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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌評 ぞんぶんに泳ぎまわれる水槽はあるか――奥村晃作歌集『ビビッと動く』を読む 田中 庸介

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 伊那の人、奥村晃作氏は満八十歳を迎えられるがその歌風は厳にして平明、澄み渡った淡水のような写生の王道を行くものである。北原白秋/宮柊二の流れをくむ「コスモス短歌会」の重鎮なのに「写生」とは何事か、と眉をひそめられる読者もあるかもしれないが、氏の標榜する「ただごと歌」の行き着くところは、結局「生を写す」ことであり、このレベルに達すれば茂吉も白秋も関係なくなるのではないかと評者は想像するものである。最新の歌集『ビビッと動く』(六花書林)には、しゃれではないが実にvividな総天然色の風景が展開されており、色の描写の多様さにまずは驚く。

  燃え尽きた黒太陽を車輪としイタリア広場にキリコは置けり
  壁面を描くのみなる中国の揚州の黄なる土の壁面
  白い雲ふわふわ浮かぶ青い空ベルギーの空マグリットの空
  紅梅の花こんなにも紅かった、幹に直接開く花びら

 第一首から第三首は美術展に取材したものであり、それぞれキリコ、原田守啓、マグリットの絵に想を得たものという。第一首「燃え尽きた黒太陽」は、あるいは作者自身の心の暗喩か。衝撃的な叙景の上の句を淡々と抑える下の句がびしっと決まる。第二首は二句切れ。壁面のみを描いた絵という同語反復的な前衛絵画の過激さを「中国の揚州」の固有性で解決へと導く。第三首の上の句「白い雲ふわふわ浮かぶ青い空」は、俳句でも現代詩でもおそらく不可能であるに違いないような、ごくゆるい童謡的な世界に遊ぼうとするものだが、これを「空」を三度繰り返しつつやはり固有名詞でしっかり締めることで、稚拙を装った上の句の遊びが、シュルレアリスムの画家マグリットの、あの書割的な筆触の嘱目でこそあったかのような気にさせられる。手だれの一首である。第四首は王朝の美学をも想わせる実に艶のある歌で、読点が感動の所在を指し示すものである。この読点は本歌集でコレハと思えるところにのみ抑制的に使われており、技法として非常に効果的である。そしてこの「白い雲ふわふわ」や「こんなにも紅かった」は、やはり白秋の流れを汲む作者の本領であろう。
 これらの歌はみな姿がよく、また表現的にも巧みであるが、異様に緊張感がみなぎっている。イタリア広場の車輪、黄色い壁面、白い雲が青い空、幹に直接開く紅梅の花など、原色の世界が蜷川実花の写真のようにぎらぎらと光り輝き、油絵具でぼたぼた描いたような「壁面」「壁面」の連呼が重たい塊となって、読むものの胸をイキナリなぐりつける。以前、異能の美術家、横山裕一氏について書かせてもらったとき、現代美術の《もの派》の初期作品についても考究する機会があったが(「現代詩手帖」2014年7月号)、その展覧会場にごろんと置かれたグラファイトや塩や硫黄の柱のような「もの」の原型としての質感の迫力が、この奥村さんの短歌からも立ち上がってくる。予定調和的な「短歌の私」など、はるか後ろに置き去りにされ、ただ作者の男性的なリビドーと、その生の不安だけが無人の荒野に「もの」の形をとってたちあらわれるのである。茂吉の《私》というのは、結局のところ自己劇化のおこないであって、そこでは人口に膾炙するキャラクターとしての「斎藤茂吉」の姿が自己再生産的に語られていく。中途半端な自己劇化は、読者におもねるものとしてのいやらしさをはらむが、茂吉のようにそれを極限までに推し進めると、読者におもねる自我さえも消滅して「私」が普遍的な人称へと昇華するところまで行ってしまう。だが奥村氏の場合、その自己劇化ないしは自己の客体化をすべてあっけなく廃してしまおうとするような、いっそ幼児的とでもいうべきひとつの潔さによって(以前の歌には「オクムラ」が登場していたが、それも本作では廃止されている)、読者におもねるいやらしさを茂吉とはまた別の道筋によってすっきり回避しようとしている。だから、一見するとこれらは伝統的な客観写生の歌に見えつつも、発語主体を一切客観化しないで突っ張る強靭さの存在がまことに奇特である。短歌定型と己の大常識のみを頼りとし、ごく主観的にわが道を突き進むしかない、というような向こう見ずさの存分な発揮を特徴とした、実験的でパワフルな新しい写生の歌がここに展開されていると言ってもよいだろう。そこに氏の表現の強度がある。
 本作でもっとも作者が力を入れているのは、ある死刑囚の再審請求への想いである。作者はこれを「幽閉の森―死刑囚絵画展」の連作十九首ならびに連作「集会」四首を費やし書き上げている。まず「残忍の殺人鬼Sの共犯として死の刑が確定したり」「夫婦なら仕方がないかクロでなくグレーであろう風間博子は」「井の底で叫ぶ己(おのれ)を直ぐに描(か)く風間博子の絵に打たれたり」「ま裸の己(おの)が姿を描きたる風間博子の雪冤(せつえん)の叫び」と、死刑囚の絵に出会った感動をたたみかけるように語る。さらに「井の底の苦悩の風間博子をば光の界に引き上ぐるべし」「闇あれば光もあるを闇のみに覆い隠せる権力恐る」「十五年戦い続け一旦は負けし博子を救わねばならぬ」など、作者の権力批判の想いがうかがわれるような、一歩踏み込んだ強い語調の歌が続く。
 そうしてみると、さらに連作「京急油壺マリンパーク」でも、なんでもない水族館の情景を詠んだかのように見せる以下の歌、

  跳び芸を見せるイルカと大道の芸人らとの違いは何か
  シロチョウザメ、バルチックチョウザメ計十(けいじゅう)が水清く澄む槽に身を置く
  ぞんぶんに泳ぎまわれる水槽をプレゼントせよチョウザメたちに

は、虜囚の辱めを受けるものたちへの想いの隠喩として読まざるを得ない。「十手」は江戸時代の捕り物道具、「十字架」は磔刑の象徴。第二首の「計十」なる見慣れない漢字熟語には、これらが実に十分に見いだされる。また、第三首の下の句はカタカナ語を多用し、この作者にはめずらしくやわらかい仕上がりのものであるが、読者はここに、短歌形式ないしは短歌結社が「ぞんぶんに泳ぎまわれる水槽」でありえたか、そしてありえるか、というような、柔軟でまっとうな自問とすこしの逡巡の痕跡を見いだしてみるのも面白かろう。
 思いおこせば奥村氏にはかつて超結社の批評会などで何度も机を並べさせてもらって、チョウザメならぬ初心のわれわれにもずいぶんフランクに現代短歌の読みを勉強させていただいたものだが、ご健康とますます自在なる歌境とを心からお祈りしたい。

※引用中、括弧はルビ。

短歌評 千の種を砂と律して丘は一つの創(きず)とならん 竹岡 一郎

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 千種創一の『砂丘律』は、久し振りに読み応えのある歌集だった。作者は中東在住。「この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う。」と後書きにある。特異にして簡易な装丁のことを差し引いても、読みようによっては大した自信だ。何度も読み返す歌集がそれほどあるとも思われない。しかし、読み込んでみて、作者の覚悟のほどは伝わって来た。「ほとんどの連作において事実ではなく真実を詠おうと努めた。」と後書きにある。だから、詠われる真実を読み解いてみようと思う。

 瓦斯燈を流砂のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか

 砂漠の瞑想というものがある。砂漠にテントが立ち、村となり、市場が出来、大路が通り、都市へと発展し、人口が増えて、繁栄を極める。やがて衰退し、人が減り、建物は崩れ、道も絶えて、元の砂漠に戻る。世界には実体がない、という真理を文明の発展と衰退の観点から観想するものであるが、この歌はその始まりのところを、瓦斯燈という少し洒落たモノによってノスタルジックに示している。

 三日月湖の描かれている古地図(ふるちず)をちぎり肺魚の餌にしている

 これもまた先の歌に連なるものだろう。かつてあった三日月湖が、今はない。砂漠のような地勢では繰り返し起こってきたことだ。肺魚は魚の進化形とも取れようが、水から上がらざるを得ない状況に追い込まれた挙句の、仕方ない変貌ともとれる。地勢の流転の一過程をとどめた古地図を肺魚に与えることにより、万物流転の理を肺魚に含ませているようだ。

 閉じられないノートのような砂浜が読め、とばかりに差し出されている

 やはり万物の理を読めと差し出されているように読める。砂浜は海に接する砂漠であり、いわば生と接している死と取れよう。それは閉じられない。なぜなら、あらゆる生々流転は繰り返すようでいて、実は一回性のものであり、無限に広がるノートだからだ。或いは砂の一粒ずつが、無限の個々の生死の一つずつなのかもしれぬ。

 高架下にふたりで埋める雨傘は、傘はそれほど進化しないし

 この傘の骨は、恋の骨、という感じがする。綺麗な骨であるが、骨であり終わったものであることに変わりはない。「高架下」に埋めるのは、多分、相合傘に使われた傘だろう。中学生、高校生の恋の始まりを担うような傘、それがそれほど進化しないのは、恋が古来よりその初々しさをあまり進化させないゆえだろう。進化しない代わりに衰退もしない。高架が進化し重層し、時に中途のまま終わり滅びてゆくのと対照的である。だが、ここで「高架下」を出すのは、やはり置き捨てられたような寂しさが、高架下という舞台で際立つからだと思う。始祖鳥は化石になってから翼を生やしたわけでもあるまいが、傘に関しては「それほど進化しない」との言葉が却って反語となり、傘は化石化してから進化するかもしれぬと思わせる。恋は終わってから、美化されるものだからだ。

 紫陽花の こころにけもの道がありそこでいまだに君をみかける

 紫陽花は七変化と呼ばれるようにその色を変えてゆく。一字明けによって、作者の思いは一旦紫陽花から飛躍して、絶えず移り変わる色を思索する。心もまた移り変わるものであり、けもの道のごとく有るか無きかの道を抱き、そこに未だに見かける君はやはり紫陽花のように絶えず色を変える。記憶の中の恋を懸命に肉化しているかのようだ。

 すすき梅雨、あなたが車列に降る雨をそう美しい名で呼んだこと

 「すすき梅雨」は俳句では季語で、秋霖の異名だ。芒の頃の長雨だが、「車列に降る雨」と設定することにより、雨自体が芒であるような錯覚が起こり、車列は芒の中に置き捨てられつつ走りつつあるような感を起こさせる。福島の立入禁止区域における、舗道に一列に置き捨てられたまま草に覆われてゆく車たちを思わせる。それは文明の唐突な終焉で、ここに詠われる「あなた」も或る透徹した視点で以って、現在の車列に滅びを見ているのか。美しいのは「すすき梅雨」なる呼び名だが、この「美しい」は意味としては「あなた」にも掛かっている。もっと言うなら、「あなた」の眼差しに。


 壜の塩、かつては海をやっていたこともわすれてきらきらである

 別に恋の歌ではないが、何となくその匂いが漂うのは、「わすれて」と「きらきら」のゆえだろうか。深読みしようとすれば出来なくはない。しかし、これは深読みせず、ただ素直に明るい地中海的な陽光を感じていれば良いと思う。と言うのも、次のような容赦ない歌もあるからだ。

 幸せにもいくつかあって、待て、これは塩湖のように渇きの水だ

 多分、殆どの幸せが飲めば飲むほど渇く水であろう。幸せ自体が既に苦を内蔵し、地獄と隣り合わせている。これもまた恋の歌なのだろうか。或いは縄につながれた犬がぐるぐる回るように、絶えず同じ境涯で欲望に渇きゆく状態が、そもそも恋であろうか。人間のあらゆる営みは恋であり、渇きであり、苦を内蔵し、地獄と隣り合っている。ならば、裏切り給え。恋を裏切り給え。恋する事、夢見る事、抒情というもの全てを。

 抒情とは裏切りだからあれは櫓だ櫻ではない咲かせない

抒情に抗しているのか、それとも抒情に与しているのか疑問だが、「咲かせない」とあるから、やはり抒情に刃向かっているのだろう。なぜなら、抒情自体の中に既に、真実から目を背け美化しようとする志向が内蔵されているからだ。その志向を「裏切り」と呼んでも良いだろう。桜は愛でるものであり、仰ぎ見るものであり、(櫻という旧字体を選んでいることからして)古典に寄りかかるものであると取るなら、櫓は見てくれでは無く、兎も角も漕ぎ出だすための物だ。作者は咲かせるよりも進みたいのだ。

 修辞とは鎧ではない 弓ひけばそのための筋(きん)、そのための骨(こつ)

 先の歌よりもっとあからさまに、歌の本質を攻勢のものと捉えている。鎧、つまり守勢のものではない。歌という攻め射かけるための弓、そのための筋骨としての修辞。良い益荒男ぶりである。益荒男とは見てくれで成るものではなく、そう成らなければ死ぬ、という必然性により成ってしまうものだ。
 歌集中には砂漠を行く歌群があり、死の傍らを歩む中でも、特に切実なのは次のようだろう。
 
 (口内炎を誰かが花に喩えてた)花を含んで砂漠を歩く
 生きて帰る 砂塵の幕を引きながら正確なUターンをきめる
 骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな

 これらの歌は単純で情景明白である。肉体が絶えず死と枯渇に晒されているからだろう。砂漠の現実である以上に生の真実である。現実の状況を詠っているようで、実はタンハーという真実を詠っている。タンハーとは、「激しい渇き」というほどの意味で、三世の毒の一つ、渇愛とも貪とも訳されるが、或る意志が(例えば人間ならその魂が)存在する構成要件の一つであり、砂漠に水を欲するがごとき、欲望の激しい渇きを指す。このタンハー(貪)、ラーガ(炎、訳して瞋)、モーハ(暗黒、訳して痴)により、人間は盲目的な存在としての意志を持ち、長夜に輪廻して、苦の本質を見ることがない。一首目、花は実は炎症であり、苦痛の原因である。二首目、渇きの地獄の只中で立ち止まり顧みる。三首目、死の調べを聞き無常を聞く。砂漠という地獄に生まれ地獄に乳呑み育つ定めの駱駝の、死後の歌を。恐らく砂漠の民は絶えずそのようなあからさまな真実を体験し、だから水豊かな島国の民のような夢をあまり抱かない。中東でそのような人々に囲まれた作者が観た風景が次に示される。

 映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる

 映像が悪いとは言い訳であろう。悪くなくったって、血泥の累積は緋鯉の鮮やかさに見えよう。映像を通してなら尚のこと、なぜなら匂いがしないからだ。そして人間は何にでも慣れる。どんな地獄の風景にも。慣れなければ死ぬだけだ。ここで肝に銘じなければならぬのは、現在の日本における平和が、歴史上稀有な異常な状態である事だ。鮮やかな死の匂いとは即ち血の匂いであって、血の匂いは兵を酔わせる。言い換えるなら血に酔う者こそが兵であって、つまり兵である間は地獄の使いである。平和な状況に置かれたとき、激しく後悔し、PTSDを発する者も居ようが、しかし人間とは本来、血に酔うのだ。或る兵が特殊なのではない。人間という生き物がそもそも同種族の血を欲する特殊な性癖を持つのだ。そう観想したときの、絶望。

 民衆は感謝をしない すり切れた地図はテープの光がつなぐ

 「民衆は感謝をしない」とは真実である。「鼓腹撃壌」の故事を思えば、「帝力何ぞ我に有らんや」と民が歌う時、世は太平なのだ。この故事を皮肉に読めば、民は太平な時にさえ権力者に感謝はしない。誰が帝であろうが俺の知ったことか、と歌うものだ。一方、地図における境界線は政治的なものだ。砂漠なら、紛争地帯なら、昨日の地図はもはや明日の地図ではない。歌の後半では何とか昨日の地図を保とうとする空しい努力が「テープの光」によって象徴される。テープに反射する光は、灼熱の太陽の、むごたらしく現実を照らし出す光であろう。だから、前半の皮肉な真実と後半の現実的な苦闘が一字明けによって対比される様は痛ましい。それは次の歌のような痛ましさとなっても詠われ、しかし珍しく権力の側の孤独だ。

 万歳の声が潮(うしほ)であつたときバルコン、今も、激しくひとり
 実弾はできれば使ふなといふ指示は砂上の小川のやうに途絶へる

 権力を称える潮であった歓声が、反乱の鬨となったとき、権力の激しい孤独に応じて、かつての理想はもはや砂上の小川なのだ。常にそういうものなのだ。反乱を弾圧する側からの視線をも含む現実が示される。ここで平和な日本との比較を考える。戦後の日本はある意味、理想的な社会主義的国家であって、虐げられる側=民衆=正義に対して、搾取する側=権力者=悪という、甚だ単純明快な二元対立の図式が一般に流布され、信じられ、それで適度のガス抜きも行われ、うまく機能してきた。それはこの歌に詠われるような状況から見れば、実に微笑ましい皮肉な平和であろう。作者は弾圧される側に立つのでもなければ、弾圧する側に立つのでもない。たとえどこに立っていようと、自らの正義などは信じていない。多分、二元対立のどちらかに立つのではなく、業というものを見ている。このような冷静な視点が、日本の詩歌の抒情性において詠われることは稀である。

 この歳になつても慣れない。絨毯のやうに平たく死んでゐる犬

 前半に「この歳になつても慣れない」と言い訳が置かれているのはなぜだろう。慣れる筈だ。犬ならば。子供の頃、車に何か月も轢かれ続けている犬を見たことがある。登下校の折、通学路でいつもその犬を見ていた。正確には犬であった物体だ。犬はだんだん平たくなり、肉は啄まれ、毛皮は塵と散り、最後は二三片の骨だけとなって、その骨片はいつまでもアスファルトに食い込んでいたものだ。それは風景の一部であり、誰も気に留めなかった。見る側は人間であり、平たくなるのは犬という、人間ではない生物であったから、慣れる。だから、ここで詠われている「犬」は、もしかすると犬ではない。多分、戦車に轢かれたのだろう、平たくなったモノは犬のように見えるが、実は人であっても不思議ではない。紛争地帯では珍しい風景ではなかろう。

 西側に落ちて山ごと揺らした。祝砲ぢやないよなと君は嘲つた
 君の横顔が一瞬(しつかりしろ)防弾ガラスを月がよぎれば

 平たくなった犬に慣れた人の感慨なのだと思う。そのように慣れなければ生きてゆけない人の。爆弾を祝砲に喩えて皮肉り、月のように揺るぎない横顔を持つ、そう有らなければ、その人は砂と崩れてしまう。

 オリーヴの葉裏は鈍い剣のいろ 反権力を言へば文化人かよ

 オリーヴの起源はシリアともいわれ、エジプト文明やクレタ文明においては日常不可欠のものであったという。貨幣としての価値もあったということは、文明社会の流通性を担っていたとも取れる。オリーヴは平和の象徴であり、ノアの箱舟に鳩が持ち帰ったのはオリーヴの小枝であることから、息災の兆しでもある。オリーヴは単に平和の象徴というだけではなく、永続する平和な社会への切望そして手段とも読める。そのオリーヴの葉裏を鈍い剣の色と観たのなら、これは人間社会の平和なるものが、良い悪いとは別に、必ず武力に支えられざるを得ないという真実を暗示しているのだ。この歌における一字空けは、二つの異なる世界の対比を示しているのではないか。即ち、前半は中東の苛烈な現実である。後半は日本の呑気な現実である。
 
 展望のない革命(反乱)は反乱だ むかうに鶏頭、妖しく、有害

 革命に「反乱」というルビを振ったところが出色。ここで留意すべきは中東における「革命」の概念と、日本における「革命」の概念は違うということだ。中東の革命には、神は欠くことが出来ない。戦後の日本で革命といえば、まず共産主義革命が思い浮かぶ。無神論者の革命であり、現世しか信じない者の革命である。画餅としての儚さ脆さ甘さ美しさが、日本語の「革命」という語に投影される所以である。その「革命」に、ここ七十年まつわる異臭を作者が意識していない筈はないからこそ、鶏頭という何よりもまず赤いふてぶてしい花が置かれるのだろう。

 垂れてくるソフトクリーム 僕たちは国を愛することを憎んで

 この僕たちはソフトクリームを持っているのだろうから、平和な日本の僕たちだ。ソフトクリームは垂れてくる。崩壊してゆく。その対比として、「国を愛することを憎んで」なる文が置かれている。ここでもまた一字空けが用いられる。ソフトクリーム、甘い現実をゆっくりと崩壊させてゆくのは、僕たちの呑気な正義だ。
 今挙げた三つの歌はあからさまな批判であると読まざるを得ない。中東の現実との対比として、恐らく日本の文化人の現状が批判されている。これはかなり勇気の要る事である。次のような歌もその延長として読まざるを得ない。

 御屋敷の壁を曲がればその先はうつくしき行き止まりであろう

 御屋敷を古き良き、一見調和していた世界と観、曲がり角を歴史のそれと観れば、御屋敷の壁に沿っている限り、行き止まりに決まっているのだが、それを認めるには気概が要る。必要なのは、どんな夢も抱かずに容赦なく見る事だろう。如何なる理想も革命も正義も懐古も抱かずに見る事。

 たおれつつ目に焼き付いた地平線 まただ、余計な凸凹がある
 そもそもが奪って生きる僕たちは夜に笑顔で牛などを焼く
 幾重にも重なる闇を内包しキャベツ、僕らはつねに前夜だ
 指こそは悪の根源 何度でも一本の冬ばらが摘まれて

 幾度も斃れ、生き変わり死に変わってはまた斃れ、まだ地平は平らにならない。余計な凸凹、執着や復讐や怨念や正義や夢や理想がある。凸凹は随分僅かになってきたようにも見える。だが、まだ余計なモノがある。この斃れにおいても、まだ人間を超えられない。己が悪の形状を、指の腹に刻むが如く弄り回し、指の神経に記憶させ、悪を裁かず誤魔化さず、只有るとみて、笑顔で牛を焼く時にも、肉塊を血と共に彩っている牛のたましいを聞きつつ、尚も砂上の己が生を一日延ばすために、牛の末期の絶望を貪り食う。砂のごとき闇であった。前の生も、その前の生も、幾重にも闇であって、この生も未だ闇であり、だが前夜である。革命のか。正義のか。如何なる不明瞭さと不信に満ちている前夜なのか。どこまでも容赦なく明快に観るための、その暁の光を、常に阻んでいる前夜なのか。僕らは。僕ではなく、僕ら、とは何だろう。危機に際してはあっけなく霧散する、連帯感という雰囲気を差し引いて考えたとしても、例えば砂漠の上に呼吸している者が自分一人だけだとしても、確かに、僕ら、であろう。なぜなら、僕というたましいは、一人ではない。独立した個体ではない。幾重もの生霊死霊の断片から構成されている処の、或る仮の境界線を持つ領域に過ぎず、かつてミリンダ王が問うたように、丁度一個の馬車が、車輪や天蓋や柱や床や軛などから構成され、そのどれをも馬車と認識することが出来ないように、僕、とは様々な渇きや炎や暗黒から成る集合体に過ぎない。指こそが悪の根源ならば、世界に触れ、弄り、愛憎するために伸ばされる指こそが、渇きであり炎であり暗黒であるのか。それとも、よく己が悪の形状を知る者は、己が深淵を盲人の如く指もて探り、指もて這わせしめるが為に、指に、悪の上澄みが匂うのか。明快に観る手始めとして、つつましい香りとつつましい快楽の冬薔薇を、つつましく一枝折る時、何度でも己が悪を認識すること。一本の冬薔薇が、牛の屠られ喰らわれる如く、犬または人が轢き潰される如く、無限の回数を摘まれると観想して。

 朝までにボートが戻らなかったら白い喇叭はこなごなにして
 燃えながら燃やす炭火はおごそかな木の終り、そのように生きたい
 砂の柱にいつかなりたい 心臓でわかる、やや加速したのが
 見事 むしろ 花束のたえない、お出で、たえない町だ 花束

 前の二首は明確にして悲愴な意志表明である。水による、炎による贖罪、或いは特別攻撃。黙示録の喇叭は白光がそう見えるだけかもしれず、炭の暗黒は光の塊かもしれぬ。後の二首においては、手探りで自身の思考の外へ出ようとしている観がある。私としては後の二首の突出した感触に惹かれる。いつ砂と崩れても良い志、ロトの妻は文明の破滅を観察しようとして塩の柱と化したが、たとえ自ら砂の柱となっても観ようとする志か、そこへ向かって、微妙に加速してゆく一方で、町は、人の住む世界は、やはり花が絶えぬと見えるのか、その花がたとえ炎症であったとしても。後の二首の突き抜けた感じは、前二首の覚悟の上に、初めて成り立つものだろう。

※引用中の「(口内炎を誰かが花に喩えてた)花を含んで砂漠を歩く」「君の横顔が一瞬(しつかりしろ)防弾ガラスを月がよぎれば」以外の丸括弧はルビ。

短歌評 〝短歌〟の外部化について――野口あや子の創作スタイル 添田 馨

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 野口あや子の歌集『夏にふれて』(2012年・短歌研究社)を開いて、私は即座に俵万智の歌集『サラダ記念日』(1987年・河出書房新社)を連想した。普段あまり短歌なるものを読まない私は、通りすがりの一門外漢にすぎない。だが、あくまで直感的にではあるが、これら二つの歌集には、互いに共通するものと相反するものとが運命的に混じりあっていると、そんな風に思えたのだ。二つの歌集のあいだには、じつに四半世紀の時間の隔たりがある。にもかかわらず、両者の距離について考えることに私が一定の意義を認めるのは、そこに私たちの‶短歌〟概念が外部化していく現場のすがたを、この二冊のあいだに横たわる距離そのものが象徴的に語っているように感じたからである。
 野口の作品を読むと、いくつかのパターンの存在することが分かる。主にそれは三つに分類できるように思った。一つ目は、喩がことごとく明示的な経験性へとストレートに還元できるような書き方の作品(a群)。二つ目は、喩がなんらかの経験性を隠蔽操作してただ暗示しているだけのような書き方の作品(b群)。そして三つ目は、短歌的な喩がまったく何の像も結ばないか、あるいは像を結ぶとしてもそれが美的な結晶化を果たさず、ただ解体しているかのような書き方の作品である(c群)。
 以下、思いつくままにそうした作品例を拾い上げてみる。

 ああああ会いたいってあくび通学の慣れない電車に揺られていたら(辛口。)

 焼きそばのイカをつついて大学は楽しいからね、とそれしか言われず(辛口。)

 くろぶちのめがねおとこともてあそぶテニスボールのけばけばの昼(学籍番号20109BRU)

 たばこいい?ジッポを出して聞かれたりいいよと答える前に火が付く(後遺症)

 精神を残して全部あげたからわたしのことはさん付けで呼べ(こんな恋などしていない)

 私にも希望はあってバスに乗ったり担々麺を食べたりはする(『希望』に対するanswer―『三十代の潜水生活』in柳ケ瀬 即興朗読―)

 内臓の入る太さじゃないって って うすいスカート持ち上げ笑う(落桃)

 戦っているよ、俺はときみは言い銀の携帯ひらいてばかり(短き木の葉)

 だれそれの妻と呼ばれて暮らすのもまたよしサンダルばかりを履いて(あめの隙間)

 ものさしの三〇センチが落ちていていまここ、の地をはかりていたり(顎のかたち)

 ここに引いた十首は、単独で呼んだ場合でも比較的イメージが捉えやすい作品(a群)ばかりを選んだつもりである。本歌集は野口の第二歌集であり、高校を卒業して大学生活をはじめた時期と、制作年次がほぼ重なっていると見られるもので、そうした背景状況を加味すれば月並みな言い方だが、普通の女子大生なら誰でも抱くような生活意識を、みずみずしい筆致でうまく切り取っている作品群だと言える。つまり、背景野としての型式(フォーマット)が、青春期只中の若い女性の大学生活の時空間にあるというところに視点をおいて読む限り、これらの作品はそれぞれ読後の経験的着地点を、読む者にそれほど違和感なくシェアし得ていると言えるだろう。
 野口あや子のなかに俵万智との類同性を私にもっとも強く感じさせたのは、主にこうした作品群の喚起する印象であった。というのも、私が過去に俵の歌集を読んだときの総体的な記憶残像が、野口のこれらの作品から喚起されたものと非常に近いように思われたからだ。だが意外なことに、いま改めて俵の歌集『サラダ記念日』を読み返してみると、両者には表層的な近親性以上にもっと根本的な違和性ばかりが何故か顕著なのだ。それは一体どこからくるものなのか。
 俵の作品から、これも思いつくままにいくつかの作品例を拾い上げてみる。

 君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる(八月の朝)

 初めての口づけの夜と気がつけばばたんと閉じてしまえり日記(野球ゲーム)

 書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れだす(風になる)

 29になって貰い手ないときは連絡しろよと言わせておりぬ(風になる)

 君の香の残るジャケットそっと着てジェームス・ディーンのポーズしてみる(モーニングコール)

 唐突に君のジョークを思い出しにんまりとする人ごみの中(モーニングコール)

 泣いている我に驚く我もいて恋は静かに終わろうとする(待ち人ごっこ)

 思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない(待ち人ごっこ)

 君の愛あきらめているはつなつの麻のスカート、アイスコーヒー(サラダ記念日)

 明日まで一緒にいたい心だけホームに置いて乗る終電車(サラダ記念日)


