとめる必要すらないらしい
 ・ 後の世代からは必ずしも支持されているとか限らないらしい
 ・ ニューウェーブに自分も入ってるんだと感じてた人も多いらしい

 「らしい」だらけだが、なんだか全体を読んで、何も信用できないという気分になってきたのでこう書かざるを得ない。人によって定義も異なるし、思い込みも思い入れも温度も粘度もさまざまである。この本を通読した限りにおいて、僕が理解できたのは上記の「ようなことが言われている」ことだけに過ぎない。その時代の雰囲気を現わす言葉くらいに「ニューウェーブ」という語を理解していたにすぎなかったが、加藤治郎は後に「はい、それはもう四人です。」と言っている(本書P 159 )2018。(引用文末につけた数字は、発言が掲載された年。本書は、30年間にわたるニューウェーブに関する発言等を広く掲載したものなので、「いつ」の発言かによって意味合いが違う場合もあるだろうためにそのようにした。本稿では以下これに準ずる)ニューウェーブに関してはあまりにも何もかもが曖昧である。そういう雰囲気の中で短歌が流れていたとしたら、現在短歌の(特に新しい世代が)ゆらゆらしているのは仕方のないところなのだろう。

4 現代短歌のニューウェーブとは何か?  

 さて、本書でニューウェーブについて読んでいると、その目指そうとしたらしい軽みやPOPさとは裏腹に、どす黒い政治的(時事的、社会問題的という意味ではなしに、歌壇内政治という)芬々たる臭いばかりを感じてしまった。しかし中には、きわめて本質的なところを見ていると感じられる批評家とも出会った。ごく部分出来ではあるが簡単に紹介しながら、彼らの言葉に沿ってニューウェーブの正体をもう少し具体的に訪ねてゆこう。
まずはニューウェーブに関する回想を花笠海月の言葉からみる。なだらかかつ簡潔にまとまっているので僕はとっても納得がいった。ここに写してみよう。

  私は一九九一年に歌をはじめた。その時、流行っていたのは、ただごと歌であり、二宮冬鳥であり、
  茂吉であった。ニューウェーブという言葉はまだ定着してなかったと思うが、『あるまじろん』が 
  出たばかりで、話題の人物として荻原裕幸の名は当然耳にした。/どうしてこれらが流行ったのか。
  私はこれらを「反『サラダ記念日』」としてすべて説明できると思っている。これらの出現は『サ
  ラダ記念日』のもたらしたものをどう紹介していったかのあらわれだったと思う。/戦後短歌の歴
  史は口語体や新かなをどう消化していくかという視点なしには考えられない。しかし『サラダ記念
  日』はそれまでの細やかな営為をふきとばす勢いで広まってしまった。平成の短歌史は『サラダ記
  念日』と「それ以外」で分けたほうが見えてくるものがある。そのなかで『サラダ記念日』に乗れ
  なかった男性歌人からの『サラダ記念日』に対するアンサーが、これらの「流行」だったのだと思
  う。 花笠海月 p224 2019

 「『サラダ記念日』に乗れなかった男性歌人」というのがはじめよく分からなかったのだが、巻末に収められた荻原裕幸による「ニューウェイブ関連年表」に沿って時系列的に整理すれば次のようになる。

   1985 俵万智「野球ゲーム」で角川短歌賞次席
   1986 穂村弘「シンジゲート」で角川短歌賞次席
      加藤治郎「スモールトーク」で短歌研究新人賞
      林あまり歌集『MARS☆ANGEL』
   1987 加藤治郎歌集『サニー・サイド・アップ』 俵万智『サラダ記念日』
   1988 荻原裕幸歌集『青年霊歌』
   1990 穂村弘歌集『シンジゲート』

 このように列挙すると「乗れなかった」人々をニューウェイブと呼ぶというのは一目瞭然だろう。周知のとおり俵万智『サラダ記念日』は社会現象ともいえるレベルで、爆発的に売れまくったのだった。短歌村内の「注目」など、全て吹っ飛んだわけだ。当時加藤も荻原も穂村も全く知らなかった僕でさえ、俵万智の歌集はリアルタイムで読んだのである。西田政史は「ニューウェーブは社会現象のようなものだと考えるに至りました」(本書 p130 2018)と言っているが、馬鹿な事を仰るなという感じである。そんなものは短歌創作者の中での認識に過ぎないだろう。もっとも西田は「社会現象のような」と言っているから、やはり「社会現象ではない」ということくらいは承知しているのかもしれない。ただ根本的に反響のレベルは異質なものであったことだけは、確認しておかなければならない。(こんなことは当時を生きた人間にとっては言うまでもない。そもそも、俵万智とその他の歌人が同列に並んでいることが、外側から見る僕には現在でも強い違和感がある。少なくとも出版史的に言えば、雲泥の差であるわけだ。だが、一般社会と短歌村を同列に扱う言辞が繰り返される中で、後代に誤った情報が刷り込まれるのは問題だと強く思ったのでここに拘って書いておく。)
 なるほど、短歌界の中で注目されていた若い書き手たちが、俵万智の爆発的なブームで持った焦燥感は大きかったのだろう。少なくとも僕が同じ立場にあったら、居ても立ってもいられなくなって、何か仕掛けを起こすかもしれない。そしてその仕掛けが「ニューウェーブ」だったのかもしれないと想像する。ニューウェーブ4人組の一人(らしい)穂村弘は本書p156で以下のように発言している。

  水原紫苑とかとしゃべっていると「ニューウェーブって何?」とかよく言われるの。俵万智さんが
  いればいいじゃんって。どう思う?そうだよねっていうしかなかった僕は。それでね、「いつもあ
  んたたちはそうなんだよ」って言うのね。彼女が挙げた例はね、(与謝野)晶子がいれなよかった
  のに、男たちが、晶子が開いた扉を自分たちはあとから通っただけなのに偉そうにする。いつも男
  はそうするって。 2018 

 行動に男も女もないとも思うが、確かに男は何かの動きを後追いで「理論化」したり「史的に記述」したがったりする。「詩的に」ではなく。それはサガだ。この観点でみれば、本書のつくりはまさに「男臭い本」だということが言えるのだろう。加藤次郎も巻末の解説「ニューウェーブの中心と周縁」で『現代短歌大辞典』の中に「ニューウェーブ」が収められるに至った経緯を長いスペースを割いて説明している。そして「辞典の制作には、査読という工程がある。ある項目について必ず編集委員が原稿をチェックする。適切でない場合には原稿の修正が求められる。そして最後は監修者が目を通すのだ。」などと書いている。これは何が言いたいのか。結局のところ「辞典に掲載されているということは、何人かの目を必ず通っているわけだから、お墨付きなのだ」ということが言いたいのだろうか。男は確かにこういう権威の傘を誇示したくなるようである。男と女ということに関わっては紀野恵もP112~13で面白いことを言っている。

  私はたまたま女性であるが、たまたま、文学的な流れに名前を付けたり参加したりすることには興
  味がない。それより作品をつくることでしょう。…(略)…仕掛けを作って動いてくれている人た
  ちには感謝のみである。 2020

 「それより作品をつくることでしょう」というのはいい得て妙だ。ニューウェーブな人たちの作品が、俵万智より知られなかろうがどうであろうが、作品さえ良ければ、そんなものは些末な問題として一笑に付すことができるのだ、本来。しかし、当初からニューウェーブの作品に対しては、強い批判があったようだ。

  僕は、これだとジャンルは終わりだと。短歌というのは、無になると思うと。あと、何十年かは続   
  くだろうけどさ。ジャンルとして残る意味が、何もない。小池光(本文p34)1991

  表現から反逆精神というものが消えてしまったとしたら、そこから先に新しいものを生み出してい
  く力は残るのだろうか。小林久美子(p76) 2003

これらの感想は、僕が最初に書いた「現在短歌のヤワさ」の問題にそのままスライドさせることができるのであって、つまりは、「ニューウェイブ」の上に育った「現在」は、もろにその劣性面を継承しているということができるのだと確信する。

  ▼▼▼▼▼ココが戦場?▼▼▼▼▼抗議してやる▼▼▼▼▼BOMB! 荻原裕幸
  1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0  加藤治郎
  荻原裕幸、加藤治郎両氏の作品。これらの作品は記号短歌といういささか侮蔑的な名称で呼ばれた
  が、当時も三十年たった現在も私にとっても「何かとてつもなくもの凄くいままで見たことも聞い
  たこともない作品」ではない。こういう実感が短歌のニューウェーブに対する否定的な態度を生み
  出していたのだと思う。   藤原龍一郎(p96)2020

 この発言後、藤原は「ニューウェイブ」の評価面について述べているのだが、藤原の引用しているものに限らず、本書で取り上げられる全ての歌のどれひとつとして僕には何の魅力も感じられない。「大衆短歌」だという俵万智の方が何倍も優れて見える。30年前にリアルタイムで読めば斬新だったという話ではない。たとえば藤原も引用している、そもそも「ニューウェーブ」という言葉を定着させた当の本人だといわれている萩原裕幸の「▼▼▼」が使われている作品など、どこをどう評価するのか?僕は大正末期のダダイストたちー高橋新吉や萩原恭次郎に惹かれた人間として、このように記号が作品内に用いられることに関しては、ある種の免疫というか共感を基本的には感じるのだ。だが、その僕にしてなお『あるまじろん』に収められているというこの作品には、感じろといわれても感じる術を最初から持たない。斬新でもない工夫も何もない。加藤治郎は「今までは、言語表現だけは皆信頼してきた、というところが、最後のギリギリの線としてあったと思うのです。」と言っている(本書P24 1991)が、例えば詩の創作世界で「言語表現だけは皆信頼してきた」と思っている人が、当時であっても何人いただろうか。そもそも、少なくとも戦後において創作とは、言葉への不信というものを前提としながら、あるいは前提とするからこそ言葉によって新しい世界を作り上げようとする矛盾に満ちた行為ではなかったか。もし、加藤だけでなく、「皆信頼してきた」のだとすれば、改めてその能天気な村社会を検証してみる必要があるだろう。(もっともそれは加藤がそう言っているだけであって、他の短歌の書き手にとっては「冗談じゃない!」ということではないか、とうすうす僕は思ってはいるが)。その能天気な加藤治郎の歌に関して言えば、「これをこう楽しめ」というのが露出しすぎていて、狙いは分かるけれども面白くなさすぎる。つまりは歌のセンスが著しく低いのである。なぜこんなものがたとえ一部の人にであってももてはやされたのかよく分からないというのが正直なところだ。1980年~90年ころの短歌の世界は、まだまだ崩すべき世界だったということだろうか。しかし加藤も荻原も苔脅しに過ぎないという印象だけが残る。そんなことをやっているときに、俵万智が現れれば一たまりもないのは、必然といえるのだろう。
 また若い世代に属する(のだろう)永井祐も加藤の「不自然」について指摘している。

  加藤さんのライトヴァースってすごく不自然なんですよ。わかりますよね。『マイ・ロマンサー』
  とかでも、なんか謎のヤング・アメリカンみたいな主体が出てくる(笑)。俵さんとかは、もっと
  自然に口語で都市生活を詠うっていうのができてると思うんですけど、加藤さんのライトヴァース
  がすっごく不自然なんです。(p195 2018)

「不自然さ」といえば、穂村の『シンジゲート』に対しては特別な感覚はなかったが後になって『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』を何故だか買った時、作り物の匂いしかせず、女子高生とかオンナノコとかに仮託しないと何も言えないというか注目されないだろうという、読者を小ばかにした態度に悲しみすら感じたことを覚えている。

  
5 死へのまなざしと今後の短歌の可能性


 全般に不愉快が言説が目立った本書の中で、短歌に関する透徹な目線が光るのが水原紫苑であった。彼女はシンポジウムの中で、前衛短歌とニューウェーブの「死」に関するスタンスの違いを述べている。

  考えてみると近代短歌の「時間」というのは直線的に「詩」に向かっていますよね。前衛は重層的
  な「時間」であって、大きな「物語の時間」ともう一つ「私の時間」というものを二つ背負ってい
  たと思うんです。だけど、大きな新しい波はどうかというと、「死」というものが捨象された「無
  時間の感覚」じゃないかなと思うんですね。浮遊した感覚といいますか。「死」を捨象した文学と
  いうものは、本来ありえないわけで、でもそういうあり得ないものを作ったというのが一種の功績
  だったと思うんです。「不死の空間」といいますか。で、ニューウェーブ以降の、現代の若手の作
  品というのは、そうではなくて「死」を内包する「循環的時間」というか、私は何か古典和歌に帰
  ってきた時間のようなものを感じるんです。 水原紫苑(p169) 2018

 ニューウェーブ以降の若手の傾向が「循環的時間」「古典和歌に回帰するような時間」なのかどうか、僕は判断できないが、彼女には『桜は本当に美しのか 欲望が生んだ文化装置』(平凡社 2017年刊)という『万葉集』『古今集』『古今和歌集』をはじめとして、現代の桜ソングに至るまで「桜」の織り成す意識を探ろうとした力作がある。たとえ結論がまだ見ぬ向こう側にあるとはいえ、すでに問自体に価値がある。その彼女が≪現代の若手の作品というのは、そうではなくて「死」を内包する「循環的時間」というか、私は何か古典和歌に帰ってきた時間のようなものを感じる≫という時、それはとりもなおさず、水原自身の時間意識と強く関りがあると考えてもよいのではないかとも思うのである。僕は以前『異界の冒険者たち』(1993年 朝文社刊)の中で近代詩人の「異界表現」を探ったことがあったが、「死」をどのように描くかということが書き手の力の見せ所でもありそれだからこそ「死」の前において薄っぺらい奴は吹き飛んでしまうだろうことは近現代詩でも短歌でも同じことだろう。
 同時代評をすることは大切だろう。同時代の伴走者がどういった歌を作るかということから刺激を受けて新しい可能性が開けることも大いにあるだろう。しかし、古典―もちろん、たとえ水原のように万葉集まで遡らなくても、例えば前衛やそれに先立つ明治大正の短歌史―を大づかみに理解するところからしか、ジャンルの可能性は今後に開けてこないだろう。平成期には結社の縛りが薄れたらしい。そのメリットは本書の能書きに詳しい。が、そのデメリットは過去の名作、あるいは師匠の作品を(すら)読まなくなるという弊害だろう。というよりも、師匠が存在していないのだから読みようもないだろうし、師匠と呼ばれることの重荷を引き受ける書き手も少なくなったのかもしれない。自意識だけが突っ走り、蓄積に目が向けられなくなるとすれば、それは本書にもあったように、明らかに口語短歌の危機だといっていいだろう。
口語短歌を救え!誰が誰に求めているのか分からない助けを求める、か細いしかし切なる声が僕の耳の奥に響き始めた。

短歌時評157回 安川奈緒の遺言(2)~無からの出発~ 細見 晴一

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 前回の短歌時評154回 「安川奈緒の遺言(1)~粉砕王が通り過ぎる~」の続きである。

 いくつかの粉砕王が通り過ぎ、その破壊された跡から、つまり「無」から若い人は立ち上がるしかなかった。
 たとえば2001年の浜崎あゆみ(1978-)のヒット曲「evolution」にこんな歌詞がある。
 https://www.uta-net.com/movie/12790/

  この地球(ホシ)に生まれついた日
  きっと何だか嬉しくて
  きっと何だか切なくて
  僕らは泣いていたんだ

  こんな時代(トキ)に生まれついたよ
  だけど何とか進んでって
  だから何とかここに立って
  僕らは今日を送ってる

 この楽曲は破壊の跡からの出発を熱狂的に歌い上げる応援歌だ。さあ新しい時代、こんな星に生まれたけど、こんなひどい時代だけど、みんななんとかやっていこうよ、がんばろうよ、と鼓舞する。そして浜崎はこれをevolution(進化)なんだと肯定的に解釈し、こんな時代に生まれたことをむしろ喜んでいるかのようだ。確かにそこから進化が生まれるのだろう。
 一方、浜崎とは対照的に、そういった不安な時代の中から静かに立ち現れてきたのが永井祐(1981-)だった。彼はとても静かに現れたので、ほとんどの人は最初気がつかなかった。

  白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう
  思い出を持たないうさぎにかけてやるトマトジュースをしぶきを立てて
  アスファルトの感じがよくて撮ってみる もう一度  つま先を入れてみる

 第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(2012年)より。
 2首目、うさぎは思い出を持たないのかもしれない。あるいは持つのかもしれないが、少なくとも思い出でいっぱいのはずの人間からすれば思い出は持っていないように思える。そして1首目のたばこの灰で字を書くこと、3首目の何もない無意味なアスファルトの写真を撮るという行為。こういった無為な行為をそのまま(本当にそのまま)短歌にしている。この無為な行為に注目するということ。そしてそれをそのまま短歌にするということ。思い出を持たないのはうさぎでなくて、作者本人ではないのかとまで思わせてしまう。そういった思い出すら持たない何もない「無」からの出発。そこには浜崎あゆみのような熱狂も応援も喜びもない。あるのは静かな日々の生活だけである。そして短歌としての高度な修辞も高邁な思想も何もない。そういった今まで通用していたことが何もかも壊れてしまい、今までの修辞や思想がもう通用するとは無意識に思えなくなったからだろう。一切をチャラにしてからしか始められなかったのだ。穂村弘(1962-)がかつて言った「修辞の武装解除」「棒立ちの歌」とはこういうことでもある。

 そして安川奈緒も似たようなことを言っている。再び2010年『メランジュ』でのレクチャーより。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#

詩人が詩を書くときの「主体」は、散文家が散文を書く時のような一方通行的な高邁な思想とは無縁で、それどころか詩人以外の一般的「主体」より一段低いところに身を置き、この世界の受容体とならなければいけない。そして世界中から受容したことを言葉へと変換させ叙述する。それが真の詩人なのだ。

