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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌評  短歌と翻訳 〜二つの短歌の紹介の事例〜 山口 勲

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短歌評を仰せつかった山口勲です。

知らない方も多いと思うので、私自身の自己紹介をすると、東京都内を拠点にする詩人・パフォーマー・翻訳者であり、イベントの企画や、詩誌の発行人です。

現在は千葉県、東京都でポエトリーリーディングのイベントの主催をしていると同時に、日本語で書かれた詩と日本語以外の言葉で書かれた詩を紹介する雑誌、「て、わた し」を発行しております。雑誌ではこれまで向坂くじらさん、堀田季何さん、瀬戸夏子さん、服部真里子さん、を短歌や詩、俳句、川柳などの形で紹介させていただきました。

書き手でいることよりも幅広い活動で一貫している気持ちは、マジョリティから外れた声を受け取ることです。私自身が重点的に翻訳しているのは移民または性的なマイノリティの書き手が書いたアメリカの詩です。

一般的にある文学ジャンルの「時評」は、その文学のジャンルに属す中堅ないしベテランの書き手がその文芸についての時事を書くことだと、いうのが私の認識です。そして「時評」の主な読者はその文学の書き手です。

半年前に短歌時評の依頼を受けた時、一度断りました。
編集部の気持ちは詩人としての立場で短歌を読んでほしいということで、十分にそのことはわかっていたのですが、私自身はそれを読みたいと思えませんでした


今回受けることにしたのは、歌人でない人間がある分野の時事について書くということはどういうことなのかということを少し真面目に考えたからです。

短歌周辺の事柄の中で、手元まで届かないけど気になることについて、なるだけ紹介すること。これを今回の私の中心に置きたいと思っています。これにより、私の記事は論説は少なくなるでしょうし、私の意見は力ではなく示唆に止まることが多くなるでしょう。
ただ、それによって少しでも意見の広がりを作ることができると幸いです。

短歌と翻訳

第一回は短歌と翻訳についてです。
日本歌人クラブは年に一回短歌国際交流機関誌The Tanka Journalを発行していますが、一般的に短歌がどのように海外で紹介されているかについて触れる機会はあまりありません。

念のため、さまざまな力をお借りして、ここ何年かの短歌雑誌における現代短歌の翻訳の紹介について調べていただきましたが事例を見つけることですら困難なものがありました。

しかしながら、日本語で書かれた現代短歌が日本語の外に出ることは歌人にとっても、短歌のあり方を考える上で重要なことであると思っています。具体的には理由は二つあります。

(1)現代短歌における「われ」とはなんなのかを考えるにおいて、優れた翻訳に対するさらなる解釈は別の地平を切り開くのではないか。

(2)短歌の翻訳は俳句・自由詩のそれとははるかに難しく、翻訳する人を育てることで日本文学全体に寄与するのではないか。

これはいずれも短歌という詩型が原因です。つまり、口語・文語を行き来することのできる十分な長さと議論の歴史。生活それ自体と触れる歌の内容。そして豊富な人称のある日本語という言語で書かれたことそれ自体。このいずれもの中心に短歌という詩型があるためです。

翻訳は言語間の移動であるとともに翻訳者にとっては短歌を読むということに他なりません。そして短歌を読み言語を移動させるということは、短歌を決まっている批評から飛び立たせるのではないでしょうか。

・現代短歌という場所に露呈するもの / 花山 周子
http://toutankakai.com/magazine/post/8065/


これまでも源氏物語はエドワード・サイデンステッガーやアーサー・ウェイリーの翻訳があり、また斎藤茂吉や宮澤賢治はいくつもの翻訳が出ています。現代短歌はどうなのかというとほとんどありません。
今回は、2010年以降に行われた英語による二つの短歌の紹介の事例を紹介したいと思います。


黒瀬珂瀾さんによるロンドン大学講義

未来の黒瀬珂瀾さんはイギリス滞在中の2012年に、ロンドン大学で講義を行なっています。

・ロンドン大学SOASにて特別講義を行いました
http://d.hatena.ne.jp/karankurose/20120216/1329440349

・現代短歌英訳作品集(SOAS特別授業)
http://d.hatena.ne.jp/karankurose/20120216/1329439596


ブログからうかがい知れるのは、現代短歌の中心にいる黒瀬さん本人により紹介されたことは多岐にわたることと学生の豊かな反応です。

黒瀬さんは翻訳のみならず、歌人がどのような媒体で歌を発表するか、そして相聞歌などの短歌の中での歌のあり方を紹介しています。
短歌の句の切れる位置に対する感度の高さや西鶴などを読むという知識の深さなどの学生の意識の高さも注目されます。

黒瀬さんの授業は短歌とそれに付随するカルチャーをどのように海外に紹介するかについて、今後も使える事例を提供してくれたと言えそうです。

さて、翻訳について。この授業での翻訳では中島裕介さんが短歌の選択に、堀田季何さんが翻訳に、と現役の歌人が関わっています。
英語の詩としても読めそうな翻訳をいくつかあげると、穂村弘さんの

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

の下の句が気になります。翻訳は

   Elephant dung
   on the savanna.
   Listen up.
   I'm languid – in pain – fearful –
   onely.


となっており、4句目に「I’m」を入っていることに興味がひかれます「だるいせつないこわいさみしい」は主語がないことで場全体に広がっていく気だるさがあるのに対し、英語だと「I」と名指しされることにより詠み手が際立っていくように感じるのです。

また「さみしい」「lonely」の前に改行が入っていることも気になります。そのほかの言葉が外の世界の刺激の受容であるのに対し、この言葉が内的な刺激であることを如実に表す反面、五句目を半分に入るこの改行は創作に入るのかもしれない、と考え込んでいます。

他にも、佐藤弓生さんの「どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を」が英語の詩として出されても全く変わらない気がするのは翻訳家としての側面も言語に出るのだろうかと様々なことを考えさせられます。

Tanka on the Loose: Tanka x Translation

黒瀬さんたちによるロンドン大学の短歌の紹介は歌人たち短歌の紹介という側面を持つものでした。
短歌の紹介は歌人以外にも行われており、ここで取り上げたいのはTokyo Poetry Journalによるものです。Tokyo Poetry Journalは2015年に創刊した東京を拠点にする英語の詩の雑誌です。
吉増剛造さんの翻訳を行なったEric Sellandさんや、城西国際大学で教鞭をとり、日本の現代女性詩人を紹介する論文も執筆するともに日本語・英語の入り混じった詩のパフォーマンスで知られるJordan Smithさんたちを編集人に迎えるこの雑誌は日本語の書き手も紹介するバイリンガルな側面を持っています。

雑誌刊行のみならずイベントも積極的に行なっている日本では稀有な詩の雑誌です。

・Tokyo Poetry Journal
https://www.topojo.com/


このTokyo Poetry Journalが2018年4月に東京都墨田区にある書店・イベントスペースのInfinity Booksで開催した「Tanka on the Loose: Tanka x Translation」はカニエ・ナハさん、高柳蕗子さん、野口あや子さんの短歌を翻訳するとともに、原作者との朗読を行うという興味深いイベントでした。

私自身はこのイベントに伺えなかったのですが、とても興味があり、Jordan Smithさんにいくつかの質問をさせていただきました。

このなかから紹介します。(回答は英語でいただきましたので、英語はやっつけによる拙訳です)

Q.今回の歌人はカニエナハさん、野口あや子さん、高柳蕗子さんでした。歌人の選択の基準について教えてください。

A.私たちは異なる方向性から歌を詠む歌人が必要でした。翻訳者にどっさりと重たい問題をくれる方向性が必要でした。そして私たちは皮肉から叙情まで広がる様々なしらべと、シュールレアリズムからロマンチックまでの幅広い様式を持つ歌を取り上げたかったのです。
 Andy Houwenさんは過去に野口あや子さんの翻訳に携わっていたことがあったので、野口さんを選ぶのは自然な選択でした。
 カニエ・ナハさんは現代詩人として知られており、歌人として知られていません。ですが、AndyさんとEric Sellandさんはカニエさんの作品に注目していました。実験的で才能のある自由詩の書き手が短歌に関わることで何が起こるのかについて私たちは関心がありました。
 私がカニエさんの詩集「IC」を高橋睦郎さんに見せた際、高橋さんがカニエさんの短歌についても高く評価されたのです。私は高橋さんの評価を信じました、そして短歌がどのように英語へと移されるかに関心を持ちました。
 高柳さんはEric Sellandさんの推薦によるものですが、私も彼女の作品が好きでした。私が読んだ高柳さんの歌集は「ユモレスク」だけですが、とても素晴らしい歌集だったので、私は彼女の他の作品の翻訳も楽しくできました。


Q.短歌の翻訳を通し、楽しかった部分、難しかった部分を教えてください

A.カニエ・ナハさんの

たしかこの辺りあの子の命日の辺りほとけのざのある辺り

は信じられないリズムと、素晴らしい不完全韻でできています。私はこのリズムと調べを残して翻訳したいと思いました。
 herbit nettles(ホトケノザ)にはルビに振ることで「仏の座」・「ホトケノザ」の持つ宗教的な意味と植物としての意味の双方を出そうと思いました。
 カニエさんはこの歌の中ではルビを使っていませんが、他の詩では使っているので、ルビを振ることが行き過ぎであるとまで感じませんでした。

その結果、私の訳はこうなりました


   certainly in this
   vicinity such proximity
   to the anniversary of her death,
   henbit nettles(seat of Buddha)
   mark this vicinity

これをAndy Houwenさんによる同じ歌の翻訳、

   Yes, this is the place
   the place of that child’s
   memorial day
   the place where flowers grow
   called ‘Buddha’s seat’

と比べると、小さな選択の違いが大きな違いになっています。
 「命日」を訳すにあたり、私は「memorial day」ではなく「anniversary」を選美ました。一つには音の響きを重視したためです。certainly、proximity、vicinity、そしてanniversaryという単語はしらべの面でのつながりを作ります。私には「確かに」、3度も繰り返される(!)「辺り」、そして「命日」が似通った調べを持つことが大切に思えたのです。
 もっとも、Andyが「ほとけのざ」について「flowers grow / called ”Buddha’s seat”」のような形で花の名とブッダの暗示を表したことはいいと思うし、多くの短歌翻訳者と読み手はAndyのやり方を選ぶでしょう。
 私がルビを用いたのは、歌が期待する読みに対し、読者へ順応してもらうためなのです。吉増剛造さんの翻訳と論文執筆以来、私はルビに馴染んでいます。


 これと同時に、私たちの誰もが、高柳蕗子さんの

世は白雨 走り込んでは牛たちのおなかに楽譜書く暗号員

を完全に理解することはできませんでした。

 私たちは、牛に降り注いだ雨が牛たちの周りに楽譜のような模様を描いているのだとざっくり考えていましたが、高柳さんは私たちの読みを修正してくれました。暗号員というのは雨を避けるために牛の下に走りこんできたのだというのです。
 信じられませんでした。私たぢの誰もがそんな異様な状況を思いつきも調べませんでした。
 雨が和音のような音符を描いているから雨は暗号員であり、音符は私たちが解き明かさねばならない暗号なのだと私たちは考えていました。
 私たちはすっかり混乱してしまいました。

 この歌は、文脈における役割が短歌の中で強くはたらくことについての大きな学びになりました。詠み手は文脈に対し強い感性を持っており、この文脈の一部は詩の言語の中にだけ生きているのです。この状況はどう訳すかだけではなく、一般的に短歌を一般的に読むかの面でも議論になるのだと私は結論づけました。

この歌が「牛たちの下に走る」のであれば、私たちも状況を訳すことができたのでしょう。でも訳したところで誰が「走りこんでは牛たちのお腹に」を想像することができるでしょうか。


このほかにも私は質のいい翻訳を作るにはどうしたらいいかをSmithさんに伺ったところ、「文学・短歌をよく理解する人」と確認すること、そして「歌人と確かめることにすればもう一人の読者とも確認したほうがいい」という答えをいただきました。

今回は最近の短歌の翻訳や海外での紹介について紹介しました。ものすごく日本文学にも短歌についても詳しい人々がいたとしても紹介できる短歌は一部分でしかありません。歌人から、研究者から、双方の面からの紹介を通じ、もっと充実する可能性を秘めています。
 かつて源氏物語がエドワード・サイデンステッガーやアーサーウェイリーの翻訳によって日本文学を紹介したことと同じように現代短歌は日本文学のまた違った側面を紹介することになるのではないでしょうか。

最後に、Jordan Smithさんがご自身で気に入っている翻訳を2首紹介します


たんぽぽが綿毛に変わる瞬間のおもわず恋、口にしてしまった

   A dandelion—
   the moment it drifts into fluff
   brings carefree love,
   which I
   let slip from my lips

(translation Jordan Smith)



両腕でひらくシーツのあかるさではためかせている憎しみがある  野口あや子

   between my arms, the brightness of sheets spread wide, fluttering with hate

(translation Jordan Smith)



最後に、今回の原稿では、Jordan Smithさん、中島裕介さんの力をお借りしました。
この場を借りて御礼申し上げます

短歌時評133回 名古屋でシンポジウム「ニューウェーブの30年」をわたしは聞いた 柳本 々々

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2018年6月2日土曜日、名古屋。このシンポジウムは、加藤治郎さんの「ニューウェーブなんて存在するのか?」という問いかけではじまった。少なくともわたしのノートはそこからはじまっているのだが、たぶん今回のシンポジウムのひとつのキーワードは、〈ニューウェーブを前提にしない〉ということだったとおもう(以下は、わたしが当日ききながらノートに記したことでばちっと精確ではない箇所もあるかもしれない)。


ニューウェーブはこれなんだよ、これだったんだよ、と荻原裕幸さん、加藤治郎さん、西田政史さん、穂村弘さんの四人が後付けしていくのではなく、〈ニューウェーブってじつはぱっとつけられた名前があとでどんどん後付けされていったものだったんじゃないか〉ということを当時の実感とともに語ること。こういったニューウェーブに対する不信と実感が当日の語り口になっていたのではないかとおもう。


たとえば荻原さんはこんな発言をしていた。〈ニューウェーブは文学運動のために行ったわけではない。ニューウェーブはかたちのわからないもの、ずっと正体のない指標のようなもの〉だったと。


続いて西田さんのこんな発言があった。〈ニューウェーブは運動ではなく社会現象〉。


こうした、〈正体のない〉や〈現象〉ということばが、ニューウェーブのなにかを語ろうとしていたのが当日の雰囲気である。わたしたちは今もうそれが〈あったかのようなもの〉として語るけれど、当事者たちは、それを今なお〈あったもの〉として正面から語るのを避けようとするのがニューウェーブのニューウェーブ的ななにかを物語っている。


穂村さんはこんな発言をしていた。ニューウェーブという言葉は、さいしょはただ単に一般的なことば、単に「新しい動き」として新聞記事用にニューウェーブと言っただけであり、それがのちに前衛短歌として誤読されたのではないかと。もやもやっとしたものが偶然かたちになったのではないかと。


この、偶然、というものも当日キーワードになっていた。加藤治郎さんはそれを受けて、ニューウェーブ勘違い説、誤認説といっていた。つまり、ニューウェーブは偶発的にできたものなんだと。だから、ニューウェーブは事後的な事件なんだと。


当日、わたしがきいて、はっきり学んだふたつの事柄は、まず、ニューウェーブとは、前提や所与のものではなく、当時、ふたしかな《あいまい》なものだったということ、そしてそのふたしかなあいまいなものが《偶然》かたちになったということである。


あいまいと偶然。これが当時者たちが語ったニューウェーブだったのではないかとおもう。


わたしが当日はっきりと学んだのはこのふたつだった。だからこれからもしニューウェーブを語ろうとするなら、まずニューウェーブを所与のものとしないこと、どんなふうにそれが後から後付けされていったのかのプロセスに目を向けてみること、また、どの時点で偶発的にそれがかたちとして定まる瞬間がそのつどあらわれたのかそれに目を向けてみること。そのふたつが大事になってくるのではないだろうか。


わたしが話をきいていておもしろかったのは、ニューウェーブを語る際の外との葛藤・折衝である。ニューウェーブを語ろうとすると、かならず、〈短歌の外〉の話がでてくる。当日、ワープロなどの当時のメディア環境の話や高橋源一郎さんや吉本隆明さんの名前もあがったが、ニューウェーブは〈短歌の外〉とかかわりをもってしまう。ところが〈短歌の外〉とかかわりをもちながら、〈短歌の中に巣くう亡霊〉を同時に呼び起こす。これがニューウェーブが(ライトヴァースにない)いまだに語られようとする〈何か〉なのではないかとおもう。それは外とつながる短歌の出口であると同時に短歌を短歌としてどこまでもつなぎとめようとする桎梏である。


つまり、ニューウェーブを語ろうとすると、あなたの短歌の位置が問われてしまうのだ。加藤治郎さんは、ニューウェーブは、いろんな意識がじぶんの中にあることの発見だったと語ったが、それはニューウェーブを語ろうとするものにもあらわれるのだ。今も。


なお、ニューウェーブのジェンダー性も大事な問題で、当日、前で話されていた四人はいずれも男性であった(これは現代川柳のイベントでもよく起こることだが、時々、ふっと、はっとすることがある。こうしたイベントのジェンダー性というのは常に意識はしていてもいいとおもう)。ニューウェーブとジェンダーをめぐる問題はこれからの課題になっていくようにおもわれる。わたしも興味があってよくかんがえている。


最後にひとつだけ。まったく関係ないようであるようなきもするのだが、わたしは、穂村弘さんが、話のなかで、「よくねるまえにかんがえています」と発言されたのが、きになって、「穂村弘:よくねるまえにかんがえています」とノートに記した。帰りの新幹線で、「よくねるまえに」わたしがかんがえていることはなんだろうとかんがえた。文学についてだろうか、死についてだろうか、言えなかった「はい」についてだろうか。どんどん暗くなって、夜になっていく。墓の群がみえた。ごおっという音がした。静岡あたりだろうか。わたしはねむんないでそれをかんがえていた。

【短歌連作評】 水を照らされて ― 東直子「皿の上の水を照らす」を読んで カニエ・ナハ

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東直子「皿の上の水を照らす」
http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-06-02-19273.html



校庭のトーテムポールと理科室のプレパラートが(声)おくりあう

という一首が連作中にあるけれど、東直子さんのこの連作は声にならない(声)にみちみちていて、私たちの「声」にしてしまうとこぼれておちてしまう、という気がする。トーテムポールとプレパラートの交わす、見えない、聴こえない、秘密の会話を見るともなく目にし、聴くともなく耳をすます、そんなふうに注意ぶかく、それでいてどこか散漫に、そこに置かれた歌たちに、ただふれるしかない、という気がする。歌にいざなわれて思いだすことどもならある。それらを思いだすままに記すにとどめることにする。ところで先日まで私は二週間ほどフィンランドへ行っていた。詩祭へ参加するため。川と川との間のカフェで、地元の詩人、レアリーサ・キヴィカリさんとふたりで朗読をした。テーマは「Blue/By the water/Prayer」。青、水辺、祈り。レアリーサさんは、水に関する自作詩を集めて「Water has a memory」と題された。水は記憶をもっている。白夜のフィンランドは深夜0時になってもまだ仄明るい。うすぼんやりとした月が、あたまの上の水を照らしている。





平泳ぎで海を越えていったこと小さな河童になっていたこと

「器の中の水が揺れないやうに、/器を持ち運ぶことは大切なのだ。/さうでさへあるならば/モーションは大きい程いい。」という中原中也の詩のフレーズをあたまで口ずさみながらゴーグルを忘れた市営プールでえんえん平泳ぎだけをしていた。先日、空港でこんな話をしていた。ときどき、飛行機の荷物の中に隠れて自分たちを密輸しようとするひとたちがいて、しかしはるか上空の気温は想像を絶して低く、ときに彼らは凍った状態で発見される。あたまの水まで氷ってしまっている。





廃線の線路の上に幻の駅の名前をつらねて走る

わたしの廃線にはいつもいっぴきの蝶々が飛んでいて、その羽根に目をこらすと模様のなかにわたしには読めない文字で駅名がしめされている。





キーストーン百一年目の夏に入る女人禁制書斎公開

この歌がなにを歌っているのか私にはわからない。古い友人にすもう、と呼ばれていた子がいて、すもうは相撲部屋のおかみさんになるのが夢なのだった。相撲番組にかかわるアルバイトさえしていたとおもう。あるとき、夏、墨田川の花火大会のあとだったけれど、帰りに蔵前あたりの花火屋さんで手持ち花火を買って、近くの公園に寄った。さいご、先に落ちたほうがなにか秘密を打ち明けるのだといって、線香花火に火をつける。線香花火の仄かな火に照らされて、すもうの蚊に喰われたくるぶしが淡く明滅している。





ねじりつつはずす電球まろやかにホオジロハクセキレイの信念

切れた電球がチチチッと鳴く鳥たちのたましいはたぶんあんなかたちとひかりをしている(いた)のだとおもう。小説家の庄野潤三さんの晩年の作品に『せきれい』がある。庭に来る鳥や散歩道で見つけた花や毎日の食事のことなど、晩年のご自身の日常を日録風に描いた、本人がいうところの〈晩年シリーズ〉の一冊で、計十一冊になった。『せきれい』はその中の一冊で、この「せきれい」は夫人が家で練習するピアノの曲から採られた。このシリーズ中に、ほか鳥にまつわるタイトルに『鳥の水浴び』と『メジロの来る庭』がある。『庭のつるばら』と『庭の小さなばら』もあり、それぞれ別の本であるが、中身はほとんど同じである。「トウフ屋にはトウフしかつくれない」と云った、映画監督の小津安二郎のことをおもいだす。





続編をもたぬ物語として一対の指そろえて祈る

もちろん、優れた続編というものも少なくなくあり、たとえば映画『仁義なき戦い』シリーズでは、私は2番目と3番目がもっとも好きだ。あれらの映画のなかでは、いくつもの指が切断され、ラストシーンでは廃墟となった産業奨励館が映し出された。





一膳の箸、一箱におさまりて深夜しずかなテーブルの水

お箸にはつかったひとのたましいが宿るのだという。箸箱の中の箸の仮死。それにしても月が善い夜である。テーブルの水とからだの水の区別がつかない。





エナメルのような夜の道をゆく翼を持たず尾鰭を持たず

ときどき、夜に川沿いを散歩する。私の夜の川沿いの散歩道に、一か所だけ、スカイツリーと東京タワーが同時に見える場所(というか、箇所)がある。見ているうちに、ふと、ふたつの塔は川でつながっているような気がしてくる。ときどき、ランナーたちが目の前を往来し、鳥たちがふたつの塔を往来している。





おしなべて黙る待合室で観る無音のままのショップチャンネル

無音の待合室をおもいだすとき夢の中でいる水の中をおもいだす。いままで買ったものでほんとうは不要であったものはいくらでもある気がするいっぽうで、なにひとつ無駄な買い物はしなかったという気もする。「この小石が無意味なら、ほかのすべても無意味だ」というようなフェリーニの映画の中のせりふを朧におもいだすと、ショップチャンネルの案内人がいつのまにか観音さまのお顔に入れ替わっている。





白い含み笑いを向けるおかあさん私もう五四歳だよ

このところときおり、いまの自分の年齢のときの母がどんなであったかを思いだしている。母が、自分がその年齢になると自分がおもっていたよりも自分は幼くかんじると語っていた、その声とともに。いまの自分よりも年下の、そのときの母のことを思いだしている。





ヤクルトでおうちを作りかけていた夕焼けせまる畳の部屋に

一本のヤクルトの中に含まれているという何億という乳酸菌の、その何億という数字をかんがえるとめまいがする。畳の目を数えるように乳酸菌の数を実際に数えたひとがいるのだろうか。乳酸菌が生きている、とか聞くと、じぶんのからだがすこしおうちになったような気がする。たぶん、おうちなんだ。





磨り硝子の窓がカタカタ音たてて眼鏡の子供同士の誓い

子どものころのことをおもいだすときまっさきに思い出すことのひとつは学校の窓硝子を不注意で割ってしまったことで、とても重大な罪を犯してしまったような気がしたものだった。しかし、つい先日も誤って家の硝子戸を割ってしまい、修理に七万円もかかったのだった。小学生のころ目がわるくなっていったころ、遠くを見ると視力が回復するとおそわって、そのころ窓際の席だったのだが、授業中、ずっと窓の外のできるだけ遠くを眺めていた。基地の近くの街だったので、ときおり飛行機がものすごい音を立てて近くの空を横切って、そのたびに硝子窓がこまかく振動した。できるかぎり空のいちばん奥を見つめていたのだが、それでも私の目はどんどん見えなくなっていった。