 あくまで比較論でいうと、作品の背景野をなす型式(フォーマット)は、野口にくらべ俵のほうが画一的な感じがつきまとう。どこからその印象が最もくるかと言えば、作品中に「君」という呼称で登場する恋人らしき男性の像からきていると思われる。俵の『サラダ記念日』に収録された作品は、みずからの恋愛体験を題材にしたものが多くの比率を占める。つまり、姿のよく見えない普遍的な彼氏のイメージ(=「君」)が背景世界の中心にいて、抒情の構造はすべからくこの見えない普遍的な「君」をめぐる惚気意識や感情的葛藤に支配され展開する。こうしたことが、この歌集を人気作家による恋愛小説並みのベストセラーにまで押し上げた主な要因でもあったろう。『サラダ記念日』が商業的に成功した最大の要因は、恋愛対象を個別具体的な現実存在から、言語による普遍的な表象類似物(=「君」)に置き換えるというこの意図的な操作が生んだ文学効果にあったと言っていいだろう。本来、現実存在であるべき者のこうした表象類似物化の手法は、同時に、作品中の自己像にも多大な影響をもたらし、「万智ちゃん」というこれも架空の新たな表象類似物を否応なく導き出すことになる。『サラダ記念日』は、こうして歌集でありながら、歌集というものの常識を突き破った恋愛ドキュメントつまり疑似的な小説的効果をもつ新たな表現性を獲得したのだった。
 だが、その一方で短歌的形式(フォーム)は、ほとんど変更を被ることはなかった。五七五七七の基本形は、俵の諸作においてはほぼそのまま踏襲されている。このことは、俵において形式(フォーム)の破壊は、型式(フォーマット)そのものを更新するに際して特に必要とされていなかったことを物語る。短歌的抒情という従来意識の固着性をいわば破壊して、まったく新しい型式(フォーマット)を打ち建てるに際し、なぜに短歌作品の基本骨格たる形式(フォーム)が従来通りのまま無傷でいられたのか。というか、無傷でいることが作品内部で求められたのか。ひとつ考えられるのは、俵の作品世界において、ここに引いたような「八月の朝」「野球ゲーム」「風になる」「モーニングコール」「待ち人ごっこ」「サラダ記念日」等々といった一連の型式(フォーマット)自体が、完全に虚構の産物だった可能性だ。もしそうだったとすれば、作品中に表象される自己像すなわち「我」や「吾」や「万智ちゃん」もそれと同様に、虚構の産物だったということになるだろう。『サラダ記念日』という歌集の総体から受け取る印象の質からして、私はその蓋然性がきわめて高いと思うのだ。つまり、この歌集は、作品の自意識を支える形式(フォーム)と同じくその無意識を支える型式(フォーマット)との相互的な関係構造の全体を、そのままそっくり虚構化するという、ある意味、壮大な試みだったのである。その結果、従来からの短歌の読者層に止まらない幅広い層の読者にまで、その作品価値の交換が一気に可能になったのだ。ただ、その一方で犠牲にされたものがあるとすれば、作品における言語の自己表出性、その個的な側面いがいにはなかったはずである。
 野口の作歌法と俵のそれとが本質において最も異なっているのは、この部分である。野口の作品において、自我の葛藤や情緒的な惑乱といった非言語領域の声が、言語の自己表出性をうまく捉えることで、それを表現にまで定着させた作品はあるのだろうか。

 「先生は思いませんか」と告ぐるとき全集のうえ塵微笑めり(学籍番号20109BRU)

 「太ってる、まだ太ってる」と叫ぶときわたしは刺草のようにさみしい(拒食症だった私へ)

 幸せになれと声 たんぽぽの根まで届けばもう知るだろう(拒食症だった私へ)

 べったりと下向き付け睫毛なるわれ表現は負け組の意ではあらねど(切れ毛)

 差し入れて抜いて気がつく鍵穴としていたものが傷だったことを(なつのなみだ)

 定型から零れてしまうわたくしもそのままとして、夏のなみだは(なつのなみだ)

 自意識というみずがわれを重くしてひたすらドライカレーをつつく(つめたい埃)

 青空に飛行機雲が刺さってるあれを抜いたらわたしこわれる(つめたい埃)

 あなただと決めつけるたび早口にもうとめどない発火であった(めぐすり)

 わたくしのからだの点字を読むきみはおそるおそる一語のみをつぶやく(花を捨てる)

 これらは、野口の作品のなかで、私がb群として主に分類したものである。顕著なのは、a群の作品にはそれほど目立たなかった暗喩構造が、作品の全領域を覆っていることだろう。手法的にそれが成功しているものもあれば、逆に失敗しているように見えるものもある。また、単に私が当該作品の隠れた暗喩構造を捉え損ねている場合だって考えられるわけだが、a群の作品に比べてこれらの作品は、表現意識の底が二重底三重底になっていて、個々の言葉の意味連関を追うだけでは、作品そのものが発信するポエジーの本質に読む側の意識がストレートに届くようなことは起こり得ない。それだけ表現の達成レベルが高度化しているものだと考えられよう。形式(フォーム)と型式(フォーマット)の関係は、無論ここでも重要な要素たるを失わないが、両者の対応性が構造的により複雑化している反面、型式(フォーマット)に対して形式(フォーム)の自立性が相対的に強まっているため、逆に、それほど前後の作品との関係やまとまりなどを意識せずとも、作品単独での読みに十分耐えるだけの弾性をみずからに具備しているということは言い得ると思う。言うなれば、俵の作品に希薄で、野口の作品には濃厚に見出せる表現上の要素が、これである。ここには俵のように虚構に向かう表象化の手法では覆い尽くすことのできない、野口の自我表現への飢餓感が色濃く作用している部分と思われ、時にそれは基本三十一文字の短歌形式をも内側から食い破って、ほとんど基本の形が原型をとどめなくなる程までに、横溢しているさまが窺えるのだ。
 私にはここでひとつ、大きな疑問が浮かび上がる。青春期において、肥大する一方の自我領域を持て余すかのように、表現意識がその全勢力を言語による芸術表現へと差し向ける時、表現形式上の制約は、果たしてどこまで必然的な意義を有するのだろうかと。同じことを短歌の問題に投影すれば、五七五七七の三十一文字の形式(フォーム)は、この問題にどのような結末を用意するのだろうか、というようにである。

 アドレスは、すみませんこのシャッターを、打ち上げにさあ さ、さようなら(卒業式)

 アイスクリーム、アイスクリーム、水滴をカップにつけてアイスクリーム(カーソル)

 Because/まで鳴らして止めたオルゴールの櫛 どこまでが無意識なのか(学籍番号20109BRU)

 らいらっくらいらっくらるるりるりと巻かれるようなかなしみをしる(後遺症)

 ちかてつにのられたことはありますか(がたがたゆれる)がたがたゆれる(はぶらしと桃)

 言いたくないことは言わなくてもいいのだよからからの金物の声で言う(つめたい埃)

 空いたばかりの椅子に残れるあたたかさあたたかさしばし問わずにいよと(椅子)

 青臭いことであろうとメタファーと区切られるならふるえていたい(ちりめんじゃこ)

 どうやって引き受けるべきかわからない 発作のような瞬きをして(ちりめんじゃこ)

 ほそながきものが好きなり折れやすくだれかれかまわず突き刺しやすい(けっかん)

 これらは、私がc群に分類した野口の作品例である。個々の作品の評価はひとまず脇に置くとして、これを短歌だと呼ぶことにどれだけの必然性があるのかないのかという問題を、いま私は考えている。例えばこれらを〝一行詩〟と呼びならわすとしても、さほどの違和感は生じないように思う。しかし、短歌と呼ぼうとすれば、それは基本的な形式(フォーム)からは逸脱した外部を有する拡大された短歌概念として、繋ぎ止められる性格のものだろう。一行の言葉の列に、一行詩としても短歌としてもいずれにも読める両義性を付与したこと――野口あや子の作品が〝短歌〟概念をその本質において外部化しえている部分があるとしたら、恐らくはこの点においてである。形式(フォーム)の、それは型式(フォーマット)からの完全独立を果たした姿でもあろう。俵万智がかつて『サラダ記念日』で行った表象化の手法をもってしては、この外部化は決して到達できなかったものだ。私はこの外部化ということを、一切の価値判断(美的判断)を抜きに提示している。その理由は、現代詩がつねに自らを外部化していくことで自らを更新し続けないかぎりその存立が難しくなっているように、短歌もまた自らを外部化し続けなければならない要請を、おなじ根拠から求められていると愚考するからである。

短歌評 短歌を見ました3 鈴木 一平

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 このあいだ、第一詩集(http://inunosenakaza.com/hai_to_ie.html)を刊行したのですが(とてもよい詩集なので購入しましょう)、その初売りとなったさる11月23日の文学フリマで、「穀物 第3号」を買いました。特にまとめることもせず、頭から読んでいこうとおもいます。

  曇天は鰈のごとくありて見ひらけば眼を圧して触れ来る

 小原奈実「錫の光」から。この作品は「鰈のごとく」あると書かれる曇天と、見ることに視覚の欠損をにじませる修辞の組み合わせが巧みであるとおもいます。「鰈のごとく」と示されるときの鰈は、おそらく風景に擬態し姿を眩ませる背ではなく、本来は見られることのない腹の部分なのでしょう。なので、曇天は見られもののいない(いたとしても、私からは曇天によって見えない)天へと背を見せ、見られるもの(地)に対して見られることのない部位を向けている。そして、腹を見るものに対して与えられる視覚の印象が、「眼を圧して触れ来る」ものであると読めます。鰈の腹とは背の裏側で海底に触れるものであり、従ってそれを見るという経験を内に組み込むことのない外観です。そのように呼ばれる曇天が見えるというときに生起する視覚は、見ることを妨げる遮蔽性を伴った、見ることそのものを成立させる距離自体を覆い隠すような、物理的な接触に伴う見えなさを中心に組織化するものであるわけです。また一方で、この作品において描かれることなく弾き出された鰈の背を、見ることの距離において周囲と擬態し見えなくなるもの、作品のもつ閉塞的な鑑賞体験を支える余白(それは腹のもつ見られることを放棄した白ではなく、見ることのただなかをかたちづくる白です)として、読み手はうっすらと想起してやみません。

 ここで曇天と知覚の対であるところの上句・下句の構造は、「ごとくありて」と「見ひらけば」の転換を挟むことで両者の関係を明瞭にかたちづくっています。鰈のように差し出される曇天があり、それを受け取る目の視覚。言い換えれば、曇天を主語とした述部としての視覚というレイアウトによって、作品はひとつの図を形成しています。数ある詩型のなかでとくに短歌が優れているのは、こうした対のレイアウトがもつ反復=リズムの時間性において、文構造に依存しないかたちで言葉の配置を有機的な歌としてつくりだし、そこでうたわれるものに情感を搭載させることができるところであると感じます(その点で、俳句はむしろ物がそこにあるかのような、身体に対する異物性をその力の頂点にもつのではないかとおもいます)。

  あたたかな窓は旅して何度でも電子レンジが見せる夕焼け

 文構造とは別に韻律の展開が作品に歌としての気質を与える、というあり方は、狩野悠佳子「恐れず雨を」を読んでいて考えたことでした。この作品は、「あたたかな窓」「電子レンジ」「夕焼け」の間の階層が明瞭ではなく、それぞれの要素がもつ触覚や視覚イメージの連関によって関係を保ちつつ、垂直に展開する定型感が残存する構成になっています。「あたたかな窓は」と「旅して」のあいだには「あたたかな窓が旅をする」という解釈よりも、「あたたかな窓」に「旅」を付帯させることで叙情性を付帯させ、「何度でも」の回帰性を挟み込みながら、後続する「夕焼け」の印象を強めるかたちになっているように感じます。つまり、「あたたかな窓」・「電子レンジ」・「夕焼け」と「旅」・「何度でも」・「夕焼け」が、定型感の基調の上で交差する。

 ところで、「旅して」と「何度でも」のあいだに見られるような、短歌における視点・文意の切り替えは、読んでいてかなり強く意識に引っかかるとおもいました(この作品で「何度でも」は、「旅して」と「見せる」のどちらにも係るような操作をほどこされていますが、「旅して」の順接においてわずかな切れ目がある)。当たり前のような話ですが、縦書きで進行する書物における縦方向の目の移動が占める占有は、横方向におけるそれに比べて大きいです。詩における改行は、こうした縦方向の読みを切断し、(当座の行とは異なる視野で読まれる)前後の行との関係下に置くことで、常に他なる論理の介在を潜在的にはらむような読みの複数性を余白のなかに持ち込むことができます。けれど、短歌は基本的に単一の行がもつ垂直的な展開の内部で読みが一続きに流れていくので、韻律を用いた区切りを施してもなお、視覚においてあらかじめ流れてしまった単一の時間経過に突如、ぐるりと切り替わるような世界の反転が起きたように感じます。

  わたくしをここで眠らせ心拍は先へさきへと歩む旅びと

 川野芽生「アヴェロンへ」におけるこの作品の、「わたくし」が「心拍」の前に来る構成は、こうした一文中での垂直性がもたらす時間の流れを意識すると、より制作の思考が際立って感じられます。たとえば、「心拍は」と始まってもよい前半部において「わたくし」が置かれることで、作品内部の視点を受け持つよう組織化されるはずの「わたくし」が即座に対象化されるとともに、リズムの進行に従って「ここ」が遠ざかっていく。一方、「わたくし」が持つはずだった場を持つことになる「心拍」は、この時間的な進行が読み下す目を伴いながら距離に変換されることで「先へさきへと歩」んでいき、その末尾で「旅びと」になる。私の理性の圏外としての眠りと、私の理性とは無関係に動き続ける心音の対比を用いつつ、そうしたズレを旅のイメージへと空間化する手つきが鮮やかです。「こころとは巻貝が身に溜めてゆく砂 いかにして海にかへさむ」もいいとおもいました。

 短歌の基幹となるリズム(五七五七七)における「五七」と「七七」の反復は、作品内部で時間がリズムを刻みながら進行していき、他方でそれとは異なる時間の様相に向けて開かれず、自閉的に反響するような読み味を与えます。言い換えれば、不可逆的でありかつ常にその進行の内側で自身に回帰し続けるような時間が、短歌を読むなかで与えられる基本的な感覚の根幹にあると、個人的に強く感じます。失われた過去に対する甘い寂しさや、いずれ終わりを迎える私たちの恋愛や生に対する諦めに似た確信、それらに通底するある種の叙情性とは、現下において不在である想像可能なものに対する意識の方向が、自閉的に自身の方向性それ自体を享受する過程において生まれるものですが、この素朴な情感は、短歌作品を読む上で避けては通れないものであるようにおもいます。

  至るところは紫陽花の青、まだだ、またあの寂寥の白さが覆う

 小林朗人「そして無明の灯りに還る」に収録されたこの作品は、「まだだ」を挟む二つの「、」が、作品を二つに分割しています。前半部で提示される青を「まだだ」で取り消し、後半部で「白」を提示する、つまり、「至るところ」と視覚的に示される空間を、情動によって再度塗りつぶしにかかります。この「青」と「白」の対応は、「至るところ」を基点として空間的な位置を持つのではなく、むしろ空間(見られるもの)と主観(見るもの)のあいだで取り交わされるものであると感じます。(「白」は「覆う」ものとして、空間的な比喩を媒介に語られていますが)。「まだだ」の切れ目は、おそらくこの「青」にも「白」にも属さない「あいだ」の知覚を端的に物語る留保として、二つの「、」に挟まれているのでしょう。ですが、この「あいだ」は決定の不可能性に貫かれてはおらず、現に視覚において与えられた「青」に対して叙情的な「白」が取り消しを伴いながら対応する、という時間の進行を、むしろ表現するものとして現れています。言い換えれば、「青」と白は対にはなるけれど、拮抗せず、結果的に「白」が「覆う」という事態は覆らないということです。この「寂寥」の「白」とはすなわち、先ほど述べた叙情の性質、対象と明確に結びつくことなく展開する意識の、意識そのものによる享受の感覚と重なるようにおもいます。(続きます?)

短歌時評第124回 短歌は滅びないし此処にいますが何か。 野田かおり 

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 「短歌の未来というのは、日本の伝統文化というのが歴史性をもってずっときているわけだけど、それがどうなりますかなんて僕に訊かれても、僕の知ったことじゃないという。どうにもならないと思うね。自然にある経過として流れていく。」(岡井隆)
インタビュー=岡井隆、聞き手=東直子「短歌と非短歌の歌合-詠むことの永遠と新しさについて」(『ユリイカ あたらしい短歌、ここにあります』p105 2016年8月」)

 流されていくのではなく、流れていくのか、短歌は。と、このインタビューを読みながら思った。受動的ではなく歌人たちの意識をともなって能動的に流れていく、余白のある定型、と思っている。詠み手が泣こうが喚こうが定型はゆるぎない、揺らいでいるのは詠み手なのだろう。その意味で、「あたらしい短歌」とされるものは詠み手が多様になったということではないか。実際この号には、歌人だけでなく俳優やミュージシャンも歌を詠んでいて、時評子は短歌という定型の懐の深さを思う反面、もっともっと作品を読みたい歌人がいるのでどうしてこのひとたちだけなのだ!と歯がゆくなった(読者としての我儘でもある。歌人としては俵万智、斉藤斎藤、瀬戸夏子の歌が載っていて、評論もたくさんの歌人が執筆している充実の号なのだが。)正直、時評子は少しモヤモヤが残る号だったのだ…文芸誌でもっと歌人の歌を読みたい。
 ということで、岡井隆氏のインタビューの短歌観を信頼して、「短歌は滅びないし此処にいますが何か。」というテーマで時評を進めてみたい。最初にお断りしておくが、時評子は地方住まいなのでイベント等は網羅できないし、総合誌もすべて読み通すことはできない。でも読書好きの感覚で「ふーん、そういうことがあるわけね、短歌に今」という、そこそこにビシビシした文体で書いていきたい(兎角、場の熟成には良いが短歌の世界は内向きな議論が好きな傾向があると思われ、外を意識しつつ。)
 短歌は滅びない、そう思う。とある本屋さんにて、熊本の橙書店発の『アルテリ』という文芸誌を購入した。短歌を期待して買ったわけではなかったが、あとでゆっくり読んでいると石牟礼道子の短歌に出会った。石牟礼道子は、水俣病を「語り」という形態をとおして社会に問うた『苦海浄土』のひとであるし、最近出版された池澤夏樹個人監修の文学全集にも1巻まるごと入っている。『アルテリ』には浪床敬子執筆の「石牟礼道子の歌②」に以下の石牟礼道子の歌が紹介されている。

  人間の子なりよこれはこのわれの子なりといふよ眸をとぢておもふ

  人の世はかなしとのみを母われは思ひてゐるをせめられてをり
石牟礼道子『海と空のあいだに』

 『苦海浄土』とは別の、母としての石牟礼道子の顏をかいま見た気がして、この歌集は読みたくなって後で図書館で借りた。社会に物申すスタイルのひとと思ってきたが、ひとりの母親である石牟礼道子を知ることができて意味ある読書体験だった。こんなふうに短歌と偶然出会うのは面白く、文芸誌に短歌が掲載されてゆくことの醍醐味を感じた。
 東京赤坂の双子のライオン堂から出版された『草獅子』も興味深かった。「終末。あるいは始まりとしてのカフカ」というカフカ特集号だというのに、漱石・龍之介・プーシキンを詠んでいる堀田季何の歌。

  さいごまで残る五感は聴覚ぞ「はよ死なんかい」と誰か呟く
  
モスクワの「カフェ・プーシキン」名物のボルシチは濃し血の色をして
堀田季何「穴」

 …物騒である。まがまがしい歌だ。だが、会話体の鋭さや鮮明な色が記憶に残る。カフカのあれこれに期待してページをめくっていた読者には不意打ち、いや、毒のひとしずく。文芸誌に31文字がスパイスのように効くの、いいじゃないですかとニヤリとした時評子である。
 さらに、小説をはじめとする本好きたちがこの31文字の詩型のおもしろさに目を留めてるくれる可能性は『食べるのがおそい』にあるだろう。現在2号が発売されている。

  夕方のにおいがホームセンターで行き交う誰もが晩年めいて
岡野大嗣「公共へはもう何度も行きましたね」

  東京2020にも君が代ならば君のかかとの桃色がいいさ
瀬戸夏子「二度と殺されなかったあなたのために」

 花鳥風月でもなく、作者=作中の「私」でもなく、この時代に生きている「わたしでもあるしあなたでもある〈私〉」の姿がこの歌たちに見え隠れする。郊外に、東京に、ある場所に。岡野大嗣の歌は、死に誰もがゆっくりと近づいていくことを郊外のホームセンターを訪れるひとびとに見ていて、日常に潜むほの暗さを読みとれるだろう。一方、瀬戸の歌は「東京2020」というオリンピック開催予定の2020年をマキシムの希望として、また「君のかかとの桃色がいいさ」とミニマムな希望を同時に差し出すことで、どこか祈りの言葉のように思えてくる。この時代の危うさが前提にあるからこそ、「ならば」という仮定でつながれている希望を生きるしかないわたしたちなのだろうか。生活の裂け目にもがく生活者の声が聞こえてはこないだろうか。短歌は31文字という詩である。その31文字には小説に負けないくらい伝えられるものがある。ただし、その一首の情報量を読み解く力は読者にも求められ、その意味でも余白のある定型と考えられる。
 最後に、山﨑修平がキュレーターをつとめるシリーズの三冊目『Wintermarkt』。今回は寄稿者に「あなたのギリギリの現代短歌を読ませてください」と依頼があり、それぞれが詩型への挑戦を試みている。

  車椅子を降りようとして美しい筋肉きみがマルボロを吸う 
嶋稟太郎「四辺系」

  夜の橋に誰もをらねばちつぱいと風に呟く酸つぱきことば
滝本賢太郎「ショートパンツ」

  その銃のうしろにつめたい湖(うみ)があるあなたの顏を映した湖が 
服部真里子「火はその野を越えて」

  今にも橋に夕日が落ちてけれどさあこんな場面はすぐに終わるよ
山﨑修平「ナターシャと私」

 ここでは全作品を紹介できないし、「私にはギリギリには思えないけれど、あなたはギリギリと思っているのね」という対話のきっかけになる歌も掲載されていて一読する意義がとてもある。時評子が特に記憶に残ったのは滝本賢太郎の作品である。作中の「私」はドイツに留学しており、異文化のなかで「ちつぱい」と呟くとき、自意識にからめられる生活に風穴が空くのかもしれない。一読者として「ちつぱい」は日常に使う予定が今のところないのだが、一首のなかに置かれると言葉への欲望を喚起される。
 冒頭の岡井隆の「自然にある経過として流れていく。」とは、こうした歌人たちの試行錯誤に支えられている。短歌は言葉を、あるいは多様な詠み手の文体をこれからも貪欲に蓄えて滅びることはないだろうし、文芸誌をきっかけに短歌人口の増加を期待したい。短歌は滅びないし多様な歌人たちが此処にいますが何か、と表明しておきたい。

短歌評 言葉の結晶〜角川「短歌」2016年11月号〜 月野 ぽぽな

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 独特の静けさ。予感がしてブラインドを開けてみると、やはり街は雪。歌に心を開くのにぴったりの日。歌人の心身を潜って生まれる言葉の結晶、二十五首。雪の結晶のように、ひとひらずつ、きらり。きらり。きらり。



●佐々木幸綱「神の手」 
ホームレスの男とならび眺め居りにごれる川を流るる樹木

 なぜ人は流れ行く川に心惹かれるのだろう。なぜ流木に思いを寄せるのだろう。寄る辺なき存在である人の心のあり様と通じるものを、言葉以前の場所で感じ共感するのだろうか。その感覚を言葉、ここでは歌が再起させるという妙味。 

●今野寿美「花火師」 
ねんごろにつかへとことば遣されて歌びととふはそよぐくさむら

 人間の一生に比べたら遥かに長い時間を生きている<ことば>。そうか。人は絶えず<ことば>を受け取っては心身に宿し、時を迎えると、それを後に続く人々に譲り渡しているのか。その様は風を受けてはそよぐ草の様と同じように自然な営みなのだ。


●穂村 弘「熱い犬」  
生きているレンズのような水母らのきらりとひかるきらりとひかる

 クラゲを<生きているレンズ>のようと捉えた感性がきらり。大きな水槽に透き通った小さな水母がたくさん漂う様を想起しながら、それぞれの独立した視覚器官が感知した景色はどこでどんなふうに像を結ぶのだろう、などと思い巡らせた。するととてつもない大きな生命体の存在が現れた。

●梅内美華子「山羊カフェ小鳥カフェ」 
やはらかく海藻のやうに揺れており夜の電車に眠る人々

 夜の電車は不思議。外が原始の闇に戻る中、人智の明かりを灯し進む。一日の疲れに眠りに落ちる人々は電車の揺れに身を任し魂はひととき原始の世界へ。<やはらかく海藻のやうに>が生の哀しさを伝える。

●楠の葉陰に   大塚布見子
己が身の匂ひ確かむるや青条揚羽楠の葉陰をなづさひ飛べり

 <なづさふ>という美しい言葉がきらり。意味は、水に浮いて漂う、なれ親しむ。青条揚羽が楠の葉陰を飛ぶ。おそらく葉に触れては離れでも離れすぎることはなく、そのあたりを漂うように。それが<己が身の匂ひ確か>めているのだ、と捉える生々しい感覚に惹かれる。

●前川佐重郎「人間の声」 
けふもまた笑顔が深くなる友の酒三合の行き付けの店

 <笑顔が深くなる>が、友との繋がりの強さを伝える。たとえ辛い一日であってもここにきて酒三合。升が空になるころにはすっかりありのままの自分に。

●安田純正「罅まみれ」  
弁天の生れ出でしてふ渓流に脚つけ遊ぶふたりの女の子

 音楽・弁舌・財福・智慧の徳を持ち、七福神の一としても信仰される弁天。インド神話では、河川の女神であることから、弁天と縁を持つという水辺も多い。とあるそんな渓流に無邪気に遊ぶ子供は、まさに弁天の化身。きらり。

●光森裕樹「旧盆のあとさき」  
デヴォン紀に遡るごと片降(カタブイ)に踏み重ねゆく光るアクセル

 カタブイとは、夏の沖縄特有の気候現象で片方は晴れていながら片方で降る雨という。激しいお天気雨という感じだろうか。この雨の中の運転は、まるで「魚の時代」と呼ばれ魚類が非常に繁栄した時代、デボン紀に遡るようだ。其の人もいつしか魚になって。カタブイの豪快さとダイナミックな比喩にアクセルが受ける太陽の光が眩しい。

●立花開「反射光」     
同じ家に帰るまねごと 鍵をさす指先を見るふと消えそうで

 棲の風景だろうか。現実は確かににある様に見えて、実は夢のようなもの。儚さへの感受性は、今そこにあるものを失いたくない、と思う瞬間に強くなるかもしれない。鍵が冷たい。

●小宮山 輝「海辺常住」    
雲の上の空わたりゆく雁がねの声に啼くはよし啼かぬ雁もよし

 雁は、その声に郷愁を誘われるが、<啼かぬ雁もよし>と言って視野が広がり、歌全体に生き物を賛賞する心持ちが行き渡った。


●福田龍生「伊那の沢みち」  
すがやかに茅の穂の鳴る沢なだれ 踵ととのへひろひみる嫁菜(はな)

 すがやか(清やか)という美しい言葉がきらり。 心ははるか万葉の世界に誘われる。<踵ととのへ>に嫁菜の花を摘む人の心のすがやかさを思わせる。筆者の故郷は伊那谷であり、一首の透き通った空気感を楽しんだ。

●御供平イ吉「越谷初秋」    
開けて置く窓に一陣この朝の風のふるまひたちまちの秋

 <風のふるまひ>という措辞が風を生き物のように立ち上がらせ、朝の窓を開けた途端に吹き込んだ風に秋を感じた様子を生き生きと伝える。

●馬場昭徳「六十八歳」 
六十八歳初めての嘘つきてやる何だか知れぬ電話相手に

 おそらく電話を取った途端、詐欺だ、と気づいたのだろう。<初めての嘘>の瑞々しさ。<つきてやる>の潔さ。六十八歳を迎えていよいよ聡明で自由闊達。元気な姿が見えた。

●牛山ゆう子「歩く岸辺に」 
対岸の街に向き立ちハーモニカ吹く人のをり音色澄みつつ

 ハーモニカの音には懐かしさがある。川辺に立ち、何を思いながら吹いているのだろうか。音色を聞いているうちに、心は昔いた遠い遠い場所—それは対岸とも彼岸とも—までゆくようだ。

●今井恵子「キヲツケ」 
踏み入れば運ばれ登るほかはなしエスカレーターに浴びる晩夏光

 エスカレーターに足を置く、という日常の一コマに、後戻りという選択のない、運命とも言えそうな大きな流れを感知する鋭さ。疲れを帯びた晩夏光が美しい。

●寺尾登志子「利賀村」  
若女将の背(せな)の赤子と目が合ひきスプーン借りむと厨のぞけば

 <赤子と目が合ひき>が眼目。赤ちゃんの目が無垢に光る。一瞬から垣間見る女将の人生。 スプーンが食べ物を口に運ぶための、つまり生きるための道具の象徴としても働くとすると、そのスプーンが登場人物、若女将・赤子・其の人、それぞれの人生の風景に読者を誘い一首を劇的に演出している。

●尾崎朗子「釣瓶落としに秋の日は」 
踏み入らば森に多くの眠りあり草食むものはいのち丸めて

 一歩。森に住む無数の生き物の眠りを感じた一瞬。<いのち丸めて>が優しい。

●廣瀬美枝「ハーモニー」  
わが指が和音にのりて いつさいはここから始まる 夏の雲ゆく

 自分が奏でていると思っていた楽曲。気づくと実は音楽という大きな流れに自分が導かれていると気づく瞬間はないか。夏の雲は流れる。大きな存在に私たちは生かされている。

●相馬二三男「卒寿の坂」   
寂しくは無きかと己れに己れ問ひ一人歌詠む秋の一日を

 一個と思っている自分という存在は、実はたくさんの存在の集合体、もしくはその一番先端の部分、かもしれない。現実への対処に絶え間無く追われる頭脳には、心身の奥にある魂の声は聞こえづらい。歌を詠む、さらに物を創造するという営みは頭脳が魂に話しかけ、魂のために働くという、美しい秋の一日のような、至極のひととき。