 要は、詩人は地べたを這いつくばれ、ということだ。地べたを這いつくばって世界中から受容したことを言葉にしろと。そうでないと今の時代、真の詩歌は書けないと。今までとは違う時代なんだと言いたいのだろう。これは斉藤斎藤が吉川宏志(1969-)の短歌を「地べたから5ミリほど浮き上がっている」『井泉No.19』(2008年)と批判したことと似ている。今の時代1㎜たりとも浮いていては真の詩歌は書けないのかもしれない。詩歌にとってなんと辛い時代だろうか。

 そして永井祐は無意識に地べたを這いつくばる。

  太陽がつくる自分の影と二人本当に飲むいちご牛乳
  日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる
  ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅に着くこと

 これはもう地べたを這いつくばることを愉しんでいるとしか思えない。まるでそれが自身の存在証明であるかの様に。そしてこの世に真実なんぞどこにも存在せず、在るのは事実だけであるということを愉しんでいるかのようだ。

 斉藤斎藤と永井祐の登場で現代短歌のフェーズが明らかに変わった。今まで培ってきた詩歌の資産を一旦ゼロにして短歌のフレームはそのまま。短歌のフレームのみを残した、(短歌的な)無からの出発。穂村弘が、OSが変わったと言ったのはこのことではないのか。だがOSを変えずにしかも様々な詩歌の資産を受け継ぎながらも現代短歌のフェーズを明らかに変えた歌人がいる。瀬戸夏子(1985-)だ。

第二歌集『かわいい海とかわいくない海 end.』(2016年)から。


  片手で星と握手することだ、片足がすっかりコカコーラの瓶のようになって
  心臓が売り物となることをかたときも忘れずに いつかあなたの心臓を奪うだろう
  眠らないままでいるからすくなくとも今世紀は鋏でくりぬく苺のかたち

 モダニズム詩から前衛俳句、前衛短歌、現代川柳と培われた修辞技法の延長上で、その中でも特に阿部完市(1928-2009)、安井浩司(1936-)、攝津幸彦(1947-1996)等のポスト前衛俳句とも呼べる俳人たちの修辞技法の影響が色濃いと筆者は感じるが、その卓抜した言葉の選び方、その言葉の組み合わせ方、それを従来の短歌韻律とは全く違う韻律で統率する独特のリズム感、そして最も肝心なのはそれら斬新なことから、決して偶然ではなく生じてくる奇跡的とも言える短歌的愉悦。それだけで十分に鑑賞に値するが、そんなことばかり言っててもそれは批評にはならない。批評することがこれだけ困難な歌人は他にいないのだが、それでも何とか批評して伝えたいというこの世で最も無謀なことをさせようとする歌人だ。
 瀬戸夏子を批評するには様々な切り口があるだろう。ありすぎて考えれば考えるほど混乱を招くばかりだ。そこでここでは瀬戸が特に影響を受けたという彼女と同世代の詩人安川奈緒の観点から批評を試みたい。それで少し整理ができるはずだ。
 もう一度、安川奈緒のレクチャーから再掲する。
 http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-242.html#


 詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。

 同じく瀬戸夏子の第二歌集から。

  雪もない宇宙のいない血のいない 場所でよいにおいにてやすらかに死ね
  緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる
  絵にすればスイッチと言う死の前日のダンスと言えばわたしだと言う

 安川奈緒的に言えば、これらは、決して文脈を自分でバラバラにしたのではなく、(誰かに)バラバラにされた後、もう一度輪郭を取り戻そうと必死の形相でことばをつないできている、ことになる。これら3首もそんなふうに思えないだろうか。実際につなぐことに成功しているかは別として、そのつなごうという意志が伝わってこないだろうか。
 言い方を変えれば、桜井夕也が『未来』2019年1月号の「無意味nonsenseをめぐって」で言及したように瀬戸の短歌は「象徴秩序と意味関連が徹底的に攪乱されている」のではなく、つまり自分で攪乱したのではなく、一度(誰かに)攪乱されてしまったものから象徴秩序と意味関連を新たに再構築しようとしているのではないか。つまり順序が逆なのかもしれない。そう考えた方が詩歌にとっては建設的だろう。以下の3首でその経緯を説明してみる。

  たった一言の手紙にも似て真夜中にひとしく生きた無傷のエンジン
  性能は断崖に似る婚姻は生きていく筈みぞれを含んで
  笑っている 傍らの丁寧なくちぶえ 下から上へ戦争カタログ

一首目、〈手紙〉と〈エンジン〉は本来つながらない。だが〈似て〉でなんとかつながり、〈たった一言の手紙にも似て〉単純で、世界の底を通奏低音のようにしかも無傷で活動し続ける、何か世界を駆動させているしっかりとした〈エンジン〉のようなものを象徴として提示してきている。その〈無傷のエンジン〉に安心するか不安になるかは読者次第だ。
二首目、〈性能は断崖に似る〉〈婚姻は生きていく筈〉は全くつながらない。だが最後の〈みぞれを含んで〉で婚姻というものが断崖にも似た性能でしかも〈みぞれを含んで〉ずっと生きていくのだと、婚姻とはそういう峻厳なものだと、身につまされるものは見事に身につまされてしまう。婚姻の本質を突かれたようでそういう人は呆然とするだろう。
 三首目、〈くちぶえ〉と〈戦争〉は当然つながらない。しかも〈戦争カタログ〉である。この世に〈戦争カタログ〉なる呼び名は無いが、実際にはそういうカタログがあるだろうとは推測はできる。だがやはりこれは瀬戸がこの世界に切り込むために造った造語だろう。〈丁寧なくちぶえ〉の〈丁寧な〉はいったい何を示唆するのか。〈下から上へ戦争カタログ〉の〈下から上へ〉は何のことか、謎だらけだ。見事にバラバラである。だが最初の〈笑っている〉で、〈戦争カタログ〉を笑いながら眺めているような不穏な忌避すべき存在が浮かび上がってくる。そして〈丁寧な〉口笛を吹いている奴がいる。 〈下から上へ〉積み上がっていく戦争を丁寧に笑いながら眺めている、いったいそれはどんな存在なのか、問いだけが宙吊りになり、読者はこの世界に冷やっとした悪寒のようなものを感じずにはいられない。

 確かに桜井夕也の言うように、瀬戸自身が攪乱してバラバラにしてしまったところもあるだろう。そしてそれだけで終わっている歌もあるだろう。だがやはり瀬戸夏子は一度バラバラになった象徴秩序と意味関連を最終的には再構築したいのではないか。そしてその再構築するときに同時に生じる、世界への新たな解釈と短歌的愉悦。その一瞬に瀬戸夏子は賭けているのではないだろうか。

 最後に、「無からの出発」をよりわかりやすい形で無意識に歌ってくる西村曜(1990-)を紹介して終わりにする。

 第一歌集『コンビニに生まれかわってしまっても』(2018年)より。

  コンビニに生まれかわってしまってもクセ毛で俺と気づいてほしい

 1990年生まれということはおそらく生まれたときからコンビニが広くあったのだろう。だからこそこの比喩が自然に出てくる。比喩というのはその言葉が体に馴染んでないと自然な感じにはならない。おそらく西村にとって、コンビニは世界の構成要素の根幹の一つに違いない。コンビニが無い世界は水が無い世界ぐらいありえないのかもしれない。だがこの比喩はコンビニ以前の商業形態をおよそ無化してしまう。だからコンビニがなくても全く困らない筆者のような世代からすれば、あまりに唐突でありそこにインパクトがある。あらゆる商業形態の80%が最初から無かったような殺伐とした気分に追いやられ唖然としてしまうのだ。豊かなはずの世界が豊かではなくなる。「無」とまではいかないが「無」に近い状況を生み出してくる。コンビニに生まれかわるということは人間を辞めるということと同時にその「無」に近い状況からの出発でもあるだろう。〈クセ毛〉がコミカルで可愛いところがいいアクセントになっている。

  からっぽの子宮を満たすためだけに宿す子の名は「空港」とする (『未来』2020年3月号)

 作者は女性で、これはもちろん妊娠の歌である。だがこれほど殺伐とした妊娠の概念が他にあるだろうか。sora歌会でこの歌を発見した時の戦慄を今でも覚えている。女性が子供を宿すということは新たな命を宿すということで、これほど尊いことは他になく、大なり小なり喜び溢れる命の賛歌になるはずだ。それを子宮が空っぽだからその空っぽを満たすためだけに私は子を宿してやる、文句あるか、と世界に対してメンチを切ってしまっているのだ。この歌の背景にあるのは完膚なきまでの「無」である。そしてその「無」に子を宿すことで「無からの出発」を果たそうとする。これほどの「無からの出発」が他にあるだろうか。

  独り身のバイト帰りの自転車の俺を花火がどぱぱと笑う  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  会釈してそののち僕を殺すから未来とは目を合わせないんだ  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  もう二度と生まれてこないわたしたち製氷皿に張り詰める水  『コンビニに生まれかわってしまっても』
  いつからか明日はなくなり今日の日と今日の隣の日が続くのみ (『未来』2018年12月号)
  菜の花の一つひとつのまばゆさをすべて奪うと菜の花ばたけ (『未来』2019年7月号)

 西村曜は新しいOSに乗っかりながらも、従来の修辞技法もある程度取り入れ、斬新でありつつ解りやすい。そして世界とたった一人で対峙する覚悟を感じることのできる数少ない歌人だ。期待したい。

 安川奈緒は、短歌には全く興味がない、とかつて筆者に語ってくれた。にもかかわらず2010年の安川のレクチャーは、ニューウェイブ以降の現代短歌の変革の一側面を言い当て、そのあとの変異までも予言してしまったと言っていい。ひょっとして、美意識や価値観、文体的にも近い瀬戸夏子の短歌に出会っていたら、短歌に興味を持ってくれたかもしれない。しかしおそらく出会うことなく、2012年に世を去った。残念でならない。

 今、新型コロナウィルスというかつてない程の巨大な粉砕王が通り過ぎようとしている。また詩歌に新たな変革をもたらすのだろうか。そして自分自身の文学観も変わってしまうのか。それは全くわからない。あまりに巨大すぎて、気持ちそのものが文学から遠ざかってしまわないよう、文学の変遷を注視していくしかない。(了)

短歌時評158回 「あなたの歌は寂しいね」 千葉 聡

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 高校で国語を教えている。その日々を短歌やエッセイに書き、発表してきた。
 本名で紙誌に書いているし、僕の本は高校図書館の入り口に並べてもらっているから、校内のすべての人が「ちばさとは歌人だ」と知っている。同僚は、何か面白いことがあると「これ、作品の題材にならないかなぁ」と言って、僕に教えてくれる。生徒たちは「いつかわたしたちのことを短歌に書いてください」と言ってくれる。
 学校でいいことがあると、帰り道も楽しい。「今夜はこのことを書くぞ」と意気込んで、早く家に帰ってパソコンの前に座りたくなる。バスの窓から夕暮れの町を眺めて「俺は本当に恵まれているなぁ」とつぶやく。
 だから、今までに書いた本は、だいたい同じ路線になった。「学校でいろいろなことがある。不慣れな教員『ちばさと』は失敗したり、苦労したり。それでも生徒や同僚にささえられ、最後には立ち直る」というパターン。実生活そのものだ。
 どの本も心をこめて書いた。自分のダメなところを思い切ってさらけ出した。個人情報保護のために出来事の設定を少し変えているものの、事実を曲げずに書いた。でも、だからこそ、どうしても同じパターンになってしまう。
 読後感がさわやかです。明るい短歌に元気をもらいました。熱血教師ですね。わたしもこんな学校に通いたかった……。みなさんからあたたかいご感想をいただいたが、自分としては「このまま同じようなトーンで書き続けていいんだろうか」と悩むこともあった。
 去年、短歌の会合で、ある先輩歌人から話しかけられた。
「ちばさとの歌って、とっても寂しいね」
 その先輩の顔をまじまじと見つめた。
「寂しい、ですか?」
「そう。あなたの歌は寂しい。とっても寂しい」
 何も言い返せなかった。寂しい? 本当に? その 逆だと思っていた。明るく元気な短歌が「ちばさと」の持ち味だと思っていたのに。
「どこが、どんなふうに寂しいと思われたのですか」
 口ごもった末に、僕がなんとか質問すると、先輩はほほえんだ。
「それはね……」

   *   *   *


 コロナウイルスの感染はおさまらないが、新しい歌集は次々と刊行されている。短歌という小さな定型詩が、どれだけ人々のささえになっているかを実感する。
 コロナ禍で出版された歌集には、「明るい」「寂しい」のような大きなことばでは括れない、どこか揺らぎがある通奏低音を感じる。
 小島なおの第三歌集『展開図』(柊書房)には驚いた。それまでの歌集では、若い感性を通過した透明感のある歌を前面に出していたが、この歌集で小島は、周囲をこまやかに見つめる歌に重きをおくようになった。

  思うひとなければ雪はこんなにも空のとおくを見せて降るんだ  小島なお『展開図』

  海に向く背中ばかりの海にきて海もまた後ろ姿と思う


 雪をもたらす白い空を「空のとおく」と詠む。今、この身に降りかかる雪のふるさとがどこにあるのか容易に認識できないほど「とおく」。「とおく」には、わからないままに「どこかとおく」と言っているような、子どもが果てしなさを知った瞬間のような心もとなさがにじむ。「空のとおく」が、空をただひたすら眺めたあとで得たひとことのように思えてくる。
 海を見て感傷的な気分になるというパターンの歌は多いが、海を「後ろ姿」と詠んだのは小島が初めてではないか。なんて大きな「後ろ姿」だろう。海、海を見ている人々、そしてそれらすべてを見ている人。「後ろ姿」ということばの寂寥感を、海と人々をじっと見つめているという、その行為のまっすぐさが、わずかに救っている。
 工藤吉生の第一歌集『世界で一番すばらしい俺』(短歌研究社)を二回読んだ。仕事から帰り、家の用事を済ませ、なにげなく歌集を手にしたら、途中でやめられなくなり、最後まで一気に読んだ。そして、二回目はじっくりと一首一首を味わうように読んだ。すぐれた短編小説集のような一冊だ。
 工藤は、くすんだ日々をなんとかやり過ごしている青年の姿を丁寧に描く。「自分がどんなにダメなのか」を詠むことは、時に露悪的にも偽悪的にもなる。


  田舎芝居「平謝り」を披露してそのブザマさにより許される  工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』


  膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺


 ダメな自分をくっきりと詠んだ二首を抜き出した。だが、この二首だけでは歌集全体の雰囲気を伝えきれない。描かれている青年は、ダメで、自らのダメさ加減をわかっていて、それでもしたたかに生き抜こうとする。この本を最初から読むと、多くの読者は途中までは「なんてダメな男だ」と軽くあしらおうとするだろう。だが、後半の連作「車にはねられました」あたりから、この青年の心模様が、読者自身の中にも確かにあると気づくだろう。最後の一首に至ったとき、読者はきっと、この青年をいとおしく思うようになる。一つの色に染め上げられない作品世界が、どんな姿かたちをとっていてもそれが自分らしさにつながっているしたたかさが、だんだんと心地よいものに思えてくるだろう。


   *   *   *


 短歌の先輩はどこか遠くを見るような顔をしながら話してくれた。
「ちばさとの短歌は、人を信頼する、人のいいところを認める、人を好きになる、という方向性が決められている。人をあたたかく見つめようとすると、その方向性に合わないものを排除しようという意識が強まる。わたしは、あなたの作品が強いプラスをめざせばめざすほど、あなたがあえて詠まない寂しさのほうを感じてしまうの。ちばさとの本は、明るさと元気さに満ちている。だからこそ寂しいの」
 先輩はさらりと言った。反論はできなかった。でも、何も言わないままでお別れするわけにはいかない。僕はマヌケな声で「ありがとうございます」とかなんとか言った気がする。
 他の人が話しかけてきた。先輩はそちらに挨拶をかえしたりして、なんとなくこの場は終わりになるような気がした。僕が立ち去ろうとすると、先輩は最後にこう言った。
「だからね、ちばさとは、思い切り今の方向に進んでみたら? まだ誰も進んでいない道かもしれないよ」
 そんな単純なことではないだろう。でも、創作者は常に考えている。どのように、何をめざして書いていくべきか。歌人なら、次に詠む一首によって、進むべき方向が見いだせるかもしれない。一首、また一首、詠んでいくしかない。その末に、先輩の示してくれた道もあるかもしれない(が、今はまだわからない)。
 こうして時評を書いていると、自分がしっかりした物書きであるかのように錯覚しそうになるが、とんでもない! 僕は今、迷い、悩み、なんとか書いている。
 新しい歌集を手にとるたび、「この人には負けられない」と思ったり、「短歌って、本当にいいなぁ」と泣きたくなったりしながら。

短歌評 世界に対する生々しい声が脳内に響く。『ホスト万葉集』を読む 谷村行海

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  札束が入りきらないATM退職金も入らぬホスト 鳳堂義人

