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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌時評第139回「斎藤茂吉を語る会」からの贈り物 -結社のこれから 山口茂吉、AI。想像力に翼は生えて-大西久美子

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「斎藤茂吉を語る会」(2009年9月30日設立)に力を尽くされた藤岡武雄氏が、「平成30年度総会」(3月10日)を期に会長職を勇退され、雁部貞夫氏が後を引き継がれた。その最初の例会が11月4日、下記(各氏の敬称略)の通り、東京で開催された。

・講演     「山口茂吉日記」を中心として 玉井崇夫
・シンポジウム 茂吉の三高弟を巡って
・佐藤佐太郎(香川哲三)・柴生田稔(雁部貞夫)・山口茂吉(結城千賀子)

齋藤茂吉を人生の全てをかけて支えた山口茂吉(1902年-1958年)は佐藤佐太郎、柴生田稔と共に三門下人の一人であり、歌集『赤土』が『現代短歌全集 第九巻』(筑摩書房)に収録されている。しかし、『岩波現代短歌辞典』に彼の名はない。

結城千賀子氏が用意されたレジュメに次の一文がある。

「佐藤(佐太郎)君は愛された門人であり、私(山口茂吉)は最も叱られた門人である」
                      「アザミ」昭和28・8/斎藤茂吉追悼号

また、加藤淑子著『山口茂吉 齋藤茂吉の周邊』(みすず書房)では、山口茂吉が世を去った際の落合京太郎氏の追悼文が紹介されている。

「『齋藤茂吉の忠實な助手として一生不變』といふだけで山口君は必ず彌陀の來迎を仰ぐことが出來たに相違ない」(アララギ、昭和三十三年十月號)

齋藤茂吉へ、ひいては主宰頂点のヒエラルキー的システムの結社に人生を捧げ尽くした山口茂吉の姿がありありと思い浮かぶ。

ここで結社について「第36回現代短歌評論賞」(「短歌研究」10月号)の課題から考えてみたい。

(1)結社の現在

「第36回現代短歌評論賞」の本年の課題は、『「短歌結社のこれから」のために今、なすべきこと。』であるが、授賞式会場における三枝昂之氏の講評から、今回、二十代(十代も入る)の応募者がいなかったということが分った。実は私も「自己愛の強い時代に」というタイトルで応募し、抄録を「短歌研究」10月号に掲載していただいているが、ここに省略されている導入部は、既に短歌結社に属している方が、それに気付かず「結社って何ですか?」と私に尋ねたエピソードである。この時、特に若い世代には結社のイメージが掴み辛く、希薄なのでは?と思ったが、三枝昂之氏の講評から、やはり!と確信した。

(2)AI -山口茂吉を思いつつ-

各論とも角度は違うが、松岡秀明氏の受賞作「短歌結社の未来と過去に向けて」、雲嶋聆氏の受賞一年後評論「泥土か夜明けか-人工知能の短歌の未来」、拙作「自己愛の強い時代に」ではAIについて触れている。

結社に属していても、帰属意識から離れている会員が増えつつある現代において、齋藤茂吉に献身し尽くした山口茂吉のような人材の出現は難しい。最近、AIが短歌を作れるか、という論をよく聞く。AIは秀作を生む歌人にきっとなる。が、それよりも、私は結社のために、校正、ARCHIVE、運営、実務等、組織の鍵となる様々な問題に献身的に尽くす、縁の下の力持ちとなることをAIに期待する。

AIは斎藤茂吉の三門下人のようには恐らくならない。しかし、新しいタイプの門下人として、実務上の問題対処、理不尽を伴う結社内外の人間関係の軋轢の緩和のための提案など、主宰者と会員の間にたって、結社存続に尽くす可能性は十分にある。仮に所属する結社が解散してしまっても、結社の歴史、作品を鮮やかに後世に伝える存在となるだろう。



短歌評のお詫び

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 今回のいきさつに関しては、不適切な内容があったため関係者からご指摘があり、前の記事を削除いたします。
 すべての責任は掲載した詩歌梁山泊「詩客」編集にあります。
 該当記事にはSNSの記事からの憶測と受け取らかねない表現が含まれ、関係者にご不快を与える結果になりお詫び申し上げます。


詩歌梁山泊 「詩客」編集 森川雅美

短歌評第31回 須藤岳史から服部真里子「ルカ、異邦人のための福音」へ

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「異邦人のための綺想」


歌を読むことには、作者を知っているからこそ気がつく秘密めいた部分と、逆に知らないからこそ生まれる創造的誤読があります。手元には第一歌集『行け広野へと』(2014年、木阿弥書店)と、この「ルカ、異邦人のための福音」の一連が収録されている最新の歌集『遠くの敵や硝子を』(2018年、書肆侃侃房)の2冊の歌集があるだけで、歌人・服部真里子さんについては、人となりから、声、話し方まで何も知りません。もしかしたらインタビューの記事や映像があるかもしれませんが、せっかく何も知らないので、特に探すこともなく、歌にだけ向き合い、創造的誤読と連想の羽ばたきを楽しんでみようと思います。

一読してまず気が付いたのは、服部さんの独特な作歌の技。歌人を一瞬捉えた言葉の並びがまずあって、その言葉が全く別の、時には思いもかけない言葉を連れてきて、歌の世界を築いているのではないかということです。ある一つの言葉のならびが、別の言葉のかたまりを呼び、それが連鎖して、一つの歌として結晶し、新しい「意味」が生まれてくる。そういう歌作りのプロセスを想像します。歌人を捉えた言葉はどこからかの「頂きもの」、そしてそれを歌へと結晶させるのは「人の技」。

つばさの端のかすめるような口づけが冬の私を名づけて去った

「つばさの端のかすめるような」冷たい体を持つ存在が、温かい「口づけ」をすることで名前=生命を与える。その口づけが私を名づけたのち、去ったというのです。名前とは与えられるものであり、かつ明かされるものです。ガブリエルの預言を信じなかったザカリアはヨハネの名を明かすまで口が聞けなくなりました。しかし、ヨハネの名を書きつけた途端にふたたび口が聞けるようになって預言を授かりました。名を与えられるということは、預言者としての資格を得ること。ここで歌を作る「私」も言葉を預かる資格を得ます。

縫い針はしきりに騒(さや)り雨だった頃のあなたをほのめかすのだ

「雨だった頃のあなた」という言葉の並びは、「では今のあなたは誰なのだろう?」という問いを連れてきます。縫い針のメタリックな質感から連想するのは、やはり雪。冬の初めに舞い降りる雪は、すぐに溶けて水になってしまいます。しかし、水になる代償として名前を残していきます。

死者の持つホチキス生者の持つホチキス銀(しろがね)はつか響きあう夜

前の歌の「縫い針」のメタリックな質感が、ホチキスの針へと転じています。ここでは温かみを持つ生者のホチキスまでが温度を失い、死者の冷たさと響きあい、夜の暗さの中で同化してゆくような蠱惑があります。

海峡を越えてかすかに翳りゆく蝶のこころとすれ違いたり

安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」を連想しました。冬衛の蝶は大陸からの望郷の思い。それとすれ違うということは、大陸の冷たい空気の刻印を受けるということでもあります。ここでは前歌の温度差が、すれ違う二つの心へと連句のように転じています。

北窓の明かりの中に立っているあなたにエアホッケーの才能

レンブラントのアトリエは北向きだったそうです。またバルテュスも北から入る自然光の中でしか絵を描かなかったといいます。北窓の明かりは一定方向の影を生み出し、それは日が沈むまで変わりません。その静的なヴィジョンとエアホッケーの動的な速さの対比が、「あなた」の意外な一面を披露しています。北窓に立つ存在は、その影の遊びの少なさにより、実体がより際立ちます。実体があまりにも際立つということは、ある意味、非現実的であり、受肉できない存在がかりそめの肉体を得て、目の前にいる。そういった映像が浮かびます。

遠い日の火事さえ私の名を呼ぶよカモメたち刃のように飛び交い

「遠い日の火事」の禍々しさ。その火事の記憶そのものに呼ばれてしまう怖さ。刃のように飛び交うカモメが青空を切り裂き、めくれた空からめらめらと燃える炎が見えてくるかのような映像的な歌です。

復讐を遂げていっそう輝けるわたしの幻ののどぼとけ

キリスト教世界では復讐は神のものであり、それを人が行うことは是とされていません。その禁を犯してまで行われる復讐。「のどぼとけ」が「幻」ということは、復讐を遂げるものは、のどぼとけを持たない体、すなわち女性であることが想像されます。男性的な破壊の力の行使がもたらす代償(Adam’s apple)。しかし「いっそう輝ける」と感じる「わたし」は、それを誇らしく思っているようです。

犬のことでたくさん泣いたあとに見てコーヒーフロートをきれいと思う

悲しくてたくさん泣いた後は、まるで憑き物が落ちたかのように、その悲しみから遠ざかる経験は誰にでもあることでしょう。悲しみの後にやってくる不思議な幸福の感覚は、ありふれたコーヒーフロートにさえ美を見出す力を授けます。ここに罪悪感は全くないのですが、黒いコーヒーと白いアイスクリームが溶けあってゆく暗い色合いとその重さが、無意識に悲しみを引きずっている、そんな隠れた心情が読み取れます。

ふいの雨のあかるさに塩粒こぼれルカ、異邦人のための福音

表題を含むこの歌は不思議な歌で、よくわからない。もしかしたら「ルカ、異邦人のための福音」という言葉がふと歌人を捉え、そこから「ルカ」と繋がる「こぼれルカ」が呼び起こされ、こぼれるもの、塩粒(もちろん山上の垂訓「地の塩」を連想させる)、すなわち前歌の「涙」が要請されたのではないか?

横なぐりの雪 ではなく雪柳くずれた後の道で会いたい

「横殴りの雪」=真冬ではなく、「雪柳」のほころぶ季節、すなわち春に会いたいと願う。何かを願うのは、それを実現することが難しいから。冬の、透明度の高い質感を、春の穏やかな光の中で体験したいという、叶わぬ願い。

金(え)雀(に)枝(しだ)の花見てすぐに気がふれる おめでとうっていつでも言える

まるで何かに取り憑かれることを望んでいるかのような不気味な空気を感じます。金雀枝といえば、魔女の箒の材料でもあります。また、ヘロデ王の追っ手から逃れようとするマリアの居場所を知らせる密告者のイメージも浮かび上がります。金雀枝の重なり合う花弁のイメージが狂気と繋がってゆく。そこへ飛び込みたいという危険な誘惑。

だとしてもあなたの原野あしたまた勇敢な雪が降りますように

たとえ春に会えなくとも、あるいはたとえ狂ってしまったとしても、「あなた」のところには変わらず「勇敢な雪」が降りますようにという願い。この願いは、まるで「わたし」が消えてしまうかのような遺言的な寂しさを湛えています。

アランセーターひかり細かに編み込まれ君に真白き歳月しずむ

アランセーターは北方の地、アイルランドのアラン島が発祥とされる、縄目のような模様が入ったセーター。海へ出る男たちの無事と豊漁を願う祈りが込められた独特の模様は、母から娘へと代々伝えられているという話もあります。この歌で一つ気になったのは「君」という二人称です。ここまでの歌は「私(わたし)」と「あなた」が交互に登場し、時には両者が溶け合いながら物語が進んできましたが、突然飛び出した「君」。この「君」は第三者、おそらく私もあなたも消えた、ずっと後の世界の誰かを思わせます。私もあなたもいずれ消える、しかし「歌」は、残る。アランセータの模様のように連綿と読み継がれる限り、ずっと。私とあなたが過ごした季節が忘れ去られるということは、ない。

(須藤岳史)

短歌時評第140回「コーポみさき」の生活と意見 濱松哲朗 

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 先に言っておくが、筆者がここで山階基の歌について何か書くことを同人同士の馴れ合いと見て顔を顰める人は、まずはそのゴシップ程度の〈政治〉的見識で短歌を云々しようとする自身の感覚の貧しさを嘆いた方が良い。筆者は山階を、あくまで一人の作家として取り上げるつもりであるし、それは他の作家について書く時と何も変わらない。同人なら全面的に擁護するとでも、人は思うのだろうか。笑わせないでほしい。こうして名前を晒して物を書くことへの責任と覚悟を、見くびられてはたまらない。
 それはさておき、である。時評であるから、話題となった第64回角川短歌賞次席作品「コーポみさき」50首(「短歌」2018年11月号)について主に書くつもりでいるが、山階作品を論じるにあたっては、やはり第59回短歌研究新人賞次席作品「長い合宿」30首(「短歌研究」2016年9月号)を踏まえて書いておきたい。筆者は「長い合宿」の方を、山階作品における一つの転換点となった連作として評価しているが、それは何も、「コーポみさき」を「長い合宿」の繰り返しや自己模倣と見なしているというわけでは決してない。むしろ「コーポみさき」の方が、方法論的にはより洗練され先鋭化していると筆者は捉えているが、しかしそれ故に、この先鋭化にはある種の危険も伴うという判断が、肯定的な評価をほんの少し押し留めてしまっている。多少回り道になるかもしれないが、今回はその辺りを丁寧に書いてみようと思う(なお、今回の角川短歌賞全体については別の媒体で書いたので繰り返さない)。

 以前、「穀物」の座談会で山階は次のように発言していた。「読者が自分自身を代入するにしても、想像して人間を代入するにしても、そのために必要な「空白」だけあれば短歌は作れるとぼくは思っています。だから連作を作るのも全然苦じゃないんです。プロトタイプの人間像みたいなのすらなくてもまとめていけるはずだから」。「「どれだけ引いたら読む人に負担がかからないかな」っていうことばっかり考えてる気がします」(「座談会・短歌を生きていくための深呼吸」「穀物」第3号、2016年11月)。この発言は、山階の作歌上の方法論を端的に示していると言って良い。彼は声高に〈私〉を詠むことをしない。彼が描くのは、人と人、あるいは人と物との関係の中に生じる微かな気配であり、それは関係性の機微とも言うべきものである。彼が「空白」と呼んだものは、換言すれば関係性の生じる〈場面(scene)〉のことであり、〈場面〉の空気感のことである。〈私〉の統治下に置かれる〈場(field)〉ではなく、誰にでも偶然起こり得るような〈場面〉であることに注意したい。そして、〈場面〉の空気感を描くことは、空気感そのものを言葉によって構築し、読者に手渡そうとする行為でもある。
 もっとも、読者へ「空白」を残しつつ〈場面〉を手渡すという方法や引き算的な作歌意識それ自体は、別に目新しいものではないし、彼に限ったものでもない。特にそれが、〈私〉というものやそれを描く言葉の周囲に纏わりついた過剰な特殊性や劇性を洗い落としてゆく作業の一環として語られるのであれば、それこそ『桜前線開架宣言』収録世代の中に先例を見出すことは容易であるし、そうした先行世代ないし同世代からの影響を当然ながら山階も受けているはずだ。山階の初期の歌の〈場面〉の多くが生活の現場としての都市空間であることも、読者が想起しやすいごくありふれた〈場面〉を叙景することで〈私〉の効力を薄めつつ、言葉の細部へのこだわりによって作者の独自性を確保しようとする試みだったと見なすことができる。しかし、誰にとっても代入可能な無名性や即物性を獲得するための手段として都市の景物を選ぶことは、表現上の独自性や作者性の確保に失敗すれば都市空間そのものの無名性の方に飲み込まれ、ある種の没個性に陥ってしまう危険を常に有している。

高層のビルがおのおの全身で名前を付けて保存する街
山階基「メインストリーム・ストリーム」(「早稲田短歌」42号、2013年3月)
できたてのビルしなやかに伸び上がりところどころにある非常灯
「革靴と火花」(「早稲田短歌」43号、2014年3月)
東京で生まれ育つてみたかつた僕を寝かせてそれから眠る「ちゃら」(「穀物」創刊号、2014年11月)
三基あるエレベーターがばかだからみんなして迎えに来てしまう
「滴る炎」(「穀物」第2号、2015年11月)

 仮名遣いを再度新仮名遣いに戻した2015年頃までの山階作品には、読者へ与えるための「空白」の力と没個性化とのせめぎ合いで揺れ動く作者の姿が時として透けて見えてしまう。ここに引いた「長い合宿」以前の四首なら断然四首目のエレベーターの歌が優れているし、一首目であれば同様に〈名前〉に着目した「バス停は置かれた場所の名ではなくほんとうの名を呼べば振り向く」(「風邪と音楽」「穀物」第4号、2017年11月)の方が秀歌だろう。「おのおの全身で」や「しなやかに伸び上がり」という表現は、確かにどこか身体感覚に訴えるものがあるが、「迎えに来てしまう」や「振り向く」と比べると、やはり過剰だ。山階は次第に、こうした読者の(作中の主体の、ではない)感覚に直結するような表現に対して、引き算のメスを入れ始める。

おたがいのあらすじをきく夕暮れにあたらしい食卓のはじまり「長い合宿」(「短歌研究」2016年9月号)
ひとりずつ抱えて帰る難題をほっぽったまま夜食のしたく
湯上がりのくせを言われてはずかしい今のところはもめごとがない

 「長い合宿」は、そうした引き算の精度を高める過程で生まれた一つの到達点だと言える。かつて、田丸まひるは「長い合宿」について、「そもそも作中の主体が男性なのか女性なのかも巧妙に隠されて」おり、「意図的に主体やルームメイトの「顔」を消して、主要な人物像においては、共同生活を手さぐりで始めた主体の「表情」のみで作品を構築している」と評したように(「詩客」短歌時評第123回、2016年9月24日更新分)、この連作においては作品の主人公(主体)とルームメイトの性別以上に、人物の個別性を決定づける〈顔〉の不在が大きく作用している。意地の悪い言い方をすれば、この連作の主人公と相手役であるルームメイトは、お互いにとっても読者にとっても、とても都合の良い他者として描かれている。「おたがいのあらすじをきく」ことはしても、各々の「難題」に深入りしたり「もめごと」の原因を作ったりはしない。他者の〈顔〉と向き合う際に起こり得るストレスがルームメイト同士の生活場面を描く連作後半では綺麗に引き算されているのだ。連作の前半で、主人公の実家の人々がそれぞれ「父」「母」「弟」として具体的な個人として(性別も分かる状態で)描き出されているのとは対照的だ。

山茶花のほころぶ冬の庭にいて離れなければふるさとはない
うちを出る? はてなを顔にしたような母よあなたに似たわたしだよ
てらいなく笑ってみせたはずでした生家いつかは訪ねて来るよ
 しかし、「長い合宿」にはひとつだけ、引き算し切れずに残されたものがあった。「ふるさと」や「生家」を離れるという、主人公が個人として背負ったある種の物語性である。この点は「コーポみさき」と比較した方が分かりやすいだろう。両方とも新生活を他者とともに歩み始める過程が描かれているが、「コーポみさき」の方にはもはや対比構造を取る「ふるさと」や「生家」は登場しない。現状の生活に関する一切の理由付けがあらかじめ引き算され、拒まれているのだ。確かに「コーポみさき」はある生活の始まりを描いた作品ではあるが、そこには始まりだけがあって終わりはない。生活の終わりは離別や死といった分かりやすい物語に回収されやすいトピックだから、当然引き算の対象になるだろう。そもそも生活というものは、坦々と繰り返されて続いてゆくという一点において、安易な物語性を最初から拒んでいるとも言える。そして、「長い合宿」では「ふるさと」との対比による「都市」的空間の気配が微かに尾を引いていたが、「コーポみさき」においてはそうした地方と都市の対比構造も無化され、街という存在自体が極めて単純化されている。
 実際、作中には引き算の種明かしのような次の歌を見出すことができる。

生活にわけはないのに共にするときは問われるきっかけなどを「コーポみさき」(「短歌」2018年11月号)

 「きっかけ」を問い、「わけ」を知ろうとすることは、生活の場面を何らかの一貫した物語によって見渡そうとする心理によるものだ。「きっかけ」や「わけ」を書いてしまうことは、人生という物語を通じて生活を捉えることであり、を選択した主人公を個人として顕在化させることに繋がる。だが山階は「生活にわけはない」と言って、個人の生活を人生という物語を通じて読者に消費されやすい形で描くことをギリギリのところで拒もうとする。

卯の花がすきなあなたと手を組んでふたり暮らしという寄り道を

 土岐友浩はこの歌の三句目に着目して、「単なる慣用句、ではない。社会のなかで生き延びるために、やむを得ず、しかし前向きに生活を共にする、その関係性が「手を組む」という一語で精確に示されて、立ち上がる」と評しているが(「現代短歌」2019年1月号)、筆者はむしろ「手を組む」という慣用表現が読者にとってのある種の近寄りやすさになっていることに注目する。「ふたり暮らし」なのだから「手を組む」のは当たり前だろう、と一瞬思わせておきながら、その生活は実は互いの人生にとっては「寄り道」だと書くことで、「あなた」との強かな共同性を示す。「卯の花」という、一人分作るのには不向きそうな食べ物が、あたかも手を組む決め手になったかのように大切に扱われている点も興味深い。
 ところで、山田航は「長い合宿」と「コーポみさき」について「多様化するライフスタイルのリアリティを見つめ、ドラマツルギーを導入した短歌連作」だと評しているが(「短歌研究」2019年1月号)、筆者はむしろ、「ライフスタイル」と名指される以前の、「きっかけ」も「わけ」も無いような未分化な〈場面〉を丹念に描写する点にこそ山階の作家としての特性を強く感じるし、「長い合宿」から「コーポみさき」へ到る過程で山階は、山田の指摘する「ドラマツルギー」的な「擬似小説としての連作」の手法から逃れようとしているように見える。だが、「コーポみさき」を評価する側にも批判する側にも、山階作品のストーリーテリング性に対する指摘が見られるのには、恐らく次のような歌に理由がある。

同居する相手の性をいちばんに訊かれるんだな部屋を探すと
おふたりはなごむ感じでよかったというだめ押しをまともに受ける
部屋を借りるためのはずみの婚約を笑ったきみに合い鍵をやる

 結婚を前提としない者同士が部屋を借りることにまつわる現実の困難さは確かにこの連作では目立つエピソードだが(そして引用として纏められてしまうと尚更際立ってしまうのだが)、こうした状況設定は、脈々と続く生活を描こうとする連作においてはむしろノイズになるはずだし、「だめ押し」そのものが連作中でだめ押しであるように見えてしまう。更に言えば、三人の登場人物(「わたし」、「きみ」、「あなた」)について、性別に関する情報がほとんど描かれていないことは当初から話題となっていたが、それなのに、「わたし」と「あなた」の関係については、直接的な言及は無いにせよ、2019年現在の日本における社会制度や現実的しがらみをそのまま援用して、自分たちが感じた微かな戸惑い(マイノリティ性、までには到らない)を「だめ押し」することで、逆説的に両者が現行の制度上で「婚約」可能な異性同士であることを描いてしまったのは何故なのか。せっかく性別から解放された状態で生活の〈場面〉を多彩に描くことに成功しているというのに、何故「コーポみさき」は、現実という制度を暗黙のうちに受け入れてしまっているのか。現実に抗い、ユートピア的に作品の舞台を虚構することだって可能だったはずなのに、何故その方法を採らなかったのか――。
 答えは簡単だ。現実と抗おうとする姿を描くことはある種のヒロイズムに繋がり、余計な物語を読者に手渡すことになってしまうからだ。
 もう一度言うが、山階は〈私〉を声高に詠むことはしない。作品が一人称で作られつつ私小説的な湿っぽさから解放されているのは、〈視点〉ではなく〈場面〉に重点が置かれているからであり、仮に主人公の身体が作中に描かれたとしても、「ここだろう落ち込むのならスリッパのままで湯舟におさまってみる」「バス停のちいさな椅子にいつむいたゆるい猫背のてっぺんを押す」というように、ある〈場面〉に役割を完遂するための道具として扱われている。それはSNS上で見かける、白い背景で物を持っている写真に写り込む「腕」に「持つ」以外の意味が含まれていないのと相通じるものがある。山階は主体の視点の位置をギリギリまで読者と近づけようと試みる。既存の制度の枠に収まり切らない設定で作中の登場人物を描くことは、人物や設定に関するある種の〈型〉を作り出し、読みの「空白」を物語によって埋めてしまうことに繋がる。そのため、「読者」として想定され得る人々が無条件にすっと作中世界へ入っていけるような〈場面〉の連続として、結果的にこの現実社会の設定がそのまま活かされてしまうのだ。
 だが、人生の物語性を引き算することで生活の〈場面〉を描こうとする山階にとって、制度や構造の物語を作中に援用することは決して本意ではなかったと筆者は思う。「穀物」第3号の座談会で彼は「マジョリティの人に対して負担をかけて何かを得てほしいとか、自省してほしいとか、そういうアプローチをするだけの優しさがぼくにはないので」と発言していたが、しかしながら「コーポみさき」の作者はやはり読者に対して少々親切すぎた。彼はなにも、話を聞いてもらうために読者へ媚びているわけではないし、最初から話が通じないものと諦めて見くびっているわけでもないが、しかし読者へ「空白」を届けようとする親切心は、作中にイロニー(皮肉)を潜ませる。斉藤斎藤が「コーポみさき」について「異議申し立てが本筋ではない感じで。ジェンダーやセクシュアリティの色眼鏡をいったん外して、すっぴんの生活や関係性を見つめようとしている」と述べていたが(「短歌研究」2019年1月号)、本筋ではない異議申し立てを現実の制度を援用して描くことは、ほのめかしによる現実へのイロニーに他ならない。「イロニーは信じられることを望まず、理解されることを望む」(ジャンケレヴィッチ『イロニーの精神』久米博訳、ちくま学芸文庫、1997年)。作中で「だめ押し」された現実社会の構造やしがらみは、ユートピア的な共同生活の〈場面〉と対比されることで、イロニーとして読者に受け取られることを前もって準備されている。現実との接点をこれくらい消さずに残しておけば、書かなくてもそういう風に読んでくれるだろうという、諦めと期待の両方を含んだ危険な親切心が、作者から読者に対して働いているのではないか。
 筆者は以前、「コーポみさき」について、「一見すると低燃費で丁寧な歌たちなのに、歌のすぐ側に光の壁があって、その向こうには油まみれのエンジンが煙をあげている、という感じ。「コーポみさき」は恐らく山階作品で一番、この「光の壁」が分厚い、と僕は思う」とツイートしたが(@symphonycogito: 2018年11月7日23時22分)、この「光の壁」の正体は、作者が作中に潜ませたイロニー的側面であったと今は考える。「暮らし」や「生活」を大切に、丁寧に描くことが、作品としては表立って描かれていない現実への批判意識を逆説的に顕在化させている。しかしその逆説は、今現在の社会構造を作中で援用しなければ成立しない。みずからのイロニーを読者に読み取ってもらうために、読者にとってはノイズとなるような「だめ押し」を敢えて潜ませ、生活のかけがえのなさと対比的に読んでもらおうとする。それが「コーポみさき」の方法論だったのではないか。

恋人をまじえて水炊きをかこむ呼びようのない暮らしの夜だ
起きぬけのあなたにも巻くたまご焼き夜じゅうを仕事にかまけたら

 だが、筆者としては山階作品の魅力は、「暮らし」や「生活」という合言葉よりも、やはりこうした「呼びようのない」ほどに尊い〈場面〉の描写の方にあると判断している。アコースティックのギターの、フレットの上を左手の指が動く時に立てるあの微かな音すら逃さないような彼の緻密な描写は、〈場面〉におけるノイズを意図的に調整しなくても、ライブの生演奏のような味わい深さを兼ね備えている(そういえば、「ライブ」も山階作品に頻出する〈場面〉であった)。「すっぴんの生活や関係性」と斉藤斎藤は言ったが、表現されている時点でそれは「すっぴん」では決してないはずだ。だが、その事実を忘れて「生活」を安易に「すっぴん」化して作中で現実の制度と合わせて引き寄せてしまうと、「生活」はいとも簡単に、制度の意図する方へ流されて抑圧されるだろう(筆者は今これを書きながら、「暮しの手帖」を創刊編集した花森安治のことを、戦時中に国策広告に携わった彼の戦後の自己批判のことを、頭の片隅で思っている)。
 新人賞への応募作品であるから、ある程度の計算や調整は仕方ないことなのかもしれない。だが、あなたには、現実に先んじた作品世界を言葉によって結実させるだけの力があるではないか。この一向に変わることのない絶望的な現実の構造への異議申し立てや、いつ終わるとも知れない調整役など、こうして近所の口うるさい評論家に任せておいてくれたら良かったのに、しかしそれでも、あなたは書かざるを得なかった。だからこそ筆者は、山階基にここまでやらせてしまうこの社会の現実に対して、悔しさと憎しみを覚えずにはいられないし、「コーポみさき」に含まれる「生活」の微かな危うさについて、むず痒い思いを抱かずにはいられないのである。