●永井正子「蓄へを問ふ」
夕日差す海見てゐしが石段に畳める影を引き上げて立つ

 夕日の海を石段にしゃがんで見ていた首中のその人が立ち上がった、という様子を<畳める影を引き上げて立つ>と言ったのが好い。その人の心情を、その心情を具体的に言わずに読み手に伝えるから。例えば、萎えていた心が自然の息吹に癒されていて、癒されきったわけではないが、よし、それでも頑張ってみようと思えるところまで充電できた瞬間。


●飯島由利子「あはき影」 
ヒーヨヒーヨ鳴る風音に似たるこゑあげつつ河童闇に溶けたり

 昔から悪戯好きの河童。人間に捕われ手を切られ、その手を返してもらう見返りに、秘伝薬の製法を人間に伝授したという。骨継ぎや打ち身、ねんざ、止血。河童の妙薬として知られる。さてこの河童、手を返してもらい、痛む傷口をいたわりつつ、沼に戻るのかな。

●斎藤 梢「海の鍵」 
旅びとであること悲しタマネギの秋の畑の浸水かなし

 旅先で見た風景。それは収穫最盛期でありながら、天災のために水に浸かってしまった玉葱畑。瞬時に生産者の心の痛みは如何許りかを想像する。想像はできるかもしれないが、実際に経験するその痛みとは明らかに違うだろう。思いはあるが、その思いを共感できるとは言えない痛み。ストレンジャーの心の軋み。

●石井育子「金木犀」 
突然に眼下に深き谿ひらけ秋あかね一つ宙に停まる

 山登りだろうか、それとも渓谷をゆく列車旅行の一コマであろうか。突然現れた広大な空間への驚きは、また瞬時にそれはそれは小さな秋茜へと移る。目眩するようなスピード感とズームの効いた一瞬の美しさが際立つ。

●生沼義朗「ビールかけ」  
胃カメラの麻酔を鼻にいれるとき眼裏にたしかに広がる花野

 無機質な診察室。消毒の匂い。ベッドを囲む医療機器。横たわるベッドの硬さや冷たさ。鼻を通る麻酔の管。胃カメラ体験が、其の人の心身の奥にある記憶の貯蔵庫にシグナルを送り<広がる花野>の映像を<たしか>な感触と共に、意識上に運んできた。動物から少し距離を置く、植物感。此岸をほんの少し離れる彼岸感。花々の色と冷たさが印象的。

●西巻 真「台風の夜」 
延々とくる台風の欲望を思ふ密かに一日を終へて

 この一日は、台風まっただなかというより、一つ台風の騒ぎが去った後の静けさ、という趣が伝わってくる。その瞬間にもどこかでまた生まれ、ぐんぐんと押し寄せてくる台風。その様子を<台風の欲望>と捉えた感性きらり。



 アヴェニューに灯が点った。雪はまだまだ降り続く。きらめきをありがとう。おやすみなさい。


■月野ぽぽな つきの・ぽぽな 長野県生まれ。ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人。現代俳句協会会員。海程新人賞、現代俳句新人賞、海程賞受賞。 月野ぽぽなフェイスブック

※引用中丸括弧内はルビ。

短歌評 くるぶしまで短歌に埋まる――光森裕樹歌集『山椒魚が飛んだ日』を読む 田中庸介

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 光森裕樹さんの第三歌集『山椒魚が飛んだ日』(書肆侃侃房)は、東日本大震災後の数年間の作者の石垣島での日々に寄り添って、未生と生と死のあわいに横たわるさびしい薄暮の空間を、巧みなことばのレトリックと機知によって切り取った秀作である。第一歌集『鈴を産むひばり』(港の人)で提示されたやわらかいもやもや感のある冷たい「やさしさ」が、暴力的なまでの「愛」へと一気にのぼりつめた感がある。

  やはりはうしやのうでせうかと云ふこゑのやはりとはなに応へつ、否と
  婚の日は山椒魚が二〇〇〇粁を飛んだ日 浮力に加はる揚力
  琉歌かなしく燦たり候石垣島万花は錆より艶(にほ)ひにほふも
  きつとぼくらの子どもはぼくらにくぐらせるはるの波紋よゆつくりねつて
  頭を撫でられオスカル坊やたりし日を終へるか砂に素足がしづむ
(「山椒魚が飛んだ日」)

 第一首はきっぱりとした四句切れ。第二首、彼女の飼っていたウーパールーパー(あるいは、山椒魚)を、東京から引っ越すために石垣島へ飛ぶ飛行機に持ち込む際の椿事が、哀しくも愉しげに語られている。第三首、やさしさの「錆」「寂び」から愛の「艶」への展開を宣言している。時代がかった言い回しであるが、奇跡的に不健康をまぬがれている。第四首、「はるの」「波紋」は「ジョジョの奇妙な冒険」へのオマージュかもしれないが、このウーパールーパーはあるいは胎児のイメージか。第五首はドイツ文学の名作、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』へのオマージュだが、永遠の少年からの離脱、すなわち、ひとりのおとなになるということ。くるぶしまで埋まる泥田を歩くことを想像する。あるいはくるぶしまで埋まる砂浜。主題ははっきりしているのだけれど、確かなものはなにひとつないように描かれる心のあやうさ。しあわせなのに、悲哀である。あるいは、しあわせだからこその悲哀。その感傷が、短歌形式の果実をうまく活かして展開されていく。
 だがその中にも、まばゆく輝くいくつかの固有名詞(それをぼくらはGoogleで検索する)、ないしは普通名詞。あとがきによれば2012年から2016年までに詠んだ歌からなるこの歌集は、2013年の石垣島移住ならびにお子さんの誕生を白眉として、(1)2012年のマダカスカルへの旅(2)妊娠中期の妻の手術、台湾への旅、艋舺龍山寺への参詣(3)出産後の京都への旅(4)2003-2004年の南ドイツ・フライジングでのNENAの歌の思い出(5)突発性難聴や白内障の検査・手術(6)買いたての羊のフィギュアを東京・幡ヶ谷のバー「Pledge」のカウンターに並べながら読む安藤美保遺歌集『水の粒子』(ながらみ書房)――と数えあげてみると、まったくめまぐるしく生々しい場所の移動の記憶に満ち満ちた一冊といえよう。
 フライジングはミュンヘン郊外の街らしい。そこでの経験に繋がる『ブリキの太鼓』、ドイツ・ポップバンドのNENA、動物フィギュアメーカーのSchleichなどのドイツ文化は、いずれも作者にとってたのしい青春の思い出であったようで、この歌集における数少ない開放感あふれるカタルシスになっている。

    “Liebe ist”
  雪暮れのマリア広場に購ひてシナモンの香の熱き葡萄酒
    “Feuer und Flamme”
  音にのみきくひとあるいは火炎焱燚菊あるいはネーナ・ケルナー、あなた
(「火炎焱燚(くわえん)菊」)

 それぞれの詞書にNENAのアルバムタイトルをかかげているこの連作は、タイトルにもちょっと面白い漢字の遊びが仕込まれているけれども、真紅の炎のような火炎菊の花のイメージは、かがり火を焚きながらアップテンポで歌い踊るこの80年代歌姫のノリのよさによくマッチしていると思う。ホットワインの歌には茂吉の欧州紀行を思い出させる姿のよさがあるし、「音にのみきく」は、「遠からんものは音にもきけ、近からんものは眼にも見よ」という昔の武士の名乗りの表現を、音楽業界の歌姫にかぶせたものである。
 そのミュンヘンから南に600キロ下るとそこは水の都、ベネチア。この南へとたどる視線――それは、東京から南島を見る視線にも重なる――は、だが決してかろやかな解放の雰囲気を持つものではない。特にシェークスピアの「ヴェニスの商人」を引用した重いデモーニッシュな「契約」の概念が、特異な世界観をかもしだしている。

  十字路に立てる惡魔の惡の字の中の十字路に立てる惡魔の
    代償はヴェニスの商人方式
  ――容易き哉、其方の言葉の身ぬちよりきつかりと削ぐ肉一听(ポンド)
    この世も法がある地獄つてことか。
  其れは好都合つてもんさ、君たちと確かに契約を結べるなんて。
    [引用者註:口、口、口、口の活字が行の外へ逃げ出している]
  ことのはの腐葉土をゆく惡魔の背を射抜かむとして腕が捥げ落つ
    [引用者註:肉、月、身、月、扌、口の活字が行の外へ逃げ出している]
  ししむらをそがれてのちの血ならみなあげるよあなた、産んでよかつた
(「石敢當をつきぬけて」)

 「石敢當」は南島の道のつきあたりに立っている魔よけの石。十字路(かじまやー)は、風車や九十七歳のお祝いという意味もあって、異界、後生(ぐそー)との交通路と深く関係している概念である。そして「地獄にも法があるつてことか。/其れは好都合つてもんさ、君たちと確かに契約を結べるなんて」という「ファウスト」の台詞をエピグラフに掲げたこの連作は、出産が苦境に陥って、ヴェニスの商人方式で悪魔に自分の肉を売ってもよいから身代わりになれるものならなりたいという強い愛を、巧みな漢字のグラフィック・ポエムとして描きぬいた秀抜な作品である。その取引の結果として、悪魔のことば「容易き哉」の一首のそれぞれの漢字には、第三首第四首からころがり出た余計な部首の「口」「口」「口」「身」「月」「肉」「口」「口」「口」がくっついてしまって「容」の下の口が「口口」に変化した漢字、「哉」の「口」の部分が縦に二個「口」が並んでしまった漢字、など不気味でありえない文字の世界(ちょっとあの道教の霊符に似ている、というか、現代版のそのものに違いない)を現出させる(84ページ)。すなわち、その「取引」が紙の上で成立して無事出産がなされたに違いないのだ。道教の護符がインターネット上で簡単に手に入る現代ではあるが、それはあくまでも霊的ななにものかとの「取引」である! あるいは連作「外貨」においても、

  マジックテープに繋がる野菜を断つときの同じちからが生むおなじ音
  子に吾の名を教ふるはさびしかり別れのことばを手渡すに似て
  人質のごとく奪りあげたる熊のぬひぐるみを提げ保育所を出る
  ――肉體に繋がる頸を斷つときの同じちからが生むおなじ音
    [引用者註:肉の字の右にもうひとつ余計な肉がついている、
         「同」の「口」の部分が縦に二個に分裂]

 などのデモーニッシュな歌が掲出されており、いずれかの場面で取引の対価は払わなければならなくなるのである――、ということを、これらの歌はわれわれに警告しているように思える。
 つづく連作「トレミーの四十八色」もまた、この取引として神々に還す色ということを主題にしている。

  鳳仙花のごとき啓示よ神々に還すべき色四十八色
  喪いたる色など誰ぞ思ひ出す――トレミーは捧ぐ、双の眼球

 という二首を最初と最後にして、それぞれに凝った趣のある四十八首が挟まれている。トレミーは二世紀の天文学者、プトレマイオスの英語名。トレミーの作った星座表に出てくる四十八星座の名をまずラテン語ならびに中国語で詞書として記し、その中国語から発想したイメージを、かならず色の名前を結句として歌にまとめる、というように作られたきわめて方法的な作品群である。「双の眼球」というところからは、あるいはトレミー48は日本の人気眼鏡ブランドの名前でもあって、メガネフレームにデザインされた48色のこともひそかに指していると解釈することもできよう。

    Perseus/英仙座
  斬り落とすメドゥーサの首より散りゆける蛇よ流星群の山吹
    Aquila/天鷹座
  双頭の双双頭の双双双双頭の鷲ぞ空五倍子色
    Taurus/金牛座
  白牛に地母神たちが摘まみ持つための瘤あり風は草色

などの歌はその柄が特に大きく、SFチックなイメージを楽しみながら読めた。これらの連作の方法は、茂吉の「をさな児の積みし小石を打くづし紺いろの鬼見てゐるところ」「にんげんは馬牛となり岩負ひて牛頭馬頭どもの追ひ行くところ」というような『赤光』にある「地獄極楽図」十一首を思い出させるもので、行わけ自由詩からもっとも遠い、もっとも短歌的な世界を継承していると言えるかもしれない。
 花のカジマヤーをむこうからこちらに来る人もあれば、こちらからむこうへいく人もある。歌集は24歳の若さで不慮の事故で夭逝した歌人、安藤美保(1967—1991)への挽歌の一連「幡ヶ谷沃野」でしめくくられる。それと合わせ鏡のようにして語られるわが子の誕生の物語が、これほどまでにデモーニッシュに、不吉な妄想を追いかけるようにして書かれていくのは他に例をみない。そうとははっきり書かれていないが、わが子は安藤美保の生まれ変わりなのではないか、あるいは、安藤美保の運命を後追いするのではないか、というような親の不安が伝わってくる。

    Bar Pledge
  〈誓約〉と云ふ名の店に飲む火酒のローランドからハイランドへと
  テーブルが荒野であらば沃野たるバーカウンターに歌を拾ひつ
  “ツーフィンガー”確かむるには細き指なりしか安藤美保の其の指
  うたがひて疑ひやまずも詠ひつく場所はきとあり焚火の如く
  性別を明かさぬままに子を詠みてふたとせさうだふたとせが過ぐ
    Schleich
  東京にゆくたび購ふ動物の模型のつがひ仔は購はず
  実に善く出来てますねと云はれたる沃野のうへのつがひの羊
  又、来ますと云ひつつ鞄に仕舞ひこむ『水の粒子』とつがひの羊
    ――はるの波紋よゆつくりねつて
  ひやくねんを空に漂ひましろなる山椒魚が我をいざなふ
    *
  其のときが来たらば吾を訪ひに〈誓約〉と云ふ名の店に来給へ

 ウイスキーが生まれたスコットランドの緑で覆われた沃野。そこには放牧の白い羊が点々と散らばっている(羊を飼ったりウイスキーを蒸留するくらいしか泥炭地は利用することはできないのだ)。その緑。ドイツの玩具メーカーのよくできたつがいの羊の模型を作者は東京で購入するが、なぜか子羊は買うことがない。作者はそのことによって、おそらく子の夭折への不安を暗示しているのかもしれない。(Google検索によれば)どうやら沖縄の苗字を持つバーテンダーのいるらしい都会のバーで、買ったばかりのドイツSchleich社製の羊のつがいをバーカウンターに飾りながら、「ほっそりと反らすこともでき友達の唇(くち)さわることもできる指もつ」「ツーフィンガー気負いて飲めばもろともに夕陽のなかへ落ちる勉学」などという『水の粒子』の歌を拾っていったであろう作者のぜいたくな時間。
 本書を通読させてもらった感想はまず、子の誕生をめぐって、これほどまでにスケールの大きくかつ地に足のついた表現を展開することができるのか、ということで、それが作者に十歳おくれて新米の父親となった評者にとっての個人的な驚きであった。歌人はここまで書けるのか。こうまでして展開できるのか。しかし、自分もまた子を持ってはじめてわかったのは、まったくもう、おとなの世界へようこそっていう感じなのである。小さいものの出現によって、いやおうなしに永遠の青春のモラトリアムから未来の世界へと蹴りとばされてしまった。
 そして、いくぶん難産だったらしい分娩のシーンを詠んだ一連においては、「テテップップ」という鳩の鳴き声のような何かの機械の音を聴きながら「ひとがひとを保たむとするまづしさを剝がされ吾も樹になつてゆく」(「其のひとは」)という一首が特に圧巻であった。「「前世は木だったかもね」自動車の扉を開けて吾をふりかえる」(安藤美保)をおそらく踏んだであろう「樹になつてゆく\誰もゐない/真つ暗な\まばゆさのなか/木霊を\叫ぶ」(「其のひとは」)のスラッシュの連発のリズムは、荻原裕幸氏らの記号短歌を連想させ、掲出歌での「ふたとせさうだふたとせが」の「さうだ」というところの感傷的な文体などは岡井隆氏を彷彿とさせるけれども、時として彼岸へと眼を向けさびしい悪魔と切り結ぶことも辞さないこの作者のシャープでかつデモーニッシュな歌柄の大きさは、そもそもは岡井さんの得た果実を受け継ぎ、さらにその先へと現代短歌の駒を進めるものだろう。
 漢字文化は日本語表現の核にあるものだが、非常にユニークな造字法によってその限界を拡張しようとした作品の数々は、日本語表現全体に対する大きな挑戦である。おのおのの連作の主題がさまざまなカルチャー・サブカルチャーと切り結びつつ、実に活き活きと面白く展開するとともに、それぞれの連作が集まって一冊のひとつの大きなストーリーを作っていくところも、連作単位の短歌表現をはるかに超越した一冊の構成力の高さを物語っている。そして「海への道なめらかに反り海沿ひの道へと変はります 元気です」(「石垣島 2013」)というように、沖縄、石垣、あるいは台湾といったマージナルなトポスを渉猟し、そこに深く根をおろす力。これらのどれをとってみても、本作が現代短歌のみならず現代日本文学のエッジを切り開く意欲的な作品であることは論を俟たない。これらの要素すべての調和にさらに磨きがかかり、よりまろやかになっていくだろう光森さんの今後の挑戦に心からのエールを送りながら、ひとまず今年度時評の筆を擱くことにしたい。

短歌評 戦後短歌史から透視する現代詩史――川野里子『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』から見えるもの 添田馨

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 ほぼ一年間続けてきた短歌論の連載も、今回が最後となる。現代詩の側に身をおきながら、私はおなじ詩文学に属する現代短歌について、これまで一定の距離を保ちつつ、思うところを自由に述べてきた。自分としては初めての試みだったが、考えてみれば現代詩と現代短歌そして現代俳句の三者は、言語芸術として互いに隣接しあいながら、その歴史的な変遷の経緯については関連づけて論じられることがほとんど無かったように思う。これは実に不思議な光景と私には映っていた。
 自分の勉強不足を棚に上げて言うのだが、ここにきて私は、戦後短歌の歴史を透かし見ることによって、その遠景に戦後現代詩の命脈に通じあうものが二重映しになるのではないかと、何の根拠もなく考えるようになった。ただ、そうは言っても、戦後現代詩の歴史については多少の知見があるとはいえ、戦後短歌の歴史について私はほとんど何も知るところはなかったのである。そのような折に、川野里子の評論集『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』(書肆侃侃房・2015年)をたまたま手にすることになった。パラパラと頁をめくるにつれて、著者の抱える問題意識が、自分のそれとかなりの部分重なり合っているという直感がやってきた。この評論集を入口とすることによって、そこに短歌と現代詩(口語自由詩)に通底しあう課題が新たに浮き彫りにされるのではないか。また、それを見極めることで、これまでとまったく違った文学形態の展望が、あるいは拓けてくるのではないか。そんな期待とも予感ともつかぬ思いが、私のなかにむくむくと湧き起ってきたのである。以下、そうした直感だけを頼りにして、思いついたことをランダムに列挙していくことにする。

■問題意識の原点

 川野の問題意識の原点は、「はじめに」のなかにもっとも明快に凝縮されていると映る。「もはや戦争のなかった世界には戻れない、という不可逆の世界への覚悟は、今、震災後に象徴される世界を生きる覚悟に繋がる」と川野は述べる。現在が、戦後であると同時に震災後でもあるという共通認識と、そこであえて短歌文学のありかたを問いなおすモチベーションとは、一体どこでどうリンクしてくるのか。彼女はおなじところで次のように述べている。

 戦後の焦土は言葉と文化の廃墟でもあった。しかしそこから立ち上がろうとする少数の表現者たちは、この廃墟こそを自らの営巣の場として選びなおした。同時に、この詩型を選んだことによって表現者としての責任というべきものをも背負うことになった。もう忘れられようとしているこの責任を短歌はなお背負っていると私は感じる。戦後短歌は、この詩型の背負っているもの、言葉の重みをあらためて問いかける。今日、短歌の読者にも、そして作者にとっても、この荷物はほとんど無意識となりながら、しかしやはり背負われている。戦後の短歌の背骨となってきたのはこの責任の無言の重量感である。
(「はじめに」9~10頁)

 戦後の現代詩とまったく同じではないかという新鮮な驚きが、ここを読んだときまっ先に訪れた。「責任」ということがここでは言及されているが、戦後現代詩の場合は、それは例えば詩人の戦争責任のかたちで問われたことが鮮烈な印象として存在する。最近では、この問題に直接言及がなされることは非常に稀になったが、私自身はそれがいまだ決して消え去っても死に絶えてもいない重要なテーマだと思っている。はたして短歌も、現代詩とはやや異なる位相で、同様の問題本質を抱えているという姿を、ここで確認することができたのは、何よりの発見だった。

■自己否定あるいはネガティブな来歴

 川野は「現代短歌とは、第二芸術論以後の短歌のことだ」(「出発について」21頁)と言う。つまり、現代詩(口語自由詩)とは違い、戦後において短歌はジャンル全体が否定の対象に晒されるという歴史体験を背負っているということだ。具体的にそれが、「第二芸術論」(桑原武夫)あるいは「短歌的抒情の否定」(小野十三郎)などによる本質的批判であったことは言を俟たない。だが、川野は、「この時期、このような自己否定は、「日本」に関わる全てに及んでいたと見ていいのではないか」(同19頁)と、短歌に向けられた否定の矛先を「日本」的なもの全般に向けられた否定の視線のうえに同致するにいたる。そして、「第二芸術論」は「まだ終わっていないと感じている」と明確に述べている。
 文学表現の短歌的あり方への否定から「日本」的なものへの否定へ。この回路は短歌という表現形式が孕み持つ特殊な問題性を、いわば普遍化したことを意味するだろう。現代詩の領域でおなじことを展開しようとすれば、これは「辻詩集」などいわゆる愛国詩の問題へとまさに直通する。「第二芸術論」がまだ終わっていないように、愛国詩も決してまだ終わってはいない。
 「七十年の孤独」とは、まさに自己否定あるいはネガティブな来歴として、こうした全面否定論を七十年間もその中核に無言で内包しながら、言葉を紡がざるを得なかった短歌文芸の宿命と、その詩型をあえて選び取った川野自身の、創作者としての意識の底深い孤独を言っているのだと思う。

■最も必要なものとは

 詩を成り立たせているものは一体なんだろう。無論のこと、数多ある詩作品ひとつひとつの成立事情のことではない。むしろ、そうした個々の成立事情をすべて束ねたうえで、はじめて抽出することができる、詩作品の存立要件そのもののことを言っているのである。私はそれを、〈原理〉と〈方法〉というようにずっと呼び慣わしてきた。言語や時代や文化が詩をその懐に抱えながら大きく変容したとしても、それを根本で詩のかたちに変らず支えているものは、このふたつをおいて他にはない。〈原理〉はその作品の歴史的な出自を明らかにし、また〈方法〉は作品の現在的な形姿を説明する。
 まさに私のこうした定式化と呼応するかのように、現代短歌に最も必要なものは「文脈」と「批評」なのだと川野は断言する。「それは、評論として書かれるものだけを指すのではない。むしろ書かれぬ評論として短歌作品がその言葉の背後にあらかじめ抱えている暗黙の批評であり思想である。それぞれの作品がその言葉の裡に自ずと内包している、言葉に必然性を与える文脈である。それなしの方法もテーマも全く空しいと私は思う。」(「文脈と批評の力」22頁)――こうした声は、現代詩の世界でもほとんど聞かれなくなった。実は、こうしたことは、一見すると倫理的文脈で言われているように考えられがちだが、私はそうではないと思う。むしろ、作品以前に実在する創作者存在を前提して、作品以後に生き延びるところの(作品の)生命を語るのに、どうしても触れられなければならない最重要与件だと思うのだ。
 川野のいう「文脈」は私のいう〈原理〉と、おなじく「批評」は私のいう〈方法〉と、それぞれ対応している。表現が異なっているのは、川野が行為の軸からそれを名づけ、私が認識の軸からそれを名づけているからに過ぎない。

 現在の短歌の状況がそれほど健康ではない無風状態に陥っていると感じるのは私だけではあるまい。表現は多様であり、個々の作者は優れた表現意識を持っている。にも関わらず、表現された言葉が何に否を言い、何にイエスを言うのか、どのような文脈を創造し、なにを目指しているのかが模糊として見えない。カラオケ状態といわれた互いの表現への無関心も、もしかすると互いの表現が何を目指しているのかが見えないからではないのだろうか。そうした「文脈」の議論を欠いたままの議論は微細な表現の差異や感覚の差異に行き着いてしまうだろう。またダイナミックな史観への窓口を欠けば、短歌の議論はいつでも素朴な態度論か方法論に行き着いてしまう。
(同25頁)

 創作にむかう主要な動機が「微細な表現の差異や感覚の差異」をめぐる悪しき循環に陥っていまいかねない事態とは、現代詩において七〇年代の半ば以降に実際に訪れた状況に他ならない。ここでも、短歌における表現と現代詩におけるそれとが、似たような質的変容に見舞われていた歴史情況を、私たちは改めて知ることになる。重要なのは、こうした情況認識が、短歌において、あるいは現代詩において、最も必要とされるべきものの喪失感覚のもとに現前している事実なのだ。

■根源的喪失

 戦後、この国の口語自由詩は一般に〝戦後詩〟と呼称されてきた。戦後詩は、文字通り戦争によって自らの生きる根拠を見失った者たちによって、その深い喪失感を負の母胎としてその新しい一歩を踏み出さざるを得なかった。そういう経緯がある。従って、戦後詩の根底に根強くあったのは、肯定性の原理ではなくむしろ否定性の原理であった。みずからのアドレセンスを世界の側から暴力的に奪われた彼等の世代にとって、戦後という時代はその喪失感に見合うものでは必ずしもなく、むしろ喪失感より絶望感のほうへ雪崩れていく危機的な時間感覚となって現れた。一度は自分を否定しにかかった世界を、言葉の全体性のなかで今度は主体的にもう一度否定してやることが、詩作にむかう主要なモチベーションを形造った。つまり、その詩法は否定の弁証法ないしは告発の文体を必然化することになるのである。
 実経験としての〝戦後〟をそのように歴史化するなら、恐らくそのウェイブは七五年前後で間違いなくいったんは途絶える。そして、その後からやって来たのが、終わりなき日常だった。すなわち戦争による根源的喪失によって醸成された「無名にして共同的なるもの」(鮎川信夫)を見失い、互いに孤絶した関係性のなかでひたすら言葉の表層の意匠をつなぎとめるだけの空虚な時間感覚の波がそれである。川野が「他者」について語るとき、私は彼女がすでに見失われたこの「無名にして共同的なるもの」を、意識せずとも指さしていると思うのである。

 近年の短歌表現は感覚的に非常に洗練され、物や事の質感、ディテールの手触りなどにおいて精緻な表現を競っている。細部の質感をきっちり把握すること、尖鋭な感覚で捉え直すこと、物や事の手触りから感知されるものは短歌表現の要だ。短歌とは事物との対話に他ならない。だが、もし今日の短歌に危うさを感じるとしたら、そうしたディテールの先に開けるべき他者や世界への問いがあらかじめ断念されているように感じるからだ。
 短歌にとって例えば「日常」が重要なテーマであるのは、日常身辺の一つ一つが見えぬ糸をもって非日常に繋がるからであり、日常身辺の物や出来事は、巨大な影としての「他者」への問いかけの供物としてそこに現れているからだ。「今」を生きる共通の感覚を求め合ううちに、言葉の向こうに見えていたはずの「他者」を失い、現代の言葉は浮遊する感覚の断片になろうとしている。創られたとたんに孤児となってゆく言葉。あるいは私達、そして日本全体が浮遊し始めている。
(「短歌の『他者』」28頁)

 特に八〇年代以降にやってきた文化のポスト・モダン的状況と、川野がここで言及する「他者や世界への問いがあらかじめ断念されている」ような世界とは、ここで見事に重なり合う。結果として、文学における表現言語も「浮遊する感覚の断片」でしかないようなひとつの時代が、そのとき実際に招来されたのだ。川野がここに描いているのは、あくまで短歌の分野における現実認識だが、私はこれとまったく同質の認識を現代詩の経験の中になんの違和感もなく見出すのだ。

■文体創出の根本動機

 現代詩(口語自由詩)の世界に、口語と文語の確執といったような問題は、これまで見かけたことがない。口語自由詩というのは、どのような文体を用いてもまったく自由な書き方で作られた詩作品を指し、仮にそこで文語が使われようが口語が使われようが、そうした文体選択じたいが作品の評価を根本的に左右するといったことにはならない。だが、短歌においては若干事情が異なるようだ。「考えてみれば、俵万智、加藤治郎、穂村弘らの口語が登場した八〇年代後半から九〇年代以降、現代短歌論とは口語論であったと言っても過言ではない。」(「1むしろ『語られぬ文語』の問題として」133~134頁)――川野はこのように述べる。そして「文語を選ぶ『特殊な動機』について議論するべきときが来ている」(同137頁)と言うのだ。

 短歌を語ることの背後には文語の「制度」のようなものが寄り添うイメージがある。それはごく漠然と文語を語ることを億劫にしてきた。文語を語ることは「伝統」という太い既成の歴史に恭順し結託すること、というふうに。文語はそれ自身、語られる必要がないほど泰然と短歌という様式の背後にある、漠然とそう信じられてきたのではなかったか。
 しかし、おそらく文語とはそのような「自然な」存在の仕方をしてきたのではない。むしろ文語こそそれぞれの時代の必要、あるいはそれぞれの作者の渇望から生み出し続けられた文体の堆積した地層だと考えた方がいい。
(同135頁)

 私には、この部分はきわめて重要なことが述べられていると映る。文語はむかしから自然に存在していた表記法なのではなく、時代時代の要請によってその都度創出されるつねに新しい文体だというのである。正直なところ、川野のこの指摘は私の文語観を百八十度ひっくり返した。川野はさらに、文語と口語が重奏する短歌の「混合文体」についても言い及ぶ。