うれしそうに消え失せていく白線の思い出せないポニーテイルの

二年ほど前に私は『馬引く男』という詩集を出したのだけど、そのころ私は馬に憑りつかれていたのだった。二十篇ほどの収録作のうち、半分くらいは「馬」というタイトルの詩だったとおもう。そのころに貼った、いまもこの文章を打っているしごと机で、パソコンのモニターから視線をあげると、いくつかの馬にまつわる写真や絵が目にとびこんできて、そのなかの一つに眠っている馬の写真がある。Charlotte Dumasというアーティストの展覧会のポストカードで、眠っている馬の写真たちと、いままさに眠りに入ろうとしている馬たちをとらえた映像作品による展覧会だった。これらの馬は、軍用馬で、いまも、死んだ兵士たちを墓へ運ぶ役目をしているのだという。頭から眠りに入りはじめた馬の、尻尾がまだ、こちらがわにとどまって、たゆたっている。





甘い言葉をそそがれているさびしさをつまさきごしにふと伝えたい

深夜に電話がかかってきたが「ごめんいまげんこうかいてる」と短く返信すると「さびしいからねる」と返ってくる。そのひとのつまさきを思い出している。ペディキュアの塗りのこしがセザンヌの絵画みたい。





歩きながらこぼれはじめることばたち路地にはみだす緑にふれて

東京の東に住んでいるが、家々の庭先の植物が繁茂してほとんどジャングルの態である。東東京にはもちろん自然は少ないが、家々の庭先の植物によって、都内でも緑の割合が比較的多いのだという。おかげさまで、あの家の庭先にはジャスミン、あの家にはアガパンサス、あの家にはノウゼンカズラといったあんばいに、季節に合わせた花の散歩を楽しませてもらっている。ところで、アガパンサスという花を見るたびにマイルス・デイヴィスをおもいだす、というジャズ・ファンは私だけではないはずだ。後期マイルスの大阪でのライブを収めた傑作ライブ盤「アガルタ」と「パンゲア」があり、この二枚を合わせて通称「アガパン」と呼ばれているのである。横尾忠則によるジャケットも素晴らしい。ちなみにノウゼンカズラは英語ではトランペット・フラワーというのだという。





おだやかな静脈の色とけている花にしずかな真実たくす

赤い花かもしれないし青い花かもしれない。聖母の服が赤と青なのは動脈と静脈をあらわしているのだとどこかで読んだ記憶があるのだが、ほんとうだろうか。静脈を思い浮かべるとき反射的に夕暮れを思い浮かべるのは、中原中也が生前出版したただ一冊の詩集『山羊の歌』の巻頭に置かれた「春の日の夕暮」の末尾、「これから春の日の夕暮は/無言ながら 前進します/自らの 静脈管の中へです」のため。先日、中也と大岡昇平についての文章を書いた。中也記念館で今やっている「大岡昇平と中原中也」の関連企画で、9月に「大岡昇平の戦争と中原中也」という題で話す。大岡は戦争中、フィリピンの前線にて、夕暮、ふと中也の詩を口ずさんだのだという。『山羊の歌』に入っている「夕照」という詩である。「かかる折りしも我ありぬ/少児に踏まれし/貝の肉」という三連目が骨のようにひっかかる。貝の肉は花のようなものかもしれない。





新しい指紋をもらい生きていくアンドロイドのように、紫陽花

世阿弥の『風姿花伝』を以前からかたわらに置いていて、いま、白洲正子さんの『世阿弥』の中でそれをあらためて読んでいる。「秘すれば花」という言葉は、ずっと昔に、いわさきちひろさんの本の中で知った。彼女はこの言葉を座右の銘にしていた。自分の絵について、「消しゴム芸術」ということも言っている。紫陽花の、花のように見え、われわれがおうおうにして花と呼んでいるものはじっさいはガクなのだという。花とおもわせておいて花ではない、ほんとうの花はべつのところにある。





根の浅いうちに抜かれた草たちがひとしく乾く五月、夕暮れ

「びんぼう草のほんとの名前、知ってる?」とミドリがいった。「ハルジオンとヒメジョオンっていうんだよ。」「そんな素敵な名前があるのに、びんぼう草なんて呼ばれてて、ちょっとかわいそうだよね。うちのおかあさんなんてね、ハルジオンとヒメジョオンのこと、雑草のごとく咲いてる花って呼んでるの。」五月に生まれたミドリのことを、五月になり、ハルジオンとヒメジョオンを見るたびに思いだす。ミドリというのはあだ名で、彼女が大好きな『赤毛のアン』から採って、私がつけたのだった。大学のベンチで、夕暮れ、お喋りをしていた。私は「アン・ブックス」の中では二番目の『アンの青春』が好きだ。いま、本棚を探すと、いちばん隅に、そのころ読んでいた、付箋だらけの『アンの青春』(村岡花子訳)があり、そのころの、二十歳ころの私が、どんなところに付箋をつけているか見てみる。こんなところに目がとまる。

不意にアンは指さしながら叫んだ。「ごらんなさい。あの詩が見えて?」
「どこに?」とジェーンとダイアナは、樺の木にルーン文字(訳注 古代の文字)が書いてあるかのように、目をみはった。
「あそこよ……小川の底の……あの古い緑色の苔がはえている丸太よ。あの上を水が、まるで、櫛でとかしたような、なめらかなさざなみ音で流れているわ。それから、水たまりのずっと下の方に日光が一筋、ななめにさしているわ。ああ、こんな美しい詩って見たことがないわ」
「あたしならむしろ、絵と言うわ」とジェーンは、「詩とは、行や節のことを言うのよ」
「あら、そうじゃないわ」アンは山桜の花冠をかぶった頭をつよくふった。「行や節は詩の外側の衣装にすぎないのよ。ちょうど、あんたのひだべりや、飾りひだが、あんたではないと同じように、行や節自体が詩ではないのよ。ほんとうの詩はそういうものの中にある魂のことよ――そしてあの美しい一編は、文字に書きあらわしてない詩の魂なのよ。魂を見ることはそう、しじゅうは望めないわ――詩の魂だって、そうよ」

また、べつの付箋のつけられた、こんなところにも目がとまる。

「大丈夫、来年の春、また植えればいいわ」アンは悟ったところを見せた。「それがこの世のありがたさよ……春はあとからあとから、いつでもくるのよ」





夕暮れのプラットホーム透明な鞄のようにベンチに座る

私の育ったまちの駅はちいさな駅で、急行がとまらないので、各停を待っている間、何本もの電車を見送った。かたわらを川が流れていて、その向こうに山脈が見える。夕方には山の向こうに日が沈む。先日、十年ぶりくらいに、この駅を訪れた。私は駅のことをよく覚えていたが、駅は私のことをすっかり忘れていた。





むき出しの老婆の瞳わたしたちの仕方のなかった時もやしつつ

フィンランドに行く前に、フィンランドの映画を観た。カウリスマキのはだいたい観ていたので、カウリスマキじゃないやつ。「4月の涙」という。フィンランドは百年前にロシアから独立したとき、内戦が起った。この映画の主人公は負けた軍のほうの女性兵士だった。この内戦では女性や子供も多く戦ったという。フィンランドのひとたちはいまでもこの内戦についてあまり語りたがらない。たった百年前のことなのだ。フィンランドは男女平等がとても進んでいる国で、二〇〇三年には大統領と首相がともに女性になった。そのとき閣僚のおよそ半数が女性だったという。ところで、私がフィンランドに行っている間に、何人かの女性に、日本の映画で、お菓子をつくる映画を観たが(そして、素晴らしかったが)、知ってるか、と聞かれた。どうやらそれは河瀬直美監督の『あん』で、最近向こうのテレビで放映されたらしい。私はまだ見ていないのだけど、録画しておいたDVDを見付けてあって、この原稿を書き終えたら見たいとおもっている。樹木希林さんが主演している。樹木さんがおばあさん役で出ている映画が多すぎて、どの樹木さんがどのおばあさんだったか、あるいはどの映画がどの樹木さんだったか、わからなくなってくる。ある夕食の席で、女性映画監督といっしょの席になった。聞くと、フィンランドでも女性監督はまだまだ少ないという。小津が好きだというので、私が毎年十二月に訪れる小津のお墓の話をした。同じ寺に女優の田中絹代のお墓もある。田中絹代は日本で最初期の女性映画監督でもあった。いま、調べてみると日本最初の女性監督は坂根田鶴子というのだという。田中絹代の初監督作品より十七年も前に撮っている。日本最初の写真家なら知っている。島隆という。幕末に生まれて、明治時代に桐生で写真店を営みながら写真を撮った。私は彼女にあてて「島」という詩を書いた。世界最初の女性写真家はジュリア・マーガレット・カメロン。私は彼女にあてて「亀」という詩を書いた。私は彼女たち、写真家たちの瞳についての詩を書きたかったのだが、うまくいったかどうかはわからない。ちなみに世界最初の女性映画監督はアリス・ギィというのだという。私はまだ彼女の映画を見たことがない。


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それにしても、私は日本へ帰ってきてからすっかり夜型の人間になってしまった。失われたぶんの夜をとりもどそうとしているのかもしれない。しかし、じきに東の空が明るんでくる。じきに私はすこし眠るとおもう。水をたたえた、あたまの皿をかたわらに置いて横たわる。


短歌相互評23 クユ?―三上春海から木下こう「クユ」へ

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「クユ」の読み方がわからないとおもった。

 カナカナと気づけば「くゆ」なのだけれども、初めてみたときには記号のようにも、久、匸、勹、工、といった漢字のようにもみえる。「くゆ」、という音を日本語で考えれば「悔ゆ」「崩ゆ」などがおもい浮かぶが、ふつうはあまり聞かない言葉だ。なんでしょう、と、問いが投げかけられているようなふしぎなタイトルだとおもう。

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 タイトルと作品はたとえば問いと答えのような関係にある。「クユ」とはなんだろう、とか、「翻訳者の使命」とはなんだろう、などという疑問からものを読み始めるとき、作品には答えの役割がすくなからず期待されてゆく。一方で、眼の前にあるこの絵画は、この彫刻作品はなにを表現しているのだろう、などという疑問を抱いたとき、わたしたちはときに答えを求める気持ちでそのタイトルを知ろうとするだろう。

 だから、タイトルと作品は問いと答えのように機能するけれど、そしておおむねは鑑賞者の目に先にふれたものが問いの役割を担うけれど、どちらがどちらになるのかに決まりはない。また多くの場合、作品とタイトルの、そのどちらもが本質的には答えという機能を担いきれない。作品鑑賞のあと、タイトルとして「新しい天使」「都会の回路」などを与えられたとして、それらは答えというよりも、次なる問いの起点となってゆくのではないか(逆の場合もそうだ)。問いと答えの関係の、その定まらない流動性のただなかに、作品とタイトルは浮かんでいる。

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めぐすりをふたつ買ひたりどちらかは植物になる夏をあゆめば

 ふしぎな歌だとおもう。頭から順に、「なぜ〈めぐすり〉はひらがななのだろう」「ふたつ買ったのはなんのためだろう」「どちらか、の対象となっているのは何と何なのだろう(目薬たちだろうか、その使用者たちだろうか、それとも……)」「植物になる、とはどのようなことだろう」「夏をあゆむ、もふしぎな言い方だ」などと、一行の終わりまでに、さまざまな疑問が瞬時に立ち上がってくる。

 ふしぎさ、あるいは問い、は木下こうという歌人の一貫したキーワードであるかもしれない。タイトルも作品も、一首や、一語という単位で謎を秘めていて、噛み締めるたび、わたしたちのこれまでの鑑賞態度があらためて問い直されてゆくようだ。なにか知らないものを食べたとき、おいしさの判断に先行して新しい味への驚きがおとずれて、一口目だけでは感想がうまくまとまらない、ということがある。「クユ」においても、意味と答えを探ろうとする前の、一行に含まれる問いの密度と新鮮さを、まずはとてもたのしいとおもう。

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こなごなになつた塗料をベンチからデニムに移すよろこびながら

 作品とタイトルのうち先に目にふれたものが問いとして機能する、と先に述べた。その意味では、短歌連作においてまず鑑賞者の目にふれるものはタイトルである。ではその次にふれるものはというと、当然作品ではあるのだが、しかしその意味内容ではなく、文体、というか、漠然とした〈かたち〉、にまずは注意が向かうのではないだろうか。「クユ」という題をふしぎにおもいつつ次に目にとまるのは、連作という平面のだいたい右上部分の、図にすればおおよそ次のあたりだろう。



〈めぐすりをふたつ〉〈こなごなになつた〉を視野の中心に、〈むすう〉〈しまへび〉〈かぞへて〉なども目にとまり、ひらがなの、やわらかい文体、という印象がつよく来る。だが追って連作全体を俯瞰すれば、〈ベンチ〉〈デニム〉〈ドリンク〉といったカタカナや、〈塗料〉〈薔薇〉〈壺〉といった画数の多い漢字も目にとまり、やわらかい言葉が特別おおいわけでもないようだ。先に生じたひらがなのやわらかい印象は、数の効果ではなく、配置の効果なのかもしれない。やわらかい言葉と、対するような硬い言葉が要所要所に配置され、読者に特徴的な文体をおぼえさせる。

 連作における言葉の配置、文字のかたち、といった言葉の(意味ではなく)空間的な要素もまた、「クユ」を読む上では欠かせない要素におもわれる。

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 連作全体での言葉の配置の仕方に比べると、一首における言葉の配置は一次元的で自由度に劣ってしまう。けれど「クユ」においては、一首の中でもかなり自由な言葉の接続が試されている。

こなごなになつた塗料をベンチからデニムに移すよろこびながら

 ベンチという言葉から連想すれば〈こなごなになつた塗料〉は乾いたペンキなどとおもわれるけれど、ベンチというイメージなしにはじまる〈こなごなになつた塗料〉という導入は、液体である塗料が〈こなごな〉になる、ことを想像させておどろおどろしい。ベンチを立ち上がったらデニムの服に乾いたペンキの粉や欠片がついていた、という状況が想像されるけれど、〈塗料がベンチからデニムに移る〉でなく、〈~を移す〉、という他動詞がここでは選ばれている。塗料を移して〈よろこび〉を感じているのは誰なのだろう、座っていたひとではなさそうだ、という感じがある。ベンチでもありわたしでもあり塗料でもあるなにものかが、この状況全体を喜んでいるようにも感じられる。

葉はむすう花はかぞへてその白をなづきのなかまではこべば残る

〈葉はむすう〉の〈むすう〉も気にかかりつつ、〈花はかぞへて〉のあり方がおもしろい。葉は無数だが花は数えられる、ということを言っているようで、つまり、花〈を〉数えている誰かがいるようだが、ここにあるのは花〈を〉ではなく花〈は〉なのだ。意味として、〈葉はむすう(だが)花は(数えられる。その花を)かぞへて……〉となるような、ふたつの描写がこの〈は〉には凝縮されているのではないか。葉と花を対比するという認識行為、花を数えるという行動、というふたつの異なる動作が〈は〉によって同時に記述される。〈花はかぞへて〉という言い回しはまた、「冬はつとめて」のようでもあり耳馴染みがよい。

 花を数えたらその白い色が脳裏につよく焼きついたのだ、と、散文的にはおおよそこのようなことが述べられている歌におもわれるが、〈運ばれれば〉でなく〈はこべば〉という能動態であることや、〈むすう〉〈なづき〉〈なかまで〉〈はこべば〉というひらがな表記によって、脳へと〈白〉の印象を運ぶなにものかの存在や、〈生(む)す〉〈仲間〉〈ハコベ〉 といった歌には書かれていない言葉も引き連れられ、散文的な意味には落とし込めない異なる世界が一首には匂い立っている。

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〈問い〉とか〈かたち〉とか〈配置〉とかばかりでここまであまり歌意についてはふれてこなかったのだが、ことに「クユ」については、歌意を云々する手前で言葉にたわむれることに特別なたのしさがあり、あまり歌意を考える気持ちにならない。

 短歌の批評ではたまに「わからない歌」について論難されることがある。このようなときに厭われる歌のわからなさとは多くの場合は歌意のわからなさであるようで、つまり、問いと答えでいうところの答えのわからなさが問題にされる。だが、短歌のおもしろさというのは歌意の答えあわせには尽きなくて、眼の前の一首からさまざまなふしぎを問いとして見つけ出すことや、その問いについてうだうだと考えること、ひとつの歌意に一首が収束してゆく前の、無数の可能性状態にたわむれることもまた、短歌のおもしろさであるはずだ、と信じている。

 そして、このような生成され続ける問いのふしぎさを味わううえで、「クユ」という連作を、わたしは最良のもののひとつに考えている。

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 すでに予定の字数を大幅に超過しているのでそろそろこの感想をまとめたいのだが、ふれていない歌やふれていない概念について、まだすこし書きのこしたことがある。

しまへびはたまごを呑みこんだのだから踏んで砕いてあげないとだめ
ぼろぼろに朽ちたり燃えあがつたりする薔薇がいとしき戦士であつた

 生成され続ける問いのふしぎさ、と述べたが、変化すること、入れ替わること、それらをひっくるめた〈流動〉すること、というモチーフが「クユ」のなかでは大事にされている。掲出歌では〈しまへび〉と〈たまご〉が、〈薔薇〉と〈戦士〉が、それぞれのポジションをはげしく争いあっている。踏み砕かれるのは〈たまご〉だろうか〈しまへび〉だろうか、という感じがするし、〈いとしき戦士〉は〈いとしき薔薇〉でもあり、戦いに負けぼろぼろになる〈戦士〉はやはり〈薔薇〉でもあるのだろう。名詞同士の境界はあいまいであり、燃える〈薔薇〉と燃える〈戦士〉が重ね合わされる。

〈流動〉といえば、〈血〉〈油〉〈飲物〉など、液体をモチーフとした歌も気にかかる。

みみたぶに血がいつちやうから話さない夜をひかつた飲物ぬるみ
油ちりばめれば井戸(クユ)のごとき鍋 夕せいれいが顔をうつして
ドリンクをわらつてわたすのが役目いつしようけんめい闇をのぼつて

 一首目、〈話さない夜をひかつた飲物ぬるみ〉という接続のはっきりしない言い回しにも、〈話さない〉〈話さない夜〉〈夜をひかつた〉〈ひかつた飲み物〉などという複数の意味が相互に浸透しあう。言葉の多層的なつながりから、さまざまなふしぎが立ち上がる。

 二首目は表題である「クユ」がルビとしてあらわれて伏線の回収のようでもあるが、連作の答えという感じはぜんぜんしない。なぜ井戸に〈クユ〉とルビをふる必要があるのだろう、調べれば〈クユ〉とはトルコ語で井戸の意味のようだ、しかしそれがなんだというのだろう、と、あたらしいふしぎが次々あらわれる。〈夕せいれいが〉は〈夕蜻蛉が〉かもしれないが、〈夕(に)精霊が〉かもしれない。鍋に幻視されている井戸の像は、別の空間への通路のようにもおもわれる。

 三首目についてはどう読めばいいのかかなり迷う。飲み物をわたす、という行為は、運動部のマネージャーとか、会社のお茶くみ係とか、特定の性に押しつけられてきた(押しつけられている)〈役目〉の存在を感じさせて、〈わらつてわたすのが役目〉、という言い切りにはすこしあやうさも感じられる。この一首は、〈飲み物を笑って渡すのがあなたという存在の役目なのだから、一生懸命はげみなさい〉という、イデオロギーを肯定するフレーズとしても読めてしまうのかもしれない。

 しかし、〈ドリンク〉のカタカナ表記と〈いつしようけんめい〉のひらがな表記のとりあわせの奇妙さとか、〈闇をのぼって〉の微妙な感じが、このような散文的な解釈を押しとどめようとする。人体という闇を嚥下されてゆく〈ドリンク〉に対して、闇をのぼってゆくものとはなんだろう。井戸をうえに引き上げられてゆく水は、たとえばそのような存在者に該当するだろうか。

〈ドリンク〉とか〈めぐすり〉とか〈みみたぶ〉とか、他の歌も含めて日常の言葉が使われているからこの日常のことが詠まれているような気がするけれど、はたしてほんとうにそうなのか。どの歌も、安心はできない。

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 さっきから述べている〈異なる世界〉とか〈どこか別の空間〉とか、そのような〈ここではないどこか遠く〉を目標とする詩は数多い。たとえば華美な(俗に詩的という言葉で意図されるような)特別な言葉遣いによって異世界を描こうとする作品がある。しかし「クユ」の言葉遣いはそのような作品には与していない。

「クユ」の志向は厳密な写実主義ではない。しかし反写実というわけでもない。使われる語彙に異常はなく、日常の言葉で日常の出来事が詠まれているようにもおもわれる。しかし、使われる構文に、〈かたち〉に、〈流れ〉に、別世界の空気が流れ込んでくる。描かれるものは異世界ではないが、しかし厳密にいま・ここというわけでもない。

 ここではないどこか別の世界とは手の届かない理想郷のみならず、わたしの在り方をすこし変えることで、いま・ここにもあらわれる、ということが、文体の力によって明かされてゆく。それが「クユ」のおもしろさでありおそろしさであるだろう。かつて写実主義に基づく作品は、いま・ここを注視することで〈ここではないどこか遠く〉へのつながりを開こうとした。その意味では「クユ」は写実主義の系譜の延長線上につらなる、あたらしい写実の連作とも言えるだろう。この世界でありながらこの世界ではない奇妙な場所へ、「クユ」を通って、われわれはするすると下ってゆく。あるいは汲み上げられてゆく。

 未来をみるようでもある、とおもう。

短歌相互評24 木下こうから三上春海「撤退戦」へ

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 三上さんの作品世界に漂う、不確かで象徴的な存在性、言葉と言葉の繋がりの不思議な質感をどんなふうに捉えたらいいのだろう。一読、意味の取りにくい作品もあるが、トリッキーな訳でもないように思える。ただ、輪郭を奪われたかのような動揺を覚えた。一首一首を、何が有力で、何が無力なのかを測りつつ読んだ。

人間はひとりにひとつ持たされた三百円のおやつであった
 人間なのだとされている「三百円のおやつ」を持っている「ひとり」も人間なのだろうか。森羅万象や時空世界のような、大いなるイメージも立ち上がってくる。どちらにしても逆説めいた一首だ。

ひとりひとりに生誕日あるかなしさを鎮めるようにゆれる炎は
 バースデーケーキに立てられた蝋燭の炎なのだろう。「生誕日」という硬質な言葉選びが、炎のゆらめきの重々しさを映像化させてくれる。

生きているひとはいいねとおもいつつ帰っていったツナマヨネーズ
「ツナマヨネーズ」が誰かの手で冷蔵庫に仕舞われたのだろう。だとすれば、一句目から四句目までが「ツナマヨネーズ」の擬人化に使われているのだが、間延びした感じはない。「おもいつつ」のひらがな表記の力無さが効果的だ。

赤ちゃんは生まれてこない 月面の低重力のスケートリンク
 地球上の重力でなければ、受精は完了しないらしい。結句の「スケートリンク」はそんな不安定さの象徴だろうか。月色の冷たさも伝わる。

ナナフシは鳥に食べられ遠くまで卵を運んでもらうだろうか?
 調べてみたら、ナナフシの卵はまるで木の実のようだった。ナナフシ自体も小枝に擬態していて、ほんとうに植物そのもののような昆虫だ。この作品では生より死が、捕食者より捕食される者が有力だ。

ペグシルの芯のようなる断片が転がっているかばんの底に
「ペグシル」は鉛筆の先だけをプラスチックの柄にはめ込んだような小さな筆記具だ。作品中の「断片」が何かはわからないが、そういえばそういうことあるある、と納得させられる。倒置法で静かに置かれた結句が、読み手をあざやかに実感へ導いている。

犬がいますのシールがやたら貼りついた玄関だけがある芥子畑
 一読、不思議な作品だが、子どもの頃の感覚に戻って鑑賞するとよく解る。「玄関」は畑の囲いにある、ただの入り口なのだろう。「犬」はほんとうにいるのだろうか。たくさん貼られた「シール」の中の一枚なのかもしれない。そう考えると、幼い頃の記憶の錯誤のようなシュール感が楽しめる。

人類は滅びたあとに目が覚めてスクランブルエッグを焼くだろう
「滅びた」ものとは何なのか。例えば、人類の誕生より以前に絶滅した、恐竜や猿人などを基点にして鑑賞しても面白い。滅びたのが人類だとすれば、「スクランブルエッグ」が廃墟と化した都市の惨状を連想させる。「目が覚めて」に生をイメージするのか、死をイメージするのかが醍醐味だ。

さよならの森林浴に行きました 兵隊さんはみんなの誇り
戦争で手をつなぎたいだけなのに手はつなげない 蝋燭がきれい
 表題の在り処のようにも思えた二首。表題の通り、戦う意志は感じられない。戦争ではなく、仕事や人間関係など、日々の生活にある不調和を投影しているように感じられた。「森林浴」、「蝋燭」、清らかなモノが有力だ。

妹はいないのだった 妹が冷たい水を渡してくれる
 不在という存在。いる人よりもいなくなってしまった人が、人の心を充たすことがある。「わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く」香川ヒサさんの一首を思い出したりもした。

水切りの平たい石がこの国の頭に絶えず降ってくる夏
 夏を蒸留したような一首だと思った。二句目までの具象が新鮮だ。「この国の頭」の意図がうまく読み取れないのが悔しい。

