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Channel: 「詩客」短歌時評
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短歌時評alpha(1) 言葉を読むことと、心を読むことのむずかしさ 玲 はる名

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〈前述〉

今、私は詩客の方針でこの原稿を書いています。

今回の企画における、Aさんのことを慮った立場からの執筆が必要となるからです。

私個人の意見などに関しては、詩客の方針から外れる部分なので書けません。

 

 

またAさんの主張については、私が書くよりも、御本人のTwitterなどでの発言を参照された方が誤解がないと思われます。

 

 

私が今回の件でお話することができるのは、「ミューズ」という言葉における、Aさんのことを慮った立場からの「擁護論」ということになります。Aさんがこの一連のtweetをなさった後に、幾つかの反論が寄せられていたのですが、それに対して「文学をどう思うか」などと問うたなどの新たな問題については、本稿では語りません。

 

 

さて、読者の皆様にひとつお願いですが、今回の企画において関わる全ての人について、あまり批判をしないで頂けるとありがたいです。全員が精神を削って書いている状況にあります。語られるべきは問題点についてであり、個人の人格の否定などは、ご容赦頂けますようお願い申し上げます。

 

今回書いて頂いた方は「ミューズ」の一連のTwitterでの出来事の際にAさんに対してリプライをしていた方のなかからお願いをしていますが、その方がた以外にもリプライを返していらっしゃる方はいらっしゃいますし、肯定・否定そして、それ以外の様々な意見が出ていました。

 

特定の誰かが、今回の企画によって責められることは避けたいと思っています。

 

企画自体を断念する選択肢もありましたが、話し合いの上掲載されています。

 

以上

 

 

〈本文〉

 

三谷幸喜の舞台「コンフィダント・絆」はゴッホ・ゴーギャン・スーラ・シェフネッケルが、パリにあるアトリエで共に絵を描いていたら、というファンタジー要素を取り入れた芸術家たちの物語だ。そのアトリエに絵のモデルとしてルイーズという女性が現れる。

 

彼らの創作活動の日々において、ルイーズは被写体であり、恋人でもあり、彼らの創作意欲を駆り立てる存在でもあった。

 

画家らはお互いの才能に惚れ、ときに嫉妬の感情を爆発させる。恋あり、青春あり、コメディ要素ありの三谷作品らしい秀逸な作品だった。この作品の公開は2007年のことであるが、いまだに忘れることのできない作品のひとつとなっている。

 

小説では青春小説などに限らずとも、若く多感な時期が、青春と呼ばれる特別なオーラを纏って、輝きを放つ作品がある。短歌について考えたときに、まず思い浮かんだのが「明星」のことだった。与謝野鉄幹・晶子らは恋愛至上主義を世に謳い、特に晶子は恋の歌を量産した。世に衝撃を与えた『みだれ髪』の存在は今日まで、国内外の文学に影響を与えている。鉄幹にとって晶子たちがミューズであったかは分からないが、「明星」に必要な才能として熱心に育成に励んだことは、渡辺淳一の小説『君も雛罌粟われも雛罌粟』に限らず、数多の資料にあるところだ。(本稿の目的と違うため、今回は作品を引いて語ることは避ける)

 

〈作品〉と〈恋、青春〉は特別な関係性にあるということだ。

 

例えば、先に話をしたルイーズが、4人の画家たちにミューズと思われていたとして、どう感じるかは分からない。喜ぶか、嫌がるか、ルイーズの気持ちしだいだろう。ルイーズがどのような教育や環境の中に生活をしてきたか、どんな人から影響を受けたかなどにもよるだろう。

 

〈とあるルイーズ〉は自分が創作をすることよりも、〈誰か〉にインスピレーションを与える存在であることに、生きがいを感じるかもしれない。また、〈誰か〉にインスピレーションを与える存在であると同時に、自分自身も芸術家やダンサーとして活躍したいと思うかもしれない。

 

それは、なかなか本人でないと知り得ないことだと思う。

 

Aさんの今回の「ミューズ」についての問題は、発言者と被発言者という「当事者同士の問題」。それから、TwitterやSNSというような公に人が読める媒体で発言したことによって、それを読んで不快に感じた人や、傷ついた人がいるという「公共の問題」の2通りの解決が必要となる。前者については解決済という話を聞いている。後者については謝罪しtweetを削除していると言っている。

 

「ミューズ」という言葉についてであるが、既に評論等が出ている通り、現代では差別的な意味を含む言葉となっている。これが「マドンナ」や「憧れの的」という言葉であれば、Twitterで読んでも、もうすこし別の反応になっていた可能性もある。

 

「ミューズ」という言葉の側面としては、ギリシア神話の女神がそのまま差別的だということでもない。その文脈の上で、どのように使われたかを読む必要がある。文脈という点については、今回の2本の論考が詳しい。(もちろん、反論をできる人もいるだろうが、今回はそうした筆者を、時間的にお願いすることができなかった) 

今回の企画により、なにが正しいか・間違いかの判断は、各々の人が読んで考えて下さる機会をお持ち頂ければと考えている。また、何十年後かは分からないが、将来的に次の世代の人たちが、一連を読んでいただいた際に、令和がはじまるこの時代の言葉の読み方と、心の読み方について、どう考えて下さるかにお任せしたい。

 

Aさんから見受けられたのは、文学として、自分の視点から、感じたことを偽りなく書いてゆくという意志である。それが、例えどういう意味として理解されている言葉であれ、訂正や削除はできないものだという考えがあったのではないかと想像する。

 

執筆をする人に限らないが、自分が、伝えたい言葉のニュアンスがあった場合、それを変更したり、取消すということは、心を曲げることになる。曲げることができないものを、曲げたのならば、心に傷がつくだろう。「ミューズ」という言葉が、適切でなかったとしても、撤回をすることはつらいことだったと察する。

 

Twitterで批判的なリプライを受けたことと同じ程度には、心を曲げなければならなかったことのつらさがあったのではないだろうか。

 

さて、作品と出版界の問題であるが、一般的に有名なのは絵本『ちびくろサンボ』(表記は多様に存在する)の販売自粛・絶版とその後の経緯である。詳細は書かないのでネットで参照して頂きたい。この絵本は様々な経緯を経て、現在は市場で手に入れることができる。世界で差別的と判断されたが後に再考された。他にも出版界における、差別への配慮についての事例は幾つかあるが、『ちびくろサンボ』を含めて、表現の自由の問題は、必ずしも結論がつき、機械的に白・黒と判断できる状況とはなっていない。主張する双方が、相互理解をし、その上で作者が作品にどのような想いを籠めたのか。また、その言葉がなにを意図するものなのかを、個々のケースに対して判断してゆこうというのが、昨今の流れとなっている。

 

前例を鑑み、詩歌の世界も議論が深まればと思う。

 

最後に、重複となるが個人の人間性が安易に否定されることは避けたいと思う。Aさん本人も想い出を語ったと言うように、その人を指し示して差別しようという目的ではなかったことに嘘はないように思われる。

 

本稿終

 

<短歌時評alpha(3) 言葉~想像力と価値観のコウシンを見据えて~>

 ※短歌時評alphaは短期集中企画です。

 


「企画短歌時評alpha」を始める前に(はじめにぜひお読みください) 詩歌梁山泊代表 森川 雅美

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 本企画においては、一部記事にあるような、顧問である加藤治郎氏を忖度してという意図は全くの誤解であり、事実は以下の通りなります。当然、検閲などなくあくまで特集に意義があるかという1点以外は考えていません。

  4月から「詩客」では新しい実行委員体制を組み、作品、時評に加えできれば企画をお願いしました。そこで担当の一人である玲はる名氏から連載3回の企画が出され、森川が承認し依頼がされました。

 それと同時に、顧問であり当事者でもある加藤氏に、すでにかなり論じられた内容のため企画に意味はあるのか尋ねました。その結果、もっと広い範囲の内容を取り上げた方が良いとの結論に達し、「ニューウエーブ再考(仮題)」を提案。一時はその方向なりましたが、これもいま行うには適切な企画ではないとの判断で、現在のかたちになりました。

上記のように、企画が2転3転してしまい関係者にご迷惑をおかけしたこと、森川の不徳であるとお詫びいたします。

 誤解がないよう伝えますが、「詩客」としての本企画に対する意図や考えは以下になります。

 ・今までの経過を見て加藤氏への批判が大部分であり、それを再び辿るだけなら企画を行う意味がないこと。

 ・企画のはじめは「ミューズ問題を検証する(仮題)」でしたが、企画が狭くなる可能性があり、特集の総タイトルから「ミューズ」という言葉を消してほしいという提案は森川からした。これは全体の方針に関わることであり、WEBページの運営として非難される行為とは思わない、という判断であり、その考えは今も間違っていないと思う。しかし、連絡過程で誤解が生じたかもしれないが、各自のタイトルや本文に「ミューズ」の言葉や関する内容を入れるなという提案はまったくしていない。「詩客」は特集の総タイトルは決めるが、執筆者の文章の題名や内容には原則干渉せず、今回も原則は守られていること。

 ・上記の繰り返しになるが、執筆していただいた原稿の内容に関して森川をはじめ玲氏以外の実行委員は、検閲はもちろんまったく関与も干渉もしていないこと。

 ・この後も執筆していただいた原稿の内容には、法律等に触れるか他者からひどく名誉を傷つけられたとのクレームがない限りは、森川など他の実行委員は関与も干渉もしないこと。

 ・執筆に関してはできる限り公平な人材を選ぶよう意図していること。

 ・「詩客」は常に様々な意見にオープンな場であり、今後においても、どの論も誹謗中傷にならない限りは掲載すること。

  今回は編集の力不足で、残念なことに一方向的な記事だけの掲載となったが、続く特集では別の視点からの記事も掲載し、より多面的な企画となるよう現在考えている。

  最後に、情報や連絡が錯綜するような混乱を招き、一部関係者にご迷惑をおかけしたこと、代表としてお詫び申し上げます。

没後15年 春日井建展ー歌に戻り、歌に生きるー トークイベント「春日井建を語る」対談水原紫苑×加藤治郎 告知

短歌評 『カミーユ』と肉体 読むを読む 黒岩 徳将

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  夕闇に素手でさわってきたようなひとつの顔に出逢いたるのみ 大森静佳(『カミーユ』,書肆侃侃房,2018)

 此処は闇ではない。彼方の赤黒い気配を纏った人間に逢った、それ以上のこともそれ以下のことも書かれていない。状況を手渡すことだけで文脈は好きなように辿ることができる。物語よりも「夕闇」「素手」「顔」といったモチーフの質感の方が優先される。一首のなかで体のパーツが「素手」から「顔」に移行されているが、「さわってきたような」という緩やかな起伏のある調べと、素手から顔に視線がスライドしていく様が呼応してやや奇妙でもある。
 ここまで書いてこの歌が書かれている章のタイトルが「馬」であることに気づいた。しかし、気づいたからといって一足飛びに掲歌の「顔」が馬であると考えなくてもよいだろう。(考えてもよいと思う。)普段俳句を書いているので、「出逢いたる」は俳句においては頻繁には使われることのない表現であることが気になり、詩型の違いを考えるのに興味深かった。一句の中でモノが提示されれば、出逢ったということはおのずからわかるだろう、という俳句的通念があるのだと思われる。「出逢いたるのみ」は主観であり、特に「のみ」があることに注目したい。「のみ」まで言わないと作者が“顔”と対峙したことが打ち出されない。顔という他者に向き合っているのはまぎれもない自己という肉体である。荒々しい身体性の表出ではない。かといって世界の表面をなぞっているわけでもない。
 『カミーユ』がある種の肉体性を志向していることは一目瞭然であり、掲歌よりももっと肉体が前面に押し出される歌は多くある。雑誌[Sister On a Water 2019.2 Vol.2]では大森の特集が組まれているが、その中の座談会で喜多昭夫が第一歌集『てのひらを燃やす』と『カミーユ』の収録歌の身体部位の出てくる歌の割合をパーツごとに一覧にして比較している。『カミーユ』において「手」が出てくる歌は19首らしく、多い。「手」は世界と“私”をつなぐものとして書かれるのは当然だが、その「裡」「奥」という表現とともに「身体の深いところまで自分の意識がいっている感じ」「能動的な関わり方の象徴」と笠木拓が「手」がモチーフの歌を挙げて捉えているところに納得した。詩歌で肉体を描けば”私”が立ち上るかといえば、そうではない。手触りを感じさせるには読者に追体験する何らかの仕掛けが必要である。かといって無理に現実感を打ち出そうとすればいいのかというと、それも違う。身体・肉体の存在を認識させる、と書くのは容易いが、その内実は何かということを考えさせてくれる評論がいくつか収録されていた。
 『カミーユ』において、国や時空、現実を飛び越えて大森が様々な創作物に材を得ていることを考察している評者も多く見受けられる。東郷雄二がウェブサイト「橄欖追放」で第一歌集『てのひらを燃やす』で見受けられた特徴を踏まえつつ、以下のように書いている。
 
 大森の場合、『感性に基づく世界の把握』が現実世界を超えて、文学作品や映画や絵画にまで拡張したと考えれば、それほど不思議なことでもないのかもしれない。

 「感性に基づく世界の把握」は大森に限った特徴ではなさそうなので、「拡張」という解釈に注目した。クリエイティブを神格化するのではなく、日常の刺激と地続きにあるという捉え方である。確かに宦官や曾根崎心中、テルムンなどの歌には、それに真摯に向き合う主体の姿勢こそあれ、過度な力みもなく、対象に完全に一体化するのでもなく、近い距離に存在する主体が見受けられる。畏敬の念やリスペクトの対象であり続けながら、友や家族よりも近くに立つ。
 創作物をテーマにして作品を結晶化させようとする行為には、創作物を跳び箱のロイター板にして作者自身の個性を跳躍させる必要があるはずだ。安田百合絵は「みずからの性器を浮かべる瓶のこと夕星おもうようにおもえり」「皆殺しの〈皆〉に女はふくまれず生かされてまた紫陽花となる」などの歌を挙げて次のように指摘する。

 彼女は自分の痛みを語るのではなく、あくまで憑坐(よりまし)として声を甦らせようとしている。それはおのれの立場を常に問い続けるという厳しい倫理観のゆえであろう。自らを弱者と位置づけて世界を告発することが、時としてナルシシスムに近接してしまうという危うい逆接を、大森は鋭敏に捉えているようだ。([Sister On a Water 2019.2 Vol.2])

※原文は(よりまし)はルビ

 ある立場を伴って語ろうとすると、歌が箴言・教訓めいたものになってしまうかもしれない。そこに“在った”ことを示すための憑坐なのだろうか。憑坐は言うならば肉体という容れ物である。

  まず声が女になった 軋みだす 臭いだす また軋みつづける 同(「異形の秋」より)

 すべての歌に当てはまるわけではないが、大森自身が創作物の声にならない声を聞くとき、作中主体の肉体をくぐらせている歌に強度がある。
 覚悟を持ってテーマと向き合った歌集であるからこそ、冒頭で挙げた歌のような身体性が通底した静かな歌が、大森の作家性を下支えしているのではないだろうか。見過ごしてしまいそうなことにも目を向け続けるのかもしれない。

短歌相互評第38回 上篠かけるから笹川諒「涅槃雪」へ

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作品 笹川諒 涅槃雪 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-05-04-20055.html

評者 上條かける

 

子供の頃、怒った父親によって物置に閉じ込められたことがある。

このとき、ぼくは何に閉じ込められていたのだろう。言うまでもなく、物置という場所に閉じ込められていた。身体的に隔離された、と言い換えてもいい。そうして、もうひとつ、ぼくはぼくに閉じ込められていた。「なぜこんな仕打ちを受けるのか」「かなしいこの今はいつまで続くのか」、くらやみの中でぼくは時間に溶けてしまったぼくと対話した。精神的な隔離、あるいは時間からの隔離と言ってもいい。二重に隔離されたぼくはというと、憧れた。外の光、外の時間に。それはある種の絶望を含んだ懐かしさへの希求であった。

笹川さんの短歌をよむと、いつもこの感覚を思い出すのである。

 

鳥の声が一瞬あなたの声に似てカーペンターズを今日は選んだ

 

おそらく遠くへ飛び立ってしまったあなたの声を幻聴する。そうしてiPodかウォークマンか、いつも持ち歩いている音楽再生機器からカーペンターズを選曲して、イヤホンを耳に詰める。ぼくはこの行為に「あなたの声を聞きたい」「あなたの声を聞きたくない」という矛盾した感情を感じとってしまう。この矛盾律を解消、あるいは矛盾のまま受け止める唯一の手段は「あなた」を捨象することなのかもしれない。カーペンターズというスローテンポなバラードに「あなた」を押し込めること。そうすることで「あなた」は死に、同時に生きる。

 

いい感じに仲良くしたいよれよれのトートバッグに鮫を飼うひと

 

「よれよれ」なんだから材質が安いのか、あるいは気に入られてずっと使われているのか、どちらにせよある程度無頓着で、けれど愛をもった人に使われている鮫のトートバッグだ。それにしても「いい感じ」にとはどういうことだろう。「あの人いい感じ」というときには肯定的に使われるけれど、「ああ、あのバンドいい感じだよね」とあいまいな感情をとりあえず措定するときにも使われる。やわらかい距離が、そこにはある。ほんのりとしたあたたかさのある歌、ほどよい好意に身を委ねられる歌だと思う。でも、もしかしてこの人、仲良くしたいのは、親近感を抱いているのは「ひと」ではなくて、「よれよれのトートバッグ」の方なんじゃないか、という仄かなさみしさもある。

 

何周も一緒に池を回ったら好きな季節をちょうど訊かれた

 

「ちょうど」は何が「ちょうど」なのか。ちょうど季節の話をしたかったのか、あるいはちょうど何かを話そうとするタイミングだったのか。「回ったら」である。「回るうち」ではない。さなかにいるわけでない。まるで「ドアを5回叩いたら花子さんが出た」といったような、ゲームの達成条件の俯瞰みたいじゃないかと思う。きっと何周も池を回って話している間、わたしと「あなた」は時計の長針と短針のように少しずつずれていたのだ。それはある意味で幸福だろうし、ある意味で苦行だ。作業ゲーのように時間が過ぎていき、とうとつに正午が、針の重なる刹那が訪れる。ぴったりと息の合う瞬間が訪れる。その、ほんの一瞬の奇跡の素描なのだ。

 

処世術ではなくラスク二袋が似合う気がして買ってしまった

きらきらのラスク美味しいこの夜のあなたは作り物ではないね

 