 今 、大半を占める「混合文体」のなかには、口語と文語の中間なのではなく、今日的な必要によって生み出された「新しい文語」がある可能性はないのか。常に口語の側から語られてきた現代短歌の問題を文語の側から語ることはできないか。戦後短歌は次第に口語化してゆく流れにあったのではなく、文語を拡大開拓してきた歴史として捉えることもできるのではないか。
(同136頁)

 ここで一歩引いて考えれば、口語自由詩という場合の「口語」は、厳密には普段われわれが話しているような実際の口語(会話の言葉)と同一のものではない。むしろ「口語」は、文語体ではない、より話し言葉に近い文体との位置づけの下に、そう呼ばれているに過ぎないとも言える。この問題は、例えば『言語にとって美とはなにか』の中で、吉本隆明が「文学体」と「話体」として分類した文学作品の二系統の文体の問題として、短歌における文語と口語の区別も考えるほうがより生産的のようにも思えるのである。そこから果たして新しく見えてくるものがあるのだろうか。

 今日の短歌を巡る語りはいつの頃からか両輪の筈の片方を失って走り続けて来た。大きなテーマとなってきた東日本大震災は、短歌に今後の表現の可能性を深刻に問いとして突きつけている。その問いに向き合うとき、果たして震災は口語で詠えるのかどうか、ではなく、いかなる文語によって詠えるのか、が議論されても良い。口語を中心に語り続けられてきた現代短歌論では語りきれないものがある。
(同136頁)

 「果たして震災は口語で詠えるのか」――この問いは、私たち創作者にはとてつもなく深く、そしてまた重い。川野はここで文体選択の問題を、作歌の根本の原理に関わる究極の問いにまで高めているのだと言える。短歌表現における「口語」が、震災のように自分たちの生存の根拠を根こそぎ奪っていくような現実の圧倒的な暴力に対して、本当に自立的に向きあうことを可能にする文体なのか。言い換えれば、そうした極限の状況においても、「口語」が自らの生存の拠点たりうる文体であり続けることができるのか、をそこで川野は執念く自問していたのだ。
 現代詩の分野で、こうした「文語」創出の機運はじつに「ゼロ年代詩人」と呼ばれる者たちのあいだで特に顕著であった。彼等はその世代的特徴や表現思想の表明においてよりも、自分たちの詩作品における過激な文体創出において、まさにひとつのエポックを形成したのである。その姿は、まさに川野が言及する新しい「文語」の創造に重なりあう運動だと私に思わせるに十分なレベルに届いていた。
 「文語は不断に『今』と『過去』を対面させ、問いかけ、主題を調べに造り直す働きをしているのではないか」(同144頁)とも述べられるように、文体創出の根本動機は、短歌的趣向の統制の問題ではまったくなく、文学の根本的なあり方をめぐる徹底した思想的要請として現前していたのだ。

■表現の未来

 終わりなき日常としての戦後および戦後=以後を生き延びてきた短歌、そして現代詩にとって、「3・11」(東日本大震災)とそれに打ち続く福島第一原発の原子力災害は、文字通り青天の霹靂だった。本論の冒頭ちかくで引用した川野の、「もはや戦争のなかった世界には戻れない、という不可逆の世界への覚悟は、今、震災後に象徴される世界を生きる覚悟に繋がる」という真摯な問題意識も、そうした背景から否応なく呼び醒まされたものだった。だが、どうやって?私たちに、持ち駒といったら言葉しかないではないか。いや、違うのだ。言葉こそが、精神の武器であり、飛びかわす弾薬であり、そして復元のための建具であり、また普遍への扉をひらく鍵なのである。

 短歌にとって、そして広く表現するということにとって、結局そのような被災地の現実に言葉が及ばない、何が起こったのかを言い当てることができないという状態は、言葉のレベルでの「全電源喪失状態」だったのではないか。この絶句状態、現実と言葉の裂け目のあったことこそ何より貴重な言葉の体験だったのではないか。たぶんこの時感じられた沈黙ほどリアルな言葉は近年なかったと今、あらためて思う。
(「1言葉の『全電源喪失』の後を」167頁)

 この沈黙は、しかし、完全に逆説的な意味で、近年まれにみる豊饒さ溢れる沈黙だったはずだ。豊饒さ溢れる沈黙とは、やがてそこからまったく新しい言葉の種子が芽吹くための、残酷であるが逃げることもかなわない精神の惨劇を、その内部に過剰なまでに封印しているはずだからである。私たちの表現の未来が、まさにこのような殺伐とした無人の場所からしか始まらないとしても、私たちの意志は言葉の表現に賭けるのである。賭けることを止めてしまえば、言葉の表現がこれまで積み上げてきた価値のストック(名歌秀歌)すら、もはや守る手立てはなくなってしまうだろうから。

 「名歌」「秀歌」は、共有されてこそ名歌秀歌である。今、好みでしか歌の価値を語れず「私」の「名歌」「秀歌」でしかないとすれば、そうした共同体を思い描きにくいからだ。「優れた」作品を作ろうとし、残そうとするのは過去から未来へという「時間」軸を抱え込み、存続しようとする共同体なのだ。「時間」軸と共同体には密接な関係があり、過去から未来へという「時間」を共有し幻想する集団が共同体であると言ってもいい。そうだとすれば、そうした共同体は今、なくなっているか、あるいは大幅な再編成の時代にある。
(同171~172頁)

 「共同体」という言葉が、やけに最近は身に染みてならない。基盤となる文化的かつ歴史的な防塁としての「共同体」があってこそ、文学の自然資産たる「名歌」や「秀歌」も、次の世代へと生前贈与されていくことが可能になる。フクイチの原子力災害は、まさにこの「共同体」そのものの遺伝子レベルでの亡滅をもたらす破壊神の所業に他ならなかった。また、それ以上に、文化的かつ歴史的な防塁としての象徴天皇制が、いまや存続の危機に立たされている状況が一方に厳然とある。政治権力が「名歌」や「秀歌」の防塁であったためしはない。最も弱々しい力しか発揮できない言葉によって、そして言葉によってのみ、現在の窮状を突破しなくてはならないこと。現代詩においても現代短歌においても、それは私たち創作者にとっての不文律であると同時に、未来不変の矜持でもあるだろう。
 「『時間』を共有し幻想する集団が共同体である」との川野の言葉は、一層厳しさを増す今日的状況において、もはや永久に回復されないナショナリティの符牒であるかもしれず、その不安が完全には払拭されていない以上、どこか黙示録的な陰影をおびてしまっているように、私には響き続ける。
(了)

短歌評 短歌を見ました4 鈴木 一平

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『穀物 第3号』の続きです。

  フライパンの中に油を敷くけれど言ってくれ間違っているなら

 進上達也「すぐにこすれて燃えてなくなる」から。上句の提示を下句で引き受けつつ、文節を通して後者の論旨をフライパンでも油でもない場所に向ける流れは、詩でいえば改行に近い論理が働いているとおもいました。上下の構造的な分割を経由することで逆接の内容を漂白させ、残存する前行の提示を弱く脱臼することで、作中の基本的なトーンとなる生活感に迫真性を搭載させつつ、脈絡のズレが持つ切れ味を読ませます。「定期券区間の外でこれからのお金の減り方を覚悟する」や「ヌードルの麺を伸ばしてお湯をぬるくしてから本当に思い出す」などにも見られるこの構成は、いわく言いがたい生の感覚を作中に結晶化させているような印象を受けます。

   以前、名をつけたことのある嗅覚が見つかる一昨年のマフラーに

 「匂い」ではなく「嗅覚」と呼ぶニュアンスがいいとおもいます。「匂い」であれば一昨年のマフラーに残る一昨年のだれかの(私の?)匂いとして、今の私がそれを嗅ぐという意味に留まりますが、「嗅覚」として差し出されると話は変わってきます。「嗅覚」は嗅ぐ対象ではなく嗅ぐことに伴う匂いをもたらす感覚そのものであり、その意味でいまの私の嗅覚とは決定的に一致することはありえず、いまの私ではない別の何かになることの契機をもたらすからです。そのため、修辞としては想起というより過去の現前として現在の私の変更をもたらす強さがここにはあり、翻って一昨年のマフラーがもつ過去の匂いの鮮烈さを感じます。

  襟首が伸びていつかはこの部屋を出る新しい可燃ごみとして

 連作では先ほどのマフラーの後に「年末のもうすぐ捨てるセーターの行く先々で挨拶をする」が置かれ、その次に上記の作品があり、衣服を一要素に詠み込んだものが連続しますが、これらに共通して見られるのは、衣服を着古していく時間の流れに過去や未来の方向性を添えつつ、どこか諦念を含んだクリアで余韻のある叙情です。さて、この作品では衣服の劣化に「襟足の伸び」を重ね合わせて、身体に流れる時間が描かれています。これまでレイアウトの一部として対象化されていた衣服が作品の基底として、あるいはレイアウト全体の共働の結果として描かれています。つまり、衣服は作品の中で経由される要素というより、パタパタと展開していく作品の運動と分かちがたくあるわけです。身体の重ね合わせは「襟首」としての表出と同時に、こうして作品を読み解いていく過程のなかで動的に形成されるものでもあるといえるでしょう。そして、これまで着古されたものとしての衣服が詠まれていたなかで、この作品は古着にごみとしての新しさが付帯されている点も無視できません。

 濱松哲朗「〈富める人とラザロ〉の五つの異版ーーRalph Vaughan Williamsに倣つて」では、冒頭にルカ伝の引用が置かれ、その後に5つのセクション([Variant1~5]、以下番号のみ表記)に分かれた連作によって編まれていますが、分量的に他の同人よりも多く、構造的にも少々込み入ったかたちでつくりこまれているように感じます。ネガティブな生を生き続けることを余儀なくされた私と友人の死についての意識を主題とした作品が目立ち、なかでも特徴的なのは、ルカ伝で生前のラザロの生活スペースとして描かれていた「門」が、異なるセクションのなかで繰り返し詠まれている点です。個々の作品の配置から読み取れる連鎖的なイメージと、随所に挟まれる「門」のモチーフを通して、そこから立ち上げられる読みを考えてみます。

  開かるる門のかたちに漏れ出づる饗宴の灯をしばし見留む

 [1]における門ははじめ、「饗宴の灯」が漏れ出す形態として視覚に与えられています。前述したルカ伝のすぐ後にこの作品が置かれているので、おそらく「饗宴」は「富める人」の室内で行われているものであり、それを門のかたちに漏れ出る光として認識する表現主体は、門前のラザロの姿を引き写していると読むことができます。以後、このセクションは「われを捨てし母の血われに流るるを疎まれながら育てられけり」や「しぶとくも生くる命よ 貧しきは血の穢れとふ声、零されぬ」、「次々に諦め慣れてゆく頃の落葉、生まれさせられし者」など、自己の出自を巡る作品が中心に置かれることで、「貧しき人」のモチーフが個々の作品から独立したかたちで、見開き内の主題として抽出されることになります。そして、

  身の程を知れと言はれつ 門前に屈み込むつつわれの崩えなむ

 同セクション内最後の作品である「身の程」へと接続されることで、だめ押しのようにルカ伝におけるラザロと門前に屈み込む「われ」が類似するように重ねられます。つまり、[1]において形成されるのは、ルカ伝におけるラザロの具体的な肉付けの過程であると読むことができます。個々の作品において成立する認識があり、それらの認識を横切る目のなかでさらに抽象的な認識が形成されていく、といえばいいのでしょうか。この見開きにおいては、そうした認識の積み重ねがラザロと「われ」の類似において結晶化され、その土台に設置された「門」が冒頭の「門」と呼応することで、印象が強められています。
 しかし、[2]は「われ」ではなく知人の死についての作品から始まります。

  早朝のスマートフォンをふるはせてわれにも届く声なき報せ

  ともだちの死をともだちが告げてゐる連絡網のごときLINEは

 私たちは[1]において「われ」とラザロのあいだに見いだされる類似を元に作品を意味づけでいくことができましたが、ここでラザロが死んだように死ぬのは「われ」ではなく「ともだち」であり、「われ」は「貧しさ」を宿したままラザロと分離します。もちろん、[1]における「われ」と[2]における「われ」が同一の存在であるとは確定的ではありません。[1]の「われ」が[2]における「ともだち」である可能性さえあるわけですが、むしろ、語としては同一でありながら作品としては別のものである両者の「われ」を読むことで、両者とは分離されたかたちで「われ」と指示される存在が立ち上がると考えたほうがいいのかもしれません。「われ」は表現主体の可能なバリエーションの一つであり、一連の短歌作品の語り手でも、ましてや「書く私」として不動の地位を占める書き手でもないということです。

  閉ざされし門の手前に風絶えて(何故だ?)こんなに晩夏が似合ふ

 こうした分離の印象をそのまま引き受けるように、「閉ざされし門」はラザロと「われ」の類似ではなくそれらの分離としての側面を示す指示として現れ、同セクションは「生き残る者はラザロにあらばれば蝉の骸を避けて歩めり」「心音の耳に充つれば凡庸にいまだ死なざる身体重たし」と、生者である私を倦むような作品で閉じられます。ここで「門」は私にラザロとの類似をつくりだすために用いられるのではなく、ラザロと私が異なることを示すために用いられているわけです。続く[3]で「門」は一度も登場せず、[4]の末尾を待つことになりますが、[3]で繰り返し用いられるモチーフと「門」の登場の遅延を通して、前述した「分離」の機能をさらに複雑化したかたちで、[4]の「門」は使用されます。[3]において描かれるのは、これまであった苦悩のうちで生き続けることへのそこはかとない執着に加えて、死への希望や死後の自分に対する意識です。「夏にふる雪にあらずも 初めから見え透いてゐし終の姿は」「死ののちを清らに残る感情のわれに暗渠のごとくありなむ」といった連鎖的な構図も無視できないものの、「せめて鏡を伏せてから死ぬ まなじりに前世のなごり浮きいづる頃」「繰り返さるる生の途上に焼かれゆくわが身よ 無理をさせてすまない」「信じてゐた(ーーそれが私の心からの抵抗であると、)伝へてください」など、死への近似は現行の生をやや超えたかたちで展開されていて、これらの作品を、生き続ける「生」と死んでしまった「生」の組み合わせによって生じた、「この生」に対するゆらぎや相対化の認識として読むことができます。また、このセクションで目立つ語彙としては「雪」(前述の「夏にふる雪にあらずも」に加えて、「ウェブ上にふりしきる雪 更新の滞りたるページかがよふ」)も挙げておく必要があるかとおもいます。

  快晴の朝の葬送耐へ切れずはじけてしまふ実柘榴の刻

 前述した「雪」と[2]における「蝉の骸」との時間的なギャップを与えるように、[4]において示唆されるのは、友人の死からの時間の経過です。冒頭となる上記の作品では葬送の場面が読まれ、続く作品でも「〈偲ぶ会〉と称して集ふ旧友の写真届きぬわがLINEにも」や「われの他に幾人かゐる不参加を引き算のごとく数へあげたり」、「懐かしい、と思はず打てる返信に永遠に揃はぬ〈既読〉あひなむ」など、経過の印象が強くあります。[2]で見られた「新聞のおくやみ欄の画像あり二十七とふ享年目立つ」と同じ位置に「音楽家でもないくせにこの歳でーー、つて、成りたかつたのかもしれないが」、「ああきつと空が笑つてゐたのだらう八月に死をえらびし君よ」の位置に「それぞれに語らぬ過去のあるならむ沈黙よりもおもき笑顔に」が置かれてあることからも、[2]と[4]は対の構造を強く意識してつくられています。

  陽炎の彼方に見ゆる門あれば守衛のごとく蝉の啼き立つ

 そして、[4]を結ぶ「門」であるこの作品は、「手前」と指示されていた「門」との対比的な遠さとして「陽炎」の彼方にあり、季節の回帰として骸ではなく鳴く「蝉」を身にまとっています。ラザロではない「われ」から距離的に離れ、かつ時間的にも離れている「陽炎の彼方」における「門」は、死者と生者のあいだの「分離」の経験それ自体との分離を描くように使用されている、と見ることができるのではないかといえます。この作品の前に配置される「富める人ならざるわれらお互ひの腫物を目守りつつ触れざりき」は、富める人ではないが、しかしラザロでもない「われ」の姿を、再度自身に搭載するかのようです(そして、「生き残る者は」とこの作品は、やはり同じ位置に置かれています)。

  閉ざされし門に凭れて夜明けとふ乏しき時をわれは恃めり

 [5]は[1]と同様に、「門」を用いた作品から始められます。ここで門は[2]と同じ「閉ざされし」という修辞を受けており、そのため他の「門」とは異なる類似性を二つの作品は帯び始めます。構成には知人の死に対して言及しない[1]および[3]の流れを汲みながら、[2]と[4]で展開された対の反響を「閉ざされし門」を用いて召喚し、連作の最終章を飾るかのようです。「亡失は生者の奢り 過去といふ過去を野焼にくべつつ往かむ」「運命と呼べば貧しき現実をわれは死ぬまで生き続けたし」「紅葉の季に到りてわが裡に君のいたみの色付きはじむ」など、後続する作品もどこか総括的な気配を帯びながら、次の作品に続きます。

  この門もぢきに崩れの日を迎へ境界線の分からなくなる

 ここで「門」は[1]においてラザロを引き継いでいた「われ」と同様に「崩」の語を備えることにより、ルカ伝ではなく「われ」との類似を示し始めます。しかし、この類似は固定的な意味を引き継ぐというよりも、[1]において「貧しき人」としての性質を搭載することでラザロとの類似を示しながら、決定的にはラザロとして死ぬことのなかった分裂を跨がるように生起していた「われ」の組成のあり方を、崩れることによって引き寄せています。「門」は語としての同一性を持ちながらも、その現れをそれぞれ異なるものとして現れていたので、近似の操作が行われていた「われ」を引き受け、かつ「境界線」を失うことで、「われ」と「門」の重なりとして[1]から[5]までの運動をこの見開きの内側に呼び込みます。

  生き残るなら引き受けるより他なくて声なき声を身に響かしむ

 かつての得られた運動を模倣するように語を反復させ、そのつど特殊な意味を埋め込むことで、運動の媒介としての側面を語に搭載させること。かつまた、語ではなく語の使用法を反復させることで、複数の語が結晶化する地点をつくりだし、その使用法をも反復のたびに絶えず組み替えることで、以後も変容する生の内側に声なき声を反響させていく。そうした試みが、本連作にはあるのではないかとおもいます。

短歌時評125回 短歌はもっと黒田夏子の影響受けたらいいのにと思って書いた文章 吉岡太朗

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 先日飲みの席で「最近の短歌ぜんぜん面白くない」みたいなことを言ってしまいまして、「いつの短歌は面白いの?」と訊かれて答えなかったんですが、昔の短歌も面白くない気がする。
 きっと面白くないのは短歌の側の問題ではなく、自分の側の問題だろうと思っていたんですが、たったいま面白い短歌があるのを思い出しました。
 黒田夏子『感受体のおどり』。
刊行は2013年で、割と最近です。
 でもこれ短歌じゃないんですよね。
 世間的なカテゴライズではどうも小説に位置づけられてるようです。
 あんまり読み心地は小説っぽくないんだけど、だからといって詩とはあんまり思わなかった。
 別に定型じゃないだけで、短歌だろって思ってしまった。
 まあ短歌やってるからそう思うだけなのでしょうけれど。
 でも客観的な位置づけなんてものはまやかしで、読んだ人間の実感だけが本物なので、短歌だということにして、少し読んでみたいと思います。
(注:時評という言葉が含み持つ何らかのものへの抵抗が、このような文体を選ばせているのだと思ってください)
 男か女かときかれて,月白はどちらかと問いかえすと,月白が女なら男なのかと月白はわらった.
 『感受体のおどり』は1番から350番までの短い文章の集まりで成り立っています。これは1番の書き出しのセンテンスです。
 短歌っぽいと思います。
 どこが短歌っぽいかと言いますと、このセンテンスには枠があるように思えるからです。
 どんな枠かというと、「一つのセンテンスである」という枠で、そんな枠はどんなセンテンスにもあるので、そうなると「すべてのセンテンスは短歌だ」ということになります。
それはある意味正解なのだと思います。
 この世に短歌じゃない言葉など存在しません。
 でも私たちは決してそんなことは思いません。
 なぜかというと普通はあまり枠を意識しないからです。
 理由は次のセンテンスに進んでしまうから。
 身も蓋もないこと言ってしまうと、このセンテンスは一読よく分からないのでもう一度読んでしまうところが短歌っぽいのです。
 短歌って一番下まで読んだらまた上に返りませんか?
 きっと短歌やってるひとはうなずいてくれるはず。
 ……余談が過ぎました。
 「月白」は登場人物で、視点人物である「私」と会話をしているようなのですが、まるで「月白」と「私」は自分で雌雄を決められる生き物であるかのようです。
 そういう生き物いそうだなあ、とグーグルで調べたら「ニワトリの細胞は自分自身で性別を決める」と出てきたり、アーシュラ・K・ル=グウィンの『闇の左手』は両性具有の人が男になったり女になったりしたなあ(あれは自分では決められなかったはず)とか思ったりしました。
 けれどまあ、『感受体のおどり』というくらいだから踊りの話なのでしょう。
前頁の登場人物表のところの「踊り関係の人物」に「月白」が含まれていて「私」の師なのだと分かるようになっているし、後に続く文章を読んでいくと「男役」「女役」という言葉がちゃんと出てきます。
 その辺を踏まえてくどいくらいの意訳をすると、「今度の舞台で男役と女役のどっちをしたいのかと師匠の月白が弟子の私にきいてきたので、私は月白はどちらの役なのかと問いかえした。すると月白は「私が女役をするなら、あなたは男役をするのか?(あなたは人の意見をきいて、自分の役を決めるのか?)」と答えてわらった」となります。
 こう見るとこのセンテンスにはたくさんの省略があることが分かります。
 読者はその省略を補って読んで行かないといけない。
 省略を補うというのは空間を覗き込むことです。
 文章が生成する空間に首を突っ込んで向こうに何か見えないかな、と探す行為です。
 はじめは空間が真っ暗なのでいろんなものが見えます。
 生物の神秘とかジェンダーSFとかまやかしなんですが、あるような気がしている時点ではあるわけです。
それを「ある」とはっきり確定させてしまうと、いわゆる誤読というやつになるわけですが、確定させてしまわない限りは連想の広がりとして楽しめばよいものだと言えます。
 連想を楽しんでいる内に、だんだんと目がなれてきてうっすらと空間全体の様子がつかめてくる。
ところでこのセンテンスで一番の省略の対象になっているものは何かというと、もちろん「私」です。
 「問いかえ」しているのは「私」なのですが、前後の「月白」という語にサンドイッチされた上に、駄目押しでもう一度出てくる「月白」の「わらった」という動作に取り込まれてしまっています。
 師である「月白」によって「私」が文章空間の奥へ追いやられているかのようです。
「男か女か」と尋ねることによって、「私」に選択権を与えているようなのですが、その実与えることで「月白」が自身の寛大さを見せつけているようです。
 1番の後半には、「男役と女役との数がかたよってしまえば少ないほうをすることになるが,てきとうに変化のつく番ぐみになりそうなときなら私にも男か女かをまよう自由がのこった.」というセンテンスがあります。
ここでは「自由」という語を出すことで、逆説的に「私」を取り巻く「不自由」を描出していますが、この「不自由」は書き出しのセンテンスですでに暗示されていたのでしょう。
天からふるものをしのぐどうぐが,ぜんぶひらいたのやなかばひらいたのや色がらさまざまにつるしかざられて,つぎつぎと打ちあげられては中ぞらにこごりたまってしまった花火のようといえば後年の見とりかたで,身がるげに咲きかさなるものの群れを視野いっぱいに見あげていた幼児はまだ打ちあげ花火をあおいだことがなかったし,傘というものの必要性も売り買いということのしくみもいっこうかんがえたことがなかった。
 同じく黒田夏子の『abさんご』から。
 芥川賞を取っているので、こちらの本の方が有名でしょう。
 まず面白いのが「天からふるものをしのぐどうぐ」で、これはセンテンス後半に出てくる「傘」のことを言うのでしょうが、一読分からないことが読者を立ち止まらせる。
 立ち止まって意味を考えることが、文章空間を深く覗き込むことになるわけです。
 先の省略と手法は違いますが、効果は同じです。
 その「傘」を「花火」に見立てるのですが、ここも面白くて、「後年の見とりかたで」と見立てを自ら否定する。
 記憶されたものは想起され、想起のたびに作り替えられます。
 「傘が花火のようにきれいだ」と言えば分かりやすいですが、分かりやすくしたのは後で振り返った自分であって、その時の自分ではない。
 分かりやすさとは作り替えなのです。
 それに対し黒田夏子は抵抗し、正確に描こうと努める。
 それは客観的な何かに対してではなく、自らの感覚に対する正確さです。
 「天からふるものをしのぐどうぐ」という言い方も、「傘」と分かりやすく言うことで実感と違ってしまう何かを描こうとしてのことかも知れません。
 それは「傘」という枠への抵抗であり、「傘が花火のようだ」という枠への抵抗です。
 黒田夏子のセンテンスが枠を意識させるのは、枠に対して抵抗しているからなのです。
 見ているあいだだけ,行きあわせているあいだだけ,知りびとが知りびとであった日日,それぞれにそれぞれのくらしがめぐっているのはわかっていても知りたいとかんがえたことはついぞなく,たとえば遠くへのひっこしというような小児にとって死とえらぶところのない不在になつかしいという情緒はうごいても,それは去ることによって内がわに移ってきたものへの,つまりはじぶんへの惜しみのようで,去った者の今をおもうのとはちがった.
 再び『感受体のおどり』から。
これは4番の文章にあります。
 黒田夏子中一番好きかも知れないセンテンスで、特に後半部分がすごい。
 「私」の前からいなくなった者は、「私」の内面に移り住んでくるということ。
 引っ越しでの別れの惜しみは、自分への惜しみであるということ。
 幼児期の自身の感覚を、できるだけ正確に書こうと努めた結果出てきた言葉なのでしょう。
 それはくどくて分かりにくいが、私というものの内奥に迫っている。
 短歌が「私」を書くものなら、これこそ短歌だろうと思います。

 引用
  黒田夏子『abさんご』2013年,文藝春秋.
      『感受体のおどり』2013年,文藝春秋.
(文中のルビはすべて省略としました)

短歌作品相互評① 山木礼子から内山晶太「黄菊」へ  

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作品 内山晶太「黄菊」http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-04-08-18368.htm
評者 山木礼子


しずかな冬の連作。しかし、随所に痛々しい棘が潜んでいる。真冬の指を悩ませるささくれのようだ。
  白湯を飲むこころ来たりて冬の水ぎらぎらと鍋にあたらしく注ぐ
 一首目。お茶でもコーヒーでもなく「白湯を飲むこころ」がすでに作者らしい。白湯はコンビニにも自販機にも売っていない。飲みたいなら自分で沸かすしかない。自己完結的な行為だと思う。「ぎらぎら」としたステンレスの鍋に注がれるのは、管からでてきたばかりの水道水かもしれない。
  一匹の猫を抱きつつさらに抱く硝子のごとき春寒なれば
 そういえば、猫の身体は温かかった。夏に抱けば暑苦しい毛でも、冬にはほどよい温もりであるだろう。三句目の「さらに抱く」。一匹目に次いで二匹目も抱く、と読めばなかなかに楽しく幸福そうな光景であるが、むしろこれは一匹目の「影」のような、なにか実体のない「猫」像を抱いているようなさびしい手触りがある。「さらに」という副詞が名詞的な具体の重さを負わされている感じ。
  くちびるより干からびてゆきながらゆく沼というゆるき輪郭の辺を
 冬の唇は乾く。「干からび」るとは相当なものだ。「ゆき」「ゆく」は「雪」「行く」「往く」「逝く」あたりの感覚を淡く伝えている。みずみずしさを失った口のなかはねっとりと湿り、その淵を一歩出た唇はかさかさに乾燥していること。沼の映像が二重露光のように重なっている。
  鳩の脚の寒さへ贈るくつしたの打ち棄てられて冬がふかまる
 羽毛から突きだしている素裸の脚に「くつした」を贈ろうとするのはきっと人間的なやさしさで、それを「打ち棄て」る鳩もどことなく擬人化されている。ハートフルな光景が四句目で変貌するのは、芝居めいた自虐であろう。「寒さへ贈る」のたしかな技術にも注目した。
  ごくかすかなる濃淡におし黙る曇天よこれはひるがおのにおい
  黄菊という政治家の中国にありしこと冬が来れば咲(ひら)くよ
 花にまつわる歌が二首並んでいる。もっとも、どちらも現実の花ではない。開花時期としても昼顔は夏だし、黄菊は秋だ。草木のすくない冬に、作者の頭の中だけで咲き乱れていることがせつない。
 「ひるがお」の歌は全体に緊張感が走る。「ごくかすかなる濃淡」の抽象性にはじまり、「おし黙る」が終止形か連体形か保留されたまま、「曇天よ」の前後に挿しこまれるブレス。下句は八音・八音で疾走し、においのイメージだけを残して終わってしまう。
 「黄菊」という人は調べたらたしかに実在していた。過去形なのは故人であるからだ。これ以上の冗長な情報は不要で、端正な花の名を持つ政治家という奇異な取り合わせが記憶に突き刺さる。発見の歌。
  くらきところ立ち止まり指にたしかむる紙幣といえるうつくしき紙を
 連作に置かれると、なお花の印象を引きずって見える歌。紙幣には植物の意匠が多く織り込まれている。「現金なやつ」という慣用句そのままに紙幣とは俗な代物であるが、緻密な版画でもあるとすればこれほど簡単に手に入り、うつくしいものもないだろう。暗闇で、お金を落とさなかったかとふと根拠もなく不安になる心境に、そのあわいを読む。
  おびただしき顎と翼とフラミンゴショーにむきだしのフラミンゴ見き
 とりわけ目立ってまず目に飛び込んできた。「フラミンゴショー」に負けてしまう。歌意は数えきれないフラミンゴが見えているというくらいで、「おびただしき」「むきだし」の過剰さが一首を支えている。「フラミンゴショー」の内容は謎である。まさか芸をするわけでもないだろう。けれど、ほとんど無個性なフラミンゴに視野が埋め尽くされ、たぶん激しい鳴き声を聞いている模様が、くっきりと見えてくる。
  水面に椿は落ちて水面のものとなりたる椿にしゃがむ
 花の歌に戻る。今度は現実の、冬の椿。花が落下する瞬間を追体験するような臨場感。ほんとうに落下を目撃することは難しいのかもしれないが、ならばかえって、人間ではありえない長い時間をかけて椿を眺めていたようなぜいたくさがある。まるで咲いてから散るまでずっと見つづけていたような。
 最後の歌は現代的で、清潔な眠りの歌だと思った。枕元でスマートフォンを充電するのは、違和感はないがここ十数年で浸透した習慣だろう。携帯機器というと悪の側面も強調されがちだが、ここにはむしろいつでも他人とつながれること、アラーム機能によって朝を知らせる時告げ鳥にもなるといった安心感もある。せせらぎを聴きながら眠るようなあたたかみもあろう。では、おやすみなさい。
  スマートフォンに電流の線差してねむるきらきらとねむりのそばをながれよ