短歌相互評第32回 辻聡之から遠藤由季「いいよね、シリウス」へ

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作品 遠藤由季「いいよね、シリウス」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-01-05-19800.html
評者 辻聡之

 タイトルの「いいよね、シリウス」を目にした時になんとなく思い出したのは、遠藤さんの第一歌集の歌だった。

  馬頭星雲抱くオリオンが昇るころコンロの青き火揺らして待てり(『アシンメトリー』短歌研究社)

 もちろん、シリウスとオリオンの近さから来るもので、鳥の名前が出てきたら第二歌集『鳥語の文法』が頭をよぎる程度の、そんな他愛ない連想だ。けれど、今回の連作を読んで驚いたのは、第一歌集にも第二歌集にも「ほんとうのさみしさ」は詠われていなかったのか、ということだった。いや、何もそんな揚げ足をとるようなことを言わなくてもいいし、それはこの連作を読むうえでとりたてて重要なことではないので、ここまでの文は全くの蛇足であることを書き添えておく。ただ、それならば「さみしさ」とは何か、と考えてしまっただけで。



 連作には、作品内の時間軸に沿って進行するものと、時空間の制約に囚われずに主題をもって展開するものがあるように思う。そういう雑な区分をするなら、この「いいよね、シリウス」は前者のスタンスをとったものだと考えていいだろう。

  一杯の水からはじまる冬の朝青い小鳥の気配はしたり

 冬のきりっとした空気の中で飲み下す一杯の水に、まどろんでいた体が覚醒していく様子が上の句で伝わる。「青い小鳥」は、この日に何かいいことがありそうな、そんな明るい予感を暗示している。朝の始まりをさりげなく描いたこの歌が最初に置かれていることを踏まえると、ここから一日が幕を開け、この日の出来事が語られることが想像できる。(ちなみに、寝起きに飲む水は胃腸にいいとか、脳を活性化するとか言われるけれど、僕はおなかが弱いのでそれができない)
 清々しい冬の空気をまといつつ家を出ると、続く四首には川の描写が入る。川に群れるつがいのオオバン(※千葉県我孫子市の鳥)や対岸の消防車など、目に映る光景が瑞々しく表現されていて、作者の視界を借りている気にもなる。さらに続く四首では、その目を内側にぐるりと向けたように、一気に内省的な歌になっていく。そして、それらが内包する感情は一様ではない。

  あるもので一品作ると似ています近所の散歩で満ち足りること
  ああすればよかったと思うことはないけれどさくらのもみじ赤いね
  不自由を強いられるのはいつもおんな鮭は卵を産み散らしたり
  産んだのち運と自然に任せるという生ならば産んだかわれは

 ありあわせで料理ができてしまう人はすごいと思うし、そういう器用さはその人の生活の中で磨かれたものなのだろう。そのように現状を受容できてしまうことをポジティブに捉えていながら、どこか気恥ずかしさを覚えているのか、皮肉っぽさも滲む。「近所の散歩で満ち足りる」精神があるからこそ、「ああすればよかったと思うことはない」と言ってのけることができる。しかし、上の句から下の句へと変転する「けれど」という一語にこめられた僅かな逡巡、一見関係のなさそうな桜紅葉への言及は、モヤっとしたものを読者にも残していく。感情の割り切れなさの表現が巧みだ。「不自由を強いられるのはいつもおんな」と強く言い切ったあとには、もしかしたら産んだかもしれない仮定の人生について自問する。
 こうした次々と湧き出る思考は、散歩している時の何も考えていないようで何かしら考えてしまっている感覚をよく表していて、ライブ感がある。そして「産んだかわれは」と、どこかの過去を示唆することによって、記憶は「さみしさ」を呼び起こすのである。

  まっすぐにさびしさを言う人だった冬の陽射しのなかに気づけり
  ほんとうのさみしさ詠いしことはなくパン屋の袋溜まりてゆきぬ

 冬の陽射しはやけに眩しく感じるものだけれど、太陽の高度が夏よりも低いせいらしい(さっき調べた)。なるほど。ただ、そういう理屈を知らなくても、寒い中にそっと温めてくれる陽射しは、確かにさびしさに似ている。この歌において、相手との関係は明示されていない。恋人であれ、友人であれ、「まっすぐにさびしさを言」ってくるのは、よほど距離の近い間柄だろう。当時は思い至らなかったその伝え方に、はたと気づき、同じほどにはさみしさを表明できなかった自分自身を思う。溜まっていくパン屋の袋は、生活が坦々と過ぎていくことの比喩が託されているのと同時に、どこか空虚さを抱えた心情とも読める。「まっすぐにさびしさを言う人」と「ほんとうのさみしさ詠いしこと」のない「われ」、という対比がとてもさみしい。
 現在を見つめ過去を振り返る徒然なる近所の散歩も、終盤に向かうにつれて、再び心理描写が控えめになっていく。路地や電波塔といった景色に目を留め、写し取っていく。これは、途中で昂ぶってしまったけれど、ふっと我に返って自身をなだめるような、極めて理性的な作り方なのだろうなと思う。

  かっきりと八十八星座嵌まりおる夜空の区画整備を眺む
  はえ座とか南の空にあることの人の思考は不可思議でよし
  考えずなにも成し遂げずに眠る夜があってもいいよねシリウス

 冬の朝から始まった一日が暮れ、夜空の星を眺めるに至る。八十八もの星座を考え並べ、はえ座すら存在せしめた人間の思考をよしと思う。「夜空の区画整備」という把握には軽いユーモアが効かせてあるし、「はえ座とか」の「とか」という砕けた使い方は、下の句の「不可思議でよし」という大らかな物言いによく合っている。連作最後の一首は、タイトルにもなっている歌だ。シリウスは太陽を除けば全天で最も明るい恒星で、肉眼でもよく観察することができる。そうした星に比べれば、「考えずなにも成し遂げずに眠る」自分の取るに足りなさが際立つし、いっそ許してしまえる。何より、考えごとの多い一日だったのだから。「いいよねシリウス」という柔らかな問いかけが、そのまま眠りに落ちていく様を表しているようだ。
 ここまで、ほぼ連作の流れに沿って読んできたのだけれど、それはこの作品が全体を見渡しても細かなところまで注意を凝らしているから、そこにまずふれたかった。例えば結句を見ても、体言止めが続いたり、同じような動詞の活用が続いたりすることがない。基本的には文語の文体だけれど、時々、アクセントを効かすように口語の歌が入る。そうしたバランスが計算されたものだということは明白だろう。また、同じ単語やモチーフを拾いつつ、次の歌に生かしていくことで、歌どうしのつながりができ、全体の輪郭が明確になる。
 そもそも連作とはどういうものを指すのだっけ、とつまずいたので調べてみたら、『現代短歌大事典』(三省堂)の「連作」には次のように記されていた。曰く、「複数の作品を連ねることによって、単独作品では不可能な主題の展開をはかる作歌法。」とのこと。定義に照らし合わせても、この連作は、立体的な世界を読者に味わわせるために凝らした工夫が成功したと言えるだろう。



 ここで、序盤でさらっと流した歌について、もう一度振り返りたい。

  朝川はおんなが裾をまくりあげわたりゆくもの冬晴れの朝

 これ、一読して即座に分かるのは、古典にも通じている人ではなかろうか。少なくとも僕は浅学のため、何かあるに違いない……と睨みながら調べた。万葉集に次の歌がある。

  人言を繁み言痛み己が世に未だ渡らぬ朝川渡る

 詠んだのは、天武天皇の皇女・但馬皇女。諸説あるものの、人妻でありながら異母きょうだいである穂積皇子と恋に落ち、その思いの強さで朝の川を渡る、とかなんとか。遠藤さんの「朝川」がこの但馬皇女の歌を下敷きにしているのは明らかで、裾を捲り上げる仕草は躍動感があり、万葉の時代を飛び出して生き生きとしている。冬の冷たい川を眺めていたら、ふと但馬皇女のことが脳裏に浮かび、恋をする女性の情熱や力強さに思いを馳せた、と解釈してしまうのだけれど、果たしてそれでいいのだろうか。というのは、この後、「不自由を強いられるのはいつもおんな」という一首があるからだ。

  不自由を強いられるのはいつもおんな鮭は卵を産み散らしたり

 それはもう鮭の生態だから仕方ないのだけれど、産み散らす、という強烈なワードに不満や憤り、女であることの不如意がこめられている。この歌の「不自由」は出産に絡めての諸々に限らず、朝の川を渡らなければいけないのもまた不自由である。それを恋の情熱と読み取ってはめでたすぎるのではないか。それでも、万葉集に辿り着いてもらえなくても、ロマンチックな解釈をされても、「朝川」の歌を連作の二首目に置いたのは、何かを「越える」ことに意味をもたせたからだと思う。
 この連作には、朝川のように事物を「分かち、隔てる」モチーフがいくつか出てくる。

  国境を生身で越える厳しさを知らざる身にて立つ県境
  薄紙を透かして見える冬日差し人の記憶はいずれもやさしき
  冬の路地濡らして雨は去りにけり星空はまだ薄雲のかなた

 陸路で国境を越えられるところは、海外に行けば、どこかにあるのだろう。けれど、ここで言う「生身」はこの前の歌に出てくるバン、渡り鳥から来ているものであり、自然の中で生きる厳しさと同時に自由すら知らないことを突きつけてくる。「薄紙」も同様に前の一首から引き取った言葉だけれど、「さみしさ」の比喩として用いられていたものが、ここでは具体的な質感を得ている。こういう単語の使い方をずらしていくところに、連作のおもしろさの一つがある。雨は去ったものの星は見えず、けれど「まだ」が示すようにいずれ雲が晴れることを知っている。
 国境、薄紙、薄雲、あるいは産む性と産まない性、さびしさの表明と沈黙、考えてみれば、いたるところに隔たりは存在する。そうした隔たりをじっと見つめる、自省の眼差しが一貫しているところに、この作者の信条や態度のようなものが表れている。

  捨てられぬパン屋の袋の大小を鞄に入れて橋を渡らむ

 パン屋の袋に与えられた使命は、おいしいパンを適切に運搬、保管することであり、中身が無事に食べられたなら、その役目は終わる。後に残るのは空洞だけだ。でも、パンの味はもちろんのこと、そこには買った季節や食べた場所、その頃の思いを喚起する装置が内包されている(レトロでかわいいデザインのものも多くある)。
 いつか別れた人や選ばなかった道のことを、簡単に割り切ったり、忘れたりすることはできない。「パン屋の袋」のように温かな空虚、それさえ自覚し、しっかり抱えながら、新しい日々への橋を渡っていく。そんな何気ない一日がやさしい。

 こんな感じの評でいいかな。いいよね、シリウス。

短歌相互評 第33回遠藤由季から辻聡之「権力と花山椒」へ

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作品 辻聡之「権力と花山椒」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-01-05-19804.html
評者 遠藤由季



拝啓 蝋梅の香りのするこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
先般拝読した辻さんの二十首にも「蝋梅」が詠われている一首がありましたね。

  知らぬ家の蝋梅に鼻寄せおれば賑わしく小学生ら過ぎたり

 辻さんの歌には時おり懐かしい場面が出てきます。そして、懐かしいけれど、「今」である場面。小学生たちの賑やかな登校時間(職場へ行く途中だと思うので、下校時間ではないですよね?)は、今の世も変わらずにある朝の一場面なのだろうと思います。そこを歌として切り取るところが辻さんの特徴のひとつなのでしょう。そして蝋梅に鼻を寄せる行為も、どことなく文学者めきつつ、作られた姿ではないものなのだろうと思います。
かりんに入会された頃とは、かなり言葉も文体も変わられたように感じます。たとえば「寄席おれば」の「おれば」や、「過ぎたり」の「たり」など、ごく何気なく繰り出されるところ。初期の辻さんの歌にはなかった動詞・助動詞ではないでしょうか。
 その一方で、下二句の句割れ・句跨りを駆使した、揺り返しの起こるようなリズムは現代の短歌において定着・浸透している技法で、それをさりげなく(そしてほんのりと戦略的に)繰り出しているところが、第一歌集『あしたの孵化』から継続されている辻さんのリズム感なのだ、と感じました。

 蝋梅の歌のお話が長くなりましたね。そうそう、食べ物とその周辺の詠み込まれている歌に辻さんのうまさを感じました。さすが、名古屋一のコメダニストですね!

  ドライアイスのごとく痩せゆく後輩のそれくらい仕事してくれ頼む
  大人は努力きらいだもんね 和三盆に似たる議論をさくさく終えぬ
  ぼくたちのまだ倫理観つたなくて口の端からこぼすタピオカ
  守衛のおじさんがくれたるおみやげの人形焼がみな無表情
  お歳暮のフルーツゼリーゆうかげに透かせば翳りはじめる果肉

 「ドライアイス」は食べ物ではないけれど、今という時代の職場に働く先輩後輩の〈生〉な姿が見えるようです。この「後輩」はなにか仕事以外のことに夢中になったり、悩んでいる人なのか。その仕事以外のことに力を注ぐように仕事してくれ、と願う〈われ〉という先輩も、きっとがつがつ仕事をするタイプではなく、「大人は努力きらいだもんね」とちらっと思いつつ、やるべきことばさくっと終わらせる人なのでしょう。「和三盆」なんていう、しゃれて意外性のある和菓子を持ってきて職場の議論の場面、その心情を描くところが独特です。いいですね。「守衛のおじさん」がくれた「人形焼」の表情に注目したところも、辻さんらしい目配りの細やかさがあって、うまい!と思います。初句から二句にかけての、字足らずのような、句割れ句跨りのようななんともいえないリズム感を、三句から結句までのきっちりした定型に収めてゆく展開で、最終的には安定したリズム感を感じさせながらまとめる技も、効いていると思います。「蝋梅」の歌もそうでしたが、連作のところどころにこういった リズム感の緩急があって、単調にならないように読ませる工夫の一つになっています。
 「タピオカ」や「ゼリー」の歌は、辻さんらしいちょっとナイーブな面が出ていますね。「タピオカ」にはどこか不器用な内面が滲んでいますし、「ゼリー」の透けた感じは馴染みやすいポエジーです。どちらも辻さんが歌に表しやすい素質で、初期の頃から楽しませてもらっていた歌い方です。そういった面ばかりを詠い継いでいくのには不安を感じますが、大切に持ち続けながら、もっと深みのある内面や独自のポエジーを追及されてゆくと、ぐんと面白くなるのだろうな、と思います。

  課長になるまでの時間のはるかなる梢にメンフクロウの沈黙

 この歌を読んだ時、『あしたの孵化』に詠まれている「望まれるように形を変えてゆく〈主任〉はどんな声で話せば」という一首を思い出しました。今の世の中、出世自体があまりありがたいことではなく、責任の重い管理職を敬遠する気分が若者にあると聞いたことがあります。一方で上の世代が多くて出世もままならないという事実もあって、非常に複雑な職場環境に多くの働く人たちが身を置いています。そんな「今」を風通しのよい詩性で詠ったのがこの一首だと思います。「メンフクロウ」という生き物の、職場からは遠くて少し不思議な存在が、今まで多くの歌人に詠まれてきた職場の歌にはない、異空間へ誘う広がりを生み出し、辻さん独自の詠い方になっています。今回の一連の中でのわたしの一押しです。

  半透明人間ぼくもここにいて街路に花山椒のいろどり

 おそらくこの「ぼく」は「ぼく」自身のことを、「半透明人間」のようにいるのかいないのかあやふやな存在だと感じながらも、「ここにいて」と表明し、きっちりと己の歩を進めてゆこうとしているのだろうと思います。花山椒の細やかな花、そして一粒でもぴりりと辛い実。まさにそういう「ぼく」を詠わんとしているように感じます。山椒といえば「うなぎ」ですね。
五月に開かれる、歌集『あしたの孵化』批評会も楽しみにしております。平和園とコメダに通いながら、どうぞお元気で。

敬具
遠藤由季
二〇一九年一月とある晴れの日に

短歌時評第141回 心と言葉 浅野 大輝

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 二元論の困難
「心」という言葉を用いるとき、どのようなイメージをしているだろう。多くの場合、それは精神や意識と呼ばれるような、「身体」と対になっているものを指しているのではないだろうか?


わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま存在するものにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変わりはない、と。
デカルト『方法序説』(谷川多佳子訳、岩波文庫、2012年)


 精神ないし心というものと、身体ないし物体というものの2つからこの「わたし」というものを捉える。このように心と身体とを切り分けるデカルトの発想は心身二元論と呼ばれ、現在の私たちにも受け継がれている。しかし心身二元論は、次のような疑問を生じさせる:私たちが心と身体とに切り分けられるとするなら、なぜ心が身体に作用したり、反対に身体が心に作用したりするように思えることが起こるのか? 身体とはこの世の中に物質として物体的に存在するのに対し、心とは非物質のものとして考えられる。物質が物質ではないものに作用したり、反対に物質でないものが物質に作用したりすることが可能なのだろうか?
 非物質が物質に作用するという発想は、いわば念力のようなものを認める発想であって、「念力説」と呼ばれることもある。これを認められるかどうかは、かなりの議論となるだろう。実際、この問いに対してどのような解決策を提示するかで、現代哲学の考え方はいくつかの流派に分かれている。
「わたし」や世界といったものを、物質と非物質の二分法でみようとすると、どうしてもこの問題に直面する。2つの領域は、分けられているがゆえに関わり合えない。2つのケージを用意して、そのそれぞれにネズミを入れたとしたら、その2匹のネズミは決して出会えないのである。
 では、2匹のネズミを出会わせるにはどうしたら良いのだろうか。
 もっとも単純な方法は、2匹ともを同じケージにいれることである。

 一元論の提案
 たとえば、私の意識や心といったものが、いまの私のものではない身体に入れ替えられたとする。それは、果たしていまの私と同じなのだろうか?
 たしかに、二元論的には同じであると答えるし、私たちはある面ではこうした発想を持っている。しかしその一方で、そうした入れ替えられた私というものが、あくまでもこのいまの私の想像としてしかあり得ないものであることも、実感として了解しているのではないだろうか。
 私とはこの考えている私である。二元論が困難を抱え込むとするなら、デカルト的発想のその第一歩目から、私はあることを見落としていたのである。それは、私とはこの考えている私である以上に、この存在している私であるという事実である。そしてこのような事実を捉えなおすために、私たちは一度この世界の根本から考えてみなくてはならない。

 *

 この世界や世界にあるものは、非物質的ななにものかであるだろうか?
 もちろん、それらは「私にはそう感じられているからそこにあるもの」と結論できることもできるかもしれない。ただ、すべてを私というものの知覚に還元してしまうそのような議論にどのくらいの意味があるだろうか。すべて私の知覚なのだとしたら、世界とは私の知覚であって、すなわち世界とは私とイコールである。私が感じていないものは世界にはなく、また私が感じなければ世界それ自体さえもない。すべてが私というもののもとにあるという、一種の独我論的な世界観。しかし、それは本当にこの実体を掴み取れるのだろうか。少なくとも、私はそうは思えない。
 たとえばいま私の目の前には机があって、コップがあって、パソコンがあって……というふうに、ありとあらゆるものが実体としてそこに存在しているように見える。そして、それこそが世界の基本的なありようであるようにさえ思われる。そこで私は、そのような実体としての物がある世界という場所から出発したい。いまこの世界というひとつの空間があって、そこに実体としての物がある。あくまでもこのような世界観をベースにして、なおかつそこに「心」というものの安住の地を見つけたい。

 *

 世界というひとつの空間のなかに、実体としての物が存在している。ここを出発点としたときに、どのようなことが言えるだろうか。
 まず第一に、その物というものは世界においてなんらかの作用を持っていると考えることができる。たとえば、ある物がそこに在るというとき、それは物が空間にある広がりを持っているということであったり、あるいはある質量を持っていてわずかながらその空間にゆがみを生じさせているということだったり、なんらかのエネルギーを発しているということだったりする。つまり物は存在しているのであれば、なんらかの形で作用する。
 ここで大切なことは、この作用するということが、その作用を受ける対象がある場合にのみ生まれるようなものではないということだろう。先に挙げた例——空間に広がるとか、空間を歪ませるとか——エネルギーを発するとか——を考えてみても、物は必ずしもなにか特定の対象を持たずに作用していることがある。しいて言えばここではその物が存在している空間に向かって作用しているが、その空間というすべての物の前提となっている領域を「特定の対象」といって何か物と等しいもののように呼ぶことは難しいだろう。そのように考えるなら、このような物による自発的な外部への放出や影響の創出を作用と呼ぶことは妥当であると考えられる。
 世界というあるひとつの空間に物があり、その物が自発的に作用している。そしてこのとき、同じひとつの空間にあって作用を持ち合っているのだから、物と物は互いに作用しあうということが言えるだろう。これはたとえば、「同じテーブルでビリヤードをしたら、ある球が同じテーブル上のほかの球にぶつかることはあり得る」というようなイメージに近い。もしくは、先にケージに入れていた2匹のネズミを連れ出してきて、「1つのケージにネズミを2匹入れたら、ネズミは出会うことがあり得る」という言い方もできる。同じ領域を共有している物同士は、作用しあえるのである。
 次は、このように物と物とが作用しあっているときのことを考える。このとき、単純に互いに作用しあっているという場合のほかに、作用しあうことでその物と物とが全体として1つのまとまった作用をするということも考えられるのではないだろうか。たとえば、ニューラルネットワークを思い浮かべてみる。ニューラルネットワークとは、ノードと呼ばれるもの同士が、エッジと呼ばれる関係を表す線分でつながれているネットワークである。ここでは、ノードを物、エッジを作用と置き換えて考えてみてもらいたい。このときネットワークは、全体としてある作用を外部より受けたとき、全体としてある作用を外部へ向けて出力する。これはつまり、複数の物同士が作用しあって、ある全体——いわばあるひとつのシステムを構築して、その全体として作用を創出しているということにほかならない。
 物と物とが組み合わさり、全体としてまとまりを為して、ひとつのシステムとして作用する。このとき、2つの興味深い点が生まれる。ひとつは、そのシステムにゲシュタルトが生成されていること。そしてもうひとつは、そのシステムにはどこまでも細分化できる可能性が存在していることである。
 ひとつめのゲシュタルトについて、これはメロディや文章などでしばしば説明されることもある。たとえば半音階で12音の音があったとしても、それを寄せ集めただけではメロディとしては成り立たない。また、五十音図があったとしても、それだけではある文章としては成り立たない。つまり、何かがあったとするとき、その全体を全体のまま捉えない限りは、認識できないというような性質がゲシュタルトである。そのような性質は、先ほどのニューラルネットワークの例で考えても起こり得る。ここでは、その全体を構成している個々の要素は単純なノード——つまり物であったが、このような個々の物に着目すると、途端に全体としての作用がどうしてそのような物から成立していたのか、理解ができなくなるのである。このようなことを考えたときに、物と物とが構成しているシステムという全体にも、同様の性質があることがみて取れる。
 もうひとつの細分化可能な性質について。このような性質もまた、物と物とによるシステムに現れる。私たちはあるシステムを見て、それを構成するある物に着目できる。しかし、その物がまたある物から成立していたらどうだろう。物と物とがシステムという全体を構成するプロセスを認めるなら、このような物がまたなにかの物から成立しているシステムであることも認めることになる。この細分化可能性のなかにおいて、物と物とによるシステムというのは、際限なく拡大・縮小されうる。そして、そのある場面においては、別の場面と同様なシステムとしてあるシステムが成立していることも考えられる。
 ゲシュタルトと細分化可能性。この2つの考えから、物と物によるシステムとが、実はどちらも同じく物であり、またどちらも同じくシステムであるという考えもまた浮上する。1つであるということを意識する場合には「物」と呼ばれ、複数がまとまって全体として1つになっていることを意識する場合には「システム」と呼ばれる、いわば「実体」という言葉に表される存在がこの世界にある。そして、それらが作用しあっている。そのような当初の実感に即した世界観が、いまここに用意されているのである。

 *

 さて、ここまでで物と物との作用、そしてそれによって生み出されているシステムという全体と、その性質ということを確認できた。このように世界のなかに実体があるという世界観のもとで、どのようにしたら心を位置付けられるだろうか。
 確認すべきは、心というのは「物」であるという考えで世界を探してみても、どこにもその姿を確認し得ないということである。たとえば、私の体のどこかに「心」という部位があるのだろうか? そのように探してみても、心は見つからないだろう。このような実感に、できる限り沿うような「心」の位置付けが求められる。そしてそれは、あくまでもこの実体の世界というひとつの空間内において位置付けられなければ、結局二元論になってしまうのである。
 このいまの世界観で実体ではないが、導入されているものがある。作用である。実体として見つけられないのであれば、非物質的なこの作用というものが心ではないか——そのような考えも出るだろうが、少し待っていただきたい。私には、作用というのもさらに細分化してみていけば実体と実体との作用の様子になるように思われる。たとえば、声や熱を発するという作用を考える。声も熱も、作用するには空間の大気や分子を揺らして伝達する。この様子をどこまでも細分化していくなら、果てしなく細かくなっていく実体が空間には詰まっていて、その実体と実体とがさらに作用していて、という構図ができてくる。このなかにおいて、作用は永遠になんらかの実体によって発生させられているものである。そうであれば、主なのは実体であって、作用は従ではないだろうか。また、作用を心といってしまうと、実体とは単なる力点のようなものとなり、たとえば私という実体に「心」と呼ぶものがあるというような実感が捉えきれないのではないだろうか。
 では、どのようにすべきなのか。非常に奇妙に聞こえるかもしれないが、私の答えはこうである。心とは、実体である。ただし、ある実体について、ある複数の物がまとまって全体として1つになっていること——つまりシステムとしてあることを意識するときに、そこに心があるとはじめてわかるのである。
 極めて変な印象を受けるかもしれない。まずこのようなイメージをしてみてはどうだろうか。ある真っ暗な大部屋のなかに、指向性の良い小さな懐中電灯がひとつ設置されている。その懐中電灯の先には、部屋よりは小さいが懐中電灯の明かりを漏らさない程度には大きい、色のついた壁が存在している。懐中電灯のあるのとは反対の側からその壁を見るなら、真っ暗闇で壁があるかどうかなんてわからない。しかし、懐中電灯の側から見れば、私にはそこに色のついた壁があることがわかる。そして、一度わかってしまえばそこに壁があるということが言えるし、懐中電灯と反対側に回ったからといって壁が無くなったり別の壁になったりするとは思わない。見える側面こそ違えど、どちらの側から見えているのも同じひとつの壁なのである。
 「心とは、実体である。ただし、ある実体について、ある複数の物がまとまって全体として1つになっていること——つまりシステムとしてあることを意識するときに、そこに心があるとはじめてわかる」というのは、この壁の例と同じことである。つまり、世界のなかで「物」というそれはそれ1つであるだけである存在として実体を見て心を探したり位置付けようとしたりすると、見つからなかったり二元論に向かってしまったりして失敗する。しかし、1つのまとまりではあるが複数の要素が全体をなして作用している「システム」という見方で実体を見ることで、見え方は一変する。「システム」としてみるとき、そこでは「複数の要素から全体をなしているが、個々を抜き出してはその全体の作用はわからなくなってしまうまとまり」として実体がある。「まとまっている」というこの複数要素の関係性こそ、この実体の世界にあって実体によって規定されながら実体ではないなにものかである。そうであるならば、このような関係性をもっている「システム」としての実体こそ「心」であると位置づけることができるのではないだろうか。そしてそのとき、「システム」とは実体の一側面を表していたのだから、「心とは、実体」であり、「ただし、ある実体について、ある複数の物がまとまって全体として1つになっていること——つまりシステムとしてあることを意識するときに、そこに心があるとはじめてわかる」のである。

 どのような実体も心なのか?
 条件付きとはいえ「心とは、実体である」という主張をするならば、そこには暗に「すべての実体には心がある」という主張がある。しかし、これは正しいのだろうか? たとえば、私たちは「すべての実体には心がある」というアニミズムと同じかそれ以上に、「心があるものとないものがある」という二元論的な実感も持ち合わせている。人間とか犬とか猫とか、もう少し許可するならロボットとか、そういったものに心があるように見えて、そして反対に机の上のコップとかパソコンなどには心がないように見えている、という実感もある。これらアニミズムと二元論とのそれぞれの実感のどちらもすくい取ることはできないのだろうか。
 ここで確認すべきは、「心がある」ということと「心があるように見える」ということの差異である。「心がある」ということは、ここまでの論で実体としての世界のなかで位置づけられるものとして定義してきた。一方で、「心があるように見える」というのは実体の世界においては、あくまでもある私という実体の状態としてあるのではないだろうか。
 前者の「心がある」という言い方は、世界を実体と実体との作用の構造によってのみ捉えている場合の言い方である。ここでは、その実体の細分化可能性によって、どの実体の「システム」も細分化の過程のいずれかの場面である他の実体と構造としては同様の構造として眺めうることになる。そのとき、どのような実体と実体の作用による構造も等しい構造として記述されてしまうのだから、その「システム」の構造としては差異は認められないだろう。「心」というものを「システム」の面から見た実体であると捉えているがゆえに、どのような実体も「システム」の面から同じ構造であるとしかいえない状況があるのなら、そこには「すべての実体には心がある」という主張しか残されていない。
 一方で、後者の「心があるように見える」というのは、実体の世界においてある実体の「システム」の状態と解釈される。ここでは、誰が/どのような状態にあるのかということは、その実体と実体との作用の状態においてのみ記述される。つまり「システム」の構造的な部分ではなく、その作用の程度の強弱などにおいて差異があるために、ある見え方でその実体には見えていると考える事ができるのではないだろうか。
 実体と実体の作用として世界を捉えていく。しかしそのなかでも、実体には状態があるということを認める。このようにすることで、実体としての「心がある」ということと、ある実体の状態としての見え方——その実体にとってどのように見えているのかという意味で主観的な見え方——としての「心があるように見える」ということとを、区別する事ができる。このとき、最初に検討した立場の異なる2つの実感は、どちらもこの同じ世界のなかで表現されうる。世界それ自体は「すべての実体には心がある」というアニミズムにありつつ、その世界のなかにある実体としては「心があるものとないものがある」という二元論的な実感も持ちあわせることができるようになる。「すべての実体には心がある」というOSの上で、まるで個別の仮想マシンのように「心があるものとないものがある」というOSが動作し得るのである。

 言葉とはなにか
 このような世界観のもとで、それでは言葉とはどのようなものなのだろうか?


