作品 加賀田優子「だるんだるん」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-06-03-18504.html
評者 岡野大嗣
たんぽぽを折るのとすごいわるくちをいうのとではどっちがひどいだろう
一読して、「たんぽぽを折るのがひどいことなのは、すごいわるくちをいうのがひどいことなのと同じ」という意味が頭に響いて、英語の比較構文みたいだな、と思った。「どっちがひどいだろう」と思案しているこの人の頭の中では「たんぽぽを折る」のと「すごいわるくちをいう」の、ひどさ、はニアリーイコールで、「どっちがひどいだろう」には、ひどいほうはやめておこう、ではなく、どっちのほうが相手に与えるダメージが大きいだろう、「≧」あるいは「≦」で少しでもひどいほうを選びたいな、という無邪気な悪意を感じる。
さからっているんじゃなくてみんなただもといた川に戻りたいだけ
加賀田さんの歌では、ひらがなが蠢いているようにみえるときがある。一首目では「折」、この歌では「川」と「戻」。歌をながめたとき、液晶パネルの画素欠損の部分が光ってみえるように、漢字の持つイメージが鮮やかに目に飛び込んでくる。それから漢字はとつぜん磁力をもつ。磁力をもった漢字にひらがなは砂鉄のように吸い寄せられて意味をつくりはじめる。
海がわのホテルの壁をぬりかえるおにいさんたち灰色の服
カメラワークが鮮やかな歌。まず海が映される。そこから左か右にパンされていって「ホテル」、の「海がわ」、の「壁」、まで来て、空間的なひろがりを感じる。次に「ぬりかえ」ている行為が映され、潮風にやられてきた壁があたらしく塗装されていく様子に、その海沿い一帯の時間のひろがりも感じられてくる。その瞬間、カメラは急にズームアップして行為の主の「おにいさんたち灰色の服」を映し出す。目いっぱいひろげられていた時空のふろしきが唐突にたたまれて、この海沿い一帯の時空はすべて「灰色の服」から生まれてきたものなんじゃないかという錯覚に陥る。「おにいさんたち」と「灰色の服」のあいだに助詞がないことは同格関係をより強調していて、この「おにいさんたち」は、特別に塀の外での作業をゆるされた囚人に思えてくる。
運転手さんの鼻歌がとぎれないようにねむったふりをつづける
タクシーの車中だろうか。「ねむったふり」をつづける理由はふたつ考えられる。
A:運転手さんがあまりに気持ちよさそうに歌う鼻歌を、つづけさせてあげたいから
B:運転手さんの歌う鼻歌があまりに心地よくて、しばらくずっと聴いていたいから
どちらだろう。理由はどちらでも、読者が好きなほうを選べばよくて、とにかく、「ねむったふり」が続けられることで運転手さんの鼻歌は子守唄になる。タクシーという密室に甘美な時間が流れ出す。
無理しなくていいよ、いいよ、といいながらまたセックスをしている夢だ
「いいよ」のリフレインが耳に残る。最初と二回目で込められた意味が変わっているように感じる。最初の「いいよ」は許容、二回目の「いいよ」は、気持ちいいふりで発した「いいよ」。ねむった「ふり」がほんとうになって、「ふり」から始まった眠りの中でも「ふり」をしている。やさしい嘘をつきつづけて、この夢には出口がないような気がしてくる。
欲しいものリストにとくに欲しくないものがぽつぽつと混ざっている
「ぽつぽつと」が効いている。自分の知っていたはずの自分は、気づかないうちにぽつぽつと死んでいく。欲しいものリストが「欲しくないもの」で埋め尽くされる日に、自分はいったい誰なんだろう。
なくなった幼稚園には花のさく木ばかり残されていてまぶしい
たんぽぽを折るのとすごいわるくちをいうのを天秤にかけていた子がいたような気がする幼稚園。あいまいな自分の内に存在する「欲しいものリスト」と違って、公共に存在するものは「なくなるべき/残していいもの」が明快な基準で選別されている。
ドアすこしひかってたから開けるときありがとうっていってしまった
どういう状況でこの謝意は口をつくだろうか。ひかっていてくれてありがとう。自分を見失いそうになる暗やみの中でひかってくれていたら。つい言ってしまうだろうな。このドアが、出口のない夢の中でみつけたドアだとしたら、眠りからさめただけなのに何故かうれしくなっているときの気持ちに説明がつくような気がした。
みつ豆の缶でつくったおもちゃにはしばらく蟻がこびりついていた
洗いおとせていなかった蜜は、過去に存在した時間の痕跡。人間には認識できないレイヤーに蟻が群がりこびりつき、過去が現在に追いつこうとする。缶でつくったおもちゃのまわりにだけタイムラグが生じている。
くじけそうな日にきこえてきてしまう秘密兵器をだすときの音
「きく」ではなくて「きこえてきてしまう」こと。不可抗力でそうなっているのではなく、無意識に選択しているのかもしれない。それはただ「もといた川に戻りたいだけ」。くじけそうな自分を、くじけていない自分のほうへぐっとたぐりよせるために、秘密兵器をだす音を「きこえてきてしまう」ように脳みそが指令を出している。
だけど庭それは崩壊寸前の血だまりに似ている花と花
「崩壊寸前の」「血だまりに似ている」は共に「花と花」を修飾して、そんな異様な光景「だけど」それはまぎれもなく庭。「だけど庭」が初句に置かれているから永遠にループできる。何度もループして読むうちに、繰り返しの中で少しずつ拍をずらしながらグルーヴを生んでいくミニマルテクノのように、崩壊寸前の庭は脈打ち始める。崩壊に到るまでの時間が景色を伴って現われては消えていく。
首元も袖口も裾もだるんだるんだるんだるんした服をきてゆく
だるん、の執拗なリフレイン。これでもほんとうはまだ足りない。だるん、は「だるんだるん」でワンセット、「首元」にも「袖口」にも「裾」にも「だるんだるん」が必要だから。「だるんだるん」をまとった私は、どこかるんるんしているようにみえる。「首元も/袖口も裾も/だるんだるん/だるんだるんした/服をきてゆく」(5/8/6/8/7)と、初句と結句に挟まれた三つの句はそれぞれ1音ずつ字余りで、その音の間延びは生地の「だるんだるん」を思わせる。あやとりでつくったゴムの延び縮みを本物だと錯視するあの感じ。
暑いらしい最高気温を一度二度三度くりかえすテレビの声
「三度」まで執拗に繰り返されて、情報としての「最高気温」は意味をうしない、ただのテレビの声になる。
たべものを見ても退屈そうにする動物たちをながめにいこう
はじめは反応していたのかもしれない。けれど、飼いならされてきた巨大な時間の中で、いつしか餌に反応しなくなった動物たち。そこに居ることを忘れているような動物たち。毎日決まった時間にもらえる「たべもの」は、動物たちにとって、欲しくないものだらけになった「欲しいものリスト」なんじゃないか。
口うつしされた輪ゴムがどうしてもどうしても輪ゴムの味がする
「輪ゴムを口うつしされる」という普通じゃない状況でも、輪ゴムの味が輪ゴムの味でしかないという軽い絶望。でも裏返せば、欲しいものも欲しくないものもわからなくなった自分になったとしても、きっと輪ゴムの味だけは確かに感じられる。それは軽い希望だと思った。