短歌作品相互評② 内山晶太から山木礼子「秘密」へ

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 作品 山木礼子「秘密」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-04-08-18362.html
 評者 内山晶太


一連、そこはかとなく鬱屈した気配に満ちている。何があってそうなっているという具体的な原因があるわけではないのだが、作品が息をつめながらそこに立ち並ぶ。
  生きのこりたる一匹の泳ぎをり若草色の水揺らしつつ
 連作の、一首目の、初句が「生きのこり」であるということが、暗示的である。さらにこの一首では「若草色」というとてもあざやかな、初夏を感じさせる色彩を出しているけれども、この色彩は「水」の形容となりその途端に、息がつまる。この歌の若草色とは、澄んだ水のなかで揺れている水草ではなく、水の濁りのことを指している。こんなに閉塞した「若草色」はなかなか見られないものだろう。その水の濁りのなかに一匹だけ生きのこっている光景。濁りのなかを泳いでも泳いでも、濁りのなかである。
  母のきぐるみを着た母である 風船の根元をつまみ手渡せるとき
  飲み会へ誘つてくれてありがたう。無理です。「買ひ物」無理。「映画」無理。
 こうした作品のなかでも、閉塞はつづく。母のきぐるみを着ることではじめて母となる。主体にとっての「きぐるみ」はおそらく、「一匹」にとっての「若草色の水」に重なるもののような気がする。きぐるみの圧迫や息苦しさがあってはじめて、世間的な母子としてのかたちを得る。その手続きがまた、主体を閉塞させる。たとえば、熊のきぐるみであれば、脱ぎたいときに脱ぐことができるけれども、母のきぐるみは脱げない。たとえ母のきぐるみを脱いでも、そこから出てくるのはまた母のきぐるみを着た母なのだ。飲み会も買い物も映画も「やめとく」とかでなく「無理」。「無理」と発した言葉が、みずからの内側へ食い込んでいくように見える。
  CMの母はやさしい 撮影のあとはお茶でも飲むのだらうね
 「CMの母」は脱げる母である。閉塞とは遠いところにいながら、世間的な母というかたちを実現している「CMの母」を見る目はシニカルだ。撮影のあとにお茶を飲むのかどうか実際のところは分からないのだけれども、読者として主体に寄り添えば、CMの女優を見てそこから優雅なティータイムへと連想が波及していかざるを得ない回路にこそ、主体のありようを見るのである。
  いつだつたか思ひだせない「可愛い」と最後にわたしが褒められたのは
 「わたし」という存在がなんなのかということも、「きぐるみ」の副産物として現れる。母というものは、ひとつの役割であるけれどもそれにとどまることなく「わたし」を侵食するものでもあるだろう。母という言葉は、ひとりの人間の存在がまるごと括られ得る言葉であり、そのとき「わたし」はどこかへ行ってしまう。
  何度でも紙のボールを受けとらうわたしはおまへの最初の友だち
 これまで閉塞した状況の歌に目を向けてきたが、この歌は少し異なる。母子という関係性の罠をすり抜けようとしているように思えるのは、結句の「友だち」による部分が大きい。一人から一人へ投げられ、一人が一人から受けとる紙のボール。ひとつのボールをマンツーマンで投げたり、受けとったりしているとき、そこに不特定多数者の目は入り込んでこない。「母と子」とみなす外部者が視界から外れることで、そこには「わたしとおまへ」というミクロな関係性が立ち上がってくる。連作中の次の歌は、
  もし翅があつても飛べる空はない 網戸と窓はひらいてゐても
 とあって、また透明な閉塞感に包まれていってしまうのだが、それでも「わたしとおまへ」の関係性がすでに見出されていることが、かすかな、しかしかけがえのない救いのようにも思われてくるのである。塗り重ねられる閉塞のなかに射す一瞬の光が、連作に良い意味での複雑さをもたらし、連作全体のもつたしかな輪郭を感じさせられた。

短歌時評126回 ちゃんと荒れたい 柳本々々

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きょう、「川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな」というイベントが中野サンプラザであったのですが、いま、帰ってきました。できるだけ私の記憶の限りに書いてみたいと思います。

第一部では、「誘い~現代川柳を知らずに短詩型文芸は語れない」と題して、歌人の瀬戸夏子さんと川柳人の小池正博さんが対談されました。

わたしはほぼいちばん後ろの席でずっと聴いていたのですが、まず瀬戸夏子さんが話されたのが、えらさ/アナーキーのあいだの位置性の〈ゆれ〉でした。これはなにかいろんな発言を重ねるごとに、どうしても「アナーキー」から「えらさ」に揺れ動く場合があると。つまり、位置性がかたまってきてしまうと。

こうした位置性というものに瀬戸夏子さんは非常に敏感だと思うのですが、それは今回の瀬戸さんの現代川柳の見方にもあらわれていたと思います。

瀬戸さんはたとえば

  私のうしろで わたしが鳴った  定金冬二

という句をあげられ、この句のなかにおける「私/わたし」のゆれのようなもの、もうひとりの私、遊離する私、分裂する私、といった川柳独特の主体性を指摘しました。

この川柳独特の〈私の主体性の遊離〉というものが今回の瀬戸さんの提示した川柳を読む枠組みでした。

瀬戸さんが名句と感じ何度も引用している句に、

  キャラクターだから支流も本流も  石田柊馬

という句がありますが、この句も「支流」と「本流」という枝分かれしたものを「キャラクター」で統合しながら、その「キャラクター」という言い回しによって、がっちりした主体性になることを回避しています。どこか仮構された主体性なのです。こうした仮構された主体性のありかたを瀬戸さんは「わたしのかろやかさ」と表現されていました。

わたしはふだんこうした「わたしのかろやかさ」のような川柳における〈任意の主体性=こうであったかもしれないし、ああであったかもしれない私〉をとても興味深く思っているのですが、ふだん瀬戸さんがなされている仕事、〈読みの因習/慣習といったものを意識化し、そうでなかったかもしれない可能性としての読みをたちあげる〉、を思い出すと、瀬戸さんが川柳のなかにそうした任意の主体性を見出されたのはとても興味深いと思いました。

こうした瀬戸さんの読みの枠組みによって川柳の新しい読みがたちあがります。

  おれのひつぎは おれがくぎをうつ  河野春三

小池正博さんがこの句のこれまでなされてきた読みを紹介しました。「おれのひつぎはこのおれがくぎをうつんだ、おまえらはうつんじゃない、おれの人生はおれがかたをつけるんだ」というマッチョな読みです。がっちりした〈おれ〉という主体性に満たされた筋肉言説。これがこれまでなされてきた川柳内の読みです。

ただ瀬戸さんは瀬戸さんの読みの枠組みとして、さきほどの定金冬二の句の横にこの句を配置し、「私/わたし」「おれ/おれ」という主語の位相/遊離をひっぱりだしました。瀬戸さんはマッチョな言説を解体し、解体され遊離した主体の言説をひきだしたのです。

このことによって、「おれのひつぎは」と死んでいる人間が、「おれがくぎうつ」と行動を起こす時間の倒錯した言説になりました。

ただこれは奇異なわけでは決してありません。現代川柳を並べてみると、こうした時間が倒錯している言説も多々あるため、〈そうした読みの可能性〉もひっぱりだすことができます。

なにが、正しいのか。

いいえ。正しいか、間違いかが問題ではなく、今回のタイトルは「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」でした。「川柳をどう読むか」というタイトルではありません。「瀬戸夏子」が「川柳を」どう「荒らす」か。もっと言えば、「川柳」が「瀬戸夏子」においてどう「荒」れることが《できるのか》が問われていたわけです。

そうすると〈荒れる〉ということは、それまで〈そうした読みの可能性がひっぱりだせたはず〉なのに、それをしてこなかった、しかし、ジャンルとジャンルがぶつかりあったときに、それまでジャンルが無意識下においていたものがその衝撃でひきずりだされ、そのひきずりだしてしまったものを自覚するかしないかを〈いちど〉問われることになった、そういうことを〈荒れる〉というふうに言ってもいいのではないでしょうか。

問題は、もし〈荒れる〉機会が訪れたならば、荒れるか荒れないかを選ぶことが大事なのではなく、〈ちゃんと荒れたい〉をどれだけ成立させられるか、ということなのではないか、とおもうのです。

しかし、なかなか、ひとは荒れることができない。まもってしまう。ぎょうぎをよくしてしまう。

川柳は、《断言》の文体であると、小池正博は言いました。

第二部で、瀬戸夏子さんから、やぎもとは、荒れる、荒れる、と口にはするが、いったいほんとうになにを荒れているのか、どういうつもりで、荒れると口にしているのですかという質問が出ました。

やぎもとは、ほんとうは荒れていないかもしれない、荒れる、荒れる、と言いながら、またそのことばで覆いながら、荒れるとだけ口にだしながら、ずるいことをしようとしているのかもしれません、とわたしは言いました。

いいえ。荒れる、の反対は、ずるい、なのではないでしょうか。

短歌評 俳句の国から短歌国探訪(1) 短歌は若者の器か 丑丸敬史

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(1)はじめに

 俳句実作者である筆者の短歌国探訪記を今回から計4回に亘り記す。
 筆者が最近、所属する俳句同人誌「LOTUS」の最新号(35号)に記した編集後記から抜粋する。

 我が俳句国も短歌国、自由詩国との間の高い障壁を隔て、三ヶ国は消極的没交渉状態にある。この原因は一重にそれぞれの詩型が強固であることの証左でもある。もし俳人が歌も読み詩も書くならば三国の垣根は大分低いものになっていることだろう。モーツァルトがピアノ曲、交響曲、オペラを書くようには、我々は俳句、短歌、自由詩を書かない。勿論、詩歌実作者のほとんどはプロではなく作りたいものを作れば良いのだから、プロの作曲家とは同列には語れまい。ただ、俳句実作者にとってなぜ短歌や自由詩が「作りたいもの」足り得ないのか。これを己に問うことは、無意味ではあるまい。

 なぜ、自分は短歌を作らないのであろう。筆者が幼い頃から俳句が身近にあったという来歴だけでなく、この小論を書くことによって、創作を始めた時には「短歌適齢期」を過ぎていたことに気付かされた。

(2)俳句に対する誤解

 この小論の視点を明確にするために、俳句実作者である筆者が「どこから」短歌を眺めるのかという立ち位置をまず明確にしておく。筆者は有季定型の伝統俳句を書かない俳人である。

 短歌(和歌)は名もなき者も含め多くの日本人により自然発生的に誕生した。それに対して、俳句(発句)は芭蕉が確固たる文芸的意思と宣言を持って作為的に創始した。そのため、俳句はその誕生から芭蕉の呪縛に縛られ続けている(未だに芭蕉はこう言っていると芭蕉に帰ろうとし、俳句を芭蕉の創始した宗教か何かと勘違いしている俳人は多い)。さらに、虚子により有季定型が俳句であると定義づけされ(虚子ルール)、一般人が思い描く現在の俳句のイメージが定着した。しかし、形式化し硬直化した芸術(もはやそれは芸術とは呼ぶに値しない)に対して、それを刷新しようとする機運はいつの時代にも現れる。新興俳句運動から現在に続く多様な俳句はそのようにして生まれ続けた。部外者が抱いている有季定型俳句は俳句の一ジャンルに過ぎない(季語なんて知らなくても俳句は作れます!)。

 この小稿を書くに当たり、「詩客」に寄せられた歌人や詩人の方々の「俳句時評」を読ませていただき、「へー、やっぱり俳句は外からはそんな風に見られてるんだ」と改めて認識した。論を進めるため、まず俳句に対する誤解を解いておきたい。

「俳句評 短歌の穴からのぞいてみれば・・・」稲泉真紀

 俳句、ことに高浜虚子についていえば俳句はノンフィクションであるというテーゼがあり、現代短歌、ことにアララギの写生・写実において同じような歴史をたどってきた。 しかし、短歌は少しずつフィクション化への流れを持ったのだ。

 と氏は指摘するが、俳句に関してこの認識は正しくない。俳句も戦後の前衛俳句の隆盛に伴ってノンフィクションの殻が破られ、幻想的な俳句が続々と作られている。むしろ、質・量共に短歌を凌ぐのではなかろうか。現代俳句の特性の一つが幻想性・幻視性と言っても良いほどに。

  きらきらと蝶が壊れて痕もなし   高屋窓秋
  
  抽斗の国旗しづかにはためけり   神生彩史
  
  冷凍魚
  おもはずも跳ね
  ひび割れたり           髙柳重信
  
  釘づけの男女から水汚れだす    林田紀音夫

  轢死者の直前葡萄透きとおる    赤尾兜子

  最澄の瞑目つづく冬の畦      宇佐美魚目

  薄氷や我を出で入る美少年     永田耕衣

  機関車が止まる唾液に邪魔されて  阿部青鞋

  鶏むしるそこより枯野ひろがれり  山下洋史

  前世より煮〆めてゐたる牛蒡かな  たむらちせい

  凩や馬現れて海の上        松澤昭

  野は枯色ところどころに赤ん坊   栗林千津

  しばらくは葦のかたちに混み合えり 津沢マサ子

  春鳶は垂らすや空の長手紙     安井浩司

  天の川われを水より呼びださん   河原枇杷男

  綿虫や柩は人を入れ替える     柿本多映

  空蟬の数ふやしをり蔵の中     宗田安正

  天地創造了り蜆の動き出す     小林貴子

  白百合の途中は空家ばかりなり   森川麗子

  名告りあう水子多しや天の河    高橋修宏

  Qと啼き貝は神代へ沈みける    増田まさみ

  こうこうと死後の長さを照らす紐  高岡修

  空蟬のなかの嗚咽がこみあげる   谷口慎也

  空蝉となるまで殻は木をのぼる   流ひさし

  陰裂に冬の稻妻走りけり      高橋龍

  何度でも殺されにゆく桜かな    嵯峨根鈴子

  気絶して千年凍る鯨かな      冨田拓也


 静謐な悲しみを湛えて描かれている日常の物象が非日常世界にじわりと染み出していく。非日常世界もこちらの世界を静かに侵食する。そのようにして境界はいよいよ曖昧になる。

 この期に歌人と詩人の方々に声を大にして言いたいが、角川「俳句」は初心者向けの俳句入門書であり、多くの読者を得るために伝統俳句中心の構成になっている。角川「俳句」を「現代詩手帖」と同等と見誤ってはいけない。高柳重信が編集長を務めたかつての「俳句研究」のような硬派な雑誌は現在において絶無である。外部から俳句を眺めるのに、角川「俳句」を手引きにしたのでは俳句の重要な流れを見落としてしまう。角川「俳句」を参考資料に選んだ稲泉氏が誤解したのも致し方のないことではある。
 現代俳句のウイングはもっともっと広いことを歌人や詩人にもっと知っていただきたい。筆者が所属する「LOTUS」は俳句世界の辺境の地(極北)に位置する。我々のような書き手の俳句は角川「俳句」にはほぼ登場しないため、活動は外からは見えにくい。「詩客」のような場こそそれを発信する良い機会である。

  ひと昔ふた花野まで九十九折り   三枝桂子

  琺瑯質の誰かが覗く虹の秘部    無時空映

  留鳥も移民の耳も芒原       吉村毬子

  王亡くてひたに孔雀は卦踊りを   九堂夜想

  ふゆのつき【冬の月】私を産もうとした女 鈴木純一

  言語成る
  つひ暗がりの
  轉び寝に             酒卷英一郎

  己が葉の真ん中に死ぬ蓮かな    曾根毅

 恐らく、このような俳句を初めて目にした方は何が書かれているのかも理解できずに戸惑うであろう。

 かつて「一読分かる俳句が良い俳句」と俳壇の大御所(飯田龍太)からの宣下がなされ、そそっかしい輩は俳句に読解力は不必要と誤解し、それによる俳壇の低脳化(白痴化)が一気に進んだ。永田耕衣らも難解俳句と片付けられ俳壇の隅に追いやられた。小学一年生に微積分を教えても理解できないように、初心者であるならばそれも致し方なかろう。しかし、俳壇のトップがそれを公言して憚らず、俳壇を牽引するような俳人が小学生の読解力レベルでいいんだと誇らしげに吹聴している様は滑稽ですらある。

  一月の川一月の谷の中       飯田龍太

  睡蓮や今世をすぎて湯の上に    安井浩司

 龍太の句は一読わかる。その句意もその良さも。単純が故のポエジーもある。冴え冴えとした1月の冬の川が峻厳な谷の中を流れているそのような情景が目に浮かぶ。単純が故のそこから紡がれる詩的世界の広がりもある。この句の良さに異を唱えるつもりはない。しかし、俳句はこれだけではない。
 安井浩司の俳句を初心者が賞味するのは困難かもしれない。一輪の睡蓮が咲き誇っている。そして、今世で咲き誇った睡蓮がその後に湯殿の上に現出する。「湯の上に」、これは睡蓮が湯殿の水面に泛かんでいる様ではなく、立ち上る湯気の向こうに睡蓮が花開く様を表している。睡蓮を咲かせたこの湯殿はもはやこの世のものではない、極楽浄土なのである。
 このように読解力を必要とする俳句は厳然として存在する。この様な俳句は伝統俳句からはしばしば「観念俳句」と呼ばれ敬遠される。観念俳句、上等。俳句は写生だけではない。自由詩の様に色々な書法が俳句にもある。「きょうは〇〇をたべました」的な日記俳句は小学生に任せておけば良い。

(3)短歌はなぜ若者の文芸なのか

 稲泉氏は、第59回角川俳句賞の応募者と第59回角川短歌賞の応募の年齢構成を比較し、俳句実作者平均年齢が短歌実作者のそれより高いことを示唆している。付け加えるならば、それぞれの受賞者の年齢構成を見ても、20代の若者が角川短歌賞を続々と受賞しているのに対して、角川俳句賞では20代受賞者は極めて少ない。田中裕明(受賞時22歳)、山口優夢(受賞時24歳)、柴崎左田男(受賞時27歳)、岩田由美(受賞時28歳)の4人のみ。紛れもなく、短歌は若者文芸であり、俳句は老成の文学である。そう言って良い。

  旅終へてよりB面の夏休     黛まどか
  
  会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷
  
  風が好きひな菊が好きアナタが好き

  手花火をして口づけをまだ知らず

  うしろからふいに目隠しされて秋

  山眠る恋の終わりを見届けて

『B面の夏』(1994年)収録句。この年彼女は32歳。知らされなければ10代、20代の女性の俳句かと思う。「なりきり俳句」にしてもあまりにも内容が稚拙。若書きと割り引いたとしても、俳句としてできていない。と俳人は思う。
 黛まどかと同じ歳の俵万智が『サラダ記念日』(1987年)を出版した時、彼女は25歳。俵万智を一躍短歌界の寵児にしただけの内容がそこにはあった。これを、黛と俵の文学的才能の差と一蹴することは容易い。しかし、たとえそうであっても、第二、第三の、「俳句の俵万智」の出現を待つだけの時間は我々には十分にあった。しかしてその出現が未だないという事実は、俳句はこのような若者の甘酸っぱい恋愛の歌を盛る器には相応しくないという証左である。
 俵万智は現代の言葉で現代の感覚で恋歌を詠んだ。額田王、和泉式部、与謝野晶子、恋歌はその時代時代の女性によって紡がれてきた(男性にも)。恋をすれば誰でも詩人になる。それを受け止めるだけの装置として短歌は必要十分な器たり得てきた。自分の溢れ出る心情を伝えるに三十一文字は「ちょうどいい」大きさなのだ。

  バレンタイン君に会えない一日を斎の宮のごとく過ごせり

  愛ひとつ受けとめられず茹ですぎのカリフラワーをぐずぐずと噛む

  思い出はミックスベジタブルのようけれど解凍してはいけない

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 これら俵万智の歌の下の句消して十七文字に切除してしまうと

  バレンタイン君に会えない一日を

  愛ひとつ受けとめられず茹ですぎの
 
  思い出はミックスベジタブルのよう

  「この味がいいね」と君が言ったから

十七文字に要約してみようかとも思ったが無理であった。

 古代中世を通じて様々なタイプの和歌が試されて、その中で短歌のみが生き残ったのは伊達ではない。「31文字」は日本人にとって「マジックナンバー」なのだ。恋に限らず、何物かを伸びやかに歌うのに過不足がない。それであればこそ、いつの時代でも短歌は若者と相性が良く、若者の詩型式たり得た。鬱屈した熱き思いを抱く若者がその思いを伸びやかに開放する、短歌はそれを受け止める器として最も相応しい青春の詩文学である。

 一方、俳句はなぜ老成文学なのか。答えはすでに出ている。伸びやかに歌えるか、歌えないか、の違いが短歌と俳句の決定的な違いである。俳句は伸びやかに歌うことのできない鬱屈した奇矯の文学型式である。鬱屈した若者に鬱屈した詩形式は合わない。劇的表現を愛した寺山修司が俳句から短歌へ移ったのも必然と言えよう。

 稲泉氏はこうも言っている。

 短歌では与謝野晶子の『みだれ髪』や石川啄木の『一握の砂』、俵万智『サラダ記念日』などの歌集が一定の読者を 獲得していったのにも関わらず、俳句はどちらかというと単独作者の句集が読者を獲得するケースが少なかったのではないか?

 控えめに疑問符「?」がついているが、これは正しい。売れるためには実作者ではない一般人にも熱狂的に迎い入れられる必要がある。抑制的に歌うことを運命付けられた俳句は国民の、特に若者の熱狂を呼べないのである。

 俳句甲子園で若人を俳句に引き込む機会が増えたことは好ましいことであるが、その後、彼らは伸び悩む。それを伸ばす受け皿(仕組み)がない、云々の問題ではない。ネットが発達した現代、もし彼らが他の俳人の心を摑むような俳句を書き続けることができれば、間違いなく時代の寵児になれるはずである。しかし、「他の俳人」の多くは年上の、それも老人ばかりであり、その俳壇(俳句世界)の中で、ライトでふわふわした俳句を量産しても「頑張っとるようだが、まだまだ青い」くらいにしか見られない。俳句甲子園はその名の通り、高校生が高校生の情感で歌えばよい。けれども、高校を卒業した後に、彼らも青春性と俳句型式との齟齬に遅ればせながら気づく。開放的に歌いたい彼らと抑制的に歌うことを求められる俳句とのギャップは大きい。そして、その関門を通りぬけられる者は少ない。

 なぜ俳句はわざわざ抑制的な詠えない型式を求めたのであろうか。

 常に死と隣合わせにいた戦国時代、明日をも知れず一日一日を大事に生きていた人々の美意識に「侘び」(貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識)が育まれたことは必然と言える。芭蕉が積極的に俳句にこの侘びを取り入れたこともまた極めて自然であった。満たされない中にこそ充足を感じようとする俳句、それは侘びの精神的支柱を持ってして初めて成ったと言える。伸びやかに歌えないのではなく、伸びやかに歌わない、そこにこそ芭蕉は美学を見出した。そしてそこに俳句の将来性を見た。内省的な文学としての俳句の誕生である。
 「俳句(発句)は芭蕉が確固たる文芸的意思と宣言を持って作為的に創始した。そのため、俳句はその誕生から芭蕉の呪縛に縛られ続けている」と批判的に書いた。それにも拘らず、芭蕉の唱えた「侘び」から俳句を解放できないのかと訝しく思う向きもあろう。しかし、侘びを取ったら俳句ではなくなる。芭蕉が俳句に侘びの美を付与しなくても、必ず後の誰かがやった。抑制的侘びの歌謡こそが俳句の本質であり同義である。
 この窮屈な俳句美学を理解し愛するためには、ある程度人生を生きる必要がある。血気盛んな若者に侘びを説いても受け入れられまい。斯して俳句は老成の文学化する。なぜ退職をきっかけに俳句を始める人が多いのかも、この俳句の特殊性を考えれば合点がゆこう。俳句は老人に極めて相性が良いのである。短いから作りやすい、手軽に始められる、という条件は必要条件ではあるが十分条件ではない。

(4)短歌はなぜライトバース化したのか

 筆者の母は俳句結社に入っており、時折自作の俳句を聞かせてくれもした。そのように俳句が幼少の頃から身近にあった。もしそれが短歌であったら、筆者は短歌を現在書いていたかもしれない。筆者が俳句実作者となったのはある意味偶然的な要素はある。しかし、その後、短歌に出会う機会も十分にあり(現代詩に出会う機会も同様に)、俳句に比べて短歌によりアフィニティーを感じていれば、短歌実作者になっていた筈である。そうでないと言う事実は、筆者のポエジーは俳句により近しいものであったのであろう。
そうは言っても、短歌に魅力を感じていない訳ではない。ただ、青春性の高い短歌は好ましく感じないわけではないが、今の年齢の自分には眩し過ぎる。それよりも、戦後の前衛短歌時代の塚本邦雄や葛原妙子らの幻想的短歌により共感を感じる。

  胎児は勾玉なせる形して風吹く秋の日発眼せり           葛原妙子

  革命歌作詞家に凭りかかられて少しづつ液化してゆくピアノ     塚本邦雄

 今日の幻想的短歌を山田航の『桜前線開架宣言』(左右社)から拾う。

  半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ        石川美南

  小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる   笹井宏之

  しゃぼんだまの中に沢山いるようなカタツムリからの電話を待ってる 瀬戸夏子

  わたくしも子を産めるのと天蓋を豊かに開くグランドピアノ     小島なお

  ごみ箱に天使が丸ごと捨ててあり羽と体を分別している       吉岡太郎

 

 「半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ」。化石を研究している研究者がいる。埃をかぶった研究室は砂に埋もれたタクラマカン砂漠のようである。一陣の風で表面の砂が舞い上がる。すると取り払われた砂の隙間から指の化石が顔を覗かせている、そんな白昼夢である。この句の中で一瞬にして、教授は何億年もの昔に絶滅した古代生物となり、またその場に現出する。
 「小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる」。主人公が小説の中に閉じ込められたり、逆に作品中の主人公がこの世に現出したり、この手の話はよくある。この短歌では、そこは飛び越えずに、主人公にちょっとした意地悪をしてみる、というのが面白い。
 「しゃぼんだまの中に沢山いるようなカタツムリからの電話を待ってる」。シャボン玉が生まれる度にその中に蝸牛が生まれる。その蝸牛からかかってくる電話は、一緒に蝸牛にならないか、と誘う電話。
 「わたくしも子を産めるのと天蓋を豊かに開くグランドピアノ」。グランドピアノも臨月になると天蓋がパンパンに膨らむのであろうか。
 「ごみ箱に天使が丸ごと捨ててあり羽と体を分別している」。この短歌がこの中では一番好きかもしれない。街中に天使は溢れている。人間世界で羽を擦切らせた天使が行倒れている。誰かがごみ箱に投げ入れたそれを、早朝清掃員が分別している。長編の物語が紡げる。
 彼ら若い世代のファンタジー短歌は、戦後の塚本、葛原のものに比べて重量感がない。ライトバース、ニューウェーヴの洗礼を受けた短歌世界では描かれる幻想の質量も自ずと軽い。

 稲泉氏の文章を抜粋する。

 『角川俳句』1月号の特別対談の小澤實と中沢新一の「なぜ今、俳句か」に興味深いことが書かれている。 短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追って口語化しない。俳句の本質は「不易流行」であり、室町時代と変わらない切字や文語を使った時代錯誤の面白さが あるのではないか?というのである。(中略)短歌が前衛短歌や『サラダ記念日』以降の口語化及びライトバース化など常に時代の色を帯び、変遷し、進化もしくは時代 を作り上げてきたことからみると、俳句はどこかしら、「不易流行」の一途さを感じてしまうのだ。

 ここにも誤謬と誤解がある。口語体、日常会話で書かれたライトバース俳句はある。短歌との対比を強調したかっただろう、小澤と中沢の対談内容は不正確である。

  じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子
  
  ピーマン切って中を明るくしてあげた

  三月の甘納豆のうふふふふ      坪内稔典

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

 ライトバースは軽妙な内容の文学にこそ合う。盛り付けるものが軽いものであれば、盛り付ける器も軽いものを選ばねばならぬ。池田も坪内もこのようにライトな俳句を書きたがっている。これらの俳句も俳句の幅を広げるには貢献しているし、そのような俳句を目指す者は書けば良い。しかし、筆者はこの手の俳句には食指は動かない。ウイットは認めるが、軽い。
大方の俳句がライトバース化していない、それは事実である。しかし、それは俳句が「不易流行」(この言葉は物事の本質に関してについて言われているのであり、レトリック、書法についてのことではない)に囚われているのではなく、抑制的な老成文学であるという俳句の特性に馴染まないからである。口語俳句の広がりが一部に止まっているのは、それが描く世界が限定的であるからである。俳句に翻って、短歌が口語化したのはライトバース化との連動があったればこそ。短歌の描く世界が軽くなったからである。軽い世界を殊更に軽く描く。それが若者に歓迎されたのもむべなるかな。言葉を尽くせる短歌は内容が軽くとも力で読ませることができる。しかし、17文字の俳句にはそれが難しい。ライトバースは短歌に適する。