なんという自己充足感、あえて悪い言葉を使うなら自己本位だろう、と思う。世渡りの方法なんかよりも、自分のお腹が、そうして目が満足するほうがずっと重要なのだ。このラスクは「あなた」と分け合ったのだろうか。何せ二袋買ったのだから、分け合いっこしてもいいはずである。もしかしたらひとりで食べたのかもしれないし、あげたのかもしれない。けれど、どちらにせよ、このラスクは自分のために消費されたのだろう。池を周りつづけたあとの一瞬のように、「あなた」をしっかりと感じられたのも「この夜」という限定的な瞬間なのだ。その一瞬はラスクによってもたらされた。このラスクはある人には「酒」であろうし、ある人には「麻薬」であろう。「作り物」ではない現実を認識するためには、何かその媒介となるものが必要なのだ。これはかなしみなのではないかと思う。

 

涅槃雪 許していたいひとがいてその名前から許しはじめる

 

「涅槃雪」、別称「名残りの雪」。あの歌謡曲は別れの歌だった。涅槃、ニルヴァーナ。そういえば以前、鈴木大拙の本を読んだときに、大意で涅槃は大乗仏教の最終目標であると書かれていた。それは全と一の合一である。これをぐっとポピュラーに、誤読的に言い換えるならば、わたしとあなたの一体化である。それは春に降る雪がすぐにとけて、大地に染み入るような、そうしてその水が蛇口から刀のように飛び出して、あなたやわたしの体の一部となるような、そうした「境界/隔離/分節の否定」である。その水のイメージから飛び出す動詞は「許す」であった。安直な直喩を使えば「雪解け」だ。きっとこの許すは宗教的な赦しに近いのだろう。ぼくはこの短歌をよんで、万葉集の「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜採ます児 家聞かな 告らさね」を真っ先に思い出した。それは神による、合一の宣告であった。

 

 

笹川さんの歌は疎外を是としているように思える。けれど、是は、必ず非をもともなう。分節された世界から、そうでない世界を憧憬し、ひとつになろうと人間のもつ「言葉」というたよりない武具をかかえて生きるひと。あるいはそういう歌。これを詩性というんじゃないかと思う。

短歌相互評第39回 笹川諒から上篠かける「春の」へ

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作品 上篠かける「春の」 http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2019-05-04-20051.html

 評者 笹川諒

 

抵抗のように膨らむ蕾からこぼれてしまう花だとしたら

蕾が膨らんでやがて花ひらくことは、ほとんど絶対的に、喜ばしいことだと考えられている。けれど、本当にそうなのか。仮に咲きたいとは思わない花がいたとしても、定められた時期が来たら咲く以外の選択肢はない。世間一般から望ましいと考えられる生き方というのが、人生という時間の中のそれぞれの段階に、かならず用意されている。そのことに対して違和を感じる主体が、この一首から浮かび上がってくるように思う。

 

花の死を告げる動詞に新しくぼくの名前を加えてあげる

花の死を告げる動詞といえば「散る」、「枯れる」、「萎れる」等があるだろうか。いずれも花以外のことにも使われ、総じて負の意味を持つ動詞だ。そこに、自分の名前を加えるという。この連作の作者は上篠かけるさんなので「駆ける」かな、と思ったが(「駆ける」という動詞は六首目に出てくる)、深読みかもしれない。いずれにせよ、花の死=マイナスという固定概念を棄却したいという意志を感じる。

 

生前の風を遮る窓ですが歌はとおして死後にしてゆく

この「窓」は実際の窓というより、主体の意識を覆うフィルターのようなものを想像した。生前と死後という二つの相が常に意識下にある揺れやすい主体にとって、生前の世界に吹く風はあまりにも粗野で、冷たい。その風から自分の身を守るために必死に拵えた窓から、ほんの一握りの自分の波長に合うもの(たとえば、歌)を慎重に自分の内へと通す。けれどもその窓の内側こそが死後である、と断言してしまう主体の感じている疎外感は、計り知れない。

 

やがて死ぬさだめの春の昼間にも物干し竿にゆれるパーカー

ベランダの実際の景を詠んだ歌だろうか。「パーカー」からは少し頼りない印象を受け、「やがて死ぬさだめの春」という主体の認識と、マッチしている。

 

灰皿の缶は青さにくらむ空の異物になれず欄干のうえ

「異物になれず」というところに、心情が表れている。主体が喫煙者なのかは分からないが、主体が心を寄せる「灰皿の缶」は、まるで主体の社会に対する精一杯のプロテストの象徴のようでもある。しかし残念なことにその抵抗は上手くいかず、「欄干のうえ」というきわめてギリギリのところへと追い詰められてしまっている。

 

少しずつ解散してゆく春の雪もバンドもアイドルも季節を駆ける

「春の雪」も「バンド」も「アイドル」もすぐに消えてしまうはかないものの例として並べられている。何かが終わること(その最たるものとして「死」が念頭にあるだろう)に、主体は永遠性を見出していて、憧れを感じてもいる。春という季節特有の滅びの感覚に対して、既存の道具立てに頼ることのない独自の把握がある。

 

圏外へ 自家中毒の電線で月を切断して遠くまで

主体は「ここではないどこか」への強い希求があると同時に、自分を「他のどこでもないここ」へ縛っているのもまた、自家中毒的な自意識であるという自覚がある。「月を切断して」の隠喩の解釈は難しいけれど、たとえばマネキンの頭部を切断するかのような、残酷なイメージは伝わってくる。「圏外へ」という言葉からは、SNS等に対して主体が感じている閉塞感も読み取れる。

 

蜂蜜のような光に触れてしまうそしてぼくだと気づいてしまう

「蜂蜜のような光」は少し漠然としているが、何かプリミティブなものという印象を受ける。そういう原初的な何かに意図せずして触れてしまったがために、七首目で「遠く」の別の自分を目指していた主体は、結局自分は自分以外の何者にもなれないのだと気付いてしまったのだろうか。

 

体重の変化しやすいぼくたちの夜は明ければまた夜だった

たましいと肉体の差異。われわれの体重はたった一日の間でも細かく変化している。しかし、たましいの器である肉体がどれだけ勝手に変化しようとも、肝心のたましいがそれに伴って変容するということはない。「夜は明ければまた夜だった」からは自暴自棄にも近い諦念を感じるが、詩的なフレーズでもある。

 

雨の降る街は塗り絵で透明を塗り重ねればあなたが浮かぶ

「雨の降る街は塗り絵」と言われると、まるで雨によって一旦すべての世界の色が捨象されてしまったかのようだ。「透明」を塗り重ねて、言わば「あなた」を世界から遮蔽することで、逆説的に「あなた」の存在が確かなものになる、ということを言っているのだろうか。だとすると、透明を塗り重ねない限り、「あなた」の存在はきわめて脆弱だということになる。ここでの「あなた」は、特定の他者であると同時に、主体自身のことでもあるのかもしれない。

短歌評 藪内亮輔『海蛇と珊瑚』 における短歌解体ショー 平居 謙

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 藪内亮輔『海蛇と珊瑚』を読む。帯には「第58回角川短歌賞を史上最高得点票で受賞した」という売り文句がある。期待して読み始めると冒頭「花と雨」に

   傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出てゆく

 というオーソドックスすぎるほどの一首が置かれている。「史上最高得点票」というから、どんなに凄いのかと思ったのに。或いは、短歌の世界はこういうものをいまだによしとしているの? 騙された思いがして気分が悪くなった。事実、後ろの永田和宏による解説を読んでみると「史上最高得点票」とは、「四人の選考委員が全員一致で選んだ」ということに過ぎないらしい。なんだ。。。僕は、ミートハンマーを持ち出してきて、上製本の4隅を潰し、1頁1頁丁寧に捲って各頁に銀色の鈍い刺に全体重を乗せながら激しく打ち続けたくなった。
 しかしこの気分は、読み進めるうちに激変した。帯の誇大広告など不要な代物であることを感知した。そして残酷なまでの興味が湧き始めた。残酷?なぜ?それは「著者による短歌解体ショーの現場に否応なく立ち会わされている」からだ。短歌というジャンルそのものの解体。

     詩は性器の上あたりで書くもの。
   ほのひかり雨の性器がだれひとり追へぬ速度でねじきれてゆく

 前書きによって支えられている短歌世界。ただ、解体レベルで言えばこれなどはまだ表皮に傷をつけた程度に過ぎない。129頁に出て来る「私のレッスン」と題された作品は、7頁に及ぶ散文詩のような、エッセイのような(それは吉増剛造を想起させる、小さな文字の伏流水までご丁寧に含んでいて……)、その中の所々に短歌が紛れ込んでいるというような形式を取る。なお、原文では引用4行目「高」「恋」には「コ」、5行目の「山」には「耶麻?」とルビが振られている

     私のレッスン
   
   これは私のレッスンです。これは死のフィクションです。これは詩のエクイエムです。
   死詩死んでからが始まりなのです。はじめましょう私たちの死後の世界を。
   私はけが(穢、怪我、毛が…)をした足を引きずりながら、山科は小野ノ(小町 ”The Other Voice
   …。)に降り立ちました。毀れかけた(高、恋われかけた、)お天気のなかをゆき(逝き、行き、
   …)ながら、ゆきの山より「出でて来」た(…北、北に、いや…)兎に出会いました。
   そういえば、
   日本には、S音と濁音がtもに入っていない名前は1%しかないらしい。

   あなたとかわたしとか西野つかさにたくさんの花、悔やまないから

(冒頭部) 

 以上の引用で、約1頁分なので、これ以降、6頁、同様の散文形式が続く。引用の最後に至ってようやく所謂短歌形式のものが現れるが、散文に埋もれて直ぐには見つからない。ちなみに西野つかさとは、「河下水希による漫画作品。及びこれを原作とするアニメ等のメディアミックス作品『いちご100%』に現れるメインヒロインの1人」(らしい。「ピクシブ百科事典」https://dic.pixiv.net/a/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%95より)
 ここにおいて完全に短歌の独立性は死んでいる。ここまで形式が破壊された経験を短歌の歴史は持たないのではないか。
 しかしこの『海蛇と珊瑚』のミソは、解体後も元の短歌形式がなお、肉片がぴくぴくと生き物のように跳ねるように、或いはゾンビのように繰りかえし繰り返し蘇り、頁を満たしてゆくという点にある。「散文詩orエッセイ」が終わったあとには、

   一通の手紙が光りつつ燃える朝にして銀の傘をひらきつ

という短歌形式がしれーっとまた再び、何事もなかったかのようにそこにある。(ちなみに、手紙・朝・燃える、、、はやはり吉増剛造の語彙なのだと思う)。骨から外されても、まだ生気を失っていないという衝撃。
 しかし著者は、解体をなおも続ける。例えばこうだ。その後「何事もないかのような」一般的形態の短歌が2種続いたあと、またもや前書きのある歌が2篇続く。そして今度は、「あとがき」(と言うのだろうか)を有する歌が登場する。そのうちの1つが以下の作品。

   永遠の月、永遠のてのひらに蝶をのせゐつ 死ねばはなびら
      詩歌とはもはや死を語るための詐術の一種に他ならない。
      私は窓枠の中に収められた庭のニガウリのごつごつとした表面を、雨が仄かに照らす
      のを見る。

 前履きやあとがきのある歌はその後も断続的に現れている。
 そもそも「部立て」のようなもので、全体を括る行為が短歌(や俳句)の世界では一般的に行われている以上、完全に独立性を保っているとは言い難い。しかし、本書においては、過剰なほどにその点が繰り返し、破壊されようとしていることは明らかである。一首一首の独立性の放棄は、「前書き」「あとがき」以外にも、例えば176頁冒頭から現れる次のような二首の繋がりの仕方に見出すことができる。

   蓮根を切つたら俎板まで切れた やうな気持ちで会つて罵倒して

   そのあとセックスして寝た、原子炉が燃えてゐた。僕は手に取らうとした。

 これらの短歌は単独でも読むことができる。しかし、2首繋いで、恋人同士が出会い、お互い深く傷つけあうようなシーンを想起させる上の句。に、続けて、例えば〈仲直りして「セックスして寝る」ことで、心の中に燃え続ける永劫に失われることのない熱い気持ちをよみがえらせた〉というような愛の物語を想像してみることも可能になる。独立性を放棄することで、物語の流れに依拠する別の形態の詩が蠢き始めているのに気付く。もうこれは、詩の方へと走り始めている。 
 本稿では短歌の形式だけのことを書いたが内容面でも、性的な内容が過剰に書かれていたり、会話のものがあったりする。ああ、短歌死んでるな、とまた思った。
 満ち満ちる虚無と、それをカムフラージュするための軽み。そしてさらに言えば、そういう擬態すらとうに見透かされていることを充分意識することによって深まる憂鬱。それを読者にちゃんと伝えるためには、短歌形式そのものに囚われつつも捨てるという奇妙な模索を晒け出すしか方法はなかったのだろう。
 短歌というジャンルが「書き手」によって解体され、さらに執拗に繰り返される解体ショー。
 この歌集、いいじゃないか。

 

(2018年12月 角川書店刊 2,200円)

短歌時評第146回 2019年の『ピクニック』   水沼朔太郎

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短歌の〈全体〉を把握することがむずかしくなっている。これまでにそんなことが可能だった時期などあったのか?という疑問はもっともだと思うけれど、わたしが短歌を始めた時期、2015年、16年あたりは少なくともTwitter上では可能だったように思う。文フリで出る同人誌の新刊の感想戦がしっかりと行われていた。感想戦がしっかりと行われることはとても大事なことだ。たとえ〈全体〉を把握することが不可能であったとしても〈全体〉につながりうる〈流れ〉を把握することが出来るからである。わたしの現在の〈全体〉についての把握をあえて乱暴にまとめるならば「『She Loves The Router』から『ねむらない樹』、『ピクニック』にいたる流れと「死ね、オフィーリア、死ね」以降のフェミニズムの流れとがときにニューウェーブを蝶番にすることもありながら拮抗している。」となるが、この現状把握に以降3回の時評でどれだけの説得力を持たせられるか。

 

 

2018年の11月末、宇都宮敦第一歌集『ピクニック』が現代短歌社から刊行された。歌集そのものの大きさに圧倒されているうちに年を越え、元号が変わった。あくまでも自身のタイムラインの範囲内ではあるが、歌集そのものの評判も上々だったように思う。しかし、わたしにはその状況が奇妙だった。いくらなんでも評判が上々過ぎはしないか。『ピクニック』はいまの時代にあまりに合いすぎている。

 

わたしが宇都宮敦の名前を知ったのは『早稲田短歌45号』(2016年3月)のふたつのコンテンツからだ。ひとつは、「瀬戸夏子ロングインタビュー」、もうひとつは永井亘による評論「現代短歌の幼稚なポエジー」。永井の評論で引用されていた〈生きていることはべつにまぐれでいい 七月 まぐれの君に会いたい/宇都宮敦〉に惹かれTwitterで引用をした記憶がある。この当時の宇都宮は、と言いつつたったの3年程前だけれど、まだ、限定的な文脈でしか取り上げられていなかった。事実、瀬戸のインタビューや永井の評論でも宇都宮はポストニューウェーブの文脈で永井祐、仲田(中田)有里、兵庫ユカ、斉藤斎藤らとともに語られている。

 

宇都宮敦のデビュー当時、つまり第4回歌葉新人賞次席(2005年10月)を審査員として経験している穂村弘はフラワーしげると盛田志保子を加えた3名での「作品季評」(『短歌研究』2019年5月号)において宇都宮の短歌そのものと『ピクニック』という歌集自体については高い評価をくだしながらも『ピクニック』という歌集が2019年の11月に出たことについては「できれば、リアルタイムで十年前に出して欲しかったけど。」と穂村なりの正直な感想を述べ、また、同時に「このリアル感のつくり方は、僕が初めて見たときから十五年ぐらいたっていると思うけれども、その間にかなり共有資産化したところもあると感じています。」といった発言もしている。穂村は宇都宮の歌集が出たタイミングについてどうも納得していないようだ。第5回歌葉新人賞最終候補作に残った経験を持つフラワーしげるも穂村とおなじく宇都宮の短歌やその試みについては「文体を個人的な執着で組みたてているということだけで、僕はそれだけで十分と思っている。」としつつも「この歌集は三十年後にもう一度精読したい。そうすると時代にしばられていない美質が逆に見えると思う。」と発言し2019年の〈現在〉における『ピクニック』の評価には踏み込んでいない。

 

では、2019年の〈現在〉『ピクニック』はどのように読まれているのか。「未来」所属の漆原涼と「かりん」所属ののつちえこによるちょーけっしゃ短歌ユニット「うるしのこ」が2019年3月から5月にかけて『ピクニック』について互いに20首選をした上で語り合う全11回の対談形式のエントリーをうるしのこのブログにアップしている。全体について逐一取り上げることは出来ないが、漆原、のつともに実に楽しそうに生き生きと語っていてまずそのことに驚く。しかし、歌集について楽しそうに生き生きと語ることになんともいえない居心地の悪さを感じてしまうのも事実だ。うるしのこ、宇都宮敦『ピクニック』を読む・その4(2019年3月23日)〈嫌なやつになっちゃいそうだよ もうじゅうぶん嫌なやつだよと抱きしめられる/宇都宮敦〉[i]についてのふたりのやりとりを見てみよう。

 

筆者注:《う》は漆原、〔の〕はのつの発言

 

《う》これね〜!