要するに、聞き手の側からすれば、言葉の意味の了解なるものは実は、話し手の声振りに触れられて動かされること、叙述の場合であれば、或る「もの」「こと」が或る仕方で訓練によって立ち現われること、じかに(註:「じかに」に傍点)立ち現われること、に他ならない。そこに「意味」とか「表象」とか「心的過程」とかの仲介者、中継者が介入する余地はないのである。すなわち、言葉(声振り)がじかに(註:「じかに」に傍点)「もの」や「こと」を立ち現わしめるのである。言葉の働きはこの点において、まさに「ことだま」的なのである。しかし、個々の人の身振りの一部である声振りを離れて言葉はない。したがって、「ことだま」が宿るのは声振りに、したがって身振り、したがって「人」に宿ると言うべきである。
大森荘蔵「ことだま論」(『物と心』(ちくま学芸文庫、2015年))


 大森は「立ち現われ」という概念のもとに一元論を打ち立てたが、そのなかで言葉に「ことだま」という役割を見出した。ここで言葉は、ある人が別のある人にある立ち現われを与えて動かすという捉え方をされている。
 大森の「ことだま」というのは非常に共感できる一方で、ここまで私が述べてきた論ではそのまま利用することはできない。というのも、私は大森のいうところの「立ち現われ」というのものを規定していない。大森の考え方は分類するならば現象主義的であり、知覚を中心としてそのものが「じかに立ち現われる」という部分を最重要視している考えのもとにある。この考えを、そのまま私の述べてきた実体としての世界の見方の上に展開することは難しい。
 ただ一方で、私の考え方でも言葉というものがある実体に対してなんらかの形で作用するものだということは位置づけられる。そこで、大森の「動かす」というアイディアを借りつつ、私がここまで述べてきた論の上での言葉というものを探ってみたい。
 まず最初に確認するべきなのは、この実体としての世界観の上において直接的に見出される言葉というのもなんらかの実体であるということである。たとえば声は大気の振動としてあり、空間のなかである実体をなしている。書かれている言葉もまた、インクであったり鉛筆の粉のまとまり——ある実体としてある場所に存在している。逆に、私という実体のなかで内省として使用されている言葉は、それ自体で実体ということよりも、私という実体のある状態とも見えるかもしれない。そのように考えてみると、少なくとも空間のなかにそれ自体で実体として存在し得る声や書かれた言葉というものもまた、実体であるがゆえに心でもある。
 そして次に、また違った観点から大森の論への疑問を投げてみたい。たとえば、次のようなことを考えてみる:ある一人の人が、自身の非常に真剣な思いに突き動かされて、ある言葉を書いたとする。またある別の人が、全く何も考えることなしに、ある言葉を書いたとする。いまここに現れた言葉が、実は2つとも一字一句同じであるとしたら、その言葉の読者は、その言葉がどちらの人によるものかを見分けることは可能だろうか?
 読者の側から答える。2つの言葉を見分けることはできない。なぜなら、それらは読者の目に映る段階ではどんな差異ももたないからである。また、作者の側からも答える。2つの言葉を見分けることはできない。いま作者が直面しているのは、自身の言葉と、それと全く同じ様子の言葉とが、ともに眼前に現れていて、どちらが自分の言葉であるかを言い当てるという状況である。これら言葉は、あくまでも差異がないのである。そうであるなら、たとえ自身がどちらかの言葉の作者であったとしても、どちらの言葉が自身の書いたものかを言い当てることはできない。もしくは、どちらも自身の書いた言葉と同じであると主張するしかできない。これは、作者にとっても作品を見分けることができないということと同義である。
 これらが示すことは何か? ひとつは、作者という存在も、読解を行う際には読者と同じ状況に立たされることになるのだということである。そしてもうひとつは、そのような読解の場において、読者はその言葉を書いた時点での作者の心理的な状態を直接的に知ることはできないということである。このような例を考えてみると、書かれている言葉というものが実はその作者という実体(ないし心)やその状態とは全く無関係に実体として存在しうることがあるように思われる。このとき、「人」あるいはその「身振り」に宿るされる大森の「言葉」は、その人称性によって拒否されうるのではないだろうか。
 ここまでの内容を踏まえて、言葉を聞いたり読んだりする場面を、もう一度注意深く考え直してみる。私はあなたから声をかけられる。あるいはあなたから手紙をもらう。そこで私は、あなたの言葉を聞き、言葉を読んでいる。着目すべきは、この言葉というものが実体であり、私はその実体としての言葉を聞いたり読んだりしているということではないだろうか。
 つまりこのようなことである:人①が人②に直接声をかける場面を考える。そのとき起こっていることとしては、まず人①が作用aによって実体としての言葉を生成したのである。そして実体としての言葉は、作用bでもって人②と作用した。このとき、人②はあくまでも実体としての言葉から作用を受けている。そして同時に、人②は声以外の人①の作用c(たとえば視覚的な姿など)によって、先ほどの言葉という実体に人①という人称性を付加し得ている。
 このように考えるのであれば、先の例のような状況も理解できるようになる。もしも作用bと作用cがなんらかの形で一致していれば、その言葉が誰のものかはわかるが、一致していなかった場合には誰のものなのかわからない状況が生まれる。また、ある人が言葉で言わんとしていたことと、それを聞いた人が捉えたこととが異なるということは、言葉というものがそれ自体で作用するがゆえにある人は言葉を使ってでは間接的にしか作用しえず、本当は行いたかったのとは違う形で作用してしまうこととなったのだと理解することも可能となるだろう。
 また一方で、このような例も考えられるだろう:ある実体としての言葉があって、それが作用bを人②に行う。
 ひとつ前の言葉の利用の構図から人①を消し去った形であるが、このように捉えられるとき、言葉を受けている人はそもそもその言葉を生成したであろう誰かの作用を受けることはできず、ただ言葉からの作用のみを受けるだろう。言葉のみの作用を受けるとするなら、もはやその人は言葉以上のことは何もわからないという状態になるのである。
 内省としての言葉については詳細に考えられていないなど、極めて概観ではあるのだが、このように考えてみると実体としての世界観のなかでの言葉のあり方が見えてくる。言葉もまた実体であり、実体であるがゆえに心を持っている。この世界観で「言葉に心がある」というのはまさに「言葉が実体としてある」ということであり、それ以上でも以下でもない。

 アニミズムへの復帰
 いま、私を取り囲む根本的な世界とは実体の世界であり、そこでは何もかもが実体であるがゆえに心を持っている。


和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事・業しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり。
紀貫之「古今和歌集仮名序」(佐伯梅友校注『古今和歌集』(岩波文庫、2017年))


 非常に乱暴な論と思われるだろうか。そのように私自身も思わないところもないのだが、しかし書き始める前に比べて、いくぶん視界は明るくなったように思う。
 圧倒的なアニミズムの世界に私はいる。私は確かに実体としてここにあり、心があり、そして私とは無関係に、確かにこの世界は心にあふれている。あの花にも、あの蛙にも、コップにも、パソコンにも、かわいい我が家のぬいぐるみ達にも、歌にも、言葉にも、そしてあなたにも、私とは無関係に、世界の構造として心はあるのである。



短歌評 誰も一度も見たことがないもの 古田 嘉彦

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 阿部完市は晩年「抽象俳句」という言葉を漏らした。言語が抽象ということに相似した出来事であるのは確かだが、詩、俳句作品で使われる多くの単語は具体的なものを指し示す。その点色の面と線によるフォルムが作る抽象絵画と並行関係にはならない。だが最近ミシェル・アンリの「見えないものを見る カンディンスキー論」(青木研二訳)を読み、二つを結ぶ考え方があるのを知った。

「描くことは見せることであるが、この見せることの目的は、人が見ておらず、人から見られることもあり得ないものをわれわれに見せることである。」
「具象絵画の主題は、美的体験の構成要素であったりその体験の訪れを促したりするどころではなく、そうした訪れを妨げ、極端にいえば許さないのである。」
「生が芸術と絵画の唯一の内容を形成することができ、また形成すべきであるのは、― その内容が抽象的で、目に見えないかぎりにおいてであるが―、生がそれ自体では決して対象ではないからである。」 では「いったい生はどのようにして芸術の中に存在しているか。抽象からの返答はこうである。つまり、それが存在するのは、われわれが絵の上に見たり見たと思ったりしているものとしてでは決してなく、そういうイメージが生じるときにわれわれが自分のうちに感じとるものとして、色とフォルムのもつ音色や基調色としてであり、絵とは両者を構成したもの[コンポジション]なのである。」

 「絵画の」を「言語芸術の」「詩、俳句の」と置き換えて引用すると
 「絵画(詩、俳句)の、あらゆる絵画(詩、俳句)の内容、それは<内部>である。それ自体目に見えず、目に見えないままであるほかなく、永遠に<夜>の中にとどまる生である。」
ということになる。そして私はミシェル・アンリによって書き変えられたカンディンスキーの等式
「内部=内在性=目に見えないもの=生=情念=抽象」
 に従ったものとして詩に適用された抽象概念を理解する。そして一般論ではなく具体的な作品としての抽象詩、抽象俳句も、そのように理解し、その上で絵画における具象に相当するものを詩、俳句においては現実における具体的な事実、あるいは論理的な意味と私は考える。それを脱することが阿部完市が言った「抽象」になると思う。

 前に引用した「具象絵画の主題は、美的体験の構成要素であったりその体験の訪れを促したりするどころではなく、そうした訪れを妨げ、極端にいえば許さないのである。」 を詩にあてはめると、何が書かれているか普通に分かる作品は美的体験の訪れを妨げ、極端に言えば許さない、ということになる。もっともこれは抽象詩以外の詩、俳句についてはちょっと極端な言い方かもしれない。具象のくびきを逃れたいという強い思いがミシェル・アンリにこのような言い方をさせたのであろう。しかし短い俳句は特にそうであるが、作品に具体的な事実や論理的な意味が生(なま)のまま入ってくると、確かにそれは詩を追い出してしまう。論理的な意味の破壊を徹底すれば、詩は全くうわ言のようなものになるであろうが、抽象詩は限界に近づこうとする。それは「言葉が通じる」ということの限界領域にとどまるということである。そこに抽象絵画と同じく[コンポジション] として抽象詩が存在する。

 その、人から見られることがあり得ないもの、誰も一度も見たことがないものを表現した具体例として、「沈黙と沈黙の間」(2017年)に収録されたエッセイ「パーマーの初来日と朗読講演」で山内功一朗が紹介しているマイケル・パーマーのテクストを引用したい。これは彼が朗読用テクストを提供したダンス作品「スリッピング・グリンプス」公演に出演するダンサーたちへの呼びかけとして彼が書き下ろしたものである。15名への呼びかけの内、5名分は次の通りである。

  手足の動きが軽やかな、頭からオークの樹が生えているハッサン

  末っ子の七男坊、背中には翼の生えた蛇の刺青、無口なマッテオ

  シナイ半島の娘、見つめる瞳に幾重ものベールがかかったミリアム

  野良猫と会話し、私たちの街の路面電車やサイレンや秘密を悼むヴィジャイ

  どんな質問にも四ヶ国語で答えられる女、本人の主張によれば両親はカメとカタツムリのパロマ

 読もうと思えば喩で読める部分もあるが、この全体を寓意や暗喩(既に見たものの言い換え)で読む人は少ないのではないか。刺激としておかれた言葉を、すぐに既知の「説明」に結び付けようとはせずに、言葉が読み手の意識の中に広げる波紋に身を(意識を)任せる、という読み方をするのではないか。それが抽象詩に近づく唯一の方法であり、抽象絵画を見るときも同じようなことをしていると思う。

 プラトンは詩人が行うミメーシス(模倣)を否定的にとらえ、詩人追放を求めた。それに対しジャック・デリダは「エコノミメーシス」(湯浅博雄・小森謙一郎訳)でカントの「判断力批判」を分析し、詩を芸術の最高のものとするカントにおいてミメーシスがどのようなものと理解されているかを明らかにした。
 「判断力批判」の重要な言説は詩、言語による芸術を念頭においている。人は魅惑(篠田英雄訳では「感覚的刺戟」)を直接享受するのでなくイデア化することによって自分のものにする。フロイトが言うようにイデア化は喪、追悼の作業において起こることだが、美についても同じことが起きる。無私無欲なはずなのに、暗号化された言語活動の誠実さ、忠実さ、正真正銘な本来性により詩は意味の充満を保証し、私たちに真正な贈与をするとデリダは言う。
「<自分が話すことを聴くこと>は、それがやはりある種の口を経由する限りにおいて、すべてを自己―触発に変え、すべてをイデア化しつつ内部へと同化し、あらゆるものの喪=哀悼を行うこと(諦めること)によってすべてを支配=統御する。」
 イデア化という過程、再構成の過程を経て、意識、無意識の全体を直観させる芸術作品が生まれるのだと私は思う。(デリダはそれを、快と認識の結びつきを太古の(記憶以前の)時代の無意識状態へと送りかえしている、と表現する。)すなわち誠実さ、忠実さ、正真正銘な本来性があれば、その「人から見られることもあり得ないもの」、誰も一度も見たことが無いものも、無意識状態を含む「全体」のミメーシスとなりうるのではないかと思う。(具体的な感情のできごと、信仰の信条、社会の事象に言及していなくても。)それはカンディンスキーが強調した作品の「神秘的な必然性」に通底することではないか。

 ミシェル・アンリは「自己に関して生の味わう体験が根源的に<苦しむこと>であり、中略 <喜び>の中を<苦しみ>が通り過ぎるという永久運動なのである。こうした永久運動の実現でないとすれば、芸術とはいったい何であろうか。」と言う。破壊される前の現実は苦しみ以外のものではないが、抽象詩はカンディンスキーのように誰も一度も見たことがないものを見せ、「自己の情念を強化しつつその情念にもとづくことで見る能力を拡張してい」 こうとする。
 しかし冒険的であるだけに、抽象詩は誠実さ、忠実さ、正真正銘な本来性の判断に困難がある。私が考える抽象詩に近いものとしてここに引用したくなる詩は何篇もあるのだが、どうしても誠実さ、忠実さ、正真正銘な本来性という基準に合致するとの確信に至らず、ここで引用できなかった。合致すると断言できるということは一部暗喩的なつながりが生じてきてしまっているということで、抽象詩を実現できているほど合致は曖昧になる。基準への合致を断言できないのは逃れがたいことなのだ。前に引用したパーマーのテクストは、実在する人物(ダンサー達)への呼びかけということで、重心の定まり、その誠実さへの信頼を得ているのだと思う。そして基準に合致していない作品は、単なる「おしゃべり」になる。
 ジョルジョ・アガンベンは「イタリア的カテゴリー 詩学序説」で二十世紀の詩を決定づけている二重の不可能性を「・・・一方では、嘆きを語ろうとする、結局はおしゃべりに堕してしまう試みであり、他方では、語ることを嘆こう=告発しよう―ドイツ語のklageにおける「告訴する」という法的な含意においても―とする、結局は沈黙に帰してしまう試みである。」(岡田温司 監訳)と書いているが、抽象詩はおしゃべりとなるリスクに極めて隣接していると言わざるを得ない。しかしそれでも[コンポジション] としての抽象詩は、現実に沈黙させられることのないひとつの可能性だと私は思う。

短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞

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 塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。
 實はこちらも初の全歌集『岡井隆歌集』が一九七二・昭和47年、思潮社から刋行されてゐる。第一歌集『斉唱』以前の初期作品を「O」(オー)として卷頭に收め、『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』の旣刊四歌集に未刋のアンソロジー『律'68』の書き下ろし「〈時〉の狭間にて」、のちに左記も含めて昭和五十三年、國文社より『天河庭園集』として纏められた一連の作品群。その『岡井隆歌集』の、自著になる「書誌的解説とあとがき」は實に不思議だ。

 (前略)本書(註『岡井隆歌集』)は、歌集六冊分の内容を持ち、昭和20年著者十七才の秋から、同45年四十二才の夏にいたる二十五年間の作品歴が大凡のところ鳥瞰出来る仕掛けになっている。なんという厭(いや)な本であろう。厭ならやめればいいのにそれを敢えてするとは、なんというおろかしさなのであろう。そうおもえばこそ、わたしは、本書の出版を長くためらって来たのであるが、或る私的事情を機縁として刊行へ踏み切ったのである。(後略)

 その私的事情にいささか拘つてみたいのだが、それはさておき、當時、塚本邦雄の短歌に强烈に魅かれながらも、どこか頭の片隅で氣になつて仕方のなかつた岡井作品の精華を心覺えとして記しておきたい。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
  紅(くれなゐ)の占むるひろさよ春はれし日のくれぐれのしましと思(も)へど
  中空より金属(かね)触るる如き声ききていづくに落つる鳥と思はむ
『岡井隆歌集』「O」(オー)

 塚本邦雄の反リアリスムの洗禮を享けた身には、岡井のアララギ體驗を基軸とした自然詠はむしろ新鮮にさへ響いた。「O」は、第一歌集『斉唱』(一九五六・昭和31年)以前の、作者十七歲(一九四五.昭和20年)から十九歲まで約二年閒の作品。「この集では〈模写〉への執着が、制作の主たる動機になっている」と、『岡井隆歌集』の「各集序跋」に記す。「〈模写〉の対象は、(中略)自然(山川草木鳥獣魚介)であるが、同時に、正岡子規以来の、根岸短歌会――アララギ系の先行作品の模写でもあった」とも語る。塚本邦雄の出發が、當時の舊派、いはゆる傳統的歌壇への反發、反抗であつたのに對し、岡井は傳統骨法の眞中から產聲を擧げた。
 第一歌集『斉唱』は一九五六・昭和31年。初期作品「O」(オー)の茂吉を頂點とするアララギ系作者群の〈模写〉から、日常と情動と喩がある緊張感のもと拮抗しつつ、淸新な抒情詠を爲してゐる。思想の核のごとき、喩的交歡の強靱さを感じる。ただしそれは未だとば口のそれであつたらう。

  襤褸(らんる)の母子襤褸(らんる)の家にかえるべし深き星座を残して晴れつ
  携えてオルメック産ハガールの晩(おそ)き昼餉(ひるげ)に一握の銀
『斉唱』

 第二歌集『土地よ、痛みを負え』は、一九六一・昭和36年、白玉書房刋。奧付の裏側には、塚本邦雄『水銀傳説』の廣告が載る。次第に思想的内壓を高めながら、同時に徐々に抒情の密度がその濃度を增してくる。

  純白の内部をひらく核(たね)ひとつ卓上に見てひき返し来(き)ぬ
  夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉
  扉(ドア)の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!(ドアよ、おやすみ!)
『土地よ、痛みを負え』

 ところで、岡井作品を鳥瞰するに、歌集單位で見取るといふ方法もあるが、實質的全歌集である『岡井隆歌集』を通底する多彩な歌の位相を、テーマ別に俯瞰するといふ方法が、歌の特色を見る上でも便利なやうに思はれる。
 最初に强烈に岡井を襲つたのは、時代意識の軋轢のなかで芽生えた政治への熱い思ひであつた。それは試みに『土地よ、痛みを負え』の目次を抜粹しただけでも、その思想の方向性が窺へる。「運河の声/アジアの祈り/ナショナリストの生誕/思想兵の手記/土地よ、痛みを負え」。市民革命への意氣込みが傳はる。その象徴的據點としてアジアがあり、アラブがあつた。

  渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで  『土地よ、痛みを負え』
  緋のいろのアジアの起伏見つつゆくジープ助手台に寒がりながら
  肺野(はいや)にて孤独のメスをあやつるは〈運河国有宣言〉読後
  満身に怒りの花を噴き咲かせガザ回廊に死んでいる我
  その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄
  銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫(アスカリス)
  
  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく  『朝狩』
  群衆を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

 ここに大きく喩の問題が橫たはつてゐると思はれるが、「瀕死の白鳥」について、作者はこのやうに語つてゐる。

 例えば「瀕死の白鳥」ってのは比喩で、中国や当時のソ連を覆っていた左翼思想を言っている。その思想を理想化せずに、「お宅もいろいろ問題あるんじゃないですか?」と電話口に呼び出して聞く。つまり自分なりの批判を込めているわけです。
(【自作再訪】岡井隆さん「土地よ、痛みを負え」 前衛短歌は「滅亡論」への反論)
 
 現代詩では一九五四・昭和29年、谷川雁の第一詩集『大地の商人』が、續く一九五六・昭和31年には『天山』が出版される。評論集『原点が存在する』は一九五八・昭和33年の刋行。また黒田喜夫『不安と遊撃』が一九五九・昭和34年に出てゐる。谷川雁の喩的動性、黒田の市民ゲリラ幻想。ともに岡井の思想の、そして詩想の基盤となつてゐる。谷川は筑豊でのサークル活動から、「大正行動隊」を組織。終始「工作者」を標榜した。對するに黒田は東北の貧農から京濱地區の勞働者へ。彼が風土の、土着の呻きとして「あんにゃ」(東北のイエ制度、長子單獨相續の直系家族に由來)と發した一言の重み。〈運河国有宣言〉とは、一九五六年エジプトのスエズ運河国有化宣言。やがてスエズ動亂へと發展する。
 
 だが、次なる一首には早くも政治の季節の後退が見られるのではないだらうか。

  或る夜すべてのイデオローグを逃れて行けり 青麦の一つかみ持ち海の渚を
『眼底紀行』

 遂に政治(まつりごと)から、雲と雲の交はる性事(男女のおまつり)へ、政から性へ。

 
  国家など見事かき消されたる中天で雲と雲とがまじわりて行き
「天河庭園集」

 
 岡井にとつてひそやかに呟かれた「愛恋」のひと言は、當然のごとくに性愛のダイナミズムへと進展する。正に岡井作品の最大にして最も魅力あるテーマである。


  灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
『斉唱』


 この一首には、先に述べたアララギ先達の〈模写〉にはじまる嫋嫋たる自然描寫の、いはばほそみ(、、、)とでもいふべき神經の末端まで行き屆いた撓やかさが見られる。


  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝(ほつえ)、業房に居て思(も)えばかなしき
『土地よ、痛みを負え』

 性欲がモチーフの設定から、しつかりと正面見据ゑたテーマへと進展を圖るのは歌集『朝狩』からである。

  性欲はうねうねとわがうち行きて眠りに就かむまえに過ぎゆく  『朝狩』
  口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも
  抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟(とどろき)
  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる
  愛技たたかわすまで熟したる雌雄(めお)の公孫樹(いちよう)よいま眠れども
  性欲の森が小さくなびきつつわが底に見ゆあかねさす午後
  性愛の汚名さびしくしんしんと病む独り寝を思(も)いて帰り来

  性愛の火照りに遠く照らされて労働へ行く奴婢は過ぎたり  『眼底紀行』
  昨(きぞ)の夜は乳を抑えきさみどりの手の葉脈をおもいて行けり
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
  うつうつと性の太鼓のしのび打ち 人生がもし祭りならば
  草刈りの女を眼もて姦(おか)すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
  少女欲しそのひとことへ打たれつつ瘦せまさりゆく夜毎のきぬた
  黄昏の群衆をさかのぼりゆく〈愛は肉欲のしもべのみ〉とや
  性愛といわばいうべし芝草の夜露にぬれて爪ありしかば
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて

  子宮なき肉へ陰茎なき精神(こころ)を接(つ)ぎ 夜(よ)には九夜(ここのよ)いずくに到る  「〈時〉の狭間にて」

  幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり  「天河庭園集」
  欲念はただに拭うべく歩く歩く底の底まで空を昏めて
  股間には疼(うず)きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
  女嫌(いと)え女嫌えというごとき集(つど)える雲を拠(よ)り所(ど)と立てば
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
  積雲の季(とき)ちかづくは愛恋のとどろくに似て切なかりける
  唇(くちびる)をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

 さながら「性愛アンソロジー」といつた趣きだが、岡井の性は、徹底的に個であることによつて、私性を貫くことによつて輝かしい〈喩〉の世界を開示してくれる。はたしてなにを性の祖型として岡井は突き進んで行つたのか。

  ルネサンスにも人荒れてまぐわいきわが生きざまのはるけき先取
『眼底紀行』

 ホイジンガの『中世の秋』には、現代よりも遙かに嚴しい生の現象がまざまざと書き記されてゐる。生存狀況がより過酷な分、生と死のコントラストがよりくつきりと描かれてゐる。ルネッサンス(中世)も人心は荒廢し、同時により荒々しい生の根源に、より原始的(プリミティブ)な、より淸冽な性のかたちが湧出する。 
 性はたぬしき魔と言ひ、闇の本性を明かし、闇はそもそも性愛を持つてゐるとも詠ふ。そして性の太鼓をしのび打つ。

 岡井の本業は醫師。DR・R(りゆう)。醫の現場性と勞働、硏究、學説、そして勤勞と對をなす安寧の休日といふ觀點から見てみたい。岡井版「仕事と日々」。

  アミノ基が離れて毒となる機作(きさく)あくがれてゆく春を待つ日日に  『斉唱』

  屍(し)の胸を剖(ひら)きつつ思う、此処(ここ)嘗(か)つて地上もつともくらき工房   『土地よ、痛みを負え』
  仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ

  肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は  『朝狩』
  休日のさびしさひとり汲みあぐる水系からき悔いをまじうる
  休日のたのしさ金のラッパ手の銀の鼓手より髭濃き絵本
  説を替(か)えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