 抑制的な俳句型式で恋歌を為すには文語体が似合う。ビシッと決まる。黛まどかは百年持たないだろうが、下記の歌はすでに古典となっている。

  鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし     三橋鷹女

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子

  妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る    中村草田男

 「ブランコは漕がなきゃ愛は奪わなきゃ」では千年俳句とはなり得ない。

(5)終わりに

 現在の短歌のこのライトバース、ニューウエーブの隆盛がいつまで続くのかは誰にも分からないが、平穏な時代が続く間は、この現状はそうは変わらないであろう。口語化を一旦果たした短歌を支える若者がこれを捨てる謂れはない。千年後に俵万智が額田王と同列で語られても不思議ではない。そして、短歌が千年後にも残っているであろうことが筆者には強く信じられる。日本が続き、そこに若者がいる限り。短歌の未来は決して暗くはないのである。
 付け加えて言うならば、俳句は上述の特性から今後も口語化が主流になることはなかろう。そして、超高齢社会を迎えた日本では今後も老いて盛んな元気なおじいさん、おばあさん達が俳句を盛り立ててくれるであろう。

 筆者がこれまで短歌を作って来ないのは、ライトバース主流の現在の短歌の有り様にあまり食指が動かなかったからである。ただ今回、本稿を書くに当たり、幾冊かのアンソロジー『近代短歌の鑑賞77』、『現代短歌の鑑賞101』、『現代の歌人140』(いずれも小高賢)、『現代の短歌』(篠弘)、『桜前線開架宣言』、その他の歌集を読み返し短歌の幅の広さを認識した。『桜前線開架宣言』では1970年以降の若手の短歌で心に銘記される少なからぬ数の短歌に出逢えた。次回はそこから短歌を語ろう。ライトバース短歌に関しても、反りが合わないクラスメートのように敬遠し続けるのは止そうと思う。日本人であるならば全ての詩人は短歌を詠める筈である。短歌を歌わない手はない。今回これを書いてそのように感じた。

短歌相互評③ 阿波野巧也から安田百合絵の「禱るひと」へ

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作品  安田百合絵「禱るひと」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-05-06-18426.html

評者 阿波野巧也

 

 

 安田百合絵の「禱るひと」を読んでいく。一読して、叶いそうにない恋慕を題材とした連作だとわかる。

胸ふかく咲き満ちてゐる春愁をそよがせて午後の樹下を歩めり

 「胸ふかく咲き満ちてゐる」まで読んで、華やかでハッピーなものが次にくるのかなと期待したところに、「春愁」で裏切られる。春愁、つまり春におけるもの悲しさが胸の中ふかくを咲いていて、それも満ちている。さらに、それをそよがせている。のっぴきならないわびしさや悲しさのような気持ちに溢れているんだけれども、それはまた花が心の中にそよいでいるような感覚でもあるのだ。勿論、「そよがせている」わけだから、この人のなかで、春愁をそう思おうとする若干の強がりもあって、「午後の樹下を歩めり」みたいな引きめの把握へと移行していくのかもしれない。連作全体の、「ゆるされぬ恋」感への導入としてふさわしい一首。

いはばしり激つ恋慕にあらざれど春の潮(うしほ)のごとき逢ひたさ

 一首目の「春愁」もそうだけれど、「恋慕」「逢ひたさ」というような心の中の動きや状態に、実際の花や、川・海の情景を重ねて描写している。この歌の場合、大きく、ゆっくり満ち引きしていくような潮によって会いたい気持ちを描写しているのが的確だ。加速度は小さいけれど質量がずっしりあって、会いたさの力の大きさが伝わってくる。

くきやかに骨のかたちを見せながら息吸ふときに喉は隆起す

 会っているときには〈逢いたさ〉は抑制されて、対象の描写に注力がなされる。喉仏の描写。実際的な認識の流れは、呼吸時の喉仏の動きを見る→「くきやかに骨のかたちを見せ」ていることに気づく、というものだとおもうが、このような語順で提示することによって、「息吸ふときに喉は隆起す」のという普遍的な事象が、〈いま・ここ〉でその人の骨のかたちが見せられている、という一回性へと転換する。

水面(みなも)から飛花が水底へとしづむ神のまばたきほどの時の間

 上の句の母音構成は〈iaoaa/iaaiaoo/eoiuu〉である。「みな」「ひか」「みな」という押韻だけでなく、二句目までをa,i,oの母音だけで進めてきたところに「へとしづむ」という句またがり、かつ、母音構成が転調している三句目が入ってくるところに、この歌のリズム的な屈折点がある。(歌全体を見てもeの母音が出てくるのは三句目の頭だけである。たぶん、偶然なのだろうけど。)「神」「まばたき」「時」と、下の句以降ではiの母音が尻にくる名詞が並んでおり、そのあたりも上の句と対照的。歌の内容がシンプルな分、リズムに目が行く。

情念は黙(もだ)ふかくあり十四年耐えてラケルを娶りしヤコブ

読みゆけば心はつひに愛さるるなくて嫉妬(しふ)ねきレアに寄りゆく

 旧約聖書を読んでいるようだ。「心はつひに愛さるるなくて」まで読んで熱量の高さにぎょっとしながら、最後まで読んで、「心は……レアに寄りゆく」という主述関係なのだと気づかされる。でも、「(私の)心はついに(その人に)愛されることはなくて」というような文脈も読める感じがあり、〈私〉の愛されない心と、「レア」の愛されない心が一致していく、というようなイメージが浮かんでくる。

祈るとき瞑(めつむ)るひとのなぞへなく淋しきさまを幾たび見つる

 「なぞへ」とは「準へ」や「擬へ」と書き、なぞらえること・比べることといった意味のようだ。比べることなしに淋しいさま、すなわち、絶対的な淋しさというものを祈る時に必ず見せるような「ひと」なのだろう。〈私〉と「瞑るひと」が幾度か祈りの場面を共にしたという親密さを表している一方で、その「淋しさ」はどこまでも〈私〉にとってのそのひとへのわかりえなさ・知りえなさへと繋がってくるのである。

Henri Martin, Jeune fille près d, un bassin (Girl by a fountain)

魂は水の浅きをなづさへりうつし身ゆゑにゆけざるところ

 詞書にあるHenri Martin(アンリ・マルタン)はフランスの画家だそうだ。「なづさふ」は水にもまれている、というような意味。この絵(英題はGirl by a fountainだから、「噴水(泉)のそばの少女」とでも訳せばいいのだろうか)では、少女が泉のような、枯れた噴水のような、円形の池を覗き込んでいる。この前の歌では、入水自殺を遂げたヴァージニア・ウルフが詠みこまれているから、それを受けての歌だろう。この「魂」をウルフのものと取って、〈私〉のうつし身はそちらへ行けない、と解釈するのか、はたまた、「水の浅き」が詞書で示された絵の中の水だから、うつし身の〈私〉はそちらへいけない、と解釈するのか。あるいはその両方か。解釈は確定不可能だが、個人的には〈私〉みずからの魂が身体と分離して、絵の中の水の浅い部分を漂っている、というような読みをしたい。

逢ふたびにこころを毀(こぼ)ち合ふほかはなくて今年の春を逝かしむ

 連作最後の歌。あまり「こころを毀ち合」ってる感が想像できないのだけれど、会いたいけど会うとしんどい、みたいな感じなのだろう。連作全体で、一人称も二人称も出てこないが濃厚な相聞の雰囲気があり、表現の力を感じた一連だった。


短歌相互評④ 安田百合絵から阿波野巧也「緑のベンチと三匹の犬」へ

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作品 阿波野巧也「緑のベンチと三匹の犬」へ http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-05-06-18435.html

評者 安田百合絵

 

 どことなく春のけだるさを帯びていながら、ただ物憂いだけではなく、一首単位で見ても、連作単位で見ても、不思議な割り切れなさが残る。というより、一見さらっと読めてしまうようでいながら、案外難しい連作だという印象を受ける。

 そうした読後感はおそらく、十首のなかで様々な時間が交錯していることから来ているように思う。この〈時間〉という要素に注目しながら、自分にできる範囲で連作を読んでみたい。

 

父親とラッパの写真 父親は若くなりラッパを吹いている

 最初の一首は、すなおに読めばそのまま歌意をとれる。アルバムでも眺めているのか、作中主体は父親の写真を見ているようだ。そのなかで若い父親がラッパを吹いているというのである。ただ、「父親とラッパの写真」という把握は、どことなく奇妙にうつる。「父親とラッパ」として、父とラッパが等価に並べられている。しかも父は「若くて」ではなく「若くなり」、ラッパを「吹いていた」ではなく「吹いている」。若くなり、という遡行的な意識、そして吹いているという現在時称の使用に注意しなければならない。おそらく作者は、写真を眺めているうちに、過去と現在を隔てる時間の感覚を失ってしまったのだろう。あたかも自分が過去に遡って「若くなった」父親を眺めているかのような、不思議な時空間が演出されているように見える。

 そしておそらくは、すでに見てきたこの時間の逆行に対抗するのが、「父親とラッパの写真」という奇妙な描写であって、父親というきわめて自分に近いはずの人物をラッパと同じようなマチエール(素材・物質)として捉える醒めた意識が冒頭に示されることによって、意識はかろうじて「現在」に係留され、現在形の使用が正当化される。写真を眺めているというだけの歌のように見えながらも、過去の時間、現在の時間、遡行的な時間意識、という要素が幾重にも折り重なっている。

 

プリンぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃにかき混ぜる 桜の過去のきみに会いたい

 この歌では、よりストレートに時間の重層性が表わされている。「桜の過去のきみ」という表現はレトリカルで、読者に失われた時間のことを思わせずにいない。プリンをかき混ぜることが何を意味するのか、明確には分からないものの、「ぐちゃぐちゃに」を二度も重ねてかき混ぜられているプリンは、現在の不如意さを際立たせているようだ。その現在から、「桜の過去」が照射される。桜の咲く季節に「きみ」と会った幸福な時間を思い返しているのだろうか。「桜の過去のきみ」という入り組んだ表現のあとに「会いたい」というストレートな願望が置かれ、切ない読後感が残る。

 

さびしさはしかたがないということの中にあるいてゆく烏骨鶏

 二首目の「桜の過去のきみに会いたい」を引き継ぐようにして、三首目には「さびしさ」が現れる。この歌もきわめて修辞的だ。「さびしさはしかたがない」と全てひらがなで書かれている二句目までは、おそらく作中主体の心情なのだろう。「さびしさはしかたがない」という、諦念と投げやりな気持ちがない交ぜになった心情のうちに景色を眺めていると、歩いてきた烏骨鶏が視界に入ってくる。強いて解釈するならこの歌はそのように読むこともできるだろうか。結句で登場する烏骨鶏はいかにも唐突だが、やや異様にも思えるこの対象によってのみ主体の意識は外界につながっている。主体を支配しているのは、しかたがないと思いながらも自分の身から離れない「さびしさ」であり、そうであるからこそ、「さびしさはしかたがないということの」という危うい上句が成立するのだろう。主体にとってそこにあるのは景色ではなく、「さびしさはしかたがない」という思いだけなのだ。

 

片寄ったけれどたいした問題じゃなくお弁当あたためている

 四首目以降、さらに日常の光景の描写が続く。こうした歌においては、普段は様々な想念に埋没して気づかれることのない、主体の意識がかすかに灯る瞬間が写し取られているように思う。「片寄ったけれどたいした問題じゃなく」という意識が「お弁当をあたためる」という行為を照らし出す。お弁当をあたためるのはおそらく電子レンジなどの機械なのだが、「たいした問題ではない」というおおらかさまでがお弁当をあたためることに寄与しているかのようだ。

 

こころゆくまで郵便局の入り口にさかさに置かれてるカップ酒

 「こころゆくまで」から始まる五首目は、かの有名な「シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい」(斉藤斎藤)を喚起せずにはいない。ただ、斉藤斎藤の歌の誇張するような「心ゆくまで」とは違って、この歌の「こころゆくまで」は「カップ酒」を受けており、日常に溶け込んでいる。このカップ酒は長い時間そこに置かれているのだろう。ともすれば、荒廃した景色といった印象を与えかねない捨てられたカップ酒を見つめ、それを「こころゆくまで」置かれている、と表現する主体の意識に読者は少し救われたような気分になる。春と郵便局といえば「春あさき郵便局に来てみれば液体糊がすきとおり立つ」(大滝和子)の歌が思い浮かぶが、郵便局とカップ酒のとりあわせも不思議で心に残る。

 

三匹の犬がこっちを見つめてる 茶色いやつがいちばん見てた

 この歌も、あまりにも歌意が明快にとれるのでつい見過ごしてしまうが、上句の「見つめてる」から下句の「見てた」へと自然な移行がなされていることには注意を喚起しておいてもよいだろう。「見つめてる」の時点では、主体は犬に見られているのだが、「見てた」の時点で展開されているのは主体の回想(「茶色いやつがいちばん見てた」)である。一字空けを隔てて、描写の時間から回想の時間に、時間の質が一気に変容する。それにともなって、読者はそれと意識しないまま、風景の描写から主体の感想へ、客観から主観へと自然に導かれ、下句で読者は親密な空間に招き入れられる。この時間の質の移行が(読者自身にも気づかれないほど)あまりにも自然になされているので、それだけにいっそうこの親密さの導入は成功しているように思われる。

 

なんとなく片手に載せてさしだした豆菓子をきみはもらってくれた

 この歌に「たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のままわたす」(永井祐)を思った。おそらく作者の脳裏にもこの歌は意識されていただろう。どちらの歌も、お菓子を渡すというさりげない行為のうちに、「きみ」と作中主体の距離が浮かびあがるようになっている。「もらってくれた」という表現からは、その裏返しとして「もらってくれなかったかもしれない」可能性が示唆され、それと同時に受け取ってくれたことで「きみ」との関係性が改めて確認できたような安堵感も伝わってくる。「なんとなく」片手に載せてさしだすという日常のさりげない振舞いが描かれているのだが、ここでもやはり「もらってくれた」という結句によって主体の意識が照らされる。

 

充電器を持ってでかけた一日のつけたり外したりたのしいな

 八首目は解釈が難しい。歌意は解きほぐすまでもなくストレートに読めるものの、充電器をつけたり外したりする一日が「たのしい」と言われていることの意味を考えるとよく分からなくなってくる。つけたり外したりしているのは、スマートフォンなどの電子機器の充電器だろう。繰り返し充電して使うことが必要なほど多忙な一日だったのだろうか。「たのしい」はあるいは、「日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる」(永井祐)にあるような、皮肉な「たのしい」なのかもしれない。いずれにしても、充電器を抜き差しするという、本来的に「たのしく」なりようのない行為を記述したあと、それを「たのしいな」とあっさり総括してしまう主体の意識を読み取ることが要請されているのだろう。

 

フジカラーの緑のベンチふたつみてずっとその後見かけて座る

 九首目、「三匹の犬」と並んでタイトルになっている「フジカラーの緑のベンチ」が登場する。特段に見た記憶がなくとも、フジカラーの緑のベンチ、と聞くと、すぐに古色蒼然としたくたびれたベンチの姿が浮かんでくる。この歌も時間の流れが複雑な歌であるように見える。ふたつみて、まではよいとして、「ずっとその後見かけて座る」という表現は普通の日本語ではない。ある時点で、作中主体は(おそらくは普段通りなれているはずの道に)フジカラーの緑のベンチがあるのを発見したのだろう。気づくことによって、フジカラーのベンチは作中主体にとって風景から浮かびあがり、その意味で風景に溶け込むことのない特別なオブジェとなる。だからこそ、その後はそのベンチを「見かけ」るたびに、「ずっと」何度でも座り続けることになる。そう読むならば「ずっとその後見かけて座る」は、「ずっとその後(も、それを)見かけ(るたびにそれを意識し)て座る」ということになるだろうが、その習慣を「ずっとその後見かけて座る」という(これもテクニカルな)表現として結句に置くことが、不思議な印象を作り出している。

 過剰な飛躍なのを承知で敢えていえば、この歌は愛の喩としても読みうるのかもしれない。風景や集団のうちに要素として溶け込んで、もしかしたら一生気づかないままだったかもしれない誰かを、ある日ふとしたきっかけで目に留め、ほかのものから切り離して、対象として眺める。そのことが「愛着(attachement)」を生み、それはやがて「愛」になる。フジカラーのベンチというごく些細なものに視線を注ぎ、それに愛着を覚えるようになる一連のプロセスは、その意味では愛が生まれる過程とそのまま重なっているようにも見える。

 

割り箸と空気が絡み合っているきみが帰っていったそのあとも

 連作の掉尾を飾る歌には、三度目の「きみ」が登場する。きみが帰っていったあとの様子が描写されているのだが、ここで作者は「割り箸と空気が絡み合っている」という不思議な表現を選んでいる。本当は割り箸しか見えないはずなのに、割り箸と空気が絡み合う不可視の光景をあえて現前させることで、この一首にはどことなくなまめかしさが漂うと同時に、やはり時間の流れを濃密にあらわすことになる。割り箸がおかれているだけの情景はいわば静物画だが、そこに見えない空気との絡み合いを(文字の上だけでも)描くことで、その風景は活きたものとなって時間の流れを身にまとう。

 「きみ」がそこにいるときも、その箸で食事をしていたときも、その箸は空気と絡み合っていた。「きみが帰っていったそのあとも」割り箸と空気が絡み合っているのと同じように。それでも、きみが帰って一人になったそのあとに、はじめて作中主体は割り箸を意識し、それが空気と絡み合っていることを意識する。「きみ」の不在を埋めるかのように呼び出される「空気」の透明さは、よるべなく切ない。

 

 大辻隆弘は『近代短歌の範型』中の評論「多元化する「今」——近代短歌と現代口語短歌の時間表現」において、「近代短歌の叙述」が「作者を「今」という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立して」おり、様々な過去時称をあらわす助動詞を駆使して、現在という一点を基軸に様々な複雑な過去を帯びた現在を表すことができるのに対して、現在の若手歌人の口語短歌では「時間の定点が一箇所に固定しておらず、それらの「今」を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」とする。そして、その差異の原因として「現代短歌における過去を表す助動詞の貧困」を挙げ、さらにもっと根本的に、それは「一瞬一瞬、様々に変化する生き生きした「今」をできる限り正直に記述しようとしている」からなのだろう、と述べている。大辻が挙げている永井祐らの例は説得的であり、全体の論旨としても明快で、もっともだとうなずける論考だと思う。

 けれども、この連作をこうして見てゆくと、口語短歌には「生き生きと明滅する「今」を記述する」だけでなく、存外「彫りの深い」時間性の表出も可能なのではないか、というような思いがきざしてくる。一首目の(ほとんどロラン・バルトの『明るい部屋』に重ねて読みたくなるような)父親の写真の歌には、たしかに動詞の時称としては現在形しか使われていない。その意味では主体の厚みをもった過去が歌のなかに含みこまれているわけではない。けれども、そこで現在の作中主体が経験している時間は、父親が「若くなり」「ラッパを吹いている」という現在なのであり、彼は自分がまだ生まれていなかったかもしれない過去に遡行してその時間を束の間呼び戻している。この現在は、単なる現在ではなく、歴史的な過去でもなく、呼び戻された過去を生き直す現在というよりほかない現在である。

 あるいはフジカラーの緑のベンチの歌も、使われているのは現在時称だけだが、技巧的な表現によって、意識の明滅の連続とは違う時間がここには示されていると言えないだろうか。現在形が使われていても、それはいわば見かけ上の現在形にすぎず、ふたつみて、に続く「ずっとその後見かけて座る」には、現在の積み重ねという以上の厚みがある。意識は、ベンチを二つ見たという過去、見るたびにそれに座るようになったという習慣的過去(あるいは過去と現在)、それを記述する現在、といういくつもの地点を(現在の意識の連続としてというよりは)ベンチに目を留め、腰掛ける習慣がつくまでの長い時間の流れを現在の地点から愛おしむようにして描いているように思う。

 むしろ、父親とラッパの歌などに見られる現在形は、「現在」「今」という意識自体をラディカルに問い直すものであるとも言えるだろう。同人誌「羽根と根」の連作中に「きみがケトルでココアをお湯に溶かしてる 瞬間はなみだの加加速度」(阿波野巧也「たくさんのココアと加加速度」)という歌があったように(ちなみに阿波野が連作冒頭に引いているWikipediaの記事によると、加加速度とは「単位時間あたりの加速度の変化率」だという)、もとより阿波野は時間の感覚にとても敏感な歌人である。そうした瞬間や現在への鋭い意識は、この連作では確かな技術に支えられ、「きみ」や父親、公園のベンチといった具体的なオブジェをきらめかせている。

短歌時評127回 中村稔『石川啄木論』と、人間について 藪内亮輔

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 中村稔は一九二七年生まれの詩人。私が彼の文章を知ったのは『ユリイカ』誌上であっただろうか。確か永田和宏の『近代秀歌』という近代短歌のアンソロジー本が出た直後、中村がこの本に対して徹底的な批判を載せたのであった。これは間違いだと徹底的に意義を唱えられる信念と熱さを私は生来好むが、それよりもむしろ中村の挙げている近代短歌のセンスというか、単純に言えば選歌のおもしろさに、興味を持ったのを覚えている。

 その中村が石川啄木について書いた本が出た。かなり分厚く、丁寧に啄木の生涯を追いかけている本だ。私は啄木の生涯にはあまり興味はないから、その部分は読み飛ばしてしまったのだが、むしろ私としては本書において、中村が啄木を詩人として評価、歌人として評価をする部分が面白かった。

 さて、実際に中村による啄木の詩歌の評価をみていこう。これはいろいろと具体的に説明されているのだが、私なりにまとめると次の2点に尽きる。啄木らしさ、かの時代に啄木だからなし得たことというのは、1.瑣末な日常に詩を見いだしたこと、2.十分に人生の辛酸を嘗めた者には、(啄木の)痛切さが胸をつく、という2点である。北原白秋は「詩」と「歌」を焦点とする楕円であると評されたが、これを喩として使うならば、啄木の作品世界にとって、1と2は作品の魅力を作り出すための2つの焦点であったといえる。

 

 啄木は若くして第一詩集『あこがれ』を上梓し、その類い稀なる巧みな模倣によって、天才少年詩人の名をほしいままにした。つまり、啄木はもともと技巧の人だったのである。青春期の感傷をうたった歌人、という通俗的なイメージからすると少し不思議な感もあるが、実際、「あまりにも巧みな模倣(北原白秋)」、「その態度その技巧ほとんど年少未熟の痕跡を残さず、当代名家の詩情と技巧の感化をたつぷり受けて、その亜流の間に在つても、一流とあつて二流以下とは下らぬ程度の修辞法を示してゐる(日夏耿之介)」と当時は技巧・修辞面に関してかなりの評判を集めていたようである。

 しかし中村はその評価に反駁する。実際、『あこがれ』中の「隠沼」において、啄木の詩は「希薄な内容に比して殆ど破綻を見せぬ技巧(今井泰子)」と評されているが、中村は「修辞はむしろ拙い」とする。むしろ、「泥土に似た、永遠の悲しみにつながれた人間として自己を規定した」作品として、本作品はまことに痛切であり、「これほど敗残者の痛切な嘆きによって出発した詩人」はいない、これこそが啄木のオリジナリティだったのだ、と述べる。啄木はわずか二十数歳において、想像し難いほどの辛酸を嘗めていた。すなわち、啄木の歌を鑑賞するに堪える読者とは、感傷的な青春期の青年というよりはむしろ、「人生の辛酸を嘗めてきた」「漂泊、流浪の気持ちを理解できる」成人ということになる。実際に、本書によれば、啄木が自身で書いた『一握の砂』の広告文の中で、「広く読者を中年の人々に求む」と書いているそうである。

 

 晩年の啄木は、「われこそは詩人だ、これこそが詩だ」といわんばかりの作品の中に詩は無い、瑣末な日常のなかにこそ「詩」は現れるのだ、という考えに到達していた。これは一つの思想の到達点であった。一九〇九年の「食ふべき詩」という有名な評論である。啄木は、瑣末な日常の裡において瞬間瞬間に現れては消える感情の陰翳を、巧みな無造作と巧みな言語化により「短歌」に縫い付けることに成功した。すなわち啄木は、「そのままに書く」ということの難しさを、前もって持ち合わせていた技巧と、「辛苦」を通り抜けていくときに得た何かによって、見事に乗り越えることができたようにみえる。瑣末な瞬間に脈絡も無く現れては消える感情の陰翳そのものが、自らを懸けてうたうだけの重みを持っているのだ、という思想に到達したのである。

 

いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ

 

 短歌の定石では、よく「悲しい」とか「寂しい」は使ったらダメ、その気持ちを別の言葉で表現するのが短歌なのだ、と言われるが、これは対症療法である。恐らく啄木にすると「そのような約束事を意識する時点で、詩人として詩を作ろうとしている」ということになるのだろう。

 

何がなしに/頭のなかに崖ありて/日毎に土のくづるるごとし

ふと深き怖れを覚え/ぢつとして/やがて静かに臍(ほぞ)をまさぐる

目の前の菓子皿などを/かりかりと嚙みてみたくなりぬ/もどかしきかな

 

 特に二首目は素晴らしい。このような怖い歌は見たことがない。歌の背後に流れている時間の緩急が、巧みである。時間の流れが「ぢつとして」のところで凍り付き、また動き出す。恐怖感と時間感覚がリンクする。

 中村は啄木のこのような感覚を、「このような神経ないし精神は正常とはいえないだろう」「狂気としか考えようがない」と考察しているが、むしろこれらの作品は、一般的に皆が持ち合わせている精神のなかの風景を、きわめて正常な感覚で切り取ってきたという風にみえる。つまり、私はこれらの歌に精神を写し取るだけの「正確さ」を感じる。そもそも、詩の世界でしばしば言われる「狂気」という評が私はよく分からない。詩歌とはぎりぎりまでわれわれが突き詰めた「正気」であり、そうでなければただのナンセンスなでたらめである、と思う。よくニコニコ動画やネット、私たちの最近(といってもここ十数年くらい?)のコミュニケーションでは、素晴らしすぎるものや人を褒める意味合いで「いかれてる」とか「バグってる」「変態」などと呼ぶことがあるから、そういうニュアンスなら納得なのだが……。中村は啄木の「食ふべき詩」を「詩人たる資格は三つある。詩人は先第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。さうして実に普通人の有つてゐる凡ての者を有つてゐるところの人でなければならぬ」と引用し、重要である旨を語っているが、果たしてどこまで「普通人の有つてゐる凡ての者を有つてゐるところの人でなければならぬ」を重要としているか。啄木は確かに天才的であり、一般に比べて異常な人格であるところもあったのかもしれない。人生の痛苦、辛酸も、人一倍嘗めてきた。しかし彼が「広く読者を中年の人々に求む」と言ったとき、そこにはどこか、人間の精神の風景はもとより中村の言う「狂気」でできており、われわれは通底する「狂気」をお互いに持っているはずだ、という前提があるように感じるのだ。よって、中村が「啄木は狂気によって他の表現者と一線を画する」と主張しているならば、それは誤りであろうといえる。むしろ、人の精神はもとより狂気でできており、それを正確に無造作な形で抜き出せたのが啄木の独自性と考える。

 

 

 ***

 

 本書において中村は啄木の歌を、「痛切さ」「人間的」という点から何度も評価している。本書での口ぐせは「痛切さが胸を打つ」である。

 昨今、馬場あき子が自伝『寂しさが歌の源だから─穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈』において、短歌とはもともと「人間を、心を差し出す」ものであったのに、今ではアイディア勝負になってしまっていて、「当たり前のことを言い方によっては、「えっ、そうなんだ」と思わせるテクニックが現代の若い人たちのおもしろがり方になっている」と述べて、議論を呼んだ。というか、ひどい論争になった。

 

 そういえば、テクニックで思い出したこと。フィールズ賞を受賞した数学者の森重文という人が、面白いことを言っていたのを覚えている。記憶に頼って書くので、ニュアンスは合っていると思うのだが、違ったらごめんなさい。高校数学の受験テクニックに対して、「こんなものを覚えて何になるのか」、「ただのテクニックで本質ではない」という意見がある。しかし実際に大学で研究を始めると、受験テクニックを使う場面がしばしば出てきて驚いた、と。

 

 まあ、数学の話と文芸の話をくっつけて関連ありげに話すのもナンセンスなのかもしれないが、つまり何が言いたいかというと、啄木を語る中村も、馬場の発言を受けとる私たち読者も、そしてもちろん馬場自身もだが、「テクニック」や「人間」をあまり神格化しない方がいいんじゃないかな、ということである。たとえば、馬場の

 

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子『雪鬼華麗』)

 

などは、私は最初「夜にも桜は止まることなく散る」という発見におののいたことを覚えている。つまり私にとっての「桜」は、この歌を読んだ一瞬から、「夜半さえしらじらと散っている」時そのものの止まらない出血のような桜へと更新されたのだ。次から桜を見ては、この認識を思い返さずにはいられない。当たり前だと思っていた世界の認識を更新することは、昔から詩歌の持っていた大きな魅力であり、欠かせないものである。しかし、この歌はアイディアの歌ではないのか?