 

〔の〕相手がいる状況で、主体は「自分がなりたくないと思っている『嫌なやつ』になってしまいそうだ」というちょっとした自己嫌悪にある。

 

〈なっちゃいそうだよ〉というところにはちょっと自意識が表れてて、それは感情が波立っていないときは「ごく普通にいいやつ」という自負に基づいた自己イメージが主体にあって、それがちょっと揺らぎ出したと主体は思って発話した。

 

そしたら、相手から〈もうじゅうぶん嫌なやつだよ〉と全部ひっくり返されてしまって、その上で相手に受容されるというどんでん返しが一首の中で起こるんだよ。思わずおおおってなっちゃった。

 

《う》「自己イメージが揺らぐ」という読みについてうなずける反面で、いまは〈嫌なやつ〉ではないという含みを「いいやつと自認」しているとまで読んでいいかは迷う。

 

唐突に今現在の揺れているところから話を切り出していることにも読みどころがあるような気がして。それは、〈なっちゃいそう〉の語気の負うところでもあるんだけど。

 

「てしまいそう」にある不随意さの含み、しかもくだけて「ちゃう」だから、よりかよわいニュアンス。

なので、自意識が発話によって外部に出てきたことより、主体の視点が自分自身の弱さに向かっていること、内省しようとしていることに重きを置いて読んでる。

 

そっから先の読みはちえこさんと同じかな。他者が登場してばっさり斬られる。内心だけの出来事とも読みうるけど、自分の視点の先を行ってるから他者と思う。そこで、さらに抱きしめて弱さもまるごと肯定してくれるんだから、読者としてもその人には「敵わないよね」と思っちゃう。

 

〔の〕今言ってもらったみたいに、自分の視点を凌駕する人が登場することはやっぱりとてもよくって、その人が凌駕しつつ主体を受容するにいたることが、うわーすごいなあって思った。

 

《う》相手、器が大きいよね。

 

〔の〕うん。それで、私が自意識という言葉を使ったのは、やっぱり相手がばっさり斬ってくる状況があって、その斬られっぷりに見合うのは自意識ぐらい強固なものというのが念頭にあることが大きいかも。

 

《う》なるほどね。自分では覆しがたいものを自分より先に察知していて、しかも大きな肯定をくれるところに、読者も主体に感情を移入して安堵しちゃうね。

 

わたしが歌の読みとして違和感を感じるのは「他者が登場してばっさり斬られる。内心だけの出来事とも読みうるけど、自分の視点の先を行ってるから他者と思う。そこで、さらに抱きしめて弱さもまるごと肯定してくれるんだから、読者としてもその人には「敵わないよね」と思っちゃう。」(漆原)「自分では覆しがたいものを自分より先に察知していて、しかも大きな肯定をくれるところに、読者も主体に感情を移入して安堵しちゃうね。」(のつ)という箇所についてである。ここでは、歌の読みがそのまま作中主体と読者の関係性にスライドしている。歌の読みを作中主体と読者の関係性にスライドさせて読む読み方は宇都宮が〈現在〉にカムバックするきっかけにもなった同人誌『She Loves The Router』(2017年11月)において谷川由里子による歌会評「感覚の逆襲」で言語化されている。谷川は序文で「歌会は、作者が目の前にいるところがいい。そしてその目の前にいる作者たちの最新作を、自分の最新作一首と引き換えに読むことができるのが素晴らしい。私の渾身の一首が彼らの作品と同じ紙面に並べられる。彼らの短歌と私の短歌が紙のなかで互いに、こう、立ち向かう。」と述べる。なるほど、確かに漆原とのつの対談は彼女たち自身の歌は差し出していないけれども、目の前にある一首をまるで「作者が目の前にいる」かのように読んでいる。この問題についてはすでに2018年1月の段階で本サイトの短歌時評において吉岡太朗が指摘している。吉岡は短歌時評第131回「批評にとって短歌とはなにか 後編」[ii]において谷川による〈菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら/山階基〉評を引きながら「技術を駆使しても負けないのは、作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれているからではないだろうかと(ママ)言葉でこの「一首評」は結ばれるのだが、ここでは「作者」と「主体」が並置されて語られている。/主体はいわゆる「作中主体」のことだろう。いつの間にこの二つの概念は向かい合うようになったのか。」と述べる。あるいは、noteで公開されている橋爪志保「宇都宮敦『ピクニック』について考える」(2019年3月9日)[iii]ではあくまで「ゼロ年代以降の文学」のひとつとして考える場合の比喩としてではあるが、『ピクニック』が週刊少年ジャンプサイズの黄色い表紙の歌集であることから「黄色い大きな盾のように、わたしには見えてくるのだ。」と表現されている。谷川が向かい合わせた作者、作中主体(主体)と読者としてさらに向かい合うことになったのが漆原・のつの読みだったが、橋爪の場合は物質としての歌集と読者とが向かい合った。穂村・フラワーが積極的に踏み込もうとはしなかった〈現在〉とは作中主体と読者、歌集と読者とが向かい合う〈現前性〉の時代のことだ。わたしはこれらの発言を引き合いに出してなにも彼女らが歌を読んでいないなどと言いたいわけではない。むしろ反対に彼女たちの発言は歌を読み込んだ結果なのだと思う。しかし、繰り返しになるが、わたしは『ピクニック』をめぐるこれらの言説に奇妙な居心地の悪さを感じている。

 

『鴨川短歌』(2017年9月)での誌上企画「わたしの好きな一首」で橋爪が選んだ〈いつまでもおぼえていよう 君にゆで玉子の殻をむいてもらった/宇都宮敦〉の〈ゆで玉子〉が武装解除(穂村弘)か否かというくだりのなかで濱田友郎は「すごく抽象的なことを言うんですが、いまは時代の過渡期だからそういう対決的な構図になるのは自然なんでしょうけど、いつか、そんなことが話題にならない別次元のところに行くんだろうと思いたい(直感的な物言いになりますが)」と発言した。直後、濱田「谷川さんとか阿波野さんとかはそういうプログラムなんじゃないですかね」土岐「宇都宮さんは、たしかに谷川さん阿波野さんの源流なのかもしれない」濱田「個人的にはそういう世代間の対決や調停にエネルギーをつかわない方法でやっていきたいです(疲れますから)。」とやりとりは続く(阿波野は阿波野巧也、土岐は土岐友浩)。ここで濱田が言っている「世代間の対決」で念頭に置かれているのはもちろん穂村弘なのだが、わたしがここまで書いてきたことはいま起こっている問題のいくつかは「そういうプログラム」そのものが引き起こしているのではないか、ということだった。「そういうプログラム」とは「ワンダーとか人生は一回とか、そういう前の価値観を乗り越えていく」(土岐)ことだと表現されてもいるが、2019年の『ピクニック』、あなたの目にはどう映っていますか?


[i] http://urushinoco.hatenablog.com/entry/2019/03/23/083000 

[ii] https://blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/e/de4469b25b0bd18bb88c099ee2d10d1f 

[iii] https://note.mu/ooeai/n/n4b1cad52a2da 

最終閲覧日はいずれも2019年6月21日


短歌企画「短歌時評alpha」中止のお詫び 詩歌梁山泊代表 森川 雅美

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 詩客短歌連載企画「短歌時評alpha」は、担当実行委員が辞任したため中止になりました。
 関係者および読者の皆様にお詫び申し上げます。
 中止の理由は以下になります。当企画を継続するには、企画全体を再考しなければならないため、かなりの負担になるということが前提です。

1、現在の状況を考慮すると、同企画を他の実行委員が引き受けるのは負担が大きく、難しい。

2、新しい実行委員にお願いするとしても、賃金を払えないボランティアのためただでさえ引き受け手がないうえ、当企画の継続を含めれば実行委員の依頼ができない。

3、森川が引き受けることも考えたが、そこまで短歌の現状に詳しくないため、結局は短歌の実行委員に負担をかけることになる。

 そこで、中止せざるを得ないという現状です。

 申し訳ありません。

短歌時評第147回 まちがえて図書館を 魚村晋太郎

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 「塔」の昨年の4月号に「歌集をまとめる」といふ座談会の記録が掲載されてゐる。参加者は花山多佳子、北島邦夫、沼尻つた子、小川和恵(司会)。そのなかの「「あとがき」をどう書くか」といふ小題をつけられた部分に印象的なやりとりがあつたので引用する。

花山 やっぱり「あとがき」がいいなと思うことはありますね。その人の向かい合い方みたいなのが結構出ているかな。「この人、口先だけだ」とか「ちょっと浅いなあ」とか「しっかり向き合っているな」とか、そういうのは「あとがき」で感じる。「あとがき」は大事かな。
小川 私さっき跋文などは絶対最後に読むと言ったんですけど、実は「あとがき」は真っ先に読んじゃうんですよ。
沼尻 私も、目次と「あとがき」から行きます。
小川 そこで一定の方向づけされてしまうというのもあるかもしれないけど、「この作者はどういう気持ちでこの歌集をつくったのかな」というのが真っ先に知りたいみたいな気持ちがあって、ついそうしてしまうんです。
花山 何かこう見えちゃうとこあるのよね、「あとがき」で。
小川 怖いですね。

 「何かこう見えちゃうとこあるのよね」と花山多佳子から言はれると、やはり「怖い」。詳細には語られてゐないが、花山が「ちょっと浅いなあ」とか「しっかり向き合っているな」とか感じるといふのは、あとがきの内容だけでなく、文体や調子から感じるといふこともあるにちがひない。
 歌集はまづ作品から読むべきだと私は思ふ。しかし、それは言はば建前であつて、しばしばフライングをしてしまふのも事実である。小川や沼尻のやうに、あとがきから読むといふことはあまりしないが、巻頭からいくつかの連作を読んでゆき、主人公の人物像がぼんやりと見えてきたところくらいで、答へ合はせではないが、あとがきを読んでおきたくなることもある。もちろん、作品に力があれば、あとがきを読むことなど忘れてぐいぐい引き込まれ、最後まで読んでしまふものだが。
最近、と言つても数年来のことだが、歌集を読んでゐてそのあとがきにある変化を感じてゐる。読者に対する言及が増えたやうに思ふのだ。はつきりと意識したのは昨年、辻聡之の『あしたの孵化』を読んだときだつたと思ふ。2頁分のあとがきの中ほどの一部と最後の1行を引用する。

 当時は、失われた名古屋弁の代償なのか、言葉を書くということに熱中していた。無印良品の小さなノートに、一ページにつき一編の「詩らしきもの」を書き綴るなど、とても青臭い行為に没頭した。けれど、そうすることで確かに救われていたし、渦巻く思春期の汚泥のなかで溺死することなく、なんとか前に進んでいくための、それは浮き輪だった。あの頃、そうやって言葉は、ただひたすら自分のためだけに書かれていた。
 「詩らしきもの」はいつしか短歌へと形を変えて、僕は結社の門を叩き、友人や知人も増えた。あまつさえ、こうして幸運にも第一歌集を出すことにもなった。まだ実感が湧かない。十四歳でこじらせた性格を多分に残しながらも、人見知りだってある程度は克服した(はずの)今の僕の言葉は、少しは、他人に届くようになったからだろうか。
(中略)
 叶うなら、この歌集が誰かの浮き輪やビート板になれますように。

辻聡之『あしたの孵化』(2018年刊)

 私はこのあとがきを読んだときなにか不思議な感じがした。そして、はつきり意識したことはなかつたが、かういふの初めてではないな、とも思つた。いくつか歌集をひらいて見るとあるある。よく似た例として、岡野大嗣の『サイレンと犀』、虫武一俊の『羽虫群』からあとがきの最後の部分を引く。

 音楽を聴くのが好きだ。中学生の頃から今にいたるまで、好きな音楽は御守りのようにいつも自分の中にあるけれど、その取り入れ方は変わってきた。(中略)結局、忘れたくない、忘れられないものしか残らないんだと思う。この歌集を読んでくださったあなたが、自分なりの楽しみ方で、御守りになるような短歌を一首でも見つけることができたなら、それに勝る喜びはありません。

岡野大嗣『サイレンと犀』(2014年刊)

 最後に、いまこの本を手にとってくださっている皆様に、御礼申し上げます。少しでも良いひとときに貢献できていましたら、それが一番の幸いです。

虫武一俊『羽虫群』(2016年刊)

 辻と岡野の読者への言及は、喩へ話を使ひながら自分の歌集或いは作品が、読者が生きてゆくうへで助けや励ましになるものであつて欲しいといふ願ひを表明してゐるところが共通してゐる。虫武のあとがきには、読者への謝辞があり、これは従来の歌集にも見られることがあつたが、最後の一行は辻や岡野のあとがきに通じるものがある。読者に言及するこのやうなあとがきが従来あまり書かれることがなかつたのは何故か。また、最近書かれるやうになつたのは何故か。その理由や背景について考へてみたい。
 従来、歌集のあとがきに書かれることが多かったのは、
➀自己紹介或いは近況
②短歌との出会い或いは短歌観
③関係者への謝辞
 といつたことだらう。先に一部を引用した「塔」の座談会でも自身の歌集のあとがきについて、北島から「何でおまえ歌集出したんだ、と。そういう一種の釈明と、それとお世話になりましたから、どうもありがとうございましたというお礼と、この二つです。」、沼尻から「短歌というものに対する感謝です。(中略)あと、一番大事なのは関係者への謝辞ですね。」などの発言があつたが、読者へ謝辞等については全く触れられることがなかつた。
 かつては、一部の大御所の歌集や『サラダ記念日』のやうなベストセラーを除いて、一般の書店に歌集がならぶことはなかつた。歌集の読者は結社誌や短歌総合誌の読者にほぼ限られてゐたのである。また、歌集の作者の方も、不特定多数に読んで欲しいといふ思ひより、師や先輩、或いは同世代の歌人たちに読んでもらい、感想なり評価なり、なんらかのリアクションが欲しいといふ思ひの方がつよかつたのではないか。さうした状況では当然、不特定多数の読者への発信より、関係者への謝辞の方が重要になつてくる。もつとも短歌の指導者や仲間たち、栞の執筆者への謝辞はともかく、ほとんどの作者があとがきに添へる出版社や編集者への謝辞は一種の虚礼と言へなくもない。私は二冊の歌集を出した出版社のTさんに、この二十年あまりの付き合ひのなかで実に様々なことを教へてもらひ、心から感謝をしてゐるが、厳密に言へばそれは歌集を出したあとのことだからだ。
 さて。歌集をとりまく環境が変化しはじめるきつかけとなつたのは、TwitterやSNSの普及と、書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの刊行であつたと言へよう。或いは、若い世代を中心にした短歌同人誌や文学フリマなどの活況も要因に加えていいかも知れない。短歌にそれほど興味のなかつた人がTwitterやSNSで作品に触れ、歌集を読んでみようと思ふ。そんなことが起こり得るやうになつたし、書肆侃侃房の営業努力によつて、シリーズは一般の書店にも結構ならぶやうになつた。また、従来は結社や総合誌の新人賞を受賞したりノミネートされたりしたことをきつかけに第一歌集をまとめるケースが多かつたが、さうした賞などを経由せずに第一歌集を出す人も増えた。先にあとがきの一部を引用した3人のなかで、短歌研究社から歌集を出した辻は結社に所属してゐるが、書肆侃侃房から出した岡野と虫武は所謂結社には所属してゐない。師や固定的な先輩がいなければ、あとがきでの発信の対象が読者に向かふのはある意味自然なことだ。
 先の3人のなかで、辻と虫武のあとがきには関係者への謝辞があるが、岡野のあとがきには読者に対するものも含めて一切の謝辞はない。それはそれで潔いことだ。ちなみに先行する世代、かつて歌葉新人賞で注目された斉藤斎藤、永井祐、宇都宮敦の第一歌集にはあとがき自体がない。作品を独立したものとして読ませたいといふ意思のあらはれであらうが、諸々の虚礼を廃したいといふ気持ちもあつたかも知れない。
 歌集の出版や流通をとりまく環境の変化が、あとがきにおける読者への発信を促したであらうことはおそらく間違いない。そして、さうした環境の変化と無関係ではあるまいが、歌集の作者の内面にも変化が見られるのではないかと思ふ。作品を通じて同時代を生きる他者とつながりたいといふ意識がつよくなつてゐるやうに感じるのだ。それはSNSといふツールの普及によつて必然的に育まれた意識であるとも言へるし、「生きづらい」時代を反映したものだとも言へるかも知れない。ただ、私が危惧するのは、若い人たちの間に、誰かの、或いは何かの役に立たなければならないといふ圧力が必要以上に高まつてゐるのではないかといふことだ。
 人間の存在価値は、何の役に立つかといふ用在性をはなれたところにあるはずだ。一方で社会は役に立つこと、効率的であることを狂信的に追及してやまない。詩歌こそ、今はまだ役に立たないもの、或いは、金輪際役に立たないもの、さういふものたちの最後のアジールなのではなかつたか。
 詩や歌に助けられる、言ひ方を換へれば、詩や歌が誰かの助けになるといふことは確かにあるだらう。しかし、さうした幸福な場合であつても、読者と作者の間には単純な需要と供給の関係があるわけではない。そのことについて意識的であると思はれる服部真里子の『遠くの敵や硝子を』のあとがきの最後の部分を引用する。

 人と関わることは本質的に暴力で、勇気とは愚かさと暴力の謂ではないかと思うときがあります。けれど、私は勇気の人でありたい。私のささやかな勇気が、偶然、あなたの心を照らせたなら、こんなにうれしいことはありません。読んでくださってありがとうございました。

服部真里子『遠くの敵や硝子を』(2018年刊)

 詩歌をつむぐことは、極めて個人的な行ひである。笹井宏之のよく引用される作品に「この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい」といふ一首があるが、詩歌が誰かの心を照らせるとしたら、それは「まちがえて」の帰結であり、服部の言ふ「偶然」によつてもたらされるものではないのか。あとがきでの読者へ呼びかけようとするとき、それが本当に必要なことなのか、ふさはしいことなのか考へてみてはどうだらう。
 最後に、本論とは直接関係ないが、最近こころに残つた言葉を紹介しておきたい。
「詩人とは詩を書く人、詩をつくる人という以前に詩を求める人」
 これは5月に私が所属する玲瓏が開いた「塚本邦雄研究の會」で、ゲストに迎えた高橋睦郎の言葉である。塚本邦雄についての講演の枕の部分で発せられた言葉だが、非常に明快な詩人の定義であり、詩人を歌人に、詩を歌に置き換へればそのまま歌人の定義にもなるだらう。

短歌評 知花くらら『はじまりは、恋』という22の連作からなる「連作」 谷村 行海

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  知つてるでしょきつく手首を縛つても心まで奪へぬことくらゐ

 知花くららは2006年にミス・ユニバースの世界大会で準グランプリを受賞し、モデルとして活動を続けてきた。一方、歌人としても活動し、2017年には角川短歌賞佳作、2018年も角川短歌賞予選通過を果たしている。
 掲歌は彼女が今年の6月に発刊した第一歌集『はじまりは、恋』(角川書店)の巻頭歌。この一首を含む連作のタイトルも歌集の題名と同じ「はじまりは、恋」。恋人とすれ違い、やがて破局を迎える様子が描かれた連作のようだ。

  チュイルリーのネオンの移動遊園地ねえそつときみの射的の的にして

 同じく「はじまりは、恋」のなかの一首。よくよく考えてみると射的とは不思議なものだ。日本で定着した射的では、縁日でみられるように景品目がけて球を発射し、撃ち落とされたものが自分の手元にやってくる。痛めつけたあとにそのものを我が物にしてしまうという「恐ろしさ」を秘めていて、それが遊びとして定着している。調べた情報によるとチュイルリーの遊園地の射的では、日本でよく用いられるコルクの代わりに火薬の入った球を使用するのだそうだ。そうすると、日本の射的よりも的に対する痛めつけはより強いものになる。
 恋愛も射的の的のように相手に身をゆだねることがある以上、自分の一部が相手に支配されてしまう。その支配は強いものもあれば弱いものもある。しかし、いくらそうやって支配されたとしても、やはり「心まで奪へぬこと」なのだろう。歌集の題名にもなっているように、そうした恋愛に対する歌がこの歌集には数多く収録されている。

 