 ホストと聞くとどのような姿を思い浮かべるだろうか? 女性に囲まれ、大金に埋まりながら、煌びやかな世界で暮らす姿を想像する人の方が多いことだろう。とは言え、それはあくまでもホストの一面にしか過ぎず、現実はかなり厳しい。
 先月、Smappa! Group会長の手塚マキ氏と在籍ホスト75名によるアンソロジー歌集『ホスト万葉集』(短歌研究社発行、講談社発売)が出版され、今ここでその短歌評を書いているわけだが、正直なところ、最初はすぐ読もうとは思わなかった。カバーに掲載されている短歌を読むと、お世辞にも「うまい短歌」とは思えなかったからだ。今年の夏は矢継ぎ早に歌集が出版されており、たとえ読むにしても後回しにしてしまおうと考えていた。
 そんな考えを抱いていた折に、書店でこの本を目にし、ぱっと開いたページに載っていたのが冒頭の一首だ。上の句だけを見ると、世間一般にイメージされるリッチなホスト像が想起される。しかし、下の句は衝撃的だ。よくよく考えてみると、ホストは店やグループに所属してはいるものの、その実態は個人事業主でしかない。たとえ今が豊かな日々を送れていても、人気に翳りが出始めた頃には、生活の保障などない。店やグループにもよるだろうが、一般的な会社員と同じように退職金が手に入ることも少ない。そう考えると、この一首には、世間でイメージされるホスト像ではなく、その現場の真に「リアル」なホストの姿が落とし込まれていることとなる。
 そうなると、ホストの生の声はどのようなものかを俄然知りたいという気持ちが募り、真っ先にこの歌集を読んでいくことにした。

  スーパーの野菜の値段ケチるけど飲んでる酒は定価十倍 藍之助

 この歌では、もてなす側の目線から客の注文した酒を冷静に分析している。オフの日には野菜の値段を少しでも安くしたいと思う主体だからこそ、店側が提供している酒の値段に驚愕してしまう。ホストとしての主体と一個人としての主体とが綯交ぜになった歌だ。また、さらっと流して書かれてはいるが、「野菜の値段ケチる」という以上は、まだ売れていないホストとしての人物像も見えてくる。
 余談だが、二年ほど前に歌舞伎町にある二郎インスパイア系ラーメン店、佐藤製麺所を訪れた際、なぜかシャンパンがメニューに鎮座しており、確か一万円近い値段がつけられていた。ラーメン店だからこそ高いと感じたが、ホストクラブでは普通の値段なのだろう。これもあくまでも客側として見た場合ではあるが。

  キッチンでグラスひたすら洗いつつ余ったシャンパン片手に晩酌 芝
  

  ムカつくよ! 初回で使う博多弁あいつモテすぎ! 禿げそうマジで 朋夜

  新人を叱る先輩売れてない人の振り見て我が振り直せ SHUN

  お茶を引く肩身のせまい新人は指名欲しさに初回バリアン

 私はホストの世界に詳しくないのだが、ホストの世界は人の移り変わりが激しいとよく耳にする。私の友人に北九州のホストクラブで働いていた者がいるが、彼も一か月で店をあとにしていた。そんな移り変わりの激しい世界だからこそ、売れるホストになるための競争も手厳しい。
 一首目の歌は、場内で接待を行うのではなく、主にヘルプなどにつくホストのものだろうか。華々しい世界の裏でひたすら雑用に回される日々。先ほど挙げた友人は、ヘルプに入ると客を盛り上げるために多量に酒を呑むはめになり、毎日泥酔してそれがつらかったと言っていた。しかし、この歌では裏方で「晩酌」をしている。酒を味わっているのだ。ひょっとすると、もう酒など見たくないほど呑んだかもしれないのに。余ったシャンパンを冷静に味わうことで、いつかは自分の力で客から指名を受けて注文を取り、これを呑んでやるのだという静かな闘志のようなものがうかがえる。
 または、作者が完全な裏方に徹している可能性もある。ホストの厳しさに反し、少し落ち着いた世界の様子がやはり「晩酌」に描かれ、少しアイロニカルな印象を落としている。
 二首目は中堅ホストのものだろうか。新人が入ってきたのだが、その新人がどうにも接客術に長けている。しかも、博多弁まで携えて。私見だが、ほかの方言に比べて博多弁は間延びした耳障りがあり、ほのぼのとしたポジティブな印象を受ける。煌びやかな場内の雰囲気ともマッチし、この方言は強力な武器になりうる。もしかすると、今後ナンバーが付くホストに育つかもしれない。そんな主体の危機感が、激しい言葉遣いと感嘆符の多様として歌の中にあらわれる。これらの言葉遣いをただ単に多用するだけであれば、雑にとられるかもしれないが、最後の「禿げそう」のインパクトにはそれを打ち消す力強さもある。ユーモアを交えているが、ホストにとっての禿げは死活問題だ。
 続く三首目は新人目線のもの。この歌を見たとき、毎週日曜の昼に放送されている『ザ・ノンフィクション』に登場したホスト、伯爵のことを思い出さずにはいられなかった。伯爵は昔売れっ子であったが、加齢とともに人気は低迷し、ホストしての収入もごくわずかなものとなっている。しかし、過去の栄光を忘れることができず、新人に日々当たり散らしてしまう。まさにそうした先輩ホストに対する本心をこの歌は描いている。また、ホストの世界だけでなく、この歌の内容を拡張して別の世界に置き換えたときにも通じる普遍的な心理を描くことにもなっているのではないだろうか。後半の表現は慣用的で歌の言葉として弱いが、前半の内容は詠もうと思ってもなかなか詠みにくく、これだけで成功している印象がある。
 四首目は新人を俯瞰してみた短歌。なにかの番組で見たのだが、この歌に描かれた情景をアフターですぐに行うと、逆に客が離れてしまう可能性があり、最後の手段に使うホストもいるのだとか。この新人は果たしてその後に指名を手に入れることはできたのだろうか。ところで、この短歌には詠み手の名前が書かれていない。『ホスト万葉集』には、Smappa! Groupの各店舗に設置された「投げ歌箱」に投稿された歌や、グループをすでに退店したホストの歌も収録されており、それらには作者名が付されていない。この歌が前者と後者のどちらかはわからないが、後者だとすれば、この俯瞰していたホストもすでに過去の人間となってしまったこととなる。作者名無記名の歌が連続するページもあり、読み進めるうちにホスト業界の移り変わりの激しさも実感されてしまう。

  呑みたいな 今日もたくさん 呑みたいな気分がいいから 今日はシャンパン 江川冬依

 ここまで見てきたのは、どれも新人・中堅(と思われる)ホストの短歌。上に挙げた短歌の作者は、Smappa! Groupの1つであるOPUSTの店長。店長から見る世界では、接客業だけに従事するホストと世界の見方も変わってくるのだろう。
 最初、『ホスト万葉集』を最初から最後まで通読したとき、この短歌には一切目を向けなかった。しかし、読後に短歌を作ったホストたちがどのような人物なのか知りたい気持ちが募り、調べてみたところ、作者が店長であることを知り、それをふまえると歌の印象が180度変わることとなった。
 最初に読んだときは、コールのようなものを想起し、内容がいささかストレートすぎると感じてしまった。しかし、店長であることをふまえてみると、一字空けの多用が、店に点在する客やホストの言葉の集積のように読めてくるではないか。ホストとして接客業だけに従事していた時代から変わり、店長になった今、店を俯瞰してみているのだ。その目に映る店の世界は、煌びやかなものか、それとも一夜で消えてしまう夢のように儚いものなのか。

  良い匂いどこの香水つけてるの 気づけよこれは俺のフェロモン Ryo-Ma

 最後に、明るめの歌を一首引いてみる。先に挙げた歌はどれもホストの境涯詠とでも言うべきか、どこか暗い印象もあった。私がホスト世界の厳しさに踏み込んだ内容の歌に惹かれたということもある。だが、この歌の場合、私には絶対に詠むことができないフレーズの力強さに惹かれてしまった。一般の歌会に「気づけよこれは俺のフェロモン」というフレーズを含んだ歌を出した場合、失笑の声が漏れ聞こえてくるのではないだろうか。しかし、こんなフレーズは今までにあっただろうか。ナルシシズムを肯定することで、歌を一歩先の世界に持ってきていると見ることもできる。ホストという立場だからこそ、歌を詠む「我」を前面に押し出すことができ、容易にはできない芸当の1つだ。


 以上、『ホスト万葉集』掲載の300首ほどの歌からいくつかを引いてみた。
 冒頭でもふれたとおり、技術的には弱い部分が目立つ。しかし、詠まれた世界、歌にあらわれる言葉の一つ一つはどれもが初めて目にするものばかり。技術は後からでもついてくる(と私は信じている)。人が詠めない世界を詠みあげることも重要ではないのか。
 日常に埋没してしまった感性を復活させ、世界に対するまなざしを研ぎ澄まさせてくれるには十分な一冊と言える。

短歌時評159回  問題山積みで静かな歌 大松 達知

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 高橋源一郎は、『「読む」って、どんなこと?』(NHK出版・2020年7月刊)の中で、『AV女優』(永沢光雄のインタビュー集)を主な6冊のうちの1冊に取り上げる。明治学院大学の講義の教材としてずっと使っていたと明かし、「学校では教えない文章」が載っているからだとその理由を述べる。そのあと、


たくさん問題を産み出せば産み出すほど、別のいいかたをするなら、問題山積みの文章こそ「いい文章」だ、ということです。つまり、その文章は、問題山積みのために、それを読む読者をずっと考えつづけさせてくれることができるのです。


問題山積みの文章だけが、「危険! 近くな!」と標識が出ているような文章だけが、それを「読む」読者、つまり、わたしやあなたたちを変える力を持っている、わたしは、そう考えています。


と、わかりやすく挑発している。
 こういう文章論を扱ったものを読むとき、短歌作者なら詩歌の状況と比較してしまうのではないだろうか。この場合も、「問題山積みの歌こそいい歌だ」と置き換えて、どんな作品が該当するのか思いをめぐらせるかもしれない。現在ならたとえば、斉藤斎藤や瀬戸夏子などを思うだろうか。あるいは水原紫苑や川野芽生を連想するかもしれない。さかのぼれば、前衛短歌は「危険! 近くな!」の標識に近かったのだろう。たしかに、彼らの歌はわれわれを(そして短歌そのものを)変える強い力を持っていたのだ。


 しかし、同じ本の中で高橋源一郎は鶴見俊輔の最晩年の日記『「もうろく帖」後篇』(編集グループSURE)もテキストとして使う。例えば鶴見の89歳のときの記述。


「二〇一〇年一二月二〇日


 私は若いときから老人を馬鹿にしたことがない。だから、いま、自分が老人になっても、私は自分を馬鹿にしない。」


「二〇一一年五月二〇日


 自分が遠い。」


「二〇一一年一〇月二一日


 私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもいいが、私は、私の生死を妻の決断にまかせたい。」


などを引く。そして、


どうですか。すごく静かな文章だと思いませんか。逆にいうなら、世間や社会で生きているわたしたち、学校で教わっているわたしたちが読む文章は、ちょっとうるさすぎるのかもしれません。
 それは、おそらく、「社会」で生きている人たちに向けて書かれた文章ばかり読んでいるからじゃないでしょうか。


 社会には、たくさんの人がいて、いろいろとおしゃべりをしている。その中で書かれた文章は、おしゃべりの中でも聴こえるように、ちょっと「大きな声」で書かれているからなのかもしれません。


 これも、現在の短歌をめぐる状況を考えさせる。ただ、このごろの新作短歌が必ずしも「うるさすぎる」とも「大きな声」だとも思えない。そもそも韻文への評としては、うるさい、大きな声、は合わないのだろう。そもそも短歌は「社会」で生きている人たちに向けられているとも限らない。どちらかと言えば、日記のような役割にも近い。
 高橋は読者を混乱させ鼓舞しようとする書き手。前出の「問題山積みの文章」「すごく静かな文章」の両者を良しとすることの矛盾はどうでもいいことなのだ。


 いや、その両者は韻文であれば両立するのかもしれない。
 近刊の中では、工藤吉生『世界でいちばんすばらしい俺』(短歌研究社)が、とてもよかった。短歌のストレートな力のあり方を思い出させてくれた。ブンガク的な試行とかナントカ論のようなややこしさを抜きにした、短歌と向き合う原初的で素朴な感情が前面に出ている。作者の内的な圧力が昇華されているようであった。(前々回の千葉聡さんの時評でも取り上げられていたけれど。)
(歌の頭の数字はページ番号を示す。)


  028 うしろまえ逆に着ていたTシャツがしばし生きづらかった原因
  064 N君の家が床屋であることをどうして笑ったんだろオレは


 このあたりの自意識の出し方は、短歌の伝統を継ぐ。
 一首目。「生きづらかった」は通常はもっと長い時間を指す言葉だ。例えば、実家暮らしのころは生きづらかったけれど今はなんとかうまくやっている、のように。それを「しばし」のあとにつけて直近の時間(5分くらいかな)を愛おしむ。たとえ5分でも人間の貴重な時間ではあるし、50分とも5時間とも、軽重ははない。一瞬を大切に思う心が見える。かつて宮柊二が言った「生の証明」に直接つながる視点だ。もちろん「生きづらかった」をさらっと使える背景には、じっさいにもっと長い期間を「生きづらかった」という感じていたにちがいない。


 二首目。子供のころの自分をよく記憶して恥じている。反省しているというよりも直感的に驚いている。そのナマの瞬間をそのまま記しているのがいい。考えすぎていない(ように見える)言葉だから読者にもそのざらっとして置き所のない心が伝わるのだろう。


  027 パトカーが一台混ざりぼくたちはなんにもしてませんの二車線
  086 考えず腕組みをして不機嫌に見えそうだなと思ってほどく
  088 全身に力こめれば少しだけ時間を止められないこともなくない
  097 坂道でアイス食べてもいいかねえだめかねえもう三十八歳
  120 ストローで飲み終えた後しばらくはスースースースー吸う男性だ


 これらも「自意識」がわかりやすい歌。解釈は不要だろう。


  この客はよくヨーグルト買う客と思われておらむ、ほどの自意識 永田紅『ぼんやりしているうちに』
を引くまでもない。わざわざ短歌で表現しようとすることが自意識のカタマリが為せるものなのだ。ただし、表現するときに言葉面での工夫をしないと歌としての品が保てない。その一方、表現面を工夫しすぎると意味が伝わりにくいこともある。そのバランスが短歌の永遠のテーマのひとつだろう。工藤作品はわずかな恥じらいを隠さず、しかし結局はすべて言ってしまう。その潔さ(ノーガードでパンチを受け続けるボクサーのような)が、俗な言い方だが、心を抉るのである。


 その反対は、伝わる人を限定する(つまり、伝わらない人を切り捨てる)とか、故意に謎を残して楽しませようとする方向である。高橋千恵『ホタルがいるよ』の跋で三枝昂之が「全体をわざと欠いたままのこうした歌の表現法は東直子あたりから広がったように思うが」と書いている。(高橋の歌はその対極にあるのだが。)うまくゆくと(あるいは読み手の性向によっては)力を発揮するのだが、このごろはやや「やり過ぎ」の傾向が強いように思う。近刊では、千種創一『千夜曳獏』、阿波野巧也『ビギナーズラック』、榊原紘『悪友』、などにそう感じる。


 それらと対置すると工藤の歌集は、ある意味では「問題山積み」でありながら、かえって「すごく静か」に見えてくる。


 さて、小島なお『展開図』(柊書房)も、千葉聡さんが前回の時評で触れている。彼女の歌は抽象度が高く、謎を含む。しかし、一首のどこかに現実とつながる回路が明確に書き込まれていて、「やり過ぎ」ではない。どれもじゅうぶんに筋の通った解釈はできるし、読者を限定しないし置き去りにもしない。適度な重石がついていると言ってもいい。
 例えばこんな歌。


  081 体内に三十二個の夏があり十七個目がときおり光る


 先日、同人誌「コクーン」の仲間十五人ほどでZoom読書会(十首挙げてコメントをつける)でも評判だった歌。32回の夏を過ごしたうちのある夏がなぜ光るのかは書かれていない。高校生としての恋愛や失恋や旅行などのさまざまな思い出を読者は想像するだろう。巧い歌である。(32が6つの数字で割り切れるのに対して17は素数。31回個の夏のうちの16個目ではだめなのだ。)
 しかし、私はそれ以上に結句の「ときおり光る」がたいせつな重石になっていると思う。仮に、今現在光っているという表現やずっと光っているという表現(「あかるく光る」「しずかに光る」「白く光れり」、どれも最悪だけど)にすると「強すぎる」のだ。
 ここはそっと気付かないうちに必要な瞬間(自分が生き方に迷うとき、不安を抱えるときなど)にときおり光ってくれる、という抑えが効いているのだと思う。それが歌全体に説得力を与えているのである。


  063 ふりだしに戻る、のような秋のそら鞄を下げてバスを待つとき


 この歌にも同様のことを思う。「鞄を下げて」は、読者との身体感覚の共有を容易にさせる地味な一句だ。が、それ入ることによって、上の句の大柄な比喩に実感を与えているのだ。もしかすると、千種創一や榊原紘の歌に私が欲するのはそういう「重石」(説得力と言ってもいい)なのかもしれない。


  033 雪を踏むローファーの脚後ろから見ている自分を椿と気づく 『展開図』
  072 缶詰をあければ満ちる海の私語わからないけど立ったまま聞く
  084 呼び出し音鳴りやむまでを電話機の非通知の文字箸持って見る
  135 丸椅子に足を垂らして身体はすこし透けるという時のある


 蛇足になるが、これらの「ローファー」「立ったまま」「箸持って」「丸椅子」はそれぞれ、主役級の俳優が脇役を演じているような存在感がある。彼らに居てもらうことで画面が引き締まる感じだ。短歌のうまさとはこういう出し入れの技術も大きいのだなと感心した次第。強引に言えば、こうした技術が、わたしたちを変えるほどの問題山積みの表現でありながらも、すごく静かな一首に変えているようだ。
 高橋源一郎さんは穂村弘を世に出した人である。(たしかに、穂村さんの初期作品は「問題山積み」で「静か」な秀作揃いであった。)工藤吉生や小島なおの作品をどう読むだろうか。(2020.8)