 

車にも仰臥といふ死春の月(高野ムツオ『萬の翅』)

 

という句が話題になったことがあった。これは3月11日の大震災の日、津波のあとに残された惨状を詠んだものである。車がごろごろと転がっている。車が腹をみせている様子を、「仰臥といふ死」と表現した。この地獄のような地上を、春の月が照らしている。片山由美子は、この句は「春の月」の本意を広げた、と評した。「春の月」という言葉の持つイメージが更新される。

 

 読み方によっては、これら二作品はアイディアの優れた作品ということができる。しかし同時に、これらの作品の背後には、痛切な思いがあることも知っている。「歌林の会」HPで、馬場は次のように回顧している。

 

……宿泊した宿の中庭の桜を、夜半に起き出して眺めていた。灯火のほのかな明りの中に浮かび出た桜は、人々の寝しずまった静かな闇に佇んで、誰の目にも見られないまま、自ずからなる摂理に従って、白い花びらをはらはら、はらはらと惜しみなくこぼしつづけていた。四十九歳で職を捨てた私の感じている、惜しまずにはいられない時間の、刻々の消滅のようにも、私という存在を残して過ぎてゆく非情な時間のようにも感じられた。(歌林の会HP「さくやこの花(44)」)

 

 私自身も、理想から外れた人生の中で、何の分野でも一流になれずいつか死んでゆくことを毎晩のように思い患い、時の流れを思っているから、分かるとは言えないまでも胸は打たれる。

 しかし、それでさえ、というか、それであるからなお、掲歌はアイディアに優れた作品として評価されねばならない。夜半にさえとどまらず散り続ける桜という具体的なアイテム、アイディアによって、われわれは個別の哀惜をそこに込められる。アイディアを使わなくていいというなら、上記のエッセイのようにして自分の気持ちを好きなだけ語ればいいわけで、日記帳にでも個人的に書いてもらえれば結構なのである。作者にどんな人生や、哀惜や、悲痛さ、気持ちがあるにせよ、短歌という特殊なフィルターを通過させ、作品という形式で保存する以上は、少なからずテクニックを用いている筈である。いや、テクニックは手段であって、本当の気持ちの方が大事なのだ。人間の為にテクニックはあるのだ。などと言うものがいたら私は反吐を吐いてしまうだろう。結果の為に手段を選ぶというのは尋常であるように思われているが、むしろ手段によって結果が変化するということの方が大いにある。というか、本来は、歌人はそのことを信じているからこそ歌を続けている筈なのだ。歌という不自由な枷、手段を用いることによって、初めて自分の中から発見される気持ちがあり、考えがある。つまり、吉本隆明の言った「書くものがあるから詩は作るんじゃない」。詩歌を作るから、汲み上げられるものがある。

短歌評 短歌を見ました番外編 飯塚距離「潤潤恵」について 鈴木 一平

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 「穀物」は部屋中に散らかった本の下敷きになってしまったのか見つからず、次回に持ち越します。短歌時評の締切が近づくたびに「穀物」を探すというイベントを半年ぐらいのペースでやっていたのですが、ついに破綻してしまったので、次回までにはなんらかのかたちで調達できればと思います。

 というわけで、今回は四年ほど書きそびれていたことを書こうと思います。飯塚距離という歌人がいます。感じについては彼のブログ「パンデモーニカはぱんでもヶ丘」に公開されている連作のいくつかを見ていただければわかると思いますが、根底に現代詩の参照を感じる、言葉遊びに傾斜した語の選択が特徴的な作風です。いわゆる言語実験的な側面が強く感じられますが、ここでは彼の代表作である(と個人的におもう)「潤潤恵(うるうるえ)」という連作について考えてみたいとおもいます。掲載媒体は2013年に公開されたネットプリント誌『県南のジャベリン』で、現在は前述のブログ記事から読むことができます。『県南のジャベリン』については、公開当初の「ジンクスと都市伝説のペーパー」という奇妙な触れ込みが印象的だったのを覚えていますが、本連作は短歌と、既存の短歌を組み合わせてつくったジンクスから構成されています。「既存の短歌作品を組み合わせてつくったジンクス」とはどういうものなのか、イメージしにくいと思うので、凡例を引用してみましょう。

たくましい人間から放たれた矢が壁画の牛をまだ貫かないとき、たくさんの星を積んだ馬車が現れる、その馬車は広い額の上を通り過ぎていく(AM県・MYさん)

 紙面では斜体で記述されています。パーレン内の県名・氏名のイニシャルはそれぞれ、引用元となった短歌作品の作者名であり、上記のジンクスは次の作品からつくられていることを現します。個々に独立した作品としてあった二首の短歌が合体させられているわけです。

矢をまさに放たむとして人逞し壁画の牛はいまだも刺されず(雨宮雅子)
おびただしき星のせてゆく馬車のありあまりに広き額の上を(鳴海宥)

 注目すべきは、ジンクスとして組み合わされた二個の作品と、その結果として生み出されたジンクスのあいだの差異が、先行作品に内在する意味の一部をつよく前景化するようにあらわされている点です。一見してわかるように、ジンクスへの転写に伴い、二つの短歌に共通していた文語的な語調が噛み砕かれています。そのなかで、短歌「矢をまさに」の結びである「いまだも刺されず」が、ジンクスでは「まだ貫かないとき」と翻訳され、続く「おびただしき星」へと至る場面提示となっており、作品内に描かれた情景が、続いて引用される作品へと接続されています。つまり、ここで短歌形式と形式内部に組み込まれていた情報とが分離され、そのことによって短歌自体に内在していた意味の要素が短歌そのものの自律性から独立し、別の言語表現に転写可能なものへと改変されているわけなのですが、話はそれだけではありません。ここで行われている事態は単なる短歌の改変以上に複雑で、「作品を読み、それについて何かを知覚する」行為そのものに内在する質を、かなり鋭く提示しているのではないかとおもいます。短歌とジンクスの両者を比較しながら、そこで行われている書き換えの過程を見ていきましょう。
 まず、先に改変されている短歌「矢をまさに」とジンクス「たくましい人間~まだ貫かないとき」から見ていきます。「矢をまさに」で主題となっているのは、狩人が矢をもって牛を射止める瞬間を描いた(おそらく先史時代に制作された)壁画を観る私、つまり放たれた矢が絵のなかで牛に刺さることなく固定されたまま、気の遠くなるような時間を経て鑑賞者の目に出会ったその感慨であるといえます。作中で「私」は明示的に名指されてはいませんが、短歌形式は音数律や語配置の問題から俳句と比べて「事物」よりも「事物を認識する私」についての叙述に有利であり、かつ「私の心情」を詠むよう鍛え上げられてきた歴史を持つため、「この認識を持つ私」を強く要請するジャンルです(歴史的過程についてもうすこしいえば、「私性」の前提が作品のなかに位置づけられるべき「ある事物を認識する私」を慣習的に出現させてしまうのかもしれませんが)。前者については「57577」における「575」「77」の対が含む「57」「57」や「7」「7」の反復が、抽象的な次元で「事物+事物に対する言及」の構造をつくりやすく、翻って「言及」部分に「事物に対する私」を要請させるのではないかという話を本連載のどこかでしたとおもいます。話が迂回しましたが、「いまだも刺されず」と締めくくられる「矢をまさに」では、壁画の鑑賞体験の内側で行われた私の認識について触れているという側面が強く打ち出されているわけです。
 さて、短歌「矢をまさに」に対して、「潤潤恵」におけるジンクスはどのような語配置が行われているのでしょうか。「矢をまさに」に対応する配置の末尾である「まだ貫かないとき」に注目してみたいとおもいます。当たり前の話になりますが、短歌「矢をまさに」における「いまだも刺されず」は作品の末尾に配置され、これを以て作品が終了していますが、「まだ貫かないとき」は後半の「たくさんの星を積んだ馬車が」と接続しています。言い換えれば、「貫かない」でいる時制に額の上を通り過ぎていく「馬車」の過程が挟み込まれているわけなのですが、その結果として「いまだも刺されず」が含み持つ「私」への回帰が弱められ、「壁画」のなかで完結していた描写が壁画の外(つまり、「馬車」が位置づけられる空間)へと漏れだし、「たくましい人間」と「矢」がその流れに乗るかたちで、壁画の外にいる(矢を実際に「壁画の牛」に向けて放っている)かのような実在性を獲得しています。なぜかというと、「いまだも刺されず」として表現される時間は、「矢をまさに」においては壁画そのものというよりも壁画を見る私の認識に結びつけられており、壁画自体やそれを取り巻く外部の対象に干渉するものではありませんでしたが、ここで「いまだも刺されず」から「まだ貫かないとき」へと改変が行われることによって、描かれた空間内部において具体的に働く因果関係が立ち上げられ、私の個人的な感慨から現下の状況に対する叙述としてその位相が繰り上げられているからではないかとおもいます。つまり、「貫かない」でいる時間は「壁画」に描かれた瞬間ではなく現時点で進行中の過程を示す符帳として働き、「たくましい人間」の手から放たれた「矢」が、「壁画の牛」に向かって文字通り伸びていくという認識が成立するわけです。

 さて、「まだ貫かないとき」に続く「馬車」を巡る記述についても、ジンクス化にあたって元の作品で詠み込まれたイメージをどのように組み替えているのか見ていきたいと思います。元の「おびただしき星のせてゆく馬車のありあまりに広き額の上を」は、「馬車のあり」が作品の中心に配置され、前後の語は絶えず自身から「馬車」へと向かう意味の方向を背負わされているため、ひとまず「星をのせていく馬車」の解釈に読みが集中するような構成がとられています。「のせていく」という行為の進行を示す修飾が「あり」で言い留められることで、「馬車」は他の語の運動を抱え込み、翻って「星」と「馬車」の関係への注目から、満天の星空の下を走る馬車のイメージが際立って知覚されます。しかし、ここで後半の「あまりに広き額の上を」をどのように読むべきなのかが問題になります。配置を変えて、「あまりに広き額の上をおびただしき星のせてゆく馬車のあり」と読めば、「額」は「馬車」にかかり、「額の上に馬車がある」というイメージがあらわれます。文法的には適当な読みかもしれませんが、「馬車」にかかる修飾が重たく、倒置で表現された理由がわかります。とはいえ、「あまりにも」は「星」にかかるものでもあるという可能性も捨て切れません。文法上のつながりはどうあれ、私たちは順序や文法事項に沿って必ずしも短歌をつくり、読む必要はなく、互いに切断された作品の上部・下部は並列的に処理できます(これについてはまたあとで触れます)。つまり、たとえ「星」が「馬車」にのせられていく過程によって「額の上」と(文法的に)関わりうる位置を奪われていたとしても、額の上に星があるという構図を潜在的に読みうる配置があるわけです。しかし、ここは範囲を絞って、「額」は「馬車」にかかるものとして読んでみたいとおもいます。
 「額の上に馬車がある」という表現は、頭部にある額を字義通にあらわすものなのでしょうか。「あまりに広き額」は、広々とした砂漠や丘のような場所を指し示しているのかもしれません。「額」は文字通りの「額」をあらわしている、と見ることももちろんできます。場所は高台かなにか、視点の上部にいて、視点はその馬車を下から見上げている、馬車の背景にはたくさんの星がまたたいており、その光景が「星をのせていく」と形容されているのだと、字義通りの読みでは解釈できそうです。もっといえば、視点人物がそれをどこから見ているかの補足としてではなく、実際に「馬車」が「額」の上に置かれていると考えることもできます(「あまりに広き」が、馬車が乗るほどの額の広さをあらわしている、という視点です)。「馬車」と「額」の関係はそれぞれの具体的なサイズや位置を欠いたままで置かれているため、一義的な解決はむずかしそうです。
 ジンクスの該当個所に進んでみます。元の短歌に対して「現れ、通り過ぎていく」流れに焦点が置かれ、音数律による場面のピックアップも取り除かれていることで、もとの短歌で打ち出されていた前半部のイメージが弱められているように感じます。代わりに、ジンクスは短歌がその下部に示していた「額」の倒置を打ち消し、文の進行に沿って配置し直すことで、短歌において見られた「額」の位置のゆらぎを正し、馬車が額の上に存在していることをいくぶんかクリアに提示し、かつ、「額」の指し示す意味の限定を避けていることがわかります。しかし、語りと「馬車」との位置関係はついに定められず、ジンクスのあとに「星」と「おでこ」を詠んだ作品(「星へのおしぼりはおでこへの星のとっこうやく 笑った 森で動けるうちに」)が置かれていることから、制作者は「額」を字義通りに読み、おそらく「額の上」を馬車の通り過ぎていく地面として使用しているのではないかと考えられます(「広い」の修辞についてもおそらく、馬車がその上を通り過ぎるに足る広さを額が持つものとして使用されています)。ジンクスは短歌の不鮮明な多義性を、選び取られた解釈を通して組織化しているかのようです。
 また、ここではジンクスとして短歌を散文へと転写するにあたって、短歌形式の持っていた機能が削ぎ落とされています。短歌に限らず、定型詩は参照項となる定型との距離感に基づいて語を配置することで、その内部に単なる分節には回収できない抽象的な形式を宿らせます。くり返しになりますが、「57577」のリズムは文法に基づいた語配置と同等かそれ以上の力を持った規範として短歌作品の組織化に貢献するため、私たちは全体としては意味の通らない短歌を読む際にも、詩を読む際のそれよりはいくぶんか経済的に鑑賞体験を遂行することができます。「あまりに広き額の上を」が倒置として成立するのも、「57577」がもつリズムにおいて「575」と「77」を文構造ではなく短歌形式において関係づけることで可能になるものではないかとおもいます。この関係を通して、「おびたたしき星」は「あまりに広き額の上を」が私たちの目を上部の「おびたたしき星のせていく馬車のあり」に回帰させるよう働きます。一方でジンクスはそうした短歌形式のもつ身体を取り除き、回帰の方向を欠いた一続きに展開する読みの順序を採用しており、それに呼応するように短歌では「のあり」として「額の上」に置かれた馬車が、(「まだ貫かないとき」の契機と連携して)「現れる/通り過ぎていく」という出現と移動を指示する語によって「額の上」と関わります。しかし、短歌が「走り抜ける馬車」のイメージをまったく持たないかといえばそうではなく、むしろジンクスにおける「現れる/通り過ぎていく」の使用は、前述したように短歌で用いられた「星」に対する修飾「のせていく」が「のあり」に付帯させていた移動のニュアンスを抽出し、強調することが意図されているのではないかと考えられます(と同時に、ジンクスでは「のせていく」が移動の痕跡を消去した語「積んだ」に置き換えられています)。つまり、ジンクスは自身を構成する散文形式と関係するにあたって、一方向的な読みの運動を短歌とは異なる機能として意識的に利用し、それを通して短歌作品が持っていた意味の一部をより強く押し出しているのです。

 さて、以上のようにジンクスは二つの短歌を組み合わせ、一つの文として自身を成立させるに当たって、単なる言い換えに止まらない操作を行っています。そして、それらはまったく恣意的な改変ではなく、短歌作品に内在していた意味の一部の抽出と拡張が目指されています。「矢をまさに放たむとして人逞し壁画の牛はいまだも刺されず」は、実在する人間の手から壁画に描かれた牛めがけて矢が放たれた、その瞬間について詠まれた作品であるという認識は、よくよく「矢をまさに」を読み返してみると、なるほどそのように感じられますし、むしろジンクスにおいて提示されたものこそ正しい読みなのではないかとさえおもえます。両者を比較し読んでいた執筆者(鈴木)が穏当な読みをしているという可能性は否定できません(実際のところ、執筆者はジンクスと短歌作品の比較のなかで「私の読み」を立ち上げましたが、そこでジンクスにおける記述と短歌における記述のありようの差異に驚いたのが本論の執筆のきっかけでした)。こうした「読み」の多義性を作品がはらむこと、かつそうした読みの多義性について、制作者である飯塚距離が十分に意識的であることについては指摘しておく必要があります。ブログ記事「ヴァールハイト精神城での一夜が誰かに過ぎて」で、飯塚はたとえば斎藤茂吉の歌にある「命をはれり」が「終われり」と「を張れり」の二通りに読みうることについて、次のように述べています。

 ああ、そばに「命死にゐる」の一首があるのだし、この「命をはれり」も「命終はれり」を平仮名に開いたのだな、と隣の歌を梃子にすることで河豚の命終を換算することをぎりぎりのところで許さないのは、「命をはれり」が「命を張れり」も引いて、つまり生き死にの水準から睨みをきかせてくる言葉がここで明滅を繰り返してあるからではなかっただろうか。
 見えない者たちの総意に「あかあかと一本の道」のように収斂していくまで、そしてそれが総意だともはや感じられなくなるまで眼が一首に文意を釘づけしようとするとき、表記の曖昧さや文法の不可解さといった小さな寸鉄が、その場を性急にひとつの喪へと締めくくることに抵抗をしようとするなら、たとえばこのような局面でどうして立ち止まらずにいられるだろう。

 斎藤茂吉の短歌「潮の上に怺へかねたる河豚の子は眼をあきて命をはれり」の「命をはれり」が、その近傍に位置する別の短歌「ひたぶるに河豚はふくれて水のうへありのままなる命死にゐる」の影響を受けつつ「命終われり」と読めてしまえる一方で、「命を張れり」を同時にあらわしうる。つまり、そこには「終われり」と「を張れり」という異なる読みが同居していることになります(余談になりますが、本論の執筆中、執筆者はたとえば「いまだも刺されず」を何度も「いまだ」「刺さらず」と読み違え、「まだ貫かないとき」を「いまだ」「貫かないでいるとき」と読み違えてしまったのですが(いまもいくつかを間違えているかもしれません)、こうした読み間違いがありえるということは、ここで述べられている多義性の次元は言語システムが孕む問題である以上に、テクストを読むことが単なる言語規則に基づく伝達過程にとどまらない次元、私とテクストのあいだを構成する非言語的な次元を如実に示すものであるように感じます)。飯塚はこれを単なる多義的解釈の称揚としてではなく、奇妙な迷いを巡らせながら、一方で次のように述べています。

 ひとつの読み方に固執しなければいけないというのではないし、複数の読み方の間で逡巡することは「どうとでも読める」という居直りなどとはやはりべつの歩みをもたらしてくれるだろう。だからそうではなくて、たとえばそれは無感覚に陥りそうな読みの時間の中で、もしひとつの誘いの声を言葉から聞き取れることがあったら、それに顔を向けてみることから始めたい、そんなたしかに頼りない気持ちに根差したものだったけれど。

 ここで飯塚は語配置の多義性そのものよりも、語配置が多義性を私たちに向けて発現させる(一義的に読んでいたはずの語配置に、べつの読みの可能性があることを私たちが知覚してしまう)その瞬間に注目し、そこから立ち上げられる作品の読みや制作を志向していると読めます。翻って「潤潤恵」におけるジンクスを、短歌作品がもたらす私の読みを極度に圧縮された記述として組織化し、短歌を通して与えられた私の読みを、私以外の他者(私が捉えた読みを知覚できなかった私)に向けて開示する試みであると考えることができるのではないでしょうか。
 最後になりますが、ジンクスは単なる先行作品への批評的意義だけではなく、まずもってそれ自体がひとつの制作行為であると同時に、自身の制作を根拠づける環境として「潤潤恵」に埋め込まれています。ジンクス「たくましい人間から……」の周囲に配置された短歌のいくつかを引用してみましょう。

お腹かなと思えばぬーっともしたくてお腹鳴るような農道をくだる

また心のないがいかよ うちそとあやす動物病院は太陽のちょっと下よ

星へのおしぼりはおでこの星へのとっこうやく 笑った 森で動けるうちに 

 これらの作品は、提示されたジンクスで展開された運動をもとに組み立てられた作品か、すくなくともジンクスを地に読みうる構造を持った作品です。たとえば、「お腹かな」では、「くだる」ものが具体的に何かが指し示されておりませんが、身体の上部に置かれる頭の部分である「額」に対して、その下部に位置付けられる下半身の途中にある「お腹」が主題に置かれ、かつジンクス「額の上」を対角線上に据えるように「お腹」と「くだる」が使用されています。それにより、「お腹をくだす」からの発想や音韻的類似による豊かな音楽のただなかに農道をくだっていく「馬車」の存在が現れます。また、「また心のないがいかよ」は短歌とジンクスの往復によって生み出された「壁画」の「うちそと=内外」意識させつつ、壁画の内側に置かれていた「牛」がついに矢に貫かれ、「動物病院」を通して「壁画」の外に呼び出されるという物語が想起されます。そして、先ほど「額」の意味を巡って引用した「星へのおしぼり」は、「星」と「額」の関係をマンガ的なイメージ(頭をぶつけて星が出る)のもとにあらためて読み換えたものとして、短歌「おびたたしき星」で置かれた「あまりに広き額の上を」の唐突さを補っています。
 これらの短歌を、ジンクスによって抽出された意味を土台にした制作行為として位置づける視点は有意義であるとおもいます。私において読まれた短歌の語配置(ある言葉の使用法)をもとに、言葉を配置しなおし、それを通して新たな作品を制作すること。それは私において読まれた短歌の「誘いの声」を聞き取り、そこで担われた言葉の意味をさらに新たな認識へと拡張させていくための、ひいては他者の思考を私が思考し、さらなる他者の思考へと私たちの思考を受け渡す技術としての言葉を思考するための、ひとつの具体的な方法であるといえるのかもしれません。

短歌時評 第128回 短歌にとって君とは何か 吉岡太朗

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 目次

 1章:君でないひと

 2章:グリーティング・カードとイコン

 3章:四人称

 4章:濃厚な個人

 5章:共振

 6章:擬似同化

 7章:なぜ「君」と書かれるか

 8章:ゼロ人称

 9章:短歌が本質的に抱える違和感1

 10章:短歌が本質的に抱える違和感2

 

 

 1章:君でないひと

 

 

 塗り絵のように暮れてゆく冬 君でないひとの喉仏がうつくしい 大森静佳『てのひらを燃やす』

 君じゃない人と歩けば降りそそぐこれは祝福の桜じゃないな 千種創一『砂丘律』

 君でなきひとに会うにもバス停にひかり浴びつつ待たねばならぬ 染野太朗『人魚』 

 

 「君でないひと」「君じゃない人」「君でなきひと」……短歌でこのような表現を見るたびに違和感を覚えます。意味が通らないというわけでもなければ、短歌の表現としてまずいということでもないのです。むしろ短歌の表現として至極まっとうだからこそ、短歌というものが本質的に抱える違和感をあぶりだしているようなそんな感じがするのです。

 それがどんな違和感かというと、この「君」は本来ならば三人称で把握されるべきではないのかと思ってしまう、というものです。

 「君でないひと」を見ている時の私にとって「君」は第三者です。「君」は二人称ではなく三人称で呼ばれるべきではないでしょうか。

 確かにそうはならないケースは存在します。「君」に対してそれを報告している場合です。それならば一首の言葉全体が「君」に向けられているわけですから、呼称が「君」となることに何ら問題はありません。けれど一首目の大森歌はやや微妙なのですが(私は呼びかけとは思いませんが)、千種歌と染野歌は独白の可能性がかなり高い。特に千種歌の結句であるところの語尾「じゃないな」は明らかに「君」には向けられていません。

 言葉の向かう先でないにもかかわらず「君」と呼ばれるということ。これは引用した三首だけに見られるものではありません。たとえば大森の同歌集から別の歌を引いてみましょう。

 

 もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く 

 

 もし「君と見に行ったね」などなら「君」に呼びかけているわけですから、「君」でいいのですが、この場合は単に事実を記述しているのみです。だから適切なのは以下ではないでしょうか。

 

 もみの木はきれいな棺になるということ 電飾をA[彼、彼女、特定の人物の呼称]と見に行く

 

 これは小説の地の文で考えると分かりやすいのではないかと思います。一人称小説で視点人物以外の登場人物が走った場合、一般的に「君は走った」とは書かずに「Aは走った」と書きます。もちろん三人称小説でもそうなります。二人称小説の主人公が走った場合は、確かに「君は走った」ですが、少なくとも現代日本では二人称小説自体が例外的と言えます。

 けれど肝心なのは適切な方がよいとは限らないということです。これまで引用した歌はすべて「A」と書かれるより「君」と書かれている方が、何となくしっくりきます。なぜでしょうか。

解答例:短歌では「君」とあったら恋人と受け取るのが半ばお約束のようになっている。だから恋人であることを示すために(冒頭に引用した三首はすべて、少なくとも染野歌以外の二首の「君」は、恋人で間違いないだろう)、「君」と書いた。人称なんてどうでもいいことではないか。

 上記の解答を間違いとは思いません。むしろそれくらいに考えて割り切ってしまう方が、いいような気がします。けれどここは敢えて少し回り道をして考えてみたいと思います。以下の議論はそもそもこんなことを考える意味が分からないという方には、全くの蛇足以外の何物でもないかも知れません。

 

 

 2章:グリーティング・カードとイコン

 

 

 前章で「君」についての違和感について述べましたが、私は「君」について、もう一つ別の違和感を持っています。それは「君って誰だよ」ということであり、もっと言うなら「君って私じゃないの」と言いたくなる思いです。

 これはむしろ前章で引いたような歌ではなく、正しく「君」に呼びかけている歌でこそ生じうる違和感です。

 

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子『森のやうに獣のやうに』

 

 これが私宛に投函された手紙の本文中にあったら、基本的には「君」=手紙の読者、すなわち私ということになります。けれど短歌ではそうならない気がする。ならない気がするが、ならなければならない気も一方でしてそれが気持ち悪い。でもやはりならないと思う。

 なぜならないと思うのか。なぜ「君」=私、「君」=読者ではないのか。

 小説家・橋本治は著作『風雅の虎の巻』で、短歌についてこんなことを書いています。

 

 短歌っていうのはグリーティング・カードですね。贈ったり贈られたりする。貴族っていう、儀式、様式の中に所属する、関係だけで人生を演じていたものが作り上げた社交芸術ですよね。だから短歌というものは、それが流通する社会がなければ成立しない。(橋本:二五八頁)

 

 橋本は古典に造詣の深い書き手で、だからここまでは古典和歌を意識した記述と取れます。古典期において短歌は本質の部分でグリーティング・カードであったということです。つまりある程度、手紙のように明確な受け手がいたということになります。

 つまり「君」=読者は、かつてはありえたし、むしろそれが中心だった、というわけです。

 さて肝心なのはこの続きです。

 

 だから、お城や御殿がなくなって、それが流通する場を失ってしまった現代短歌というものは、グリーティング・カードであることが不可能になって〝聖画(イコン)〟になるしかない。どんどん個人的な深まりだけを見せて、言葉に濃厚な意味がこめられるようなっちゃったけど、でもそのかわり、そんなに濃厚になってしまった個人とわざわざ日常的な関わりを持とうとする社会なんて、〝結社〟の他にはない。だから、作者の呪詛は作品の中で清められて聖画(イコン)になっちゃった。(橋本:二五八-二五九頁)

 

 「聖画」という語の内、シニカルなニュアンスで用いられている「聖」の部分はひとまず脇に置いておきましょう。注目したいのは「画」です。イコンは絵です。かつてカードの受け取り手だった読者は、現代においては絵画の鑑賞者に変貌を遂げたのです。

 たとえば暑中見舞いを例にとって考えます。それに切手を貼って投函した場合はグリーティング・カードとして機能しますが、額縁に入れて壁に掲示してしまえば鑑賞を目的としたアート作品となります。壁に「暑中見舞い展」とでも書いておけば、やがて客がやってくることでしょう。グリーティング・カードからイコンへの転換とは、贈ることから掲示することへの転換であると言えます(※)。

グリーティング・カードは送り手と受け手を架け渡す橋のようなもので、それを通じて送り手と受け手の間には関係性が生じます。けれどイコンの場合、送り手から伸びる橋は途中で途切れます。川に突き出した桟橋のようなものです。読者は川の向こう岸からその桟橋を眺めることしかできません。もちろんコミュニケーションを取ることはできますが、その取り方は、グリーティング・カードの場合とは全く違ったものになることでしょう。

 

※:当然のことながら、グリーティング・カード→イコンという流れをそのまま短歌史の流れとして受け取る短絡は避けられなければなりません。けれど本論ではその辺りのことは問題ではなく、短歌にはグリーティング・カード的な受容のされ方と、イコン的な受容のされ方の二通りがあるということ、そのことを確認できれば十分です。

 

 

 3章:四人称

 

 

 読者は、作品、書物の世界を、外からのぞき見ていることになる。ことばも、自分に向けられていることが実感されないで、立ち聞きに近いものとして了解される。人間の理性がこうした困難な伝達に興味をいだくようになっているらしいから、読者は一般の聴者以上の知的満足、感銘を受けることが可能になる。その興味は、表現されている事柄とは、多くの場合さほど関係がない。(外山:五六頁)

 

 この文章は『思考の整理学』などの著作で有名な英文学者、外山滋比古のエッセイ『第四人称』から引用しました。その名の通り、四人称というものの存在について言及した著作です。四人称とは何でしょう。

 

第一人称、第二人称、第三人称のコンテクストから独立した表現の受容者である。読者も第四人称であるし、話を又聞きする人もそうである。非当事者がことばの伝達にかかわる場合、すべて、第四人称的性格を帯びている。(外山:三-四頁)

 

 たとえば私が喫茶店でくつろいでいるとします。隣のテーブルに二人組がいます。Aが主な話し手で、向かい合うBに対し、その場にいないCという人物の愚痴を延々と言い続けています。私はその話にいつしか耳を傾けています。この時、Aを語り手=一人称とするなら、Bが二人称、Cが三人称で、私が四人称となるというわけです。

 イコンの鑑賞者である現代短歌の読者も、この四人称の位置にいることは間違いないでしょう。そう考えると、「君」=読者が成り立たない理由がはっきりします。読者(鑑賞者)は非当事者です。むしろ非当事者であることが保障されることによって、読者が生まれるのだと言ってもいい。

 読者の立ち位置については、日記や手紙で考えると分かりやすいと思います。日記は読まれることを前提としませんし、手紙は対象を限定して書くもので、見えない読者なるものを想定して書くものではありません。けれど第三者が日記や手紙を盗み見してしまうことは十分にありえます。もしかしたら現代短歌はそのようなものとして理解できるかも知れません。読者はけして自分には向けられていない日記や手紙を盗み読むのです。