人類の楽しい走馬灯であるアドベントカレンダーめくるかな
「人類の楽しい走馬灯」という表現に心が惹かれた。十二月の独特の雰囲気や空気感を、一抹の悲しさを添えて伝えてくれる。人は亡くなる時、走馬灯のように人生を思い出すという。それがこの作品のままに、クリスマスを待つような楽しさであってほしい。

光りは屈折する 透明な夢のなかを――田村隆一『緑の思想』
いつの日か子供のころに抜け殻の犬をあつめる遊びをしよう
 初句と結句は未来に向けられているのだが、「子供のころ」とは過去だ。このちぐはぐ感を詞書が開いてくれる。夢への道のりを探っているかのような作者がいる。

フードコートのいたるところでそれぞれの警告音がひびく海の日
 セルフサービスの飲食スペースで、注文の料理が用意できたことを知らせるブザーの音のことなのだろう。「いたるところで」「それぞれの」と畳み掛けているところに、休日の人混みの中での、作者の居た堪らなさを感じた。

臨時j評 「高島裕『抵抗の拠点』に思うこと 」北村早紀

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 ものを書くようになってからずっと、そしてこの半年はより一層、自分はなんのために書くのだろうと考えてきました。「橋を架けるため」というのが(生意気ながら)最近のお気に入りの答えですが、もちろん最終の答えはまだ出ていません。
 「(当事者ではない)あなたにはわからないからもういい!!」というフレーズは、言うまでもなく自分とは違う立場にいるひとに対して戸をぴしゃりと閉めるような効果があり(大人はわかってくれない、男には/女にはわからない、など無数のレパートリーがある)、言うと決め台詞のようでなんとなく達成感があるのでつい言ってしまいそうになりますが、結局のところはコミュニケーションの放棄なので、言わないように気をつけています。今回のことも、そのように片づけることは簡単ですが、それでは何にもならないので、できる限り丁寧に考えてみました。あなたの立ち位置からは見えにくいかもしれないけど私からはこういう風に見えるよ、という話し合いを丁寧に積み重ねた先にしか学びはないと思うからです。
 はじめに書いておかないと望まない事態を引き起こす可能性があるので書いておきますが、私は喧嘩がしたいわけではありません。ましてやこの件を「炎上」させたいわけでもなくて、冷静に私の考えを述べ、叶うならばいろんなひととこの件について話し合うきっかけにしたいのです。

 未来の七月号の高島裕さんの『抵抗の拠点』という時評に関して、いくつか考えてみたいことがあります(未来の時評はネット上でも読むことができるので、未読の方はこの機会に読んでいただければと思います。)。
 高島さんの時評は今年度のはじめあたりに大きな話題となった福田元財務次官の「セクハラ騒動」を話の出発点としています。この時評からは高島さんがこの「セクハラ騒動」による辞任を不当なものだと考えていることがわかります。
 報道は、次官本人と財務省を断罪し、麻生大臣の責任と不見識を言い立てるばかりで、テレビ局側が、かねてから嫌がっていたという女性記者をあえて次官の取材に差し向けた理由や、取材元である次官に無断で録音した音源を、他社に持ち込んで公開させたことの職業倫理上の是非を問う声はかき消されてしまった。「セクハラは許せない」という、誰にも反対できないお題目の前に、すべての疑問が封殺された形だ。
 まず私は「騒動」という表現に疑問を持ちました。「騒動」というと軽く聞こえますが、私はあれはれっきとした人権侵害に関する事件だったと認識しています。とすれば「騒動」ではなく「事件」、もしくは控えめに表現するとしても「問題」くらいにはなるのではないかと思います。また「セクハラは許せない」ということを「お題目」と表現したことも気になります。辞書を引いてみると、「お題目」とは「口先だけで、実質のともなわないこと」とありますが、まさか「セクハラは許せない」ということをそのようなことだと考えられているとしたら、私とは大きな認識の違いがあると言わざるを得ません。なぜなら、お題目などでは決してなく、心の底から「セクハラは許せない」からです。人が不当に圧力を受けたり不当に取り扱われたりすることを、私は許せないと感じます。セクハラというとどうしても性別を絡めた話になり、そうすると男性対女性の争いのようになってしまうこともありますが、そうではないと思います。すべてのひとが侵害されずに生きていけるようになるために、セクハラを許してはならないのだと考えています。
 上記の文章からは高島さんが、今回の事件の対応は強引であったと考えていることがわかります。その強引さについて、高島さんは「粗雑な手法が、ジェンダーとセクシュアリティをめぐるさまざまなコンフリクトを風通しの良い方向へ導きうるとは到底思えない。」と述べています。私は、これにも違和感を覚えます。今回の対応は確かに強引だったかもしれません。しかし、どんなことにも最初があり、続けていくうちに内容が洗練されていくのだと私は思います。むしろ、今回に関して言えば、強引な方法をとることでしか状況を動かすことができなかったのではないでしょうか。最初にこの事件について知ったとき、私も多少強引だと感じましたが、それ以上にこれは正当防衛だとも思いました。忘れてはいけないのは、表沙汰になってはいなくてもこのような出来事は日常に溢れているということです。私にも、女性だというだけで低く見られた経験があります。なかったことにされがちな出来事がしっかりと世に問われたということを、私は得難いことだと思います。

 この件で、とりわけ筆者が気になったのは、会話の一部分のみを、しかも一方の側の音声のみを切り取り、そこで確認できる発言内容をもって「セクハラである」と断定、断罪してしまったことだ。
 これを高島さんは「言語観の貧しさ」と書いていましたが、私はここにも疑問があります。高島さんが書いている、切り取られた会話の一部とは、具体的に示すと「抱きしめていい?」「胸を触っていい?」などの言葉です。このような発言が許される文脈は非常に限られていると考えます。具体的に言えば、その非常に限られた文脈というのは相手がそのような関係性に合意しているような場合でしょう。そして、相手の方が告発に至った以上、お二人の関係はその文脈上のものではなかったのではないかと推測します。たとえ元財務次官に悪気がなかったとしても、相手が告発したということは、相手をよくない気持ちにさせてしまったことは動かしようのない事実なのではないでしょうか。
 これでは筆者が女性だから女性に肩入れしているのではないかという感じがしてしまうかもしれないので、念のため、告発した側にはじめから財務次官を貶めるような悪意があったという可能性について考えてみます。だとすれば、これは元財務次官の「言語観の貧しさ」が招いた結果ではないでしょうか。「抱きしめていい?」「胸を触っていい?」などは非常にハラスメントと受け取られやすい言葉です。財務次官として発言を求められた場でそれらの非常にハラスメントと受け取られやすい言葉を使うという判断が言語観の豊かさから来るものだとは私には到底思えません。高島さんが指摘する通り、言葉を扱うときには「言葉そのものが孕む多義性や、生きた会話がもたらすさまざまなニュアンス、当事者同士のこれまでの関わり合いや双方の性格などから生まれる雰囲気や文脈といった、言葉と、言葉をめぐる環境との重層性」を意識することが必要となってきます。そのことに関しては私も高島さんに同意します(「騒動」「お題目」に関して前述のように私が違和感を覚えたことも、言葉の多義性によるということができるでしょう)。しかし私は、それは読み取る側だけでなく、使う側に関しても同じことが言えると考えます。つまり「抱きしめていい?」「胸を触っていい?」という言葉を、読みとる側がその重層性を意識して判断する必要があるだけでなく、その言葉を発する側もその重層性を意識しなくてはならないということです。相手は自分と同じ気持ちではないかもしれないし、自分を貶めようとしているかもしれないのです。元財務次官は相手がどのようにとらえるか、相手をどのような気持ちにさせるか、ということにあまりにも無頓着で無神経な発言をしたために、その発言に足元をすくわれたと考えることもできます。

 短歌という詩型が「一義的言語によるわかりやすい物語を生産し消費させてゆく巨大な力への、ささやかな、しかし強靭な抵抗の拠点であり続ける」というのは、納得できるような気がします。短歌に限らず詩とはそういうものだと思います。
 短歌は定型という限られたスペースがあるからこそ、全てを言い尽くすことは難しく、それぞれの言葉のあわいで表現することになります。例えば歌会に歌を提出したとき、作者としての自分が想定した以上に読みを広げてもらえてわくわくするようなこともありますし、狙った意味合いが伝わらなかったり、不本意な伝わり方をするもどかしさもよく経験します。だからこそ私たちは、繊細な手つきで言葉を扱わなければいけないのだということを身を以て知っているはずなのです。

高島さんの時評が発表されたことで、考える機会をいただけたことを大変ありがたく思います。

短歌時評134回  浅野大輝

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I

 平成最後の夏が来た。いつだって夏は一回きりの夏のはずだが、「平成最後の」という形容にはどうしたって時間の重みを感じとってしまうもので不思議である。
 そんな夏の暑さのなか、短歌界隈にも平成という時間を振り返り、総括するような企画が目立ってきている。角川「短歌」2018年7月号の論考特集「短歌とポピュラリティ(前編)」はそのなかにあって多少異質だが、しかしそのテーマは平成を語るものとして避けては通れない、重要な視座であるだろう。


 だが、こうも言えるのではないか。そもそも「短歌」と「ポピュラリティ」とは、相容れない、あるいは親和性の必ずしも大きくはないもの同士なのではなかったか、と。自作の短歌を公にするに当たって歌人は、ポピュラリティを求めるべきではない、少なくともそれを第一の目標とすべきではないだろう。もし求めるとしてもそれは、現時点における束の間のポピュラリティではなく、未来における永遠性を孕んだポピュラリティであるべきだ。おそらくこれは、あらゆる文学ジャンルについて、いや全ての藝術について言える、創作行為に携わる者に普遍的な在り方なのではないだろうか。
石井辰彦「ポピュラリティという名の不名誉」[1]


 石井は若い世代の歌人たちの作品や歌集が手軽に読めるようになった現代に、短歌のポピュラリティの獲得を見出し、「喜ぶべきこと」と素直に賞賛する。しかしその一方で、時流にのって広まる短歌作品の質については「これら今を時めく作品群が『文学』と呼んでもよい水準にあるものかどうか、取り敢えずは疑問である」と苦言を呈する。上の引用は、そのあとに続く一連である。
 「文学」というなにものかをヒエラルキーの高みに据え、それに到達するためのスタンスを「こうあるべき」として提示する論調には反発を覚えないこともない。ただ、そこはいわば現代や若い世代に対する一種のポーズであって、論の本質ではないだろう。論の後半ではプルーストを引き合いに出しながら、「同時代の読者の多くに理解される望みは棄て、稀有な精神を持つに至るであろう未来の読者に望みを託すほかはない。天才に恵まれた歌人とは、そうした存在だと覚悟すべきなのである」と石井は語っている。あくまでも、石井の論点は「未来における永遠性を孕んだポピュラリティ」にあるのである。ここには、作品は時間を超えて届くのだ、そのために作者としてやれることがもっとあるんじゃないのか、という創作者への檄があるように思う。時間を超えて届く作品を目指すという姿勢には、共感を覚える人も多いのではないか。
 他方、現在の時点におけるポピュラリティを退けながら、未来におけるポピュラリティを求めるという部分に、なんとなく屈折したものを感じてしまう。もちろん、「現時点における束の間のポピュラリティ」という共時的な読者獲得と、「未来における永遠性を孕んだポピュラリティ」という通時的な読者獲得には、明らかな性質の違いがある。ただ、読者を獲得したいという作者の願いが見える点においては、両者は同質であろう。「いまの時代にそんなわかってもらえなくともいいんだ」と語りつつ、「でも、きっとこの先わかってくれる人が一定数いるはずなんだよ」とも願っている。そう読めてしまうこともあって、わかるなあと共感する反面、屈折してるなあとも思う。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる/石川啄木『一握の砂』

 近代歌人のなかでもっとも愛誦歌の多い歌人はと尋ねられれば、誰もが迷うことなく啄木と答えるだろう。(中略)
 青春の感傷性が現在の目から見るとやや過剰な所作とともに詠われている。(中略)しかし、一歩引いて考えれば、ある種の愛誦性を獲得するためには、このような過剰なまでに人々の心にベタに訴えかけるような俗世が必要なのかもしれない。
 総じて、啄木はいわゆる専門家人からの評価は低い傾向があるが、それはこのような過剰な表現が、世間一般に受け入れられすぎているところに起因するのかもしれない。しかし、歌は人口に膾炙して、いつも口ずさまれるような一般性を持っていないと、後世に残っていかないことも事実なのである。あまりにも芸術的、文学性が高くて、一部の人々にしか理解されないといった作品は、多くの場合、時代を越えて生き残る確率が低いと言わざるを得ない。むずかしい問題である。

永田和宏『近代短歌』(岩波書店、2013年)


 ポピュラリティを得ることと、作品における俗をはなれた質を確保することの両立、という話を聞くと、上に引いた永田和宏の言を思い出す。永田は啄木を愛誦性のある作品を多く残した稀有な歌人と評価しつつも、その過剰性やある種の俗っぽさを指摘する。啄木の作品は他にも多く取り上げられているが、こうした苦々しさを感じる言及は他の作品についても見られ、例えば「たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず」については「同業者としては、本当はこの一歩手前で表現を抑制して欲しかった」と述べる。評価しつつ、でもちょっと俗っぽいよね、と苦言を文章化してしまいたくなる気持ちは共感してしまうところもあるが、でもよく考えるとこの感覚はなんなのだろう。何かしらの形で読まれたい、だからといって大衆に俗っぽく迎合したくはない。わかってもらいたい、けれどわかってもらいたくない、そんな微妙なゆれうごきが、歌人という存在のなかには蠢いているかもしれない。
 論考特集「短歌とポピュラリティ」は、すでにその後編が角川「短歌」2018年8月号に掲載されている。様々な歌人が行うポピュラリティへの考察を、ぜひ読んで欲しい。



 ところで、「短歌とポピュラリティ」は、短歌作品が一定のポピュラリティを獲得しうるということには触れるものの、短歌作品と同様に短歌の世界の少なからぬ部分を担っている短歌評論については、ほとんどそのポピュラリティを検討していない。テーマ設定も影響しているのだろうと思うが、少しもったいないような気がする。
 短歌評論におけるポピュラリティとは、どのようなものになるだろう。
 ポピュラリティという語を、例えば『大辞林』に従って「世に広く知られていること」と取ってみる。評論にとってどこまでが「世」なのかは様々な捉え方があるとは思うが、評論の読者が一般的にはその批評対象に関心がある者であることを鑑みるなら、ひとまずは批評対象に関わる界隈を評論にとっての「世」とみても、不自然ではないだろう。そう考えると、評論にとってのポピュラリティとは、批評対象に関係する界隈における評論の認知度・知名度ということになるように思われる。つまり、批評対象を扱う分野で知られたり、利用・引用されたりすることが増えれば増えるほど、評論はポピュラリティを獲得できたということができるのではないか。これは学術的な論文の影響力が、その論文の引用件数の多さで語られることがあるのと似ているかもしれない。
 このような意味でのポピュラリティを短歌評論は獲得しうるだろうか。いくつかの例を考えてみるなら、ポピュラリティは獲得できる、というのが答えになると私は感じる。


 レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)
 レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)
 レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

 普段曖昧に用いられている「私」という言葉をこのように三つの「私」に区別し、定義し直してみると、読者の「読み」の枠組の分析が容易になってくるだろう。

大辻隆弘「三つの『私』——近代短歌の範型」[2]


 例えば上に挙げた大辻の「私」のモデル化は、近年様々な批評・評論において引用・利用されている。原文を読んだことがなくとも、別の評論中でこの大辻の考えを読んだことがある、という人も多いのではないか。そう考えると、これはひとつの評論(正確には、その発想の一部)がポピュラリティを獲得しえている状況と言って良いように思われる。
 現代においても多く参照される評論というなら、他にも数多く例を挙げることができる。いまぱっと思いつくものであれば、穂村弘「〈わがまま〉について」(角川「短歌」1998年9月号)、小池光「句の溶接技術」(「短歌人」1981年7月号)、永田和宏「『問』と『答』の合わせ鏡I」(角川「短歌」1977年10月号)、岡井隆・金子兜太『短詩型文学論』(紀伊国屋書店、1963年)など。釈迢空の一連の女歌論や、斎藤茂吉「短歌に於ける写生の説」(「アララギ」1920年)、正岡子規「歌よみに与ふる書」(「日本」1898年)や、さらに遡って紀貫之「古今和歌集仮名序」もそうだろう。原文を読んでいなくとも、そのなかのフレーズや考え方などを別の文献を通して知っているということは非常に多い。これも一つのポピュラリティであると言えるだろう。
 これら評論がポピュラリティを獲得しているのはなぜか。少し考えてみると、これらはそれぞれ全く違う内容について論じていながら、ある共通の性質を持つことに気がつく。その性質とは、短歌の議論における汎用性である。つまりこのそれぞれの論には、短歌に向かう際の思考の枠組みを提供する部分がある。それが多くの論者にとって活用に耐えうるものであったがために、結果としてポピュラリティを獲得しえたのではないか。
 例として、もう一度大辻の「三つの『私』」を見返してみる。この「私」の分類は、時折指摘されるように大まかなものであってそのまま適用可能なものではないかもしれない。ただ、多くの人にこの「私」の分類が利用可能なのは、その大まかさや抽象性の高さによってこそなのではないだろうか。大まかに捉えているが故に、個別の事象の細やかさについて掬い上げることができないことはある。ただし、大まかに捉えているが故に、細やかな部分については、これを利用する各論者が自身の判断でさらにチューニングして利用することもできる。思考の枠組みの一つとして大辻の論があり、他の論者はそれを各自チューニングして活用することで、自身の論を構築しやすくなったのではないか。
 上に例示した他の論もまた、大辻の論と同様の構造でポピュラリティを得ているように私には思える。フレームワークとしての汎用性の高さが、論のポピュラリティにつながっているのである。
 論理的な思考を展開していくときの基本的なフレームワークとして、一般に演繹法と帰納法がよく挙げられる。演繹法は、何らかの一般的な法則や前提から出発して個別の結論を得る。対して帰納法は、複数の個別の事象から一般的な法則や前提を得る。前者は法則から事象へと特化していく思考であり、後者は事象から法則へと汎化していく思考であると言い換えることができる。この特化と汎化の両方向の動きを繰り返すなかから、汎用性のある理論や、個別の事象に対する細やかな着眼が生まれてくる。そして汎用性ある理論は、その汎用性ゆえに広く活用され、ポピュラリティを獲得し得るのではないか。



 翻って、現在の短歌評論の様相を見回してみる。
 大辻の「三つの『私』」のように、汎用性の高い論は少なからずある。ただ、現代においてそうした汎用性ある評論を生み出すことには、ある困難がつきまとっているように思えてならない。
 例えば、短歌とジェンダーの関わりについて評論を書こうとする。短歌というのもよく分からない大きな括りだが、ジェンダーというのもそのままでは非常に大雑把な括りであろう。一口にジェンダーと言ってみても、内実を見れば様々なジェンダーの視点がある。これらジェンダーの数々の視点を捉え、汎用性あるフレームワークを提供することは可能だろうか?
 あるいは、短歌と労働というテーマで評論を書こうとする。労働といっても、現代においてはその問題とするものが数多く存在する。それら諸問題を統合し、汎用性ある短歌の理論を構築することは可能だろうか?
 これらは決して不可能ではないのかもしれないが、非常に難しい課題となることだろう。一般に汎化すればするほど、その捉え方は大雑把なものになりやすい。汎化には汎化の弊害がある。もちろん、難しいからといって問題を放り出してはいけないのだが、多様性が拡大していく現代において、汎化の弊害は恐ろしい。多様になれば多様になるほど、そのそれぞれの差異を細やかに認識していくことが必要になる。その状況下において、「細やかな差異を見落としうる」という汎化の性質は、大きな抵抗感を持って受け止められるだろう。
 そうした視点で現在の評論を眺めてみる。それぞれの論者が知力を尽くして執筆している論ではあるのだが、必ずしもポピュラリティを獲得しうるような、汎用性あるものばかりではない。むしろ、上記のような汎化の弊害を避けるため、ひたすらに個別の事象の差異を細やかに認識しようとする特化の思考が強いのではないだろうか。それは各人の良識によるものでもあると思うが、本当に特化の思考を中心に据えて大丈夫なのだろうか?
 特化には特化の弊害がある。特化とは、基本的に汎用的であることから逃れていく思考である。それゆえその議論は、非常に限られた人々のみが受容・参加するものになりやすい。いわば議論の島宇宙化を促進する側面があるわけである。この状態で行われる議論は、いずれ袋故事に迷い込んでしまう危険性がある。
 こうした島宇宙化は、別の問題を引き起こすことにもなる。評論は多くの場合、自分が思考し理解するために書かれるだけではなく、他者に自分の思考を受容してもらうためにも書かれる。しかし、特化によって議論が島宇宙化することが進むと、必然的に評論を受容してもらえる機会は減少する。受容されることを求めながら、その受容が満たされないという負の状況に陥る構造がここにはある。この状態は受容されることの価値の高騰など、さらに別の困難を引き起こすことにもなるだろう。
 さもすれば特化重視に大きく偏りそうな多様性の時代ではあるが、多様であるからこそ汎化できる論点を意識的に探すということもまた、大切ではないだろうか。特化しきったものがなにか具体を超えて一般性を帯びるということももちろん考えられるのだが、そこにあるのもまた汎化の働きであろう。汎化するということは、いわば分断を拒否し、多くの人との共通理解を作り上げようとする試みでもある。特化によって対象を注視し、そこで浮かび上がってきたことがらのそれぞれを汎化によって俯瞰する。そのゆれうごきが、いつの時代も新鮮な論を形成する。短歌評論のポピュラリティは、そうした汎化と特化の振動に発生すると、私には思われる。



 汎化と特化という発想で再び短歌作品を眺めてみると、短歌という詩型それ自体が実は汎化と特化のぶつかりあう境界であったかのように見えてくる。
 短歌に特徴的なのは、5・7・5・7・7を基調とする定型の存在である。この定型の存在が短歌を短歌たらしめているが、一方でこの定型以外の部分では、短歌を短歌たらしめているようなルールのようなものが、あまり見当たらない。おまけに、この唯一のルールである定型でさえ、ざっくりと5・7・5・7・7のリズムを想起させるものであれば良い、というくらいの寛容なものである。言葉の拍数によるリズム、それをさらに拡大解釈して捉えていくような機能が定型にはあるが、こうした定型の抽象度の高さが、あらゆる個人の心情や発想を作品化するのに役立っている。定型というものを通して個人が個人を超えていくような、汎化のプロセスが存在しているとも言えるだろう。
 また、短歌作品を読者として読み解き、自身の言葉で語るという場面を考える。作品という汎化された存在を、ある読者の語りに落とし込むというのは、まさに特化のプロセスと呼べる。批評や評論が特化の思考をまといやすいのは、読みという行為自体が特化の方向に向かうものであるからと考えることもできる。
 汎化によって広く人々に伝播していくことを期待しながら、汎化の過程における細やかさの損失に疑問を感じて特化を求めたり、さらにその特化の弊害についてなんとか避けられないかと苦慮したりもする。短歌のポピュラリティを語る際に生じてくる心のゆれ——わかってもらいたい、けれどわかってもらいたくない、そんな微妙な心的振動は、短歌における汎化と特化のせめぎ合いに起因するのではないか。作品にせよ評論にせよ、自身のなかの汎化と特化の振動に対して意識的になることが、単なる共時的なポピュラリティという枠にとどまらない、豊かな作品・評論を生み出していく鍵なのかもしれない。

■註
[1]角川「短歌」2018年7月号・論考特集「短歌とポピュラリティ(前編)」所収
[2]大辻隆弘『近代短歌の範型』所収

■参考文献
[1]石井辰彦「ポピュラリティという名の不名誉」(角川「短歌」2018年7月号・論考特集「短歌とポピュラリティ(前編)」所収)
[2]永田和宏『近代短歌』(岩波書店、2013年)
[3]大辻隆弘『近代短歌の範型』(六花書林、2015年)

短歌評 わが短歌事始めⅡ 『塚本邦雄全歌集』 酒卷 英一郞 

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 『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇(昭和四十五年)、筆者二十歲の時であつた。旣刋六歌集、『水葬物語』に始まり前囘主に觸れた『裝飾樂句(カデンツア)』『日本人靈歌』『水銀傳說』『綠色硏究』『感幻樂』を收めた待望の、そして當時自分の所有してゐた書物の中で最も大事な一册であつた。これが短歌のすべてであり、いや世界の事象のことごとくがこの中に表現されてゐると信じて疑はなかつた。他の歌人たちは、この塚本が詠つた世界にこの上、なにを足すことがあるのだらうか、ここからなにを引去ると云ふ愚擧に出るのか。頁を手繰るごとに新しい世界が眼の前に啓かれ、胸に刻まれ、心に燒付けられた。この世界の全體像をしつかりと捕まへるために先づ行つた作業と言へば、塚本作品に登場する夥しい名詞、名辭、固有名詞の索引(インデックス)を作成することであつた。
 文學、音樂、美術、歴史、植物、動物、衣装、美食等々。あの黃金ノオト、詩的現象の解析表は一體どこへ行つてしまつたのだらうか。そもそもなんで作業は中斷されたのか。いまとなつては自己の心持ちを推し測るしか無いのだが、目眩く萬華鏡のやうな、しかも閒斷なき出現に、終ひには辟易し、たうたう放擲してしまつたのではなかつたか。これらを何ひとつとして眞に所有する、その世界を思想的に血肉化することは、終ぞ叶はないのではないか。ふと兆した不安は忽ち心を被ひ、黑雲は瞬く閒に全身を捉へた。
先づは精華の數數を。