短歌評 静かで淋しいファンタジー~佐佐木定綱『月を食う』を読む 平居 謙

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    0 はじめにー最近の短歌たち


 ここ1年半ほどの間この「詩客」の短歌評のために、集中的に「ごく最近の短歌」を読んできた。もちろん集中的にと言っても、それまでの僕と比べてということだけであって、歌壇の何物をも知っているわけでもない。それでもどことなく若い人たちの書く短歌の全体としてのありようが、少しつかめた感触はある。短歌の最現在に対して、僕は最初とても感心した。よくぞこんなところまでやってきたものだ、という感じがしたからだ。こんなところまで、というのはまあ一言で言えば「短歌くささ、定型くささを感じさせない最果て」くらいに言えばよいだろうか。≪これならばもう短歌とか定型とかいう枠組みを超えて、僕が長年書いてきた「詩」として普通に読める≫というそんな印象さえ持ったのだった。ところが、これがいけなかった。




1 静かな短歌が読みたくなったー佐々木定綱『月を食う』


 「短歌くささ、定型くささを感じさせない」ということは「短歌らしさ、定型らしさを感じさせない」ということ、もっと言えば「短歌らしい良さ、定型らしい良さすら感じさせない」ものでもあることに気付くと、急に気持ちが醒め始めた。最現在の短歌をいざ、「詩」として読もうと垣根を取り外してみるやそれはただ単にのっぺりとした、詩としても下らない下らなさすぎるたわごとの部類でしかないものに出会う確率が増えてくる気がした。これまでこの詩客で論じた千種創一『砂丘律』や薮内亮輔『海蛇と珊瑚』のレベルを持った対象を探すことは、現代詩の中において何冊ものちんすこうりな『青空オナニー』や最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』を探し当てることと同等以上の血眼が必要であることを直感した。僕は、派手でなくてもいいのでもっとまともで静かな短歌を読みたく思った。一群の「流行病」的な短歌傾向を持たないものを求めていろいろと書店を物色し、できるだけ地味で静かそうなものを探そうとした。それが佐々木定綱『月を食う』だった。著者の佐々木定綱は、巻末のプロフィルによると1986年東京生まれ。「心の花」所属で第62回角川短歌賞を受賞している。祖父は佐佐木信綱、父は佐佐木幸綱という学者・歌人の王道家系に生まれている。読み進めてゆく中で驚愕はないが静かな落ち着きと諦めがある。「流行り病たち」にはない短歌の良さが確かに残されている。




2 確かにある激しさ
  
 今、驚愕はないが、静かな落ち着きと諦めがある、と書いた。しかしそれは、老成していて30代半ばの書き手の荒々しさとか悪意とか、また逆に迷いとか不安とかが何一つないという意味で言うのではない。全体に静かな分激しい歌が現れると如何にも唐突に光る刃にようにその存在が際立って見える。確かに激しさは存在している。


  恨みなく敵意もないけどハンドルを這うナメクジを叩き落とした(P10)


  YouTubeで知らないブルース聞きながら煮込めば歌う細切れの豚(p45)


  伸びきったまま戻らない電灯のひも思いきり引きちぎる夜(p64)


  アルパカにつばを吐かれてこの世界腐臭を放て心ゆくまで(p73)


  撥ねられて体外に飛び出している猫の瞳にひろがっている春(p77)


 最初の「恨みなく」の歌は「ナメクジを叩き落と」すという表現の中に気味の悪い他者に対する本能的な嫌悪が認められる。「払い落す」とか「指で弾く」とかではないわけだ。瞬間的に反応する激しさ。これは若いエネルギーの放出でもある。2番目の「YouTube…」は≪知らないブルース聞きながら≫知らないうちにそれに合わせて歌ってしまっていたと読むことも可能である。ところどころ、魂の叫びのように、激しく歌う語り手の姿を想像する。(同時に僕の頭の中では「細切れの豚」が歌いながら踊っている。ファンタジーだが、その主体が「細切れの豚」であるところに悲哀を感じる。)その次の「伸びきったまま」の歌は「電灯のひも思いきり引きちぎる」ことにより引きちぎられるのは、ひもではなく「夜」そのものでさえあるような感覚を持たされてしまう。4首目の「アルパカ」の歌を読むと「アルパカ可愛い~💛」とか言ってる女のコたちに代表されるステレオタイプの思考と言葉が随分軽薄に思われてくる。昨秋フィールドワークである動物園に行ったとき、一人の女学生が虎におしっこを掛けられていくら洗っても匂いがとれなくて泣きべそをかいていたのを思い出した。この歌の文句とおり現実の「この世界」は「腐臭を放」つほどに臭くてたまらないのだ。それを直視するのが詩であって、この一首はまぎれもなく短歌形式を通して読者に詩を伝えてくる。最後の「撥ねられて」の歌の激しさと言えば、わざわざ解説する必要もないだろう。「体外に飛び出している猫の瞳」という部分がリアルすぎてエグい。しかしただそういう激しさやエグさだけではなく、その凄惨な状況の中に「ひろがっている春」を見出すところによって短歌形式の中に詩が発生している。佐佐木の短歌を読むことは、詩の発生の現場に立ち会うことでもある。




3 若者らしい不安
  
 また「若者らしい不安」も随所に描かれている。「若者」と呼ばれるには微妙に中途半端な30代半ばという年齢であるこの書き手の、しかし青春そのものの中にあるちぐはぐな思いを見て取ることが可能である。


  吊革に蛇拳のような手つっこんで蛇となりたる九段下まで(p56)
  いったい告白以降の愛とはなんだよかすかな呼吸を聴いてる(p66)
  いつもより陽気な声を出すときはぼくはなんだかさみしくなる(p78)
  事件性あるらし野菜販売所の野菜を赤く照らすパトカー(p115)


 「吊革に」の歌は、べろべろになって吊革の輪っか(を握るのではなく)に手首ごと突っ込んでぐらぐらしながら運ばれてゆく書き手?の酔漢ぶりが想像される。「九段下」というピンポイントの地名が有効である。次の「いったい告白以降の」の歌は、「告白」という一つのクライマックスを超えたあとの目標を失ったような愛の低空飛行を上手に言葉にしている。これも青春真っ只中の生活からしか生まれない言葉だろう。「なんだよ」と語り手は悩んでいる。真剣だから悩むのであって、それが青春というものの証なのだ。3番目の「いつもより」の歌は、みんなが集まっている場所なんかで、普段だと沈んだ調子で喋っている自分がとってもはしゃいでいるのを自分ではっと気づいた時の感覚と読む。録音された自分の声を聴いた時など嫌になる。それと似た自分を突き放した感覚で、「青い」けれども大切な自意識だ。最後の「事件性あるらし」の歌はとても視覚的。「赤く照らす」のは「野菜販売所の野菜」でなくて「住宅街の植え込み」でも「駅前の自販機」でもなんでも置き換え得る。しかしおそらくは普段は穏やかな場所であって地域の人々の交流の場にもなっている大切な場所である「野菜販売所」の「野菜」が「赤く照ら」されることでより一層怖さや不安が募るのだ。「事件」が起きて「パトカー」が来る。自分とは本来直接関係ない事柄なのにどこか怖いと感じるのは、そのことによって自分の心の中にある不安が掻き立てられるからである。この歌はそういう人間の深層のところによく訴えかけてくる。




4 社会詠の可能性
  
 非正規雇用の店員として働き32歳で自ら命を絶った萩原慎一郎の歌集『滑走路』について佐佐木は次のように書いている。


 萩原慎一郎は絶望の真っ只中にありながらも、自己憐憫や自虐に陥らず、憎しみや怒りに身を任せず、自身を鼓舞し、進んでいこうとする。その強い姿に勇気づけられる。(朝日新聞2018年11月3日)


 佐佐木の歌集の中にも社会矛盾を主題にしたらしい歌がいくつも散見する。本人としてはそういう部分に力を入れようとしているようだが、ことさらにそういうものを前面に出している歌よりもある距離を持って歌っている歌の方が作品としては優れている。


  駆け込んで挟まれるカバンとそれを引くOLとそれを引くOL(p177)


  八千キロずれればそこは難民の行列原宿竹下通り(p177)


  暴行をされた人とか殺された人とかかわいい猫画集とか(p91)


 
 「駆け込んで」は通勤ラッシュの中で揉まれる生活を描いているのではあるが、「それを引くOL」と「それを引くOL」という構造がロシア童話「おおきなかぶ」を想起させて面白い。社会性を持ちながら、読者を引き付ける部分は喜劇的な構造である。次の「八千キロずれれば」はその距離感にはっとさえられる。現実としては「八千キロず」らす想像力を持ち得る人は少ない。それをいとも簡単に「ずれれば」などと、当然の前提のように語るところにこの歌の絶妙さがある。常人はずれた想像力で社会への突破口を開いている。最後の「暴行をされた人」「殺された人」と並列しておきながら、それらへのシンパシーを一切語らず最後に「かわいい猫画集」を配置する。これによって、社会問題に目線を置きながらも安直に被害者の方に感情移入せず社会のありようそのものに目をむけようとする作者の意識を読み取ることができる。


5 死への眼差し
 
 佐佐木の歌は社会詠の中にも一定の技術と面白みを感じさせるが、これらの短歌よりもさらに彼の良さが現れているのが次にあげるようなタイプの歌である。存在の底・死の淵を見つめるような作品が時折ふと顔を覗かせる。


  道端に捨てられている中華鍋日ごと場所替えある日消え去る(P15)


  自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす(p23)


  終終と苦しみの息する犬とエレベーターで地下へ降りたり(p42)


  まだ蟬が空を摑んで死んでいる駐車場の端で濡れてる(p84)


  おまえは生きているうち一度でも空を見たかと問う鶏肉に(p165)


 最初の「道端に」の歌は、ゴミ収集に乗り遅れたのだろうか。「中華鍋」が語り手の目線の中にいつまでも日々入ってくる。しかしそれも知らないうちに消えている。そんなほんの小さな出来事を記したものである。「中華鍋」の微妙な位置も面白い。さして珍しくはないが、かといって必ずどこの家庭にもあるというほどの日常品でもない。もちろん「中華鍋」は無機質のものであり感情移入などしようがないのである。にもかかわらず読み終えたあと、馴染みの友人がどこか遠いところに行ってしまったような軽い喪失感を覚える。「物」に共通の魂を見出す淋しく静かなファンタジーである。2番目「自らのまわりに」の歌は生々しい。机の上の魚の周りの水のたまりを「円」と言い切ったところにこの歌の成功がある。リアルに考えれば「円」でも何でもなく不定形の水の形である。しかし「円」と書くことではじめて、読者の頭の中に風景の見取り図を提示することが可能になる。「終終と」の歌に関しては、最初の5文字の音感がいい。長年連れ添っている「犬」であろう、その生き物が吐く「苦しみの息」とともに「エレベーターで地下へ降り」るのだ。当然のことながら、「屋上に上がる」では世界が完結しない。「終終と」という言葉と「死」との重みが、さらに下の句において「地下へ」という言葉とリンクしてゆく。最後から2番目「まだ蟬が」の歌の中に使われる「死んでいる」という言葉のニュアンスが絶妙だ。普段耳にする言葉であるが、考えて見ると不思議な表現である。≪死ぬ≫は決して継続することができないにもかかわらず、日本語においてはこの用法の中にのみ「死」の継続が認められる。死のシンボルのような「空を摑んで死んでいる」「蟬」の存在。この歌の中で「死」は生き続けている。




6 ユーモアと諦念  


 ここまで、佐佐木定綱『月を食う』の激しさや不安・社会性や死の直視等の要素についてみてきた。そしてこれらの要素が歌集を息苦しくしないために、緩衝材のように柔らかなユーモアを含み込んだ作品がいくつか見られるのがこの歌集にとっての長所だと僕は考えている。


  犬と我が名前を交互に間違えて笑う女を母と呼び秋(p149)


  「蟹の脳みそじゃないの」と蟹みそを食む君脳を食いたいのかい?(p152)


  お互いの鋭利なつま先ながめつつ横たわっている紙の力士ら(p157)


  鍵穴の壊れた扉が捨ててあるもうこの世界出入りできない(p159)


  刑務所の再会のごと手と額ガラスにつけてハロー、白熊(p166)




 最初の歌は、もし「犬と我が名前を交互に間違えて」というだけであれば、サラリーマン川柳のような世界に留まるだろう。しかし当の間違う本人が「間違えて笑う」という楽観性、またそれがまさに本人にとっての「母」であること。さらにはその季節を「秋」に設定するという目まぐるしく畳み込むようなスピード感がこの歌の魅力である。「蟹の脳みそじゃないの」の歌は、「蟹みそ」のことを「蟹の脳みそ」だと思いこむというありがちな誤解をベースとしている。しかしそれに対しては直接答えずに「脳を食いたいのかい?」と答える。この切り替えしが効いている。また「食む」「食いたい」という語の言いかえにも細心の注意を感じさせる。3番目においた「お互いの鋭利なつま先」の歌は、まさにその部分を読む限りにおいては厳しく尖がった感じが先行する。しかし「ながめつつ横たわっている」というあたりからトーンが代わり「横たわっている」のが「紙の力士ら」であることが分かってくると、応援している自分まで小人になってそこにいるかのような錯覚に襲われてしまう。4番目の「鍵穴の壊れた扉」を読むとやけに切ない。事実としては「鍵穴の壊れた扉」が捨ててあるだけなのに「もうこの世界出入りできない」というところにまで連れてゆかれる。その想像力にノセられて「出入り」できなくなってしまった淋しさを読者も感じてしまうのである。最後の「刑務所の」の歌は、「刑務所の」という舞台の重さ・もの悲しさと「手と額ガラスにつけて」というかわいらしさの落差で読ませる。なぜ「手と額硝子につけて」がかわいらしいと感じられるかと言えば、それはが言葉の通じない「白熊」相手の行為だからである。言葉が通じない存在には意地らしさを人は感じるらしい。さらには「ハロー、」から「白熊」へと至る一瞬の時間の爽快さがわくわくする気持ちを一段と高めている。




 おわりにー 月を食うとは?


 本稿では5項目に分けて佐佐木定綱『月を食う』を読んできた。静かさを基調にしながらも、激しさ・不安・社会詠の可能性などについても見た。そしてもっとも見どころのある領域としての「死への眼差し」を感じさせる歌、さらにはユーモアと諦念についても触れた。
 最後に本書のタイトル『月を食う』に深く関わる次の作品について考えておこう。


  ぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく(p168)


 ここに書かれていることは、きわめてシンプルで、バケツの中のめだかが、月を食べて腹を膨らませてゆくということだけである。しかし、解釈は幾つにも分かれそうである。「バケツに落ちた月」とは、本当に月が落ちたんだと読む人もいるだろう。あるいは、そんな馬鹿なことはないのであって、バケツに映った月の姿だと考える人もいるだろうし、≪いやそんな映像なんて食っても「めだかの腹はふくらんでゆ」かないからそれは映像ではなく、本当に月が落ちたんだ≫と解釈する人もいることだろう。「めだかの腹はふくらんでゆく」に関しても、子を孕んだのか、或いは「もの言わぬは腹ふくるる業」というようにふさぎ込んで胸がいっぱいになっているのかなど様々に解釈し得るだろう。もしも、めだかが月を食べたり、月を見て物思いに耽ったりするならば、それはこれまで僕の知らなかった素敵な質のファンタジーである。
 「現実」を短歌の中に読み取ってみてもちっとも面白くない。詩も短歌も、そこに書かれていることをそのままストレートに読んでゆくところに面白みが生じるのである。詩や短歌の中に書かれている「比喩」を読めというのは、それをそのままうけとることのできない想像力の欠落した人間の編み出した文芸への悲しいアプローチの方法に過ぎない。
 ありふれた比喩としてではなく、ほんとうに言葉通り、勇気をもって佐佐木定綱『月を食う』を読めば、そこに静かで悲しいファンタジー的要素がちりばめられていることに気付くはずだ。

短歌時評160回 多様性を越えて 細見 晴一

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 「この世界は多様性に満ちている」という言い方をよくするが、これはじつは正確ではない。「この世界は多様性そのものである」がより正確な言い方だろう。「満ちている」という言い方だと、多様じゃない世界も別にあることになってくる。そうではなくて本来すべてが多様なのだから。
様々な生物種があり、生物学者はその一つ一つの個体を比べて共通項を見出しそれぞれの種をカテゴライズしようと研究する。だが実は個体が変わればそれはもう別の様相を呈してくる。個体が変わればもうそれは〈違う種〉と解釈する術もあるはずだが、そんなことをしていると無限に生物種があって混乱するので、どこかで生物学者は線を引き、共通項を見つけ出しカテゴライズしてそれを一つの生物種として提示しているだけにすぎない。本来はカオスをカオスとして認識するのが、多様性に対する最も正確な認識の仕方だが、人間はそんな複雑な思考をできない。AIならできるかもしれないが。
 人間に対しても、様々な民族があり、様々な価値観、生活様式があり、それぞれの共通項を見出し、カテゴライズしていくのが民族学者や社会学者達の仕事だが、人間が変わればもうそれは違う人間であり、あなたと私は決定的に違うのだ。一緒であるはずがない。一緒にされてたまるか、という気持ちに誰もがなるのが自然だ。