 盗み読みする日記や手紙は面白い。けれど実際に盗み読みする機会は滅多にないし、下手をすれば犯罪にもなりかねない行為です。だから公然と盗み読みを体験できる装置として現代短歌がある。作者はあたかも読者のことなど想像もしないかのようなそぶりをして、私(日記)や君(手紙)に向けて言葉を紡ぐ。読者はそれを読んで盗み読みの欲求をみたす。作者はより強く読者の興味を引くように様々な技法を駆使し、内容を捻ったりもするが、あくまでも盗み読まれるのが目的だから、読者を意識しているそぶりは見せないようにする。

 確かに短歌にはそのような側面がある気がします。しかし読者にとっての短歌の本質はそこでしょうか。そうだとしたら自分と関係のない人物が発信するミニブログやSNSのようなものと、本質的には何ら変わりのないものになってしまうのではないでしょうか。

 

 

 4章:濃厚な個人

 

 

 先ほど「聖画」の話をした際、「聖」の部分は検討から外しました。今度はそれについて考えたいと思います。

 橋本は「濃厚になってしまった個人」と言っていますが、この「濃厚」とは何か。

小説家の保坂和志が『書きあぐねている人のための小説入門』で小説について書いているものが、実は非常に現代短歌的だと思うのでそれを引いてみたいと思います。

 

 小説とは、〝個〟が立ち上がるものだということだ。べつな言い方をすれば、社会

化されている人間のなかにある社会化されていない部分をいかに言語化するかという

ことで、その社会化されていない部分は、普段の生活ではマイナスになったり、他人

から怪訝な顔をされたりするもののことだけれど、小説には絶対に欠かせない。(保坂:一六頁)

 

 社会化という言葉が出てきましたが、すべての人間関係は社会関係と言えます。家族間であってもそこには社会性が生まれます。だから頭に浮かんだことをすべて言うようなことはありえないし、いくら関係が近くてもいや近いからこそ口に出さないようなこともある。たとえば「感情」というのがそれでしょう。そこに生じても口にすることが許されない感情、ないことにされる感情。たとえば結婚式の最中に新郎の友人のことを「ちょっといいな」と思ってもそれを口にする新婦はいないでしょう。それは社会的に捨象される、なかったことにされる感情です。

 あるいは自分独自の認知。「夕日がきれい」は共感されても「夕日に照らされたエアコンの室外機がきれい」は共感してもらえるか分からない。口に出したら変に思われるかも知れないので黙っておこうと思う。

 このように短歌が、社会性が邪魔して口に出せず、放っておけばそのまま消えてしまうようなことがらを口にするための器であるということは、それがすべてではないにせよ、かなりの程度言えるような気がします。

 「濃厚」とはつまり、社会化の段階で捨象されてしまうような感情や認知が露になっている、ということではないでしょうか(※)。

 短歌に相聞歌が多いのも説明がつきます。「君が好きです」は無暗やたらに口に出すわけにはいかず、しかるべき状況ではないと言えない言葉だからです。それは日常生活に潜在的に存在しながら、ないことにされている言葉の筆頭格です。

 

 

 5章:共振

 

 

  短歌作者は、濃厚なもの、すなわち社会化の段階で捨象されてしまうような感情や認知を書く。読者はそれを読む。どのように読むか。 先の外山の議論を踏まえるなら、それを覗き見して好奇心を満たすということになるでしょうが、恐らくそれだけではない。

 橋本の「濃厚になってしまった個人とわざわざ日常的な関わりを持とうとする社会なんて、〝結社〟の他にはない。」という記述を思い出しましょう。これは短歌作者の濃厚についてのみでなく、それに関わろうとする結社の奇特さについても言及しています。ちなみに橋本の文章は八〇年代後半に書かれたものです、今の短歌社会は結社だけが主流ではないので、結社はもっと広い語で言い換えていいと思います。短歌読者で構成される社会です。なぜ彼らは奇特なのか。

 短歌読者に短歌作者が多いことを考えれば、答えは簡単に導き出されます。短歌読者もまた短歌作者同様に濃厚な個人(※)だからでしょう。だから短歌においては、濃厚な個人が濃厚な個人を読むわけです。だから「読者とは非当事者である」という定義と矛盾するようようですが、他人事でありながら他人事としては読まないのではないかと思います。読み手と書き手が距離を隔てながらも共振するような作用が起こるのではないでしょうか。 

 

 もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く 大森静佳

 

 先ほど「君」を「A」に変える操作だけを行い、読解はしなかった歌ですが、少し読みます。

 クリスマスの歌だと思います。「君」は恋人でしょう。

 恋愛関係はそれ自体が祝祭的なものです。祭りのようによろこびに満ちた日々。幸福な日常の時間の背後には、しかし人生の時間が流れており、木が切り倒されて棺になるように、私たちの未来にも死が待っている。その死は本当の死でもあるでしょうし、私たちの破局というものの予感も含んでいる。

 それから「電飾」も見逃せない。木を見に行くのではなく電飾を見に行くのです。祝祭を祝祭たらしめているのは、木ではなく所詮電飾なのだ。その本質を見定める目は、諦念と表裏です。電飾が取り外されてしまえば祭りは終わるのだ。私たちの関係も……。

 それから韻律的に注目すべき点は句またがりです。これにより「きれいな棺に/なるということ」の八/七音で歌が最高潮に達したような印象があり、「電飾を君と見に行く」の八/四音をとても静かに読み流せてしまいます。楽しいデートのようなのにどこか葬式のようなムードです。

 もちろん作中主体は表向きは明るくふるまったのでしょう。恋人に「楽しいね」と聞かれれば「楽しいよ」と答えただろうし、実際楽しかったことは間違いないでしょう。けれどその楽しかった中にも死や別れの予感、諦めのようなものを感じ取ってしまった。これはとても恋人の前では口にできないことです。

 以上で読解は終わりです。ここで大事なのは、この読みが客観的に妥当かどうかということではありません。むしろ客観的に妥当かどうかが問われうるということです。なぜ妥当かどうかが問われうるかといえば、読むことが非常に個人的な行為だからです。読む際に私は私自身をある程度作中主体に投影しています。読みとは常に主観的なものなのです。

 極端なことを言うなら、読むことは私がかりそめに作中主体になることなのです。つまりイコンであるところの現代短歌においては、「君」=読者は成り立たなくても、「われ」=読者は限定的にですが成り立ちうるのです。そしてある意味、「われ」=読者は、「われ」=作者よりも強固な結びつきを持つのではないかと思うのです。書かれたものは書いたものの手を離れますが、読むものは何度もそれと出会い、読みを深めていけるのですから。

 なぜ読者は「われ」と自身を重ねることができるのか。秘密は短歌の一人称性にありそうです。

 

  ※:こう書くと、「濃厚な人とそうではない人がいて、濃厚な人が短歌をやる」という風に読めてしまいますが、これは便宜上そのように書いたまでです。人は誰もが濃厚さを抱えていきていますが、濃厚さとのかかわり方は千差万別です。完全に見て見ぬふりをして生きていける場合もあれば、それが制御できずに社会と折り合いをつけられない場合もあるでしょう。短歌はその濃厚さと付き合うための手段の一形式であると言えます。ただこの形式を選んだということは、自分自身の濃厚さを受け入れることを選んだわけです。この選択は誰もが行うものではありません。

 

 

 6章:擬似同化

 

 

 短歌というのは定型の器に入った言葉の配列ですが、ここで定型を四角い箱だと考えてみましょう。作品はその六面体の箱の内側の面に書かれています。さてその場合、作品を見るためには箱に穴をあける必要があります。箱の六面の内、一面を取り外すことにします。これで覗き穴ができました。読者が作品を眺めることができるようになりました。

 その代わり、取り外した面の裏側に何が書かれているか読者には見ることができなくなりました。覗き穴を得たと同時に、読者は作品の一部が閲覧不能になったのです。閲覧不能な部分に何が書かれているかは、他の部分から予想するしかありません。

この失われた一面には何が書かれていたか、それは作中主体、つまり短歌の「われ」です。というよりもむしろ取り外した一面だと思っていたのは、作中主体の顔だったのです。

短歌は、すべての短歌がそうではありませんが、一般的には「われ」の視点から書かれます。「われ」の視点から書くということは、「われ」についての客観的な情報が欠けるということと同義です。そして欠けている以上、読者は読む行為を通してその欠落を補おうとします。だから短歌の読みは自然と「われ」への言及に向かっていくのです。たとえば「われ」の人物像、性格や気質、その時の気分や感情、その場の状況や雰囲気などです。

 「われ」がさっきまで顔を置いていた場所に、今あるのは読者の顔です。だから探究した結果「われ」が浮かび上がってくるのは読者の位置であると言えます。短歌の一人称性とは、一人称の作中主体と四人称の読者を重ねるための仕掛けにほかならないのです。

 前章の読解において、句またがりから私は「お葬式ムード」を導き出しました。これは作中主体の心情にかかわる部分であり、「われ」についての情報であると言えます。

これは作品に書かれていた情報ではなく、私が読み取った情報です。本当はただ句またがりがあるだけです。けれど私はその句またがりに「お葬式ムード」を勝手に読み取り、その上で読み取ったことがらを、作品にあらかじめ書かれていたことであるかのように語りました。ねつ造と言われても仕方のないような行為です。けれどこの行為を通してしか短歌は読めません。

 作品を読むというのは作品から受け取った情報を、作品に投げ返す行為なのです。「作品に」は「作中主体に」とも言い換えられます。読者は「われ」を探っているのですから。つまり読者は「私が感じたこと」を「作中主体が感じたこと」として投げ返すのです。逆にいえば「さみしい」と作中に書いてあっても、読者がほんとうにそれを読んでさみしさを感じなければ、さみしさを帯びた作中主体は立ち現われません。書いてあることそのままが投げ返されるのではなく、いったん読者を経由するのです。

 投げ返しによって、作品は読者の前にあらたな姿を現します。あらたな対峙はあらたな投げ返しを生みます。投げ返した部分には読者の主観が当然のことながら張り付いています。だから投げ返しを繰り返すたびに、「われ」は読者に染まっていきます。それにより、あくまで限定的にではありますが、「われ」=読者が成り立つのです。

 短歌とは、そのような擬似同化を体験するための装置なのです(※)。

 

 

※:短歌定型の存在はこの擬似同化には欠かせない装置であると考えます。

短歌をある程度読み慣れた読者は五七五七七のリズムを内在化します。そして短歌を読む際には、そのリズムを基準として読みます。それはすなわち五七五七七の無音です。読者は韻律の面においては個々の短歌を、この五七五七七無音という標準値からの偏差として受け取ります。完全定型歌であっても、音を持つ時点で偏差が生じていると言えますし(A音はAへの、O音はOへの偏りなのです)、切れのこともあります(ちなみに標準値の韻律を切れ無しとするのか、上の句と下の句の間で切れていると考えるのかには、議論の余地があります)。

そして標準値からのずれの印象を作品の雰囲気や意味に置き換え、作品に投げ返すのです(先の「お葬式ムード」がこの一例です)。重要なのは、ずれを感受する基準であるところの標準値が、読者に内在されたものであることです。つまり短歌の読解は韻律の面においては、おのれの外にあるもの(個々の短歌作品)をおのれの内にあるもの(定型の韻律)に重ねるというところから始まるのです。このことは標準値の韻律を読者の皮膚、個々の短歌作品を衣服のように考えると分かりやすいのではないでしょうか。短歌を読むことは、服を着るようなものなのです。

 

 

 7章:なぜ「君」と書かれるか

 

 

 現代短歌の読者は四人称的につまり非当事者として短歌作品にかかわりますが、単なる窃視者ではありません。作中主体の位置から作品世界を覗くことで、作中主体と重ね合わせられ、投げ返しによって作中主体と限定的ながら同化を成します。

さてここまでくれば、1章の「君」の問題は解けているものも同然です。「君」という言葉は親愛のニュアンスを含みますが、なぜ「君」は恋人なのでしょう。実は人称の近さが理由なのではないでしょうか。

 「君」という言葉は相手が近くにいるように思わせます。これを「彼」や「彼女」や「A」と呼んでしまうと、読者は遠さのニュアンスを、心理的距離をそこに見てしまう。短歌においては、「A」と書かれた途端に読者が遠さのニュアンスを敏感にかぎつけ、「心理的距離があるから、この人物は恋人ではない」という推測を作品の方に投げ返してしまう。その結果「A」=非恋人となる。

これは「恋人」と書くことによっても起こりうることです。「恋人」という風に第三者的に呼ばれることにより、「事実上の関係としての恋人ではあるかも知れないが、今この瞬間にはさほど愛おしさの情を感じているわけではない」という風に投げ返される可能性を持ちます。

 反対に「君」と書けば、作者がどう思っていようが、「君」=愛おしさの情を感じている恋人という情報が作品に投げ返されることが多いわけです。だから恋人について書こうと思ったら相手がどの位置(人称)にいようと「君」というのは有効な戦略なわけなのです。

 

 

8章:ゼロ人称

 

 

 ところで、外山の『第四人称』にはこのような記述があります。

 

 俳句や短歌に第一人称が文字化されていることはすくないが、やはり、ゼロ人称の表現としてよい。(外山:五三頁)

 

最初この文章を見た時、私は書き誤りなのではないかと思いました。短歌を知らないからこのようなことが言えるのだと。しかしよく考えるとそうではないことが分かってきました。

 このゼロ人称とは何か。

 

 日本語では、ひとりごと、日記などに限らず、第一人称の主語のない表現がすこしも珍しくない。それは、第一人称の主語が落ちているというより、ゼロ形式の主語であると考えた方がわかりやすい。(外山:二頁)

 

 このゼロ形式の主語のことを、外山はゼロ人称と呼んでいます。 

 短歌はなぜゼロ人称なのか。答えを探ってみたところ以下の文章に見つけました。日記についての記述ですが、短歌にもそのまま当てはまると思います。

 

 日記にあらわれる第一人称は、一応は、書き手と同一人であると解されるけれども、やかましく考えると、日記を書いている〝私〟と、日記の中に出てくる〝私〟とは同一ではない。文字になった〝私〟が第一人称ならば、日記を書いている〝私〟はゼロ人称と言った別の呼び方が妥当であるように考えられる。(外山:五二頁)

 

 作中主体は一人称で、読者は四人称ですが、作者はゼロ人称なのです。

 作中主体は「君」に呼びかけたり、前述した複雑な仕掛けによって読者と同一化したりしますが、作者の次元には、作中主体も読者も存在しません。だから作者から見ると短歌の一人称性なんてものはフィクションです。短歌には作者のゼロ人称だけがあります。作者は誰とも関係を持ちません。関係を持つ相手がいるとしたら、それは言葉だけです。

 読者が作者に言及するというのは、一歩引いた目で見るということです。作中主体が生きられる場として作品を見るのではなく、「作中主体が生きられる場」として設計された場として、つまり言葉として作品を捉えた時に見えてくるのが作者です。

 作中主体=読者はありえますが、作中主体=作者もありえますが、作者=読者はけしてありえません。むしろ限定的な「作中主体=読者」の中の「作中主体≠読者」の部分、どこまで近づいてもけして縮まらない距離、絶対的な断絶、これが作者であるとさえ言えるかも知れません。作者は作品において絶対的な他者として見出されます。

「作者の意図は…」という形での理解は、純粋な感受ではなく理屈を含みます。私にはそう思えないのだが、この人にとってはそうなのだろう、というような隔たりを持ちます。

 短歌を読むという行為は、おそらく作中主体=読者と作者≠読者を行ったり来たりする経験なのだろうと思います。ですから短歌は限定的な擬似同化の装置でありつつも、擬似同化の限界点に他者を見出すための装置にもなりうるのです。

 そうなってくると、以下の文章も見逃せないものとなります。

 

 「ここへは駐車しないでください」という掲示では、第一人称も第二人称も文字ずら(原文ママ)には表われてはいないが、ゼロ人称が、第二ゼロ人称に向けて発したことばであると見ることができる。(外山:五三頁)

 

 この第二ゼロ人称が何なのか外山は特に説明していませんが、呼びかけの形式を取ったひとりごとが向けられる先という風に考えればいいと思います。「ここへは駐車しないでください」はそれを見た人に向けられているようで、向けられていません。誰かに呼びかけているようで、実は誰にも呼びかけてはいないのです。ただ形式が呼びかけである以上、便宜上、呼びかけの向かい先のようなものが必要なだけで。

 

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子

 

 この歌の「君」が読者でない理由は、2章で短歌がもはやグリーティング・カードでないことから説明しました。読者はイコンとなった短歌を覗き見る第四人称的な存在であり、作中の「われ」と同化することはあっても、「君」との同化は原則的にありえません。

 ではこの「君」とは何か。作中主体である一人称からすると、呼びかけの相手である二人称ということになりますが、作者であるゼロ人称からすると、第二ゼロ人称ということにならないでしょうか。というよりも、作者の次元から見ると「君」は本当は呼びかけの対象ではないのではないか。

 少しややこしいですが、この歌の構図を作中主体の次元から見た場合は、

 

①「1われ→(たとへば君…)→2君」

 

となるかと思います。算用数字は人称です。1が2に()内のメッセージを伝達するという構図です。これに読者を含めると、

 

②4読者→「1われ→(たとへば君…)→2君」

 

となります。1が2に()内のメッセージを伝達する構図を4が1の方向から覗いています。

作者の次元だとこうなるのではないでしょうか。

 

③「0作者→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先」

 

つまり作中主体の行為がまるまる{}にくくられるわけです。読者の位置は同じです。

 

④4読者→「0作者→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先」

 

となります。これがもし短歌でなければ、

 

⑤「0作者→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先」→4読者

 

となることもあるでしょう。「ここへは駐車しないでください」はこちらになるケースでしょうか。

それはさておき、「君」という二人称に向けられているように思えた言葉は、実は誰でもない第二ゼロ人称に向けられており、だから「君」=読者は、二重に否定されます。「君」と読者との同化がありえないという理由とは別に、そもそも「君」にも向けられていない、という理由でも否定されるのです。

作者の次元から考える限りでは、「われ」は厳密には呼びかけの主体ではないし、「君」も厳密には呼びかけの対象ではない。ということは厳密には「われ」は一人称ではないし、「君」は二人称ではないということを意味します。そうなると、「われ」や「君」は、「われ」や「君」という名で呼ばれる作中人物であるということになり、つまりは三人称です。

変なたとえをしますが、短歌を一行の掌編小説だとするなら、実はそれは「われ」を一人称とした一人称小説ではなく、作者を神の視点とした三人称小説だったのです。1章や7章で見てきた三人称的に「君」が用いられるケースも、そもそもにおいて「君」は三人称なのだ、という風に考えると謎はなくなります。

 

 

9章:短歌が本質的に抱える違和感1

 

 

前章の構図ですが、厳密に考えると不正確なのではないかと思います。「1われ→(たとへば君…)→2君」という構図は、「われ」が「君」に言葉を発していることになりますが、実際にはこれは心の声のようなものなのではないでしょうか。

そう思う根拠は4章の議論です。この歌のメッセージは、日常において口にすることができないからこそ、短歌のかたちをとってはじめて口に出されたのだと思うのです。この歌の背後には、歌のメッセージの「言えなさ」があるように思います。君に対しての沈黙が。

もちろんこれは一つの読みの投げ返しに過ぎず、直接の発話を歌にした可能性もあります。けれどそうでないとした場合、構図は以下のように変形します。

 

⑥「0われ→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先」

 

 作中主体の思いの次元と発話の次元を分けました。君に向けて直接発話している構図を想像しつつ、その発話を心の声としてどこでもない場所に向けているという構図です。

 

⑦4読者→「0作者→[0われ→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先(作中)]→0言葉の向かう先(作外)」

 

作者の次元、読者の次元を含めるとこうなります。非常に複雑な構図です。読者が読む際、こんなややこしい構図を意識するでしょうか。

「0言葉の向かう先(作中)」と「0言葉の向かう先(作外)」は厳密には別の第二ゼロ人称です。けれどある意味似たようなものです。似たようなものをわざわざ区別するでしょうか。

「2君」と「0言葉の向かう先(作中)」もそうです。独白であっても、本当は言えていなくても、想像上は「君」に向けられた言葉なのだから言葉は同じ方向を向いています。ここも区別はしないのではないか。

そうなると構図は以下のように変形します。

 

⑧4読者→「0作者=0われ=1われ→(たとへば君…)→2君=0言葉の向かう先(作中)=0言葉の向かう先(作外)」

 

そしてこの「=」もいちいち考えないでしょう。何人称なのかいちいち考えるのも煩わしいことです。また自分の立ち位置を考えながら読む読者というのは空想的な存在に思えます。だから以下のように単純化されます。

 

⑨「われ→(たとへば君…)→君」

 

いや、それすらも考えないかも知れません。

 

⑩「たとへば君…」

 

構図など考えず、ただ言葉があるだけと考えるかも知れません。

その方が正しいような気もします。実際にはただ言葉があるのみであり、作者とか作中主体とか一人称とかゼロ人称とかそんな妄想は切り捨てて、歌の言葉それ自体に向き合った方が得るものが多いのではないか。

 1章で私はこのように書きました。「むしろ短歌の表現として至極まっとうだからこそ、短歌というものが本質的に抱える違和感をあぶりだしているようなそんな感じがする」と。この短歌というものが本質的に抱える違和感というのは、少なくとも読む際の便宜としては⑩や⑨でいいところを、わざわざ⑦のような煩雑な構図を見てしまう、ということと何か深い関係があるのではないでしょうか。

 本論冒頭の三首の内から、また大森歌を例にとって考えましょう。

 

 塗り絵のように暮れてゆく冬 君でないひとの喉仏がうつくしい 大森静佳『ての ひらを燃やす』

 

 この歌の構図は以下のようになります。

 

 ①「0われ→{1われ→「塗り絵の…」→2君}→0言葉の向かう先(作中)」

 

読者の次元と作者の次元は省きます。ここまでは河野歌と全く同様の構図です。けれど河野歌の⑧と対応させてみると異なる相貌を見せます。

 

②「0われ=1われ→「塗り絵の…」→2君≠0言葉の向かう先(作中)」

 

思いの次元では「君」が意識されていますが、発話の次元ではそれは「君」に向けられてはいないように思います。想像の上でも言葉は「君」の方を向いていません。それでいて「君」に聞かれることは意識している。だから読者が⑨のように読もうとした際にこのような構図になります。

 

③「われ→「塗り絵…」→君and言葉の向かう先」

 

言葉を「君」に向けていると同時に向けていない、という構図です。このような構図は別に不可解なものではありません。「他人を意識したひとりごと」というものも私たちはコミュニケーションの方法の一つとして行うからです。

けれどこの③の構図にとどめておけばいいものを、それをつぶさに見つめてしまうと、②が見えてきます。ここで煩雑さが露呈します。作者の次元、作中主体の発話と思いの次元、この三層にわたって構図が一貫している河野歌は各層の同一視がしやすいのに対し、ここが一貫していない大森歌は同一視が不安定になりやすいという特徴を持っています。もちろんこれは歌の優劣とは別問題です。

 

10章:短歌が本質的に抱える違和感2

 

けれど実を言うと、河野歌の方にも違和感がないわけではありません。河野歌の「2君」と「0作中主体(作中)」と「0作中主体(作外)」は大体同じようなものです。だから同一視されます。どの次元においても「君」です。そうなると現実に「君」に向けた発話に近くなります。

けれど作者の現実としてはどうであれ、読者の現実に「君」はいないわけです。読者自身が「君」なわけでもない。作中のどの次元でも「君」に向けられているのに、その「君」がどこにもいないことによって、読者の次元で虚空に向けられることになる言葉。これは「対象の不在」です。

そうなった時、立ち返るのは先に述べた、歌の言葉の「言えなさ」のことです。河野歌において実際に起こったのは、そのような発話ではなく、そのような発話の不可能性です。歌はそのように「言えなかった」ことによって形成されたのです。こちらは「メッセージの不在」です。

このように考えた場合、河野歌は、作中主体あるいは作者の次元における「メッセージの不在」を、読者の次元における「対象の不在」に仮託して表現した作品ということになります。読者は「対象の不在」を、言葉がむなしく響くさまを体感することによって、そこから作中主体あるいは作者の「言えなさ」を理解します。

様々に姿を変える歌の構図は、読者の投げ返しによって変化するものです。このように投げ返す場合に、歌は読者にどのような構図を見せるか。

 

⑪「われ→「たとへば君…」→君or言葉の向かう先」

 

これは大森歌の③に似ていますが、意味はかなり違います。「たとへば君…」が「君」に向かう場合は、「言葉の向かう先」には向かわず、言葉は発せられない(「メッセージの不在」)。反対に「言葉の向かう先」に向かう場合は、言葉は発せられるが、「君」には届かない(「対象の不在」)という構図です。この構図をつぶさに見つめると以下のような煩雑な構図が見えてきます。

 

⑫「0作者→[0われ→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先(作中)] or[0われ→{1われ→(たとへば君…)→2君}→0言葉の向かう先(作中)]→0言葉の向かう先(作外)」

 

 こんな煩雑な読みは少しもよい読みではありません。

 だから読者はこのような読みをしないように、このような読みをしそうな部分からあえて目をそらそうと、耳をふさごうとする。メッセージの「言えなさ」を感じ取ることはしたとしても、それを構図に反映させる契機となる「対象の不在」、つまり「君」が現実の読者の次元においていないことについて気にしないふりをする。メッセージが虚空に響くむなしさをきかないでおこうとする。読みを抑圧するのです。 

抑圧された読みが、完全に消し去られることのないまま心に沈殿しているさまが作品に投げ返される。あるいは短歌の違和感とは、抑圧された読み、読まれなかった読みの投げ返しによるものなのかも知れません。

 もっともこれは私という読者における一つの事例の考察に過ぎません。どの程度普遍化可能かについては、この文章を読んだ皆さんに考えて頂けたらと思います。

 

 

引用出典

大森静佳『てのひらを燃やす』二〇一三,角川書店.

千種創一『砂丘律』二〇一五,青磁社.

染野太朗『人魚』二〇一六,角川書店.

河野裕子『森のやうに獣のやうに』一九七二,青磁社.

橋本治『風雅の虎の巻』一九八八,作品社.

外山滋比古『第四人称』二〇一〇,みすず書房.

保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』二〇〇八,中央公論新社(中公文庫).

短歌相互評⑤ 加賀田優子から岡野大嗣「みえる、みだれる」へ

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作品 岡野大嗣「みえる、みだれる」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2017-06-03-18510.html

評者 加賀田優子

 「みえる、みだれる」をよんでぼおっと思ったことは、「わたしたちってぜったい死ぬんだな」でした。
 いきなり単語が重い。暗い。ですが、この「ぜったい死ぬんだな」は、わたしにとってあかるい絶望感です。
 
 落ちてきて画面に光る雨粒をスクリーンショットに撮りかける

 いきている間、わたしたちはかならず風景のなかにいて、欧米人の会話やエスカレーターの地割れにのぞくいきもの、空を見ている正岡子規、なんかにでくわします。けれど、それらの前でほんとうにはたちどまることができません。それはスクリーンショットに撮れない雨粒とおなじところにある話です。
 ただ、風景のなかで、あ、となった瞬間がとびこんでくる。そして目や耳や鼻や、そのほかわたしたちのどこか隙間にはいりこんで、しばらくころころといっしょに動いてくれます。
 はいりこんだ場所をうまく塞ぐことができれば、しばらく、を、ずいぶんながく、にすることができて、そのとき、わたしたちはたちどまっている気分になれているということなんじゃないかと思います。

 祖父が四連続で観た、ってエピソードで足りてその映画を観れてない

 そうしてわたしたちはおわりまでえんえんと風景をみつづけるわけですが、こつさえ掴めば、くっきりはっきりみたい風景と、そうでもない風景を取捨選択できるようになる、はず、です。現実vs現実vs現実のトーナメントを組んで、勝利したものに拍手したりもできます。たぶん。

 街灯のつもりでみてた丸い月がそうとわかってからふくらんだ

 でも、膨大な量がさばさばと流れてくるので、こつもなにも、というところがあります。そういうときに視界はぶれてぶれて、みたい、みえる、というよりは、みえちゃう、ものばかりになったりしてしまう。

 みえなさとみえてなさだけみてたくて観覧車には夜にひとりで

 きっとそれはかなり危ういことです。自分でもわけのわからないものが、自分のなかにはいってくるということだから。
 それを逆に、みたいな、となったり、ガンガンたのしめはじめたら、どうなるんでしょう。
 星をみているひとの目のなかは星でいっぱいなように、みえていないものをみているときのひとの目のなかは、みえていないものでいっぱいです。
 その状態からだれかと目をあわそうとするとき、時間がかかってしまうんじゃないか。
 その間、は、ときにすごくすごく深くてながいんじゃないか。
 でも、それも、いいな、と、いまのわたしは自分のまぶたを触ったりします。

 二回目で気づく仕草のある映画みたいに一回目を生きたいよ

 最近なかよくなろうと狙っているおんなのこにこの歌を紹介したら、「一回目?一回目ってなに?」と何度もくりかえしていました。
 映画のなかのひとたちにも一回目は一回しかない。だから、映画のなかのひとたちもそんな映画を観たとき、「一回目を生きたいよ」といい、そういっている映画のひとたちの映画をみたひとたちも「「一回目を生きたいよ」」といい、そういっている映画のひとたちをみてそういっている映画のひとたちの映画をみたひとたちも「「「一回目を生きたいよ」」」といい、つまりこれは一回目、しかないひとたちが永遠につぶやき続けてしまうことばなのです。
 そんな、呪いになるのか祈りになるのかわからないバランスでふわっとひかってこの連作はおわります。
 そして、わたしは、「あ、やっぱりわたしたちってぜったいに死ぬんだな」とちょっとわらって、ベランダに出られる。さらにそこでぐっと伸びをしたり、ベランダよりむこうに出ちゃおうかな、と、なったりできる。と、いうことにつながった作品でした。

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