  労働へ、見よ、抒情的傍註のこのくわしさの淡きいつわり  『眼底紀行』

 休日を含む七曜の限りなき變幻は、『土地よ、痛みを負え』の「暦表(かれんだあ)組曲」として大きなテーマのひとつとなつてゐる。


  民ら信ずるおだやかなる七曜の反復(くりかえし)、熟知せる明日が来るのみ  「暦表(かれんだあ)組曲」1序
  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ火を噴きて居し

  
  部屋なかは朝影濃きを踏みながら転々と座をかえて読むかな  2月曜日
  夕暮をただに曙(あけぼの)へつなぐべくチェンバロの薄倖の旋律   

  遠き戦後の流行唄(はやりうた)くちずさみつつ、七曜の就中(なかんずく)くらき朝  3火曜日

  七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ飜(ひるが)える道あり  4水曜日

  木曜の一隅(いちぐう)へかずかぎりなき打楽器が群れ来り、吾(あ)を待つ  5木曜日
  病む家兎を見舞いて看たり毫毛(ごうもう)のうつうつと陰(ほと)のいろのさびしさ             

  胸を越すあつき湯のなかの孤立(ひとりだち)、またおもう紅潮する独立(ひとりだち)  6金曜日
  項(うなじ)灼(や)く七月の陽もうるわしも空の藍(あい)泡立つばかり濃く
  まつ直ぐに生きて夕暮 熱き湯に轟然と水をはなつ愉しみ       

  あの積雪のしたにひつそりところがしておくもう一組の週末を  7土曜日
  今日が通りすぎつつ居(い)たりモオツァルトの端然と鳴り狂う真中(まなか)を
  わが思考の突端をいま洗いいる波頭しらじらと、目をあく       

  日曜の午はやきかな赫々(あかあか)となだれていたる時間踏みつつ  8日曜日
  跳ねてゆく時間(とき)よ、そのうねりつつ灰まだらの背、筋群のふかい軋みよ
  煮えくるう水を愛して夜半すぎし厨(くりや)に居たりけり、怪しむな
  ガラテア書のある一行に目を遣りしまま茫々と週末を越ゆ       

  七曜のはての断崖(きりぎし) 七日まえ来し日よりなお深む夏草  9抜

 『海への手紙』に「『カレンダー組曲』ノート」があり、以下のように記されてゐる。

 短歌は――そして詩は単なるアフォリズムではない。問いだけが、調べにのって、ひっそりと読者の胸戸を叩く、というのが極上だ。ねがわくは、一首を切迫した問いだけで充足せしめよ。
      *
 (註:「暦表(かれんだあ)組曲」)の意図について)自然詠とか身辺雑詠とかいうものの再認識、または逆用ということなのであった。(中略)くさぐさの日常茶飯事に触発された短歌お得意の領域をぶらつきながら、実は非日常的な詩の世界を、その中に展開しようとこころみたのであった。
      *
 時間論の試みという抗しがたい魅力をもった哲学的命題があって、宗教哲学では、「時」に対して「永遠」という化物がのそりと姿を見せないと幕があかない。

 岡井の描く小禽類の愛(いと)ほしさがある。偏愛の雲雀、連雀、小綬鷄たち。

  啼く声は降るごとくして中空のいずくに揚がる早き雲雀か  『斉唱』
  冬の日の丘わたり棲む連雀(れんじやく)は慓悍の雄(おす)いまも率たりや
  幻の一隊の柄長(えなが)庭ふかく三角鐘(さんかくしよう)を連打して去る

  帝国の黄昏 無辜(むこ)の白鳥を追いて北方の沼鎖(とざ)さしむ  『土地よ、痛みを負え』
  小綬鶏が一羽乗りこみいたるのみ丘わたりゆく夜の市営バス
  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく
  どこかさびしい岩かげを曲る狂いたる冬鳥のあれ、かかる夜ふけに

  鳥食えばはつかにたのし いでてゆく午後の激しき道おもえども  『朝狩』
  昨日より啼くこえのなお鋭しと書きとどめたるその夜 雁立(かりたち)
  帰り来むつばさを待ちて傍(かたわ)らの小林(おばやし)ひとつ日に干(ほ)し置かむ

  月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  『眼底紀行』
  中空の雲雀はしばし横へ翔ぶ覗かむかわが騒ぐ樹液を

  昨夜(きぞのよ) は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり  「天河庭園集」
  春鷺のつばさ暗めて飛ぶさえや曇りの騒ぐ空にとらえつ
  ひきかえす小路(こうじ)の熱さ耳ばたのなんたる大声の夏雲雀めが

 集中、「魔の鳥」はさすが小禽類には似つかはしくなく、觀念の、喩を飛翔する鳥であらう。最後の「夏雲雀」も、當時の閉塞した作者情況を考慮すると、いささかの大喝采とも、八つ當たりとも思へなくもない。しかしそのとき、それが岡井の救ひにもなつてゐるのだ。

 片や、小動物には獨特の山羊への嗜好が。

  退嬰(たいえい)を許そうとせぬわが前に酸(す)き匂いして牝(め)の山羊坐る  『斉唱』

  十二頭の豕(いのこ)との餐(さん) 昇りゆく天昏々とくらきを訓(おし)え  『土地よ、痛みを負え』

  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊  『朝狩』
  
  夏野そはかぐわしき朝沢渡(さわたり)の谷のけものの乳しまり見ゆ  『眼底紀行』

 「だまって小動物を剖いて過ごした夏。実験用山羊を飼いならした冬。僕は歌について多くのことを考え、少量のノートをとった。」 『土地よ、痛みを負え』あとがき

 少量のノートはやがて最初の歌論集『海への手紙』へと結實するわけだが。

 ときに岡井は空を見上げる。特に雲を見つめる。雲は思念の定型(フオルム)か。
  
  うつうつと地平をうつる雲ありてその紅(くれない)はいずくへ搬ぶ  『土地よ、痛みを負え』
  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ
  乾きたる天にひさびさに放ちたる炎(ひ)のごとき、 そを瞻(み)つつ飯(いい)食う

  昼食を境いにあおき創(きず)ふかまる曇りあまねかりし北空に  『朝狩』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う 真昼

  前庭(まえにわ)に入れたる芝の着きそむるころおぼおぼと天の鏡は  『眼底紀行』
  昧(くら)き故ひらかれてゆく美しき青 あけぼのは空の花ばな星とまじわる

  さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは  「天河庭園集」
  雲ははるかに段(きだ)なし沈む北空や巻(ま)き雲ありし昼は過ぎつつ
  雲が捲くゆたかなる白(しろ)日没になお暫しある巷をゆけば
  風花(かざはな)に仰ぐ蒼天(あおぞら)春になお生きてし居らばいかにか遭わむ

 まだまだある。樹木、特に楡、楡は喩の木。そして林、搖れる枝々。ときに花が、緑が、紅葉が……。

  宵闇にまぎれんとする一本(ひともと)が限りなき枝を編みてしずまる  『斉唱』

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡  『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

  天のなか芽ぶける枝はさしかわし恋(こほ)し還り来し地と思うまで  『朝狩』
  明るさのそこまで来つつためらうを花梗の林すかし見ている

  喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹(ひときひとき)と咲き昇りけり  『眼底紀行』
  そよかぜとたたかう遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
  ここからは夜へなだれてとめどなき尾根の紅葉に映えてわが行く
  くさぐさの抱擁を経て来ておもう樹を抱くときの葉腋の香よ
  揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな

  春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる  「天河庭園集」
  精神の外(と)の面(も)の闇に桜咲きざくりと折られゆく腕がある
  転形へ暗示をふかめつつあるは百日紅(ひやくじつこう)のたわわなる白(しろ)

 續いて先に見た性の時閒を巡る夜の姿態と異なる夜の橫顏、そして晝の橫顏。

  夜半(やはん)旅立つ前 旅嚢から捨てて居り一管(いつかん)の笛・塩・エロイスム  『斉唱』
  眠られぬ又眠らざる夜がゆきてイリスは花を巻きて汚(よご)るる    

  せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて  『土地よ、痛みを負え』
  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)
  しずかなる応(いら)えをきく夜わがうちに王国も築きうべしとおもう

  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば  『朝狩』
  中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降(お)りたつ
  発(た)ちし夜の妖(あや)しきまでの明るさを恋えば、戦後こそわがカナンの地

  願望の底ごもる夜(よ)をつらぬきて星の林へ行く道なきや  『眼底紀行』 
  移りゆくくれないの刻(とき)藍のときかたぶく昼を怖れて居れば    
  
  夜のほどろの夢にわれら選ぶミンナ・ドンナ・ヘンな艱難   「〈時〉の狭間にて」
  父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆという午(ひる)を

  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う  「天河庭園集」
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し

 神は細部に宿る、とばかり際限ない分類は續くのだが、今稿はここまで。次囘は第三歌集『朝狩』の紹介から、冒頭に約した「或る私的事情」の周邊を彷徨つてみたい。

短歌相互評第34回 本多真弓から阿部圭吾「手のひらの海」 へ

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作品 阿部圭吾「手のひらの海」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-02-02-19854.html

評者 本多真弓

 水族館(すいぞっかん)、と言うとき君の喉元を光りつつゆくイルカのジャンプ


「すいぞっかん」のルビに、くらくらした。これまで「水族館」という文字を見た時、わたしの脳内で再生される音はいつも「すいぞくかん」だったから。


あらためて声に出してみる。たしかに「く」の音は明瞭にはあらわれない。わたしはこの言葉を他者にむけて発話する時、そうとは意識することなく「すいぞっかん」と発音し続けてきたのだ。大袈裟に言えば、この歌と出会うことで、わたしの人生は、すいぞっかん以前/以後に分けられてしまった。


耳のいい作者である。鍵かっこなしで、目の前にいる「君」が発声した言葉だとわかる、すいぞっかん。


  車窓から本当の海を眺めつつ海に似ている場所へ向かった
  潮風は吹くけど帰る場所がないここで生まれたという子アザラシ


この一連を統べるのは、Aに限りなく近いがAではない、【A´】のトーンだと思う。


海を眺めながら、実際に向かうのはあくまでも海に似ている場所。子アザラシが生まれた場所は、これからも生きていける環境ではあるが、アザラシ本来の棲息地ではない。


そこが君とでかける、すいぞっかん、なのだ。


  退化だね、って君と笑って潜りゆく水族館は命のにおい
  マグロ回遊水槽ゆがむ群泳の痛いくらいに光、まぶしい


初句七音にも関わらず「退化だね」の歌は軽やかである。ふたつの促音が弾むリズムを作り出す。
「マグロ回遊水槽」の歌は一転、どこで切るべきかわかりにくい、すりあしで進むようなべったりとした韻律だ。それが結句の「光、まぶしい」で、意味とともにぱっと開花する。鮮やかだ。


  水槽に触れてかすかな深海がたしかに手のひらにあったこと


ひとのからだのままでは潜ることのできない深い深い海。この歌では深海魚用の水槽にぺたりと手のひらをつけることで、かすかな深海を手に入れた瞬間が描かれる。水槽に手を触れても、水そのものに触れるわけではない。ここにも【A´】のトーンがあるように思う。


それから「たしかに手のひらにあったこと」という、自分に言い聞かせるかのような歌いおさめ方。わたしはここに、淡いかなしみのようなものを感じてしまう。おそらく作者には、かなしみの意識はなく、かなしみを感じたのは、わたしの残り時間の少なさのせいだろう。


  たましいのようにクラゲは揺れていて本当は溺れているかもしれない


今回、一番好きだった歌。たましいは見たことがないけれど、この歌の「ように」にはすんなり説得される。下の句の大幅な字余りの不安定さも、計算されたものだろう。「溺れているかもしれない」ものは、クラゲでもあり、ふたりのたましいでもある。


  ペンギンのにおいをかげば思い出す記憶として君とここにあること


「君とここにあること」の現在性がパッケージ化された、面白さとかなしさがある。未来においてこの記憶を思い出す時、はたして「君」は、いまと同じようにそばにいるのだろうか。


  生まれ直すようにのぼった階段で名付けあうところから始めたい


「名付けあう」というフラットな関係が涼やかだ。名付ける/名付けられるという世界からの解放。それも「始めよう」という他者への呼びかけではなく「始めたい」という。ごくささやかな願いが美しい。


  手のひらの海であなたに触れるとき遠くで生まれ続ける波の


この歌にも、不思議な【A´】感がある。あなたに触れるのは、手のひらそのものではなく、手のひらの海。触れている、という距離にもかかわらず、波が生まれ続けるのは遠い場所なのだ。「波の」のあとに続く情景も感情も、読者にゆだねられたまま、この一連は終わる。


春になったらわたしも、すいぞっかん、へ行こうと思う。作者からゆだねられたものを壊さないよう、ゆったりと胸に抱えて。

短歌相互評第35回 阿部圭吾から本多真弓「バスがくる」へ

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作品 本多真弓「バスがくる」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-02-02-19859.html

評者 阿部圭吾

「バスがくる」は、街の風景の回想とともに、変わっていく時代を見つめている主体をロードムービー的に描いた一連だ。それぞれの歌にどこか遠くを見つめるような主体の目線が通底しており、一連が滑らかに進んでいく。全体的に抒情性を保ちつつ、主体の身体感覚がリアリティを持って伝わってくる歌が多い。一首一首に描かれた情景はシンプルながらも、比喩や形容の仕方にたしかな手触りがあり、読んでいて自然と言葉が身体に流れてくるような安心感があった。ひらがなが多用されており、漢字による意味性が薄まる分、音そのものが心地よく響いてくるような歌たちだった。次に引いた冒頭の歌もひらがなを効果的に使った一首だ。

   こぬかあめこもれびこどもひかりつつ空から落ちてくるものは詩語

 連作の中で一番好きだったのがこの歌。こどもは(イメージとして受け入れられるものではあるが)本来空から落ちてくるものではない。しかしながら、こぬかあめ、こもれびといった空から光を伴って柔らかく降り注いでくるものと共に並べられることによって、こどももまるで空から落ちてくるものであるかのように読者に感じさせる。一首を読み下す際の下へ向かう視線の動きや、「こぬかあめこもれびこども」というK音の連続・543と短くなっていく韻律も、光が落ちてくるイメージをより強く印象付ける。ひらがなで単語を羅列することにより、言葉の意味がほどけながら主体のもとに落ちてくるイメージもある。それを詩語という捉え方をすることで、その言葉が持ちうる詩情を主体が感じ取り、掬い取っているような印象があった。私は歌に詩語という抽象的かつメタ的な意味をはらむ語を使うのは少しこわいと思ってしまうのだが、この歌の中では言葉がほどけながら落ちてきて詩になるような、言葉自体に詩情を見出す主体の言葉に対する目線が感じられた。

  神殿の名をもつ映画館ありき若きわたしのはるか渋谷に
  神殿は破壊されにき星を抱く五島プラネタリウムとともに

2003年に解体された東急文化会館(現在その跡地は渋谷ヒカリエ)の映画館、渋谷パンテオンを詠んだ二首。神の住居であり厳かなイメージがある神殿と、たくさんの人が暗闇の中で静かに映像に集中・没入し、時に感情を発露する場所である映画館は、どちらも異世界とつながる場所であるという点からも親和性が高いように感じた。描かれているのが渋谷パンテオンであるということを知らなくとも、「神殿の名をもつ映画館」という表現によりそのイメージは十分伝わるだろう。またこの歌では「若き」が「はるか」遠いことから、主体が自身を若くないと思っていることが示されており、この後の歌の「青年」「年下」「肩は凝る」といった言葉へとつながる。一連の中に幾度も描かれている主体自身の年齢の変化に対する意識も、この連作の一つのテーマだろう。
 下の歌も同様に渋谷パンテオンを詠んだ歌で、こちらは建物が解体された情景が描かれている。(ちなみに五島プラネタリウムは東急文化会館の最上階にあって、ビルの上部に半球状に飛び出していた。)
プラネタリウムの丸い形状を、「星を抱く」という言葉で表しているところに惹かれた。プラネタリウムを外から見た情景であることがこの表現から分かるし、何より神殿が破壊される/された様子を外側から見つめる主体像が浮かび上がってきて、破壊に対して見ていることしかできない、立ち入ることが出来ないどうしようもなさがここから伝わってくる。また、この歌では「映画館は破壊されにき」、ではなく「神殿は破壊されにき」、と書かれている。神殿が破壊されるというのは信仰者にとっては許しがたい、受け入れがたいものだろう。神殿の名をもつ映画館もプラネタリウムも、言ってしまえば作りものだ。しかしながら「神殿」、「星を抱く」と言いきることによって、主体にとってこの破壊が単なる一映画館の消滅ではなく、かけがえのないものの消滅だったということが伝わる。下の歌で映画館を神殿と表現したのは単なる省略や言い換えではなく、主体自身の記憶の中にある、もう戻ることのない映画館に対する、なにか信仰とも呼べるような感覚が表現されているのだろうと感じた。

  つるぎたちみにそはねどもまぼろしの春とギターを青年は負ふ

つるぎたち(剣太刀)は「身に添ふ」にかかる枕詞。つるぎたちの大きく長いイメージが「みにそはねども」という言葉で一度引き離され、その大きさ、長さのイメージが青年の背負っているギターと重なっていく。「まぼろしの春」の儚さは青春のイメージにもつながり、青年が持つ若さに対する一種の憧憬のような視線を感じる。

  気がつけば渋い感じの男優も崖より覗くごとく年下
  生首をのせてわたしの肩は凝るうごく歩道に乗らずに歩く

主体の身体感覚を詠んだ二首。「崖より覗くごとく」「生首をのせてわたしの肩は凝る」という表現から、主体の年齢の変化やそれに伴う身体感覚が生々しく伝わる。「渋い感じの男優」はいつの時代にもいて、生活の中でその年齢について考えることはあまりないことだと思う。ふと気が付いた自分の年齢と男優の年齢の差異から、「渋い感じ」という自分の感覚と自分の年齢との断絶を感じたのだと思う。崖の端にいるイメージが唐突に出てくることによって、断絶に気がついた瞬間の、急に年齢が上がったような感覚を読者に追体験させる。
下の歌は、自分の頭を生首という客観的な捉え方をしている視点が面白いと思った。本来であれば自分自身の生首を見ることはできないが、意識がどこか浮遊して自分自身を客観視するような目線があるからこそ、自分の頭を意識から切り離された物体として捉え、頭の重さが肩にかかっている感覚が捉えられる。「うごく歩道に乗らずに歩く」という行動から、自身が年齢を重ねること、またそれによる疲労感に対して悲観的ではなく、受け止めようとする主体の様子が伝わる。

   自裁した人の日記を本にした本の残りがあと数ページ

「自裁した人の日記」の本を読むとき、結末を知らずに読む読書とは違い、読者はのちに自裁することを知りながら本を読み進める。そして本を読んでいる間は、その人物が主体にとってはまだ生きているような気持ちになる。そのため、残りの数ページを読み切ってしまうということは、主体の世界で生きていたその人物が死んでしまうことを意味する。この本を読むとき、読者は否応なく死を意識するだろう。そして死を意識すると同時に、その日記を書いた人物がたしかに生きていたという生への意識も生まれる。本の最後の数ページは、死が限りなく近づき、生が限りなく希薄になってしまっている状態だろう。逃れようのない死がたしかに手の中にあることに、主体はどうしようもないやるせなさを感じているのかもしれない。「本にした本」というリフレインによって印象付けられる本という言葉からは、本来個人的なものである日記、そしてその人物の死が多くの人に読まれる本として流布し、自分の手の中にあることに対する戸惑いのような感覚があるのではないかと感じた。

   いちねんに二度くらゐあふともだちがひとりだけゐてわたしをささふ

日常の中で、ささいなこと・ものの存在に支えられる、救われるということはままあることだ。多くの人々は年齢を重ねるにつれて昔の友達、知り合いに会うことが少なくなるように思う。それと同時に友達と呼べる人を獲得する機会は、学生時代などに比べると格段に少なくなるのではないだろうか。社会的な立場を得ることによって、人間関係の中で人を友達である認識することが少なくなると思うからだ。(例えば会社で出遭う人たちのことは、仲が良くなったとしても友達というより同僚、同期といった認識の方が強いだろう。)この歌に描かれているともだちが昔の友達なのかは定かではないが、この主体は年に二度だけ会う人のことをともだちだと言いきる。距離が離れてしまってもそう呼べる関係性は、たしかな強度を持っていると思う。そのような関係性が持続していくことは、たとえひとりだけでも、生活の中に占める時間がわずかなものだとしても、主体を支えるのに十分な強さを持っているのだと思う。ひらがなの中に置かれた「二度」という回数も、離れすぎず近すぎない微妙な距離感が、主体の感覚に実感を生んでいる。この直前の自裁の歌を踏まえると、「わたしをささふ」という言葉がより切実なものに感じる。

  予告編(トレーラー)あへてみないでみる映画えいぐわみたあとみるくわんらんしや

 予告編をあえて見ないのはどういうときだろう。予告編はその映画を見るかどうか決める一つの判断基準になる。しかしながら予告編には、観客の興味を引くために物語の重要なシーンやモチーフを盛り込むことが多々あり、それゆえその場で初めて体験することによる衝撃や、映画への没入を阻害することがある。おそらく主体は見ることを心に決めた映画があり、余すことなく映画を味わいたいと思うからこそ予告編を見ないのだろう。映画に没入することは意識をどこか遠い別世界に移すような感覚があると思うのだが、「えいぐわみたあとみるくわんらんしや」には、映画を見た後の、意識がまだ遠くにあるような感覚が表れていると思う。観覧車を見上げる時の空の遠さ、ゆったりした観覧車の動き、それらを見つめる主体のぼんやりとした意識が、漢字をひらいたことによる意味性の薄まりと合わさって、この下の句で表現されている。

  海はわたしを待たないけれどどうしてもポートサイドへゆくバスがくる

最初に一連をロードムービー的、と書いたが、この歌は帰路の歌だと思って読んだ。一連の中では、生活のさまざまな場面から過ぎていく時間の流れに対する主体の目線が描かれていた。この最後の歌は、そういったどうしようもなく過ぎ去っていくものに対する、主体の思いが映し出されているのだろうと感じた。
一首の情景としてはシンプルで、ポートサイドゆきのバスがくるというだけだ。しかしながら、そこに主体の「海はわたしを待たない」という海への認識と、バスがくることに対する「どうしても」という意識が描かれることによって、自分の立場や感情に関わらずに進んでいくものに対して、置いけぼりにされたような感覚が伝わってくる。たとえ「わたし」が一つのバスに乗らない選択をしたとしても、バスは決められた時間にきて、決められた時間に人々を乗せて出発し続ける。生きている限り主体の生活は続いていき、そのためには今いる場所にい続けることはわけにはいかず、進んでいくしかない。そのようなどうしようもなさを、帰るためにポートサイドゆきのバスに乗らなければならないことと重ねて合わせているのではないだろうか。

タイトルにもなっているこの「バスがくる」という言葉に象徴されるように、一連からは過ぎ去ってしまう時間、進んでいく時間への諦めや過去への憧憬、それでも今生きている自分の生活を受け入れ歩んでいくことへの思いが感じられる。何かを諦めることと受け入れる感情は、表裏一体だ。諦めと受容、その間にあるとても微妙な感情を、丁寧に掬い取って手渡してくれるような連作だった。

短歌時評第142回 2018年に読まれた歌集・歌書から-新しい扉- 大西久美子

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「短歌往来」2019年3月号の「50人に聞く2018年のベスト歌集歌書」は、50人の歌人各々が2018年に刊行された歌集歌書から3冊の歌集歌書をあげ、歌集歌書、あるいは、2018年の収穫についてコメントをつけ、内、一冊をタイトルとする特集である。 

今回、私も寄稿させていただき、加藤治郎歌集『Confusion』(書肆侃侃房)、谷岡亜紀著『言葉の位相-詩歌と言葉の謎をめぐって』(角川書店)、栗木京子歌集『ランプの精』(現代短歌社)をあげ、タイトルを『Confusion』加藤治郎歌集とした。

『Confusion』を開けば、大胆なレイアウトにまず、驚く。緩急、ではなく、急急。
視線が上下左右に絶え間なく動くデザインのレイアウトである。
読者は、自らの視神経、脳にかすれるような疲れを覚えながら、歌を追い続ける。この肉体の覚える疲れは、今、という時代に対する漠然とした(あるいははっきりとした)不安や不信を自覚する時にぶわーっと沸き起る感覚に近い。「いぬのせなか座」の計算されつくしたレイアウトマジックの効果により短歌作品が走り出し、時代の流れに急かされるような気持ちを覚える。

加藤治郎がレイアウトを「いぬのせなか座」に一任する際、再現可能としてほしい、という希望以外の注文は全くつけなかったという。それゆえ『Confusion』は、「いぬのせなか座」が感受し、解釈したというアピールの込められた歌集といえよう。読者は「いぬのせなか座」が施す視覚的なフィルター(レイアウト―読み取り―)を受け取る。そして共感、あるいは戸惑いながら否応なしに歌集の世界に巻き込まれてゆく。

晩白柚(ばんぺいゆ)喰うべかりけり家族いはひとつ平らな食卓がある       p40

検査機の後ろに青い穴がある1234(ワンツースリーフォー)ファイバースコープ p61

短歌作品に添える大きな太字のルビ、その衝撃性にも驚く。
強い意志を感じるルビの存在感に圧倒される。

「いぬのせなか座」の山本浩貴にレイアウトを依頼する始まり(依頼はTwitterを通して行われた)が歌集に納められている。ここから加藤治郎の仕事と「いぬのせなか座」の仕事がそれぞれ独立していることが分る。歌集の中でオープン化されているのだ。
分業ではない。ファクトリーの仕事でもない。レイアウトが施されたテキストが初めて「いぬのせなか座」から戻ってきた時の加藤治郎の驚きと喜びはいかばかりであったろう。

短歌史の議論はざらりすれ違い若き日は雲のかなたに薫る  p39

2018年5月に『Confusion』は刊行された。加藤治郎と「いぬのせなか座」の挑戦は衝撃を伴いながら読者に届いた。反応は様々だろうが、この挑戦に続く人々は今も生まれている。今後も、増えてゆくことだろう。
 
              ***
2018年9月より、3回に渡り、「短歌時評」を担当させていただきました。
今回が最後となります。
ご高覧いただきましたことを感謝いたします。ありがとうございました。

短歌時評第143回 欲望を超えるために 濱松哲朗 

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 結局はこの話をしなければいけないのだと思う。欲望についてである。
 東直子との共著『しびれる短歌』(ちくまプリマー新書、2019年1月)の中で、穂村弘はみずからが短歌を始めたバブル期を回想しながら次のように言う。

 短歌の世界に限定して言うと、俵さんとか加藤治郎とか僕がバラバラでありながら共通しているのは、欲望に対して肯定的だっていうこと。それが口語短歌と結びついていたから、初期に口語で出た歌人はみんなそうだと思われて、そんなにてらいなくていいのかお前らっていう、その違和感ですごく叩かれた。単に口語が異質だったっていうだけじゃなくて、その背後にあった欲望の肯定が受け入れられなかったんだと思う。
(『しびれる短歌』第六章「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」p.157)