  つひにバベルの塔、水中に淡黃の燈(ひ)をともし――若き大工は死せり
  貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとで變へり。海にて
  夜會の燈(ひ)とほく隔ててたそがるる野に黑蝶のゆくしるべせよ
  みづうみに水ありし日の戀唄をまことしやかに彈くギタリスト
  ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
  遠い鹹湖の水のにほひを吸ひよせて裏側のしめりゐる銅版畫
  ゆきたくて誰もゆけない夏の野のソーダ・ファウンテンにあるレダの靴
  かりそめの戀をささやく玻璃窓にはるかな街の夜火事が映り
『水葬物語』

 『水葬物語』は前囘觸れたが、塚本三十一歲、一九五一(昭和二十六年)の處女歌集。これを繙くに後年の刋行となるが、盟友杉原一司との交友以前、「水葬物語以前」と銘打たれた『透明文法』から始めるのが常套であらうが、やはり『全歌集』との遭遇は決定的であつた。その濃密な假構と精緻なメトード、そしてロマネスクに彩られた花壇に異彩な數首が紛れ込んでゐる。

  銃身のやうな女に夜の明けるまで液狀の火藥塡(つ)めゐき
  寶石函につけて女帝へ鄭重にのびちぢみする合鍵獻ず
  迷路ゆく媚藥賣りらも榲桲(まるめろ)の果(み)を舐めてまた睡りにかへり

 まるで『俳風末摘花』擬きのあぶなゑ仕立てだが、喩的効果と適確な韻律とが、一首を低囘から牽き立ててゐる。

    *

  愕然と干潟照りをり目つむりてまづしき惡をたくらみゐしが
  水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
  われの戰後の伴侶の一つ陰險に内部にしづくする洋傘(かうもり)も
  まづしくて薔薇に貝殻蟲がわき時經てほろび去るまでを見き
  賣るべきイエスわれにあらねば狐色の毛布にふかく沒して眠る
  ジャン・コクトーに肖たる自轉車乘りが負けある冬の日の競輪終る
  娶りちかき漁夫のこころに暗礁をふかく祕めたる錆色の沖
  硝子工くちびる荒れて吹く壜に音樂のごとこもれる氣泡
  腐敗ちかきレモンに煮湯そそぎつつ親しもよ輕騎兵ジュリアン
  道化師と道化師の妻 鐵漿色(かねいろ)の果(み)をへだてて眠る
  血紅(けつこう)の魚卵に鹽のきらめける眞夜にして胸に消ゆる裝飾樂句(カデンツア)

 『裝飾樂句』(カデンツア)創作期の作品に後に纏められた『驟雨修辭學』(昭和四十九年・大和書房刋)があり、いづれ甲乙つけ難き絕唱が竝ぶ。

    *

  日本脫出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
  暗渠詰まりしかば春曉を奉仕せり噴泉(ラ・フオンテーヌ)・La Fontaine
  わが過去にすさまじきものはこびきて豪雨の中にうなだるる馬
  突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼
  世界の終焉(をはり)までにしづけき幾千の夜はあらむ黑き胡麻炒(い)れる母
  われまことに少女らに告ぐ朱夏いたり水苔のみづみづしき不姙
  われよりややつよき運命賜はりし鶸なり灼くる砂の上の屍(し)
  遠き一つの火災鎭めて今われにきたる猖猖緋の消防車
  桃太郞の眞紅の繪本ころがれる夜の疊、そこに時閒(とき)の斷涯(きりぎし)
  ロミオ洋品店春服の靑年像下半身無し***さらば靑春
  さむき睡りの中むらさきのほろほろ鳥(てう)小走りにさきの世の家族達
  不運つづく隣家がこよひ窓あけて眞緋(まひ)なまなまと耀(て)る雛の段
  ほほゑみさそふばかり安けくわがうちの古典の死、箱に光る鮎の屍(し)

 『日本人霊歌』一九五八(昭和三十三年)の制作年月は一九五六年夏から五八年夏への二年閒。作者三十六歲から三十八歲に當る。
 前作『裝飾樂句』を繼いで塚本獨自の社會性
 短歌のひとつの極みを遂げる。集中の作品群としては、表題作「日本人靈歌」全五十首に塚本にしてかなり直截的な表現が目立つ。この時何が起こつたのか。一九五六(昭和三十一年)十月、ハンガリー動亂勃發。ソ連邦によるハンガリー民主化の彈壓。スターリニズムの介入である。塚本は逸早く反應する。

  赤き菊の荷夜明けの市(いち)にほどかるる今、死に瀕しゐむハンガリア
  髮けむらせ繩跳ぶ少女 ハンガリア少女と遠く恐怖を頒(わか)ち
  運河、今朝油の蒼き膜にうつりハンガリア靑年の炎の眼
  ハンガリアのそののち知らず 怫然と若き蠺豆(そらまめ)煮をりコックは

 卷中、ハンガリアに言及した四首全てを擧げてみた。ここら邊りが塚本の社會性の極點ではないだらうか。ハンガリー動亂の日本思想界、文學界に及ぼした影響はその後の言動の分岐點ともなる。黑田寛一がこのスターリニズム糾彈の烽火を擧げた。埴谷雄高は反スターリニズムの行動原理の確立へ。
 一方、「ロミオ洋品店」にて靑春との訣別を果たし、靑年晩期と、壯年意識の濃厚な潤色、そして老年を見据える眼差しが交叉してゐる。

  靑年期疾(と)く過ぎゆくと汗ばみて見る灰綠(くわいりよく)のピカソの牧羊神(フオーヌ)
  老いは目くらむばかりのかなしみとおもふ暗がりに靑梅嚙む父よ
  はつなつのゆふべひたひを光らせて保險屋が遠き死を賣りにくる
  壯時(さかり)過ぎむとして遇ふ眞夏、手のとどく其處に血溜りのごとき日溜り
  冬の堅果(けんくわ)のごとき老年われは欲りここに黑き繪のフレンチ・カンカン

 無論、塚本が告發する日本の狀況と内部の情況とは次の一首のやうに異なる。

  われの危機、日本の危機とくひちがへども甘し内耳のごとき貝肉

 ゆゑにとはあまりに結論を急ぎすぎるだらうか。現狀からの、また自己の時閒の檻からの脫出願望は、卷頭一首(「日本脫出したし」)に象徴されるやうに全編を通じて通奏低音を奏でる。

  人無き埠頭にて極地への脫出の荷の中の周りやまざるミシン
  少女死するまで炎天の繩跳びのみづからの圓駈けぬけられぬ
  脫出ねがふわれをおほひて洋傘(かうもり)のうちがはのいたましき骨組
  檻に頰すりつけて火喰鳥見つつつひに空白の出日本記(しゆつにつぽんき)

    *

  燻製卵はるけき火事の香にみちて母がわれ生みたること恕(ゆる)す
  眼科醫、眼科醫と邂ひしかば空港のあかつきあかねさす水晶體
  菖蒲(あやめ)みのりてそのむなしき果(み)群るる季(とき)むらさきふかしわが嗜眠症(レタルギア)
  夏至の海くらくらとして過去よりの金靑(こんじやう)ぞ 溺死したるShelleyに
  おとろへて坐す黃昏(くわうこん)をコルシカの戀唄赤き針零(ふ)るごとし
  さらばみじかき夏の光りよ理髮師にわが禁慾の髮刈らすべく
  復活祭に往け 汝(な)がために縞蛇のたまごとおそるべき藍の天
  カナリア諸島地圖の旱りの海に泛(う)きわれかつて嬰兒(みどりご)をいだかず
  くちなしの實煮る妹よ鏖殺(あうさつ)ののちに來む世のはつなつのため
  曲馬團 死の前(さき)の夜のまなぶたの天幕に馬の影もつれつつ
  一束(ひとたば)の獨活(うど)ほどかれて胸を刺す香よ エルシノアのホレイショへ
  萬綠の中游ぐかにかへりきてここに左右の頰毆たるる愛
  抒情詩もて母鎭めむにあたらしき鋸の齒のかたみに反(そむ)く

 『水銀傳說』一九六一(昭和三十六年)の山巓は、岡井隆をして「壯烈な失敗作」と嘆かしめたと云ふ表題作、ランボーとヴェルレーヌとの交感(コレスポンデンス)を、その愛憎劇として描いた百首に極まるか。先の『日本人靈歌』で飽和點に到達した塚本の短歌リアリズムが、脫出、さらなる飛躍を期しての兆戰であつた。Rimbaudに寄すとして五十首、Verlaineに寄すとして五十首の計百首。ふたりの現實的交歡を遙かに、その彼方の短歌詩形へと思ひを馳せ、中空に新しき韻文を刻む。この件り、碩學壽岳文章の「『水銀傳說』を読む」に委細が盡されてゐる。

    水銀傳說
     Rimbaudに寄す
  娶らざりしイエスを切に嘉しつつかなた葎の夭(わか)き蝮ら
  人を惡(にく)みて罪愛すれば山中に山火事のあとかぐはしきかな
  縊(くび)れし雉子(きじ)とわれらの前世紫金なしうつるスミルナの寺院(てら)の鏡よ
  にくしみもてこのにくしみをささへむと馬蹄型磁石なし寢るわれら
  印度大麻劑(ハシツシユ)のみて氷河の紅き花見むと髮燒けり幼妻の髮
  屍(し)は見ざれども暑き日をありありと哀れアルチュールが禾(のぎ)なす髮よ
    Verlaineに寄す
  こよひ巴里に蒼き霜ふり睡らざる惡童ランボーの惡の眼澄めり
  橘に靑銅の果(み)はきざしつつ死後のくにの夏のはじめ
  低くして眠る頭熱(づあつ)し 足の方はるか西域の彷徨(さまよ)ふみづうみ
  われ擊ちそこなひし拳銃 漆黑の蘂もつ花のごとく墜ちたり
  燠色(おきいろ)の夜の鷄頭にからだ觸れ立てりわれまた死の國の火夫
  一月十日 藍色に晴れヴェルレーヌの埋葬費用九百フラン

   *

  雉食へばましてしのばゆ再(ま)た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ
  蕗煮つめたましひの贄(にへ)つくる妻、婚姻ののち千一夜經(へ)つ
  鵞鳥卵つめたしガルガンチュアの母生みしパパイヨ國の五月雨
  坐して針賣る老婆ここより西方へ千里タシケントは麵麭の町
  ギムナジウムと花屋のあはひ泥濘の屬領も昧爽(よあけ)までに亡ぶ
  揚雲雀そのかみ支那に耳斬りの刑ありてこの群靑の午(ひる)
  婚姻のいま世界には數知れぬ魔のゆふぐれを葱刈る農夫
  姦淫は母もつことにはじまりて酢の底となる皿の繪の鳥
  土曜日の父よ枇杷食ひハルーン・アル・ラシッドのその濡るる口髭
  ピレネー山脈戀ひて家出づ心臟のあたりわづかに紅き影曳き
  金婚は死後めぐり來む朴(ほほ)の花絕唱のごと蘂そそりたち
  ヴィヨン詩集瀕死の母のたをやかに鋭揚音記號(アクサン・テギユ)の楔形(けつけい)の棘

 『綠色硏究』一九六五(昭和四十年)を語るのに變則的ながら、先づその著者の手による裝幀から愛でたい、と書き出して大いに悔しきことながら、この一册を所持してゐないのだ。つまり二十歲のころに入手した(正確な入手日は分からない)『感幻樂』以前の單行歌集の悉くを所有してゐない。さらに欲しさは彌增す。外凾の黑地に各色を配した章題の漢字レイアウトが絕妙で、まさしくこのデザインが塚本美學の象徴でもあり、歌集レイアウトとしては屈指の出來映えと言つてよい。このころより、なほ一層超絶技巧の名に恥ぢない古典格の作品が頻出し、村上一郞の「『綠色硏究』ノオト」によれば、「私には、塚本の歌を、モダニズムだとか、前衛短歌だとかいう人たちに、塚本の『最高の古典新古今和歌集』からの、(中略)ことばのつなぎに生れる連想の系譜を汲みとってもらいたいと希望する」と云ふことになる。

    *

  固きカラーに擦れし咽喉輪のくれなゐのさらばとは永久(とは)に男のことば
  雨の薊棘こまやかにひかりゐつ愛は創まらむとしてたゆたふに
  睡りの中に壯年(さかり)すぎつつはつなつのひかりは豹のごとわれを嚙む
  わが掌(て)のうちに螢は死して光りをりああ樹樹はその綠に倣ふ
  蚊の卵こころに顯ちてうすあかきベネディクタスのうすいたがらす
  睡れをとめらよ燈黃(たうくわう)の縞曳きて星隕つ おつるまで熟れしかな
  わがいだく寒卵うち赤からばピアノつくりしクリストフォリに
  言葉、靑葉のごとし かたみに潛然と濡れて世界の夕暮れに遇ふ
  わが愛のかたへに立ちて馬の目のこほる紫水晶體よ
  孔雀の屍(し)はこび去られし檻の秋のここに流さざりしわが血あり
  繭ごもる少女のために火の秋のバッハ平均率ピアノ曲集
  わが修羅のかなた曇れる水のうへに紅き頭韻の花ひらく蓮
  ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺
  いもうとはつきくさの血につながるときのふ知りたること今朝おぼろ
  一人(いちにん)の刺客を措きてえらぶべき愛なくば 水の底の椿
  靑燕攣(つ)れつつ翔べば夢の世に井戶掘る邑をわれは過ぎしか
  瞋(いか)りこそこの世に遺す花としてたてがみに夜の霜ふれるかな
  秋は身の眞央(まなか)を水の奔りつつ弟切草(おとぎりさう)の黃のけふかぎり

 永らく塚本短歌の最高峰を『全歌集』直後の第七歌集『星餐圖』一九七一(昭和四十六年)と踏んできた。成熟と腐亂が綯交ぜに極みを爲し、叙情は内に微熱がごとく籠る。前歌集『感幻樂』を晴とすれば、まさしく表裏なす褻の一册である。久しぶりに讀み返してみて、はたして私の眼は曇つてゐたのであらうか。いまは閒違ひなく『感幻樂』一卷を、中でも「中・近世歌謠群の綠野を彷徨した」(『感幻樂』跋)隆達節によせる初七調組唄風カンタータとの副題をもつ「花曜」四十首と、憑かれたる帝王への頌歌として、後鳥羽院とネロに獻じられた「幻視繪雙六」計六十首のうち、特に前半の「菊花篇」三十首を塚本短歌の最高峰と斷じて惜しまない。

  花曜
    壹の章 むらあやでこもひよこたま
  いざ二人寢む早瀨の砂のさらさらにあとなきこころごころの淺葱
  おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿
  雪はまひるの眉かざらむにひとが傘さすならわれも傘をささうよ
  きららきさらぎたれかは斬らむわが武者(むさ)の紺の狩襖(かりあを)はた戀のみち
  つね戀するはそらなる月とあげひばり 柊
  ひとでなし 一節切(ひとよぎり)
  雪の上來しあたら長脛さやさやと杉の香はなつなれ好色漢(すきをとこ)
    貮の章 きづかさやよせさにしざひもお
  空蟬のうちに香もなきかなしみの充つるを天にむけし繪ひがさ
  まをとめの鈴蟲飼ふはひる月のひるがほの上(へ)にあるよりあはれ
  空色のかたびらあれは人買ひの買ひそこねたるははのぬけがら
  山どりの紺の風切羽(かぜきり)きみなくばやすらけく風の夜を寢みだれむ
  螢惑星(けいこくせい)を水に隕とせし誰がうたぞわれよりこゑ淸きほととぎす
  馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
  籠(こ)には眠らふ雉子(きぎす)の卵いつの日かかへらなむ霜月のまぐはひ
  晝、抱擁の腕(かひな)ゆるめよ樹樹の閒ゆあらあらと放鷹樂(はうようがく)湧きくるを

    幻視繪雙六 
     Ⅰ 菊花變 後鳥羽院に寄す
  修羅はつなつの紺 ほととぎすあけぼのを逐ひわれは黃昏を怖れつ
  梔子一白(くちなしいつぱく) 死するをとこの目の二黑(じこく) ことば裂かるるとも肉觸れむ
  水無瀨瑠璃 熊野藍靑(らんじやう) 三碧(さんぺき)のあまれる隱岐に水脈(みを)奔るかな
  愛は終焉(をはり) 辛夷(こぶし)の空を橫裂きに雲雀翔つ世のほかなる時へ
  六白の雪をおもへばかまくらの沖うすずみの波の上の菊
  こころざし風の山査子(さんざし)花荒れて髮刈ればわがつむり新墾(にひばり)
  酢藏風花(すぐらかざはな)にはかにやみし催馬樂(さいばら)のをはりのこゑの死ねとひびきし
  心ほそるばかりに馬は麥食むを到りがたしわが詩歌の奈落


 この『全歌集』については忘れ得ぬふたつの插話(エピソード)がある。『全歌集』の監修校訂は須永朝彥氏が擔當した。漸くに一本が成り、氏曰く「校正には細心の注意を拂つたが、たつた一箇所、誤植が見つかつた」。
 聞けば、處女歌集『水葬物語』卷頭の、ランボーの佛文引用詩の冒頭部分に發音記號(アクサンテギュ)が重複してゐたとか。確かに「……私はありとある祭を、勝利を、劇を創つた……」に相當する「J、ai cree toutes les fetes、……」の發音記號が重複してゐる。その時の須永氏の悔しさうな顏付き……。
 もうひとつの插話は詩人吉岡實との出會ひでもあつた。當時、東大安田講堂をめぐる官憲との攻防戰以後、學生運動は徐々に退潮の兆しがあつた。それ以前、私が通つてゐた母校でも、學内の民主化運動に端を發し、やがて産學共同路線粉碎から一氣に政治的スケヂュール鬪爭へと雪崩れ込んで行つた。だが、元よりノン・ポリティカル、政治意識の極めて希薄な非政治少年であつたから、バリケードスト突入からの長期休講は、幸ひなことにわが詩の季節の到來でもあつたのだ。時折しも、思潮社から『田村隆一詩集』を皮切りに「現代詩文庫」の刋行が始まる。續刋は谷川雁、岩田宏、清岡卓行、黒田喜夫、吉本隆明、鮎川信夫、飯島耕一等々。第1卷の『田村隆一詩集』に一九六八年一月一日第一刷の奧付があるが、第11卷の『天沢退二郎詩集』が同年七月一日、『吉岡実詩集』(第14卷)が同九月一日。全卷を所有してゐるわけではないので、若干の異同はあるだらうが、第18卷の『長谷川龍生詩集』は翌一九六九年一月七日の發行となつてゐる。因みに第30卷が『岡田隆彥詩集』で一九七〇年二月一日の發行。驚くべきハイペースで詩の季節が釀成されてゐた。列島に戰後詩・現代詩の旋風が卷起こつと言つても過言ではない。どれも是も嬉しい限りの内容だが、シリーズ中、わが最高の一書といへば一九七一年刋の第45卷、『加藤郁乎詩集』を措いて他にはない。刋行時の全句集、全詩集でこれでたつたの三百二十圓。ここまで當初より定價は變つてゐない。非政治少年が遲ればせながら詩の季節を迎へてゐた。と同時に、いまも變はらず欲しいものに限りはない。食慾よりも性慾よりも言へば睡眠欲、そしてそれらを遙かに凌駕するかの物神崇拜。先の塚本索引もひとつの引き鐵であつたやも知れぬ。
 御茶ノ水驛の御茶ノ水橋口から明大通りを駿河臺下へ、途中、明治大學を經て右折、山の上(ヒルトップ)ホテルの前の小路を錦華公園へ下ると、その公園の裏手に淸水なんとか堂といふ文具店があつた。二階がなんとも不思議な構造で、室内を廻る圓形のバルコニーを圍んで三部屋の貸閒があつた。その一室があの傳說の漫畫雜誌ガロの發行元、青林堂の編集室であつた。創始者の長井勝一氏も健在で、ある朝「おい、御餅が燒けたよ」と、ご相伴に與つたことも。その隣室がわがアルバイト先の「荒魂書店」。この命名には石川淳のアナキスト群像を描いた長編「荒魂」が寄與してゐるとか、ゐないとか。
 神保町の古書街メインストリートからは大分奧まつた古本屋のアルバイトに、なぜ納まつたかについてはほとんど記憶がない。ただここの御店主についてはよく憶えてゐる。僅か二、三歳年上の店主I氏は、もともと駿河臺下の交差點を渡り切つた正面の三茶書房のいはゆる丁稚上り。二十代前半で獨立、件の店舗を起ち上げたが、當時「平凡パンチ」にも採り上げられたいはば古書店界の革命兒。轉じて後年アイドル寫眞集のブームを先驅けた。常客に發禁本の大家、城市郞氏。たびたびの寄り道で恐縮ながら、この城さんにも忘れ難き思ひ出が。――城さんが當店より高柳重信の『黑彌撒』をお購ひ上げ。この『黑彌撒』は昭和三十一年、楠本憲吉の琅玕洞による出版で、『蕗子』『伯爵領』に續く未刋の『罪囚植民地』を收め、「それまで二行から十数行まで様々に試みられていた多行形式が、ここで空白を含む四行へ収斂された句集」(澤好摩「高柳重信著書解題」『高柳重信読本』所收)としてその後の高柳重信の方向性、方法論を決定づけた重要な句集である。おそらく城さんからの以前よりの依賴か、店主の推薦品か。入手とほぼ同時に城さんの手に渡つた。しばらく店頭(正しくは店内)のガラスケースに收まつてゐたものなれば、早速、店番の閑に飽かせて、とつとと筆寫しやうものを。後日再來の折り、城さんを捕まへて『黑彌撒』の中身について執拗なほどにお尋ねしたところ、まるで鳩が鐵砲玉を喰らつたがごとき顏つき。城さんお歸へりののち、店主より「城さんに本の中身を聞いちや駄目だよ!!」。この意味が判るまでしばらくの時閒と幾許かの古本代を費やした。
 さうさう何を聞きつけてか、ある日突然、中井英夫が現れた。寺山修司が往時の『短歌硏究』第二囘新人賞に應募した「チェホフ祭」のモノローグは實は、ジュリアン・ソレルのそれであつた、と挨拶代はりの取つて置きの逸話を披露。天沢退二郎も中上哲夫も來た。
 話を戾さう。ある晝下がり、吉岡實がやつて來た。勤め先の筑摩書房は神田小川町、晝休みにひよつこりと步いて來られた。出版されて閒もなくの『塚本邦雄全歌集』を求めに來たのだ。當店扱ひは、いはゆる新刋特價といふやつで、版元より定價の八掛けで仕入れた新刋を一割引きで販賣。名目は飽くまで古書販賣。察するところ、吉岡さんは著者塚本邦雄よりの獻呈寄贈を當て込んでゐたと思しい。しかしながらいつまで經つても肝心の書物は屆かない。さすがに痺れを切らして當店へと云つた次第か。噂に違はぬダンディぶりで誰かの評の、小柄で淺黑く、猛禽類を思はせるギョロ付いた目つき、と書くとまるで惡相となるが、その眼光からは明らかに詩人の慈愛が感じられた。オーダーメイドと思はれる背廣の上下に、やや太めの紺のストライプシャツ。吉岡さんが煙草を所望された。たまたま下の大家の文房具店が、煙草も商つてゐる。喜んで階下へ使ひ走りを買つて出る。銘柄は新生。この嗜好もまさに先の「詩文庫」で、高橋睦郎氏の「吉岡実氏に76の質問」に答えた方向性に合致。――たうたう西脇順三郎にも永田耕衣にも、生涯相見(まみ)えること叶はなかつたが、たつたそれも一度きり、吉岡實とほんの言葉を交はしたことは、大切な思ひ出となつてゐる。
 話はさらに遡るが、塚本書籍とのそもそもの不思議な廻り合ひにも、出遭ひの絕景ならぬ逆さ覗きの絡繰りが潛んでゐたのではと思ふことがある。早稻田古書街に「文献堂」なる小さな古本屋があり、昔の閒尺にいささか不案内だが、差當り閒口三閒、奧行きもほぼ同樣で、昔時のことながら、冷暖房とて無く、一年を通して通りの扉は開けつ放し。錢湯の番臺よろしくいつも氣の弱さうな亭主が鎭座坐しましてゐる。中央を仕切る棚の右半分は、新左翼系の機關紙、理論書の類ひ。左半分が文系圖書で、僅かながら滅多にお目に掛かれない詩集、歌集が置かれてゐた。なぜか句集の類ひは記憶にない。その棚の一番上の左隅に塚本邦雄歌集『感幻樂』を發見した。「壯年のなみだはみだりがはしきを酢の壜のたてひとすぢのきず」一首揮毫入り。實に見事な細字サインペンによる流麗なる筆跡。ここでもわが未來は、壯年のみだりがはしきなみだを以て封じられてゐる。いかに惡筆の筆者と云へども一瞬目が釘付けとなり溜息が出る。無論その時まで、この一書の存在すら知らなかつたわけで、むしろ先方からわれを發見されたやうなもの。實の不思議はここからで、昭和四十四年九月九日、重陽の節句の日付で刋行された一册の定價は一二〇〇圓。いまでも裏の見返しに當時の鉛筆書きの値付けが殘つてゐるが、賣價は一八〇〇圓。旣に算術的魔境に入り込んでゐたものか、これを定價二〇〇〇圓の一割引きと單純に勘違ひしてしまつたのだ。實際は定價の五割增し。小學生でも分からうものを、しかしこの誤認がなければその後、限定本やごく少數の刋行物を除いて、市販の塚本本の大半を所有する端緖とはならなかつた。この倒錯的邂逅に感謝と云つたところで今囘は幕(ちよん)。