  制服の裾から見える骨張つた両膝の間に命は宿れり

  学校は歩きて遠く思ひて遠く明日は知らぬ男に嫁ぐ 

 恋愛に関する歌がある一方で、海外に目を向けた歌が多いのもこの歌集の特徴だ。知花くららは国連WFPの大使としても活動を続けてきた。これらの歌からはその活動を通して目にしたであろうその地の現実がよく伝わってくる。
 同時に、先ほどふれた恋愛に関する歌との相違が目を引く。恋愛を題材にした歌では、作中主体としての自己の内面が歌のなかにはっきりと現れていた。しかし、引用した2つの歌を見てもわかるように、異国のことを詠んだ歌については伝統的な俳句のようにあくまでも事実を描写したものがほとんどで、自己表出はほとんど起きていない。こうした差を示すかのように、恋愛を含めて自己の周りに目を向けた歌と海外に目を向けた歌とが1つの連作に混在しているものはほとんどなかった。

 ここで、彼女が2017年に「ナイルパーチの鱗」で角川短歌賞の佳作になったときの選評をみてみたい。応募時の「ナイルパーチの鱗」は後半にくる15首ほどを除き、その多くが海外での経験をもとにした(であろう)短歌によって構成されている。

 “前半はドキュメンタリーとして非常に面白く読ませていただいたし、考えさせる面もあったのですけど、やっぱり後半との関連性という面で疑問が残りました”(東直子)

 東直子が「ドキュメンタリー」と評したように「六頭の山羊が贈られけふからは妻となる卒業式のかはりに」など、応募時の連作でも海外詠は内容面で客観的な描写が多い印象を受けた。一方、後半に出てくる歌には「あの晩のあなたの匂ひのするシーツを洗へずにゐる夜10時」など、やはり内面が表れているように思える。

 “難民キャンプに行ってボランティアしていることとそうでない自分があるから、こういう構成もあるかなと思ったけど、後半は弱いかな”(伊藤一彦)

 “後半が自分になるんだけど、前半難民キャンプで作者がもうちょっと出てくるということと、後半日本に帰ってから難民キャンプにいたことがどういうふうに生活に反映しているかということが、もうちょっと交錯している方がいいだろうということが惜しい”(永田和宏)
 
“海外の難民キャンプまでボランティアに行くという行動性、生きる力の強さが出てて、前半はパワフルでいいと思った。後半の自分の話になってくるのが、分裂という感じ、あるいは話題が尽きたから書くみたいな感じで、一連の構成としては惜しまれる”(小池光)

 そして、選考委員4名全員が構成面での甘さを指摘している。
 歌集に戻ろう。『はじまりは、恋』にも「ナイルパーチの鱗」と題した連作が収められている。しかし、この「ナイルパーチの鱗」は角川短歌賞応募時のものとはまったく別の作品と言えるほどに大きな変容をとげている。まず、角川短歌賞応募時の50首から歌を大きく削り、22首の短歌によって連作が構成されている。そのうえ、さきほどふれた「六頭の~」のように海外を詠んだと思われる歌の多くはこの削られた歌のなかに入っており、再構成された連作は日常の歌が中心を占めている。
 ここまで極端に内容が変わっていると、彼女が意図して海外詠と日常・恋愛の歌とをわけているであろうことが推察される。ゆえに、ほかの連作でも海外は海外といった具合に内容を細かくわけて歌集に収録したのだろう。
 こうして細かくわけられたことにより、恋愛に関する連作を見た後に今度は海外、そしてまた恋愛と、ぐるぐる入れ替わる作品を見ていくことになる。その内容のギャップは連作間で互いに効果を及ぼし合っているように思えた。日本で恋愛に悩む「私」がいる一方で、海外では苦しい生活を強いられている人たちがいる。そうした相対化により、今を生きている「私」の生活に新たなまなざしが徐々に介入されていく。これは複数の連作が並ぶ歌集単位でしかできないことだろう。その点において、知花くららは歌集の効果をうまくいかしていると言えそうだ。

短歌時評第148回 重力に抗する言葉――ライトヴァース再考 岩尾 淳子

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 去る8月24日堺市で開催された「未来全国大会」でのイベントは短歌結社の大会においてジャズコンサートを行うことで関心を集めた。第一日目のイベントにジャズピアニストの山下洋輔をゲストに迎え、笹公人との対談、そしてミニコンサートが行われ、会場は熱気に包まれた。コンサートに先立っての対談では1970年代から80年代にかけて、山下洋輔がタモリたちと繰り広げたハナモゲラ語を駆使した言葉遊びの楽しさが存分に語られて会場を沸かした。また当時作られたハナモゲラ和歌も紹介され、山下がそれを魔術的に解読し、あるいは解読されないまま謎を残すことで、意味から解放される快感を与えてくれた。山下の話を聞いている中で、この言葉遊びはナンセンスな楽しみだけでなく、韻律面も含めて詩歌の本質に届いている側面もあり、かなり知的な遊びであったことに新鮮な驚きを感じた。
 このイベントには当初会員の中から、短歌結社の大会としてふさわしくないというような声もあった。実際、筆者も正直いうとそうした思いもあったことは確かだ。しかし、会場の高揚感を体験して、少し肩の力を抜いてみるのもいいのではないかと感じた人も少なくないはずだ。昨今の社会をとりまく困難な状況が、思考の硬直化を呼び込んでいる気がする。
 厳しい状況が、ささやかな言葉の逸脱を「遊び」や「軽さ」として退ける風潮に流れているようで、息苦しさを感じる。
 そこで少し古い話題で恐縮だが、気になったことなので少し考察したい。

● ヘビーヴァースとライトヴァース

 角川「短歌」5月号で「ヘビーヴァース 人間を差し出す歌」と題して特集を組んでいる。
 特集の巻頭では「人間・命・短歌」と題して高野公彦、大下一真、栗木京子が鼎談している。その冒頭にあたっての編集部からの導入を引く。

――ライトヴァースが急速に発展した平成に対して、もう一度人間をキーワードにした時代が戻ってくる気配があります。作者の生きざまが反映している歌を挙げて、論じていただこうと思います。

 「人間を差し出す歌」というかなり挑発的なフレーズも気がかりだが、気になったのはタイトルにある「ヘビーヴァース」、それに対するライトヴァースへの認識のありかたである。
 ここでヘビーヴァースというとき「人間の生きざまが反映している歌」を指しているらしい。ではそれと対置されるライトヴァースは「人間の生きざまが反映されていない歌」ということになる。また、編集後記では次のように書き足されている。
 歌いぶりや歌のテーマの軽重ではなく、そこに「人間が差し出されている」歌を「へビーヴァース」と呼んだ。
 と補足しているが、これでは、ほとんどの歌がヘビーヴァースに含まれてしまうのではないだろうか。ライト・ヴァースは文字通り「軽い韻文」ということであるなら、歌いぶりの軽さを問題にしないなら、そもそもヘビーヴァースとライトヴァースの差異は存在しなくなってしまう。その結果、印象としてライトヴァースというのが、「人間の生きざまを反映しない」歌という認識だけが残る。社会の閉塞感や、生きづらさが煮詰まっている現代において、生きざまを反映した真面目で重厚な歌を詠んでほしいという意図はわかるが、そこでライトヴァースはもう役割を終えたように言うのはどうか。生きることはいつでも重いし、苦しみや悲しみと離れることはありえない。そうだからこそ、そこからほんの少し解き放ってくれる詩歌が求められるのではないだろうか。
 短歌界では、1985年に岡井隆が「ゆにぞんのかい」でライトヴァースを提唱したのを嚆矢としている。それから35年を経てライトヴァースはさまざまに変容し、短歌界に取り込まれてきた。今、ライトヴァースを「人間の生きざまを反映しない歌」として封じ込めてしまっていいのだろうか。また、そもそも「生きざまを反映する」歌を詠まねばならないとすることにも疑問を感じる。真面目な歌を詠むべし、という声のうしろにはどうしても硬直した通念が透けて見えてしまうのだ。

 最近の総合誌から軽い歌いぶりで印象にのこった作品をランダムにあげてみる。
 

                             現代短歌八月号
  飼えばきっと可愛い鴉ゆうぐれに失くした鍵もみつけてくれる   永田紅

                                歌壇八月号
  傘のなかはひとりの宇宙…ではあるが暮らしの人はごみ出しにゆく 三枝昴之

                               うた新聞八月号
  ほほえめる妻の遺影にウインクし「俺もう寝るぞ」と蛍光灯消す  杜沢光一郎
 
                              現代短歌七月号
  傘させばうたへうたへと声がするそつちの方がたぶん空だね    清水正人

                                 短歌七月号
  聞いたことのない鳥の声あたたかく流れ込む雨わたしは川だ    松村由利子
 
                              短歌往来6月号
  イーゼルを立てるとすぐに山が来て雑木林の背景になる      坪内念典


 軽やかな歌のよさを説明するのは難しいがあえていうと、押しつけがましくなくて、読む方の気持ちを柔らかくほぐしてくれることか。それは、うすい包み紙に水晶のような喜びや悲しみをくるんでいる懐かしさとでもいうか。しかも、詩的な想像力は無理なく身近な具体から立ち上がっており、その射程は案外遠くまで届いている。その「軽み」は究極的には「存在の儚さ」・「世界のかがやき」に触れるものだろう。
                    
●地球の重力に抗する言葉

 ではライトヴァースとはそもそもどんな韻文を指しているのか。1979年5月号のライトヴァース特集を組んだ「現代詩手帖」を思い出した。この特集がのちに80年代のライトヴァース興隆への起爆剤にもなったことは周知のことだ
 あらためて誌面を見ると国内外の様々な詩人たちの論考が並んでいる。「ヘビー・ヴァース、ハイ・ヴァース」に対する概念として「ライト・ヴァース」について彼らなりの定義や解釈を自由に論じている。記憶に残っていたのは巻頭の対談での谷川俊太郎の発言である。谷川はライトヴァースについて次のように言う。

 ぼくの主観的な解釈でいうとライトヴァースというのは地球の重力に抗することを基本的に考えるのね。そう考えると優れた詩にはすべて軽みの要素があるというのがよくわかるんです。どんなに重ったるい詩でも詩というものは地球の重力に抗して人間の精神を高めるような感じがあるんじゃないかということは漠然と言えるんだけどね。

 ここで、谷川は直観的にライトヴァースの「軽み」を詩の本質と結び付けてとらえている。「地球の重力に抗すること」つまり、言葉で「人間の精神を高める」のが詩であり、優れた詩には「軽み」という要素が必ずある。軽やかに表現することで、現実の重力にあえて抗うことで思考が自由になり人間の精神は高められる。詩における「軽み」ということの意義を改めて認識する新鮮な言葉だ。

●オーデンのライトヴァース

 さて、この特集ではライトヴァースを運動として牽引してきた元祖でもあるW・Hオーデンの『ライト・ヴァース詩選序文』(1938年)からの抄文が掲載されている。オーデンはライトヴァースと真面目な詩のあいだに特に本質的な違いは認めていない。ただ詩人のありかたの相違を社会との関係性から二つのカテゴリーに分類している。少し長くなるが引用する。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなるだろうし、その言語は直截で、日常言語に近いものになるだろう。反対に、かれの興味や関心がたやすく社会に受け入れられないとき、あるいはかれの読者層が、仲間うちの詩人といったごく限定されたものになるとき、かれは痛切に自分を詩人として意識するようになり、その表現方法は通常の社会言語と大きく離れていくことだろう。

 ここで注目したいのは詩人の意識と、その詩的言語との関連である。自分を特殊な人間として意識しないときは日常言語に近づき、そうでないときは社会言語と大きく乖離してゆくという。つまり、詩人の意識によって言葉は軽くもなり、難解にもなる。あたりまえのことのようだが、詩的言語に関わる意識の要を言い当てていると思う。そして、おそらくは前者の意識に近いのがライトヴァースと推測される。オーデンは詩的言語の難解さについて次のようにも述べている。

 社会が不安定で、詩人が社会から遊離すればするほど、それだけ詩人はものをよく見ることができるようになるが、それを人に伝えることは難しくなる。

 ここからオーデンはロマン派の陥った孤立感のただよう陰鬱な詩について批判を加えたうえでバーンズを引き、「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書くことができた」としている。そのうえで1930年代のアメリカ社会を背景にしながらライトヴァースの可能性について実に希望的に提唱している。

 そのような社会で、そのような社会においてはじめて、詩人は感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、明快で、陽気な詩を書くことができる。なぜなら、軽くてしかも成熟した詩は、完成した自由な社会でしか書けないはずのものだからである。

 オーデンがこの文章を書いたのは1930年代のアメリカ社会を背景にしており、その民主主義社会を理想とするところには限界があったわけだが、オーデンが詩に託した希望は、かたちを変えながら現代にも継承されているはずである。それは「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書く」ことができることであり、それは「感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、軽快で、陽気な詩を書くことができる」、「軽くてしかも成熟した詩」。ただ、その後の80年代のライトヴァース短歌にはこのオーデンの「単純で、軽快で、陽気」な部分だけが取り上げられ、注目されたようにも思われる。

●ロバート・フロスト

 さて、2010年に刊行された『アメリカのライトヴァース』(西田克政著)によると「ライト・ヴァースそのものの定義が千差万別で、10人いれば10通りの解釈がありうるだろうし、ライト・ヴァースの選択についてもひとによって違ってくる」という状況らしい。この書のなかで紹介されているロバート・フロストの「雪の降り積もる夕暮」アメリカ詩の中でも名作として知られている。この著者はそれをライトヴァースとして紹介する。
 詩の全文を引用しよう。
   
  「雪の降りつもる夕暮 森のそばに佇む」
  
  この森がだれのものか、おおよそわかる
  彼の家は村にあるけれども
  わたしがこんなところに立ち止まって
  森が雪で覆われてゆくのを見ているとは思うまい

  一年中でいちばん暗い夕暮
  森と凍った湖のあいだで
  近くに農家ひとつないのに立ち止まるのは
  なにかおかしい わたしの子馬はそう思っている
 
  どうかしたのか問いかけるように
  体をぶるっと震わせ 鞍の鈴を鳴らす
  ほかに聴こえるのは 吹き抜ける柔らかな風と
  しんしんと降る雪の音だけ
 
  森は美しく 暗く 深い
  けれども わたしにはまだ約束がある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある

 この透き通るような言葉で書かれた静かで深い詩をライト・ヴァースとして紹介されていたことに驚きつつ、そのことを当然とも思えた。ライト・ヴァースはこのように美や死、あるいは永遠性といった深いテーマをしなやかに、また平明に歌う詩も含まれる。まさに谷川俊太郎のいう「地球の重力に抗」して「精神を高める」軽やかさを持っている。西田はこの詩を深く多面的に鑑賞し、分析をくだしながら最後の2行に言及する。

 フロストはアメリカの特質ともいえる、プラグマティックな卑近な現実をその後に持ち込むのである。それは人間社会の約束事という、生活を成り立たせるうえでの決まりきったしきたりへの執心である。視点をかえれば「美」(「芸術」)に見とれる瞬間の自己をいさめる、覚醒した自己は「日常生活」(「人生」)の重要性を再確認するかのように、自分に言い聞かせるのである。… フロストの中にある、諸手をあげて芸術をあるいは美という物を賞賛できない自我の意識が存在している複雑性にあるように思える。

 この解説はライトヴァースの一側面をよく捉えている。「諸手をあげて芸術をあるいは美というものを賞賛」することへの恥じらい、あるいは照れの意識は詩の言葉をより簡素にするように働くだろう。ここで言われていることは金関寿夫が「アメリカのライト・ヴァース」(現代詩手帖 1979年5月号)のなかで発言していたことと通じるように思う。金関は次のように書いている。

 「軽み」というのは、一般的に見て、私は一種の「照れ」だと思っている。深刻な主題を深刻な顔をして語る自己陶酔と野暮臭さに、作者自らが照れる気持ちから、それは出ている。

 この「照れ」の姿勢はひとつの詩学として1980年代の短歌の流れのなかにも深く取り込まれることになる。

●塚本邦雄と小池光

 さて、話が詩の方に逸れたので短歌の方にもどそう。短歌界でライトヴァースが受け入れられたころはちょうど前衛短歌運動が勢いを失っていった時期でもある。そのあたりの歴史的な意味付けが最近、さまざまに議論されているように思う。1985年に岡井隆がライトヴァースを提唱したことはそういう意味では時代の潮目を見通してのことだろう。その時代は軽さを旗印に掲げるポストモダンの潮流が席巻していた。
 歌壇五月号で加藤治郎が塚本邦雄の「軽み」について言及している。ライトヴァースに関わる貴重な意見なので参照しておく。

 「芭蕉の軽みどころか、凄みと等価値の軽みを私は志しています。それこそ、私の「変」です。」
 塚本邦雄、一九八六年の発言である(「短歌研究」短歌年鑑座談会)この年は、ライト・ヴァースが問題になった。歌壇では若者の口語文体による軽やかな恋の歌、都市風俗のスケッチという方向に収束した。もともと岡井隆の企図したライト・ヴァースは成熟した精神で人生を語るような大人の文学だったのであるが、そうならなかった。むしろ塚本こそが真正のライト・ヴァースだったといえるのではないか。

 加藤が指摘しているようにライトヴァースの軽みというのはある種の成熟を伴ったものと考えられる。歴史的にみてライトヴァースは貴族社会の言語遊戯を源流とする流れがあり、知的なソフィティケーションが要求される。前衛短歌の先陣をきって登場した塚本邦雄は、当初より一貫して戦争への憎悪がさまざまな方法論を駆使しつつ言葉を重層的に組み替えながらその作風を構築してきた。ただ中には、モダニズムを否定しようとしながらもその明るさが痕跡を残している歌もあるし、古典や、口語をとりいれてゆく中期以降の歌では、方法論から自由になり言葉が軽快に動いている歌も見られる。知的な言語操作による「軽み」を生む作品である。

  夢の沖に鶴たちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが    『閑雅空間』


  ほしいままに水のみたればわが歌の下句うらうらと風吹く紫苑    『歌人』

 
  明日より春休み無人の教室に青き白墨干菓子のごとし        『豹変』


  いふほどもなき夕映えにあしひきの山川呉服店かがやきつ      『詩歌変』


  遺産問はるるならばギリシアのオルゴール、麻衣、百合根十まり五つ 『風雅』

 

 戦争という重い主題を一貫して読み続けた塚本。しかし一方で塚本は言葉の遊戯や言葉を自在にコントロールする世界を知悉していた歌人でもあった。塚本邦雄の歌の多様性、その幅の広さはさらに考察を深めていきたい問題である。

 さて、もうひとつの歌人に注目したい。
 昨年の「日本歌人クラブ創立七十周年記念シンポジウム東京」で行われた永田和宏と三枝昴之の対談「前衛短歌が忘れたもの」が「現代短歌5月号」に再録されている。そこから二人の発言から引く。

永田 …一般には穂村弘、加藤治郎、俵万智らの口語を使った軽やかな歌がでてきたあたりから前衛短歌が運動として使命を終えたんだろうといわれていますが、ぼくはね、端的に小池光だろうと思う。小池光は表立っては何も言わなかったけれど、前衛短歌が目指していたものを確実に否定した。何も起こらないことが大事なんだということを『日々の思い出』(一九八八)年の中でいっています。…
三枝 小池氏の場合は時代が少し下がって前衛短歌を一歩、距離を置いてみることができるところで短歌と出会ったというスタンツの中で永田氏の今の発言を借りると、前衛短歌の嘘臭さが見えた。だけどぼくらには見えなかったんだよね。