  人は或るカテゴリーにて殺される 校庭をまわり続ける鼓笛隊     加藤治郎『昏睡のパラダイス』

 人は誰もがカテゴライズされることを無意識に拒む。あるいは逆にカテゴライズされることで安心を得ることもあるかもしれない。この歌は前者の気持ちを代弁している。だれもが「世界に一つだけの花」と考えたいし考えるべきなのだ。自分だけが違うのではなく、相手の個性も最大限尊重すべきで。2003年のこのSMAPの楽曲は多様性の象徴のような楽曲だったし、お互いの多様性を尊重することが最も価値のあることのはずだ。
 だがあまりに多様性ばかりが強調されていくと、逆に無限の多様性に疲れてこないだろうか。違うことばかりを強調するのではなく、共通項はあるのだから、それを一緒に愉しんでもいいはずだ、と時折思わないわけではない。もちろんお互いが各々の多様性を尊重するということ、つまりお互い相手が自分とは違うんだということを尊重することが大前提だが。

 2013年のNHKの朝ドラ「ごちそうさん」に次のセリフがある。主人公たちが女学校を卒業する際に、担任であり調理を教えていた宮本先生が贈った言葉だ。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-327.html#
 宮本先生「これからあなたたちは、様々な道を歩いて行かれることと思います。いろいろな人と出会うことでしょう。温かい人も、冷たい人も、幸せな人も、寂しい人も、どうしてもウマが合わないということもあるかもしれません。ですが、そんな時にはどうか思い出して頂きたいんです。食べなければ、人は生きてはいけないんです。あなたと私が、どこがどれほど違っていようと、そこだけは同じです。同じなんです。」

 人は、特に我々表現者は、人との差異を重視する。自分と他者とがどれほど違うか、ということを他の何よりも重要なこととして、自身のかけがえのないアイデンティティとして後生大事にして生きていくのだ。それを嘲笑うかのような宮本先生の贈る言葉だった。放送当時、自戒の念を込めてそんなふうに思った。自分自身が他者との差異をどれ程望んでいたことか。人と同じであることが我慢できなかったのだ。だからまさにこの言葉は目から鱗だった。人との違いばかりを探すのではなく、人との共通項を探していくのも重要なことだと。この当たり前のことに気づかされた。
 一人一人は確かに違うが、それぞれが「世界に一つだけの花」だが、また同じ面もあるのだ。この二つの相反することが一緒になって混在しているのが人間であり、それが人間の困難さであり、また素晴らしさでもある。

  流れ行く大根の葉の早さかな     高浜虚子
  永き日のにはとり柵を越えにけり   芝不器男
  春の雪青菜をゆでてゐたる間も    細見綾子

 俳句の素晴らしいところは無意識に人間の共通項に焦点を当ててくるところだ。いや、だから俳句はつまらないという人は俳句は向いていない。俳句は概してそういう文芸なのだから。
 三句共、俳句の世界では知らない人がいないくらいの有名な句で、説明はいらないのだが、ここは短歌の人のための文章なので一応少し説明を。
 一句目、小川の上流で誰かが大根を洗っているのだろう。その時落ちた大根の葉が目の前を流れていき、そのあまりの速さに驚いた、と言うだけの他愛のない句だ。だが他の何物でもなく、ただただ大根の葉っぱだけに心を奪われたさまが伝わってくる。心を空っぽにして大自然の中にいる。誰もがわかる感興だ。
 二句目、〈永き日〉は春の季語でだんだん陽が長くなってくる春の長閑な雰囲気の状況。そんな時期には動物たちも活動的になってくる。鶏も柵を越えてくる。鶏が逃げていったのだ。〈永き日〉という言葉の醸し出す長閑さと相まって、まるでスローモーションの映像を見ているような不思議な感興が伝わってくる。誰もが田園地帯の時間の緩やかな流れにホッとする。
 三句目、さっと青菜を茹でているのだろう。その間に外を見やると、春の雪だ。ああ春なのにまだ雪が降っている。たったそれだけの感興だが、春の雪の白さと青菜の緑の色彩との対比が誰にとっても鮮やかだろう。

 俳句はあまりに短いので、多様性を捨象し、誰にでも伝わる一つや二つのことに焦点を絞ることが多い。絞ることによって大勢の人に伝わる。まさに宮本先生の言う「あなたと私が、どこがどれほど違っていようと、そこだけは同じです」の部分のみを抽出してくるのが俳句だろうか。

俳句は季語を重視した自然界との交流が多いので誰にでも伝わることが多い。一方、短歌は人事が多い。人間関係を表現の核に持ってくることが多いのだ。人間関係なので当然のことだが、人それぞれであり通じたり通じなかったりする。俳句よりはぐっと絞られた関係性になることが多いが、それでも俳句ほどではないにせよ、ある程度誰にでもわかるところに落とし込んでくる歌は多いものだ。

  ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら    加藤治郎『サニー・サイド・アップ』
  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日     俵万智『サラダ記念日』
  体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ      穂村弘『シンジケート』

 一首目、まず世代が絞られる。といっても軍事統制が無く食糧事情もよくなった戦後生まれぐらいのものだが、〈勝手に育った〉ということが、特に意識されてくるのは昭和30年代40年代生まれぐらいだろうか。それ以降は当たり前すぎて意識しないかもしれない。〈ぼくたちは勝手に育ったさ〉はそんな緩いカテゴリーだろうか。別に不良少年だとか特別な意味ではないし、自己批判ととる必要もない。昔と比べれば誰もが〈勝手に育った〉のである。それがあまりに普通のことなので自覚がないだけだ。あと〈制服〉から年齢が10代だとわかる。そして〈セメントの粉すりつけながら〉から、だいたいだが都会育ちかなと思える。全体で、昭和30年代~40年代生まれでで都会育ちの人の10代の話で、そういった記憶がある人は、ああそうだよな、と軽やかに共感できる。範疇に入らない人はあまり共感できないのかもしれないが。こんなふうにある程度共感者が絞られてもその中で広く共感を呼ぶことがある。
 二首目、まず、同棲カップルか新婚と考えるのが妥当だろう。サラダがおいしくできて褒めてもらえたので、今日はサラダ記念日よ、という天真爛漫で読む者を幸福にさせる歌である。だが、たとえば同性愛者のカップルでもいいし、親子の関係でもいい。一緒に住む家族なら誰にでも当てはまる普遍性の高い歌だ。短歌はこのようにある程度関係性を絞りながらもそこから新たな普遍性へと解放する。
 三首目、この歌も似た関係性を想像させる。もちろん風邪をひいて体温計を咥えているのは作中主体のガールフレンドだろう。そこに窓の外に雪が降ってきて、体温計を咥えながらなので「雪だ」と言ったつもりが「ゆひら」となってしまった。この可愛さは女の子以外の何者でもないが、よくよく考えると、見舞いに行った先か一緒に住んでいるとかの話で、サラダ記念日の歌と同じように、関係性は無限だ。親子でも全然かまわない。たとえばこれが小さな男の子で観ているのが親でもやんちゃで可愛いものだ。
 サラダ記念日の歌も体温計の歌も、もちろん男女の相聞と読むのが最も短歌的効果を上げることができると一般的には考えられるだろうが、実際にはわからない。それは読者に委ねるしかないからだ。読者が変わると感じることも変わる。それも一つの多様性だ。読みの多様性である。それでもその短歌が良い、と思われるのが秀歌だろうか。

 短歌は元々、多様な価値観へと解き放たれるベクトルを内包している。だが、それはわかる人にしかわからないという狭い領域へと向かいがちだ。しかしその多様性を越えて普遍性を獲得した歌も多々ある。

  ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね   東直子『青卵』
  標識の「4」を消しそして「0」を消しそれから雲を指すアレチウリ     やすたけまり『ミドリツキノワ』
  さぼてんの棘を一本ずつ抜いて多肉少女が壊れてゆきます         蒼井杏『瀬戸際レモン』

 一首目、全体がメルヘン調である。メルヘンと言うだけで、現実の世界からは遊離してくるし、それはわかる人にしかわからないものだがどうだろう。現実に鳥が地面に落ちていて、それが遠くなので砂にも見えたのか。あるいは逆に現実にはただの砂かもしれなくて、それが鳥であってほしいという願望を強調したのか。失くしたモノに対する哀悼の念か、自分が達成できない憧れへの渇望か。いずれにしろ単なるメルヘンでは終わってなくて、メルヘンを越えて普遍的な人間の感情に落とし込んできている。
 二首目、まず〈アレチウリ〉が調べないことには誰にもわからない。日本語では一応〈荒れ地瓜〉と書く。ウリ科の大型のツル植物で、文字通り荒れ地などどこにでも育つ瓜だが、帰化植物で、繁殖力が非常に強く、「日本の侵略的外来種ワースト100」に指定されていて、駆除すべき対象となっている。凶暴なほどの繁殖力で日本在来の種が絶滅させられるのだ。だがこの歌ではそういった人間界の事情を越えて、単純にその勢いに驚いている。40キロの速度制限の標識を覆いつくして見えなくして、制限速度オーヴァーでいったいどこまで繁殖していくのか。これは謂わば客観写生であり、虚子の句の「大根の葉」に対する目の瞠り方と変わらない。川を葉っぱが流れるスピードに驚くか、繁殖のスピードに驚くかの違いで、大自然の驚異にただただ唸っているのだ。マニアックなことを言っていても、そこに留まらずそこを越えてくる。
 三首目、まず〈多肉少女〉という言葉は日本語にはない。作者の造語である。普通まずここで躓く。多肉植物なら聞いたことあるのでそこから考えてみる。植物学では多肉植物とは葉や茎の中に水を貯蔵して肉のように膨らんでいる植物の総称となっている。乾燥地帯に多く、サボテンがその代表でアロエもそうだ。だが園芸業界では刺の有るのをサボテン、無いのを多肉植物というらしい。ここで話がややこしくなるが、ここでは植物学的にアプローチしてみる。つまりここでは少女をサボテンという多肉植物に喩えているのだろう。この〈多肉少女〉は乾燥地帯に育って体内に水を蓄えていて多肉体質になっている。水が逃げないように葉が変化して刺になってしまったが、しかしその刺を抜かないことには他人との交流が上手くいかない。相手が嫌がるからだ。だから刺を抜いていったのだが、水が排出されたのか自分自身が壊れてしまった。結局、少女には刺が必要なのだが、刺が有ると交流が上手くいかないというジレンマ。人との交流が不器用な少女のため息が聞こえてくる。今の時代、人との交流は誰もが苦手でなかなか上手くいかない。造語を使ってはいるが言いたいことは誰もが感じている寂しさだ。それが痛々しいほど伝わってくる。

しかし理屈抜きで、見事なまでに多様性を越えて、その上で共通項に的を絞った歌がある。

  人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天      永田紅『日輪』

 誰もがこの歌を初読で、ハッと気づかされるものだ。10歳の子も、20代の若者も、50代の中年も、80代の老年も、誰もがそれぞれの〈馴れぬ齢を生きている〉ことに。すべての人の世代の多様性に思いを馳せ、「ああ、みんな誰も慣れていないんだ。」と他人を慈しみ、自分も「そりゃあ慣れないよな」と自分をも慈しむ。慈愛に溢れた歌だ。多様性へと人を開放し、宮本先生の言う「あなたと私が、どこがどれほど違っていようと、そこだけは同じです」という共通項に戻ってくる。〈人はみな馴れぬ齢を生きている〉という共通の感慨に。多様性に思いを馳せ、そして多様性を越えることのできる共通項に思いを馳せてこそ、他人も自分もすべての人をも慈しむことができるのではないだろうか。これは謂わば博愛の歌である。

 そして昨今、性の多様性が社会にとって重要課題として浮き上がってきている。短歌の世界でも、様々なセクシュアリティの人の短歌が表出してきて、性の多様性が一層オープンになり、そんな中からタイムリーに出てきたのが小佐野弾だ。

  ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは    小佐野弾『メタリック』

 小佐野はオープンリー・ゲイを標榜するが、もちろんゲイだけがセクシャル・マイノリティではない。ゲイを含むLGBTもあれば、それにつながる形も含んだ様々な性分化疾患もある。先天的な性染色体異常のクライン・フェルター症候群、ターナー症候群、あるいはXY型女子のアンドロゲン不応症など、60種類にも及ぶ性分化疾患。それにそれぞれの性指向が組み合わされ、彼らセクシャル・マイノリティを全部はなかなか理解できないが、自分とは違うセクシュアリティが様々にあるのだという理解は必須である。世の中、男と女だけではないんだという認識は完全に常識化した。この認識のない人ははっきり、非常識だというレッテルを貼って軽蔑してかまわないだろう。
 セクシュアリティが変わればそれぞれに文化・社会ができていき、それぞれのジェンダーが形成される。無限にジェンダーがあると言っても過言ではない。そして人はそのジェンダーに閉じこもる。マイノリティーだけでなくマジョリティ側の男と女というジェンダーでも同じことで、それぞれに閉じこもってしまう。
 小佐野の上掲の歌はゲイとしての苦悩から出てきた一つのカタルシスだ。ゲイのことはたとえわからなくてもそのカタルシスに読むものは広く感動できる。〈性別は柑橘類としておく〉というカタルシスを通じて、ここでの〈性別〉はすべてのセクシュアリティへと拡大されないだろうか。それは男も女もあらゆるセクシャル・マイノリティも含むセクシュアリティだ。宮本先生の言う「あなたと私が、どこがどれほど違っていようと、そこだけは同じです」という共通項がそれぞれのセクシュアリティにもないだろうか。人間なら誰もが抱え込む「性」という悲しい器。それを〈柑橘類〉と言うことによって、なにかセクシュアリティ全体が救われた気持ちにならないだろうか。男も女もレズもゲイもバイもトランスジェンダーもアセクシャルも様々な性分化疾患も同じ人間なんだし、人間として悲しくて愛しい「性」を内包しているだけなんだと。そこに籠り、苦悩し、そこからの解放が人間の生の営みの重要な部分なんだと。それぞれの道程は全部違うだろう。同じであるわけがない。マジョリティである男も女も含めて、セクシュアリティには様々な色が無限にありそれぞれの色に無限の濃淡がある。まるで虹の様に。虹も7色と言うが、これも便宜上7色と言っているに過ぎなくて本当は無限の色彩である。この虹の概念を理解することが性の多様性を理解することに他ならない。本来は一人一人が違うのであり、それをわかりやすくするために便宜上カテゴライズしているに過ぎないのだから。そんな性の多様性を越えようという思いがこの小佐野の歌から多少なりとも感じられたのだ。そこに短歌としてのカタルシスもある。

 確かに宮本先生の言う「あなたと私が、どこがどれほど違っていようと、そこだけは同じです」の部分だけで社会を考えるのは全体主義につながる。だが逆に自分だけは違うんだ、あるいは自分を含む共同体だけは違うんだ、特別なんだという考え方は単なる利己主義だろう。だからお互いの多様性をとことん理解しつつ、共通項を見出していこうという方向が、困難だろうが目指していくべきではないだろうか。でなければこの社会は息苦しい全体主義か、とりとめのない単なるカオスに終わるだけだ。

 多様化がどんどん進み、それぞれの小さな物語に誰もが籠りがちだ。それがポスト近代の在り方かもしれないが、しかしもうそろそろ、それぞれの小さな物語の外側に向かう視点を持ってもいい頃ではないだろうか。(了)


短歌時評161回 「あなたの歌集、もう書店で注文しました!」 千葉 聡

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1 寄贈文化は心苦しい

 本を出版するのは大事業。人生における大事件だ。
 歌人を続けていると、毎日のように歌集が届くようになる。句集や詩集や小説を送っていただくことも増える。本当にありがたい。
 どの本にも、著者、編集者、発行者の思いが詰まっている。大切に頂戴する。
 ただ、なんだか心苦しくなる。寄贈していただいた本をすべて読む時間はない。結局、数冊を選んでじっくり読むことになる。それに、著者へのお礼状を書く時間も、なかなかとれない。
 文芸の世界では、慣例として著書を寄贈し合う。私も本を出すたびに、数十冊から数百冊、各方面に寄贈してきた。でも、経済的な理由から、それほどたくさんは寄贈できなかった。
 いっそのこと、物書き全員が一斉に「今後一切、著書は寄贈し合わない。すべて書店で買う」という取り決めをしたらいい。そうすれば書店内の文芸書コーナーが今よりも賑わうようになるかもしれない。大型書店の詩歌コーナーも増えるかもしれない。
 私は週末、書店をめぐり、気になっていた新刊歌集を購入するだろう。自分のポケットマネーで買った本には愛着が生まれる。今までよりも大切に読むだろう。店頭に置いていない本は、書店のサービスカウンターで注文する。ネットショッピングもいいが、なるべく書店で注文する。そうすると、私が注文した本を、後日、その書店が仕入れて棚に並べてくれるかもしれない。著者を真剣に応援しようと思うなら、ネット書店よりリアル書店で注文したほうがいいのだ。

2  「ご恵贈いただいた」と言わないで!