短歌相互評25 染野太朗から松村由利子「失くした鰭は」へ

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作品 「失くした鰭は」松村由利子 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-08-04-19366.html
評者 染野太朗

 松村は社会や歴史を描く。俯瞰してそれらを見つめるだけでなく、それらと自らとのかかわりを正面から描く。57577のリズムをはっきりと感じさせる調べに、社会や歴史、そして自らを見つめる落ち着いた、ブレのない眼差しが練り込まれるから、松村の歌に対して幾度となくくりかえされているであろう「骨太」な歌、「批評」に富んだ歌、ということをまっさきに思う。「骨太」「批評」といった評語を読者として安易に引き寄せてしまうとき、僕たちはそれらと対極にある「繊細」だとか「心の揺らぎ」だとかいったことをそれらの歌に読もうとしなくなる。あるいは、それを忘れてしまう。評語が読者の眼差しや読みの言葉を曇らせることがある。僕は松村の歌に対してやはり「骨太」「批評」といったことを思う。「失くした鰭は」という今回の15首においてもそれを言うことができる。けれどもそれを松村の歌の本質としてしまうのはあまりにも安易なことなのだ。輪郭の濃い、迷いなくそこに据えられたような語と語のあいだから、繊細ということそのものがただよいでてくる。

  *   *   *

入念にだし巻き卵巻きながら 男を泣かせたこと二回ほど

 上の句と下の句のかかわりをいかに読むか、というところが読者の腕の見せどころなのだが、実はこの歌、そう簡単にそのかかわりを確定させることができない。かつて「男」に食べさせたことのある「だし巻き卵」、ということだろうか。それを作りながらふと男を泣かせた経験を思い出している。でも、食べさせたことがあるからと言って、なぜ今ここでそれを、しかもその回数を思い出すのだろう……と読んで、卵を割ったり出汁をくわえたり、油をうすく引いたりフライパンを何度も傾けたり、箸をこまやかに扱ったり、といったことを思うとき、また、焼くときの音やにおい、手や顔に感じる熱を思うとき、この「入念」という一語が負う情報量と体感におどろく。たったこれだけのシンプルな歌が、「泣かせた」ということと、「二回」という、それが多いのか少ないのかまずは判断を止めておかざるをえないその回数を、そしてその背後にあるドラマを、具体ではなく質・情感において、思いのほか色濃く提示する。一方で、「男」に対する潔い態度も見えてくる。骨太だけれど、読者は繊細に向き合う必要のある歌だと思う。

絶滅危惧種なること母に言いたれど鰻重届いてしまう帰省日

 僕はこの歌をとてもすぐれた「社会詠」だと感じる。ユーモアをにじませているようで、でも実はとても重い。絶滅危惧種だとわかっているから食べるのは避けたい。けれども母は娘を思ってそれを、むしろ無邪気に食べさせようとする。でも、これこそが〈現実〉なのだと思う。社会を見据えてそれなりの心がけや行動をしながら、それでも「鰻重届いてしまう」、そのような〈現実〉を僕たちは生きているのだと思う。とてもリアルな歌だ。

友達ではありませんかと問うてくる取り持ち女みたいなSNS
ぎんぎんと太陽沈む西の空町田康的深紅に染まり

 SNSと夕焼けが、それぞれ比喩をとおして描かれる。「取り持ち女」(売春婦と客との仲介役の女性)とつめたく言い放つようにして詠み据えられるSNS(「みたいな」という言い方がここではいかにも軽薄だ)と、あるひとりの作家の作品の世界観をまるごと背負ってそこにひろがる夕焼け。SNSに対する批評はあきらかだと思うが、加えて「女性/男性」という、対をなす隣り合った歌としても読むべきなのかもしれない。しかし、どちらの〈性〉も、かならずしも肯定的には描かれていないように思う。それにしても「取り持ち女」の登場は強烈だ。一連において「女」を単に「被害者」とか「弱者」とかいうふうに図式化させない表現のようにも思うし、一方で、ついに「加害者/被害者」「高潔/卑しさ」といった二項対立を軸にした表現から抜け出せない歯がゆさをも読者として感じるのだが、どうだろうか。それとも、〈性〉について読むのは、僕の行き過ぎだろうか。もっと単純に、違和感のみを読み取ればよいのか。いや、哀しみだろうか。……いや、そもそもそういったことを感じ取る読者としての僕自身とは、どのような読者なのだろう。

わたくしの失くした鰭は珊瑚いろ夕暮れどきの空に落とした

 連作はこのあたりから抽象度をぐんと増していく。「珊瑚いろ」のうつくしい「鰭」が失われた。「鰭」である以上、それを失くしたことによって「わたくし」は海をうまく泳げなくなる。この喪失感と、この世界の上下のありようとはさかさまに(すなわち海から空へと)「落とした」と表現される「鰭」。うつくしいが、しかし同時に、力の方向が逆であるところから、落とした、というよりも「空」の側に無理に奪われたような感じさえ僕は読んでしまった。しかしそれは、

プラスチックだらけの日々がなだれ込み亀の胃壁を目指すかなしみ
深海に死の灰のごと降り続くプラスチックのマイクロ破片

という歌の印象に引きずられすぎなのかもしれない。廃棄プラスチックが人間以外の生命を脅かしている。「プラスチックだらけの日々」は、そのような「日々」を送る人間への警鐘だろうし、「プラスチックのマイクロ破片」を「死の灰」=放射性降下物でたとえるこの認識はたいへんに重い。一首のすっきりとした構成によって、逆に見過ごしてしまうかもしれないけれど、やはり重い。こまかいことかもしれないが、降り「続く」、であることも怖ろしい。「骨太」な一首のたたずまいのなかに、読者として長く立ち止まるべき思考や批評が見えてくる。

東海道五十三次広重の腕太かりしこと確信す
湖底よりわれを呼ぶ声腕太きものの呼ぶ声 波紋広がる
取税人マタイ登りし木のように悲を抱きとる人となるべし
永遠を産んでしまった女たち水の匂いを滴らせつつ
からだどんどん古びてほつれゆく秋よ水の記憶は淡くなるのみ

 連作最後の五首。「失くした鰭は」というこの一連には、〈水〉のイメージが濃厚で、「海」や「湖」はもちろんだが、「雪」や、そして最後の二首のような、きわめて観念的・抽象的な「水」も登場する(もちろん上の「湖」も、「東海道五十三次」から想像するに浜名湖である可能性が高いが、そういった具体を超えて、観念的ではあると思う)。そういえば、冒頭の一首で描かれた男は泣いていた。涙という「水」がそこにはあった。それらの〈水〉同士がどのようにかかわり合うのか、つまりこの一連において〈水〉とはなにを象徴するものなのか、その解釈を確定させるのはたいへんにむずかしい。しかし「鰭」を失うということが、そういったあらゆる〈水〉から隔てられていく、疎外されていく、というイメージに重なるということを、あるいは読み取ることができるのかもしれない。「水の匂いを滴らせ」ながら、同時に、まさにその〈水〉から疎外される。ここに〈性〉をめぐる批評を読み取ろうとするのは恣意的に過ぎるだろうか。「腕太きもの」を男性に見立てるのも、図式的で安易な発想だろうか。また、とめどなく古びていく「からだ」の持ち主がもし「女たち」ならば、冒頭の一首の「男」から涙=〈水〉を奪った(奪った、と言ってよいのかどうか)その「二回」という数は、比べるまでもなくただ「少ない」ということなのかもしれない。

 「だし巻き卵」と「男」にまつわる個人的な経験に始まった連作が、社会批評を経て、抽象性をきわめて濃くした二首で終わる。冒頭に示した「骨太」ということ、そしてそこにあらわれた「具体」と「抽象」の振れ幅そのもの。そこに「骨太」と言うだけでは済まされない繊細を見る。
 手強い一連だった。

短歌相互評26 松村由利子から染野太朗「初恋」に寄せて 

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作品 染野太朗「初恋」  http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-08-04-19370.html         
評者 松村由利子

 実に初々しく、恋の喜びや幸福感、そして痛みを伝えてくる連作だ。最初の二首では、恋を失った現在の苦しい思いが描かれる。
ひとの幸せを願へぬといふ罰ありきメロンパン口に乾きやまずき
くるしみを求めてたんだみづたまりに雨降るかぎり死ぬ水紋の
 「ひとの幸せ」は、かつての恋人の幸せである。メロンパンによる口中の渇きさえ、「罰」と感じられるのは、「くるしみを求め」るストイックな人物だからだろう。水たまりに広がり続ける波紋は繰り返し水面を刻み、波立たぬ水面のような心には戻れない悲しみが迫ってくる。
 アスタリスクで区切られた三首目以降は、回想の中の恋が濃やかに描かれる。その完璧にも近い至福の感情と昂揚は、失われたものゆえの輝きを思わせる。
きみがぼくに搬んだそれは夏だつた抱へたらもう海に出てゐた
聞きづらいときは顔寄せてくれることも灯台の灯(ひ)のやうで近づく 
恋の喜びを「夏」と表現した一首目は、人称や指示詞が効果的に使われており、独自の文体となっている。平坦、冗長になりがちな口語を用いつつ、翻訳文のような文体によって魅力的な起伏と展開がもたらされていることには驚く。染野は多彩な文体の使い手であるが、この歌は口語短歌の一つの到達点と言えるのではないか。
 二首目は、古典和歌のような、なだらかで粘っこい韻律がいい。一首全体が結句の「近づく」を修飾するために詠まれており、ここで主体が「顔寄せてくれる」君から、作中主体に変わる。「近づく」はまるで大太鼓が曲のラストにどしりと一拍響かせるような効果を生み、歌に詠まれていない場面が余韻として読者に伝わってくる。
 両方とも喩の巧みさに魅了されるが、そこにとどまることなく、さらに文体が練られているところに特徴がある。染野にとって、喩は常に着地点ではなく、そこから飛躍するための美しい発見なのだろう。
海の色をあをとしか思へぬことのきみをしおもふ気持ちにも似て 
きみと来て食堂〈煮魚少年〉の味噌煮の鯖を箸にくづしつ
煮魚を食べつつきみと黙(もだ)すれどちよつと目の合ふ一瞬はある
「この人」と心に決める恋の必然性を「海の色」に喩えた美しさは、「あを」のイメージと共に果てしなく広がる。こうした大海原のような愛情を「食堂〈煮魚少年〉」の小さな卓に注ぎ込むところが、この歌人の巧さである。食堂名は非現実の世界を思わせ、そこで煮魚を食する二人の輪郭もやわらかい。人生も恋も短く、「ちよつと目の合ふ一瞬」こそが永遠である。そして、こんなにも愛おしい時間を過ごすにもかかわらず、作者は恋の終わりを予感する。
これもきつと最後の恋ぢやないけれど海風、奪へいつさいの声
 「最後の恋」ではないことの悲しみは、海風がさらってゆく。ここには、やがて訪れる別離への怖れはない。終わりがあるからこそ瞬間は輝くことを、この作者はよく知っている。十首を読み終えたとき、素晴らしい恋の結末をもう一度確かめようと、読者はアスタリスクの前に置かれた二首へ立ち戻らされる。小説のような歌集『人魚』を編んだ歌人の手並みは、ますます冴え渡っている。


松村由利子〈略歴〉一九六〇年福岡生まれ。沖縄・石垣島在住。「かりん」所属。最新歌集『耳ふたひら』。著書に『短歌を詠む科学者たち』など。

短歌時評136回「ねむらない樹」の扉をあけて -頭に浮かぶ先行作品-  大西久美子

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2018年6月2日(土)に開催された「現代短歌シンポジウム ニューウエーブ30年」(荻原裕幸氏、加藤治郎氏、西田政史氏、穂村弘氏)を「ねむらない樹」創刊号(2018年8月1日刊)が特集で再現している。
シンポジウムで分かったことは次の二つ。
一つ目は「ライトバースとニューウエーブの違い」、
二つ目は「ニューウエーブは荻原、加藤、西田、穂村の4人(のもの)」ということだ。
このシンポジウムで加藤氏が用意したニューウエーブ系の作品に
生きているだけで三万五千ポイント!!!!!!!!!笑うと倍!!!!!!!!!!
(石井僚一歌集『死ぬほど好きだから死なねーよ』)がある。
加藤氏は「これは本歌取りの歌」と紹介した後、石井氏に「どういうつもりで作ったの?」と尋ねた。
石井氏は「本歌取りではないです。思い付きで作りました」と即答、加藤氏は「とてもこわい。アナーキー」と反応されたが、オンサイトの聴講者の中にも、
言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!
(加藤治郎歌集『マイ・ロマンサー』)
が浮かんで衝撃を覚えた方がいただろう。石井氏は「影響は受けたかもしれません」と補足されたが「かも」なので着想時、先行作品の表現は、既に浸透しているツールとして取り入れたのだと思う。このやりとりを聞きながら、私は今後、新しい表現を探るとしたらそのドアノブはどこにあるのだろう、とふと思った。
同時に、本歌取りとは逆の発想として、制作者にとって偶発的に生まれた作品が、時空を遡り先行作品や歌集に到達、読者がその息吹き、生命力に出会う新しい試みの機会と考えられなくもない、とも思った。
それは「ねむらない樹」の編集委員である大森静佳氏の歌集『カミーユ』(2018年5月刊)により強く感じる。「短歌往来」九月号の岩内敏行氏の書評には大森氏が「河野裕子の生涯すべての歌集を精読し、その根幹をつかんだ」とあり、『カミーユ』の読み応えある情念の源に触れた思いがしたが、この歌集を手にした時、カミーユとロダンをテーマとした60首の連作を収録する加藤治郎歌集『雨の日の回顧展』(2008年5月刊)が頭に浮かんだのは私だけではないだろう。これは、ニューウエーブのひとり、西田政史氏の6月14日のTweet「加藤治郎さんの『雨の日の回顧展』が俄かに話題になっている」からも推測できる。
しかし『カミーユ』に明確なヒントはない。気付きは読者に委ねられている。そして。誰かがSNSでそっと呟く。これに目を留めた人が10年前に刊行された『雨の日の回顧展』を知り、Amazon等から入手する。・・・SNSを媒介として双方の歌集を響き合わせて読む読者が(多くはなくても)誕生したことは想像に難くない。
ちなみに両歌集とも5月刊行だが『雨の日の回顧展』は7日、『カミーユ』は15日である。ここに大森氏の先行歌集への密やかな敬意が込められているとみるのは深読みだろうか。









短歌評 塔短歌会のセクシャル・ハラスメント対策のことなど 山口勲

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前回、詩客の短歌時評で私が描こうと思っていることを書きました。

一般的にある文学ジャンルの「時評」の読者はその文学の書き手であること。
短歌周辺の事柄の中で、手元まで届かないけど気になることについて、なるだけ紹介すること。
その結果、少しでも意見の広がりを作ることができると嬉しいということ。

です。



今回はとても一般的な話をします。



さて、私には2歳の息子がいます。
息子が文学をする相談を受けたとき、何をお勧めしようかということを考えたりもします。
親として考えるのは作品だけではありません、どんな人がその文学をやっているかということです。



私自身は残念ながら、後世に残るのは作品かもしれないけど、作品を書くのは人であることを知っています。
その上で、詩も短歌も俳句もラップも一人の人では成立しないことを知っていると、ついついどんな人がやっているだろうかと思うのです。



そして、結論から言うと、私は歌人とお話ししなさいと言います。
なぜなら、詩歌のジャンルごとに、twitterで検索もかけたりYouTubeで見た結果がそう言っているからです。



今回、「セクハラ」「ハラスメント」「ミソジニー」などの言葉を詩歌それぞれのジャンルとともに検索をかけて、見つけた発言をtogetterにまとめてみました。
すると、短歌だけが突出してハラスメントについて語っていることがわかります。


まとめ https://togetter.com/li/1268662

短歌は歌会におけるハラスメントからの身の守り方を書く歌人がいます。
加藤治郎さんのように警告をあげる人もいます。
塔短歌会では2018年9月号でセクシャルハラスメント防止の取り組みや窓口の開設を宣言しています。



塔短歌会の結社誌のセクシャルハラスメント防止の取り組みのページは二ページにわたるもの。
相談窓口に具体的な連絡先が記載されていることもあって、会員限定のページでの掲載でした。
これは規模の大きな結社であるからこそできる取り組みだと思いますが、他の結社も、そしてそれ以外の場所でも続いていって欲しいと思っています。



これまでの歴史の総括は行われたほうがいいと同時に、未来についての動きはもっと盛んに話すべきだと感じています。
これからのことを考えた時、自分は息子に歌人とお話しすることを勧めるでしょう。



とはいえ、なんで短歌では盛んに話されるようになったかはみなさんご存知だと思うのですが、触れて置く必要があると思っています。



歌会などを通じリアルで知り合う機会が多いこと。
学生短歌会などを通じ常に若くSNSに強い書き手を供給し続けていること。
twitterで短歌のことをきちんと発信し続けている有力な歌人が多いこと。
twitterを通して結社の外と繋がれることに喜びを持つ人が多いこと。
上記の結果、限られた空間で起きた事件もtwitterなどで表に出ることが多いこと。

単に歌人はつぶやくのが好きなだけじゃないか!と言われそうですが、つぶやいているからこそ社会に追いつこうとする意思を持つ人が誰かも見えてきています。



他のジャンルを見ていくと、川柳は作品単位でパワハラをこき下ろす句が出ています。
ラップやMCバトルではライミングに対する明らかな女性に対する差別が横行している場面があり、アメリカのマイノリティ層のマッチョな価値観を理想的でない形で輸入してしまったことを思わせます。女性を性的なものとしかみなさない男性ラッパーのインタビューを垂れ流すメディアは価値がないと強く感じます。
それと同時に、椿やあっこゴリラなどの素晴らしいMCもいて、現場に行かなければならないなと感じます。
俳句、現代詩は。。。俳句は年齢層が高いことや現代詩はそもそも結社がないということも一つの理由かもしれませんです。純粋に声のあげ方がわからないのだろうなという気がします。声をあげてもどこに届くのだろうか



どのジャンルにしてみても、結論から言うと、「生まれながらにして男性であり性自認も男性」以外の人間が書き続け、人付き合いをするにはかなり強靭な心が必要で、ハラスメントに晒されることは覚悟しなければならないのだろう、と思います。
その中で、短歌の詠み手の有志はいまこの瞬間に声をあげ、新しく始める人を受け入れるという決意を出していると感じています



少なくとも塔短歌会の試みについては詩歌全体でもっと書かれてしかるべきです。
そしてもっと議論を大きく行うことができればと思っています。



最後に、今回はとても乱暴なことを書きました。純粋なことを書くと、全ては現場で人と会える東京での狭い話なのかもしれません。
私自身は残念な「生まれながらにして男性であり性自認も男性」として何かを起こす側であり、人が筆をおる原因を作る側にいます。
というか、していたし、これからもする可能性があると思っています。
自分が主催していること以外で人と深く関わらないように自分のことを律することにしたのですが、これまでについては取り返しがつかないし、
この文章もどの口で書いているのかという声が自分の中で鳴り響いています。



そして大多数の詩歌にたずさわる人はハラスメントと無関係であると思っています。
生きている間は詩は詩だけで完結しないということを肝に銘じるべきだと、日々思います。



短歌相互評27 おさやことりから岩倉文也「台風前夜、ぼくたちの肖像」へ

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さくひん 「台風前夜、ぼくたちの肖像」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19423.htmlひょうしゃ おさやことり


いわくらふみや さま

 ゆめとゆめのいせきはどちらがきれいなのでしょう
 えらばれなかったせんたくし
 おこらなかったできごとが
 いまここをてらしているのだとしたら
 ざせつとうよきょくせつのなんてゆたかなことでしょう
 そのばしょはきっとぶんきのてまえですね
 すりつぶされたせみはくらいみらいのよかんのようなものでしょうが
 ころがる
 というのはすこしふしぎないいかたです
 すりつぶされたものは
 なんとなく
 もうころがれないようなきがして
 すりつぶされているじょうたいと
 ころがっているじょうたいが
 べつのみらいとしてしめされているかのようです
 ぱられるわーるど
 なんていってしまうとさすがにちんぷがすぎますが
 よみすぎでしょうか
 
 おんしんふつうになりたい
 わたしもときどきそうおもいます
 でもこのねがいをかなえるのはむずかしいですね
 ほんとうにたちきりたいのは
 じぶんからじぶんへのれんらくなのですから
 だからきっとしんののぞみはべつにあって
 それにとどかないはがゆさがもたらすことばなのでしょう 
 なみがほんとうはおとをもつように

 とうめいによもうとするならば
 かみさまはしをかくひとがきらい
 ということになるのでしょうけれど
 ひとりねのかみさま
 というふじゅんぶつをついよみとりたくなります
 かみさまもひとりでねているのだな
 だから
 しをかくひとがきらいなのだな
 という
 つながりそうにないけどつながりそうなろんりに
 すこしひかりをくっせつさせてよんだほうが
 よくひかるうたなきがします

 しんでいるひとのかみがきれい
 これがひげとかかつらだったらどうだったかな
 とかんがえてしまいます
 でもここではしんでることよりも
 それをたにんとみていることで
 なにかがきょうゆうされていることが
 よりたいせつにされているのだとおもいました
 ひげやかつらではこじんぷれーがすぎるので
 おもいはひとつになれませんね
 そういうところからもうかがえるように
 なんにんかのひとたちのかんけいが
 このいちれんにはあるようなきがします
 たいとるにもぼくたちとありますからね
 
 ぼくたち
 ということばが
 つぎのうたでいよいよとうじょうします
 このことばとてもふしぎですね
 たいふうのちかづくよるにひとりでいるのだから
 たいとるも
 ぼくのしょうぞう
 がただしいようなきがします
 もちろん
 こうどなでんわきも
 ぱそこんもあるじだいなので
 (まさかじだいげきたんかではないですよね
 せーらーむーんやとーますが
 まあたらしかったじだいだったりして)
 たいふうでこもっていてもでんぱがとぎれないかぎりは
 だれかとでもつながりをもつことができます
 でもはたして
 そういういみでのぼくたちなんでしょうか
 ひかってるね ぼくたち
 というときのぼくたちはよこならびにおもえます
 うしろにいてもいいです
 とにかくおなじほうこうをむいているようなかんじがします
 どあにかぜぶつかってるね
 で
 どあのほうこうがしめされているのも
 そのいちいんでしょう
 ですが
 でんわきのらいんなどでつながっていたら
 そのかんけいはむかいあわせになるんじゃないでしょうか
 だからなんとなくですが
 ぼくたちはおなじへやにいるようなかんじがするのです
 あっ
 でも
 でんわしているあいてのあぱーとも
 おなじかざむきにどあがあって
 おなじようにどあにかぜがあたっていることのどうじせいを
 かいているのだとしたら
 あるいみよこならびともいえますね
 ただかりにそうだとしても
 そのときぼくがでんわをかけているそのひとは
 なんとなくですが
 ぼくじしんのようなきがして
 けっきょくおもうのは
 ぼくたちとは
 ぼくぷらすたにんではなくて
 ぼくじしんのふくすうけいなんじゃないか
 ということです

 これがもしすごろくならば
 じゅういちますもどるという
 てんしょんだださがりなじたいになりますが
 はじめのほうのうたにもどってよみなおしてみると
 またなにかのぞんでいるね
 というときの
 のぞんでいるしゅたいは
 ぼくのようでいて
 たにんのようでもある
 ゆめのいせきのあるあぱーとも
 ぼくのへやにもひとのへやにもよめる
 ぼくからぼくがめばえ
 あたらしいぼくがふるいぼくのへやをみている
 そうよめばてんびんがつりあいます