 80年代後半から90年代への短歌史を眺望するうえで、短歌界の潮流の変化としてライトヴァースからニューウエーブという捉え方だけでなく、小池光の歌が大きく機能していたことを俯瞰的に指摘している。ここで注目したいのは、その小池の方向転換には少なからず、さきほどから検証しているライトヴァースの本質的な特質にかかわる「照れ」の姿勢の影響がみられることである。思い出してほしい。オーデンは詩人を二つのカテゴリーに分類していた。繰り返すが、一つ目はこうだった。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなる。

 これはライトヴァース的存在論といえる。そして、まさに小池光の転換はここにあった。ライトヴァースとこの時期の小池の歌のファニーや風刺と共通性については『続 小池光歌集』の小澤正邦による解説文に早くに注目して分析されている。それを断っておいたうえで少し補足したい。『日々の思い出』(小池光)の後記から引く。

 「思い出」に値するようなことは、なにも起らなかった。なんの事件もなかった。というよりなにもおこらない、おこさないところから作歌したともいえる。…(中略)高級一眼レフで撮った〈芸術写真〉ではない。この間の〈芸術写真〉のはったりくさい感じがだんだんいやみにおもわれて来た。

 ここで小池がいっていることが三つほどある。一つは、どんな人間であれその一日はささいな気がかりにすぎてゆくということ。二つ目、なにも起らない、変哲もない日常の無意味性、つまり偶然性を基盤としたピュアな世界があること。そして三つ目は、大仕掛なヘビーヴァースがもつ通俗性への反感である。ランダムに歌を引いてみる。

  佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず
  
  さしあたり用なきわれは街角の焼き鳥を焼く機械に見入る

  くれなゐのボタンを押してゐたるときエレベーターはすでに来たりつ

  こどもといふトマトケチャップをわれ愛し妻愛し昼さがりの食事

  岡井式にととのへてゆく詩のかたちとほからずしてわが飽くとおもへど

 これらの歌は簡素で平易な言葉で日常を語りながら、そこはかとない哀感やユーモアの入り混じった着想のかろやかさがある。しかもこの歌の背後には平凡な日常を愛おしみつつ生きている時間があり、そうであるがゆえにその日常性の儚さも読んでいるように思える。また、5首目にひいた歌には作者の明晰な方法意識がメタ短歌的に詠まれている。小池の射程にあったのは、物語やテーマ性よりも、やはりライト・ヴァースの核心につながる言葉の、あるいは抒情の〈軽み〉であったように思える。

●岡部桂一郎の歌

 小池光の『日々の思い出』と軌を一にして1988年に岡部桂一郎の『戸塚閑吟集』が刊行されている。この歌人は戦前から活動しているにも関わらず、この歌集がまだ第三歌集という。この歌人ほどさきほどの「照れ」の詩学をくっきりとみせている人も少ない。そういう意味ではやはりライト・ヴァースの系譜に位置づけても無理はないように思う。ライトヴァースはその詩想から結果として口語に至ったということであり、そこに文語が混在することはあまり問題ではない。ようするに言葉に過剰な、あるいは重層性のある意味をまとわせていないということが肝要な点ではなかろうか。そこにあるのは無垢さや偶然性に根ざすシンプルな詩学であろう。岡部桂一郎の歌については河野裕子が強い共感をこめて書いている文がある。
 
  月と人二つうかべる山国の道に手触れしコスモスの花

 この歌にしても他にいくらでも別の表現を用意できる筈であるのに、ただ、このように、一見何ということもないシンプルな作りの歌に仕上げている。実作してみるとわかるが、この愛想の悪さはなかなかまねのできるものではない。つい一言余計な感想を入れてしまいたくなって、歌を暑苦しい通俗的なものにしてしまいがちな事が自他ともになんと多いことだろう。  「塔」(2002年4月号)

 岡部桂一郎の作品をいくつか挙げてみよう。
 「戸塚閑吟集」

  ひとり行く北白川の狭き路地ほうせんか咲き世の中の事     

  道々に摘みたる花を捨ててゆくあずき色よりピンクが好きで    

  あの山は何と悲しい山でしょうはぜ紅葉して父のふるさと     

  鶏頭に陽ざしあたれり愕然と反戦の唄もうはやらない        

  長々と昭和終わるか雪の道晴れて遠くに人転びけり         

 想念を外に逸らしつつ意味をかるく削いでゆく。そこにはわざと歌を感動的にしたり抒情性を深めたりしたくない、つまり完成した形をわざと避けるような含羞がある。しかも、その平易な表現のなかに深い悲しみや、時間の深さも封じ込められているようにも思う。

● ライトヴァースの位相

 さきほどの加藤治郎の指摘のとおり、1987年には俵万智の『サラダ記念日』、そして加藤治郎の『サニー・サイド・アップ』が刊行される。それらの歌集はその軽快さ、陽気さ、そしてなによりも現代的な口語文体によりまぎれもなく以後のライトヴァースの流れを牽引していったことは確実だ。しかし、また一方では小池や岡部のように低い視線で日常を描き、過剰に意味を負わせない軽ろみのある言葉を成熟させながら、生活の深くに錨を下ろす歌が紡がれていたことも見逃せない。この二つの流れが互いに侵食し、位相を変容しつつライトヴァースの方法を深化させてきたともいえる。戦後はじめてライトヴァースの詩を公表した加島祥造は1979年の現代詩手帖に寄稿した文のなかに次のように書いている。

 ライト・ヴァースの軽さとは詩の表現の軽妙さをさすのであって、詩の主題の軽さをさすのではない。それは深刻とされる主題――愛や死や苦悩――を扱いうる点ではハイ・ヴァースと少しも変わらない。 (「現代詩手帖」一九七九年五月号)

 早くにこういう指摘があったことを確認しておかなければならない。この言葉からも類推できるがライトヴァースは「人間のいきざまを反映しない」とするのはやはり乱暴だろう。今はライトヴァースの手法がさまざまな位相で用いられており、短歌の表現に多様性を与えている。現代短歌はここ40年様々に模索を繰り返している。これからどう変化するのか予見はできないがライトとヘビーを往還しながら幅をもった世界を表現できる詩形でありたい。

短歌評 笹井宏之『えーえんとくちから』の読みやすさと分かりにくさについて  平居 謙

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 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。普段短歌を読むことにそれほど積極的でない僕は「短歌はここまで来ていたのか!」と驚いてしまう。笹井宏之は1982年生まれ。2009年に亡くなっているいわば夭折の歌人である。『えーえんとくちから』は2011年に刊行。2019年1月に文庫化された。文庫版の冒頭に「短歌というみじかい詩を書いています」とある。それゆえ本稿では、笹井の作品を「詩」と呼ぶことにするが、それでは彼にとって詩とは何なのだろう。
 読みやすいけれども、ある種の分かりにくさが確実に存在している。そこに辛うじて彼の短歌の存在理由がある。結論から言えば、その「分かりにくさ」を創り出している要素が「詩」なのだと思う。分かり易い事柄は新便記事で充分だ。誰もまだ気づいていない感覚、意識されたことのない観念に出会う時そこに詩が出現する。現代詩の場合も同じなのだが、その「自由な長さ」が逆に災いする。分かりにくさを醸し出す舞台設定を準備する時点で、読者は疲れて何処かへ立ち去ってしまうことが少なくない。誰かが「現代詩を読むにはそれなりのトレーニングが要る」と言っていた。それはそうだろう。でもそれだからこそ、「通」しかその世界を楽しむことは出来ない。短歌の場合、否、少なくとも笹井宏之の詩の場合、分かりにくさはすぐに伝わる。勝負は一瞬で決まるのだ。
 以下、本稿ではBest10を紹介することで、1人の若い書き手の短歌が「文庫化」という形で時代の舞台にせり上がって来た状況を時評として確認しておきたい。
    
   1 午前五時 すべてのマンホールのふたが吹き飛んでとなりと入れ替わる (P46) 

 これは一体どういう感覚だろう。ものすごく前衛的なイメージフィルムの世界だ。マンホールの蓋が吹き飛ぶというのは、現実には大雨で下水道が増水した場合などが考えられる。しかし、面白みとスピード感が「ウエットな感じ」を吹き飛ばしてしまうからだろうか。からりと晴れたもう明るい夏の朝、マンホールだけが次々と入れ替わる奇妙な世界を僕は想像した。君と僕。彼女のあのコ。互換不可能であるところに全ての存在価値はある。一方作品内現実では、ぽんぽんと横のマンホールの蓋に収まってしまう。誰かは誰かのスペアでしかない。そんな絶望もどこかに微かに匂っている。このどうしようもない感覚のことを、人はやるせなくて「詩」と呼びならわしている。

   2 この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい (P6)
 
 森で軍手を売るとは何? 誰に? 何処で? それは不思議なメルヘンを想起させる。森のまん中に、全ての人が自分自身のための野菜畑を持っている。その野菜畑で畑仕事をするためには、魔法の軍手を買わなければならないのだ。魔法の軍手で森の大木の幹に触れると、中から果物や野菜がごろごろ獲れる。ある日小さな男の子が、野菜ではなく本を収穫する。じゃがいもだと思って掘り出したもの、それは1冊の本だったのである。男の子は次から次へと本を掘り出す。どうしようもなくなって図書館を立ててしまう。こんなもの建てるつもりはなかったんだと彼は呟く。その男の子とは言うまでもなく、笹井宏之その人なのだ、という一つの儚い夢のような物語を僕はこの一行から夢想する。

   3 しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだらう (P21)
 

 蒸し暑い夏。ひやっとする感触のまくらカバーに触れると、それだけで喜ばしい気持ちになれる夜がある。まくらを抱くと、それだけでひんやりとしてどこか安心する。表現としてこの詩が優れているところは、それを「にんげんにうまれたことがあった」のだと言い表しているところだ。かつて人間だった体験があるから、まくらに触れる人と、分かり合うことができるのだ。はじめ僕は「まくらにんげん」に「うまれたたことがあった」という、私の過去の思い出せない記憶について歌っている詩かと思った。ちょっと変だが、それを否定し切る決定的な根拠を見出すことは出来ない。

   4 ゆびさきのきれいなひとにふれられて名前をなくす花びらがある (P40)
   5 だんだんと青みがかってゆく人の記憶を ゆっ と片手でつかむ (P73) 
   6 悲しみでみたされているバルーンを ごめん、あなたの空に置いたの(P38)

 4~6は「分かりにくさ」が低い分、詩としての気高さに若干欠ける嫌いがある。4の詩はしかし、それでも「きれいなひとにふれられて名前をなくす」なんていうのはロマンチックだし、しかもそれが人ではなく「花びら」のことだ、というワンクッションおいた形で描かれているのも面白い。「がある」で締められているものも、全てがそうではないんだ、という妙な不安感を煽る高度な技術である。5の詩は、誰もがおそらく注目するように「 ゆっ 」で勝負が決まる。余りにもインパクトが強いので忘れがちだが、薄れる記憶を「だんだんと青みがかってゆく人の記憶」というように実際の色彩に置き換えたところに一瞬の分かりにくさ=途惑いを生み、それが絶妙な詩との遭遇感覚を読者に提示するのだ。6の詩は僕の感覚だと「ベタ臭い」感じがしないではない。しかし、これを恋の悩みの共有として考えるとき、極めて高いリアリティが感じられる。

   7 昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された (P119)
   8 完璧にならないようにいくつもの鳩を冷凍する昼さがり(P 33) 
   9 わたしだけ道行くひとになれなくてポストのわきでくちをあけてる(P98) 

 7~9は「分かりにくさ」が僕には若干過剰な詩たちの例。7は、誰かを殺めたいという欲望によって、それを想像した人自身の「ゆめのたぐいが連行された」という詩。人を憎むと、自分の中の大切な何かが失われる。8の詩は面白いが分からないが面白いが分からない、と何巡もする。それでこういう風に考えてみた。うじゃうじゃとひしめき合う公園の鳩たちのいくつかにロックオンし、その中の何羽もが凍り付いたように固まって動かない様子を発見した「昼さがり」の瞬間ではないか、と。9は、「ポストのわきでくちをあけてる」私の、他の人に交じれない感覚。「道行くひとになれなくて」という言葉から、他の人ほど冷徹になれない自分の弱さをちょっと不甲斐なく思いながらも、ポストに付き合って一緒に口をあけて立っててやるという発想自体に気づくまで少し僕はぽかんとしていた。

   10 泣きそうな顔であなたが差し出したつきのひかりを抜くピンセット (P93)

 この詩に関しては、「まあ!こんなにも美しい詩もこの本の中にはあるのね!」という意味でこれを紹介するに留めておこう。


 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。と最初に書いたが、本稿で述べたように「読みやすくて分からなくて、でも1周回って読みやすい」奇妙な代物。そしてその奇妙さが詩の命脈。笹井宏之の詩を読んでいると、「現代詩」というジャンルの、一般的に言ってだらだらと長いそのあり方の愚について少し考えさせられてしまった。

(2019年1月 筑摩書房刊 680円)

 

没後15年 春日井建展ー歌に戻り、歌に生きるー トークイベント「春日井建を語る」対談水原紫苑×加藤治郎 告知

短歌評 笹井宏之『えーえんとくちから』の読みやすさと分かりにくさについて  平居 謙

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 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。普段短歌を読むことにそれほど積極的でない僕は「短歌はここまで来ていたのか!」と驚いてしまう。笹井宏之は1982年生まれ。2009年に亡くなっているいわば夭折の歌人である。『えーえんとくちから』は2011年に刊行。2019年1月に文庫化された。文庫版の冒頭に「短歌というみじかい詩を書いています」とある。それゆえ本稿では、笹井の作品を「詩」と呼ぶことにするが、それでは彼にとって詩とは何なのだろう。
 読みやすいけれども、ある種の分かりにくさが確実に存在している。そこに辛うじて彼の短歌の存在理由がある。結論から言えば、その「分かりにくさ」を創り出している要素が「詩」なのだと思う。分かり易い事柄は新便記事で充分だ。誰もまだ気づいていない感覚、意識されたことのない観念に出会う時そこに詩が出現する。現代詩の場合も同じなのだが、その「自由な長さ」が逆に災いする。分かりにくさを醸し出す舞台設定を準備する時点で、読者は疲れて何処かへ立ち去ってしまうことが少なくない。誰かが「現代詩を読むにはそれなりのトレーニングが要る」と言っていた。それはそうだろう。でもそれだからこそ、「通」しかその世界を楽しむことは出来ない。短歌の場合、否、少なくとも笹井宏之の詩の場合、分かりにくさはすぐに伝わる。勝負は一瞬で決まるのだ。
 以下、本稿ではBest10を紹介することで、1人の若い書き手の短歌が「文庫化」という形で時代の舞台にせり上がって来た状況を時評として確認しておきたい。
    
   1 午前五時 すべてのマンホールのふたが吹き飛んでとなりと入れ替わる (P46) 

 これは一体どういう感覚だろう。ものすごく前衛的なイメージフィルムの世界だ。マンホールの蓋が吹き飛ぶというのは、現実には大雨で下水道が増水した場合などが考えられる。しかし、面白みとスピード感が「ウエットな感じ」を吹き飛ばしてしまうからだろうか。からりと晴れたもう明るい夏の朝、マンホールだけが次々と入れ替わる奇妙な世界を僕は想像した。君と僕。彼女のあのコ。互換不可能であるところに全ての存在価値はある。一方作品内現実では、ぽんぽんと横のマンホールの蓋に収まってしまう。誰かは誰かのスペアでしかない。そんな絶望もどこかに微かに匂っている。このどうしようもない感覚のことを、人はやるせなくて「詩」と呼びならわしている。

   2 この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい (P6)
 
 森で軍手を売るとは何? 誰に? 何処で? それは不思議なメルヘンを想起させる。森のまん中に、全ての人が自分自身のための野菜畑を持っている。その野菜畑で畑仕事をするためには、魔法の軍手を買わなければならないのだ。魔法の軍手で森の大木の幹に触れると、中から果物や野菜がごろごろ獲れる。ある日小さな男の子が、野菜ではなく本を収穫する。じゃがいもだと思って掘り出したもの、それは1冊の本だったのである。男の子は次から次へと本を掘り出す。どうしようもなくなって図書館を立ててしまう。こんなもの建てるつもりはなかったんだと彼は呟く。その男の子とは言うまでもなく、笹井宏之その人なのだ、という一つの儚い夢のような物語を僕はこの一行から夢想する。

   3 しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだらう (P21)
 

 蒸し暑い夏。ひやっとする感触のまくらカバーに触れると、それだけで喜ばしい気持ちになれる夜がある。まくらを抱くと、それだけでひんやりとしてどこか安心する。表現としてこの詩が優れているところは、それを「にんげんにうまれたことがあった」のだと言い表しているところだ。かつて人間だった体験があるから、まくらに触れる人と、分かり合うことができるのだ。はじめ僕は「まくらにんげん」に「うまれたたことがあった」という、私の過去の思い出せない記憶について歌っている詩かと思った。ちょっと変だが、それを否定し切る決定的な根拠を見出すことは出来ない。

   4 ゆびさきのきれいなひとにふれられて名前をなくす花びらがある (P40)
   5 だんだんと青みがかってゆく人の記憶を ゆっ と片手でつかむ (P73) 
   6 悲しみでみたされているバルーンを ごめん、あなたの空に置いたの(P38)

 4~6は「分かりにくさ」が低い分、詩としての気高さに若干欠ける嫌いがある。4の詩はしかし、それでも「きれいなひとにふれられて名前をなくす」なんていうのはロマンチックだし、しかもそれが人ではなく「花びら」のことだ、というワンクッションおいた形で描かれているのも面白い。「がある」で締められているものも、全てがそうではないんだ、という妙な不安感を煽る高度な技術である。5の詩は、誰もがおそらく注目するように「 ゆっ 」で勝負が決まる。余りにもインパクトが強いので忘れがちだが、薄れる記憶を「だんだんと青みがかってゆく人の記憶」というように実際の色彩に置き換えたところに一瞬の分かりにくさ=途惑いを生み、それが絶妙な詩との遭遇感覚を読者に提示するのだ。6の詩は僕の感覚だと「ベタ臭い」感じがしないではない。しかし、これを恋の悩みの共有として考えるとき、極めて高いリアリティが感じられる。

   7 昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された (P119)
   8 完璧にならないようにいくつもの鳩を冷凍する昼さがり(P 33) 
   9 わたしだけ道行くひとになれなくてポストのわきでくちをあけてる(P98) 