 80年代に登場した、いわゆるライト・ヴァースからニューウェーブに至る一連の作者たちの「ハイテンション」さについて、永井祐や斉藤斎藤といった後続世代が理解できないと述べる理由を考察する過程で穂村は、「僕らが岸上大作がなんであんなに青臭いのか理解できないっていうのと同じで、理解できないと言いつつ時代の中で見れば理解できるし、もちろん彼らだって時代の中で見た時の感触はわかると思う。だから「理解できない」というのは、自分たちには、受け入れがたいってことなんだよね」と指摘する(p.158-159)。その少し手前の箇所でも、戦後の土屋文明、バブル期の俵万智、平成の永井祐という三人を「時代の中で」読み解きながら、「土屋文明の頃はお金がないから、ほしいものや栄養価があるものが買えなくて、貧しくて苦しかった。単純に日本人の夢がかなった時代というのが八〇年代、俵万智さんの時代。そこから三十年たって、永井くんになると不思議な様相を帯びていて、もう一度、一周回った貧しさの中にいる。(…)大晦日にデニーズにいるというのが貧しいといえば貧しいし、豊かといえば豊かという」といった分析を見せている(p.140)。
 穂村のこうした見立てに、筆者は苦々しいほどの違和感を覚えずにはいられなかった。ここでは経済成長と「豊かさ」が純粋無垢なまでに順接で結ばれている。確かに平成の三十年とは、バブル崩壊後の深刻な不況、実感なき経済回復や格差の拡大といった右肩下がりの図式化によって語り得るものであり、だからこそ穂村は永井祐の作品を通じてこの時代を「貧しいといえば貧しいし、豊かといえば豊か」であると読み解いたわけだが、しかし「一周回った貧しさ」という認識は、本当に現代という時代に即したものとして、概念や認識を更新しつつ為されたものと果たして言えるだろうか。「永井くんは、そういう僕らの世代の口語の文体では、自分たちの生活実感は歌えないっていう確信があったと言っていて、それはそうだろうなと思う」という穂村の理解は、残念ながらバブル期という、経済成長のグラフにおける山の上から平成の永井祐を見下ろす形で為されたものでしかないのではないか。
 戦後の復興、高度経済成長を経てバブル期に至るまで見事な右肩上がりを描き、その後はバブルが弾けるとともに呆気なく下降するこのグラフは、経済的指標である以上に、穂村の言う「欲望の肯定」の度合いを世代や年代ごとに示したものであるようにも見える。だが、「貧しさ」と「豊かさ」の様相がそれまでの二項対立的把握に基づく言語では捉え切れなくなったというのに、このグラフはあくまで昔ながらの、戦後の香り漂う「貧しさ」や「豊かさ」で世界を切り取ろうとする。永井祐が先行世代の口語との文体的断絶に意識的であったのは、根底にある「欲望の肯定」の構造に対して賛同できないという静かな意思表示だったのではではないか。「豊かさ/貧しさ」という対立構造そのものが、経済不況の空気感を伴う形で脱構築されていったのが、平成という時代だったのではないか。その空気とは、例えば、こういうものである。

 現在四〇代である私たちの世代は、ロスジェネとか氷河期世代とか呼ばれた。非正規雇用率が高く、未婚率が高く、子どもを持つことの少なかった世代である。
 いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた。(…)先行世代の女性学や男性学が扱ってきた「女性/男性であること」の痛みは、まるで贅沢品のようだった。正社員として会社に縛り付けられることさえかなわず、結婚も出産も経験しないまま年齢を重ねていく自分というものは、「型にはまった男性/女性」でさえあれず、そのような自分を抱えて生きるしんどさは言葉にならず、言葉にならないものは誰とも共有できず、孤独はらせん状に深まった。 
(貴戸理恵「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ小説『軽薄』(金原ひとみ)から」「現代思想」2019年2月号)

 1978年生まれの社会学者である貴戸が示すのは、それまで当然のごとく受け入れられてきた「型」が、バブル崩壊以降の平成不況の煽りを受ける形で一気に使い物にならなくなったという当事者的認識だ。これを読んだ上で、再度、「欲望の肯定」の最大値としてのバブル期という穂村の見立てに視線を戻してほしい。「豊かさ/貧しさ」や「欲望」といったグラフによって時代を見ようとすることそのものが、現代の多様かつ拡散した内情を見て取ろうとするのにはもはや不適合であると言わざるを得ないのではないか、という疑念がおのずと湧いてこないだろうか。
 一見理解を示しているように見えるが、実はその視点そのものが明らかな分断要因であった――。そうした事態を穂村の評論中における「歌語の開発」の中に見出したのが、寺井龍哉の評論「穂村弘の公式(フォーミュラ)―歌語の開発とその周辺」(「歌壇」2019年2月号)だった(声に出して読みたいタイトルの評論である)。「棒立ちの歌」や「武装解除」といった穂村流の批評用語や、「改作例」を示すことで「自説を補強する」穂村の方法は、前提として「読者と作者が作歌法に関する規範的な意識を共有することを要請」していると寺井は指摘する。

 穂村は「共通意識」のもとで互いに「武装」し、格闘することを期待していたのだ。そして裏切られた期待は、新たに登場してきた作品に「棒立ち」や「武装解除」の名を与え、その戦意の希薄さを特徴づけた。いずれの用語も争闘すべきものが争闘しようとしていない、という含みを多分に持つ。「共通意識」のうえで格闘することを望む穂村は、それを共有できず、かつ戦意も認められない「若者たち」の歌に苛立ち、迂遠なかたちで宣戦していたのだ。
(寺井龍哉「穂村弘の公式(フォーミュラ)―歌語の開発とその周辺」「歌壇」2019年2月号)

 闘ってくれる相手が見つかって良かったね、等と皮肉を言っている場合ではない。「「共通意識」のもとで互いに「武装」し、格闘することを期待」するという行為は、換言すれば短歌的・批評的「欲望の肯定」の発露である。穂村の批評用語が「自身の批評の方法の挫折を契機として、異質なるものを位置づけるための命名の結果」として現れていること、それらの用語が「従来的な批評の方法が挫折させられてしまうことへの苛立ちと揶揄の調子を不可避的に含み込」んでいる事実を指摘する中で、寺井は穂村の言説に含まれる短歌的「欲望の肯定」を、視点の多元化を導入することで無効化しているのである。付言すれば、ここに見られる穂村の「共通意識」への希求や「武装」への意志は、「欲望の肯定」の最大値というある種の極点において自己を形成した者による、対象を見下ろす姿勢を含んだ言説として捉えられ得るものだ。そこには規範化ないし歴史化に対する純粋なまでの従順さと欲望とが含まれている点は、見逃してはならない傾向だろう。シンポジウム「ニューウェーブ30年」で、かつてニューウェーブが「まるでわれわれが意図した運動体であるかのように誤認され」たことがむしろ「われわれにとって好都合だった」(「ねむらない樹」vol.1、2018年8月)等と、極めてしたたかな発言をしていた根底には、穂村の「欲望の肯定」への意志が渦巻いていたと言えるのではないだろうか。
 「打開策はまず、問いの形式の転換だ」と寺井は言う。そして「なぜかつてはそうだったのか」を問いながら「過去の自明を現在の眼で解き明かすこと」が重要なのは、何も評論や批評に限った話ではない。例えば、ニューウェーブと同時代の女性歌人について「女性歌人はそういったくくりのなかには入らない、もっと自由に空を翔けていくような存在なんじゃないかと思う」、「天上的な存在」(「ねむらない樹」vol.1、2018年8月)等と言ってしまう加藤治郎は、男性中心主義の社会において錬成された「男の子の国」的欲望の肯定によって為される差別の再生産について、「現在の眼で解き明か」せては決していない(「男の子の国」の概念は斉藤美奈子『紅一点論』からの援用である)。「加藤治郎の「天上的な存在」という言葉は、葛原妙子を「幻視の女王」、山中智恵子を「現代の巫女」と呼んで封じ込めたものと同じ圧力を持っている」と、加藤や穂村と同世代である水原紫苑は一刀両断していた(「前を向こう」「ねむらない樹」vol.2、2019年2月)。
 残念ながら、筆者は『しびれる短歌』のライトな語り口にも、「欲望の肯定」の度合いの一番高いところから観測されているような違和感を覚えてしまった。そもそも第一章の「やっぱり基本は恋の歌」という章題や、そこに含まれた暗黙の相聞歌待望論、更には「抑圧されてないからテンションが上がらないということもあるけれども、何でそうはしゃぐようなことなんですか? みたいな感じでしょう。飢餓感がないというか」(穂村、p.35)、「私たちの時代は、恋への夢とか憧れとかはまだロマンがあったんだけど、恋愛があまりにもカジュアルになりすぎて、彼女たちにはもうそれがない感じですね」「ものすごく美味しいものを紙皿で食べてるみたいな気がしないでもない」(東、p.36)等という発言の端々に、穂村・東両名における「欲望の肯定」の意外なまでの深さと、後続世代との断絶の深さを思わずにはいられない。こういう話題になるとすぐに、岡崎裕美子の「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ」(『発芽』所収、そういえばこの『しびれる短歌』には引用歌の出典表記が一切無い)が持ち出しされる、という図式そのものにも後続世代は既に飽きているだろう。
 そんな中で、錦見映理子が『めくるめく短歌たち』(書肆侃侃房、2018年12月)の中で、飯田有子『林檎貫通式』(2001年、BookPark)を穂村が評論「酸欠世界」(『短歌の友人』所収、初出は角川「短歌年鑑」2004年版)で提示した読みから解放する試みを示したことは、非常に意味のあることだった。錦見との巻末対談の中で、「歌集をまとめるというときに、初期や中期の作品は全部カットされていて、限定された世界を作っていた。そのときに彼女の決意を読み取るべきだったんだろうけど、僕もそこまでキャッチできなかった」と述べる穂村は、既に飯田有子に対して「現在の眼で解き明かす」作業を、錦見の飯田有子論を経由することで行っている。「現在の眼」はだから、決してある世代に特権的な視点ではなく、誰もが実践可能な考察と自省に対する方法の方法、メタ的な方法論であると言えよう。
 「わがまま」や「棒立ち」が90年代以降に登場した世代を括るような批評用語に必ずしもなり得なかったのは、「平成」という時代の著しい変化とともに「欲望の肯定」への姿勢が一変したことで新人たちの作品が敏感に反応した一方で、批評の側が「武装」の姿勢を変えなかったために、作品と批評、作者と評論家の間に深い断絶が生じていたからではないか。小説においてもここ最近、藤野千夜『少年と少女のポルカ』や松村栄子『僕はかぐや姫』といった、90年代に登場した作家の初期作品の文庫復刊が顕著だが、これらも歌壇の現状と同様、批評する言葉がようやく「作品」に追いついた、ということを意味していると筆者は考えている(そういえば「J文学」もマッピング的文芸の代表的失敗例だと言える)。「現在の眼」によって語る言葉を探る過程で、私たちはこれから言葉という最悪の構造と何度も刺し違えることになるだろうが、それでも、錆びかけの構造に追従することで、見失われ、貶められ、無かったことにされてしまうものが目の前にある限り、私たちは、これまでとは別の仕方で、言葉を紡いでいくことを願うだろう。
 私たちの言葉は、永遠の途上にある。

短歌評 わが短歌事始め Ⅳ 岡井隆(承前) 酒卷 英一郞

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 岡井隆の歌業を、一九七二・昭和47年思潮?刋『岡井隆歌集』所收の初期作品「О(オー)」、第一歌集『斉唱』、『土地よ、痛みを負え』、『朝狩』、『眼底紀行』、そして以降の未完稿「天河庭園集」から、全卷を橫斷し、通底するテーマ別に俯瞰してきたが、今少し續けてみたい。
 ここまで見てきたのは、先づごく初期のアララギ系先行作品の模寫、その嫋やかな自然詠。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
                             『岡井隆歌集』「О」

 つぎに怒濤のごとき政治への熱い季?。とくに市民革命への幻想と幻滅。

  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく    『朝狩』

 そして岡井作品のまさに中心的課題とも云ふべき性愛のテーマ。その眩暈(めくるめ)く變幻。

  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる  『朝狩』
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に 『眼底紀行』
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして 「天河庭園集」

 醫師の現場性、勞働と安息。

  労働へ、見よ、抒情的傍注のこのくわしさの淡きいつわり       『眼底紀行』

 また日常としての七曜、その喩的陰翳。

  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ日を噴きて居し        『土地よ、痛みを負え』

 小禽?への愛情、山羊への偏愛。

  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく  『土地よ、痛みを負え』
  昨夜(きぞのよ)は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり       
                                   「天河庭園集」
  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊   『朝狩』

 思念の定型〈フォルム〉としての雲。

  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ 『土地よ、痛みを負え』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う真昼
                                   『朝狩』

 樹木愛、とりはけ楡と喩。ふたつの文字の形象的近似價に寄せる喩化。

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡       『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

 性の時閒をめぐる夜と異なるいまひとつの夜の孤影。

  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ) 
                                   『土地よ、痛みを負え』
  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば     『朝狩』
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し        「天河庭園集」

 ここまでが前囘テーマのお浚ひであるが、
 設營された主旋律は、ときに伴奏し、共鳴し、反響する。止むことのない殘響を思ひつくままにいくつか拾つてみる。

 學究的一面は旣に觸れたが、さらにブッキッシュな側面が加はる。

  textの読み浅かりし口惜しさの蝶逐いつめており水際(みぎわ)まで  『土地よ、痛みを負え』
  つねに逐われつつ遊ぶかな一隠語ゆえ百科全書(エンシクロペヂア)を漁り
  むらさきのニーチェ潜(くぐ)りし昨(きぞ)の夜の肺胞ひとつづつ血まみれに
                                   「天河庭園集」
  闘争記 一 を購(か)いたるゆきがかりそのあとのしどろもどろの別離
  カフカとは対話せざりき若ければそれだけで虹それだけで毒
  ばあらばらあばらぼねこそ響(な)りいずれ斎藤茂吉野坂昭如(あきゆき)

 「闘争記」一首は、今囘の隱れテーマとも云ふべきに直結するであらう「或る私的事情」(『岡井隆歌集』「書誌的解説とあとがき」)を匂はせるに充分であるし、「斎藤茂吉野坂昭如」は、その?末の事後の咆哮、安堵でもあるのか。

 ブッキッシュ=書癡的であるとは、當然のごとく詩人の眞正面からの自畫像(ポルトㇾ)でもあるが、自づから言語への執着へと?がる。

  一語に牽(ひ)かれ一語に搏(う)たれわれはゆくわがわたりゆく藍(あい)のあかつき                               『朝狩』
  ちぎれては翔(か)ける言葉の風切の夕映えのなかはかなく高く  『眼底紀行』
  偽装して時のさなかをゆくときの言葉は何ぞみだりがわしき
  現実は悶えにもだえゆくものをくぐもりわたる言葉の鏡
  櫂(かい)二つ朝あわ雪に漕ぎいでて現象のかげことばのなだれ  「天河庭園集」
  優しさははずかしさかな捲きあがる水の裾から言葉を起こし

 それは眞直ぐに書くと言ふ行爲、その手際を、そして歌の調べそのものへと轉ずる。

  こころみだれてパン嚙むころぞ真日(まひ)くれてさわ立ちやまぬ歌の翼よ
                                   『朝狩』
  夜をこめて歌の風切雨覆(かぜきりあまおおい)まなかいに見ゆ刃のごとく見ゆ
  書いて個を超えつつ書けば春はやき星の林の折れ曲る枝見ゆ    『眼底紀行』
  照らされてわが掌にあるは神経のはせくだる谷の模写ぞ鋭き
  左手で書きしずめいる詩の底へたとえば銃身のごとき心を
  曙の星を言葉にさしかえて唱(うた)うも今日をかぎりとやせむ  「天河庭園集」
  終着のとき告げている定型のややなまりある声ぞかなしき    
  以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀(まつ)る夕ぐれ

 ことばはことばを呼び、重なり、連なる疊語(ルフラン)の細波、秋波。岡井の超絕技法。

  溺れつつかち渉(わた)りつつたどり来し道くれないの椅子に終れる『朝狩』
  すべて選みのそのひとときにかかりたるさゆらぎにつつさやぎつつ来む
                                   『眼底紀行』
  五月五日午後五時ごろは飯をはむ風なかの花みだるる食思
  率寝(いね)てのちは芝が萌え出すじりじりと燃えつくしてはわが悔(くい)止まむ         
                                   「〈時〉の狭間にて」
  応和して遊戯(ゆうげ)して葛(くず)の目覚めよさめてゆく愛のさめゆく沢の霧雨
  しげりゆく卯月五月(さつき)のさわさわと青かきわけて生きて喘ぎて
                                   「天河庭園集」
  重くまた狭く募(つの)ればこころよりこころへさやぐ枝架けゆかむ
  ひとたびふたたびみたびよたびまで声あげて寄る死の水際(みぎわ)まで
  

 書く行爲の基底には個の存在が。

  私(わたくし)のめぐりの葉のみくきやかに世界昏々と見えなくなりつ
                                   『朝狩』
  存在が狩られるはつかなるときに白じらとわがこころの遠矢   『眼底紀行』
  存在を狩りて夕ぐれいちじろく鋭く澄みてゆく耳のある
  イコンからイデアへわたるいしのうえに橘ぞ濃き憂(うれい)ひろぐれ
  踏み込まむかの体験の丈余の土間 鞍部・残部・陰部・患部とこそ響(な)れ
                                   「〈時〉の狭間にて」
  生きるとは匍匐後退にいばりのつくばつくづくおもいあぐねて  「天河庭園集」

 やがて個の存在が世界を圍繞する。歌の優しさ、鋭さ、翳りもて。

  世界しずかに飜(ひるが)えるとき垂りながら一房熟るる猛々しけれ
                                   『眼底紀行』
  かたわらに鏡を置けば折り折りに見ゆ わが立てる世界の向う岸との曇る
  寄りがたき重き世界を築きたる死の周縁に一日(ひとひ)居りたる
                                   「天河庭園集」
  此処(ここ)へ来(こ)よ此処へ時間に殉(したが)いてうらぎれるだけうらぎりながら

 世界を視つめ、自己存在を凝望する眼、眼、眼。

  眼もて射よリズムの罠をはりわたせ朝狩り立ちに遅れ来ぬれば  『眼底紀行』
  風景を渉る眼の群(むれ)のさやさや 山が来て青い地峡をかこむ時
                                   「〈時〉の狭間にて」
  眼は耳の意志か小さきいかずちの聚(あつ)まるしたへ出でて撃たるる
                                   「天河庭園集」

 慰藉としての音樂。作者を慰める音律。

  バルトークの太鼓ひびかううなだれつつ浴槽(ゆぶね)までたどりつきて覗けば
                                   『土地よ、痛みを負え』
  発(た)つべくはことごとく発(た)ちわが裡(うち)に絢(けん)らんと冬の楽(がく)充つるのみ                                『朝狩』
  樂興(がくきよう)の刻(とき)は来にけり犇(ひしめ)きて花にしせまる硬葉(こわば)たのしく
  樂興のとき去りにつつ夕ぐれのたてがみ庭にみだれ乱るる    『眼底紀行』
  管弦のあめいろの音(ね)におびき出されて わがこころ優しければか遭う挟み撃ち
  日曜という空洞をうずめたる西欧楽(せいおうがく)のかぎりなき弦(げん)
                                   「天河庭園集」
  ピアノとはおどろくばかりみだらなる音連(つ)らなめて夜半(よわ)をわたれる
  
 突然氣がついたことがある。岡井隆の語る部屋。部屋とは何か。〈個〉の身體的、精神的空隙(トポス)。時閒の暗箱。思索の容器(うつは)。ときに房内、男女の睦びの胎内。

  部屋をかえ椅子かえてなお読みがたし炎えわたりたるこの午すぎを『眼底紀行』
  八偶(はちぐう)にあわきかげりを置きながら部屋はありありとわれを擁(いだ)けり          
                                   「天河庭園集」

 最後は岡井の雄性、丈夫(ますらを)振りと男の不條理について。

  藻類(そうるい)にしきり逢いたく雪の来る半時間前巷にいでつ 『朝狩』
  怒りつつ垂鉛(すいえん)をまたおろすかな遠き底辺の白微光(はくびこう)まで
                                   『朝狩』
  火を焚いて男高わらう小路あれ満たさるるなき夕ぐれを行く   『眼底紀行』
  男とは常(つね)惹かれてよあさつきの朝粥の舌刺せば憶おゆ  「天河庭園集」
  飛ぶ雪の碓井(うすい)をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ
  欲望のささくれ立ちて声もなき群青(ぐんじよう)くらきまで煮つめたり
  此のあたりをかぎりなくかぐわしくせよ掻き立ててもかきたてても寂しがれば
  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う
  騒ぐなら国のかたぶくまで叛きてむ直腸に鉛沈めて

    *
 
 さていよいよこれからが本題である。前囘末尾で觸れた『岡井隆歌集』の「書誌的解説とあとがき」の「或る私的事情」について觸れなければならないのだが、怠惰な評?に時閒の切り賣りが可能とあらば、いま一度の延命を圖り次の機會を期したい。  (未完)

短歌相互評36 鷹山菜摘から 森本直樹「からっぽ」へ

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森本さんは私と同じ未来短歌会の方で、年齢も近いことを今回知りました。相互評を担当できて嬉しいです。

眠りたくなくて来ている喫茶店のケーキケースの下段からっぽ
閉店が近いのだろう。ケース下段のケーキたちは既に売り切れたか、片付けられてしまっている。カ行の連続のメロディにのせて、どんなケーキがあったのか想像させられる。連作「からっぽ」で展開する世界は、眠りたくないときに来るような、この喫茶店が出発地点となる。

ブレンドコーヒーフレッシュなしと書かれたる伝票用紙が折りたたまれる
いちばん文字数が多いために目立つ一首。破調部分は店員が注文内容を読み上げるように一気に読みたい。「ブレンドコーヒーフレッシュなし」という、短歌に使うには長い言葉だからこそ、伝票の折りたたまれている様子が表現されている。

シャッフルで流れる曲のあいみょんの愛称なんだと思っていた名前
これはそのまま「わかる」歌(私もアーティスト名と曲のイメージの差に驚いたひとり)。事実を知った以前・以後の自分ははっきり分かれてしまう。その分断を、偶然に曲が流れたとき噛みしめている。もう戻れない過去がある。

パチンコ屋の前に並んでいるうちの一人がマンホールを撫でている
実際にその光景を見たらぎょっとするはずだ。道路掃除でもないだろうし。験担ぎか何かでそういうのがあるのか。並んででもパチンコ屋に行く人の世界を目撃してしまった。

ペットボトルを捻り潰せば手のひらに浅くくい込むいくつかの尖り
普段のペットボトルは手にやさしい形なのに、ひねりつぶすと確かにバキバキになる。それでも凶器とはなり得ない。「浅く」を逃さなかった、手の感覚が敏感であることがわかる。

コインランドリーの手前のごみ箱にやたらと捨ててあるレジ袋
似たような場所を知っている。ごみを入れたレジ袋がたくさん捨ててあるのかと思ったが(地域によっては指定ごみ袋でなくてもいいところもある)、中身のないレジ袋自体が山積みになっているのかもしれない。人間がつくった便利さに人間がついていけていない世の中。どことなく全体的に白い歌。

古着屋の暗やみに立つマネキンがあまりに痩せているような気が
このマネキンはかわいそうなマネキンなのだろうか。それとも古着屋だから、暗いから、そんな気がするだけなのかと自分の感覚を疑う。「暗やみ」の表記にこだわりを感じる。

いつの間にか小雨が降っているなかの私の肩にシャツがはりつく
指を鳴らし損ねてしまう短めの息継ぎほどの音を残して
なんとなくうまくいかない毎日。現実に負けそうなとき、現実との間にすこし距離をとって、非現実感を混ぜることでほんのり夢をみているような感じ。連作の中の主人公として、そうやって人生に立ち向かっているんだな、という人物像が見えてくる。

コンビニの前に立ちたる逆光の人が誰かに手を振っている
私は大学時代にコンビニでアルバイトをしていたので、コンビニ関連の楽しい短歌が好きだ。姿のよく見えないふたりがコンビニで集合なのかコンビニで解散なのか(どちらもよく見るし、私もする)、どちらにせよほっとするやりとり。それを見ている、自分。「逆光の人」も「誰か」も、自分を含む誰もがそうでありまた誰でもない、というイメージが「コンビニ」の言葉に託されている。

好きだった音楽が耳に馴染まないそんな時間が来る、唐突に
私の翼であったはずのものたとえば自転車あるいは珈琲
外部を描写する歌が多い中で自分自身の変化も描かれる。変化に気づいたときにはもう、既になにかが始まってしまっている。ケーキケースがからっぽだったことを思い出す。

鍵穴に鍵を差し込むひとときに傷つきあっている音がする
生ぬるい水道水にむせ返る気恥ずかしさが溢れるように
フライパンの底に圧されてたわみたる青白い色の炎を思う
帰宅してからも日常的な行為を冷静に捉え直している。鍵に暴力のイメージを重ねることはしばしばあるが、それは一方的なものではないと表現するのがこの主人公のパーソナリティである。むせるときのあの苦しさも、気恥ずかしさが溢れる現象だったのかと納得してしまう説得力がある。普段の暮らしの中で、自分にコントロールされている炎にひそむエネルギーを思うときの、何かが起きてしまいそうな予感を「思う」にとどめて連作は終わる。

すてきな作品でした。「からっぽ」というタイトルで、明るい言葉も出てこないのに、むなしさはない。逆に「いっぱい」になっていては何も出入りする余裕がなくて、これからを生きていけないからでしょう。からっぽなのは、地味な現実の先にある、これからやってくる運命を迎え入れるためだと受け取りました。私も人生の過渡期にある人間です。そのような境遇の主人公が、本人は気づいていないかもしれないけれど、自身の内部で静かな思いを燃やしていて、希望を感じられる連作です。

週末は冷蔵庫がからっぽな鷹山菜摘より
森本直樹様「からっぽ」によせて

短歌相互評37 森本直樹から鷹山菜摘「時空」へ

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おかえりと言うように気をつけている あなたの来る日は靴もそろえて

あなたの来ない日であっても、おかえりと言うように気をつけている。どのタイミングでかと言えばおそらく帰宅してすぐなのでしょう。ただし、普段靴は揃えない。
あなたが来る時は、一緒に玄関に入り、おかえりと言うのでしょうか、その後に靴を揃えて。
関係性が見えて面白いと思いました。


終わったよ 頭をなでる触れかたで眠りを白いシュレッダーにも
シュレッダーかけるべきものかけ終えて私の統べる部屋は清潔

終わったよ、は自分に対してもシュレッダーに対しても。ボタンをしっかり押すと言うよりはタッチパネルみたいな微かに触れるだけで反応するような、そんなシュレッダーを思いました。
そして、シュレッダーをかけるべきものとは何でしょう。具体的なイメージはまだわいてきませんが、シュレッダーにかけられるものはみな過去のもので。それら全てがなくなることで、清潔さを取り戻す。それは部屋から不要なものが減ったというより、過去の清算を終えた今、現在の私の清潔さでもあるのでしょう。
 清潔な部屋で、清潔な現在の私は眠る。


生理中一応ひかえていたものを食べるよろこび、本能的な

一応、程度なので食べようと思えばいくらでも食べられたでしょう。それでも食べずにいたのは理性によるものでしょうか。生理が終わり、我慢をせずにすむことも本能的な喜びであれば、好きなものを食べることも本能的な喜びで。


「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所

お墓、相続税というのは不思議なもので。近しいものの死と生きている私との間にあるどこまでも現実的なもの、とでもいいましょうか。蛍光ペンで引かれた線は、特筆すべき事項を分かりやすくするもの、というだけでなく。生きている私にとって決して遠い位置にいない死を輪郭づけるもののようにも思えるのです。


なんとなく映画が観たいなんかいいやつがないかをググる なかった

なかったんかーい! とツッコミをいれたくなりますが、よく分かる感覚で。映画が観たい、それもシネマで。しかし観たい映画がないけど観たい。もしかしたら、映画が観たいというよりは、映画館という日常から切り離された空間に身を置きたいのかもしれません。


Cセットサラダとスープ昼食を抜いた日だけの帳尻合わせ

昼食を抜いた日は晩御飯にサラダとスープがついたセットを追加で頼む。
二句目までの名詞をとつとつと重ねた感じは、言葉足らずで気になるような。あるいは帳尻合わせのルーティーンとして、食べたいかどうかも関係なく頼む無感情さのようにも思えるような。ちょっとした危うさも感じました。


帰り道そっと車がすぐ横に 私あのとき死んだのでしょう

車が横を通り過ぎるとともに感じる風。ふっと、自分の魂が持っていかれるような。不思議な感じに死を重ねたように、想像しました。
横にの後に隠されているのは、(来る)や(いる)みたいな言葉かな、と思います。車が自分の近くを通り抜ける時の、車が自分の横に来たその瞬間に、何かのスイッチが切り替わるような。「あの時」と「無数の死」を越えて今の私はいるでしょうか。


カレンダーアプリを月曜始まりに設定するよそれだけの夜

月曜始まりか日曜始まりか、それを変えるだけで今までの自分の中にあったスケジュール感覚とでも言うべきものが全てずれ込んでしまうような気がします。
今まで日曜始まりでやっていたのを何らかのきっかけで月曜始まりに変えたのか。あるいは、新しくいれたカレンダーアプリが日曜始まりだったので正したのか。
なんとなく前者に思えてならないのです。自分の感覚が狂うようなことに対しても、それだけのと言ってしまえる夜。