 めをあけてここはどこでしょう
 というときのここも
 ぼくのへやであって
 たにんのへやであるかのようです
 こわされたぱずる
 ちきゅうぎ
 せーらーむーん
 ひとのへやのものをみるまなざしにしては
 おもいいれのつよさがうかがえますし
 でもじぶんのへやだとしたら
 じぶんからかいり
 したようなかんじがします
 このうたは
 てがきれいだとじぶんをほめる
 うたと
 ひとりでわらう
 うたに
 おせろみたいにはさまれて
 やっぱりぼくはひとりなんだな
 というげんじつをつきつけられながらも
 だれかのけはいみたいなものをどことなくただよわせている
 そのだれかがたとえじぶんのけはいだったとしても
 そのけはいにぼくはまもられている
 
 しょうぞう
 ということばもだんだんふしぎにおもえてきました
 いまここをみらいにのこす
 といういしがそこにはあって
 どうじにみらいからのてりかえしに
 ときがいてついているようでもある
 かわかないたおるのひとつがうんめいとよばれてた
 この
 ごびのかこけいは
 みらいからのてりかえし
 ではないかとおもうのです
 みらいにむけられたひかりがみらいからかえってきて
 そのひかりにいちれんが
 うべなわれている
 しゅくふくされている
 
 でも
 しゅくふくとじゅそは
 ひょうりいったいかもしれません
 たいふうのこえは
 ししゃのこえににているようにおもうからです
 だれもがししゃににているといううたがあり
 しんだひとのかみのきれいなうたがあり
 おしいれにだれかすんでたうたがあり
 ておくれだからやさしいひとがたちがいるうたがある
 みらいからのてりかえしによっていてついたじかんは
 はじまりもおわりもなく
 ひとつのじかんのなかにかこもみらいもふくまれて
 どこまでもくうかんてきにひろがっていく
 それをやぶるのはたしゃです
 たしゃはじかんのいてつきをとかす
 たとえばけいこうとうのくるい
 というのも
 こんとろーるのおよばざるをくるいとするのなら
 ひとつのたしゃでしょう
 たしゃがやぶれめを
 ほころびをつくり
 それがいやおうなくぼくがいきていることに
 そしてしにむかっているということに
 ちょくめんさせる
 ぼくはひとりでうまれひとりでしぬ
 たしゃは
 ぼくがたんすうけいである
 というじじつをつきつける
 うみへいかなきゃというわけわからなきしょうどうも
 うちにふくれあがるげんじつというものの
 おぞましさにどうしようもなくなってでてきたことばなんでしょう
 そうくちにするほかないことば
 だからせっぱくせいをもつ
 おんしんふつうになりたい
 ということばもおもえばそうでした

 でもせっぱくせいをもちながらも
 いきたいばしょが
 うみ
 というのはいかにもありきたりなきがします
 かってきたししゅうよまずにまちにくりだす
 というさいごのうたもどこかでみたようなかんじがしますし
 ほんとうはだあれもすきじゃない
 という
 にしゅめもすなおすぎるようなきがしました
 べつにありきたりをわるくいうたんらくをおかすつもりはないのですが
 このぼくにほんとうにからだがあるのかというぎもんがめばえます
 しをかくひとびとのしゅうごういしき
 みたいなものがうんだまぼろしではないかと

 めかにずむでかんがえるならおそらく
 ぼくをしょうぞうにしてぼくをみらいにつたえることで
 みらいからのてりかえしをうけてじかんをいてつかせることのためには
 ぼくをふくすうけいにすることがひつようで
 ぼくをふくすうけいにするためには
 ぼくのこじんてきすぎるぶぶん
 とくしゅすぎるぶぶんははずしていくひつようがあった
 つまりあんまりこじんぷれーをしすぎてはいけなかった
 ぼくはふへんせいをまとうことでぼくたちになった
 ということなのでしょう

 なんて
 めいたんていをきどってすいりしてみても
 なれないさぎをしているようなきもちにしかならないですが
 ともかくもこのいちれんは
 わんだーよりしんぱしーによりすぎているとおもうのです
 それはけってんといえばけってんなのでしょうけれど
 ふくさんぶつのようにべつのおもしろさがあって
 こじんにふへんがべたぬりされていることで
 ふじゅんぶつがはっせいしているところなどは
 ひじょうにきょうぶかいとおもうのです

 いわかんをともないながらも
 ひつぜんをまとったようなかおをしてそこにいる
 ぼくたち

 ちなみに
 さいごからにしゅめがけっきょく
 このにく
 なのか
 ねこのにく
 なのかはさいごまでわかりませんでした
 いんりつをかんがえるのなら
 ねこ
 なのでしょうが
 そのばあいのさめたかんじにたいし
 この
 だったばあいの
 なぞのおもいいれや
 ね
 というぶきみなごびは
 とてもみりょくにおもいます
 このようないみのふくすうせいも
 きずといえばきずですが
 きずにこそひかりがとどまるものなのではないでしょうか

 こんごのごかつやくをおいのりします
 つたないひょうでもうしわけありませんでした

  おさやことり

短歌相互評28 岩倉文也からおさやことり「はねばしを」へ

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おさやことり「はねばしを」
http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19427.html

評者
岩倉文也


ひらがなはすべてを溶かしてゆく川のながれ、あるいは僕らの肌をやわらかくまさぐる呪いのようなもの。ひらがなは明晰な意味をかたちづくる前に僕らの手からこぼれる、したたる、したたかに。それは心地よい麻酔として、魔術として詩歌のなかでふるえている。


はねばしをおろしてとてもよくやけたぴざをじぶんのてがらのように

はねばしがおろされる。彼岸と此岸がむすばれ、これは夢だろうか、見たことのない場所、ふれたことのない時間、ぴざが焼きあがる。香ばしいかおりだ。それがだれのてがらであるのか、この街に知る人はなかった。


ふたりだとあふれてしまいかねなくてゆのてっぺんでからだをあらう

ところで、僕はもうここがどこなのか分からない。音楽をきこうとおもって、スマートフォンに手をのばしたが暗証番号を忘れてしまった。お風呂場ではだかになる。ゆのてっぺん、が具体的にどこなのか僕にはおもいだせない。ふたりいっしょに、おゆがあふれたらみんな壊れることだけは知っていて、神妙な顔でからだに泡をつけてゆく。


あいさつというのはしょうちのことですがそとのあつさをかりてくるのは

あいさつをするにも街はもぬけの殻で、それでもだんだんとのぼる陽の、あつさだけがかろうじて僕の存在を保証していた。


かんたんにおなかをみせてくれなさのくるまはえくすとりーむなねこか

僕のふるさとにはかつて沢山のねこがいて、よくさわったり、もちあげたりしていたのだけれど、僕が中学生になったあたりからあまり見かけなくなってしまった。噂によると、ねこたちは駐車場をあいするあまり、そのたいはんがくるまになってしまったらしい。


ふりそうでふらないそらはわたくしのかわりにさしてくれているかさ

僕には傘をさすのが苦手だと言うともだちがいて、最初きいたときなにを言っているのか分からなかった。傘をさすのが苦手? でもよくよく考えてみると、確かに傘をうまくさすのにはそれ相応の技術がひつようなのかもしれない。僕にしても、肩やひじ、ひざなどは傘をさそうがいつも濡れてしまう。そういうものなんだと思う。東京はいつも曇り、と大岡信は詩に書いた。その曇り空をみあげる。ふりそうでふらない東京のそら。


すいとうをだそうとしたらかさがひとたたいてしまうふゆきとどきに

想像力でかさが伝説の剣となった時代はすぎ、僕もまた慎重にかさを持つひとりの大人になった。二十歳になったのだ。記念にコンビニで缶チューハイを買い、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいのという、俵万智のあまりに有名な歌をおもいだしつつ、一缶を飲み干してしまうと、たちまち全身が紅潮し、頭痛と吐き気におそわれてベッドに倒れこんだ。なるほどね、とおもいながら、僕は二十歳という錯誤のなかで、荒くなった自分の呼吸をきくともなくきいていた。


むかしよくいたくてわらったことさっきいたくなければわすれたままの

なにかを思い出す、というのは素晴らしい罰で、忘却はたぶん、悲惨な赦しなんだと思う。


ゆうやけがしみこむほどによんでおりほんにはなしのよみにくければ

ゆうやけのなかで僕はいつも途方にくれてしまう。それは色彩のせいか、それとも鳴きわめくカラスのせいなのかは分からない。本を読もうにも、ゆうやけの染み付いたページからは、誰のものとも知れぬ無数の声がきこえてきて、おはなしは遠く、欄外の海へとこぼれてしまう。そして街の、防災無線からあふれる、ゆうぐれを告げるメロディー。


かきまぜてしろくしたやみのみながらやどかえようかどうかはなせり

コーヒーにミルクを注ぐときなにかが崩れることを知った。けれど今日も明日も、わけの分からぬげんじつに追われながら、駅への道をころげ落ちてゆく。「ねえ、家を出ようよ、そして森に住もう。人なんてだあれもいない、動物たちにおい、土の、星のにおいを嗅いでさ、暮らそうよ。そうしたらきっと、コーヒーだってもっとおいしくなるはずだし、ミルクだってもっと純白になるはず。ね、そうでしょ? きいてるの?」


えんりょしたにかいにようしゃなくあがるおとうととてもよいしごとした

二階にはなにがあるんだろう。僕はそれを知らない。ただ、何人ものおとうとが容赦なく、階段を駆け上がっていく。どっどっどっどっどっどっ。足音の残響。いつまでも耳にこびりついて離れない。気づけばあたりは暗くなっている。そおっと階下から上をみあげるが、おとうとの姿はない。何人もあがっていったのに、ひとりとして帰ってはこない。静寂があたりを満たす。おとうとは、なにかを遂げたのだろうか。なにかを見つけたのだろうか。おろされていたはねばしが、音もなくあがってゆく。僕はただ、呆然とそれをみている。みている。みている。……

短歌時評第137回 「負けたさ」と「負けるな」 濱松哲朗 

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八月十九日(日)、塔短歌会主催の現代短歌シンポジウム(要するに、全国大会二日目の、一般公開部分)の鼎談「平成短歌を振り返る」において、

「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない(虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房、二〇一六年)

が話題に上った。その際、何故「勝ちたくなさ」ではなく「負けたさ」なのか、という話題が永田淳から提示され、壇上で栗木京子や大森静佳を含めた三人で様々に議論があったが、そのやりとりを会場で見ていた筆者も、ここ数ヶ月、自分なりにこの「負けたさ」について考えてきた。
 恐らく、問題となるのは「勝ちたくなさ」と「負けたさ」では何が違うのか、ということだろう。結論から言うとこの二つは、勝ち負けに対する態度表明としては似て非なるものである。
 「勝ちたくなさ」とは、自己の外部からやってきた勝負の構造や文脈に乗りたくない、絡め取られたくないという、消極的な拒絶である。別に勝ち負けが大事なのではないと、きちんと態度表明をしつつ、「勝ち/負け」の二元論で語られる社会そのものに対しても距離を保ちつつ批判を行っている。
 では、「負けたさ」に含まれる、負けることへの積極性は何なのか。筆者はこれも、拒絶の一種であると考える。しかし、かなり屈折した心理である。外部に存在する構造に対して積極的に「負け」を肯定し、自分の方からも「負け」になり得る文脈を設定して自己をカテゴライズしようとするのである。
 何故そんな手に出るのか。その方が社会そのものとの関わりを最小限に抑えられるからだ。そもそも現状の構造や体制に対し批判を表明するには、それなりの体力と精神力が求められる。そこにある構造から逃れられないことは重々承知しているが、関わって疲弊する事態は極力回避したい。そんな時にこの「負けたさ」は、自己防御の心理として効力を発揮する。
 例えば、運動が苦手な小学生がクラス対抗の球技大会でドッヂボールの試合に出る時、内野で延々とボールと立ち向かい続けることよりも、さっさとボールを当てられて外野に行くことの方を選ぶだろう。そして周囲も、アイツにボールが行っても使えない、と分かった上で、転がった球を拾えなかった時以外は無視を決め込むだろう。あらかじめ「負け」ておけば、時折向けられる冷やかな眼差しを代償として、延々と続く勝ち負けの応酬や、勝ち続けなければいけないような場における心の逼迫からも、ある程度逃れることができるのだ。
 「負け」を表明しておけば、社会や構造の方も今後は自分のことを、視野に入れつつ無視してくれるだろう。与えられた構造を敢えて受容し、自己を敢えてマイノリティ化することで、代わりにそれ以外の一切の関わりを拒絶する。そうした心理を、単なる逃避だと言って批判するのは容易だが、だが、考えてほしい。構造に立ち向かうことすら拒絶するということは、声を上げるだけで奪われる何かがある、ということである。そして、それを奪う側に立っているのは、逃避だと言って嘲り笑う、勝者たちではないか。自分に都合の良い構造の上に胡坐をかいて、声にならない声を聴こうとする想像力を失った、虚しい勝者たちの姿が見えてこないか。筆者などは、そうした他者を愚鈍化するような構造と関わることそのものに、怒りすら感じる(ではどうして、こうして書いているのかと言うと、見えてしまったものに対してはやはり責任を取りたいし、沈黙によって差別構造の悪循環に加担することを避けたいと思う気持ちが少なからずあるからだ。もっとも、筆者もそもそも人間ぎらいであるから、この文を書き終えた途端、憔悴し切って寝込むことは確実であるが――)。
 「負けたさ」が示す受容と拒絶の屈折は、単なる個人の生きづらさの表明ではない。その自己完結的意識の根底には、社会の構造そのものに対する苛立ちや諦めが、声になる以前のもやもやとした感情として、渦巻いているのではないか。

 シンポジウムの鼎談では、萩原慎一郎『滑走路』(角川書店、二〇一七年)のことも話題に上った。虫武が「負けたさ」であったのに対して、萩原は「負けるな」と詠む。

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている(萩原慎一郎『滑走路』)

 虫武の描く自己が自分から「負け」を表明することで自己防御を試みたのに対し、萩原の描く自己は基本的に与えられた勝ち負けの文脈に対しては従順で、なおかつその構造の中で自分を鼓舞しながら生きのびようと試みる。集中で繰り返される文末の「のだ」は一見単調に響くが、「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」「日記ではないのだ 日記ではないのだ こころの叫びそのものなのだ」といった歌を見ると、自己鼓舞・自己慰撫の文体だったのではないか、と思えてくる。
 しかし、萩原は外から与えられる構造に対して「負けるな」と言ってしまう。「まだ行ける まだまだ行ける 自転車で遠くに旅はできないけれど」「癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ」「かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む」等、類例を挙げ始めたら切りが無い。「まだ行ける」「信じて生きよ」「かっこよくなりたい」「愛されるようになりたい」といった、一見自己鼓舞のように見えるこれらの表現は、実際には構造の側から掛けられた呪いの言葉であり、だからこそ、繰り返し詠み続けられるこれらの歌を目にするたび、萩原の呪縛を思うのである。
 「まひる野」九月号で染野太朗は『滑走路』について、「この人、口ばっかりじゃないか、と思う」と苛立ちながら、「すべての思いが、思いのままで宙吊りにされ、ただ叫ぶばかりで、歌集にはその先の行動が描かれない。あるいは、今ある思いや行動のそのさらに先に続くはずの別の思いや行動が描かれていない」と評する。筆者も同感だ。しかし、具体的な行動が描かれずに、思いのたけのみに集中して詠まれたからこそ、例えば「短歌」七月号で佐佐木定綱が述べた「読んでいるうちに「これは俺の歌集か」と錯覚しそうになった」という感想(筆者も佐佐木と同じような気持ちでむさぼり読んだ)や、あるいは九月末現在で五刷にまでなるほどのベストセラーとなっている現象にも説明がつく。行動という個人的行為が抜けているからこそ、読者の側でも思いへの共感が表面化しやすいのだ。
 だが、萩原の歌に含まれる思いのたけが、叫びのままに終わってしまうのには、行動が描かれていないからだけではない。彼の歌は、みずからが晒されている現状の構造そのものを決して否定しない。雇用してくれる側、恋人になってくれる側に対して受身であり続けることをみずからに強いているにも関わらず、「負けるな」と呪いの自己鼓舞を繰り返す。
 自己肯定や自己防御の力は、最初から誰にでも備わっているものでは決してないし、また状況に応じて簡単に奪われていくものでもある。虫武の「負けたさ」に含まれている若干の自虐――自虐とともに構造を拒絶する姿勢が、萩原の「負けるな」には見られない。その真剣さと素直さが、まんまと構造の手玉に取られてしまったように見えて、筆者はとても胸が苦しくなる。
 繰り返される言葉の性質を仔細に読んでいくと、与えられた状況とは関係なく自己完結的に自分自身を肯定する歌が萩原作品の中に見られない事実にきづく。「自分が愛する言葉を、あなたはまずその手に置いてみるべきだった」と染野は悔しがるが、萩原はそもそも、自分自身を肯定する力を、構造の側から既に奪われてしまったのではないか。ならば憎むべきは、萩原を殺したこの社会構造の、厄介なまでの堅固さの方だ。

こんなにも愛されたいと思うとは 三十歳になってしまった(萩原慎一郎『滑走路』)

 私事で恐縮だが、筆者も先日、三十歳になった。だが、自分が生きのびていているのに萩原が死んでしまった事実がどうにも許せない。自己肯定の力も、自虐とともに社会と距離を取るやり方も萩原から奪ったこの社会から、構造の悪の側面を、断ち切ることができないにせよ如何にして軽減していくか。常に考え続けなければならない。そうでなければ、またしても大切な才能を殺してしまうことになる。

短歌作品評 亜久津歩から荻原裕幸「夏の龍宮」へ

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共感しないままふれる半神の歌の手ざわり――荻原裕幸「夏の龍宮 もしくは私の短歌の中で生きてゐる私が私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも同じ私として生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらうと思ひながら選んだ十首」を読んで 亜久津歩

作品 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-10-06-19493.html


いろいろと前置きしたい気持ちはあるが、当初の予定よりかなり長くなってしまったのでさっさと本題に入ろう。予め、この連作に通じていることを述べておく。全体に夏の季語が散りばめられていること。それから、作中の主体が現世に住まう「ひと」ばなれしていること。

十薬匂ふ湯の沸きはじめの音がするこの世の時間しづかに進む

十薬、ジュウヤクはドクダミの別名で、夏(仲夏)の季語。湿っぽい日陰から不意に漂う独特の匂いは、誰にも覚えがあるのではないだろうか。
先ず「十薬匂ふ湯」と一息に読んでみる。乾燥させた葉で淹れるどくだみ茶や、生の葉や茎を使うどくだみ湯のための湯を沸かす。「音」が聴こえるのはお茶だ、鍋か薬缶か……ひとりの台所、コトコトという音、になろうとする気配が微かに鼓膜をふるわす。他に聞こえるものはなく「時間」だけが、ただ「しづかに進」んでいく。
次に「十薬匂ふ/湯の沸きはじめの音がする」と読み、こちらだと思う。十薬は茶葉よりも実物として捉えたいし、この繊細な知覚において、室内にある十薬ではやや刺激が強い。仲夏は6月6日頃から7月6日頃――梅雨がようやく明け、夏らしさを感じ始める頃。何処かの薄暗がりから風に運ばれ、開け放たれた窓へ、鼻腔へと至る十薬。空間的な広がりを感じるとともに、時間の奥行きも深まる。
そして「この世の時間」と絞ることで、言外に横たわる「この世の」ものではない時間。78577というリズムも、異質な時と普段の流れを表しているようだ。

ひとを食べ尽くした夏の正門が閉められてこちら側の寂しさ

「ひとを食べ尽く」された後に残された存在は、「ひと」でなくて何なのだろう。夏の景色の中に立つ、おそらく学校の(2、3首目は回想か)門。同時に季節の入口――夏という怪物のくち。「ひと」びとは、賑わいながら吸い込まれてゆく。食われているとも知らぬまま、ひとり残らず。「閉められ“た”」ではなく「閉められ“て”」という接続から、急な分断が際立つ。57587、少しはみ出した「閉められてこちら側の寂しさ」を持ち主体は、“あちら側”へ行きたいのだろうか。

赤ペンのひらがなひらくはつなつの進研ゼミは恋まで諭す

「はつなつ」はそのまま初夏の季語。漢字表記をひらがなにすることを意味する「ひらく」と、紙の上に咲くあざやかな「赤ペン」の大きな花まるのイメージが重なる。この夏、恋も!部活も!勉強も!と鼓舞する漫画冊子を思い出した。通俗的なアイテム(しかも教材)を用い、音も57577ぴたりと型通り。まるで巧みな擬態だ。あるいは、学生時代を規律正しく過ごしていたということか。しかし、やはり主体は外から「恋まで諭す」もの(と諭されるもの)を見ている。「進研ゼミ」の勧誘DMが送付されてくる年頃から、きっと「こちら側」にいたのだ。

夏の空には私のこゑもしみてゐて半世紀のその青を見てゐる

どこまでも青い夏空に自分の声が染みているとは、考えたことがなかった。「空」へ放たれた人々の叫びや囁きが「青」をなしているのかもしれない。下の句の字あまりからも、その長さを感じる。
荻原裕幸は1962生まれ。ちょうど「半世紀」ほど前である。1979年に作歌を始めている*1 ので、短歌作品以外の「私のこゑ」も含めて「見てゐる」のだろう。私は普段、詩を読む際に作中の人物と作者とは区別しているが、ここではあえて重なるに任せて読み進めたい。すると「その青」からは、歌集『青年霊歌』*2『永遠青天症』*3 も思い起こされる。『青年霊歌』刊行から30年、もしも「私の短歌の中で生きてゐる私」を通底したもの(≠同じキャラクター)と捉えてよいのであれば、「私のこゑ」は作品としても事実時を超え、空に染みている。

遠い夏の朝のピアノを聴くやうに過ぎてゆくその船を見てゐた

連作中、圧倒的に好きな一首。「遠い夏の朝のピアノを聴くように」のなんと美しく切ないことか。降り注ぐ光のように、僥倖に巡りあうように「その船」は「過ぎてゆく」。私は荻原裕幸の直喩が大好きで、出合えると飛び上がってしまう。
この5首目には色を表す語も描写も入っていないが、4首目の「青」が響いており、空と水との青の階調、日差しと波のきらめき、悠然と行く白い船体がありありと浮かぶ。4、5首目は「その青を見てゐる」「その船を見てゐた」と結ばれる。4首目の余韻が行き渡るのは、このセット感ゆえとも言えるだろう。「ゐる」→「ゐた」の変化によって単調さを回避しつつ、時間の経過を示している。留まるものを、過ぎゆくものを、主体は「見」続けているのだ。

枇杷の下には何が棲むのか呼んでみる静寂よりも静かな声で

「枇杷」・枇杷の実も十薬と同じく仲夏に属する季語である。一読すると枇杷の木陰に「棲む」(この字は人間には用いない)姿の見えない虫か小動物に、優しく囁きかけているようだ。しかしここへ来て、そうは思えない。現実的な木陰や地中というよりも「この世」の外なる異界へ呼びかけているのだ。「枇杷」は「琵琶」と掛かっているようにも感じる。
「静寂よりも静かな声」は比喩とも読めるが、おそらく本当に静寂よりも静かな――ひとには発声できない、聴きとることもできない――声なのだろう。

次はリューグーつて聞こえた名鉄のドアがひらけば夏の龍宮

「名鉄」は名古屋鉄道の略称。荻原裕幸の(そして加藤治郎の)出生地でもある愛知県名古屋市は、Twitterから短歌の世界を垣間見ている私などからすればメッカ的都市である。平和園へ行ってみたい。
さて。「次はリューグーつて聞こえた」に「名鉄」と続くことから、車内アナウンスか乗客の話し声だろうとリューグー駅を検索した。だが該当するものはなく、名古屋市港区竜宮町という地名に行き着くのみであった。海に面した町ではあるが……。
もしかすると、この地名との混同を避けて「龍」の字をあてたのだろうか。あるいは宮沢賢治にとってのイーハトーブ(岩手)*4 のように、現実の地名をモチーフとした架空の場と考えてもよいかもしれない。
なるほどこれは実際の台詞ではなく、ひとならぬものの呼び声なのだ。6首目では「呼んでみ」たが、7首目では何処からか「聞こえた」のである。「ドアがひらけば」水色の世界を行き来する虹のような魚たち。いつもの名鉄に乗っていたはずが、何ものかの声をトリガーとして「龍宮」という美しき異郷へ引き込まれてゆく。(ちなみに「龍宮(竜宮)」は「水晶宮」ともいう。荻原裕幸第一歌集第一章が「水晶街路」であることに、不思議な連なりを感じる)

わりと本気で雲に乗りたい八月の午後がとてつもなく寂しくて

季語は「八月」。2首目の「寂し」さが、さらに深いものとなっている。2首目では夏の始めの、生徒が一斉に登校する朝を想像した。「八月の午後」はそのしばらく後だ。「こちら側」にあり続ける「とてつもな」い「寂しさ」。「雲に乗りたい」のはふかふかのベッドで眠りたいわけではなく、青天の、天上の世界へ行きたいのだろう。そこはきっと、寂しくないから。