 7~9は「分かりにくさ」が僕には若干過剰な詩たちの例。7は、誰かを殺めたいという欲望によって、それを想像した人自身の「ゆめのたぐいが連行された」という詩。人を憎むと、自分の中の大切な何かが失われる。8の詩は面白いが分からないが面白いが分からない、と何巡もする。それでこういう風に考えてみた。うじゃうじゃとひしめき合う公園の鳩たちのいくつかにロックオンし、その中の何羽もが凍り付いたように固まって動かない様子を発見した「昼さがり」の瞬間ではないか、と。9は、「ポストのわきでくちをあけてる」私の、他の人に交じれない感覚。「道行くひとになれなくて」という言葉から、他の人ほど冷徹になれない自分の弱さをちょっと不甲斐なく思いながらも、ポストに付き合って一緒に口をあけて立っててやるという発想自体に気づくまで少し僕はぽかんとしていた。

   10 泣きそうな顔であなたが差し出したつきのひかりを抜くピンセット (P93)

 この詩に関しては、「まあ!こんなにも美しい詩もこの本の中にはあるのね!」という意味でこれを紹介するに留めておこう。


 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。と最初に書いたが、本稿で述べたように「読みやすくて分からなくて、でも1周回って読みやすい」奇妙な代物。そしてその奇妙さが詩の命脈。笹井宏之の詩を読んでいると、「現代詩」というジャンルの、一般的に言ってだらだらと長いそのあり方の愚について少し考えさせられてしまった。

(2019年1月 筑摩書房刊 680円)

 


短歌時評第149回 傷口から産まれたもの 魚村晋太郎

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 門脇篤司の『微風域』を読んだ。現代短歌社賞を受賞した作者の第一歌集である。

  食道をしづかにくだる牛乳の朝を伝へる冷たいちから

門脇篤司『微風域』

  ぼうぜんと電車の外を眺むればあんなところにある室外機

  捨つるため洗ふ空き缶水道の水を満たせばふたたび重し

  ゆつくりと冷えゆく日々に根のあたりすこし溶けたる水菜を棄てる

 

 一首目は、喉から食道へ牛乳のつめたさがくだつてゆく身体感覚とともに、ねむたい意識が今日一日へむかつてひらいてゆくような感じを巧みに伝へてゐる。エアコンの室外機は、建物の裏側の結構あぶなつかしいところに取り付けられてゐることがある。二首目の主人公が呆然としてゐる理由はわからないが、なす術なくぼんやりしてゐる主人公の視界をそんな室外機が過る。「あんなところに」といふ表現がわれに帰つた主人公の意識とともにその直前の呆然とした感覚を読者に手渡す。

 不可逆的に過ぎてゆく時間のなかで、空き缶にふたたび中身が満たされることはない。しかし、捨てるために空き缶を洗ふとき水道の水が満たされて重さだけは元通りになつた。私は仄かな寓意のある歌が好きだ。寓意は分節化せず、つまりかういふ意味だと言い換へることができず、寓意の重たさだけを持つてゐることが望ましい。さういう意味での秀歌である。流通手段が進歩した現在、冷蔵庫に入れてゐるものが目に見えて黴びたり腐つたりすることは稀だ。しかし、時間がたつと確実にいたむ。四首目の「根のあたりすこし溶けたる水菜」にはリアリティーがあるし、上句の「ゆつくりと冷えゆく日々」に動かしがたい質感を与へてゐる。

 『微風域』の歌には様様な特質を見いだすことができるが、まづ注目したのは上記の四首に見られるやうな事物に主人公の意識を託すことの巧さである。そして、それらの事物が、従来の短歌で詠はれることの少なかつた事物であり、いかにも二十一世紀初頭のこの社会の閉塞した状況を反映したものであることが特筆すべきことだと考へる。

 

  ボーナスをはたいて猫を買ひしことなんでもなさげに後輩はいふ

  妻の手に我が手は触れていつぶりに感じただらう妻のぬくきを

  

 『微風域』の特徴のひとつに文語・口語混交の文体がある。一首目の「買ひし」は文語だ。「なさげ」は広辞苑にも載つてゐて、文語か口語か判断に迷ふところだ。たとへば「所在なさげ」とかであれば、文語脈で使はれてゐてもをかしくないかも知れないが、「なんでもなさげ」は、たとへば「よさげ」といふ語に隣接しさうな現代の話し言葉の雰囲気を纏ふ。

 「ぶり」といふ言葉は従来一年ぶりとか、一ヶ月ぶりとか、英語で言へばforの用法で使はれて来た。それが最近の若者言葉では去年ぶりとか、先月ぶりといふやうにscinceの意味で使はれることがある。もちろん文法的には誤用であるが、若い人たちのあひだではかなり市民権を得てゐるやうだ。先日、二週間ぶりくらゐで偶然あつた若い人から「こないだぶりです」と挨拶されてなんだか気持ちが和んだことがあつた。

 「ぶり」が疑問形になるとしたら従来は「何年ぶり」とか「何ヶ月ぶり」となるだらう。二首目は「妻」の好きなバンドのライヴに行つた折の連作にあり、「みんな肩を組んでひとつになろうぜ!」と詞書がある。「いつぶり」といふのは書き言葉としては今のところほぼ誤用、若者言葉、話し言葉である。一方で結句の「ぬくきを」には文語の匂ひがする。 

 最近の歌集には、その歌集の基調が口語であるか文語であるか判断するのは難しい場合がある。門脇の『微風域』の場合は、全体的には口語的な発想を芯にしてゐて、その上で先行短歌の影響を受けて部分的に文語的な変奏を試みてゐるといふやうに私には見える。そして、ここに引いた二首に関しては意識的に、文語と口語といふか、もつと正確に言へば、文語的表現と現代の話し言葉風の表現を出遭はせるといふ意識的な試みが行はれてゐる。文体の不統一をあげつらふよりも、さうした表現がどういふ可能性をひらくのかを見届けるべきだらう。

 この間、若手の短歌の文体について考究した時評が発表されてゐる。「短歌」9月号の歌壇時評「文語と旧仮名遣と句跨がりによって現れる蛇」で尾崎まゆみは、「平成という時代は、口語と新仮名遣を求めていたのだろう」としたうへで「ここ数年少し風向きが変わってきたようで、文語交じり旧仮名表記を選んだ第一歌集が何冊も出版されて、しかも高評価を得ている」と指摘し、若手の第一歌集の作品を具体的に検討してゐる。「文語交じり旧仮名表記」の作品として小佐野彈と藪内亮輔を、「口語を基本に文語交じり旧仮名遣」の作品として田口綾子、知花くららを取り上げてゐるが、そこからあぶり出されるのは「文語交じり」が一種のスタンダードになりつつあるといふ現状だらう。

 砂子屋書房のHPの月のコラム「詩の上枝、歌の下枝」の9月、「口語短歌の可能性」で田中槐は、「井泉」7月号に掲載された「欠けてはいないが〈偏り〉はある――語彙の延伸」で三上春海が導入した、〈文語文法〉+〈文語語彙〉、〈文語文法〉+〈口語語彙〉、〈口語文法〉+〈文語語彙〉、〈口語文法〉+〈口語語彙〉といふ分類を引用し、主に文語的語彙に着目して口語短歌について考察する。

 私自身、「短歌」9月号の特集「平成の宿題」に「口語=ライトヴァース、の終わり」を書いた。「短歌」の特集の私の担当は、昭和の終はりの『短歌年鑑』に塚本邦雄が寄せた「新風対位法」といふ一文を受け、塚本が注目した九人の当時の「新鋭歌人」のその後の活動を検証した上で、令和元年現在における世代交代を考察するといふ内容であつた。紙幅の関係で現在の若手の歌は三首しか引いてをらず、現在の「口語はニューウェーヴの口語とは韻律も湛えているものも違う。もはやライトヴァースとは呼べないのではないか」といふ発言も直感的なもので、具体的な検証は欠いてゐる。短歌の現在における口語の問題については、近いうちにあらためて書かうと思ふが、今回の私のこの時評の後半は、仮名遣についてエッセイ風に書かせていただきたい。

 尾崎まゆみが「短歌」の歌壇時評で指摘したやうに、現在、若手の第一歌集のなかにも、歴史的仮名遣で書かれたものが少なくない。

文体と仮名遣の組み合はせは、次の4通りが考えられる。

 

1 〈文語〉+〈歴史的仮名遣〉

2 〈文語〉+〈現代仮名遣〉

3 〈口語〉+〈歴史的仮名遣〉

4 〈口語〉+〈現代仮名遣〉

 

 無論、先に述べた通り現在では、ある歌人、ある歌集が文語と口語のどちらを基調としてゐるのか簡単には判断できない場合もあるが、便宜的に整理すると、この4通りといふことになる。門脇の『微風域』の場合は、1なのか3なのか微妙なところである。私自身の歌はおおほむね3にあてはまる。

 これらの組み合はせのなかで、1と4が基本的な文体と表記の組み合はせであり、2と3はイレギュラーだと考へられる傾向があるが、この件について、ひとこと言つておきたい。1、つまり文語は歴史的仮名遣で書く、といふのは長い歴史のなかで培はれて来た原則である。それに対して、4、つまり口語は現代仮名遣で書くといふ原則と現代仮名遣それ自体は、敗戦の翌年、連合軍の占領下で拙速に決められたものである。ご存じの方には、何を今更といふ内容だが、若い方たちのなかには知らない人や、特に意識したことのない人も多いのではないかと思ひ、あへて書いておく次第である。

 1946年に告示された仮名遣、所謂新仮名は正式には「現代かなづかい」、1986年に告示されたものを「現代仮名遣い」といふが、本稿では一部を除いてどちらも「現代仮名遣」と表記する。

 「現代かなづかい」が告示された1946年、たとへば1928年生まれの岡井隆と馬場あき子は18歳である。岡井や馬場の世代は青年期をむかへるまで、学校のノートも、つけてゐたとしたら日記も、落書きも恋文もすべて歴史的仮名遣を使つてゐたはずだ。岡井も馬場も歌人として本格的にデビューして以降初期の作歌は現代仮名遣で行つてゐる。岡井は1975年の『鵞卵亭』から、馬場は1985年の『晩花』から歴史的仮名遣に戻る。

 わたしは、短歌をはじめる前に現代詩を書いてゐた時期があるが、その頃から歴史的仮名遣を使つてゐた。おそらく高校生の頃からである。念のため言つておくが、敗戦直後ではなくバブル景気の頃のことだ。当時も現在も多くの出版社が、文語の作品は歴史的仮名遣、口語の作品は現代仮名遣を採用してゐる。つまり、小説などの場合、原作が歴史的仮名遣で書かれてゐても現代仮名遣に変更して掲載されてゐる。

 はじめて自分で買つて読んだ詩が文庫版の、中原中也や萩原朔太郎だつた。中也も朔太郎も、どちらかと言はば口語的な作品が多いやうに思ふが、文語の作品もあるので、全体が歴史的仮名遣で表記されてゐた。気に入つた詩やフレーズをノートに書き写したりしてゐたもので、歴史的仮名遣が詩歌を読み書きするための言葉として十代のわたしのからだのなかに自然と入つてきた。当時、好きだつた梶井基次郎の小説集『檸檬』の復刻版を古書店で買つて宝物のやうに持つてゐた。それも当然歴史的仮名遣で書かれてゐて、梶井の小説からも気に入つた箇所の書き写しをしてゐた。私が歴史的仮名遣を使ひはじめたのは、ロックをはじめた少年少女が憧れのミュージシャンと同じギターを欲しがる気持ちと似てゐたのかも知れない。ミュージシャンのギターは高価だが、歴史的仮名遣はそれほど努力しなくても身につけることができた。

 歴史的仮名遣に親しみはじめた頃、現代仮名遣を導入した国語改革を批判する文章を読んだ。はじめに読んだのは丸谷才一で、はつきり覚えてゐないが『日本語のために』あたりだつたと思ふ。

 今回、この文章を書くにあたつて、丸谷才一編『日本語の世界16国語改革を批判する』(中央公論社1983年刊)を古書で求めて復習をした。現代仮名遣が敗戦直後、進駐軍の影響下で拙速に定められたといふことは覚えてゐたが、戦前の国語改革の推移についてはほとんど知らなかつたか、忘れてゐた。

現在まで使はれてゐる歴史的仮名遣は、元禄時代の僧、契沖が提唱した仮名遣を踏襲してゐる。江戸時代の仮名遣は幕府が定めたものではなく、例へば現代人がOSやワープロソフトを選ぶやうに個人の見識で選ばれたものだつた。国家が仮名遣を定めるといふ発想といふか必要性が生じたのは明治以降、近代国家としての日本が学校教育で国語を教へるやうになつてからだ。

 初等教育で教へるにあたつて、仮名遣を簡単にし、漢字の数を減らすとか、画数の少ない字体を考案するといふことが国語改革の社会的な動機だつた。それに加へて、西洋文明への今から考へると異常なほどの憧れや英字タイプライターに代表されるやうな利便性への欲求があり、国語改革の歴史のなかには、戦前から、漢字を廃止してすべて仮名文字にするべきだといふカナモジ論者や、すべてローマ字で表記するべきだといふローマ字論者が現れた。そして敗戦後の国語改革は、カナモジ論者やローマ字論者を中心に進められた。現代仮名遣は、かうした流れのなかで、改革反対派に配慮して「は」、「を」、「へ」など一部の助詞に歴史的仮名遣の痕跡を残すなどして拙速に定められた。カナモジ論者やローマ字論者たちは、現代仮名遣を足がかりとして、漢字の全廃や日本語のローマ字化を目論んでゐたらしい。実際、1960年代のはじめ頃までは、国語審議会の委員は互選で、カナモジ論者やローマ字論者が多数をしめる状態が続いた。その後、文部大臣の委員任命権が明確になり、漢字仮名交じり文が日本語の前提と明言されたのは1960年代半ば、「現代かなづかい」から20年後のことだつた。

 かうして概略を書くとさして面白くはないが、明治期から戦後に至る国語改革の歴史は、日本人のコンプレックスと希望が綯ひ交ぜになつた疾風怒濤の歴史であり、国語改革をテーマに大河ドラマが作れるほどだと思ふ。『日本語の世界16国語改革を批判する』は1990年に『国語改革を批判する』として中公文庫から文庫化されてゐる。こちらも現在は絶版のやうだが、古書では比較的探しやすさうなので、関心のある方はぜひ読んでみてほしい。

 岡井隆は2008年に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」のなかで、「国語制度の改悪」を批判し、「これはつまり伝統をここで制度的に断ち切ることであり、新生日本のためには、これが必要だと、当時の指導的日本人は考え、占領政策もこれをあと押しした。わたしたち当時十代の歌人は、大人たちのこの決定を受け入れたのであり、その非をさとるのは二十年以上あとのことだ。」と苦々しく記してゐる。しかし、1946年当時、国文学者や表現者など一部の人人を除いて、国民の多くはこの改革を歓迎したやうだ。現代仮名遣とあはせて行はれた漢字制限(当用漢字の導入)によつて、新聞の紙面などは、戦中とくらべて明るくやはらかな印象になつたことだらう。戦争からの解放と新時代の幕開けをヴィジュアル的に象徴する出来事だつたにちがひない。また、合理的な考へが非国民呼ばはりされた戦時下の反動で「改革派」や「進歩的」な人人に勢ひがあつたといふこともある。さういふ意味で、伝統を断ち切るものであり実際にはそれほど合理的でない現代仮名遣は、戦争といふ日本人の大きな傷口から産まれた負の文化遺産であると言ふことができる。

   2017年、山田航が「短歌」の6月号の時評「もはや抗えないもの」で「文語旧かな表記」について問題を提起をした。山田は「歌壇」に掲載された目黒哲郎の連作「生きる力」を例に挙げながら「文語あるいは旧かなの文体を採用していながら今この時代のリアルを表現することは、もはや不可能になってしまったのではないか」と主張した。私はその年、「井泉」に寄せた評論「仮名遣いと、よどみについて」で山田の主張に疑問を表明したうへで次のやうに述べた。「短歌の作者は、実社会の言葉の世界とテキストの言葉の世界、ふたつの言葉の世界に向き合っている。テキストの言葉の世界は作者のからだのなかで実社会の言葉の世界に流れ込んでよどみのようなものをつくる。そのよどみが、実社会を見つめながら短歌をつくるうえでの力になると私は考えている。(中略)歴史的仮名遣い離れは実社会の言葉の世界に圧倒されてとテキストの言葉の世界へのアクセスが希薄になっていることの表れのように思えてならない。」

 今でもおほむね同じやうに思つてゐるが、本稿ではむしろ現代仮名遣で短歌を書いてゐる人たちに、じぶんの手足の延長に思へるその仮名遣が日本人の大きな傷口から産まれてきたものだといふことを時折は思ひ出してほしいと言つておきたい。

短歌時評第150回 2019年に<銀色> 水沼朔太郎

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蒼井優が、まるで銀色。パソコンをおなかに載せてもういちど見る

幸か不幸か、わたしはこの歌を無記名歌会の詠草として見ることができた。そのときに、いくつかの歌を連想した。〈あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな/永井祐〉〈窓の外のもみじ無視してAVをみながら思う死の後のこと/永井祐〉〈ぼくは約束を守れる AVを見ながらゆっくりする深呼吸/阿波野巧也〉〈でたらめなルールで騒いだチェスのあと主人公が死ぬAVを見る/我妻俊樹〉……一首目は蒼井優と永井祐、その永井祐の青い電車の歌という駄洒落的連想だけれど、それ以外の三首は男性歌人がAVを見る歌という文脈で浮かんだ歌だ。わたしの評もそこが中心になった。曰く、「ああ、なんかすごい感慨深いというか、2019年だなあって思いました。永井さんや阿波野さんや我妻さんにAVを画面で見る歌があったのを思い出したんですけど、そこではAVって言われるだけで固有名は出てこないんですよね。そこに固有名が登場して、しかもそれが蒼井優っていう」……AVを画面で見る男性歌人の歌の系譜からの2019年的ずらし、というのはこの歌のひとつの読み筋であるとわたしは思ったのだけれど、当日の歌会で主に議論の中心になったのは〈まるで銀色。〉をどう読むかだった。銀色という発想自体に驚きを持つひと、銀色に作者の価値判断を読みにいくひと、銀色は銀色のまま読みたい、というひと、銀色はパソコンの色から導かれているのでないか、と読むひと。読みは別れた。わたしは、銀色に作者の価値判断を読みにいった。ここで見られている蒼井優とはほぼ間違いなくお笑い芸人・山里亮太(南海キャンディーズ)との結婚会見上での蒼井優だろうが、その場面での彼女に〈銀色〉を連想する。オリンピックでは金銀銅の三つでワンペアだけれど、一般的に銀は金とペアを成す。金銀を二項対立的に捉えたときに表/裏、男/女、1/2というように。いま、金/銀と男/女とをあたかもパラレルであるかのように書いた。これは蒼井優が銀色と価値付けられた結果からの連想である。この〈銀色〉という価値判断を男女どちらの性別の作者によってなされたのかはこの一首にとって無視できないことだ。以上のような理由からこの歌は十名二首選形式の歌会で最多得票数を獲得したが、わたしは票を入れなかった。歌会の最後に、作者名が読み上げられた。作者は平岡直子。一首は後に『歌壇』2019年11月号の巻頭作品二十首中の一首として発表された。それからわたしは平岡にほかに銀色の歌があったことを思い出した。