誰のことも心配せずに玄関のタイルを磨く真昼 まぶしい

タイルも昼の太陽も、そして私の心もきっとまぶしい。
そして、こうも直接的に「まぶしい」と言われてしまうと、どうしても影の存在を深読みしてしまうことをお許しください。

一首目の「あなた」以降で初めて、「誰」という他者を現す言葉が出てきました。

おかえりと言うように気をつけている

という一首目の上句。これはあなたが来た時にちゃんとおかえりといえるかなという心配があったのでしょう。そして、今、おかえりと言っていたであろう玄関で誰のことも心配していない。
この連作の時間軸の中であなたとの関係の変化を感じてしまいました。
もしかしたら、シュレッダーで清潔にしたものとは、カレンダーの設定を変えたのは、もう一度連作を読み直していった時に、いくつもの考えが新たに浮かんできます。


生きることや生活に関することには、一歩引いたというか理性的で。あるいは人為的な潔癖さとでも呼べそうな感覚が存在しているように思えました。一方で死にしては漠然とながらも手触りが生な感じで伝わってくるようでした。
最後に、一番好きだなと思った歌は、

「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所

でした。ありがとうございました。

短歌時評第144回 空白と時間 魚村晋太郎

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 昨年刊行された加藤治郎歌集『Confusion』とつい先ごろ刊行された吉田恭大の『光と私語』を中心に、視覚詩=ヴィジュアル・ポエトリーとしての短歌について考へてみたい。「加藤治郎歌集」と書き「吉田恭大の」と書いたのは、加藤の歌集の背表紙には多くの歌集がさうであるやうに書名の上に小さく「歌集」と書いてあるのに対して吉田の歌集の背表紙にはその文字がないからだ。背表紙だけではない。吉田の『光と私語』には扉にも目次にも「歌集」の文字はない。あとがきでは「この本と、歌と、暮らしに関わってくれたみなさま」とあへて「歌集」の語を避けている。意地悪くこの一冊が歌集であることの物証をあげるとしたら奥付に小さく印刷された「塔二十一世紀叢書333」の文字だけである。
 さて、昨年5月に書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一冊として刊行された加藤治郎歌集『Confusion』である。歌集を手に取つたときの第一印象は、肯定的な意味での「やられた」だつた。今までの現代歌人シリーズの装釘と印象がまるで違つた。恰好よかつたのだ。しかし読みはじめると当惑もあつた。
 『Confusion』と『光と私語』の装釘・レイアウトは、どちらも山本浩貴+h(いぬのせなか座)が手掛けてゐる。
 いぬのせなか座について私は彼らがHP(http://inunosenakaza.com/index.html)で発信してゐる以上のことを知らない。山本浩貴+hとはその集団のメンバーで、山本さんとhさんの二人組らしい。書肆侃侃房のHPの『Confusion』のページには「いぬのせなか座プロデュース。レイアウト詩歌の世界」とある。レイアウトされた詩歌であると同時にレイアウト自体も詩歌である、といふことだと受け取つた。読んでゐない方には紹介するのが難しいが、ページの中の短歌のレイアウトが上だつたり下だつたり、連作によつては横書きだつたり、横書きと縦書きが混在してゐたり、レイアウト自体が表現になつてゐる。
 私が『Confusion』を読みながら感じた当惑はいくつかの要素から生じたものだと考へられるが、まづ単純に歌が読みにくいといふことがあつた。もちろん、『Confusion』といふタイトルが示してゐるやうにある種の混乱はこの歌集のテーマであるし、それはおそらく2015年に強行採決された安保法案成立前後の国内の緊張やその時期の作者のこころの動揺を反映したものだらう。一冊の書物としてそのレイアウトは刺激的で美しいかも知れない。しかし、読者との関係に重点をおいて考へるとき、読みにくさと引き換へにどれほどのものがそこから生まれたのか私には疑問もあつた。
 たとへば「平和について」といふ連作には「二〇一五年七月十六日、安全保障関連法案が衆議院本会議で可決。」といふサブタイトルがあり、テキストからは法案可決前後のひりひりした思ひが伝はつてくる。

 どちらの言葉も、醜いことがたまらない牛肉石鹼 美しい歌をだれかうたってくれないか
 コメダのマメを持ち帰る 官僚の夏は長く平和祭前夜祭
 コメダのコーヒー・トースト・ゆで卵の聖三角形 きみたちはみな傭兵志願者だ
 天国介護ホーム牛肉石鹼最後まで使い切り首相の哄笑

 17首中、巻頭の4首をレイアウト抜きのテキストとして引いたが、作者の違和感や動揺はすでに破調や字余りに表れてゐる。それが一応横線で区切られてはゐるものの、ななめにつながつてゆくやうにレイアウトされてゐて、後半には初出では詞書風に添へられてゐた俳句2句がはさまれてゐることもあり、歌集で読むと短歌の連作といふより散文詩のやうな印象があつた。
 『Confusion』で私が最も歌を読むよろこびを感じたのは短歌の部分の終はりに近い「ヘイヘイ」といふ連作である。引用しようと思つたが、初出がこの「詩歌句」でありまだ読めるのでURLを附すことにする。

http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-08-05-18644.html

 短歌と挿入される七五調の四行詩の響きあひが絶妙である。やはり一部引用しよう。

   蜂蜜の流れる部屋にきみといるなんに濡れたか分からない髪

  水風呂に夏のひかりのみちていてあなたの指がおへそをさわる

                   つめたい雲がまぶしくて
                   おなかの上におりてくる
                  あたっているのあたってる
                 シャワーの水はくすぐったい

 喪失感を湛へた前半と虚無感のなかで生きる意志を確認するやうな最後の部分にはさまれた引用部分には、性愛のイメージが描かれてゐる。それは遠い記憶のなかのことのやうであり、連作全体に遠い記憶のなかから現在をみつめてゐるやうなかなしみと、かすかな希望のやうなものがうつくしくにじんでゐる。
 初出では文頭をそろへられてゐたものが歌集では文末をページの下にそろへられてゐるものの、この連作ではレイアウトがかなり抑制的に働いてゐる。読みにくく混乱した感のある短歌部分の終はり近くでこの連作に出会ふことで、静謐な希望のひかりが差し込むやうな印象を感じた。単に抑制的なレイアウトだからよいのではなく、歌集全体の流れのなかで、この連作にそのレイアウトであつたからよかつたわけだが、私にとつてもつとも感動した部分がレイアウトがもつともシンプルな部分だつたといふのは、やはりもやもやした気持ちになる。
 加藤、或いは山本浩貴+hの念頭には萩原恭二郎の詩集『死刑宣告』(1925年刊)があつたのではないか。(といふか歌集刊行当時、加藤自身のツイッターに歌集の紹介文として「現代日本の死刑宣告」と書かれてゐるのでまづ間違ひのないところだが。)『死刑宣告』はダダイズムとか未来派とか立体派とかアナキズムの思想とかが詩人のなかで混然一体となつて独自の表現として噴出したものだ。大きさの違ふ活字を組み合はせたり幾何学的な版画や黒い帯やドットなどを使用した視覚詩で、今の言葉で言へば、すげえパンクな感じ。私自身十代の頃、アンソロジーではじめて見たとき、文学でこんな恰好いいことができるものかとしびれた。さらに、『死刑宣告』は関東大震災の二年後に刊行されてをり、その禍禍しいヴィジュアルにはおそらく震災の反映もある。さうしたことも加藤たちの思ひを捉へたのだらう。この歌集全体が『死刑宣告』の本歌取りであるとも言へるかも知れない。いろいろ考へさせられたところもあるが、視覚詩の可能性をひらかうとする果敢な実験であつた。

 ここで、視覚詩としての短歌について考へるために塚本邦雄と岡井隆の短歌を引用しておく。

  塚本邦雄『緑色研究』(1965年)より(3首)

        剣
        の
       醒鞘水
      渇むなに花
     樂くるす漂菖呪
    鏤音花午 ひ蒲は創
  殃るめに饐 死 禁るめの愛
    た悉うわ 血色るに
     くるがの塗の者
      魂地蕾れ胎
       獄睡の
        る
        夜

  岡井隆『E/T』(2001年)より(2首)

梅のすぐむかうに
ふかい闇がある
妻のむかうに

月が
出る
まで


無論
さう
騎乗
する
位置

見る
もの

シーザーも
見た
実朝

見た

 塚本の作品には「死の核を繞るイリスの三首」といふ題がつけられてゐて、右端から縦書きに読んでゆくと「愛の創めに呪はるる者花菖蒲禁色の胎水に漂ひ」、「血塗れの剣に鞘なす 死 の蕾睡る夜醒むる午 わが地獄」、「渇く花饐うる魂樂音に悉く鏤めたる殃」と読める。かたどられてゐるのは、イリス=アイリス、つまり花菖蒲などのアヤメ科の花であり、アイリスが虹彩を意味するところから、瞳のイメージもおそらく重ねられてゐる。
 岡井の作品については解説は必要なからう。北園克衛の詩に1字や2字での改行を多用することによつて縦と横の両方向に読み進めてゆく詩があるが、丁度その縦横を逆にした作りである。
 視覚詩について考へるうへで、私は3本の補助線を引いておきたい。ひとつめは引用の可否といふ補助線である。明朝体で印刷された「死の核を繞るイリスの三首」ゴシック体で引用したら塚本は激怒するかも知れないが、作品の概要は伝はるだらう。岡井の作品についても同様である。しかし、『死刑宣告』や『Confusion』の多くの作品はさういふわけにはいかない。私は詩は原則として引用可能であつた方がいいと考へてゐる。それは、ある意味ですべての詩が先行する詩の引用であると考へてゐるからである。もちろんここで引用といふのは本歌取りに近い意味だ。たとへば加藤の『Confusion』は『死刑宣告』の本歌取りだといへなくもないのだから、違ふ字体で引用可能であるべきだといふ考へは、実際的でない宗教上の敬虔さのやうなものかも知れない。しかしさうした敬虔さが詩歌にとつては結構大切なもののやうにも思ふのである。
 ふたつめはコラボレーションか否かといふ補助線だ。塚本と岡井の作品は視覚的な部分も含めて作者単独の創作である。一方、加藤の作品は前述の通りレイアウトは山本浩貴+hが担当してゐて、吉田の『光と私語』も同様である。これはひとつにはコンピューターやアプリケーションの進化によつて視覚表現の可能性が広がつたぶん専門性も高まつた、つまり餅は餅屋といふことと、いまひとつには現在の作者に「私」のなかに「他者」を呼び込みたいといふ欲求があるといふことがあるだらう。「私」を錯綜させたいといふ欲求である。
 みつつめは、共時的表現なのか通時的表現なのかといふ補助線である。空間的表現、時間的表現と言い換へてもよい。詩歌は基本的に時間を含んだ表現だが、塚本の作品は絵画のやうだといふ意味でどちらかと言へば共時的つまり空間的な側面がつよい。岡井の作品は塚本の作品にくらべると通時的つまり時間的な側面がつよい。そして、岡井の作品は、空間と時間が対立するものではなく、むしろ相補的なものだといふことに気づかせてくれる。文字列の作る空間的なひろがりが、一首目ではゆつたりとした時間の奥行きを、二首目では疾走するやうな時間の躍動を読む者に手渡してゐる。

 吉田恭大の『光と私語』もまた空間的表現がが時間の感覚を呼びこむ幸福な書物である。これから読まうと思つてゐる方は、どうかこの先は読まずにまづ一冊を読んでいただきたい。『光と私語』を読むことは、きつと稀有な経験になるはずだ。私の文章が的を射てゐるかは別として、先入観なく読んでほしいと思ふ。すでに読んだ方と、金輪際読むつもりがないといふ方のみ以下を読んでいただきたい。

 エッジの効いた、といふ言葉はふつう比喩的に用ゐられるが、『光と私語』は文字通りエッジの効いた直方体を思わせる装釘である。内容は3部構成で、第1部と第3部は頁の右端に1首づつ歌が載り、余白にはほんの少し赤みがかつた灰色の矩形や円が端正に配置されてゐる。第2部の部分では第1部の構成が少しづつ崩れて頁のなかで歌が動きはじめる。

  一月は暦のなかにあればいい 手紙を出したローソンで待つ
  PCの画面あかるい外側でわたしたちの正常位の終わり
  恋人の部屋の上にも部屋があり同じところにある台所 
 
 第1部から3首引いた。1首目が典型的だが、時間的なものもふくめたへだたりの感覚、距離の感覚が作者の特徴だと思ふ。2首目、3首目にもカメラを引いてゆく感じ、或いは俯瞰してゆく感じがある。大切なものをあへて遠くにおいてみる距離の感覚によつて、大切なものがそこにあること自体のいたみ、のやうなものが表現されてゐる。
 視覚詩として見るとき『光と私語』のなかで特に印象的だつたのは第2部の「ト」と「末恒、宝木、浜村、青谷」である。「ト」は23首の連作で灰色が地になつた見開きの2頁に白抜きの文字で11首づつ、次の頁に最後の1首がレイアウトされてゐる。基本的に1頁1首、第2部に入つてからも1頁にせいぜい2、3首で進んできた歌集の時間に、せきとめられて深さを増す水の流れのやうな異変が起こる。

  昨日のことはいくらか覚えている。床は白くて床は冷たい。
  部屋を出てどこかへ向かう。戻るとき牛乳のコップを持っている。

  横たわるあなたの上を跨ぐとき、まだ生きていることを確かめる。
  家具を買うことを、おそらく本能的に怖れている、から白い部屋。

 「ト」の左右のページからそれぞれ連続する2首を引いた。連作では同棲してゐるらしい二人の一日、といつても右頁では起きてから一人が出勤するまで、左頁ではその一人が帰宅してから寝るまでが描かれてゐる。「ト」とはト書きのトだらうか。引用2首目のやうにト書きのやうな歌もあれば、1首目のやうに主人公の独白のやうな歌もある。小説でも映画でも、物語は独白のやうな一人称目線とト書きのやうな三人称目線が混在して進んでゆくことが多いが、連作ではその構造を利用して左と右の頁で主人公を入れ替へてしまふ。連作の中でふたりは言葉を交はさない。セックスもしない。ト書きのやうな言葉には、二人の暮らしを作者または主人公自身が、少し引いたカメラで距離を置いてみてゐるやうな印象がある。主人公にとつて切実なのは二人が「家具を買うことを、おそらく本能的に怖れている」といふことである。大切なひととゐて日日に充足しながら未来が見えないといふ状況は、若者にとつて普遍的なことだともいへるし、文学青年らしい主人公ならではのものだともいへる。いづれにしても、時代の生きづらさとかとは、おそらくあまり関係がない。主人公の怖れは先に述べた、大切なものがそこにあること自体のいたみ、と同じ根をもつものだらう。
 「末恒、宝木、浜村、青谷」は見開き2頁の左頁の右端中央に1文字大ほどの灰色の正方形がプリントされてゐるのが基本フォーマットで見開きの左右の端または右端だけに歌が配置されてゐる。何首か引用したいのだが、どうにも引用が難しいので、私が取つたメモの引用、といふ形をとらせていただく。

  158-p159
  風邪の日の水薬がずっと口の中に溜まっていて 長いホームでひと月を
  ずっと待っている
  昼食も朝食もずいぶん食べていない

  [頁をまたぐ空白。左頁右端に小さな灰色の矩形]

  p160-p161
  祝日のダイヤグラムでわたくしの墓のある村へゆく

  [頁をまたぐ空白。左頁右端に小さな灰色の矩形]

                          鎧、餘部、久谷、浜坂

  p162-p163
  風邪の日の水薬が虫歯にしみる 今日から明日にかけての忌引き
  
  [頁をまたぐ空白。左頁右端に小さな灰色の矩形]

            海に沿い小さな港 隧道を抜けるたび小さな船を見る
            暦では水母に埋まる海岸を誰かかわりに歩いてほしい
                         諸寄、居組、東浜、岩美

 連作の冒頭から6頁分のメモを引いた。オリジナルは縦書きである。
 はじめの2頁は私のなかで、読み方がぶれる。「風邪の日の水薬がずっと口の中に溜まっていて」を詞書、「長いホームでひと月を/ずっと待っている/昼食も朝食もずいぶん食べていない」を一首と読むか、或いは「風邪の日の水薬がずっと口の中に溜まっていて/長いホームでひと月を/ずっと待っている」を一首と読み「昼食も朝食もずいぶん食べていない」を下句の変奏と読むか。後者の読み方はイレギュラーであるが、朗読の現場などではそれほど違和感なく行はれるのではないか。次の2頁には1首、その次の2頁には3首とほぼ無理なく読める。もつとも、p158の「風邪の日の…」が詞書だとしたら、p162の1行も詞書として読むべきかも知れない。また、p163の「暦では…」は1行だけで1首の定型をなしてゐるので、添へられた「諸寄、居組、東浜、岩美」はやはり下句の変奏のやうに読むべきだらう。
 およそ15首ほどからなる連作は、家族か親戚の葬儀のための帰郷といふシュチュエーションで詠まれてゐるらしい。らしい、といふのは葬儀自体は描かれないし、家族や親類も登場しないからだ。詠まれてゐるのは帰郷ルートと思はれる山陰線の駅名とさびしい海辺の町の景色だけである。
 連作の冒頭で私の読みがぶれたことはすでに書いたが、2首目についても3句目までの韻律の捉へ方はぶれる。しかし見開きほぼ2頁分の余白をはさんで下句の駅名にたどりつくと「よろい、あまるべ、くたに、はまさか」と綺麗に定型に収束する。駅名は列車の運行順にならんだ4つづつが、とびとびの5首の下句に出てくるのだが、その音数も7・7、7・8、7・7、6・7、8・8となつてゐて絶妙だ。
 連作を読みながら、淡くほどけてゆきさうな言葉や地名がやはらかく定型に回収される感覚を頁をめくるごとに感じてゆく。その感覚が駅名をたどりながら故郷に近づいてゆく列車のなかの主人公の時間の感覚、そしてさびしい海辺の町を歩く主人公の時間の感覚と響きあひ、砂に水がしみるやうに胸に沁みこんでくる。不思議な感覚である。
 ふつう1頁1首組の歌集の場合、たとへば堂園昌彦の『やがて秋茄子に至る』などがさうだが、1首が屹立する印象があり連作性は少しうすれることが多い。「末恒、宝木、浜村、青谷」は20頁に約15首だから、平均すると1頁1首よりも少ないのにゆつたりとした連作の時間が流れてゐるのはなぜだらう。
 ひとつには空白を生かした頁のレイアウトによる効果だ。多くの1頁1首組の歌集では頁の真ん中に歌が配置されるが、『光と私語』の第1部では頁の左端に配置されてゐる。そのことにより歌と空白のしづかなリズムのやうなものが読者に印象付けられる。第2部に入ると歌の配置や頁あたりの歌数に微妙な変化が生じるが、「ト」の3頁を除けば大きな変化はないので、読者は歌集の持つしづかなリズムにのつて、ときにほどけさうになる言葉をむかへにゆき、定型に回収するよろこびを感じるのだ。
 空白は空間的なひろがりであるが、読むといふ行為によつて時間が介入する。散文を読むときでもさうだが、散文よりも詩、詩よりも短歌を読むときの方がおそらく空白は身体的な時間の感覚を伴ふ。実際には短歌の空白はふつう歌と歌の間に等間隔にせまく存在するので、身体的な時間の感覚は顕在化されない。しかし『光と私語』の空白は、第1部では読者が歌集を読みすすめるリズムを統御し、第2部の「末恒、宝木、浜村、青谷」では上句と下句の間に介入して身体的な時間の感覚を顕在化させるのだ。
 『光と私語』はオブジェのやうな装釘の美しさに目をうばはれさうになるが、レイアウトのなかに時間をたくみに呼びこむ構成にこそ目を瞠るべきである。まさに視覚詩としての短歌の可能性をひらく一冊と言へよう。

短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客 中島 裕介

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1.はじめに 1

2.「ミューズ」発言に関連して 2
(1)議論の前提共有 2
(2)想定される反論 3
3.「配慮」と「炎上」について(質疑応答) 4
(1)「加藤が欠いていた配慮とは、『炎上しないように気をつける』配慮だったのか?」 4
(2)「時評の文章(も、場合によってはこの文章も)は上から目線になっていないか。自分を正義の側においていないか」 6
(3)「ハラスメントではないのか」 7
4.「権力」はないのか 8
(1)権力に対する二重三重の誤り 8
(2)問いかけによる忖度への誘導 9
(3)「権力、即、悪」ではない 11
(4)補遺:配慮や想像力の欠如による分断 11
5.ではなにが必要だったか(予定) 12


(以下、敬称略)
長いので、目次をベースに関心のあるところから読んでいただければ幸いである。

1.はじめに


 本件特集を企画し、招いてくださった物部鳥奈に心からの敬意と感謝を申し上げる。
 他方、本件特集のタイトルや内容に干渉した詩歌梁山泊代表・森川雅美と、それに賛同した加藤治郎には猛省を促したい。加藤がいくら詩客の短歌部門の顧問であろうと、加藤が(それも肯定的ではない切り口で)題材となる特集への寄稿者のタイトルに、森川から「個人名や『ミューズ』という名詞を書くな」と制限をかけるとは言語道断である。森川や加藤は「他人に迷惑をかけたくない」と言っているらしいが、それなら最初から加藤が責任の負えない発言(ツイート)をすべきではない。事の発端は加藤にあり、その責任を本特集の記事の執筆者が負うのは全く奇怪だ。また、森川の忖度を受け入れた加藤も同様である。
 加藤・森川の両名は文芸を、政治的・権威主義的に扱い、詩客寄稿者の言論の自由、表現の自由を阻害している。加藤や森川の口出しが受け入れられるならば、現実社会の「政治家への忖度」も「お手盛り」も、どんな不公正でも許されそうなものだ。詩客がこんな不公正のまかりとおる場であるならば、こちらは真っ平御免である。さっさと潰していただいて、他の皆で新しい場を作ろう。せめて本稿が、加藤や森川によって手を入れられることなく掲載されることを願う(なお、両名が本稿に手を入れたならば当然、相応の指摘と闘争をさせていただく)。

「ミューズ」問題は、権威主義という氷山の、水面から出た一角に過ぎない。こういう無自覚な振る舞いが権威主義的だと指摘されたことが、加藤は現時点でもなお、本質的に理解できていないようである。

 なお、「理解できていないようである」と判断する、直近の簡単な事例がこれだ。
中島が書いた「短歌研究」2019年4月号時評に対する、3月20日付けでの加藤のコメントである。
https://twitter.com/jiro57/status/1108347599474417665
>>
こんにちは
拝読しました

フェアな論考です
私は、ここから全力、全速力で出発します
<<
 なるほど、お読みいただいたことには感謝しよう。しかし、当該時評では加藤を問題の当事者として「配慮が足りなかった」と述べている。自らが当事者である記事を指して、他人事のような「フェア」という評価をくだすとは何事か。当人にとって「参考になった」というならば対等な論者として理解できるが、本当に問題の所在を理解し、改善に向かっているならば、「フェア」という評言を用いるのが妥当な状況にないとわかるはずだ。
(なお、4月1日時点で、Twitterにおける、加藤からの中島に対するフォローは解除されている。Twitterのフォロー/アンフォローは好きになさればよいが、どうも加藤の「全力、全速力」には中島の発言は無用のようだ。相手に響かない文章をわざわざ紡ぐことに強い徒労感を感じるが、仕方がない。こちらも遠慮なく述べさせていただく。)
 本稿では、「ミューズ」発言に付随する諸問題の検討と、「ミューズ」発言の後の加藤の発言への批判を行う。

 

2.「ミューズ」発言に関連して

(1)議論の前提共有
「ミューズ」発言の初出ツイートに対する問題点は、「短歌研究」2019年4月号時評に8点挙げておいた。引用しておく。
>>
1.水原に対して「ミューズ」という語を用いたこと
2.1により、短歌におけるニューウェーブは(「女性歌人はいないのか」という文面に対し)女性を含まないと示唆していること
3.大塚を「地方都市の男」と断じていること。
4.大塚が水原紫苑に「イチコロだった」、すなわち何らかの好意を抱いていたと断じていること
5.4を、大塚自身ではなく、第三者である加藤が(真実か否かは別にして)記述したこと
6.地方出身者は(東京=中央に行って「免疫」をつけない限り)好意を抱きやすい、と考えていること
7.6を通じて、中央と地方の〈権力-従属〉的関係を再強化していること
8.加藤が著作権を持たない画像を公に送信したこと
<<

「ミューズ」発言の問題点については、私の時評のほか、川野芽生による「現代短歌」2019年4月号時評や、佐々木遥によるツイート( https://twitter.com/sucrehecacha17/status/1097061288352436224 )が優れた整理となっている。また、本件を検討する上で、北村早紀による「現代短歌」2018年8月号の時評、テクスチュアル・ハラスメント裁判(高原英理によるレポートが分かりやすい http://inherzone.org/FDI/mr_takahara_contents1.html )や昨今のバイトテロ事件などは参考になる。
 加藤の「ミューズ」発言については擁護のしようがない。明らかに配慮を欠いている。

(2)想定される反論
 加藤の「ミューズ」発言の、擁護者からありうる立論はおそらくこうだ――「昔は問題なかった言葉なのだから仕方ない」あるいは「当時を振り返っての記述なのだから、今、用いることは許されるべきだ」と。否、どっちもアウトである。控えめに言っても、現時点で必要な説明や留保が決定的に不足している。
「昔は問題なかった」のは、昔の話だ。いや、むしろ、当時は当時で、問題だと感じ取られていたかも知れないのに、声が上がらなかっただけかもしれない。加藤が「『短歌往来』の記事・ニューウェーブ歌人メモワールのために、当時を振り返っている」のは、今だ。言葉の意味も状況も変わる。
 ましてや、権力論であれ、ジェンダー論であれ、シュルレアリストたちの「ミューズ」観への批判であれ、もう何十年も前に発表された論・思想である。もちろん、なんでもかんでもキャッチアップできるほど、現代の情報量は少なくない。しかし、己の言動について「問題がある」と指摘を受けた後で、その問題について本質的に捉えず、適切に対処もしないのであれば、あるいは、思想をアップデートしないというのであれば、加藤や本件の擁護者がいかに優れた作品を残した歌人であろうと、文芸の第一線からは退かれることを心よりお勧めする。
また、「加藤自身にとっては大切な思い出なのだからそのまま書かれるのは仕方ない」というならば、大切な思い出を自らの裡に秘めておくべきだった。Twitterに書き込むリスクを理解すべきだった。

 あり得そうな反論のうち、論外のものは「加藤だから(これまでの実績があるから、年長だから、歌人だから、選者だから、そういう世代だから、ああいう人柄だから、などなど)許されるべき」という、個人名あるいはその属性をもって免罪しようとするものだ。そういう擁護を述べる者が一人でもいるのだとしたら、私は深く嘆く(2月時点ですでに見かけたので深く嘆いている)。言動と人格の区別がつかない者は、言語芸術に関わらないほうが当人にとっても幸せなのではないか。言動と人格は――個人の中では深く関わっている可能性があるが、だからこそ、社会の中で、あるいは他人が誰かの言動について考えるときには――きっぱりと分け、その上で、人格ではなく、問題ある言動を批判すべきだ。

 

3.「配慮」と「炎上」について(質疑応答)


「短歌研究」4月号時評について、いくつかご質問をいただいた。同様の疑問をもたれる方もあるだろうから、こちらでも回答を整理しておく。

(1)「加藤が欠いていた配慮とは、『炎上しないように気をつける』配慮だったのか?」
結論から述べれば、「正確に言うならば『否』。炎上するかしないかが判断基準になるべきではない。ただし、本来沿うべき倫理的規範が分からない場合には、炎上しないよう行動することも現実的には視野にいれるべき」である。

 まず、「配慮」とは何かを見ておこう。今回のケースにおいて本来的には、
①加藤が水原紫苑や大塚寅彦という個人(その個人が歌人であるか否かは関わらない)に対して配慮すること
②加藤が文芸や社会全体、その歴史に対して配慮すること
③加藤が読者=Twitterのフォロアーに対して配慮すること
の3つの配慮基準があり、第一義的には①や②について配慮すべきだったと考える。