 ときどきSNSで「作者の〇〇さんから新刊をご恵贈いただいた。ありがたく読ませていただいた」という書き込みを見かける。やめてもらいたい。
 書き込んだ人と作者が仲良しなのはよくわかった。でも、そういうアピールは作者にとっては嬉しくないかもしれない。
 どんなに人気のある作者でも、自著を買い取って寄贈する。経済的な理由からほんのわずかしか寄贈できないことも多い。結局、Aさんには寄贈し、Bさんには寄贈しない、ということになる。Aさんの「ご恵贈いただいた」というコメントを、Bさんが読んだとしたら、どう思うだろうか。
 寄贈された本も、自分で買った本も同じだ。本の感想をコメントする場合は、どの本も同じように扱いたい。寄贈してもらったからといって、特段、高く評価するわけでもない。
 ときどき憧れの先輩から著書をご恵贈いただくこともある。嬉しくて、誰かに話したくなる。でも、ここで我慢だ。決して「ご恵贈いただいた」と言ってはいけない。すでに自分でその本を買っており、二冊持つ場合もある。そうなったら一冊は、文芸を理解してくれる友にプレゼントすればいい。絶対に「この本、半額で買わない?」と持ちかけてはいけない。
本は大切に扱いましょう。

3 新人さんを応援するために

 短歌関係の会合に行くと、若い歌人と「はじめまして」の挨拶を交わすことがある。物書きの仲間が増えるのは、本当に嬉しい。世間話も文学論も盛り上がる。中には気をつかって、こう言ってくれる人もいる。
「じつは先日、第一歌集を出したんです。まだ十分に寄贈ができていなくてすみません。一冊、千葉さんに差し上げたいのですが、今、手持ちがなくて……。あとでご自宅にお送りしてもよろしいですか?」
 数年前までは、ごく普通に「ありがとうございます。自宅の住所をお教えしますね」と答えていた。今思うと、とても恥ずかしい。私は、こう答えるべきだったのだ。
「ありがとうございます。でも、あなたの歌集は、ぜひ書店で買わせてください。書店で本を探す、というのが私のいちばんの楽しみなんです。店頭になかったら注文しますから」
 どうです? なかなかいい答え方でしょう? こう言ったからには、必ず書店で買う。若い著者を応援するためにも。
 だが、私がどんなに心をこめて「書店で買います」と言っても、「千葉さんがそう言うのは、自分の本に関心がないからかもしれない」と勘繰る人もいる。(そう思わせてしまうのは、私の話し方がダメなのだろうが……)
 だから、このごろは、こんなふうに答えている。
「じつは、あなたの歌集、もう書店で注文しました。もうそろそろ届きます」
 こう答えたからには、その後、必ず書店で注文することにしている。答えた時点では、本当はまだ注文していないのだが、これくらいのタイムラグはお許しいただきたい。
 ここにこんなふうに書いたからには、私は今後、なるべく歌集を書店で買うことにします。みなさんも、いかがですか?

4 いつかすべてを手放す時が……

 スマホで電子書籍を読むこともあるが、私はやはり紙の本が好きだ。新刊書店の「新しい本の匂い」はたまらない。図書館や古書店の匂いだって、心から愛している。
 毎日何かしらの原稿を書いて、物書きの友だちも増えて、本も出せるようになった。地味な歌人だが、私は自分の人生を楽しんでいる。
 ただ、今いちばんの悩みは、増えてしまった蔵書をどうするか、だ。書棚を増やし、なんとかしてきた。物置の一つを書庫にして、古い本をまとめた。これであと数年はなんとかなる。数年後には、少しずつ本を処分し始めないといけなくなるだろうが……。
 私は五十代に入ったばかり。食事をきちんとし、体も鍛えて、九十代になっても現役作家でいたい。だが、いずれはすべての蔵書を手放す時がくる。
 よく利用している図書館の司書さんに「私が死んだら、数千冊の蔵書を『ちばさと文庫』としてすべて引き取ってくれませんか?」と聞いてみた。あっさり断られた。
「山本周五郎並みの作家だったら、その蔵書を全部まとめて引き取れるんですけどね。だからちばさとさん、まずは超偉い大物作家になってくださいよ」
 わかった。それならば大物になれるよう努力しよう。だが、大物になれなかったら、どうしよう。
 図書館、詩歌文学館や記念館、文芸家協会や歌人協会や歌人クラブ、古書店などのご関係のみなさん、蔵書の処分で悩む人は、これからますます増えるでしょう。どうか助けてください。何かいい方法を教えてください。
 紙の本の文化を守るためにも。

短歌評 ものの核に迫る確かな視線。浜田康敬『「濱」だ』を読む 谷村 行海

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  われのことすこし美化され語らるる本来「美」とは無縁なるわれ     浜田康敬『「濱」だ』
  その名前が美貌歌人と思わするうたはいまいち迫力がない        同上

 人工的に作られた「きれいさ」が嫌いだ。思春期を迎えた中学生頃からずっとその思いを抱き続けてきた。周りに合わせて流行の歌を聞いてみてもフレーズがきれいすぎる上にどこかで聞いたことがある気がして奇妙に思えたし、六本木や銀座などに足を運んでも数時間ですぐに胸やけになってしまった。それよりも、無骨で飾らず、物事の核に迫ったものに私は惹かれてきた。
 だからこそ、私が所属する俳句結社「街」の先輩から浜田康敬のことを教えてもらったときには衝撃を受けた。

  この平安におぼれ貧しきわが詩才冷えし定食をぼそぼそと食う      浜田康敬「成人通知」
  あお向けに寝ながら闇を愛しおり動けば淋し自慰終えし後        同上
  豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている         同上

 浜田康敬は幼いうちに両親を失い、通信制高校在学中の23歳の年に「成人通知」で角川短歌賞を受賞した。一般的に見れば、なかなか過酷な生い立ちである。
 そんな生い立ちも関係してか、彼の歌からは気取った感じがしてこない。むしろ、「貧しきわが詩才」と欠点を自ら世間に曝してしまう。そのうえ、「自慰」や「豚の交尾」など、使うのに躊躇しそうな言葉も歌の中に落とし込んでしまう。うわべを一切取り繕わないことで、人間としての本質・目線がはっきりと現れてくるのだ。

  眼鏡少年二人がキャッチボールしていしがやがて止め二人とも眼鏡を外す 浜田康敬『「濱」だ』

 それは、今年の8月に上梓された第六歌集『「濱」だ』(角川文化振興財団)においても健在だ。
 普通であれば、眼鏡少年二人がキャッチボールをしている光景だけで歌を作ってしまいそうな気がする。しかし、浜田はそれをしない。「やがて」とあるように、少年たちのキャッチボールをただひたすらに凝視する。そして、その凝視の末に少年たちの素顔を発見する。どこまでもものごとの奥へと潜み、真実を見る目を持っている。
 私はこういった歌群を見たときに、波多野爽波的姿勢を思わざるをえなかった。波多野爽波は「チューリップ花びら外れかけてをり」「鳥の巣に鳥が入つてゆくところ」など、対象にじっと目を向ける。そして、意外な真実・光景を目の当たりにする。浜田の歌もこれに近い姿勢を持っており、俳人としても学ぶべきところが多いように感じる。

  解説者ぶって言うけど「黒・白」は雲の色なり「南風はえ」の上に置く    浜田康敬『「濱」だ』
  白南風や黒南風はまた漁師ことばその日の空を視つつ言うらし      同上
  体感に触れ来し柔さ心良く日に日に南風を意識に置けり         同上

 そんな姿勢を持つ彼は言葉に対しても敏感だ。
 「街」の句会で主宰の今井聖がたびたび口にしているが、俳人のなかには歳時記に載っているからといって季語を不用意に使う者がいる。例えば、涅槃西風。確かに、仲春の季語として歳時記に載ってはいる。載ってはいるのだが、果たして普段から仏教のことを思ってこの季語を使う俳人がどれだけいるというのだろうか。
 同様に、一概に白南風・黒南風といっても、それは単なる言葉ではなく、その言葉の奥に潜んでいるものがある。それを浜田はしっかりと感得し、そのうえで言葉を使う。こういった態度こそが、言葉を扱うものとしてあるべき姿だと言えるのではないだろうか。

  信仰に突如目覚めし友が来て簡明に神とうを語り帰りぬ         浜田康敬『「濱」だ』
  海の広さ幼児に聞かせている老爺両手に拡げひろげ尽くせぬ       同上

 内容自体も興味深い歌は多い。
 掲歌一首目は作りがドラマ的だ。神の存在や教えについてひたすらに語るだけの友、それから、突然のことにぽかんとした状態で聞く「われ」の姿が見える。そして、友は語った後に何をするでもなくただ帰るだけ。友が帰ったあとに一体何を思うのか。「変なやつだなあ」というとぼけた感じかもしれないし、「え、どうしちゃったの」とシリアスな感じかもしれない。各々が自由に想像を膨らませることができ、歌のさらに奥に潜むドラマを私たちに見せてくれる。
 二首目は寺山修司の「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり」を基にして作られたものか。子ども・孫に海とはどのようなものかを問われ、そのときに歌の記憶と今の自分とが自然とリンクする。そのうえで、寺山の歌の「われ」になりきって手を広げてみる。しかし、寺山の歌の「われ」があくまでも少年であるのに対し、浜田は既に老齢。少年と大人とのさまざまなものの蓄積は当然異なる。単純な海の広さだけではなく、さまざまな思いが交差した結果、「ひろげ尽くせぬ」へと至るのだ。主体を寺山の歌の少年が成長した後の姿ととったとしても、先ほどの歌と同様にドラマ的な作りになっておもしろいことだろう。
 
 取り上げた歌のほか、彼の生い立ちに関する歌、アメリカに居住する息子に関する歌なども多数収録されており、純粋な歌集としてだけではなく、彼がどんな人間かを知るための手掛かりにもなるような歌集だった。
 本書のあとがきで、2009年に上梓した第五歌集『百年後』(角川書店)が最後の歌集になると思っていたことを吐露しているが、歌の飾らなさは「成人通知」から失われていない。現在、浜田は82歳。この先もさらなる歌集を上梓してほしいと願うばかりだ。

短歌時評162回 ハワイ行きたい 大松 達知

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 時評ってなんだろうと思う。時評を書くたびに。
 かつて「コスモス」の時評を担当していたとき、「短歌作品を引用しない時評はダメだ!」と注意されたことがある。状況論だけを書いたときだった。良い歌を引用し紹介する、それが時評の役割だと言われたのを覚えている。しかし、実際にはどんな時評のあり方も良いわけで、この「詩客」の千葉聡さんの時評はとても特徴的で有意義でおもしろいと思う。(もちろん、千葉さんがさいきんのどんな歌集や作品をいいと思っているのか知りたいけれど。)

 さて、『言葉の誕生を科学する』(小川洋子・岡ノ谷一夫)は、タイトルの通り、言葉の発生を小動物を使って研究している岡ノ谷教授に小川が聞く本。小川洋子のさすがのインタビュー力が的確に研究者の引き出しを開いてゆく。「歌を学ぶ動物というのは鳥と人間とクジラだけなんです。」「天敵がいないと、強さを示すよりも、美しい意識を示す方向に行くんです。」などの記述があって示唆に富む。(単行本は2011年刊)

 その中に、岡ノ谷が「情報習慣病」という概念を言っている。
 人類史の中では、食物の足りない時代が圧倒的に長かった。だから、甘いものや油っぽいものがあればとりあえずたくさん食べておく習慣があった。その流れが食べ物の供給が保証されるようになった現在(の一部の国)でも続いている。それが生活習慣病につながった。そして、現在の情報伝達をとりまく状況はそれと似ていると言う。つまり、周囲の危険や食物獲得の情報が生死を分ける時代を経て、「今はやりとりすることが無制限にできるような機器ができてしまって、今度は必要以上のやりとりがなされるようになった。」と言うのだ。

 そして、現在の日本などでは、生きるために本当に伝えなくてはならない情報はほとんどなくなった。それでも、伝えたいという意図だけが一人歩きして、「伝えることなんかなくなっても、伝えたいという意図が残っているので、何もなくてもなんかとか伝えようとする」と言う。

 もちろん、発表媒体という容れ物がたっぷりとあるゆえに、量質転化のように内容の充実を見る側面もあるだろう。しかし、現代短歌の状況は岡ノ谷が指摘するような、「伝えたいという意図」だけが先行していて、ほんとうに伝えたいものが希薄になっている部分もあるかもしれない、と思った。

 また、岡ノ谷は、欧米の夫婦が「愛してるよ」などの言葉を常にかけ合うのは「儀式化」であると言う。「コミュニケーションっていうのは必ずしも内容を伝えているわけではない」「むしろ、「「コミュニケーションする意図自体」をコミュニケーションしている、ということなんです。」と述べる。挨拶や天気の話題を考えればわかることだ。
もちろんこれを短歌に当てはめようとするわけではない。が、もしかすると、短歌を作り短歌を読む行為の本質はこのような〈「コミュニケーションする意図自体」をコミュニケーションしている〉ことにあるのかもしれないと思い、少し怖くなったしだいだ。

(岡ノ谷はそのあとに「そこに内容が入ってきたところが人間のコミュニケーションのおもしろいところなんですけどもね。」と付けるのだが。)

さて、近刊歌集では、川野芽生(かわのめぐみ)『Lilith』、藤島秀憲『オナカシロコ』、北川あさひ『崖にて』が、それぞれ特徴的で好きだった。

 『Lilith』は、川野が2018年に歌壇賞を受賞した連作「Lilith」を含む。その連作の完成度と難解さと社会性を思い出し、身構えながら読みはじめた。その連作のような、ファンタスティックで(ファンタジックは和製英語)で難解な歌が多く、その世界観に読者(私)の理解が及ばない歌も多かった。しかし、丁寧に読み解けば、その奇想とも言える発想のスケールの大きさや妖しさに大いに引き付けられることにもなった。

  032  神々が錘をつけて下ろしくる木々よこの世のふかさを測る
  090  太陽より果汁のごときもの搾り春といふわが巨いなる右手(めて)
  098  野分とはいかなる神馬 贄として地上の花の苑を召し上ぐ
  106 陸(くが)といふくらき瘡蓋の上(へ)を渡り傷を見に来ぬ海とふ傷を

(左端の数字はページ番号)

 これらの歌柄の大きさや神々・太陽というアイデアの登場は、「超域文化科学専攻」という作者の立場は関係するのだろう。(鶏が先か卵が先か。)追随しがたい世界観が眩しい。一首目には、〈どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を(佐藤弓生)〉を思った。人間だけでは解決できない地球規模の社会問題があるいま、これらの短歌が宗教性さえ帯びて、人を謙虚にするかもしれない。(もちろん、作品は作品として楽しめばいいのだが。)

  045  皮膚の薄さを告げて日傘の影のうちにとどまるときにどこも対岸
  054  はつなつは水位の下がるやうに痩せ鎖骨は凪のうちの鳥影
  057  わたくしをここで眠らせ心拍は先へさきへと歩む旅びと
  088  水飲めばみづのうちよりひと生れてわれとなりにき 水消えにけり
  126  立ちくらみをさまるまでをたちどまりわれは虚空に吹かれゐる草

 私が惹かれたもう一つの点は、作者自身の身体感覚だ。一首目の「対岸」は自分を取り囲む世界すべてを指すのだろうか。女性蔑視の旧弊を克服できないままの日本のイメージが芯にあるかもしれない。他の歌も苦しげな呼吸を思わせる。それらは、比喩だけの言葉遊びではなく、作者の身体と今のこの時代が交錯するところで発せられた火花のようにも思えた。
 作中主体うんぬんの議論はあるかもしれない。が、川野が屈強な身体を持たない(おそらくそうだろうと歌から判断する)という現実から生み出された歌を尊く思う。事実性が歌を強くする側面は(悲しいかな)あるのだ。

  033  真夜と云ひ真冬と云へりその闇の芯を見たりしものなきままに
  135  子守唄くりかへしくちずさむごとくあなたも擁((だ)きしめる偏見を

 さらに挙げれば、こんな告発をする歌があることも魅力だ。一首目は、言葉の無反省で軽薄な使用を戒める感じがいい。二首目は、表面的には優しいお為ごかしな発言の虚をつくだろう。実景としては、「やっぱり赤ちゃんはかわいくていいわねえ。」なんていう(軽率な)発言だろうか。そこからでも敏感になれば、女性は子供を産むべきだという根強い偏見を見透かしてしまうのだろう。

 蛇足だが、上記のような超絶技巧の秀歌を読んでゆくと、

  139  離陸して雲へと入りゆきながららふそくの火のやうに揺れたり
  145  植物になるならなにに? ばらが好きだけど咲くのは苦しさうだな

 のような歌が素朴すぎるように思えてくる。実体があって十分にいい歌なのだけれど、刺激に慣れてしまうと言うのか、物足りない感じがする。だからと言って、謎に謎を重ねる歌だけが短歌を作り読む楽しみではないよなあ、とも思う。川野の今後の方向を楽しみに見守りたい。

 次に、藤島秀憲『オナカシロコ』。タイトルからして(野良猫に勝手につけた名前らしい)すっとぼけたような感じ。それが作者の味。大好きです。

 「ふらんす堂」ウェブサイトの、一日一首と散文というスタイルが初出。読みどころは歌とエッセイの拮抗具合にある。この年の藤島の場合は、散文は独立したエッセイの割合が強い。歌を説明しない良さがありつつ、もっと歌の背景を知りたいなあと思う場面もあったけれど。
 (歌集では2行折り返し・均等割つけになっている。それをこの稿のように横書きにすると、読む速度が上がる。もちろん藤島の歌はその「折り返しマジック」に依存するわけではないが。)
 エッセイのおもしろさは抜群。短歌はときに「ダメ人間告白比べ」になる。自分の過去をたんたんと飄々と告白する。自分を卑下している感じも自慢している感じもない。父を介護していた(これまでの歌集に描かれた)日々を時間を経て思い返し、亡き両親、ふるさと埼玉県と上尾市、妻との日々などをしっとりと作品化している。

 エッセイでは例えば、「今朝のゆで卵が完璧なまでにうつくしく剥けたので、記念写真を撮ろうとしていたら、手足が生えて逃げてしまった。(八月十三日(火))」なんて記述がある。笑わせながら泣かせる名手である。

  147この世へとプリンターより出て来たりぎゃあていぎゃあてい個人情報
  104  令和二十三年三月令和大首席卒業山本令和
  144  〈あや〉がボケ〈ふや〉が突っ込み〈あやふや〉がお笑いコンビなら楽しきものを
  205  妻とわれの記憶がすこし食い違い宗円寺どこ円宗寺どこ
  239  標本のごとくに眠るひとのあり終点に来てなおも標本
  292  花火へとむかう列には初恋のひとに似る人いるはずである