絶対に許してもらえないようなことをしたさが銀色になる/平岡直子

初出は我妻俊樹とのネットプリント「ウマとヒマワリ」(1)。〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉は「絶対に許してもらえないようなことがしたい、その気持ち」とも「絶対に許してもらえないようなことを(すでに)したのさ」とも読めるがいずれにしてもその後ろめたさに相当する感情が〈銀色〉になるという。この歌で歌われている〈銀色〉に掛かる修辞〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉をダイレクトに蒼井優の歌に関連付ける必要は必ずしもないけれど〈銀色〉に作者つまり平岡直子の価値判断を読みたいわたしとしては関連付けて読みたい。とはいえ、別の一首のフレーズである〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉をそのまま〈銀色〉に代入したからといって明確になんらかの思想、価値判断が見えてくるわけではない。〈銀色〉から平岡の蒼井優その人への感情、蒼井優が結婚することへの感情、蒼井優の結婚相手が山里亮太であることへの感情などなどがわかるわけではない。しかし、同時に、矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、わたしはなにも平岡が完全にフラットに〈銀色〉という単語を使用したとも思わない。ここでわたしがフラットという用語で伝えたいニュアンスはそもそもフラットな言葉などは存在しない、という一般論よりももう少し感覚的な領域でのそれである。さて、AVを画面上で見ていた男性歌人はいちようにAVそのものを見ているわけではなかった。永井の歌では(外のもみじも無視されているのだが)AVをみながら〈死の後のこと〉が思われ阿波野の歌ではAVを見ることよりも〈ぼくは約束を守れる〉という意志が優先されぼくは〈ゆっくり〉深呼吸をする。我妻の歌では見ているAVの内容が〈主人公が死ぬ〉AVだ。これらの先行歌と並べたとき平岡の歌は明らかに違う性格を帯びている。〈蒼井優が、まるで銀色。パソコンをおなかに載せてもういちど見る〉。〈もういちど見る〉と書かれたことでわたしたちは何度でも〈もういちど見る〉ことができる。銀色の蒼井優を。

お詫びと訂正:前回のわたしの時評「2019年の『ピクニック』」において宇都宮敦の歌の読みをめぐるくだりで「うるしのこ」の対談記事を取り上げ引用した。そのさい、「他者が登場してばっさり斬られる。内心だけの出来事とも読みうるけど、自分の視点の先を行ってるから他者と思う。そこで、さらに抱きしめて弱さもまるごと肯定してくれるんだから、読者としてもその人には「敵わないよね」と思っちゃう。」(漆原)「自分では覆しがたいものを自分より先に察知していて、しかも大きな肯定をくれるところに、読者も主体に感情を移入して安堵しちゃうね。」(のつ)と記したが、正しくは両方とも漆原の発言だった。お詫びして訂正します。

短歌評 短歌甲子園個人戦最優秀作品から読む傾向について 谷村 行海

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 全国高校生短歌大会(短歌甲子園)は毎年八月に岩手県盛岡市で行われ、今年で十四回目の開催を迎えた。この大会では岩手出身の歌人・石川啄木にちなみ、必ず三行分かち書きの形式で歌が提出される。大会は「甲子園」とついているとおり三人一チームによる団体戦をメインにしているが、団体戦参加選手・団体戦補欠の選手が全員参加する個人戦も合わせて開催されている。
そうした特徴を持つこの大会、ニュースや新聞などの各メディアでの取り上げ方を見てみると、報道の中心になっているのは団体戦で、個人戦に割かれる時間・紙面はやや少ないように思う。団体戦が大会の大半を占めている以上、当然と言えば当然ではあるが、少し寂しい気もする。そこで、今回は個人戦にのみ焦点をあてて短歌評を書いていきたい。そのなかでも、最優秀賞に輝いた作品を取り上げ、どのような傾向の作品がこの大会の最優秀賞に選ばれてきたのかを見ていくことにする。

 

  夕焼に飛行機雲のごと伸びる
  フルートを聞く
  階段半ば
(第八回 秋田高校 松岡美紗)

  長雨に
  濡れた葵の花のような
  ふるえる君の声に触れたい
(第十二回 福岡女学院高校 中村朗子)

  この街のすべてが
  灰になったこと
  忘れたような朝顔の花
(第十三回 宮城第一高校 鈴木そよか)

  日の香りかすかに残る文机を
  だきしめるように
  眠りたい春
(第十四回 飛騨神岡高校 玉腰嘉絃)

 まず四つの歌を挙げてみたが、比喩を用いた歌がずいぶんと多い。短歌は詩である以上、比喩を使うのは当然と言えば当然(私の師匠である今井聖も詩の要諦の一つに比喩を挙げている)だが、三年連続で比喩の歌が最優秀賞に輝いているのはおもしろい。しかも、上に挙げた四つの歌に使われている比喩はイメージがかなりしやすく、例えられているものとの距離も近い。「夕焼」の郷愁と「フルート」の青春性、「日の香り」と「春」のあたたかさなどなど。私が普段メインに創作を行っている俳句だと、これほどまで距離が近い比喩はあまり見かけない。
 なぜこれほど比喩との距離が近いのかを考えてみると、個人戦のルールが大いに関係しているような気がしてならない。短歌甲子園の個人戦では、まず初めに会場に足を運んだお客さんによる投票審査が行われる。その投票数が多かった歌が審査員による審査という次のステージに進むわけだ。ということは、まずはお客さんに歌をしっかりと鑑賞してもらう必要がでてくる。歌人を中心とした審査員と異なり、お客さんのなかには日常的に短歌の鑑賞を行っていない人もいるわけで、そういった方々にも届く歌を作らなければならない。その際に最も効果的なのはこの比喩なのではないだろうか。当然ではあるが、比喩を使えばものごとがわかりやすくなる。そのため、短歌の鑑賞に不慣れな方々にも伝わりやすい歌になる。

 

  氷(すが)のよだ
  徒然(とぜん)が特(とぐ)に堪(こだ)えるな

  北国なまりで笑ってる月
(第四回 気仙沼高校 遠藤万智子)

 短歌甲子園の本戦には、北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々の学生が終結する。土地が違えば当然風土も変わってくる。最優秀賞作品にはこうした土地柄が反映された歌も多い。上に挙げた歌は二行目までのすべての漢字にルビをふり、方言によってそれを表現している(土地柄とは直接関係しないが、この歌にも比喩が使われている)。先ほど比喩の箇所で挙げた「この街の」の歌も宮城県の生徒が詠んだ歌であると考えると、震災による痛ましい被害が想起されてその土地の様子がはっきりと見えてくる。
 個人戦では審査員による審査の際、選手に対して歌に関する質問が投げかけられる。私は岩手出身である関係からほぼ毎年のように短歌甲子園を観戦しているが、歌に込めた思いなど、質問は歌を作った「あなた」について問うものが多いと記憶している。人は暮らしている土地の影響を少なからず受ける。まだ自由を手にし切れていない高校生にとってはその影響は大人よりも強いように思う。つまり、高校生にとっての「あなた」は土地と密接に関係している。したがって、土地柄が反映された歌はリアルな状況を詠めるため、内容面・質疑応答において強みを発揮してくるのではないだろうか。

 

  気づいたら
  変に帽子をかぶってる
  あなたがくれた最後の癖だ
(第九回 旭川商業高校 細木楓)

 高校時代、短歌にせよ俳句にせよ、創作を行っていると「高校生らしさ」ということばを聞かされる機会がかなり多かった。当時は大人の押し付ける高校生像を作品に反映させないといけないのかと憤慨していたが、大人になってからあらためてこのことばの意味を考え直してみると、どうにも違うように思えてきた。大人と比べると高校生の経験は圧倒的に少ない場合が多い。そのため、背伸びをして知らないことを書くとリアリティに欠けたり、ぼろが出たりする可能性が高くなってしまう。したがって、「高校生らしさ」とは高校生である今経験したことを創作に反映させなさいという意味だと解釈しなおしている。つまり、リアルがあるかどうか、それが重要なのだろう。俳句甲子園でこのことばがよく議論に挙げられているように、短歌甲子園も高校生の大会である以上、この「高校生らしさ」ということばとは切っても切り離せない関係にあると感じている。
 挙げた歌はこのことば、リアルをよく詠んだ歌だと思う。内容は恋愛に関するものだが、帽子の被り方という日々の行為・習慣によってそれが表現されている。こうした何気ないものでこの内容を歌うには、実際の経験が欠かせないことだろう。土地柄と同様、リアルな経験はやはり人の心をつかみやすい。

 

  故郷(ふるさと)といつの日か呼ぶこの土地が
  今の僕には
  少し狭くて
(第一回 盛岡第二高校 嘉村あゆみ)

  我の名を忘れてしまった祖母は今
  微笑んでいる
  桜満開
(第十回 八戸高校 小川青夏)

 大会の最大の特徴はやはり三行分かち書きによる作歌だろう。最優秀作品を見ていくと、この三行分かち書きの使い方では、一行目を長くし、対称的に三行目を短く収めることで余韻を残す使い方が多いと感じた。啄木の歌だと「東海の小島の磯の砂浜に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」(便宜上、この歌では/によって改行を表した)と同じ使い方だ。それに加え、「故郷(ふるさと)の」は二行目と三行目の文字数を同じにし、「我の名を」は徐々に文字数が減っていくようにと書き方がさらに工夫されている。こうすることで、分かち書きによる内容への余韻に加えて視覚的なインパクトも読者に与えることになる。
 一方、前述の「氷のよだ」「気づいたら」はこの逆で、徐々に文字数が増える構成をとっている。どちらにせよ、内容面に加えて大会のこの形式をうまく活用できたかも審査に影響を与えていそうだ。

 

  喉元で
  母の涙の味がする
  姉が発つ日のきんぴらごぼう
(第二回 盛岡第一高校 戸舘大朗)

 さきほどは三行分かち書きの形式によって余韻を残している歌を取り上げた。余韻の残し方としてはこの形式をうまく利用するほかにも、体言止めを使用する方法がある。数えてみると、この体言止めを使った歌は歴代最優秀賞の十四首のうち、七首にものぼっていることがわかった。内容面でも考えて見ると、「喉元で」のようにどちらかというとネガティブ寄りな内容を詠んだ歌に体言止めを使った歌が多いようだ。確かに、余韻があったほうがこうした歌の場合は内容とも合ってくる。分かち書きにせよ体言止めにせよ、結局のところは内容に加えて書き方までもしっかりと見られているのだろう。細部までこだわれるかどうかが肝心なようだ。

 

  われらみな
  扉に鍵をかけている
  優しく2回,たたいてください
(第七回 福島県立葵高校 菅家美樹)

 最後に題に対するアプローチの仕方を見ていく。大会で作られる歌には必ず題が設けられている。昔は題からのテーマ詠でも良かったようだが、現在のルールではその題のことばを短歌のなかに取り入れることとされている。 
 この歌の場合は題が「扉」。扉からなにか別のものを想起せず、題のことばを中心にして歌が作られている。この文章の最後に引用に使用したサイトのURLを載せているが、ほかの作品についてもこのように与えられたことばをストレートに詠みこんで歌を作る傾向にあるようだ。
 対して俳句の場合ではどうか。同時期に開催されている俳句甲子園で見てみると、例えば題が「小鳥」だった際の句では「小鳥来る三億年の地層かな」(山口優夢)が詠まれ、これが大会の最優秀句に選ばれている。この句の場合、眼目になるのは題の小鳥ではなく地層のほうだ。俳句では二つのものを組み合わせる取り合わせがかなり使われるため、こういった差が生まれているのかもしれない。

 

 以上、歴代の最優秀作品からいくつかの歌を取り上げながら傾向を考えてきた。傾向を見ていくと俳句とのちがいのようなものもうっすらと見えてきて大変興味深く感じられた。傾向というものは大会の回数を重ねるにつれて変わっていくものだから、今後これらの傾向があてはまらなくなったり、新たな傾向が生まれたりする可能性も当然ある。岩手出身である関係で私はこの大会を観戦する機会には恵まれているから、次回以降もタイミングがあれば大会を観戦し、どのような歌が生まれていくのか見守っていきたいと思う。

 

歌の引用は以下のサイトから
・盛岡市HP内「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」
http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/machizukuri/brand/1009739/index.html
・もりおか暮らし物語HP内「短歌甲子園」
http://moriokabrand.com/%e3%82%a4%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%88%e6%83%85%e5%a0%b1/tanka/

※引用カッコ内はルビ

 

短歌評 何度でも愛せ、マグダラのマリア 千種創一『砂丘律』の不穏と罪と 平居 謙

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1 異国の香のする歌集
   
 千種創一『砂丘律』を読んだ時、梶山千鶴子句集『國境』(72年)のことを思い出した。その中には「潮遠し乳房めきてマンゴ熟れ」「水牛と歩合はせ炎天雲もなし」のような、日本の風景を見ている限りでは出てこないだろうと思われる色彩感覚豊かな俳句が所狭しと並んでいる。いわゆる「異国情緒に満ちた」作品集というわけである。海外詠としては加藤楸邨『死の塔』(1973年)や1996年アメリカ旅行で書かれた句群を収めた鷹羽狩行句集『翼灯集』(2001年 角川書店刊)などが有名だが、梶山の句はそれらに先駆けて出された海外詠の先駆的な作品集であった。
 『砂丘律』の場合、『國境』のような派手な色彩という意味での異国情緒はない。その代わりに砂と埃に満ちた不穏な空気感が渦巻いている。これも現代の日本に見られない強い異国性である。しかし決定的な違いは、単なる「旅行者」というスタンスを超えて現地で生活する人間の持つ目線というものを感じさせるという点である。千種本人が、2019年7月14日ジュンク堂池袋本店内カフェにおけるトークイベントの中で、次のように語っている。

 いわゆる「アラブの春」が起こる前に、シリアとトルコを旅行しました。でもそれくらいです。大学卒業後にヨルダンに住み始めました。…(中略)…千種:砂丘律は時系列に編まれていないので、中東に住み始める前の歌もかなり入っています。そのあたりの歌はかなり想像、というか妄想です。…(中略)…妄想と現実が一致しないのはよくある話なので、実際に住み始めてから修正したり、歌集には収録しなかった歌などもあります。中東に住み始めてからは、非日常が日常になっていく感覚はありました。

 旅行者としても移住者としても中東という「現地」に触れた体験を持たない僕にとって、どの部分が妄想でどれが修正された後の現実かは判断がつかないのだが、そもそも自身がそのように意識するということ自体旅行者の立場ではなかなかないことなのだろう。たとえば、

  駅前の、舞う号外の向こうからいきなり来るんだろう戦火は p141

 という歌が歌集中ほどにあるが、これは現地に住んでいなくても「戦火の唐突さ」を想像する力があれば書けないわけではない。しかし、次の歌となるとそういうわけにはゆかない。

  雨上がり歩く僕らへ放たれた新緑からの雫の弾丸 p168

 旅行中だって、雨が降り雨が上がり、雫が樹々から落ちてくるということもあるだろう。しかしそれを「雫の弾丸」と≪実際に感じる≫ためには相当な現地への馴染みが必要だという印象を持つ。また、ちょうど現地の環境に慣れてゆくプロセスの思考を現わすのではないだろうかと想像させるものに次のような作品がある。

  開花でも語るみたいに戦線は小さな動画に北上をする P191

 日本の春の風物詩としておなじみの、桜前線北上情報で戦線の動きをとらえるのは、まだ日本に住んでいた時の発想が強く残っているのではないだろうかと僕は読んだ。桜前線と戦線の北上を同時に想起させるのはかなりのブラックユーモアだが、花びらの舞う様子が軽く散る兵士たちの命と重なって、異様な迫力を感じてしまう。そのほかにも、「砂漠」「実弾」「戦況」等の言葉が現れて、これだけでも日本では読めない短歌だという実感が歌集を開いた瞬間に強く思われるのである。また、後ろから二番目の「山羊や羊の群れ」の歌は、日本でも北海道くらいであればあり得るかもしれないが、素直に読めばまず中東の羊飼いたちの生活を想起させるものだろう。最後の「暗がりに水牛」の歌も「水牛」の語一つで読者は異国に連行されてしまう。

  (口内炎を誰かが花に喩えてた)花を含んで砂漠を歩く P133

  実弾はできれば使ふなといふ指示は砂上の小川のやうに途絶へる p151
  
  戦況も敵もルールも知らされずゲームは進む 水が飲みたい P165
   
  雑踏の気配に窓の下みれば山羊や羊の群れの蠢き P129
  
  偶然と故意のあいだの暗がりに水牛がいる、白く息吐き  p231

 また、短歌作品以外でもところどころで力強い引用や、作者自身のつぶやきが随所に挿入されていて、この歌集を読む行為自体が異国体験そのものであるという思いが募ってくる。

  偉そうに歩くな  大地の土は死者から出来ているのだから

                           アブルアラー・アル=マアッリー(973年~1057年)P66

  砂漠を歩くと、関係がこじれてもう話せなくなってしまった人と、
                 死んだ人と、何が違うんだろって思う。 P242

2 本質としての不穏さ  

 しかし「異国情緒」というのは、この歌集のいわばハード面に過ぎない。中東に関する歌、中東で詠まれた歌という枠を外しても、千種の短歌は強い輝きを発している。特に、その不穏な空気感を伝える力というのは群を抜いている。これほどにまで、不安な感覚を読者にうまく届けることのできる書き手は少ないのではないか。