無いよだけど在ることにしてコメダする夏の終りの男女の友情

恋や性愛の対象となり得る間柄における「友情」は「在る」(こともある)が、「無いよ」という相手とは成立しない。「無いよだけど」の字あまりが、一瞬見せた本音を素早く上塗りする(「よ」と「だ」は0.5拍ずつで読むのがよいだろう)。意図的にチラリと見せているに違いない。越えるのは容易いよ、と。
ところで「コメダする」は、コメダ珈琲店へ行くことを意味する。コメダ珈琲店の本店・本社は名古屋市にあり、支店は名古屋市内だけで120店舗以上。私の暮らす埼玉県南部では聞かない言葉だが(「コメダにする?」「コメダ行こう」となる)いわば「お茶する」であり、普段通りの、一般的な日常を端的に表していると言える。
果たして「無いよだけど在ることにして」いるのは、「男女の友情」だけだろうか。

何処からか音だけがして八月のこの世には降ることのない雨

どの世には降る雨なのか。私はもう、この聴力を想像力や表現力などと呼んでいいのかわからない。まるで半神半人の言葉を聞いているようだ。足は地表につけながらも、知覚は異界を捉え続けている。
私はこの連作がとても好きだが、共感しているか、というと、していない。できないのだ。私は「この世の時間」以外の時間を知らないし「湯の沸きはじめ」は目で確かめる。無抵抗に「夏の正門」に飲まれ、「進研ゼミ」に「諭」されてきた。「静寂よりも静かな声」の出る声帯も「リューグーつて聞こえ」る鼓膜も具わっていない。雲の上は雲の下よりも「寂しくて」、「この世には降ることのない雨」に気づくこともない。けれどだからこそ、共感に心奪われることなく、言葉によって立ち上がる世界の手ざわりを、言葉そのものの美しさを堪能し、世界の更新や拡張に心底驚くことができる。共感されやすいことは必ずしもよい歌の要素ではないと改めて感じた。「身に覚えのあること」の先に広がる豊かな世界を見せてくれる。
この連作中、1、4、6、8首目の計4首が初句7音だ。やわらかく優美な印象はこのためでもある。なお、2首目と7首目は句またがり、5首目と9首目は6音の字あまりなので、くっきりとした初句5音からの57577は3首目と最終10首目のみである。3首目はまるで擬態だと書いた。ならば10首目は、「夏の龍宮」から「この世」へ帰する装置と言えよう。

終わりに。「詩の越境」について考え込んでいる。この一言だけで再び4000字始まってしまいそうなので締めるが、越境とその実感をしたい・できる・すべきとは言っていない点、「詩“型”の越境」ではない点を指摘しておきたい。それはこの作品が掲載されているサイト「詩客」の性格や、加藤治郎が最新歌集『Confusion』において「詩型の融合」をテーマの一つとしていることなどに対する、荻原裕幸のあり方を示唆しているのだろう。先ほど、この主体の聴力を荻原の想像力や表現力などと呼んでいいのかわからないと書いたが、当然、荻原は人間である。それを訝しみたくなるほどに、荻原裕幸であり荻原裕幸でない「私」が「短歌の中で生きてゐる」。この「私」が「私の俳句や私の川柳や私の詩の中でも生きはじめるとき私は漸く私が詩の越境をした実感ができるだらう」がそのまま、荻原の(現在の)スタンスなのだ。目指すよりも、至るに近い印象を受ける。
「詩の越境」とは、たとえば有季十七音の短歌を詠むことでも、10000字の川柳を作ることでもない。手先で型を弄るだけでは決して到達し得ない詩の、より深い領域を始点とする旅だ。ここにあるのは自身にとって「詩の本質とは何か」という問いでもある。荻原裕幸にとっての「詩」の「越境」とはこうである、では私にとっては?

あなたは?



*1 荻原裕幸1980-2000全歌集『デジタル・ビスケット』沖積舎より2001年刊行。
*2 荻原裕幸第一歌集『青年霊歌―アドレッセンス・スピリッツ』書肆季節社より1988年刊行。
*3「永遠青天症」は『デジタル・ビスケット』に「未完歌集」として収録されている。実質的第五歌集。
*4 異説あり。

短歌時評第138回 良い短歌という実践——短歌甲子園に関するいくつかの断片 浅野大輝

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 良い短歌ってなんですかね、と彼女は言った。
 その答えを、私はいまだ見つけられずにいる。



 岩手県盛岡市にて「第13回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2018)が開催されたのは8月17日〜19日。一方、宮崎県日向市にて「第8回牧水・短歌甲子園2018」が開催されたのは8月18日〜19日。あの夏の戦いから2ヶ月が経過したのかと、少し驚く。
 「歌壇」2018年11月号では、その2つの短歌甲子園について田中拓也・笹公人の両氏による報告が掲載されている。


 団体戦は柔道・剣道の団体戦のように先鋒・中堅・大将の順番で三名がそれぞれ自作を披露し、五名の審査員の判定を仰ぐというスタイルである。
田中拓也「短歌甲子園二〇一八報告」[1] 



 ルールは、野球の打順に見立て、各校1〜3番の生徒(バッター)が順番に短歌を披露し、批評し合う形式で攻防を繰り広げる。ディベートが終わったあとで、3人の審査員が紅白の旗を上げて勝敗を決める。続けて審査員が総評を述べて試合終了という流れである。
笹公人「第8回『牧水・短歌甲子園2018』観戦記」[1]


 「短歌甲子園」は岩手県出身の歌人・石川啄木を顕彰した大会。そしてもう一方の「牧水・短歌甲子園」は、宮崎県出身の歌人・若山牧水を顕彰した大会。前者は啄木に倣った三行分かち書き形式の短歌作品をその場で与えられた題に沿って即詠し、その作品に対して審査員による質疑応答を行ったのちに勝敗が決定する形式を採用している。一方後者では与えられた題に沿って制作した短歌を事前に提出し、作品についてのディベートを実施したうえで最終的な勝敗を決する。同じ短歌甲子園という呼称が用いられてはいるが、その採用しているルールは上記のように異なり、それぞれの大会の個性ともなっている。私自身は盛岡・短歌甲子園(便宜上このように表記させていただく)の出場経験者で、かつ近年は盛岡・短歌甲子園の審査員を担当しているため、前者の形式の方が馴染み深く、牧水・短歌甲子園で採用されている形式は新鮮に思える。
 2つの短歌甲子園のルール上の大きな違いはディベートの有無や三行分かち書きの有無がよく挙げられるが、個人的には勝敗が決したのちの審査員の総評の有無という部分も影響が大きいように感じている。盛岡・短歌甲子園では、選手である生徒と審査員との間での質疑応答という形で、選手が自身の作品、あるいは短歌という表現形式や自分自身について理解を深めることを促す。ただし、勝敗が決したのちに審査員からの総評は行わない。これは時間の制約という大会進行上の観点によるものでもあるだろうし、審査員から何か答えを与えるのではなくその後選手自身が深く思考を巡らす余地を残すという観点によるものでもあるだろうが、表現上の細かい部分や勝敗の理由については触れられないままになってしまうという問題もある。
 ここ数年審査員を務めて実感していることだが、盛岡・短歌甲子園の大会進行スケジュールは非常にタイトである。スムーズな大会運営は多くのスタッフ・ボランティアの働きによるところが大きく、どの人も時間的制約のなかで最大限の仕事を行うように努めている。そして、それは審査員も同様である。盛岡・短歌甲子園では10名前後の審査員が毎年いるが、どの審査員も必然的にタイトな進行のなかで歌の評価のプロセスを繰り返さざるをえず、なかなか控え室から頻繁に出て会場の選手達とコミュニケーションを取るということが難しい(そう、実は審査員は会場に姿を見せていないときも、多くの場合控え室で選手達の作品と格闘している)。この状況下では、空き時間に審査員と選手とが直接やりとりするということがしづらく、上記の問題が宙吊りのまま放置されてしまうことになる。
 時間の制約面では厳しい部分が多いが、予め評の時間を念頭に入れた上でスケジュールを設定するというのも、問題解決の一つの方法となるだろう。その意味で、牧水・短歌甲子園の方法を参考に、盛岡・短歌甲子園の運用手順を見直すというのも有効な手立てとなるかもしれない。2つの短歌甲子園が、大会運営という面でも互いに高めあっていけるような状況を生み出していくことが、今後より重要になってくるのではないだろうか。
 田中・笹両氏の報告では、参加した選手たちの姿や作品など大会中の会場の様子がわかりやすく記載されている。選手として参加していた高校生の方で、こうした短歌の総合誌を読んだことがなかったという方も、この機会にぜひ手にとって読んでみてもらいたいなと思う。



 大会期間中の様子というのは前述の両氏の報告を読んでいただくとして、ここでは盛岡市で行われた「短歌甲子園2018」で個人的に気になった作品をいくつかピックアップして紹介したい。
 特に大会期間中に受賞等がなかった作品は外部的に取り上げられることが少ない傾向があるため、ここではそのような作品を優先的に取り上げる。ただし、非常に数が限られた選歌となることは予めご了承いただきたい。また、引用は基本的に大会資料に基づく。大会資料自体に誤記が含まれている場合も稀にあるため、もしも自身の作品や情報などが誤って引用されているなど何か問題がある場合には、一度筆者(https://twitter.com/ashnoa)までご連絡いただきたい。ここに書かれた評は審査員一同としての評ではなく筆者個人の評であることも断っておく。他の審査員が、ここに書かれていることとは全く別の観点で歌を読んでいるということは当然ありえる事だと思って欲しい。


日常に死は紛れこむ
窓枠に音もないまま
崩れたる蠅/中村朗子


 個人戦の題詠「音」に提出された1首。「音」という題に対して静寂を持ってくるという感覚の鋭敏さ、それを蠅という小さな昆虫の崩壊につなげて日常のなかの「死」を炙り出すという巧みさが光る。「日常に死は紛れこむ」というフレーズはぐっと引き寄せられるものがある一方で少し観念的すぎるものでもあるが、そこを「崩れたる蠅」という細やかな具体的描写で回収するというところに、この歌のバランスの良さがあるだろう。その意味で、非常に短歌的な短歌でもある。既存の短歌から、そのエッセンスを抽出して自分のものにできているのではないかと感じられる。個人戦では受賞を逃したが、学ぶところの多い名歌だと思う。


内蔵の飛び出たミミズ乾きゆく
新地の轍
ゆっくりと夏/野城知里[2]


 団体戦1次リーグ題詠「新」で、後に優勝した茨城県立下館第一高等学校から1ポイントを奪い取った1首。「新地」には「さらち」とルビが振られる。「内蔵の飛び出たミミズ」が「乾きゆく」という死の細やかな描写から、夏の時間もしくは夏に至るまでの時間の表現へとつながる。夏の滞留するような時間感覚を、うまく言葉のうえに乗せることができているように思う。死と夏の親和性の高さを掬い上げているのも良いが、「さらち」という言葉の表記に「新地」という字を当てたことで、崩壊だけではなく再生の雰囲気も感じられて、味わい深さが増しているように感じられる。
 三行分かち書きという形式の特徴は、その三行に分けるという表記から必然的に歌のなかに2回以上の(軽い)切れが発生するという部分にある。現在一般的な1行で記載される短歌では切れが2回以上必然的に埋め込まれるということは基本的にはないため、この形式上発生する切れをどのように処理するかが三行分かち書きの表現に影響を及ぼしてくる。そういった意味で、ただ漠然と形式上の切れに甘んじるのではなく、時間などの流れの緩やかさを切れで表現していくというこの歌の手法は、非常に参考になるものであるだろう。


「久しぶり」
埃はらった自転車で
兄から借りた景色に向かう
/佐久間このみ


 題詠の題は「転」。題から「自転車」という単語が出るのは考えられることだが、そこを自分のではなく「兄」のものとしたこと、そしてそれによって出会える景色を「兄から借りた景色」と言い述べたところに力がある。「兄」や「景色」が主体にとってどのようなものかは完全に読者の読解に委ねられているが、「久しぶり」という言葉も相まって、どこか距離や切なさを感じさせる。歌が歌の外に広がるドラマにつながっているような魅力があると言える。
 通常、鉤括弧を利用した発話の表現は少しクセが強い印象で、なんとなく避けたくもなりがちであるが、この歌では行分けによる効果もあってあまり苦にならない。表記から受ける印象というところまで考慮した上で表現を選択するのは重要なことで、うまくバランスを探っていきたいものだと思う。


新緑の中
風になる少年の
虫取り網が今振りかぶる
/西山綾乃


 題詠の題は「新」。「新緑」と「風になる少年」という2つの要素は少し言葉の距離が近くイメージの広がりには欠けるかもしれないが、逆に言えば隣接するイメージを探し出して1首の中に構成してみせるという能力があるとも言えるかもしれない。
 着目したいのは3行目の「虫取り網が今振りかぶる」。一首としては少年が虫取り網で昆虫採集をしている情景を表すものと思うが、それならば通常は「少年が/虫取り網を」という助詞の斡旋になるところを、この歌では「少年の/虫取り網が」と多少屈折した言い方で表現してくる。この屈折が、非常に魅力的だと私には思える。この歌が採用している助詞の配置は「虫取り網」に一瞬主語が来るように見えることから、主体の視点が少年の動きから虫取り網の動きに移っていく感覚を、より強く読者に与えてくる。視点の動きと、「風になる少年」が振るう虫取り網のスピード感が、とてもよくマッチしているのではないだろうか。助詞の配置だけでも歌が大きく変わってくるということは、常に忘れずにいたい。


何もかも愛してほしい
空襲の跡地に
花のあふれるように
/大幡浅黄

ただ歩くだけでは
すぐに消えるから
命の重さで刻む足跡
/鈴木そよか


 団体戦1次リーグAブロック第1試合大将戦。題は「跡」。私自身はこの試合の審査を行っていたが、大会開幕後最初の大将戦がこのように力作対力作の勝負となり、良い意味で頭を抱えさせられた。
 大幡作品では、1行目の「何もかも愛してほしい」というフレーズのストレートさにやられた後、紡がれる崩壊と再生のイメージにぐっと心を掴まれる。イメージの広がりとメッセージの強さがともに味わえる作品だと思う。対する鈴木作品では、静かで繊細な1行目・2行目ののちに「命の重さで刻む足跡」という力強いフレーズが打ち出される開放感がある。繊細さのなかに意志の強さが垣間見える一首である。「愛してほしい」という受動的なフレーズを核に置く大幡作品と、「命の重さで刻む」という能動的なフレーズを核に置く鈴木作品という、非常に対照的な2首が競い合う名勝負であった。勝負の結果は3対2で鈴木作品の勝利となったが、どちらが勝ってもおかしくない勝負であったと感じる。
 両作品とも多少観念的ではあるが、それでいて単なる心情や思考の吐露に終わらない魅力があるのは、ひとえに両者のフレージングの妙にあるだろう。大幡作品であれば1行目、鈴木作品であれば3行目のような、それだけで人を惹きつけうるフレーズを1首の核として、そこから歌を立ち上げていくというのも、非常に効果的な手法の一つである。



 良い短歌とはなんだろうか。
 古今東西、さまざまな人がさまざまな形でこの問いに答えてきたが、結局のところその答えは各人に委ねられる。そして付け加えるなら、たとえ良い短歌の定義が明確にあったとしても、その定義をわかっている人が良い短歌をつくれるという保証はない。
 翻っていうなら、良い短歌というのは歌を詠む/読むという実践のなかでのみ見出されるものであるのかもしれない。私たちは良い短歌というものの定義を言葉の上に展開することは未だ出来ていないかもしれないが、しかし短歌と出会った時にそれが(少なくとも自分自身にとっての)良い短歌であるということに気がつくことができる。そうであるなら、いま私たちにできることは、私たちの出会った短歌の様相をできる限りつぶさに観察して、その良さというものをさまざまな方向からさまざまな形で描き出すことのみであるようにも思う。それによって生まれる膨大な数の良さのスケッチは、いくら描いても良さそのものには到達できないかもしれないが、だからといってそのスケッチの価値が失われることはない。ある短歌に出会ったとき、それが少なくとも自分にとって良い短歌であると感じられるなら、たとえ良さそのものの定義に到達できないのだとしても、その良さをあらゆる方法で語っていく。そのような実践のみが、私たちに良い短歌をもたらしてくれるのではないだろうか。
 良い短歌と出会う。そのために必要なのは、自身のなかで短歌や創作というものに対する思考や感覚を研ぎ澄まして実践を重ねていくこと、そして自分自身のそれを他者のそれとぶつけ合いながらあらゆる可能性を探っていくことであるだろう。そうした活動の一つの場として、短歌甲子園とは非常に貴重な機会であると思う。自分だけでは到達できない場所にも、他者の声があれば到達できることがあるかもしれない。創作はきっと、ひとりきりでするものではないのである。


■註
[1]「歌壇」2018年11月号(本阿弥書店)掲載。
[2]1行目「内蔵」は原文ママ。提出時もしくは資料作成時に混入した「内臓」の誤記の可能性あり。

短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞

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 塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。
 實はこちらも初の全歌集『岡井隆歌集』が一九七二・昭和47年、思潮社から刋行されてゐる。第一歌集『斉唱』以前の初期作品を「O」(オー)として卷頭に收め、『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』の旣刊四歌集に未刋のアンソロジー『律,68』の書き下ろし「〈時〉の狭間にて」、のちに上記も含めて昭和五十三年、國文社より『天河庭園集』として纏められた一連の作品群。その『岡井隆歌集』の、自著になる「書誌的解説とあとがき」は實に不思議だ。

 (前略)本書(註『岡井隆歌集』)は、歌集六冊分の内容を持ち、昭和20年著者十七才の秋から、同45年四十二才の夏にいたる二十五年間の作品歴が大凡のところ鳥瞰出来る仕掛けになっている。なんという厭(いや)な本であろう。厭ならやめればいいのにそれを敢えてするとは、なんというおろかしさなのであろう。そうおもえばこそ、わたしは、本書の出版を長くためらって来たのであるが、或る私的事情を機縁として刊行へ踏み切ったのである。(後略)

 その私的事情にいささか拘つてみたいのだが、それはさておき、當時、塚本邦雄の短歌に强烈に魅かれながらも、どこか頭の片隅で氣になつて仕方のなかつた岡井作品の精華を心覺えとして記しておきたい。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
  紅(くれなゐ)の占むるひろさよ春はれし日のくれぐれのしましと思(も)へど
  中空より金属(かね)触るる如き声ききていづくに落つる鳥と思はむ
『岡井隆歌集』「O」(オー)

 塚本邦雄の反リアリスムの洗禮を享けた身には、岡井のアララギ體驗を基軸とした自然詠はむしろ新鮮にさへ響いた。「O」は、第一歌集『斉唱』(一九五六・昭和31年)以前の、作者十七歲(一九四五.昭和20年)から十九歲まで約二年閒の作品。「この集では〈模写〉への執着が、制作の主たる動機になっている」と、『岡井隆歌集』の「各集序跋」に記す。「〈模写〉の対象は、(中略)自然(山川草木鳥獣魚介)であるが、同時に、正岡子規以来の、根岸短歌会――アララギ系の先行作品の模写でもあった」とも語る。塚本邦雄の出發が、當時の舊派、いはゆる傳統的歌壇への反發、反抗であつたのに對し、岡井は傳統骨法の眞中から產聲を擧げた。
 第一歌集『斉唱』は一九五六・昭和31年。初期作品「O」(オー)の茂吉を頂點とするアララギ系作者群の〈模写〉から、日常と情動と喩がある緊張感のもと拮抗しつつ、淸新な抒情詠を爲してゐる。思想の核のごとき、喩的交歡の強靱さを感じる。ただしそれは未だとば口のそれであつたらう。

  襤褸(らんる)の母子襤褸(らんる)の家にかえるべし深き星座を残して晴れつ
  携えてオルメック産ハガールの晩(おそ)き昼餉(ひるげ)に一握の銀
『斉唱』

 第二歌集『土地よ、痛みを負え』は、一九六一・昭和36年、白玉書房刋。奧付の裏側には、塚本邦雄『水銀傳説』の廣告が載る。次第に思想的内壓を高めながら、同時に徐々に抒情の密度がその濃度を增してくる。

  純白の内部をひらく核(たね)ひとつ卓上に見てひき返し来(き)ぬ
  夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉
  扉(ドア)の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!(ドアよ、おやすみ!)
『土地よ、痛みを負え』

 ところで、岡井作品を鳥瞰するに、歌集單位で見取るといふ方法もあるが、實質的全歌集である『岡井隆歌集』を通底する多彩な歌の位相を、テーマ別に俯瞰するといふ方法が、歌の特色を見る上でも便利なやうに思はれる。
 最初に强烈に岡井を襲つたのは、時代意識の軋轢のなかで芽生えた政治への熱い思ひであつた。それは試みに『土地よ、痛みを負え』の目次を抜粹しただけでも、その思想の方向性が窺へる。「運河の声/アジアの祈り/ナショナリストの生誕/思想兵の手記/土地よ、痛みを負え」。市民革命への意氣込みが傳はる。その象徴的據點としてアジアがあり、アラブがあつた。

  渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで  『土地よ、痛みを負え』
  緋のいろのアジアの起伏見つつゆくジープ助手台に寒がりながら
  肺野(はいや)にて孤独のメスをあやつるは〈運河国有宣言〉読後
  満身に怒りの花を噴き咲かせガザ回廊に死んでいる我
  その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄
  銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫(アスカリス)
  
  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく  『朝狩』
  群衆を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

 ここに大きく喩の問題が橫たはつてゐると思はれるが、「瀕死の白鳥」について、作者はこのやうに語つてゐる。

 例えば「瀕死の白鳥」ってのは比喩で、中国や当時のソ連を覆っていた左翼思想を言っている。その思想を理想化せずに、「お宅もいろいろ問題あるんじゃないですか?」と電話口に呼び出して聞く。つまり自分なりの批判を込めているわけです。
(【自作再訪】岡井隆さん「土地よ、痛みを負え」 前衛短歌は「滅亡論」への反論)
 
 現代詩では一九五四・昭和29年、谷川雁の第一詩集『大地の商人』が、續く一九五六・昭和31年には『天山』が出版される。評論集『原点が存在する』は一九五八・昭和33年の刋行。また黒田喜夫『不安と遊撃』が一九五九・昭和34年に出てゐる。谷川雁の喩的動性、黒田の市民ゲリラ幻想。ともに岡井の思想の、そして詩想の基盤となつてゐる。谷川は筑豊でのサークル活動から、「大正行動隊」を組織。終始「工作者」を標榜した。對するに黒田は東北の貧農から京濱地區の勞働者へ。彼が風土の、土着の呻きとして「あんにゃ」(東北のイエ制度、長子單獨相續の直系家族に由來)と發した一言の重み。〈運河国有宣言〉とは、一九五六年エジプトのスエズ運河国有化宣言。やがてスエズ動亂へと發展する。
 
 だが、次なる一首には早くも政治の季節の後退が見られるのではないだらうか。

  或る夜すべてのイデオローグを逃れて行けり 青麦の一つかみ持ち海の渚を
『眼底紀行』

 遂に政治(まつりごと)から、雲と雲の交はる性事(男女のおまつり)へ、政から性へ。

 
  国家など見事かき消されたる中天で雲と雲とがまじわりて行き
「天河庭園集」

 
 岡井にとつてひそやかに呟かれた「愛恋」のひと言は、當然のごとくに性愛のダイナミズムへと進展する。正に岡井作品の最大にして最も魅力あるテーマである。


  灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
『斉唱』


 この一首には、先に述べたアララギ先達の〈模写〉にはじまる嫋嫋たる自然描寫の、いはばほそみとでもいふべき神經の末端まで行き屆いた撓やかさが見られる。


  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝(ほつえ)、業房に居て思(も)えばかなしき
『土地よ、痛みを負え』

 性欲がモチーフの設定から、しつかりと正面見据ゑたテーマへと進展を圖るのは歌集『朝狩』からである。

  性欲はうねうねとわがうち行きて眠りに就かむまえに過ぎゆく  『朝狩』
  口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも
  抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟(とどろき)
  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる
  愛技たたかわすまで熟したる雌雄(めお)の公孫樹(いちよう)よいま眠れども
  性欲の森が小さくなびきつつわが底に見ゆあかねさす午後
  性愛の汚名さびしくしんしんと病む独り寝を思(も)いて帰り来

  性愛の火照りに遠く照らされて労働へ行く奴婢は過ぎたり  『眼底紀行』
  昨(きぞ)の夜は乳を抑えきさみどりの手の葉脈をおもいて行けり
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
  うつうつと性の太鼓のしのび打ち 人生がもし祭りならば
  草刈りの女を眼もて姦(おか)すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
  少女欲しそのひとことへ打たれつつ瘦せまさりゆく夜毎のきぬた
  黄昏の群衆をさかのぼりゆく〈愛は肉欲のしもべのみ〉とや
  性愛といわばいうべし芝草の夜露にぬれて爪ありしかば
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて

  子宮なき肉へ陰茎なき精神(こころ)を接(つ)ぎ 夜(よ)には九夜(ここのよ)いずくに到る  「〈時〉の狭間にて」

  幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり  「天河庭園集」
  欲念はただに拭うべく歩く歩く底の底まで空を昏めて
  股間には疼(うず)きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
  女嫌(いと)え女嫌えというごとき集(つど)える雲を拠(よ)り所(ど)と立てば
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
  積雲の季(とき)ちかづくは愛恋のとどろくに似て切なかりける
  唇(くちびる)をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

 さながら「性愛アンソロジー」といつた趣きだが、岡井の性は、徹底的に個であることによつて、私性を貫くことによつて輝かしい〈喩〉の世界を開示してくれる。はたしてなにを性の祖型として岡井は性に突き進んで行つたのか。

  ルネサンスにも人荒れてまぐわいきわが生きざまのはるけき先
『眼底紀行』

 ホイジンガの『中世の秋』には、現代よりも遙かに嚴しい生の現象がまざまざと書き記されてゐる。生存狀況がより過酷な分、生と死のコントラストがよりくつきりと描かれてゐる。ルネッサンス(中世)も人心は荒廢し、同時により荒々しい生の根源に、より原始的(プリミティブ)な、より淸冽な性のかたちが湧出する。 
 性はたぬしき魔と言ひ、闇の本性を明かし、闇はそもそも性愛を持つてゐるとも詠ふ。そして性の太鼓をしのび打つ。

 岡井の本業は醫師。DR・R(りゆう)。醫の現場性と勞働、硏究、學説、そして勤勞と對をなす安寧の休日といふ觀點から見てみたい。岡井版「仕事と日々」。

  アミノ基が離れて毒となる機作(きさく)あくがれてゆく春を待つ日日に  『斉唱』

  屍(し)の胸を剖(ひら)きつつ思う、此処(ここ)嘗(か)つて地上もつともくらき工房   『土地よ、痛みを負え』
  仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ

  肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は  『朝狩』
  休日のさびしさひとり汲みあぐる水系からき悔いをまじうる
  休日のたのしさ金のラッパ手の銀の鼓手より髭濃き絵本
  説を替(か)えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

  労働へ、見よ、抒情的傍註のこのくわしさの淡きいつわり  『眼底紀行』

 休日を含む七曜の限りなき變幻は、『土地よ、痛みを負え』の「暦表(かれんだあ)組曲」として大きなテーマのひとつとなつてゐる。


  民ら信ずるおだやかなる七曜の反復(くりかえし)、熟知せる明日が来るのみ  「暦表(かれんだあ)組曲」1序
  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ火を噴きて居し

  
  部屋なかは朝影濃きを踏みながら転々と座をかえて読むかな  2月曜日
  夕暮をただに曙(あけぼの)へつなぐべくチェンバロの薄倖の旋律   

  遠き戦後の流行唄(はやりうた)くちずさみつつ、七曜の就中(なかんずく)くらき朝  3火曜日

  七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ飜(ひるが)える道あり  4水曜日

  木曜の一隅(いちぐう)へかずかぎりなき打楽器が群れ来り、吾(あ)を待つ  5木曜日
  病む家兎を見舞いて看たり毫毛(ごうもう)のうつうつと陰(ほと)のいろのさびしさ             

  胸を越すあつき湯のなかの孤立(ひとりだち)、またおもう紅潮する独立(ひとりだち)  6金曜日
  項(うなじ)灼(や)く七月の陽もうるわしも空の藍(あい)泡立つばかり濃く
  まつ直ぐに生きて夕暮 熱き湯に轟然と水をはなつ愉しみ       

  あの積雪のしたにひつそりところがしておくもう一組の週末を  7土曜日
  今日が通りすぎつつ居(い)たりモオツァルトの端然と鳴り狂う真中(まなか)を
  わが思考の突端をいま洗いいる波頭しらじらと、目をあく       

  日曜の午はやきかな赫々(あかあか)となだれていたる時間踏みつつ  8日曜日
  跳ねてゆく時間(とき)よ、そのうねりつつ灰まだらの背、筋群のふかい軋みよ
  煮えくるう水を愛して夜半すぎし厨(くりや)に居たりけり、怪しむな
  ガラテア書のある一行に目を遣りしまま茫々と週末を越ゆ       

  七曜のはての断崖(きりぎし) 七日まえ来し日よりなお深む夏草  9抜

 『海への手紙』に「『カレンダー組曲』ノート」があり、以下のように記されてゐる。

 短歌は――そして詩は単なるアフォリズムではない。問いだけが、調べにのって、ひっそりと読者の胸戸を叩く、というのが極上だ。ねがわくは、一首を切迫した問いだけで充足せしめよ。
      *
 (註:「暦表(かれんだあ)組曲」)の意図について)自然詠とか身辺雑詠とかいうものを再認識、または逆用ということなのであった。(中略)くさぐさの日常茶飯事に触発された短歌お得意の領域をぶらつきながら、実は非日常的な詩の世界を、その中に展開しようと試みたのであった。
      *
 時間論の試みという抗しがたい魅力をもった哲学的命題があって、宗教哲学では、「時」に対して「永遠」という化物がのそりと姿を見せないと幕があかない。

 岡井の描く小禽類の愛(いと)ほしさがある。偏愛の雲雀、連雀、小綬鷄たち。

  啼く声は降るごとくして中空のいずくに揚がる早き雲雀か  『斉唱』
  冬の日の丘わたり棲む連雀(れんじやく)は慓悍の雄(おす)いまも率たりや
  幻の一隊の柄長(えなが)庭ふかく三角鐘(さんかくしよう)を連打して去る

  帝国の黄昏 無辜(むこ)の白鳥を追いて北方の沼鎖(とざ)さしむ  『土地よ、痛みを負え』
  小綬鶏が一羽乗りこみいたるのみ丘わたりゆく夜の市営バス
  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく
  どこかさびしい岩かげを曲る狂いたる冬鳥のあれ、かかる夜ふけに

  鳥食えばはつかにたのし いでてゆく午後の激しき道おもえども  『朝狩』
  昨日より啼くこえのなお鋭しと書きとどめたるその夜 雁立(かりたち)
  帰り来むつばさを待ちて傍(かたわ)らの小林(おばやし)ひとつ日に干(ほ)し置かむ

  月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  『眼底紀行』
  中空の雲雀はしばし横へ翔ぶ覗かむかわが騒ぐ樹液を

  昨夜(きぞのよ) は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり  「天河庭園集」
  春鷺のつばさ暗めて飛ぶさえや曇りの騒ぐ空にとらえつ
  ひきかえす小路(こうじ)の熱さ耳ばたのなんたる大声の夏雲雀めが

 集中、「魔の鳥」はさすが小禽類には似つかはしくなく、觀念の、喩を飛翔する鳥であらう。最後の「夏雲雀」も、當時の閉塞した作者情況を考慮すると、いささかの大喝采とも、八つ當たりとも思へなくもない。しかしそのとき、それが岡井の救ひにもなつてゐるのだ。

 片や、小動物には獨特の山羊への嗜好が。

  退嬰(たいえい)を許そうとせぬわが前に酸(す)き匂いして牝(め)の山羊坐る  『斉唱』

  十二頭の豕(いのこ)との餐(さん) 昇りゆく天昏々とくらきを訓(おし)え  『土地よ、痛みを負え』

  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊  『朝狩』
  
  夏野そはかぐわしき朝沢渡(さわたり)の谷のけものの乳しまり見ゆ  『眼底紀行』

 「だまって小動物を剖いて過ごした夏。実験用山羊を飼いならした冬。僕は歌について多くのことを考え、少量のノートをとった。」 (『土地よ、痛みを負え』あとがき

 少量のノートはやがて最初の歌論集『海への手紙』へと結實するわけだが、

 ときに岡井は空を見上げる。特に雲を見つめる。雲は思念の定型(フオルム)か。
  
  うつうつと地平をうつる雲ありてその紅(くれない)はいずくへ搬ぶ  『土地よ、痛みを負え』
  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ
  乾きたる天にひさびさに放ちたる炎(ひ)のごとき、 そを瞻(み)つつ飯(いい)食う

  昼食を境いにあおき創(きず)ふかまる曇りあまねかりし北空に  『朝狩』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う 真昼

  前庭(まえにわ)に入れたる芝の着きそむるころおぼおぼと天の鏡は  『眼底紀行』
  昧(くら)き故ひらかれてゆく美しき青
  あけぼのは空の花ばな星とまじわる

  さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは  「天河庭園集」
  雲ははるかに段(きだ)なし沈む北空や巻(ま)き雲ありし昼は過ぎつつ
  雲が捲くゆたかなる白(しろ)日没になお暫しある巷をゆけば
  風花(かざはな)に仰ぐ蒼天(あおぞら)春になお生きてし居らばいかにか遭わむ

 まだまだある。樹木、特に楡、楡は喩の木。そして林、搖れる枝々。ときに花が、緑が、紅葉が……。

  宵闇にまぎれんとする一本(ひともと)が限りなき枝を編みてしずまる  『斉唱』

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡  『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

  天のなか芽ぶける枝はさしかわし恋(こほ)し還り来し地と思うまで  『朝狩』
  明るさのそこまで来つつためらうを花梗の林すかし見ている

  喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹(ひときひとき)と咲き昇りけり  『眼底紀行』
  そよかぜとたたかう遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
  ここからは夜へなだれてとめどなき尾根の紅葉に映えてわが行く
  くさぐさの抱擁を経て来ておもう樹を抱くときの葉腋の香よ
  揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな

  春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる  「天河庭園集」
  精神の外(と)の面(も)の闇に桜咲きざくりと折られゆく腕がある
  転形へ暗示をふかめつつあるは百日紅(ひやくじつこう)のたわわなる白(しろ)

 續いて先に見た性の時閒を巡る夜の姿態と異なる夜の橫顏、そして晝の橫顏。

  夜半(やはん)旅立つ前 旅嚢から捨てて居り一管(いつかん)の笛・塩・エロイスム  『斉唱』
  眠られぬ又眠らざる夜がゆきてイリスは花を巻きて汚(よご)るる    

  せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて  『土地よ、痛みを負え』
  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)
  しずかなる応(いら)えをきく夜わがうちに王国も築きうべしとおもう

  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば  『朝狩』
  中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降(お)りたつ
  発(た)ちし夜の妖(あや)しきまでの明るさを恋えば、戦後こそわがカナンの地

  願望の底ごもる夜(よ)をつらぬきて星の林へ行く道なきや  『眼底紀行』 
  移りゆくくれないの刻(とき)藍のときかたぶく昼を怖れて居れば    
  
  夜のほどろの夢にわれら選ぶミンナ・ドンナ・ヘンな艱難   「〈時〉の狭間にて」
  父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆという午(ひる)を

  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う  「天河庭園集」
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し

 神は細部に宿る、とばかり際限ない分類は續くのだが、今稿はここまで。次囘は第三歌集『朝狩』の紹介から、冒頭に約した「或る私的事情」の周邊を彷徨つてみたい

短歌相互評29 山川築から寺井龍哉「大学院抄」へ

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空あゆむ巨象の群れの溶けゆきて雲となりたるのちに眼をあぐ

そのまま受け取ると異様な光景だが、主体が眼をあげたのは象が雲となった後だから、象を捉えてはいないはずだ。すると「雲になる前の姿」を認識することは不可能ということになる。つまり、上の句には想像あるいは願望が入り込んでいるのではないだろうか。象は死ぬ前に群れから去るという都市伝説のように、消えていく巨象の群れは孤独感をかきたてる。全体を読むと、動きを表わすのは結句の「眼をあぐ」だけで、静かな一首といえる。この静的な印象は、連作に通底するものでもある。

秋晴れや机上ひとつを片づけてから出るといふことができない

連作の題やこのあとに続く歌からして、主体は勉学の徒であり、机はそのよりどころといえる。この歌は自宅、あるいは研究室から出かける前の場面だろう。片付けられない机は、彼の心の動揺の喩でもある(中学生のころ、担任の先生が「机の乱れは心の乱れ」なんておっしゃっていたことを思い出した)。初句では一首目につづいて空が登場し、しかも秋晴れだ。「や」という切れ字によって、澄み渡った空と主体の机および心の乱れの対比、あるいは屋外と屋内の対比が強調されている。また、初句だけが空を描き、二句以降で主体に焦点が移る構造は、一首目と対になっているようでもある。

君の頬あかくわが手のしろきかな二次会の話題おほかた無視す

アルコールが入って気分が高揚している「君」に対し、主体は盛り上がった雰囲気に乗れないのだろう。頬と手という身体の一部を切り取った端的な対比によって、2人の感情の落差が言外に提示されている。なんの二次会かは明示されていないのだけれど、連作を通して読むと、論文の中間発表で主体がきびしく批判された後の光景だと思えてしかたがない。

言はれればいつでも泣ける表情に深夜の坂をくだりくだりつ

上の句のひねくれた表現に立ち止まる。「言はれれば」は泣くように言われれば、という意味か。それは逆に、言われなければ泣かないということでもある。「表情に」の「に」という助詞の使い方が巧みで、滑らかに下の句へ移っている(これがたとえば「表情で」だったら一度切れてしまうだろう)。そして「深夜の坂をくだりくだりつ」というリフレインが効果的で、描かれているのは身体の動きだけれど、精神もまた暗く深いところへ、少しずつ確実に向かっていくことを暗示している。

孤独といふもの転がりて後ろ手に触れたり今は茄子のつめたさ

孤独という概念が「茄子のつめたさ」を持つものとして形象化されている。茄子のつるりとした感じはつめたさとよく響いているし、苦みのある味や暗い色調は、たしかに「孤独」と通じるところがある。主体は「孤独」に後ろ手に触れるだけで、目にするわけではない。この微妙な距離感に生々しさを感じた。

複写機のひとつひとつにともる灯を夢に見きまた目のあたりなる

「目のあたり」は眼前の意味か。複写機が何台か並び、それぞれに電源が入っている。そのような夢を見る主体は、複写機を頻繁に使用しているのだろう。景自体に加え、「ひとつひとつ」「また」という複数・反復を表わすことばが並び、一首自体が複写のような印象がある。また、電源が灯と表現され、さらにそれが夢というベールをかけられることで、眼前にありながら遠いような、不思議な感触を覚えた。

夜をかけて文字ならべられたるのみの資料ひかれりひかるまま捨つ

夜通しパソコンで資料を作成したが、それを価値のないものとして捨ててしまう。「文字ならべられたるのみ」という苦い認識が痛烈で、「ひかれり」「ひかるまま捨つ」という間をおかずに並べられた四句・五句に自棄のような疲労感が滲む。

書庫の鍵のながき鎖を小春日に回すさながら宍戸梅軒

宍戸梅軒は吉川英治『宮本武蔵』に登場する鎖鎌の達人で、武蔵と戦って敗れる人物である(というのは検索して知ったことですが)。しかし、主体が実際に回している鎖は武器ではなく、鍵の付属物だ。武器としての鎖は自分を解放し、敵を傷つけるものだが、この鎖は逆にあたかも自分を繋いでいるかのようだ。「さながら」というやや芝居かかった表現からは、自虐的な戯画化が読み取れる。

愛のみに待つにはあらず柱廊に干さるる靴の赤と黄と黒

柱廊は古い西洋建築などにある、柱が立ち並ぶ廊下のこと。やや観念的な初句・二句に対して、三句以降では一転して鮮やかな色彩が目に浮かぶ。干されている靴はいわば持ち主を待っているが、それは愛だけでなく様々な感情を含んでいる……ということなのか。あるいは三句以降をもっと象徴的に読み取るべきかもしれないが、いまひとつ読み切れなかった。『幸せの黄色いハンカチ』を連想したりもしたが……。

時計塔の時計は見えぬ並木にて八犬伝をふたたび読みき

八犬伝は曲亭馬琴による大長編小説(読本)。時計が見えない並木で、時間など存在しないかのように読みふけるのだろうか。

夜をはしる大型バスの胴腹のふるふがごとく生きたかりけり

大型バ「胴腹の」までが序詞的に「ふるふ」を導く。震うように生きるというのは、自分の存在を他者に意識させるようなことだろうか。胴腹とは一般的でないことばだけれど、大型バスの形容として非常にしっくりくる。

道の駅ひときは声のおほきかる老婆なだめて一座なごみぬ

道の駅は夜行バスの停車場所か。声の大きなお年寄りはしばしばいらっしゃるなあと思う。一座というのがおもしろい。知り合い同士ではなくても、同席している人々に連帯感や信頼感が生まれる瞬間はあるのだ。

滑走路と呼びても嘘でなき路よ いましばらくはひとりの暮らし

「滑走路」は、主体が今まで歩いてきた道を指していると読んだ。「呼びても嘘でなき」というからには、まだ飛び立ってはいないのだ。そこには、飛び立つこともできたけれど……という逡巡が含まれているのではないか。やや遠回しな表現にもそれが見て取れる。

このさきもそんなには変はらないだらう茱萸坂にそのひとを誘はむ

上の句のくだけた口語が印象的。「そんなには変はらない」と推測しているのはなんだろう。私は三句切れで、主体の漠然とした不全感のつぶやきだと読んだ。茱萸坂は千代田区永田町にある坂の名(らしい)。坂は四首目でネガティブな象徴として表れているが、そこにひとを誘うのだという。少し不穏さが匂う。「そのひと」は先に登場した「君」と同一なのか、少し考えたが、やや距離を感じさせる三人称からして、別人と判断した。

桐箪笥われにその背を見せぬまま六年(むとせ)を経たり、あいや七年(ななとせ)

年数は大学に入って独り暮らしを始めてからの期間と思われる。なるほど、長い間「同居」しているにもかかわらず、家具には全く知らない面があるのだ。擬人法と「あいや」というこれまた芝居がかった言い回しがおかしみを出しているが、やはり寂寥感も感じざるをえない。

矢を受けて乱るる隊伍わが胸にとどまれるまま逢ふために起つ

隊伍を映像として観たのか、あるいは本などで読んだのかはわからないが、それをなにか象徴的なものとして受け止めたのだろう。そのような心のまま「逢ふ」のは、なかなか穏やかならざるものを予感させる。

ちやん、ちやんと声をかけあふ少女らの手に手に赤きコカコーラ缶

「○○ちやん」という呼称は「○○さん」などと比べて幼さを感じさせる。また「ちやん、ちやん」は、話の落ちを表わす効果音のようでもある。少女たちの声に、主体はなにか終わりの兆候をかぎ取ったのかもしれない。赤いコーラの缶は危険信号のようにも見える、というのはすこし暗い方に考えすぎか。

人を待てば光あふるる秋の河 なにを忘れしゆゑのあかるさ

「あふるる」「秋」「川」「なに」「忘れし」「あかるさ」といった語頭のA音が開放的な印象を与える。陽光を受ける河の風景が「光あふるる」と美しく表現されているのだが、彼はそれを見て、なにを忘れたからそのあかるさがあるのか、と考えている。「暗い」……と言い切ることにはためらってしまうが、ここまで描かれたきた主体の姿は、決して明るくはない。河と対比される彼は、明るくなれない=忘れられないことばかりなのだろう。秋の河であることもさびしさを強調する。韻律(明)と内容(暗)および風景(明)と内面(暗)の対立が凝っている。

狡猾になれよと言へりかくわれに言はしめて雲ながれゆくなり

言ったのは主体で、そのことばを掛けた相手は、待ち合わせをした相手だろう。そして、彼にそう言わせたのは雲だという。冒頭の二首に表れているように、主体は空に感情を投影しており、ここでは逆になにかを受け取ったのだと思う。しかし雲自体はことばを発することなく、ただ流れていく。「狡猾になれよ」と言われた相手がどう反応したのかは、ここには書かれていない。一首を読んだあとには「狡猾になれよ」ということばの少々残酷な響きが残る。

空とほく呼びかはしつつ生き来しに友らつぎつぎ倒るる枯野

ふたたび、空だ。友たちは、主体と同じように大学院に進んで研究を続ける人たちだと捉えた。「空とほく呼びかはしつつ」を現実的に読むならば、連絡を取って励まし合うことだと思うが、このように書かれると、秋空に自分の発した大声が吸い込まれていき、かすかに友の応答が聞こえてくるような、心細い状況が浮かんでくる。しかし、「生き来し」という強い表現が選ばれていることからも、それを支えにしてきたのもたしかなことだろう。
ここまでに現れた宍戸梅軒や乱れる隊伍のイメージと合わせて、主体にとっての研究生活は、ほとんど戦いとして捉えられているように思える。友たちも倒れたという今、果たして八犬伝のような大団円に至る道はあるのだろうか。

短歌相互評30 寺井龍哉から山川築「つくりごと」へ

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 標題は「つくりごと」、物語的な虚構のことのみを指すと見てもよいが、あえて「つくりごと」をせずありのままに語ることのできる事実も存在するのだから、この語には後ろめたい印象もつきまとう。世を渡る方便としてのささやかな嘘、観客を楽しませるための創作者による脚色、政権をゆるがす大いなる虚偽までを、「つくりごと」の語義は包摂する。

 真実の対義語ばかり使ふ日のはじめに飲み下す胃腸薬

「つくりごと」はまさに「真実の対義語」のひとつだろう。「真実」を回避し隠匿して過ごさねばならぬ日の最初に「胃腸薬」を服用する。よほどストレスの負荷のかかる日々なのだろう、と納得するのは簡単だが、それで済む話ではあるまい。私は「真実」への接近を規制されながら、受け入れがたい圧力や要求を飲む。もの言はずは腹ふくるるわざなり、とは兼好の言葉だが、言いあてられるべき「真実」を言えずに内面に溜まってゆく憤懣や憂憤を、私は「胃腸薬」で処理しようとするのだ。ままならぬ現実に「胃腸薬」で対応しようとする気息奄々の表情、というばかりではない。そのどす黒い念々を積極的に排出しようとする、潔いまでの自己防衛への志向を感じとるべきだろう。

  濃緑の丘を離るる気球見ゆ叫びのまへの呼吸は深し
  憤激の去りにしのちにわれの手はタブロイド紙を歪ませてをり

 絶叫の前の一瞬に、深く息を吸い込んで気球を見つめる。激しい感情のしずまったのちに、手に摑まれたものの形状からその感情の様相を省みる。私の内面の転変と叙述の視点は、すこしずつずれて同調しない。大きく息を吸い込んで吐き出すまでのひととき、そこには単純でない感情や思考の変化があるだろう。「タブロイド紙」の文面を目で追ってから自身の「憤激」に耐え、やがて手に込められた力の大きさを自覚するまで、意識は刻々と遷移する。高潮する意気と、離れた時点からそれを子細に眺めまわす視点が、一首のうちに二重の像を結んで存在している。読者はその複層性に現実味を感じすにはいないだろう。誰も誰も、単線的な感情の線のみを生きているわけではないからである。

  十字路の角の耳鼻科の看板に目のなき象が三頭ならぶ
  投入が殺人に見えもう一度袋の口を固く結びつ

 感覚や判断能力の摩耗ということも、主題のひとつかもしれない。「象」は、「耳鼻科の看板」であるというのみの理由で、耳と鼻の巨大さを買われて召集され、「看板」の絵のなかに小さく並ばされている。涙ぐましいではないか。しかも「象」は「目のなき」状態に置かれている。「投入が殺人に見え」も「目」による視覚の能力の不全を暗示する。たとえばゴミ袋をゴミ箱に「投入」する前に、ふと表示の文字を見間違える。そして私は、「殺人」よろしく「袋の口を固く結」ぶ。「真実の対義語ばかり使ふ」ことは、やがて正不正の判断以前の認知の能力も逓減させてゆくという流れを読みたい。

  黙すほど鋭くなれる痛みかなざなざなざなと墓地に降る雨

 それにしても、明らかに背面に誰かの死がある一連である。終盤になって出現する「殺人」、「固く結びつ」、「憤激」、「痛み」、「墓地」という語彙は、不穏な色をありありと見せつける。二首目の「有精卵が産み落とされて」の表現は、その対極の要素として布置されていたということに、ひとたび読み終えて後に想到するしくみである。
「真実」を秘匿し、次第に摩耗する感覚を用いながら、私は残酷な行動にも手を染めようとしてしまう。激する感情を離れた時点から眺める姿勢は崩さないものの、不如意な現実に立ち向かうこともできず、「黙すほど鋭くなれる痛み」を抱えて「墓地」に立ち尽くす。実際の意図はともかく、この一連の背後に、たとえば財務省の決済文書改竄や近畿財務局職員の自殺の問題を見ることは困難ではないように思う。事実を秘匿し虚偽を構築せよ、という指示を受けて思い悩んだ者の軌跡、そしてその死について、読者は考えざるを得ない。社会詠の窮まるところは、境涯詠と交差する。
 言うまでもないが、同時代の作品を読むということは、そうした観点を不可避的に引き入れてしまうことでもある。作品の魅力を汲みつくすために、それはどうしても必要なことだ。
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