 のような、とぼけた味わいの歌があり、エッセイの愉快さと呼応するのがいい。一首目。般若心経のサビ(というのか?)の意味は、さあ行こう、みんなで行こう、だったか。個人情報が世に溢れ出る恐怖感を音写するようだ。二首目は、新元号を個人レベルから組織レベルでまで消費してゆくさまを想像して描く。これらは、〈263  ドーナツはどこから見てもドーナツと思う心を捨ててから 歌〉と詠む心意気から生まれるのだろう。三首目のようなノロケ(惚気)も晩婚の良さを臆せずに出しているのがいい。そうでいて、さらっと五首目のようなことも言ってしまうのも憎めない。

 その一方、真顔で人生を振り返る歌にも惹きつけられた。

  036  痛いよと父に言わせき介護する憎しみ少しずつ晴らすべく
  069  かの日より八年の経て失いぬ菓子パン二個で満ち足りる吾を
  152  どんぐりはいつか大きな木になると信じて父は部下で終わりき
  228  借財のごとくに壺をのこしたる父の痴呆の十三年間
  372  一本の道の荒野に通すごとおのれ責めいき責めて許しき

 その多くは、父親との介護の日々を思い、当時の複雑な心境をぽつぽつと硬軟とりまぜて描く歌だ。藤島は1960年生まれ、「心の花」の歌人。だからというわけでもないが、実体験や自分自身を濃厚に反映した歌が多くを占める。そのどれもが「生」の意識につながっている。ユーモラスな歌やエッセイとの落差がこれらの歌に濃い陰影を与えている。

 その他、近代短歌っぽいけれど、短歌のツボを掴んで離さない秀歌をあげたい。

  092  文鎮のちいさな影を部外秘の書類に置きぬ うららかな午後
  210  雷鳴をふたたび聞いて席をたつ 午後一番でする電話あり
  215  靴下の黒の片方探すごとわけのわからぬ悲しみが来る
  222  こちらへと鏡の中に招かれる銀の鋏を持ったおとこに
  259  はつ秋のポプラの影にわが影を仕舞いてバスの影を待つなり

 佐藤佐太郎ふうと言おうか。小さな風景の中のさらに小さなドラマと言おうか。日常の細部にも極上の詩が隠れていることを手品のように見せてくれる。そのどれもが生きている時間の切なさを感じさせるものだ。藤島秀憲の視線は生に向き、死に向き、いまのところ生への比重が高いことを喜ぶ。

 長くてすません。
 3冊目。北山あさひ『崖にて』も、藤島に近い、すっとぼけたような味わいがある。それゆえにその裏(いや表か)にある生きる悲哀をふかく味わせてくれる。結果として、自分をひとつのサンプルとして差し出しながら、現代を生きる女性の心を見せるようだ。その攻めの姿勢が最大の自己防衛なのかもしれない。かわいげがありそうで意外と図太くしたたか。極限まで言葉を削ぎ落として、それらを鎖のようにつないでゆく。そのリズムの良さに言葉以上に説得されてしまう感じがある。同じ「まひる野」の柳宣宏や山川藍とも呼応するようだ。

  184  だいこんのしみじみ煮えてゆく夜をゆたかに燃えてわが本能寺

 一番好きな歌。わが本能寺、ってなんやねん。信長の志がある自分が敵(社会)によって焼死させられてしまう夜なのか。と、意味を考えてはつまらない。厳かに歌い出された歌の内部に溢れるわけのわからなさ。それをそのまま受け取ってもやもやしながらそのパワーを受け取ればいいのだろう。

  013  湿地から漁村へ抜けてゆくバスの窓辺でわたしは演歌の女
  015  夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円
  031  陽気なるウールセーター死ぬまでに往復ビンタしてみたいのだが
  121  だれもいないタオル売り場に左手を埋める尼にはどうやってなる
  131  励ましてほしいと素直に言える人いいなちく天ぶっかけうどん

 純直な歌い出しに付き合っていると、下句で変化をくらう歌。心地よい浮遊感だ。相手を押しまくっていた力士に急に引き技を出されるような感じ。鮮やかな上手投げのような感じ。それはおそらく体内のリズム感の表出であり、言葉の上だけの技巧ではなさそうだ。「埋める/尼には」「いいな/ちく天」のキレはかなりシャープだ。その一方、内容的には、演歌の湿気、貸したまま戻らないお金、ビンタしたい鬱憤、仕事への憤懣などのマイナス感情が潜む。リズムの明るさと内容の暗さの間に仄暗い空気が漂うのか良い。

  035  「震度7!震度7!」と叫んでる桜田そんな声が出るのか
  037  低賃金に辞めた田村が釧路から電話レポートしていて泣ける
  130  怒鳴られて怒鳴り返してオンエアは紛うことなき昭和の仕事

  056  「北山さん医療資格ないんだ」と斜めに言われ「ねえよ」と思う
  057  あかね雲グラクソ・スミスクラインのクソの部分を力込めて読む
  174  「北川」と間違われても振り返るたいせつなのは「北」なのだから

  080  やたらと壺、それにいちいち手を触れてキタヤマサマは非正規職員

 仕事詠の臨場感も読み応えある。札幌のテレビ局で震災を体験した連作、医療事務をされていたときの歌。軽さと重さがせめぎ合い、感情がこぼれ出てくるところがいい。(二首組・四首組の変化もいい。)

  109 森(ニタイ)、炎(ヌイ)、野原(ヌプ)、山(ヌプリ)、涙(ヌベ)唱えたら何かを喚(よ)んでしまう気がする
  125  豚ロース塩麹焼き 縞ホッケ 茄子のグラタン 読んでいるだけ
  134  交差点 炎天 胸に抱きしめる毛蟹ですこし涼しいわたし
  151  灯心をこころにすっと立ててみる募金するとき投票するとき
  159  すずらんのように体を屈めつつふたつの乳房をまとめる朝は

 挙げてゆけばキリがない。笑った顔、泣いた顔、怒った顔。多面的な感情の豊かさがストレートに伝わってくる。きっと人間的魅力も大きな作者なのだろうとおもった。

 最後に、

  026  すはだかの特に乳房の滑稽よ氷を摑む〈俺〉の気持ちで
  059  午前二時の鏡の中の乳首二つもうやめるんだ ハワイ行きたい
  096  すずなりにはまなすの実は輝いてふと兆したる乳首の痒さ
  159  すずらんのように体を屈めつつふたつの乳房をまとめる朝は

 こんな、男性には詠めない歌も楽しんだ。どれも必然性のある乳房・乳首の使い方だと思った。ハワイに行きたい、ではない。ハワイ行きたい、なのだ。私もハワイ行きたい。

(2020.11)

短歌評 口語の春に立ち戻るために  ここしばらくの歌集たちー仲西森奈『起こさないでください』千種創一『千夜曳獏』笹公人『念力レストラン』萩原慎一郎『滑走路』 平居 謙

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 この「短歌評」にもこれまで何度か書いたように、流行り病のような崩れ口語短歌にはもう十二分に飽きた。最初のうちは、「ああ、こんなところにまで短歌は来てしまっていたのね」という驚きが却って快感で正直面白く読めた。というのも俵万智以降、30年近くも短歌に関しては空白で、穂村弘『シンジゲート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』などをちらちらっと見たくらいで、僕の平成短歌経験は終わっていたのだから。
 ところが、その後いくつか評してゆくうちに「ほんまにこれでええのか?」という気持ちになってきた。誰が悪い、ということではない。みんなが悪いんだろう。何の気骨もなくなってきている。短歌はそんなものじゃない、と言っている人達もきっと多いのだろうが、そんな人達の声は届かないだろう。
もちろんそれには理由もある。「流行り病的短歌」は嫌になったなら、極めてオーソドックスなのを読んでみれば?という心の声に従って、角川書店の極めてオーソドックスそうな歌集を買って読んでみたのだった。ところがそれは介護体験をひたすら綴ったものに過ぎず、僕は辟易した。「老・病・死」という、若いころ偏見のように持っていた短歌の嫌な
 イメージがそのままそこには書かれていた。それは生きる上で重要な体験であり直面する問題だ。だがそんなことばかり書いて何になるというのだ。僕はその歌集を読むのを途中でやめてしまった。つまりは「面白いものを作ろう」「もっと軽いものを目指そう」という方向性自体は、流行り病の人たちも別に間違ってはいないということなのだろう。「老・病・死」にまみれるよりはるかにいいことだと僕も思う。しかし残念なことに、現在のある種の書き手たちは、まじめな主題を面白く読ませる技術を持ち合わせていない。技術以前に、文学という態度を喪失してしまっている。
 この短歌評の僕の担当もカウントダウンが近づいてきて、あと今回を含めて2回となったので、ぜひ改めてそのことを書いておきたいと思った。短歌の世界は、詩の世界に随分遅れている。口語で書くこと自体がまだ問題になっている。冗談じゃない。詩はそこから始まったのだ。
 本稿では比較的最近―と言っても1年以内くらいの意味での最近でしかないが―出された仲西森奈『起こさないでください』千種創一『千夜曳獏』笹公人『念力レストラン』萩原慎一郎『滑走路』の中から、合わせて20首ピックアップしてみた。ようやく僕にも、面白い詩や詩集を見つけるのと同じくらい、面白い歌や歌集を見つけるのは大変だということがわかってきた。この業界もタイヘンだね。どん詰まりでしょ、という印象がある。


仲西森奈『起こさないでください』

おしゃれな装本だと思って手に取った本書が、実は重い思想を内包しているのかもしれないと気づいたのは本書中ほどの「2018年9月2日(金)」という日付のついた日記のような文章を読んだ時であった。後半を抜粋する。

 人を大きな括りでカテゴライズして語るのはあまり好きではない(わたしも、括られがちな性質を多く持つ人間なので)のですが、ある年代より上の世代とは、性別問わず、お互いの価値観を分かち合うことはできないのではないか、と、諦めかけているこのごろです。わたしは女性になりたいのではなく、女性だから外科的な処置を望むのであり、願望や癖や倒錯の果ての「そういう生き方」ではないということを、あと何百回、人に伝えたり、伝えられずに笑ってやり過ごしたらいいのだろう、と、途方もない気持ちになるこのごろです。男性を、女性を、とくべつうらやましく思うことは、日に何度もあります。何周も回って、もはや男になりたいと思うこともあります。身体が男性なのに男になれない自分の性質が、たまらなくめんどうくさく、気持ち悪く、鬱陶しくなる日が、今もたまにあります。
 男友達も、女友達も、どちらでもない友達もわたしはだいすきです。
 みんなどうかしあわせになってください。(後半)

僕もまた偶然ながら「人を大きな括りでカテゴライズして語るのはあまり好きではない」ので、「ある年代より上の世代とは、性別問わず、お互いの価値観を分かち合うことはできない」というように、露骨に世代をカテゴライズする人の言うことは信用できないと思った。少しがっかりした。それはともかくの引用部分は「ある深刻な問題意識を抱えながら生きている著者によって書かれた作品だという情報」としては読むことができる。ただ、そう言う問題意識が作品にどう反映しているのかどうかは僕には判断できなかった。そもそも「男だから」「女だから」と思って歌を読むことはない。それよりも、やはり面白いかどうかというひとことに尽きるのだろう。歌集全体として、下の引用中の「陰毛を」の歌のようにさらりと撫ぜるような印象が強くした。悪くない。でもさりげない日常から瞬間を切り取り色濃く染め上げるような歌に疼くように出会いたい。「しょうもない」の歌の「飼いそうになる」も、ああそういうことあるだろうなと共感はする。しかし現実を大きく超えてはいない。食べるつもりで家に買ってきたものを実際にペットとして過ごすということくらい、実際にあるだ。僕にもあった。歌である以上、圧倒的に現実を超えないとそれはだめだ。あるある、と自分の体験を思い出す一方で、短歌とはこんなんでいいのか?と思う。物足りない、物足りな過ぎると思う。ここにはなだらかな5首を選んだ。上手いけれど、世界が小さすぎるだろ。歌の後の数字はページ数。以下同様。

  熱湯を注いで3分待ってから1時間半寝ちゃったら春  12
  ひとがすきなのかなすきなひとなのかな すきだからひとにみえているのかな  13
  陰毛をなでる仕草で米を研ぐ 守りたい人の数えきれない   65
  しょうもない連中のことを潮抜きの浅蜊に話す 飼いそうになる   68
  夕暮れのミスタードーナツ背を向けて行く行く行くは大人になる娘  121

 2019年11月 さりげなく刊

千種創一『千夜曳獏』

 昨年、この短歌評に千種の第1歌集『砂丘律』について書いた。僕にとって、或いはかなりの数の日本人にとっても余りなじみのない中近東の香りのするいい歌集だった。当然次を期待した。そして、期待は大きく外れてはいなかった。しかし、やはり同じ興奮を維持させるには至ってはいない。異国情緒だけで評価されたくはないという意識がもしかしたら本人にもあったのだろうか。この歌集の舞台はみんな日本である。違うのもあるのかもしれないが、そのように読めた。日本人が海外に出てふつうに働く日。そんなグローバル(死語)な枠組みの中で語られる海外の風物と日本人的感性の接触点。そういう一大特色を外した時、その代わりになる柱は何なのか。今のところ僕は、恋愛感情の重さとしかしそれに反するかのような滑らかな歌い口だと捉えている。「名前の美しい駅があるのは希望」「なんどでも輪廻しようね」などの表現はスマートだな、と思う。同時にもっと強い核が欲しい。そうも思った。この時代にそういう願い自体が無粋なのか。未だに核が「恋愛」でいいのか。いいようにも思う。いいようにも思うけれども、それならそれでもっと強く押し出されなければならないはずだ。「もっと強い核」とは何なのか。難しいと思うけれどもそれを探し出さない限り新しい時代は来ないのだと思う。舞台を中東に置き、斬新さを出すという点で成功した著者が、次に打ち出す核を見出せるかどうか。次の歌集が正念場なのだろう。以下の5首がいい。

    雲雀丘花屋敷という駅
  路線図の涯(はて)に名前の美しい駅があるのは希望と似てる   44
  すげえとか少しの語彙で雪だとか梨とか磁器とか愛を語った  100
  永久に会話体には追い付けないけれど口語は神々の亀  164
  青林檎に残る噛み跡、先生の、色褪せていく、記憶のように  180
  なんどでも輪廻しようね また春にオニオンリング、上手に食べる  216

 2020年 5月 青磁社刊


笹公人『念力レストラン』

 この本こそ、上で僕が書いた「強い核」を持っていそうな感じがした。少なくとも装丁に関しては。何かある。確かにそんな感じはした。しかし、実際にはまやかしであった。内容は完全なエンターテイメントで文学ではない。ざれ歌?そう、ざれ歌。もちろんそれが悪いわけではない。面白い。めっちゃ面白いと思う。だが短歌ではない。何なんだろう、この不思議なジャンルは。と思う。というのは、あらかじめ存在する笑いのツボに依拠しすぎていてその意味で創造性が皆無だからだ。ちゃくちゃやっているかのように見せかけて、あざとい計算だけに支えられている。いやらしいと思う。面白いが、好きになれない。短歌ではない。これって何というジャンル5首。

  もし君がキエーーと奇声あげながらヤシの実割ったとしても 好きだよ。  14
  草食男子の精子のごとくわずかなり百円ショップの修正液は  41
  またしても八代亜紀の言霊が大雨降らす県民ホール  55
  歴代のセンターの遺影に囲まれてきらめくAKB100周年ライブ  72
  童貞力極まりて兄は透視するポスター美女の白き裸身を   81

 2020年7月 春陽堂書店刊

萩原慎一郎『滑走路』

 この『滑走路』のことは書店でも手にとって、書きたいなと思っていたが、僕がこの短歌評を担当したのは2019年からだった。だからやや時期を逸していたような印象があった。折よくこの9月に文庫化されたので読んでみたのだった。何者もかなわない純真が刻まれている。読み終えてそう思った。僕は小説があまり面白くなかったので又吉直樹のことを軽く思っていたが、巻末にある解説は結構よかった。単行本の解説で三枝昂之が非正規/正規と労働環境の事に拘泥して短歌を読み誤っていることに比してはるかにましであった。
 短歌を書く、詩を書くというのは弱さを内包していることの証でもある。その弱さとどうかかわってゆくのか。歌人にも詩人にも大切な問題だと思っている。「何者もかなわない純真が刻まれている。」と上に書いたが、この純真をもとに世界を切り開いて行くことをしなければ世界が停滞する。その意味で僕はこの歌集の「弱さ」に共感はしつつも、同意するつもりはさらさらない。狂人にも近い強靭さで以て世界に抵抗してゆくものを詩人と呼ぶ。歌人もまた同じはずだからである。

  まだ早い、まだ早いんだ 焦りたる心は言うことを聞かない犬だ  27
  十代の青年である。どちらへと行くか迷える紋白蝶は  91
  完熟のトマトの中に水源のありて すなわち青春時代  91
  紙片には詩の断片の書かれいて「どうだ?」と僕に問いてくる友  99
  達成はまだまだ先だ、これからだ おれは口語の馬となるのだ  107