  遠からず君はおどろく飲みさしの壜のビー玉からんとさせて  P48

  朝までにボートが戻らなかった白い喇叭はこなごなにして  P55

  僕の汚いものを詰め込みゴミ袋さげて濃霧の畑を抜ける    P62
  
  防犯カメラは知らないだろう、僕が往きも帰りも虹を見たこと P75

  気がつけば水のまったくない部屋にぬるいMacintoshの眠り  p119

  幾何学模様みたいな心で路線図をにらむ(逸らせば泣いていただろう)P237

 「遠からず」の歌は、「僕」が何か不吉な事態を君に告げるのかもしれないと読んだ。君は、「壜のビー玉からんとさせ」るような感じで立ち尽くしてしまうだろう。それを思うと忍びない、けれど僕は君に伝えなければならないのだ。ありふれた現実に内在する不安を垣間見せる歌だ。
 「朝までに」の語り手はどこへゆくのだろう。「白いラッパ」は敗北の印である白旗をイメージして読んだ。「こなごなにして」しまうと、もう敗北の信号を伝える事さえできない。かつて存在したことさえもがかき消されてしまうという徹底したどん詰まりの感覚を受け取った。
 「僕の汚いものを」の歌では、「ゴミ袋さげて濃霧の畑を抜ける」のだが、その「ゴミ袋」は自分自身の汚れの象徴である。歩きながら僕は何を思うのだろう。皮膚に突き刺さるような虚無をそこに感じる。
 「防犯カメラは」の歌は、「往きも帰りも虹を見た」という、とてつもなく豊かな体験を伝えて来る。だから読者としては少し嬉しい気持ちにもなる。しかしよく考えてみれば、そういう豊かさは、防犯カメラでは決して把握されないということを同時に指示している。それだけに却って「評価の対象となる現実」のみすぼらしさが鳥ガラのように浮かび上がってくる。
 「気がつけば」の歌は部屋の中に引きこもってしまったような印象がある。静かであるがそこには安逸の感覚が一切ない。不気味な「Macintoshの眠り」の低音が響いている。
 「幾何学模様みたいな心で」は、いずれ必ず「泣いて」しまう運命ぎりぎりのところを描いている。ずっと「路線図をにら」み続けることなどできないからだ。子どもの頃、親に叱られて「泣くな」と言われて、けれども涙が目の前に溜まって落ちてゆくのをどうしても我慢できなかったような、居たたまれなさをこの歌からは感じる。
 『砂丘律』は、異国情緒に満ちた歌集だ。しかし、そのハード面を取り外して「中東でない世界」のものに限っても、そこにはやはり不穏な気持ちが底の部分に流れている。砂丘を取り去っても、律は残っているということだ。

3 読者は中東へ中東へと自然向かってゆく

 この歌集は、目が覚めるほどに面白い、斬新でもある、文学が本質的に所有しているべき暗さも持ち合わせている。ただ僕がひとつ困ったことには、「中東」のイメージをかぶせる必要がないだろう歌にまで、強迫観念のようにそのイメージを読者が自ら重ねて読んでしまう、ということであった。前節3に上げた歌は、「中東」とかぶせずに素直にそれだけで味わえるのだが、次の歌群はどこか中東の雰囲気の中で読もうとしてしまう僕自身がいる。

  鯉がみな口をこちらに向けていて僕も一種の筒なんだろう   P48

  どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として   P78

  種のあるはずのあたりは溜池のように透けてる種無しの柿  P170

  幾重にも重なる闇を内包しキャベツ、僕らはつねに前夜だ   p194
   
 「鯉がみな」は、鯉とくればこれは日本の風景だろ!と考えようとしても、「筒」の言葉がどこか銃身を思わせて、紛争の中に身を置く存在を頭のなかから払拭することができなくなってしまう。まあ、勝手にそうのようにイメージして読んでも、それは全然かまわないと思うが、鯉がばかのようにこっちをむいて口を突き出し麩をねだっているような飄々とした面白さが、この読み方をするとちょっと翳ってしまうきらいがある。
 「どら焼きに」も、日本の歌でしょ!と思いたいが、砂漠の中に、地雷によって窪地が生まれるような印象を一旦持ってしまうと、不穏なエネルギーが中東という雰囲気によって倍増し、単純にどら焼きに指がめり込む面白みというのを素直に受け取れなくなってしまう。
 「種のある」の歌は「本当はここに存在したはずの喪われたものを悼む」という印象の強い歌である。前者「どら焼きに」の歌に似て、日本に極めて関わりの深い「種無しの柿」の歌であるにも関わらず、どこかぽっかりと一地区が空爆によってすっぽりと地図から抜け落ちてしまったそんな事態について詠んでいるのではないかと深読み(なのかどうか)してしまうのは「中東」というハード面の持つ力だろう。
 「幾重にも」の歌も同じだ。キャベツが中東でどのくらい食されているのか僕は知らない。しかし、日本にだってキャベツはあるし、別に中東に特有な言葉が出てくるわけではない。にもかかわらず難民キャンプ地に重なるように建てられたテントとその中で不安な日々を過ごす人々のイメージがせりあがってくるのを防ぎようがない。つまり、日本で暮らす僕らには言葉通りの意味で「前夜」といえるほどに切羽詰まったものが存在しないということなのだろう。
 ことさらにそう読む必要のないものまで、この歌集の中の作品が「中東」の意識を強く読者に印象付ける。僕は2節の最初で≪しかし「異国情緒」というのは、この歌集のいわばハード面に過ぎない。≫と書いたが、実のところハード面に過ぎないと見えるその舞台は、意識の底までいつの間にか染み入って、日本での歌と読んでもいいだろう作品でさえ、そこに本質としての不穏さをなみなみとたたえており、それが読者をどうしてもこの歌の舞台を「中東」へと引きずってゆく。

5 僕の選ぶベスト3

 それでは最後に僕の選んだベスト3を挙げておこう。

  梨は芯から凍りゆく 夜になればラジオで誰かの訃報をきいた P30

  みることは魅せられること 君の脚は汗をまとったしずかな光 P55

  声が凍えているな、秋、何度でもマグダラのマリアを愛してしまう P62

 ベスト3「梨は芯から」の歌。前節までで僕はこの歌集の本質を「不穏」と見たが、文字通り不穏な歌。しかし「訃報」とあるから不穏な感じが伝わるのではなく、前半に「芯から凍りゆく」梨というアイテムを登場させておくからこそ「訃報をき」いて心凍る感じがより一層うまく伝わってくる。
 ベスト2「みることは」の歌。不穏、で満ちているこの歌集だが、そんな世界の中にも美しく素直な作品が散りばめられているのは救いだ。「みることは魅せられること」と作者は大きな嘘を言う。それは「君」を見るからこそ魅せられるのであり、この非理論的な一般化の仕方の中にこそ逆説的な意味で詩が息づいている証だ。光が汗をまとうという表現の美しさよ。そしてそれが君の脚の表象であるという驚き。「汗をまとったしずかな光」という表現を注視して改めて思う。
 ベスト1「声が凍えているな」の歌。「マグダラのマリア」は罪深き女性。声さえも凍えるような秋。もしかしたら魔性の女性の前に語り手は立っているのかもしれないし、ある種の決断に迫られているのかもしれない。「マグダラのマリアを愛してしまう」とは何の謂いだろうか。それは罪の思いを共有するということかもしれないし、また、肉体的に何度も求めてしまうという文字通りの肉欲を意味することがらかもしれない。いずれにしても、慄きながらも罪深い女の前に額づく単独者の心細くも屹立した決意のようなものが心に直截刺さってくるようで痛くまた切ない。

短歌時評第151回 ライトヴァースで世界の苦を詠むこと 岩尾 淳子

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 前回、9月の時評ではライトヴァースの可能性について検証した。はたしてライトヴァースという軽やかな表現によって重い主題が詠めるのかということを考察したかったのである。それと同時期に加藤治郎の第11歌集『混乱のひかり』が出版された。せっかくの機会なので、もういちどライトヴァースの可能性を再考してみたい。

 さて、2019年「歌壇」10月号の特集「平成の事件と短歌」は平成の30年間に起きた様々な事件と短歌との関りを丁寧に検証していて読みごたえがあった。特集では、10人の歌人の10首選が掲載されていた。ざっと目を通して10人のうち6人が加藤治郎の短歌を引いていることに注目した。そのうち3名(柴田典昭・鈴木竹志・中川佐和子)が次の歌をあげている。


  押収のドラム缶にはあるらーん至福の砂糖こそあるらーめ  『昏睡のパラダイス』
 

 この歌については総論で三枝昴之も次のように触れている。

 オーム真理教事件を詠んだ歌も多いが、中ではあの集団の不可解さを抱きとめた加藤の修辞力がやはり光る。

 この発言を受けて、「歌壇」12月号の年間時評では奥田亡洋が次のように指摘している。

 平成の時代においても前衛短歌から受け継がれた方法が有効であったことを証明したのは間違いなく加藤治郎であり、そのことを踏まえた三枝昴之の指摘を見過ごしてはならないだろう。

 これは鋭い指摘として賛同する。ただ、ここでいわれている「修辞力」や「前衛短歌から受け継がれた方法」とは何をさすのだろうか。前衛短歌の目差したものは歌人によってさまざまで単純には括りきれない。それを受け継いでどう新しい歌を創造するのか。歌人によって引き継がれたものも様々である。否定という引き継ぎ方もあったろう。1990年代の加藤自身にとっての課題は「ハードな主題をかろやかに詠うこと」であったはずだ。これはまさにライトヴァースの可能性を押し広げる試行である。加藤には天性ともいえる明るさがある。その資質とライトヴァースの軽快さは相性がいい。しかし、加藤の課題は、本来、重力の軽いライトヴァースに湿った情緒をそぎおとした批評性を与えることだった。加藤は「歌壇」5月号で塚本邦雄について「塚本邦雄こそが真正のライト・ヴァースだった」と記述している。ただ、塚本は文語体を重視しており、そのぶん歌は重くなってしまう。加藤は、口語体を主体とするライトヴァースの短歌によって世界の苦を詠もうと模索してきた。そのためには上記の歌のように「あるらーん」「あるらーめ」といった表記や音声の工夫によって不穏さを創出する修辞が駆使されることになる。

 ここに及んで加藤のライトヴァースの手法はさらに洗練されてきたように感じる。従来のように、音喩を使いまわして仕掛けを作るのではなく、あくまでもシンプルで平明な口語で本質をつかみだすことが実現された歌が登場している。

  アトミックボム、ごめんなさいとアメリカの少年が言うほほえみながら

  撮影の男は何か注文をつけただろうか、光る砂粒

  いつかきっとなにもかなしくなくなって朝の食パン折り曲げている

  見切られたボンレスハムは怖ろしい紐にまかれてそのままである

  でかいバッグにモバイルPCぶちこんで不機嫌だなあ子は出て行けり

 ここでは従来のような饒舌さは影を潜めている。1首目、かろやかな言葉で世界の断絶や危機を引き出している。2首目、映像から想像をひろげ、表現に臨場感を与えている。また3首目はしずかなたたずまいの言葉でやがてくる絶望を予見している。最後の歌は加藤の新境地のようで楽しい。どの歌にも共通することは、修辞に無理がないことだ。それは言葉を破壊することから再生する方向へ道筋でもあろう。30年を経て、ここに加藤治郎のひとつの達成をみる思いがした。

〇若い層の口語短歌

  ツイッタ―がきもちわるくて友達がきもちわるくてツイッタ―する

高校2年 0 男子

 この歌には2019年11月17日に開催された兵庫県短歌祭ジュニア部門の応募作品の中で出会った。ツイッターという語に思わず目が留まった。SNSの世界は相手の顔が見えないだけに、リアルの世界で成り立っている関係とは違った顔が立ち現れる。それを単純に「きもちわるくて」といい、さらに畳みかけるように「友達がきももちわるくて」と関係性を引き寄せることで生々しい人間の感情の不気味さやそういう感情の集団性への嫌悪感が吐露されている。そしてそのバーチャルな集団に自分自身も加担しているという冷めた認識があり、それがある種のユーモアも醸し出している。独特のメタ性があり、そのあたりが極めて現代的であろう。ちなみにこの作品は残念ながら佳作に終わったがもっと注目されていいと少々不満に感じたのが正直なところだ。
 最近、ツイッター上での個人攻撃が目にあまる。人の感情、とくに憎しみにいったん火が付けばそれに抗することはほとんど不可能だ。本来、感情は個人のこころの内部でのひそやかな出来事であるはずなのに、SNSという劇場が設定され、見られることで簡単に巨大化してしまう。それは実体以上の形をあたえられることで、自我が拡大してゆく全能感を伴い、ある種の快楽をもたらすのだろう。ここには正義という問題もある。硬直した考えは、分断と不信を増幅するだけで、何も生み出さない。
 掲出した歌は、そういう状況を詠んでいるわけではないが、ツイッターの危うい感情の誘惑を、実に簡潔な口語で冷静にしかも自然に表現している。高校生という若い層が、口語でこうした重い内容を詠めることに瞠目し、幼いけれど公正な批評性や認識が開かれていると感じた。

  蝉の声いきなり止んで静寂のわけを考える私は十七

高校2年 T 女子

 こちらも同じく応募作品。夏ひかりのなかに訪れた突然の静寂に存在の不安のようなもの直観的に感じている。思索的で自意識がするどく切り立っている。世界の深さに手を伸ばすような純粋な観念性を秘めている。

  雨が降り川は流れてまた雲にそんな世界にぼくらは生きる

高校2年  S 男子

 水の循環として大きく世界を掴んでいて、その水と自分たちの生命をリンクさせている。その視線はまっすぐに前に向けられている。なんのたくらみもなく、思いを素直にシンプルな言葉で詠み切りながら、打ち出している強い生命感が印象に残る作品だった。

 この兵庫県短歌祭のジュニア部門は、中高生が対象であるがその応募作品を読んで、10代の若い層が秘めている、リアルな現実感や、深い思索力にとくに注目した。最近はどうしても現実を断片化してとりだす、オタク的な思考傾向があるが、それとは逆にひろく全体性へ向かう流れも生まれているようで心強い気がした。

 第55回短歌研究賞を受賞した郡司和斗は平成10年生まれの20歳、同時受賞の中野霞は平成8年生まれの22歳。どちらも若い。

  献血のポケットティッシュくばる人の籠いっぱいの軽さを思う

  うれしいよ シャンプーのあとかけられるぬるい水素水 床屋さん

  絶版になった十代 まっさらなルーズリーフを空へと放つ 

郡司和斗『ルーズリーフを空へと放つか』

  それはとても大きなうつわ 神さまが人のからだに隠した背骨

  逡巡をもう終わらせるこの川に何を流すか思いついたら

  光るものばかり集めてしまうけどきっとこの世を生き抜くつもり

中野霞『拡張子』

 選考座談会の記事を読んでいるともっと個性的な歌に注目が集まっていたが、筆者には、ここに挙げたような歌の方がまっすぐに心に入ってくる。読者を意識して微妙なところへ持っていこうとする歌も多いが、独特のユーモアのなかにおおらかな世界の掴み方がでている歌がやはりいい。
 先の高校生の作品にもいえるが繊細で自意識の闇をさまようような歌が若い人の歌のように思っていたが、最近はそうでもない。たくらまず、言葉を操作しすぎずない。そして歌の背景には若いながらに、深く世界に届くような豊かさがあって短歌の可能性を感じた。

〇「かばん」12月号から

「かばん」12月号誌上で小坂井大輔、戸田響子が穂村弘を囲んでの座談会が掲載されていて興味深く読んだ。小坂井大輔は『平和園へ帰ろうよ』で、サブカル的な文体を駆使してユーモアを加味しながら、自己や他者の無防備な姿をリアルに描写する生命感あふれる歌風。一方、戸田響子は『煮汁』において、違和感を梃にしながら現実の細部から歌を立ち上げる手法が鮮やか。日常のなかのささやかな違和感や居心地のわるさを、ナチュラルな口語文体で活写する。意識の境界に漂っている鰭のようなものを掬い取るには、やはりこうした口語文体が効力をもつのではないかと。改めて感じた二人の歌集だった。
 その二人について対談の中で穂村弘は

 二人の歌集に共通しているのはその「ダメ感」みたいなところだけど、それを成立させるにはユーモアみたいなものがいる。ユーモアと異化感覚と無意識の批評性みたいなもの。

と指摘している。また、

 今の時代に出ている優れた歌集に共通する点として「サバイバル感」があるような気がします。それがある種のユーモアみたいなものに繫がっていることがある。「ユーモアなければ即死」とでもいうような時代性ってあるような気がする。

 ここで穂村がどんな歌集を「優れた歌集」として対象にいれているのかは不明だが、昨年の山川藍『いらっしゃい』などは、その典型であろうか。

  わたしにも反省すべき点はあるなどと思った瞬間に負け

  ささやかに言葉かわせばこんあにもあなたは缶入りしるこが好きだ

  いま買ったゼリーを袋ごと渡す今日で辞めると言うレジの子に

  退職の一日前に胸元のペンをとられるさようならペン

  痩せたこと一度もないが痩せたさをライフワークにする安らかさ

 どのページを開いても、生きる切なさが軽いユーモアに包まれている。軽い口調にのせた言葉は、作中主体の置かれた決して楽ではない現実をポジティブな方向に反転する力をもっている。こういう前向きのベクトルを穂村は「サバイバル感」とネーミングしている気がする。格差社会でハンディのある地位や居心地の悪さ、あるいは逸脱感を磁場にして、閉塞するのではなくおおらかに外界に開かれている。
少し話が逸れたが、穂村は座談会で組んでいる小坂井大輔や、戸田響子にもやはり共通する特質を見出しているのはおそらくその「サバイバル感」だろうか。

  値札見るまでは運命かもとさえ思ったセーターさっと手放す 

  わたしのなかの進路指導の先生が死ぬなと往復ビンタしてくる

  柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です 

  犬の糞を入れた袋をひったくられてなんて美しい世界だろう

小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

  クレーンがあんなに高いとこにある罰せられる日がくるのでしょうか

  桜から桜の間(あわい)は夢なので一年は早く過ぎてゆきます

  すいれんすいれん図鑑をめくり次々とすいれんじゃない花流れゆく

  春だからぬれていこうじゃないですかフルーツ牛乳のふたをはね上げ 

戸田響子『煮汁』

 小坂井はサブカル的な軽快な口調で日常のなかで遭遇する失墜感や喪失感を現場性を立ち上げながらリアルに打ち出してくる。しかし、それは自意識に内向せず外界に開かれて自在感がある。戸田の方の歌集は主に違和感を言葉に打ち出してゆく手法によるところが多い。しかし、その意識はそれほど傷を負っているわけではなく、なんとなくピントの合わなかった世界を言語化することで世界と親和性を獲得してゆく。歌を読むのはそのプロセスといった感じだ。上に挙げた歌の2首目、3首目、あたりは桜や、花を詠むことで伝統的な美意識をとりこみつつ、それを独自の時間感覚によって更新している。1首目は永遠性にふれるような世界観の兆しもみられる。こまやかに細部を読みつつ、深い世界にも言葉が届こうとしている。そこには静かな再生感が編み出されているようにも思う。

〇さいごに

ヘルマンヘッセの詩にこんな言葉がある。

  この暗い時期にも
  いとしい友よ。私のことばを容れよ。
  人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
  私はけっして人生をののしるまい。

『困難な時期にある友だちに』

 おそらくは30代の終わりころに書かれている。こうした境地は相当に年齢を重ねてから到達できるものかと思っていたが、そうでもないようだ。最近の若いひとたちのある部分の作品を見ていると、筆者の世代にくらべて、ずいぶんはやくこうした開かれた認識を手にしているように思える。そういう大きく豊かな歌におおく出会える一年であることを願ってこの時評を終わります。

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