 次に、「配慮を欠いた」とはいかなる事態なのか。2に再掲した問題8点のうち、問題点1及び2については上述の配慮基準②に、問題点3~6については①に、問題点7・8については③に関わる(正確に言えば8はただの法律問題なのだが、問題を単純化するため、ひとまずこう区分しておこう)。
 問題点1及び2について「配慮する」とは、「現今の文芸や社会全体、その歴史に一定程度の理解をし、その倫理的基準に沿って自身の言動や考え方を適宜修正し、適切に行動すること」といえるだろうか。逆に「配慮を欠く」とは「文芸や社会全体、その歴史について理解をしていない場合」「倫理的基準が分からない場合」「言動や考え方を修正していない場合」「適切でない行動をとる場合」のいずれかに当てはまる場合をいう。
 少しブレイクダウンして書いてみると、
 ・「文芸や社会全体、その歴史について理解をしていない場合」:
 元々、ヒトがヒトとして尊重されるべき諸点(私は、大きな括りとしては「先天的諸条件(condition)と、後天的意志」と理解している)が尊重されない状況になるのは、いついかなるときでも問題であることが理解できていない場合(たとえば、性差別やMeToo運動についていえば、積極的に問題を指摘できる環境が整いつつある現在はもちろんのことであるが、当時においても表面化していなかっただけで「問題でなかった」わけではない)。
 ・「倫理的基準が分からない場合」:
 ヒトがヒトとして尊重されない状況が問題であることや、その状況をどのような言動がもたらすのか、当人が認識していない場合。
 ・「言動や考え方を修正していない場合」:
(問題を認識しているとしても)ヒトがヒトとして尊重されるためにどのような言動や考え方をすべきか、自身を省みることをしていないこと。
 ・「適切でない行動をとる場合」:
(問題を認識し、自身を省みているとしても、そうでないとしても)ヒトがヒトとして尊重されないような状況を生み出す言動をしてしまうこと。
 というあたりだろうか。
 問題点3~6については究極的には、加藤と、水原や大塚との、ネットを介した直接のハラスメント(後で詳述する)であり、他人が口を出すべき段階に至る前に当事者間で謝罪等のやり取りが行われるべきものである。
 問題点7や8は、問題点3~6に加えて、配慮基準①だけでなく③にも関わるもので、Twitterという〈公の場〉で述べたことで、結果的に配慮を欠いた=③の配慮基準に反したと考えられる。つまり、件のツイートに関し、問題点3~6は究極的には加藤と水原/大塚の人間関係の問題であることは承知することができるものの、それでも読者・フォロアーは問題点3~6について「もしわたしが水原や大塚だったら、嫌な思いになる」と、問題点7について「地方出身者はみな洗練されていないというのか」と、想像したであろう。そして、加藤の書き振りが、大塚個人の内面や性格に対して断定的に(乱暴に)語るものであったため、同様の目線が加藤から(そして、加藤以外の者からも)向けられるのではないか、という恐怖を、読者・フォロアーに招いた。
 配慮基準③に反したことで、第三者である読者・フォロアーに生まれた恐怖や反発は、①や②について十分配慮できていたならばおそらく生じなかったか、生じたとしてももっと穏やかに済んだだろう。その点で、「炎上するかどうか」が判断基準なのではなく「水原や大塚に対して失礼ではないか、文芸の社会や歴史の理解が適切にアップデートされているか」が考えられていれば十分に避けられた。

 ここまでの点を、①~③の配慮基準にあわせて、単純化に努めて整理すると
①水原や大塚に対して、個人の内面を暴力的に述べたことについて
②昨今の、文芸におけるジェンダーや権威の諸問題、社会におけるMeToo運動に対して、 適切に理解を推し進めていなかったこと、あるいは理解していたとしてもその理解に基づく言動を実行できなかったことについて
③①や②が、ひいては、誰に対しても、暴力的言動や、他者に理解のない言動をする 可能性を示してしまったことについて
という点において、加藤の「ミューズ」発言は問題だったのである。

 他方、もし加藤が、有り体にいえば「何が問題か分からない」ならば、「炎上しないようにすることが配慮」するほうが「(言動として、まだ)マシ」だ。
 先ほど、参照事例として「バイトテロ」を挙げたが、今回の加藤発言にあわせて考えれば、「撮影の有無にかかわらず、バイト先でいたずらしないのは当然であるが、仮にバイト先でいたずらしたとしても、ネットに投稿してはいけないと判断するほうがマシ」なのである。問題あるツイートを投稿した時点で、ネットリテラシーに欠ける。バイトテロを起こした若者が「友達とシェアしたかっただけで、自分のツイートが他人に見られるとは思っていなかった」というのと、加藤が「短歌往来での連載『ニューウェーブ短歌メモワール』のための備忘だった」というのと何が違うというのか。結局、オープンな場に投げかけることの意味の理解と、その際の自律も足りなかったのである。
(加藤が本当に「Twitterという場のリスクを知っている」ならばこうはならなかったのではないか( https://twitter.com/jiro57/status/1097283925418827776 参照))

 ただし、これは一般論であるが、炎上を恐れることのみを配慮基準とするのは間違っている。誰であれ、悪質な魔女裁判のような、見当違いの指弾にまで屈する必要はない。配慮すべき事柄、すなわち、ヒトがヒトとして尊重されるべき諸点――尊厳を、しかるべく尊重しているか否かが肝要である。
 その上で、加藤の「ミューズ」発言、その後のツイート、そして、本特集への介入のいずれもがヒトとしての尊厳、あるいは文筆に携わる者の尊厳を損なっていると私は判断している。


(2)「時評の文章(も、場合によってはこの文章も)は上から目線になっていないか。自分を正義の側においていないか」

 加藤の「配慮を欠いていた」点は、個人的なレベルから文芸や社会全般に関わるレベルにまで、広範囲に至っているが、なるほど、確かに私が直接の被害を受けたわけではない。直接の当事者でない立場から、それでもなお声を上げることが「上から目線になる」というならば、私は別に何といわれようと仕方がない。
 また、「短歌研究」時評においても本稿においても、私は加藤の言動について「正しい」「正しくない」「良い」「悪い」「間違っている」といった表現を一度も用いていない。私自身は「加藤の言動が正しいか否か」が問題の本質だと考えておらず、正義の立場から断定・断罪する意図もない(「正義でない」と断定するならば「正義」の定義・基準が必要だ)。私の人生や言動が品行方正・公明正大だとは全く思っていないし、指摘を受けなかっただけで、「ミューズ」以上にひどい発言を私がしてきた可能性も十分にある(私がものを書くときに自戒や告白とセットじゃないと「上から目線」になってしまうなら、紙幅の決まった記事では、自戒や告白だけで終わってしまうだろう。それくらいの自覚はある。その意味では、私にものを書く資格はそもそもないのかもしれない)。それでも、今は、明らかに客観的に書かれたテクストに則って、「加藤の書いたテクストが他人の尊厳に立ち入っている」と指摘するのみである。
 他人に、己の尊厳へと踏み込まれた者はその場で直接声を上げることができないことがある。今回は、文筆に携わる者の、ましてやその中でも一定以上の知名度を有する者による発言が問題となっている。ならば、私は私自身の身を省み、かつての言動の数々を恥じながら、それでもなお、ささやかながら文芸に携わる者として問題を指摘するほうが公益に適う、と信じる。ましてや私は、(みなさん、ご存じないだろうが)第1回歌葉新人賞で加藤に推されて人に多少知られるようになり、加藤に誘われて未来短歌会に属している。そのような経緯があるからこそ、加藤の、問題ある言動に対して私は誰よりも手を抜いてはならないのだ(そして、そうするだけの憤りが私のなかにある)。
 それでもなお、自分を正義の側に置いているのではないのか、といわれるならば、不徳と文章技術不足の致すところである。己の不明を恥じつつ、私の意図が論拠にならないことを理解した上で、それでも「自らを正義の側に置くつもりはない」と繰り返して宣言しよう。


(3)「ハラスメントではないのか」
 私はこういった社会科学やその実務に関する専門家ではない。あくまで〈素人の私見〉であるが、本件の整理のために述べれば、「厳密な意味におけるハラスメントに当てはまるとは指摘できないが、本件を考える上で十分参考になる」と理解している。

 様々なハラスメント一般に対する「他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること」( https://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.htm )という大阪医科大学ハラスメント等防止委員会の定義は分かりやすい。また、こちらは職場におけるパワーハラスメントに対する定義だが、厚生労働省雇用環境・均等局の「職場のパワーハラスメントの概念について」( https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000366276.pdf )においては「1優越的関係に基づいて(優位性を背景に)行われること、2業務の適正な範囲を超えて行われること、3身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること」とある。
 本件にあてはめて考えれば、前者は「水原や大塚を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること」を指すことになろう。私からは水原や大塚に対してインタビュー等を行っていないので、私にとっては明確ではないが、水原や大塚が「不快になった」と訴え出るならばハラスメントに該当する、と言い得えそうだ。他方、後者に基づけば、加藤と水原と大塚の間に優越的関係を認めるのは難しいため、厚生労働省の考えるパワーハラスメントを援用した考え方からするとハラスメントとは考えがたい。
(なお、余談めくが、短歌結社において、1選者に優越的関係を認め、2業務の適正な範囲が明確であるならば、業務の適正な範囲を超えて身体的若しくは精神的な苦痛を与える事態をパワーハラスメントだと認めることができるであろう。ただし、結社におけるハラスメントが実質的に存在するとしても表立っては見えないように(存在しないことに)なってしまうのは、組織の存在目的や「業務の適正な範囲」が明確でないからだ。つまり、結社という組織そのものの目的や、結社に入る個人の(結社から与えられる)メリット、そこでなすべき事柄が明確でない限り、結社でのパワハラは明らかになりにくく、その存在を客観的に指摘するのが困難になる。この点は、昨年の現代短歌評論賞の論題、及び私の落選作の課題設定にも通じるのだが……)

 ハラスメントよりやや広い視点、「人権侵害」から考えてみよう。たとえば「世界人権宣言」(外務省訳 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html )第二条第一項には次のように示されている。
>>
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
<<
「人権」概念に即して、その侵害の有無を考えると、水原の場合には「性」、大塚の場合には「国民的若しくは社会的出身」について、加藤から差別的な言動を受けた、と見なしうるかもしれない。

「名誉毀損」という観点からも念のため検討しておこう。弁護士ドットコムの説明( https://business.bengo4.com/practices/931 )によれば名誉毀損とは「他人の名声や信用といった人格的価値について社会から受ける評価を違法に低下させること」であるという。また、名誉毀損の成立要件は「社会的評価の低下」と「違法性が否定されないこと」であるという。今回のケースに当てはめて考えれば、「違法性が否定されない」範囲で、(特に大塚について)「社会的評価を低下させた」と言い得そうだ。

 以上、ハラスメント、人権侵害及び名誉毀損の3つの観点から検討した。いずれについても、直接的に当てはめることはできない(また、私がそうするのは適切ではない)のだが、考え方を整理する上で参考になるだろう。

 

4.「権力」はないのか


(1)権力に対する二重三重の誤り
 加藤は「ミューズ」発言に対する反省の過程で、問題を〈延焼〉させている。次のツイートが典型的だ。

>>
権力なんてないよ
少なくとも権力者じゃない
つまり人を意のままに動かす力はありません
短歌研究新人賞や前川佐美雄賞の選考、毎日歌壇の選歌は業務請負です
「未来」の選歌は、無償のボランティア
もともと権力なんて欲していないよ
(https://twitter.com/jiro57/status/1097638286950977537)
<<
 いやはや、ご冗談が過ぎる。加藤のツイートは、「権力」という語に対する認識に二重三重の誤りがある。加藤が不勉強、あるいは時代遅れであるともいえる。

 権力論一般については、このツイートを加藤とやり取りした濱松哲朗が説明してくれるだろうから本稿では詳細を省く。なお、私は、権力論一般については杉田敦『権力(シリーズ 思考のフロンティア)』(岩波書店、2000)を、無償労働(を意味する和製英語としての「ボランティア」)の権力が増大される点については仁平典宏の論文「〈権力〉としてのボランティア活動」(「ソシオロゴス」第27号収録、2003)を参照した。

「権力」=(明示的に何かを命じることで)「人を意のままに動かす」もの、という認識・枠組みがまず古すぎる。また、「人を意のままに動かす」という事態は、人が他人に何かを直接指示することによってのみ行われるのではない。暗黙裡に「人を意のままに動かす」こともできる。

 業務請負だからなんだというのだ。無償だからなんだというのか。わざわざ繰り返すまでもないことだが、「ミューズ」発言も、男性という属性に付帯する(旧式の)権力を行使したものではないか。加藤が列挙した事例だけでも、有償無償を問わず、「選をする」という、権力の典型的発露ではないか。政治家や資本家として人に指示できる関係のみを〈権力〉と呼ぶのではなく、「世に出ることばやヒト」を選ぶことで「世に出ないことばやヒト」を区別できるのもまた権力である。
出版社が新人賞を開催し、特定の歌人が協力するというのは、出版社とその歌人たちが新人賞受賞歌人に対して権力を再分配することに他ならない(だからこそ、ある一部の歌人が自主的に集まって賞を行う、という権威主義的な振る舞いに対しても、私は賛成しない。せめて、責任ある主体(法人・個人)が明確に決まっていなければならない)。新人賞受賞歌人を選び、その者の歌に〈声〉を与えるということは、受賞歌人以外には〈声〉を与えないことでもある。それでもなお、出版社から付与・貸与された、〈選ぶ〉権力を行使するのが選考委員なのではないのか。選者なり選考委員には、その権力を行使する事態に注意深くあってほしい。

(2)問いかけによる忖度への誘導
 同様に、加藤の言動のうち、
https://twitter.com/jiro57/status/1097128644281954305
「文学とは何か」
と、聞くだけ聞いて、自分では答えていないあたりは、高圧的に見える。すなわち、加藤が問いかけることによって、加藤の望む回答を忖度させ、そちらへ誘導しているような感覚を受ける。加藤のそのような問いかけに対して、加藤の文学的経歴から、「自分が間違っているのではないか?」と忖度してしまった人もゼロではないだろう。

 中島に対しては加藤から「岡井隆の一連の回想録を読んでいますか」( https://twitter.com/jiro57/status/1097141761728602112 )「あなたは「短歌往来」の「ニューウェーブ歌人メモワール」を読んでいますか」 https://twitter.com/jiro57/status/1097142351917510656 )といった問いかけが行われた。中島からは「前者に対しては「岡井さんの「挫折と再生の季節」「私の戦後短歌史」は何度も読んでいますが、それがどのように影響するのでしょうか?」( https://twitter.com/yukashima/status/1097142453889421317 )と、後者に対しては「読んでいます」( https://twitter.com/yukashima/status/1097142511082983425 )と答えている。加藤はその一環で、
https://twitter.com/jiro57/status/1097151763621105664
>>
ありがとうございます
岡井隆はかなり踏み込んで書いています
それが私の規範です
<<
と返信している点から、どうも「ミューズ」発言を「文学」の一環として捉え、加藤は岡井の回想録のように許容されるべきだと考えていた節がうかがえる(ただし、これは加藤からの「回答」とは言いがたい。「コンビニとはなにか」という問いかけに「私が買い物をしているところです」と答えるようなものだ。せめて「主に長時間営業をしている、食料品や日用雑貨を扱う小規模店舗」くらい、文学についても回答してほしい)。
 私は加藤への返信で
https://twitter.com/yukashima/status/1097152119876907008
>>
はい、相応の批判はあるでしょう。他方、書籍とツイートでは問題の位相が異なって見えます。
<<
と、加藤のツイートと岡井の書籍とでは、問題が異なって見えることを指摘した。岡井が過去を回想する書籍は、女性蔑視的な過去の言動に対する言及があったとしても、書籍の文章量ゆえに、現在の視点での告解・懺悔的な側面が現われる(そういう側面が現われると期待されているからそう読める部分も多少はあろうが)。それに対して、加藤がツイートに、岡井の回想と同じだけの、告解・懺悔的な側面を入れただろうか。それこそが、まさに加藤は、回想する際に「(岡井は行った)配慮を欠いている」のである。
それは「文学」以前の、「言葉を発するとき」に求められるべき配慮である。上述のやり取りの最初に私は以下のように書いている。「ミューズ」発言の問題の枠組みとしては、私は今もこのツイートで最低限度説明したものと認識している。
https://twitter.com/yukashima/status/1097139304474632193
>>
加藤さん、「文学とはなにか」に答える、それ以前の話題です。同じ文章が、あるいは完成版が「往来」に載っていても同じく燃え上がるご発言です。回顧する以上、なんらかの時代の変化があるわけで、その変化に対応されていないものと思います。(あとは公の場で書きます)
<<

(3)「権力、即、悪」ではない
 当然のことだが、「権力、即、悪」といっているのではない。本節は単に、「自分は権力がない」と述べている加藤の、その不見識を指摘しているのみである。
 広い、現代的な意味での「権力」は厳然として現実に存在するし、必要となる場面もある。今回、「詩客で原稿を書く」という権力が私にだって付与されている。それゆえに、「自分に権力があるかないか」でも「誰が権力をもっているか」でもなく、「自分が権力をもっているとすればどのようなものであり、それをどのように行使しており、今後どう行使すべきか」に注意深くなる必要があるのだ。
 想像力についても同様だ。本件において問題となるべきは「加藤に想像力があるかないか」でも「加藤の想像力が働いているかいないか」でもない。「加藤が想像力をどのように行使したのか、今後どう行使するべきか」である。

(4)補遺:配慮や想像力の欠如による分断
 気が進まないものの、一応指摘しておく。加藤の今回の言動を批判した者の中にも、加藤と同様に、配慮や想像力を欠如したツイートが散見された。一例として、未来短歌会の岸原さやのツイートを挙げる。長年、写真家・荒木経惟のモデルをつとめたものの、荒木に尊重されなかったKaoRiによる告発記事やその紹介ツイートを引用しての発言である。
https://twitter.com/sayasaya777/status/1097129983372193792
>>
ミューズという語がなぜ今日び否定的なニュアンスで受け止められるのか、そのもっとも酷い実例を見れば理解がすすむかと思います。これは1万人以上にリツイートされた記事です。
こうした忌避感がひろく共有されてる時代なんだということを男性歌人は学んでほしい。
<<(下線中島)
「ミューズ」に関する劣悪な事例としてKaoRiの記事を挙げるのは十分理解できる(私も「短歌研究」時評で同じようにした)。しかし、「男性歌人は学んでほしい」と、男性歌人にのみ権力がある、あるいはマジョリティであるかのように述べることで結果的に別の問題を生んでいる。男性歌人が学べば事足りるとでもいうのか。女性(と自認する)歌人は己を省みる必要はないかのように読める。また、男性/女性に区分されないセクシャルマイノリティの歌人の尊厳へと(意識的であれ無意識であれ)立ち入ってしまってはいないか。岸原は加藤を批判しているかに見えて、結果的に別の分断と差別を生んでいるのである。
 岸原のように今回の問題を「ミューズ」という単語を使ったことそのものに矮小化させてはならない。権力やジェンダー、想像力について、男性が学ぶべきなのか歌人が学ぶべきなのか、マジョリティが学ぶべきかマイノリティが学ぶべきか――否、万人が学ぶべき事柄である。加藤の言動を批判したいなら、それだけを述べればよい。そこに「男性歌人」などという区別と分断をわざわざ持ち込んだ岸原のツイートも、結果的に加藤の「ミューズ」ツイートと同様に、配慮と想像力を欠いている。
 私は「短歌研究」2019年5月号時評で、若手歌人に対してある種の文学運動を期待する旨を書いたが、人間の尊厳に立ち入り、分断を生むような運動であるならば不要だ。私の期待など捨て置いていただいて構わない。

 

5.ではなにが必要だったか(予定)

 現時点で、決着に向けて加藤が今後行うべき振る舞いについて、ここまででも十分に記したと思うが、今回具体的に詳述することは避けよう。必要があれば次回以降に記す。ジェンダーも権力も、私を含めた本特集執筆者からの発言を無視するよう加藤当人が決意するのも、(その結末は、大変愚劣ではあるが)一つの決着ではある。すくなくとも、加藤が、私や他の誰かが書いたとおりの反省を行うのではなく、自らジェンダーや権力について深く考え、当人の言動が改められればよい、と私は考える。
 そして、一般論として、本稿読者が「加藤は問題の所在を十分理解し、適切に反省した」とみなしたならば、それを受け容れ、加藤が再起を図れるようお取り計らいいただきたい。各種ハラスメントを行った者についても、再起の道筋がない状態で適切な反省を促すことは難しく、却って問題の再発を招くケースがあるからだ(セクハラのケース等を参照可能と判断している。( https://www.huffingtonpost.jp/sharescafe-online/metoo-20180508_a_23425156/ など))読者や私が加藤の再起の機会を与えることは、加藤に云々されるまでもない、フェアな態度であろう。
 ただし、私自身は今回に限らず、加藤のジェンダー的不公正な言動や権威主義的な言動に対して、私が未来短歌会に入った2003年以降その都度に、上述と同様の指摘を加藤当人に直接行ってきた――ここでいちいちあげつらうことはしない。加藤はどうもほとんど覚えておらず、覚えている案件についても反省の弁を聞いたことがないが。「ミューズ」発言、その後の発言、本特集への介入だけでなく、同様の過去の言動についても反省がなされない限り、私は問題の終結とはみなさない。

(本稿了)

 

<短歌時評alpha(1) 言葉~想像力と価値観のコウシンを見据えて~>

 ※短歌時評alphaは短期集中企画です。

短歌時評alpha(2) 氷山の一角、だからこそ。 濱松 哲朗

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 2019年2月17日(日)に投稿された加藤治郎氏による一連のツイートは、Twitterを利用している短歌関係者およびその周辺でかなりの話題となりました。単にTwitter上での一騒動というだけに留まらず、既に複数の総合誌の歌壇時評において取り上げられています。時評で取り上げる、ということは、広く歌壇ないし短歌・文芸に関わる者のあいだで共有され考察されてしかるべき事案であると書き手が判断した、ということです。私も今回、この「詩客」でこの件について書くことを引き受けたのも、Twitter上の失言と撤回というだけの話ではなく、より広く深い視野からこの問題について考える必要があると私自身が判断したからです。

 実は私は、加藤氏の例のツイートがあった当日から翌日にかけて、Twitter上で加藤さんご本人へリプライを送り、直接的かつ公開の状態で、発言に対する批判を既に行っています。私の批判の論旨は現在に至るまで変化はありません。そこで、この文章では敢えて事態の概観を把握することよりも、私自身がその時にどのように考えて批判を行ったのか、という私記録的な視点から、実際のツイートを引用しつつ開示してみようと思います。つまりこの方法は、加藤氏の「#ニューウェーブ歌人メモワール」のツイートや「短歌往来」での連載に近いものです。今回の一連のツイートで、加藤さんは30年前の回想であることを強調していたように感じました(そして、そこにも問題はあるのですが)。敢えて同種の方法を採ることで、メタ的な批判と、批判に基づく実践を試みます。

 ただ、正直なところ、私はもうこの件について、口にすることにも考えることにも疲れ切ってしまった上に、後述する理由もあって、一時は依頼を断ろうかと思いつめたりもしました。それでもこうして書き、文章を公にすることを選んだのは、「不平等について語るとき、不当な経験から感じ取った感覚がどんな統計よりも正確に示すことができる」(イ・ミンギョン/すんみ・小山内園子訳『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』タバブックス、2018年)という言葉に賛同する意志が私の中にあるからです。繰り返しになりますが、ここに記したのは、筆者にとっての今回の経験の実情であり、経験や回想を書くという行為に対する批判的実践です。

 なお、水原紫苑氏を「ミューズ」と形容し、大塚寅彦氏を「地方都市の男」と呼んだそれらのツイートの問題点については、川野芽生氏による「現代短歌」4月号の時評、および中島裕介氏による「短歌研究」4月号の時評に簡潔にまとめられていますので、ぜひそちらを参照して頂きたいと思います(付け加えると、このお二人の時評は、時評という枠組みを超えて広く共有されてしかるべきテキストだと考えます。掲載誌が最新号でなくなったタイミングでWeb上に公開する等して、お手間でも読者からのアクセシビリティが高い状態にしておいて頂きたいと勝手ながら思います)。

 

    *

 

#ニューウェーブ歌人メモワール

 

水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった

 

穂村弘、大塚寅彦、加藤治郎、みな水原紫苑に夢中だった

 

凄みのある美しさが、彼らを魅了した

(@jiro57: 2019年2月17日0時58分24秒、水原紫苑氏の顔写真画像添付あり。現在は削除済み)

 

 「ツイートは現在削除されているが、だからといってなかったことにはならない」という川野芽生氏の指摘(「うつくしい顔」「現代短歌」2019年4月号)は、正しい。恐らく加藤氏は、ツイートを削除することで謝罪や反省の意志を示したかったのだと思いますが、残念なことに、「削除」の痕跡は私たちが加藤氏に送ったリプライを辿れば分かってしまうことですし、その痕跡をあの日タイムライン上に居合わせた人々の記憶から消し去ることは不可能です。失言に対する撤回と謝罪そのものがどこかの国の政治家のごとくパフォーマンス化してしまうのは、あまり良いことではないでしょう。私としては、加藤氏にはぜひそのまま残しておいた上で、今回の出来事を折に触れて思い返して欲しかったのですが。

 さて、加藤氏のこのツイートを見た時点で、多くの人は、昨年(2018年)のシンポジウム「ニューウェーブ30年」以来のニューウェーブと女性歌人に関する話題を想起したことでしょう。件のシンポジウムで加藤氏は東直子氏からの質問に対して「女性歌人はそういったくくりのなかには入らない、もっと自由に空を翔けていくような存在なんじゃないかと思う」、「つまり山中智恵子や葛原妙子を前衛短歌に入れる必要ないし、早坂類をニューウェーブのなかに閉じ込める必要もない。天上的な存在として思っています」等と答え(「ねむらない樹」vol.1、2018年8月)、後にほかならぬ水原紫苑氏その人から「加藤治郎の「天上的な存在」という言葉は、葛原妙子を「幻視の女王」、山中智恵子を「現代の巫女」と呼んで封じ込めたものと同じ圧力を持っている」(「前を向こう」「ねむらない樹」vol.2、2019年2月)と批判された、という事実は、当然ながら筆者も知っていました。2月の半ばですから、「ねむらない樹」vol.2はまだ多くの人は手の届くところにあったことでしょう。だからこそ、これまでの経緯を思い出した私による、この件に関する最初のツイートは「懲りてないな、というか、骨の髄まで染み込んだものはどうにもならんのだな、という諦めがもはや大きいな」(@symphonycogito: 2019年2月17日11時26分52秒)という、非常に口の悪いものでした。

 諦めが大きい、と書いたのは、件のシンポジウムからその時点で既に半年以上が経過していたことが念頭にあります。シンポジウムについては私自身も、とっくの昔に「塔」の時評で手短な批判を書き(「自己認識と共通認識」「塔」2018年10月号、ちなみにこの時評を書いたのは8月の中旬、「ねむらない樹」vol.1刊行直後のことです)、シンポジウムの採録をした当の「ねむらない樹」も、次号で東直子氏や水原紫苑氏、川野里子氏らに執筆を依頼して、メディアとしての責任を果たそうとしていました(これを「炎上商法」的だと見ることは勿論可能だし、正直なところ私も少々そんなふうに見ていたのだが、無視を決め込んで無かったことにするよりはましでしょう。裏を返せば、「ねむらない樹」vol.2の特集「ニューウェーブ再考」に対する筆者の評価はそのくらい、ということにもなってしまいますが)。

 つまり、加藤氏にはシンポジウムでの紛糾から現在に至るまで、内省するきっかけと時間は、周囲から与えられたものを含めてたっぷりあったはずなのです。2月中旬ですから、シンポジウムから数えたらもう8ヶ月経っていました。あの時何が問題とされたのか、分かるきっかけはあちこちに用意されていただろうし、これまでにも疑問を投げかける声はあったはずです。にも関わらず、呆れたことに加藤氏は、女性歌人に対する言い回しを「天上的な存在」から「ミューズ」へ言い換えてきた。シンポジウム以降の疑問の声が届いていなかったかのような振舞いに、思わず私も匙を投げそうになりました。