 2017年12月角川書店刊 2020年9月文庫化  

短歌時評163回 “正義”という名の暴力 細見 晴一

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 世の中は様々な暴力で溢れている。身体への暴力だけでなく、言葉の暴力など様々なハラスメントが昨今、重要な社会問題になってきている。
 一見無関係なように見える自粛警察、SNS上の誹謗中傷、いじめ、ヘイトスピーチ、ハラスメント、虐待、そしてテロリズムはレベルの差こそあれ、“正義”を振りかざした他者への攻撃性という意味では同根ではないだろうか。こういったことが普通に生きていて、普通に目にすることが実に多くなった。
 たとえば、 2020年に起こった女子プロレスラーの自死はSNSでの匿名による多人数での非人間的な暴言の末に起こった。原因はよってたかって一人を徹底的に叩きのめすことにより、快感を感じてしまう人が多いからか。多くの人が人間関係や経済状態にイライラしてしまい、こちらに“正義”があると勘違いした途端、自身の不満の捌け口にしてしまっているのだろう。
 そしてまだ記憶に新しい2019年に起こった、「京都アニメーション」第1スタジオにガソリンをまいて放火し70人を死傷させた衝撃的な事件は「京アニに小説を盗まれた」とまるで自分が被害者であるかのように訴え、自分の方に“正義”があると信じて疑わない。
 また、2016年に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」への襲撃事件で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた元同園職員は「意思疎通が取れない人は社会の迷惑」「殺した方が社会の役に立つ」と自身の殺傷行為を正当化し、それが“正義”だといまだに疑っていない。

 こういった事象、事件を毎日新聞の専門記者・大治朋子は以下のように分析している。

<「普通の人」がなぜ過激化するのか>歪んだ正義

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200723/pol/00m/010/006000c 

 こうしたローンウルフによる事件は一見「自粛警察」やSNS上の過激な攻撃とは無関係のように見えるが、いずれの当事者にも通底する思考が垣間見える。自分や自分が帰属意識を抱く集団を「絶対的被害者=善」と見立て、「絶対的悪」である他者への攻撃を正当化するという「歪んだ正義」だ。「自分は絶対に正しい」と思い込んだ時、人間の凶暴性が牙をむく。

 大治朋子が指摘するように、中東のテロリスト達もこれと同根で「絶対的に正しい被害者の自分 VS 絶対的に悪い加害者の他者」と社会を二元論に切り分け、自身の不遇をその「絶対的に悪い加害者の他者」のせいにして置き換え、それを攻撃することで溜飲を下げ、自分があたかも正義の味方であると自己陶酔に陥る。簡単に言えば八つ当たりでしかない。
 アメリカでは不況になると白人の黒人に対する差別的な暴力が目立つようになるが、これも自分の不遇を黒人のせいにするという置き換えによる八つ当たりである。そして黒人への非人間化が起こっている。相手が人間じゃないと思うと暴力は一層正当化されるのだ。そうでないと警察権力があんなに安易に人を殺したりしないだろう。

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200827/pol/00m/010/009000c

 大治朋子は「人間がその攻撃性を過激化させるプロセスにおいて必ず表れる現象の一つに非人間化と呼ばれる認知の歪みがある」と指摘する。
 相手を人間以下とみなすことでまず自尊心を満たし、相手は自分(人間)より劣った愚鈍な人間以下のモノなので、対話など通常の手段ではコミュニケーションは通じない、粗暴な言葉や暴力で懲罰を与えなければこちらの意図(正義)は伝わらない、と考え自分の中で攻撃を正当化するという。

 その非人間化でもってSNSで人をこっぴどく罵り、誹謗中傷を浴びせ、それに「いいね」がついて自身の言動が承認されたと思い込み、相手を自死にまで追い込む。相手が人間でないのなら別に死んでも構わないのだ。“正義”という名の暴力が蔓延る所以だ。私たちはそんな時代に残念ながら生きている。

 では我々にとって一番身近なSNSなどで誹謗中傷を受けたときにどう対処したらいいか。「せやろがいおじさん」ことお笑い芸人の榎森耕助がこれに的確に答えてくれている。「せやろがいおじさん」はyoutubeで時事ネタをストレートに痛快に説明し訴えている人だ。リベラル寄りなので普段からネトウヨ傾向の人からひどい誹謗中傷が書き込まれている。さてどう対処しているのか。

https://mainichi.jp/articles/20200626/k00/00m/040/340000c

――自身への批判や中傷にはどのように対応していますか。◆間違っている点や足りない点について指摘してくれる建設的な批判は受け止めて、自分をアップデートする材料にします。「アホ」とか「ボケ」といった悪口はスルーする。一番扱いづらいのが、悪口を混ぜた批判や、批判に見せかけた悪口。以前は真面目に対応していたんですが、精神的負担が大きかった。例えばおいしいステーキにウンコが付いていたら、それはもうウンコ。そこだけ切り取って残りのステーキを食べようとはならない。なので今は開き直って、悪口が含まれるものは全てスルーしています。
――批判と中傷の違いは何だと考えますか。
◆建設的な意見なのか、攻撃を主眼とするものなのか。安倍晋三首相の考えや政策に対して突っ込むのは良くても、「死ね」と言うのは違う。政治批判はどんどんしていくべきだと思いますが、批判にも作法があって、政治家であれば人格攻撃していいとは思わないです。

 まさに言う通り。批判と中傷は分けようというわかりやすいアドバイスだ。建設的な批判に対しては真摯に対応し、単なる悪口、誹謗中傷はすべて無視。これで全然いい。政治家に対しても同じで、政策批判はどんどんすべきだが、人格攻撃は見てて醜いだけだろう。政策は客観的に判断できるが、人格は判断する側の主観でしかない。
 一番判断しにくいのは批判のふりした誹謗中傷だ。「せやろがいおじさん」の言うように、ステーキにウンコがついてればそこだけ切り取って食べるということはできない。全部捨てるしかないだろう。もっと言えば、一度でもそういうことをしてきた人がまた何か言ってきたら、相手に反省の弁がない限り、読まずに無視していいと思う。義理立てて読む側がバカを見るのだから。それはSNSのクソリプに限らず、紙媒体でもクソリプはクソリプである。紙媒体の場合、もちろん載せる側にこそ問題があるのだが。
 何が“正義”かとか、どういうのが性格が悪いのかとか、それはあくまで主観でしかない。たとえば歌人を批判したいのならその短歌や歌論を客観的に批判すればいいだけだ。それを行うときも受ける時も、一つの目安として「せやろがいおじさん」の言う通り建設的な意見なのか、攻撃を主眼とするものなのかを的確に判断すればいい。また逆に自分が相手に意見する時、攻撃を主眼とするものなのかどうかを一度冷静に再考してから意見すべきで、意見を受けた時も、それが攻撃を主眼とするものなのかどうかを吟味してから、リプライするかしないかを判断すればいい。
 人を嫌いになるのは自由だ。勝手に嫌いになればいい。しかし、それにハッシュタグをつけて、「この人、性格悪いからみんなで嫌いになろうぜ」とSNSなどで言いふらすのは、それはいじめである。ヘイトスピーチと同じ構造だ。こういったことが短歌の世界でも多くなってきたのは憂慮すべきことだろう。誰かが諫めないとだめなのだが、誰も諫めない。触らぬ神に祟りなし、ということか。歌人ともあろう者が情けなくて仕方ない。

 さて、そんなディストピアのような時代に静かに登場してきた歌人のが服部真里子だろうか。その第一歌集『行け広野へと』のあとがきにこう書かれている。

 人間の本質は暴力だと思う、とかつて書いたことがあります。暴力とは、相手を自分の思う通りの姿に変えようとすることだと。今でも、人が人と関わることは本質的に暴力だと思っています。

 暴力とは、相手を自分の思う通りの姿に変えようとすることだと。言葉の暴力であれ、身体への暴力であれ、これは同じで、あらゆるハラスメントがそうであり、たとえば最近起こった政治案件だと、日本学術会議の任命拒否問題も多分に暴力的であり、学術に対しても社会に対してもある種のハラスメントを孕んでいる。アメリカの大統領選挙におけるドナルド・トランプの“不正選挙”告発などの事実と法を考慮せず手当たり次第に訴えを起こし続けてきたあの大々的な陰謀論の展開は、社会を自分の思う方向に強引に変え、民主主義を破壊しようとする、社会に対するこれはもう明らかな暴力である。そしてそこに身勝手な“正義”が加味されると始末に負えない際限のない暴力になる。

 服部真里子はそういった暴力的な世界を諦念と共に静かに受け入れようとしながらも暴力のないやさしい世界を愛おしむ。

  野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた  『行け広野へと』

 〈野ざらしで吹きっさらしの肺〉とは常に暴力にさらされた肺だろうか。そういった環境で生きていくためには、人間の本質が暴力である以上、戦って勝つしかない。そのために自分は生まれてきてしまったのだと。仕方ないのだと。これはこの世界に対する覚悟ともとれるし諦めともとれる。

  うす曇り吹き散らされた花びらが水面に白い悪意を流す     『行け広野へと』
  さるびあがみな小さく口開けていてこのおそろしい無音の昼よ  『遠くの敵や硝子を』

 山田航は『桜前線開花宣言』で服部の短歌に対して〈自然なる美の象徴であるはずの花。しかしそこにも他者を思うままに操ろうとする暴力の影が潜んでいる。〉と述べている。
 一首目、桜だろうか。水面を流れる白い花びらにすら悪意を見出してしまう。
 二首目、さるびあの花が群れて咲いているだけなのに、それがみんな何か恐ろしいことを言いたがっているように感じる。無音で静かで平和なはずの昼なのに。無音であるがゆえに一層不気味だ。

  地下鉄のホームに風を浴びながら遠くの敵や硝子を愛す     『遠くの敵や硝子を』

 たとえ敵であれ、遠くにいれば安心なのだろうか。硝子も遠くにあればこちらが傷つくこともない。近くの味方よりも遠くの敵。近くの美しい花よりも遠くの硝子を愛そうということを、地下鉄のホームで一人風に吹かれながら夢想する。

  水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水     『遠くの敵や硝子を』

 山田航はまた服部の短歌について〈他者をコントロールしようと企む「意味」にあまりにも汚染されたコミュニケーションのあり方に疲弊した人に、きっと染み渡るように届くことだろう〉とも評しているが、この歌もそういった疲弊した人たちには染み渡るように届いているのではないだろうか。
 〈水仙〉は確かに美しく咲く。〈盗聴〉はしてはいけない暴力的なことだが魅惑的でもある。その水仙というみずみずしい自然物と、盗聴という暴力的な社会物の間に身を置き、自身がどちらかに傾く。どちらに傾くにしろ傾くことで自分の体の中をわずかな水が巡っていくのだ。この世界の中で自身を巡るわずかな水のことを感じている。その水の感触だけが確かだ。以上は筆者の解釈だが、読む側もその水を何らかの解釈で感じることができれば、この歌はその読者にとって成功していると言えるのではないだろうか。散々物議を醸した歌だが、結局は読者次第だろう。

  雪は花に喩えられつつ降るものを花とは花のくずれる速度       『行け広野へと』
  海を見よ その平らかさたよりなさ 僕はかたちを持ってしまった   『行け広野へと』
  海面に降るとき雪は見るだろうみずからのほの暗い横顔        『遠くの敵や硝子を』
  斎場をとおく望んで丘に立つ風のための縦笛となるまで        『遠くの敵や硝子を』
  青空のまばたきのたびに死ぬ蝶を荒れ野で拾いあつめる仕事      『遠くの敵や硝子を』

 そして服部真里子は『行け広野へと』のあとがきにこう続ける。
 

 けれど、私が短歌を作ってきたのは、つきつめれば人と関わるためです。人間が、互いに暴力でしか触れあえない存在だったとしても、それでもなお、人が人と関わろうとする意志に希望があると信じるからです。

 暴力的な世界を痛切に感じながらも、生きとし生けるものの生死を見つめる眼差しはやさしくそして真摯である。服部真里子の短歌はこの世で生きていくための一つの処方箋なのかもしれない。

 一方、脳科学者の中野信子は科学的な側面から〈正義中毒〉という問題を指摘する。

https://www.mylohas.net/2020/04/209713nobuko_nakano01.html

 「自分は絶対に正しい」「あいつは叩かれて当然だ」と思ったが最後、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に攻撃的な言葉を浴びせてしまう。いわゆる炎上や不謹慎狩りは、その典型的な例だといえます。
ときには相手を社会的に抹殺するまで続く残酷な行為ですが、そうなっても正義を遂行した側というのは、自分が悪かったとは思わない。正しいことをしたとずっと思い続けるんです。
 SNSの普及は、隠されていた「正義中毒」を見える化し、さらに増幅させたと考えています。
 考えてみると、この「祭り」という現象は、古代から連綿と続く祝祭の構造と近いのではないかと。攻撃の対象となる人は、生け贄なんです。その人を攻撃すると、集団の一体感が高まる。集団を守るための社会通念や、共通の認識というのも固まっていきます。
 自分の意思を抑えて集団の存続に協力しているからこそ、「好き勝手」に生きる人が許せない。そこから生まれる「正義中毒」は、個人のルサンチマンに起因するとともに、集団を守ろうとする脳の働きでもあります。
 誰かを叩くのは「世のため人のため」。とても強力な理論武装ができてしまうからこそ、「叩く」という行動が止まらなくなる。

 世の中が行き詰ってくると生け贄が無意識に要求される。その生け贄によって自身のルサンチマンが少しは解消され、そして集団を守ろうとする脳の働きが起動する。中世に起こった魔女狩りが最もわかりやすい例で、

 気候の寒冷化による穀物不良→飢えによる社会不安の増幅→生け贄の希求→魔女狩り

 となった。こういった極端なことが現代でも起こらないとは限らない。

 富の集中などによる不況→生活の質の低下→社会不安の増幅→生け贄の希求→○○狩り

 この○○に入るのはあなたかもしれないし私かもしれない。いつ誰がそんな目に合うか誰にもわからない。歌壇でも小規模だがすでに起こっている。世のため人のためだと理論武装して思い込み、相手を非人間化して自分の思いを正当化して、「叩く」という行為を止められなくなる。そして「正義中毒」が蔓延するのだ。

 そこでそういう恐れがあるときにどう自分自身を律すればいいのか。中野信子はこう提案する。

 ひとつ提案したいのは、「メタ認知」を鍛えることです。「メタ認知」とは、いわば自分を監視するもうひとりの自分。どんなときに「許せない!」という感情が湧いてしまうのか、自分自身で認識する努力をしてみましょう。それができれば、自分を客観視して「正義中毒」を抑制できるようになります。

 一方で、この「メタ認知」というものに弱冠16歳の女優・芦田愛菜が哲学的にアプローチしている。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/mana-ashida-hoshinoko_jp_5f51b134c5b6946f3eaf9b93

 『信じます』っていう言葉を考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待をしてしまっていることなのかなと思いました。だから人は裏切られたとか期待していたとか言うけれど、その人が裏切ったというわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけで、その見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいるっていうことが信じられることなのかなと思います。
 でも揺るがない自分の軸を持つことは難しくて、だからこそ人は『信じる』と口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました。

 完璧である。説明は全く不要だ。とうてい16歳の言葉とは思えない。この女優のこの言葉をすべての人が実践すれば、すべての社会悪が解消されるのではないか、と思わされるぐらいだ。脳科学者の言う「メタ認知」の哲学版である。しかも学者と違って難しい言葉は一切使っていないのにこのレベルだ。
 付け加えれば、自分の思う“正義”にのみ執着している人は一旦その“正義”から離れて自分を客観視してください、ということだろう。それは己にとってのみの“正義”にすがっているだけかもしれないのだから。相手の立場や思いを無視しているのかもしれないのだ。

 ここで、ここまで引用したのはほとんどが女性のものだ、ということに気がついた。これは恣意的なものでは全くないし、偶然でもないだろう。おそらく男性よりも女性の方が「暴力」について敏感なのだ。その抑圧の歴史からしても。だから「暴力」について考える時に参考となるのは女性の方が多くなるのは当然なのかもしれない。我々男性は「暴力」についての考慮が足りないだろうということを強く留意しなければいけないだろう。だが最後に男性の短歌を引用して、男性の名誉を少し回復しておこうと思う。

  シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい   斉藤斎藤『渡辺のわたし』

 “正義”について、暴力について、そしてそれに纏わる「メタ認知」について考察してきたが、最後にこの短歌を持ってきた。この歌の場合、作者の側に具体的に何があったのかはどうでもいいことで、このレベルの短歌になると、そういったグロテスクな私性は完全に消失する。読者側に全て委ねられる。何に対して土下座したいのかは読者それぞれだろう。誰にも一つぐらい土下座したいことはあるに違いない。〈土下座〉という最大の屈辱的行為を〈シースルーエレベーターを借り切って〉という社会に対するおどけた態度でもって〈心ゆくまで〉したいのだという。世の中を舐めているようでそうでもない。この場合の〈土下座〉は単なるおどけたパフォーマンスでしかないのかもしれないしそうでもないのかもしれない。何かすべてを見切った、完璧な「メタ認知」のあとのような、穏やかで静かな境地に誘われる。この歌もまたこの世界を生き抜くための処方箋の一つではないだろうか。

 インターネットなど、情報の氾濫により、各々が自分の好きな情報だけを摂取してしまうこの時代において、客観的な事実は軽視され、自分の感情とシンクロしてくる情報のみが真実として受け入れられていくポスト・トゥルースの時代において、油断していると何が真実がわからなくなってくる怖れがある。一旦それが“正義”だと確信すると簡単に暴力的になるのが人間なのだ。そしてそういった陰謀論が平気で人々の意識に潜り込んでくる。それを陰謀論だとわかって確信犯的に利用してくるのが今や普通に居るのだ。あのドナルド・トランプのように。
 だから、この過酷な世界を生き抜くためとはいえ、〈“正義”という名の暴力〉を処方箋として使わないでいただきたいと切に願う。他人を攻撃することで生き抜くのは元来とても醜悪なことだ。たしかに我々は戦わなければならないのだろう。しかし戦うことは他人を攻撃して貶めることでは決してない。処方箋は探せば必ずある。その人それぞれの処方箋が。

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