 「ミューズ」という語に含まれる問題については川野・中島両名の時評を参照して、更にそこからシュルレアリスムや現代美術における「ミューズ」の問題へと各々で考察を深めるとして(ここではやりません)、今ここで私が声を大にして言いたいのは、このツイートの「ミューズ」やシンポジウムでの「天上的な存在」という語は、単に語の選択の問題であるだけではなく、その語を導き出した発想やそれを当然のものとして受け入れてきた社会構造の問題であり、そしてそちらの方がより根深く、無自覚なままに拡散され、蓄積されやすい、ということです。それは恐らく、直後に降ってきたこの最大の「爆弾」からも理解できることです。

 

#ニューウェーブに女性歌人はいないのか

 

水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった

 

大塚寅彦のような地方都市の男は、イチコロだった

 

私は田舎者だが、東京の大学に通っていたので多少免疫があった

 

穂村弘は、水原紫苑の電話友達からスタートしたが、たちまち距離を縮めていった 

(@jiro57: 2019年2月17日11時33分59秒、水原紫苑の顔写真画像添付あり。現在は削除済み)

 

 念のため、中島裕介氏の時評の、加藤氏のこのツイートの問題点を列挙した部分を引用しておきましょう。

 

1.水原に対して「ミューズ」という語を用いたこと

2.1により、短歌におけるニューウェーブは(「女性歌人はいないのか」という文面に対し)女性を含まないと示唆していること

3.大塚を「地方都市の男」と断じていること

4.大塚が水原紫苑に「イチコロだった」、すなわち何らかの好意を抱いていたと断じていること

5.4を、大塚自身ではなく、第三者である加藤が(真実か否かは別にして)記述したこと

6.地方出身者は(東京=中央に行って「免疫」をつけない限り)好意を抱きやすい、と考えていること

7.6を通じて、中央と地方の〈権力‐従属〉的関係を再強化していること

8.加藤が著作権を持たない画像を公に送信したこと

(中島裕介「ニューウェーブと「ミューズ」」「短歌研究」2019年4月号)

 

 私からこれに付け加えるとすれば、穂村氏に対する「たちまち距離を縮めていった」という表現も、「イチコロ」や「免疫」と同一線上の認識に基づいた表現と見なされ得るものではないでしょうか。「イチコロ」なんて言葉は、「魔女っ子メグちゃん」(1974-75年)の主題歌の中に化石として残っているようなものとばかり思っていましたが(主題歌しか知らなかったので、東映アニメーションミュージアムのYoutube公式チャンネルで公開されている「魔女っ子メグちゃん」第1話を観ましたが、「家族」と「家父長制」を癒着させて無理に飲み込ませようとする物語を、男性主体の制作陣が「女の子向けアニメ」として作っていた事実そのものがどうにも気持ち悪くて、ちょっと耐えられませんでした)、こうして使用されてみると、なるほど「イチコロ」という語に含まれる意識や互いの視線には、相手に対する性的な意味付けの衝動が潜んでいるように見えかねない。加藤氏はここで、自分自身の回想であることを理由に、水原・大塚・穂村三氏を加藤氏個人の意図する文脈へと巻き込んでいるのである。

 勿論、ツイートに登場する人々は旧知の間柄で、そんな風に言われたり書かれたりしたところで「またまた~」と気楽に流してくれるのかもしれません。ただ、この問題は果たして、密な人間関係であれば許されることなのでしょうか。そうではありません。発言に傷つく相手ではないことと、発言そのものに問題がないことは別の次元の話です。むしろ「またまた~」という態度に含まれた裏の意味を考えれば、親しい間柄であったとしても言葉はいつでも「はたから見られ得るもの」である、ということを想定しておいた方が賢明ではないでしょうか。

 さて、中島氏が丁寧に列挙しているように、「ミューズ」や「地方都市の男」といった語を加藤氏に選択させているのは、非対称的でヒエラルキーを含んだ対立構造の集積です。言い換えれば、加藤の一連のツイートはこれらの非対称的・差別的な構造が内面化され、集積した中から言語化されることによって出来上がっています。このツイートで加藤氏本人の立場は〈男性歌人〉であり、なおかつ女性に〈免疫〉がある〈中央〉側の人間であることになります(そう読み取って相違ないでしょう)。水原氏や大塚氏を、結果的に構造の下位に据え置くことになってしまい、それをツイートによって誇示する結果に至ってしまっているのです。

 こりゃあ黙って見ていられない、と思いました。ここから先、私のツイートも引いていきます。何とか冷静になろうとして、ツイートを3回は書いたり消したりしてから送ったのですが、それでも正直、憤りは隠せていません。

 

@jiro57 いい加減にして下さい。あなたは今、「ミューズ」という言葉で水原さんを殺し、「地方都市の男」という言葉で大塚さんを殺しました。ミューズの写真ならフリー素材なのですか。「男/女」「都会/地方」等、他者をカテゴライズして消費しようとする強者的価値観を晒してそんなに楽しいですか。

(@symphonycogito: 2019年2月17日13時43分32秒)

 

 当人に差別の自覚があったかどうか、悪気があったかどうかは、ここでは一切問題になりません。何故ならこれは、加藤氏個人の問題であると同時に、個人を超えたこの社会の構造の問題でもあるからです。だからこそ私は、加藤氏がこの構造上の問題を把握することは不可能ではないと思ってリプライを送ったし、今でも問題点の共有は可能であると思っています。

 また、構造の内側にいる者からすれば、構造そのものが堅固化していく過程で、構造そのものが抱える問題点を把握するためのメタ的視点それ自体に到達しにくい環境下に置かれることも、考えておくべきでしょう。しかし、今回であれば、「男」や「都会」の側にいることを選ぶことができるものは、構造の外側にいて選択肢を与えられることのない者の苦しみからあらかじめ引き離された上で、自身を構造の内側へ、無意識に安住させていってしまう。

 繰り返しになりますが、注意してほしいのは、構造の問題であるからといって、そこに悪意が無かったら、自覚が無かったら、無意識だったから、個々人の言動によって顕在化した差別の構造は無視して良いというわけでは決してない、ということです。そうした見て見ぬふりをしていた方が生きやすく、この社会では何かと都合が良いでしょう。何故ならその視点が構造によって担保され、保証されているからです。しかし私は、そういう構造由来の差別の助長や温存にはもう飽きてしまった。更に言えば、個人の自覚や悪意の有無を理由にこの社会に存在する差別の構造を許容することは、巨視的観点で言えば、強者の論理の下で食いつなぎつつ強者側からの差別の温存に加担することに繋がることになるでしょう。こちらはもう、その手には乗らない。乗りたくない。世渡り下手と言われるなら、「世渡り」という発想そのものを駆逐したいところです。

 

@symphonycogito こんにちは

 

これは、私の回想録なんです

 

30年前の私の視点で書いています

(@jiro57: 2019年2月17日19時52分20秒)

 

「ニューウェーブ歌人メモワール」は「短歌往来」(ながらみ書房)2018年2月号から連載しています

 

Twitter版 #ニューウェーブ歌人メモワール は「短歌往来」執筆のためのメモランダムやアウトテイクです

 

執筆の指針は、30年前から現在に至るまでの事実、自分の気持ちをありのままに書くことです

(@jiro57: 2019年2月17日20時45分26秒)

 

@jiro57 回想録だから、30年前の記録だから免罪符になるとお考えなのでしたら、まずはその、自分の回想は誰にとっても求められる善きものであるという前提を再検討して頂きたいですね。30年経てば他者への蔑みは時効ですか。回想するなら、過去の差別の再生産ではなく自己反省を書き残すべきではないですか。

(@symphonycogito: 2019年2月17日21時20分28秒)

 

 ここでひとつ付け加えるなら、「他者への蔑み」という言い方は、内面化した差別構造に無自覚である人からすれば、無自覚であるがゆえにぴんと来ない表現だったかもしれません。この時点で加藤氏は非対称的構造を認知していないか、認知していても問題の根幹がそこだと意識していないわけです。私としても批判が下手だった箇所です。

 ただ、当然のことですが、回想であること、メモランダムであることは決して免罪符にはなりません。

 ありのままを書くことは確かに歴史的な価値を持つでしょう。何より私は評論書きですから、当事者の発言は資料として貴重だということを知っています(もっとも「発言」と「回想」は区別すべきだとも思います)。ですが、過去を紐解き、再現前化させることで、当時の差別的構造をも再生産させてしまっては元も子もないし、それこそ加藤氏の意図するところではなくなってしまいます。回想であるなら、当時のみずからを縛っていた構造の諸相について、現在の地点から批判的に述べることも可能であるはずだし、むしろ批判が明示されないままに、事実性のみを優先させて回想を陳列することは、意図せぬ差別の助長や再生産に繋がってとても危険です。

 これは過去の作品の再版等でも起こり得る問題で、近年では過去の作品を再版する際に、差別を助長する意図が無いことと文学的意義を考慮して修正せず収録した旨が巻末に添書きされている例が多く見られます。例えば大和和紀『はいからさんが通る』の新装版(講談社、2016-17年)が刊行された際には、「不適切な表現ではありますが、該当箇所を修正・削除することは、その時代に世間から誤解され、差別を受けた人々がいた事実をも覆い隠すことになります」として、作品の舞台である大正時代、そして作品が書かれ読まれた70年代という「二つの時代に思いを馳せることで当時の社会の空気感や人権意識について考えていただくきっかけとなれば幸いに思います」と記した添書きを巻末に掲載したことが、それこそTwitterでも広く拡散されて大きな話題になりました。

 過去は必ずしも「古き良き時代」ではないのです。懐古趣味的発想は、その時点で認識もされていなかったが厳然と存在し続けていたヒエラルキーを、差別の構造を、時として容易に正当化し、その下で苦しみ続けていた者たちの声を再度無視することに繋がりかねません。大切なのは、回想する現在と回想される過去との対話です。

 

@symphonycogito あなたは、編集者でしたよね

 

30年前の回想録です

そのときのありのままの心情を綴っています

 

文学とは何か

 

あなたは、どうお考えですか

(@jiro57: 2019年2月17日22時43分20秒)

 

 このツイートの冒頭、「あなたは、編集者でしたよね」という部分の意味は追って考えるとして、この私宛のツイートに前後する形で、加藤氏はみずからにリプライを送った複数名に対して、同様に「文学とは何か」という質問を送っています。筆者以外へのリプライの中には「文学の死です/この状況は」(「/」は改行を示す)という言葉も紛れていたので、どうやら加藤氏は周囲からの批判に対して、「そのときのありのままの心情を綴」るという方針を採っているみずからの「30年前の回想録」への、表現の自由の侵害であると感じていたようです。

 しかし、ここでまず考えなければならないのは、複数の対話者に向かって「文学とは何か」という設問のすり替えを行うことで、加藤氏が会話の主導権を握ろうとしているという、更なる立場不均衡の発生についてです。正直な話、ここでいきなり「文学とは何か」と訊かれるとは思っていませんでしたから、こちらもかなり面食らいました。加藤氏のこの態度は、お前の考える「文学」が本当に「文学」かどうか俺が判断してやる、というマウンティング行為と言って差し支えないものです。対等な立場で会話を遂行しようという視点が、明らかに欠如してしまっているのです。

 そして立場の不均衡に関して言えば、私に関しては実はもうひとつのヒエラルキーを課せられていました。それが先ほど触れなかった、〈作家‐編集者〉の不均衡です。

 確かに私は、直近で現代短歌社(「現代短歌」「現代短歌新聞」の発行元)に勤務していた時期がありますが、2018年末をもって退職しています。現在の職場も出版社ではありますが、編集担当ではありません(これ以上のことはプライバシーかつ守秘義務に関わることなので書けません)。この時、「片方は編集者の癖に作家の手を止めるなと申しておるのでそこはもう平行線です」という物部鳥奈氏からのリプライが筆者に飛んできたりもしたが、まさにその通りだったと思います。当然、私もそれに気づいた上でやりとりを続けました。

 

@jiro57 当事者の言葉をある程度敬意を払いつつ受け取る姿勢は勿論私にもありますが、現在の観点からすれば明らかに他者への差別・品定めを含んだ回想を「そのときのありのままの心情」として反省も自己批判もなく記して、果たしてそれが文学でしょうか。少なくともあなたのそれは文学ではありません。

(@symphonycogito: 2019年2月18日08時6分15秒)

 

 その質問に答えることで相手のヒエラルキーに組み込まれてしまうのであれば、質問に答えないでおくことが、身を守る術としては賢明だと思います。しかし、荒っぽいけれどもう一つ手がある。ヒエラルキーの上位に位置するもの、あるいは上位に居座ろうと欲して他者に圧力をかけてきているものを、手短にその構造から引きずりおろしてしまうことです。自分の回想ツイートが批判されたことを「文学の死」と宣うのは、要するに文学とみずからを同一化しつつ権威化していることの証左です。申し訳ないが、こちらはその手には乗らないし、泣き寝入りするほど弱くもない。

 

@symphonycogito こんにちは

私の言っているのは「ニューウェーブ歌人メモワール」全体です

ツイートは、その極一部で、私の水原紫苑論は、これから始まるところです

全部読んでから文学かどうか、判断してください

(@jiro57: 2019年2月18日08時17分53秒)

 

@jiro57 「部分/全体」の話にすり替えるのはやめてくれませんか。あなたが「極一部」だと言った諸々の原稿メモ的ツイートは、仮に「極一部」であるにせよ「全体」の根底に関わる作者側の認識の欠陥が、これだけ批判可能な形で現れているのですから、むしろあなたという人間全体への信頼の問題でしょう。

(@symphonycogito: 2019年2月18日08時26分40秒)

 

 話のすり替え第二弾についての筆者の批判は上のリプライの通りなので繰り返しません。それにしても、今回の件に限らず、「部分/全体」の基準で考えた時に、批判する側が「極一部」を通じて見通す「全体」というものについて、批判されている側の認識が及んでいないケースが多い、というのは何故なのでしょう。

 そんなことを考えつつこの原稿を準備していたら、ちょうど岩波書店の「世界」にぴったりの論考が載っていたので引用します。社会学者の小宮友根氏は、女性表象に関する論考の中で、「特定の文化的・社会的記号やふるまいのコードを用いること、また特定の媒体に特定の仕方で配置することそれ自体の「悪さ」について考える」上で、「女性に対する特定の意味づけを含む表象は、同じような意味づけを含むさまざまな活動のひとつであるがゆえに、そうした意味づけを問題だと感じる者にとっては「ここでもまた」という累積的な問題として経験される」一方、「そうした意味的繋がりを感じない人にとっては(…)「ちょっとステレオタイプだな」くらいに思っても、ケア労働の問題やセクシュアル・ハラスメントの問題において感じられるのと同種の抑圧がそこで累積されているとは感じないだろう」と指摘しています(「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」「世界」2019年5月号、太字箇所は傍点)。要は、みずからの言動が過去に蓄積され経験されてきた様々な差別の記憶を当事者に呼び起こさせてしまう起爆剤の機能を果たしていたことに、その行いこそが差別の再生産と構造の悪しき再構築であるということに、蓄積や経験として捉え得る認識の構造を認知していないがゆえに気づけていない、というのです。

 

@symphonycogito 木を見て森を見ずではありませんか?

私は、経験的にTwitterという場のリスクを知っている

何も調べず、発言者の真意を考慮せず、言葉のイメージだけで発言する

Twitterにはそういう側面がある

 

しかし、あなたがそれでよいのか?

他者の30年前のメモワールに土足で入ってくる

そんなことでよいのか?

(@jiro57: 2019年2月18日08時57分29秒)

 

 ここまで来れば、「累積的な問題」として認識していないらしい加藤氏の口から「木を見て森を見ず」等という言葉が出た時の私の絶望に似た驚きについて、もはや説明不要でしょう。この時、衝動的にリプライを飛ばさなかったのは、みずからの優位を何としても誇示するために躍起になっている(ように見える)相手に対して言葉を砕いたところで、こちらが疲弊するのが目に見えていたからです。

 「発言者の真意を考慮」してほしいのなら、相手に差し出す言葉をもっと慎重に選ぶ必要があっただろうし、「言葉のイメージ」が読み手のうちにどのような差別の構造を文脈として引き連れてきているのかまで考慮するのが、言葉のプロである文学者の仕事ではないでしょうか。差別的構造に無自覚であることが暴かれて、ヒエラルキーの上位にいた自分が平らな土地に引きずりおろされたからといって、それはTwitterという、30年前には存在しなかった機能や技術の仕業ではありません。あくまでそれは、構造の上の方で無自覚に胡坐をかいていた自分のせいであって、たまたま批判されたのが今日、Twitterを通してだったというだけのことなのです。

 しかも加藤氏はここで、筆者を歌人としてではなく編集者として見ていました。編集者のくせに作家の書くものに口出ししやがって、という類の立場不均衡を、あらかじめツイートに滲み込ませ、含ませた上での、「他者の30年前のメモワールに土足で入ってくる」だったわけです。この不均衡の構造を利用すれば、そこに含まれるあらゆる差別を無視した上で自分の一連のツイートの正当性が保証できるとでも思っていたのでしょうか。残念ながら、そんなことはありません。その証拠に、私はもうこれだけの字数を費やして問題点を指摘しているのですから。

 

@jiro57 「ミューズ」や「地方都市の男」という言葉がどんな差別的認識を示しているのか、或いは含んでいるのかについて無自覚であることの方が、言葉という森を見ていないことになると私は考えます。他者の主体性を踏みにじらない方法での回想だって可能だったはずし、そういうものを読みたいです。

(@symphonycogito: 2019年2月18日19時46分52秒)

 

 さて、10時間後の私のリプライに、そこまでの怒りが表立って書かれていないのは、私が退勤してTwitterを開けるまでの間に、加藤氏の手で次のようなツイートが為されていたからでした。

 

ありがとうございます

多くのツイートの中で、やっと私の理解の届く言説に出会いました

今は、自分の無自覚さを恥じています

そして、改めるのにまだ遅くはないだろうと思います

対話のドアは開けておくのが私のポリシーです

(@jiro57: 2019年2月18日18時32分32秒)

 

 このツイートは、佐々木遥氏からの批判ツイートを引用リツイートする形で発信されています(一時期アカウントが非公開になっていましたが、「短歌研究」の時評には名前入りで引用もされています)。しかしながら、「自分の無自覚さを恥じています」という言葉に安心できない理由が、本当に残念なことに、このツイートの中にすら存在していることに、加藤氏は気づいていなかったようです。

 何故なら加藤氏はここで、筆者を含む複数の人物から様々に批判が寄せられていたにも関わらず、ある一つのツイートを「私の理解の届く言説」として選べるだけの優位が自分にあると、相変わらず誇示する形を取ってしまっているのです。これでは、みずからの異にそぐわないその他大勢による批判を批判と見なさず無かったことにしたも同然です。選ぶ者と選ばれる者の立場不均衡が顕在化した状態で開かれた「対話のドア」とは、一体何なのでしょうか(念のために書きますが、この立場不均衡への批判に、選者批判や結社批判の意図はありません。歌の「選」とは別の位相の話です。だからこそ「文学」の話題にすり替えてはいけないのです)。

 

「女性が性差別についてよく知っているのは、運がよかったからでも、生まれつき頭がいいからでもありません。生きていくうちに何度も差別を経験しているからです。だとすれば、どんな差別があるのかを理解するため努力すべきなのは、はたしてどっちなのでしょうか?」

「苦しみに耐えて、努力すべきなのは、あなたではなく「知りたい」と思う側なのです」

「平和な世界に住んでいたのは男性ばかりだったので、そこに戻るという選択肢はありません。うるさい声が聞こえないように耳をふさいで、以前のような静けさを取り戻したいでしょう。ですが、それは彼らに選択できることではありません」

「さて、選択肢は次の二つです。「愛し合うべき」である相手の悲鳴を耳にしながら今まで通り暮らしていくか。男女が勘ちがいではなくほんとうに仲よく過ごせる社会にするため力を添えるか」

(イ・ミンギョン/すんみ・小山内園子訳『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』タバブックス、2018年)。

 

 冒頭でも引用したイ・ミンギョンの著作から再度、幾つかの言葉を引きました。こうした声をこれまで無かったことにしてきた構造の暴力を、その暴力を温存し再生産し続けようとする者を、私は決して容認できません。これは単なる価値観の相違や時代の変化による問題提起ではないのです。その辺をまだ勘違いしている人は、この文章の冒頭に戻って、よりメタ的視点から読み返してみると良いでしょう。他者の価値観を尊重しつつ対話することと、内側で甘い汁を啜り合う仲になることは、決してイコールにはならないはずです。ただでさえ、「歌壇」とか「短歌界隈」等と言われて仮想敵にされがちなのだから(それはある意味仕方のないことでもあるのですが)、せめて風通しの良さを保つことくらいは、常に意識しておいて良いのではないかと思うのです。

 

    *

 

 ところで、この原稿を渋りかけた理由について、書いておく必要があるでしょう。

 この文章を含む今回の企画に対して、「詩客」短歌部門の顧問に加藤氏が名を連ねていることを踏まえた上で何らかの「配慮」をするように、という主旨の通達が「詩客」主宰の森川雅美氏からあったと、企画担当者から知らされたことがありました。原稿依頼時点では「ミューズ問題を考える」だった企画案も、いつのまにか「ニューウェーブ再検討」にまではっきりと後退を見せていた(結局、正式な企画タイトルはどうなったんですか? 決定事項としては今もって聞かされていないのですが)。表立って「ミューズ」と書いて今回の事件(と言って相違ないでしょう)を取り上げる機会を、私も、他の執筆者も、企画担当者も、あらかじめ奪われた上での、今回の掲載なのです(似たような話が最近、早稲田大学の「蒼生」という機関誌でもあったばかりなので、個人的にはとてつもないデジャヴを食らっています)。

 まさか目の前でこんな忖度を強いられるとは思っていなかった。ここまで立場不均衡を強いているにもかかわらず、身に滲みた権力や差別の構造に無自覚で、自分では地位も権力も無いと嘯く。何だこれは。何も分かっていないじゃないか。

 私たちは何故こんなにも傷つけられ続けるのでしょうか。平等を実践する意志のないまま、ヒエラルキーの上位に安住するものから見せかけの「対話」や「議論の場」を与えられたところで、そんなものは所詮、相手の利益として計上されて終わる。それでいて、こちらはいつまで経っても、無視され、葬り去られ、干され得る存在なのです。なのにどうして、声を上げることを強いられているのでしょうか。ならば最初から原稿など書かず、短歌の世界との関わりを遮断してしまえたら、どれだけ平穏な生活が送れることでしょうか。

 ――けれども、何も言わないことで差別の温存や再生産に加担することになる方が、今の私には辛いことなのです。だからこそ、私はこうして書くことを選び、掲載してもらうことを選びました。

 最後に。私は加藤治郎という歌人を抜きに80年代後半以降の現代短歌は語れないと思っています。今後、加藤治郎論は複数の人間によって書かれるべきだとも思います。だからこそ、作家がこうしてみずから公の場で、断ち切れずに残ってしまっている過去由来のヒエラルキーを開陳してしまうことは、作家の現在の評価にも著しく悪影響を及ぼしかねません。最前線に立つ者であれば、常に批判の矢面に立ち続け、自身を解体し再構築し続けていってほしい。あなたは氷山の上に立っていて、私はその氷山の海中に隠れた部分についてあなたに伝えるために、ここまで海を泳いで渡ってきた。こんな願いは後続世代の勝手かもしれませんが、蛇足であったとしても書き記しておきます。

 

<短歌時評alpha(2) 言葉~想像力と価値観のコウシンを見据えて~>

 ※短歌時評alphaは短期集中企画です。

短歌時評第145回 国際タンカ協会の順当な活動 間 ルリ

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INTERNATIONAL TANKA (以後ITと略す)は日本歌人クラブ所属のTHE TANKA JOUNAL(1992~2017)の後継誌として2017年6月1日に第1号を発行した。発行しているのは、国際タンカ協会(International Tanka Society(以後ITSと略す)である。ITSの目的は雑誌の最終頁に英文で書かれているように定型の短歌(和歌)を世界に広めること。そのために日本語プラス多言語で短歌を書いてほしいというものである。自分の作品の発表だけでなく、著名な歌の英訳やスペイン語、ロシア語、フランス語、ラトビア語などへの翻訳も掲載する。ITSに世界各国より送られて来る短歌や俳句に関する出版物の書評も特徴だ。

 

ITはTHE TANKA JOURNALから引き続き投稿してくる各国の著名なタンカ雑誌のエディターやライターの作品を鑑賞できる。例をあげれば、Eucalypt というオーストラリアで最初のタンカ専門雑誌の編集人のMs. Beverley Georgeやカナダで一番古いタンカ雑誌のGUSTSの発行人のMs. Uzawa Kozueなどである。海外会員は現時点で33名余である。この絆はTHE TANKA JOURNALから長年編集長を務めてきた結城会長の人脈によるところが大きい。

 

日本国内の会員も24名で、全国に幅広いネットワークがある。編集人の紺野万里は福井県在住であるが、原稿の提出はほぼ全員がメールで行い、頻繁にスカイプ会議をし、充実した誌面を企画、校正している。

 

また、海外会員が多いため、会費の徴収は多少でも困難がある。多くの会員はpaypalという送金方法を取っているが、小切手で送られてくると換金に手数料がかかる。昨年より会計をしている冨野光太郎は国内、海外に連絡を取り会計処理を支えている。

 

4号より発送業務を三上智子が担っている。海外への発送は印刷所からはできないので、三上氏がひとりで会報を封筒に詰め、国別に分けて郵便局から地道に行っている。

 

ここに会長の結城文の作品をIT 4号より引用する。

 

ベランダの手すりの上よりかたつむり大空をゆくヘリを見てをり

on the railing 

of my porch 

a snail looks up 

at a helicopter

in the great arch of the sky

 

また、編集人の紺野万里はラトビア民話「ダイナ」より邦訳の作品を載せている。

 

<LD4153>

Nevienam nesacīju

Savu lielu žēlabiņu,

Vējiņam vien sacīju,

Tas iepūta ūdenī.

I did not tell anybody

My great sorrow,

I told it to the wind only,

It wafted it into the water.

 

人に言へぬわが悲しみを風にだけ告ぐれば風は水に放ちぬ

hito ni ienu/ waga kanashimi o/ kaze ni dake/ tsugureba kaze wa/ mizu ni hanachinu

 

人には言へぬわが悲しみを風にだけ告ぐれば風は水に放ちぬ

 

ITSは題詠プラザという企画をしてきた。雪月花のうち雪と月を特集した。これは英語で送られてきたタンカを日本語に訳してローマ字表記し、海外の愛好者に日本語の歌の韻律を味わってもらうという試みである。

 

     ☽~~Amelia Fielden (Australia)

Not seeing/the moon or the stars, / I’m happy/in days of sunshine/while you are with me

月も星も探すことなし幸せは

tsuki mo hoshi mo/ sagasu koto nashi/ shiawase wa

日の差す日々に君とゐるとき

hi no sasu hibi ni /kimi to iru toki

 

さらにITSになってより新にチャレンジした仕事としてもう一つ「富士山大賞」が挙げられる。2018年は世界より107通の投稿があり、それをITSのボランティアが邦訳し審査員の岡井隆氏、穂村 弘氏、東 直子氏により選歌される。日本の国内会員も英語タンカと日本語の原作を投稿している。2018年の第1位の作品である。

 

another illness

another unknown mountain

to climb

lighting a thousand candles

in my comfortless room  

  

また増えし病は未知の未踏峰 千の蝋燭灯す侘び住み

Pamela A. Babusci   USA     

 

<総会のお知らせ>

ITSは総会を毎年1回開く。2019年は5月15日(水)13時30分より16時40分まで、新橋「ばるーん」201号室である。参加ご希望の方は  itstanka@yahoo.co.jp    までお問合せください。業務的な事業報告、会計報告他、ITS6号への意見、ミニスピーチ、IT 5号への提言や検討事項を話し合う予定である。

 

 

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